クッキー


どんな味のやつをつくろうかなー、と、念のために購入した薄いレシピ本をぺらぺらめくる。オレンジジュースをくぴりと飲むと、向かいに座っているリゾットと目が合った。目を離さずにコップを置いて、そのままじーっと見つめ合う。私の瞬きのタイミングとちょうど合うのか、いつ瞬きしているのかがよくわからない。
「リゾットは何味が食べたい?」
「……」
「クッキーの話。結構いろいろ種類があるのよ」
立ち上がってテーブルをまわり、リゾットの隣の椅子を引く。椅子をリゾットに近づけて座ると、2人の距離がほとんどなくなる。リゾットのほうに上半身を傾けてより密着。
レシピ本を渡すと、リゾットはそれを受け取った。ぱらりぱらりと1ページずつめくる。1ページを読むスピードは彼にしてはゆっくりで、写真、材料、つくり方、と目が動いて、1行ずつ追っているように思える。速読スキルを使うまでもないってことか?
「型抜きできるように、型も買ってきたのよ。花と、ハートと、星。花は花びらが大きいやつと、ひまわりみたいなやつがあるの」
「どれくらいつくるんだ?」
「えーっと」
17人分だから、ひゃくななじゅっ、いや、さすがにつくりすぎか。今回はうちだけにして、誰か訪ねて来たらお茶うけにしよう。
「4種類くらいかしらねえ。チーズクッキーとプレーンは決まってるんだ。あと2種類どうしようか悩んでるの」
オリーブオイルのクッキーも憶えているけど、ありゃあもっと特殊なオリーブオイルが手に入った時につくろう。
リゾットはぺらぺらとめくって、ポルポはほかにどんなレシピを憶えているんだ?と私を見た。胡麻とかアーモンドとか?
「そうか」
「おう」
ならそれがいい。
それでいいのか、リゾット・ネエロ。

ぶうん、と稼働するオーブン。予熱するまでもなく、もう3回鉄板を入れたので熱い。あとキッチンが甘い匂いで満たされている。大きな窓を開けて換気しているものの、多少は仕方ないよね。甘いものが苦手なリゾットには可哀そうなことをしていると思うけれど、部屋に戻っていていいんだよ、と言ってもここでいい、っつってカウンターテーブルで書き物をしているのだから、それでいいのだろう。
型抜く?と持ちかけたら立ち上がってキッチンに入ってきて花の型を持ってとすん、とすん、と薄い生地に花の形の穴を開けていたので、初めてのクッキーつくり(推定)にワクワクしているのかもしれない。ちなみに、私が考えうる限り、残った生地にはまったく無駄がなかった。まとめてこねてもう一度広げたらまたとすんとすんやっていた。気に入ったの?

オーブンがピーピーと鳴くたびに鉄板を取り出すわけだけど、2度目の焼き上がりの時に3枚の鉄板を取り出し終えてオーブンの扉を閉めてふと見たらリゾットがこちらを見ていてびっくりした。飲み物のお代わりを注ぎに来て、私が熱いものを扱っていたからキッチンの前で待っていたようだ。待たせてごめんご。
軽く謝ると、お前はこういうことは得意だな、と褒められた。鉄板の扱いが上手に見えたのかな?今世でオーブンを使ったのは初めてだけどね。
焼き上がったクッキーを冷ますその間に私は一回一回片づけを済ませてしまうわけだけど(流用する道具もあるし)、寝かせておいた次の生地に取り掛かる前に毎回キッチンから出ることにしていた。なぜかって、リゾットの口に焼きたてのクッキーを押し込むためだ。どーぞ。無言で食べられた。
反応を待っていると、甘いな、とかあまり甘