空の上で昼食を


指針が決まってからは早かった。飛行機のチケットを取るくらいは簡単にできるし、荷物をまとめるのだって、動きの素早い野郎さんたちが九人も揃っている。ホテルの予約や仕事の都合がつけば、もう明日にだって出発できるくらいには、彼らはこの旅行に乗り気だった。

そんな身軽で大丈夫なのかな。なんだかあまりにもトントン拍子で予定が進むことに驚いたので、一番冷静と思われるプロシュートに尋ねてみた。
どうしてリゾットじゃないのかと言うと、彼は物事にあまり興味を持たないだろうなと思ったからである。日本旅行に行くなら行く、行かないなら行かない、と、こちらの予定に合わせてくれる、そんな気がしたのだ。気のせいかもしれないけど、まあ普段の、興味のない事象に関してのテキトーさを鑑みると、そんな予想も出てくるわよね。
プロシュートは新しい煙草の封を切ろうか切るまいか、ケースを持て余しているようだった。
「いいんじゃねえのか。元々テメーは俺たちと日本に行きたがってたし、テメーの話を聞いて俺たちも気になってなかったワケじゃあねえからな」
どうして彼らを日本に連れて行きたがったかと言うと、そりゃもちろん、"日本を旅行する暗殺チーム"という絵面が見たかったからに他ならない。はい、私はよこしまな上司です。この欲望を抱えて六年間悶々として来ました。
「ま、……退屈はしねえだろ。……テメーがいるんだからな」
「ありがとう。そんな君が好きよ、プロシュート」
「そうかよ」
煙草のケースは封を切らずに、ポケットに戻された。

それから三週間、そわそわと浮足立っていたのは私だけではない。
ペッシは初めて海を渡るということで、少し不安がりながらも日本のカルチャーについて雑誌をめくっていたし(主に和菓子についての記事だったのは、以前に私が落雁をお土産に渡したことが引き続いているんだろうか。もしそうだとしたら嬉しい)、ギアッチョも日本のゲームについてさらに造詣を深めていた。彼が徹夜で某白狼がナカツクニを駆けまわるゲームを遊ぶ未来も近いのではないだろうか。時期的にはまだ先のことだけど、ギアッチョがアレにハマってくれたら私もそのプレイを眺めて共に夜を徹する所存である。
ソルベとジェラートは日本語について学ぶ気はまったくないようだった。どことなく閉鎖的な日本において何のてらいもなくイタリア語を駆使するノッポのイタリアーノが二人見られるかと思うと今から不自然に胸がドキドキしてしまう。これは元日本人としてはせめて相手の国に合わせたいと願う衝動の表れなのか。おおらかだ、イタリア。
イルーゾォは慣れないながらも、私と心を同じくし、多少は日本語のヒアリングを学んだらしかった。攻撃力を持たない彼としては、危険をいち早く察知できないと困る、という考えもあったのかもしれないね。周囲の様子が理解できることとできないことでは、アドバンテージに大きな差が出てしまうから。その点を考えるとやはりソルベとジェラートは規格外だ。警戒しろよ。
メローネとリゾットは安定している。日本語が扱える彼らは何の心配もしていない。特にリゾットは一度訪日したことがあるので、完全なる自然体だ。もっとも、リゾットはどの国に向かう時も自然体でいる、のだろうけれども。これは勝手な推測。
ホルマジオは、猫の預け先に苦心したようだった。親しさで言えばナランチャが一番だけど、彼は動物の面倒を見ることに向いているのか?相性はいいだろうけど、エサのやり忘れなんかがあるかもしれない。私と同じ危惧を抱いた彼は、ナランチャには頼まなかった。
セックスピストルズで他人の面倒を見るのに慣れているミスタは、ジョルノの側近として忙しく働いている。ブチャラティも同じく。フーゴは論外として、それならアバッキオはどうだろうか。
二人で額を突き合わせて相談しているだけではらちが明かないので、一緒にアバッキオを訪ねてみた。
胸をガン出しの彼は、ホルマジオの話を聞いて少し顔をしかめた。でも、それだけだった。
「仕方ねえな」
頼られたことに自尊心をくすぐられたのか、はたまた猫が好きなのか、あるいはえーっと、思いつかないけれど何かいいことがあったのか、まんざらでもなさそうに吐き捨てていた。矛盾するようだけど、そう表現することが一番適切だ。猫とアバッキオという異色の組み合わせにニヤニヤしていると、アバッキオはしっしと手を振って私たちを追い返した。気持ち悪い笑顔だったのかな、ごめん。最近私は謝ってばかりだ。三十を数年後に控えた女として、自覚を持たねばならない。


*


空港のロビーで時間を待ちながらチケットを分配する。窓側の席が良いと手を挙げるものはソルベくらいだった。通路側を争ってじゃんけん大会が開かれているくらいに人気がない。これから数時間にわたる空の旅が待っているというのに元気な人たちだ。ちなみに数少ない通路側のチケットは、窓側のソルベに遵ってジェラートが手に入れた。この二人をペアにすることにはもはや誰も疑問を抱かないし、分散させて被害が拡大するよりはまとめて封印したほうがお得だと思っている。
ペッシはじゃんけんが開始される前に自発的にチケットを手に取った。俺は窓側でいいよと笑うペッシをプロシュートが褒める。そんなプロシュートも窓側通路側のこだわりはないようだったが、魔性の青年ペッシによる「兄貴と一緒に座れたらうれしいです」の一言で袖をまくってじゃんけんに加わることとなった。ペッシ……恐ろしい子!
どうしてほぼ全員が通路側を希望しているかというと、理由は簡単だ。窓側、あるいは座席の真ん中にいては、攻撃防御に移る際に不都合があるからである。ねえよ。上空10000フィート以上の密室で起こる襲撃なんてねえよ。そんなふうに思うのは私が素人だからか?
え?リゾット?メタリカに場所も何もありませんよね。でも私を窓側に寄せて守れるようにしてくれるつもりか、通路側を争うグループに混じっていますよ。ありがとね、私ガチで戦えない人員だからさ、助かります。本当に。

度重なるあいこの末、まず勝利したのはメローネだった。じゃんけんの傾向と対策を掴んだ頃にグーで勝利。勝どきの代わりにこぶしを高々と掲げたので、その手にチケットを握らせておく。隙をついてハグをされたけど、軽く流す。いつものことだよ、可愛い子ちゃんめ。
ふと、香油のような良い香りがした気がして、離れようとしないメローネの髪に顔を寄せる。
「何かつけた?」
「つけたよ。せっかく出かけるんだから気合いを入れたいだろ?」
確かに、と頷くと、チョキで負けたイルーゾォが目を細めた。胡散くせえ、と呟かれた声は聞かないことにする。
気合を入れるくらいこの日本旅行を楽しみにしてくれているとは、提案した甲斐があったというものだ。後の私にできることは、この期待を裏切らないだけのプランを遂行に導くことだけである。

さらに重なるあいこを越えて、結局、席順は以下の通りになった。
まず中央の三つ連なる席に、尾翼に向かって左の通路側からホルマジオ、私を挟んで右側にリゾット。
ホルマジオ側の通路からは通路側のメローネと、窓側のイルーゾォが続く。メローネの後ろには大当たりの席をチョキで掴み取ったギアッチョが悠々と腰掛ける。
リゾット側の通路の向こうにはプロシュートとペッシ。その後ろに、前述した通りの並びでソルベとジェラートが並ぶ。
メローネとソルジェラを一緒にしない組み合わせを考えたらこうなってしまった。ホルマジオとリゾットに囲まれる私は、本当は私こそ通路側がよかったんだけど、彼らの心情的にはそうはいかない。いやほらだってトイレとか。機内で飲み物を貰う時とか、通路側のほうが何かとお得じゃんか。むしろその理由以外で通路側を選ぶ人を私は初めて見たよ。
そんなこんなで時間を潰すうち、私が袋のキャンディを半分食べ終わる頃に、搭乗予定時刻は訪れた。


*


さてさて、飛行機に乗る醍醐味は何か。それはテイクオフで感じる重力でも気圧の変化でも機内放送でもうっかり乗り物酔いしてしまう独特の匂いでもなく、機内食だ。
私の胃袋が貪欲なだけかな?味付けが薄かったり濃かったり、なんとなく安定しない量産型機内食でも文句なく頂ける。以前に日本に飛んだ時は外れを引いてしまったけど、今回はどうだろう。
女子高生のようにはしゃいだりはできない年齢だけど、わくわくするものは仕方ない。
「和食と洋食どっちにする?」
「鶏か牛かじゃねェのかよ」
「ジャッポーネ行だから和食があるかと思った。ないのかな?」
スチュワーデスさんの丁寧な非常時の説明はとてもユーモラスで面白かった。特徴のある解説は人の目を引く。いざという時に何とかなりそうな気もしてくるから、プレゼンの大切さがよくわかる。人に物事を説明する機会が多いので、私も見習いたい。
面白おかしい命のための話を聴き終えた私たちは、次なるステージに気を高ぶらせる。高ぶっているのは私だけだというイルーゾォからの座席を越えた指摘の視線は無視した。
せっかく日本へ向かうのだから和食を、とも考えたが、これからマジモンの日本食を食べるのにあえて機内食で勝負を仕掛ける必要もあるまい。ここは手堅く洋食を選んだ。

運ばれてきたのは零れづらいプレートに載った簡素な食事だ。彩が豊かなのは、航空会社の試行錯誤の結果なのかな。ものすごく見た目の評判の悪かった時期があると聞いたことがある。
フォークで一口。
「予想よりおいしいね」
スパゲッティ、悪くない。
同意を求めると、ホルマジオとリゾットは一つ頷いた。
「予想よりウマいな」
「予想よりは味がいい」
だけどやっぱりソルジェラのご飯を食べ慣れている舌としては満足しきれない。
「一人暮らしだったら満足してたかもしれないけど、リゾットちゃんたちのご飯を知っちゃうとねえ……」
しんみりと呟く。
大切な人が増えたことは幸福なことだけど、代償に片腕と片足と平凡な味覚を持っていかれてしまっているなあ。

この美味と不味のちょうど中間にある昼食を食べたソルベとジェラートの料理人の血がどんなふうに騒いでいるのかがとても気になるけど、それは着陸してから質問しよう。
ああ、でもソルベとジェラートは他人のつくったものに感想を抱くほど周囲に興味がないかもしれない。
彼らの料理の腕は私たち仲間だけに披露される。評判を聞いた他の"誰か"に求められても基本的には応じない。私たちにつくったついでに"誰か"が食べることはどうでもいいらしいけれど、基本的にはそんな感じだ。元々彼らが持っていたスキルは初期のチーム内でコミュニケーションを円滑にするために使われ、数人を食の楽しみに目覚めさせたものの、本人たちはその数人を含めた私たち八人を楽しませることができればそれで満足なのだと言う。
だから、私たちがこの機内食の味について言及すれば改善点を教えてくれるかもしれないけど、「どうだった?」と尋ねたとしても、「まあ普通じゃね?」くらいの気軽さが帰って来るに違いない。お互いと仲間以外に興味のない世界の狭いホモ二人である。
ソルベとジェラートの言動について考察を進めていると、リゾットが口を開いた。
俺も、と言葉が始められ、それに振り返る前に、ホルマジオがさりげなく素知らぬふりをしたのが見えた。
「俺も一人なら何も思わなかっただろうが、お前たちの料理を知っていると不足に感じるな」
この言葉を、ソルベとジェラートにきかせてあげたい。集団の中にいるのだという意識を芽生えさせた素晴らしい料理を生み出すその手に、リゾットが抱いた感情をのせて、彼らの内側にしまいこんでほしい。
そんなふうに思ってしまうくらい、反射的に感動してしまった。チームの上司をやっていた頃から私はリゾットに『孤』を選ぶイメージを持っていたから、こうして自分を何かの枠組みに含めた認識を持っているのだと知ると、萌えとか興奮とかより先に安心する。
一気にざわめいた心を抑え込んで、引っかかったところに言及。
「ちなみに……それって私の料理も含めて考えていい、んだよね?」
「当たり前だろう」
ため息をつかれてしまった。だって私、自分の料理がひとの心を動かすほどおいしいとは思ってないからさあ。
しかしこういうのは相手がどう感じるかが重要なのだ。私の自己評価など関係ないのである。
そっかそっか、そんなことを言ってもらえてうれしいよ、ソルベとジェラートも喜ぶよ。へらへらと笑いかけると、リゾットはプレートに視線を戻した。私もフォークを握り直す。
と、右腕をホルマジオに肘で小突かれた。
「当たり前だろオメー、アホか」
ぼそぼそと耳打ちで罵られる。だって私、自分の料理がひとの心を動かすほど以下略。
「オメーはこういう場面じゃなくて別ンとこで謙虚になれや」
「異議あり。私はいつでも謙虚だよ」
「だから、こういう時だよ」
ホルマジオも、呆れたようにため息をついた。みんな、私の扱いがひどい時があるよね。まことに遺憾でござる。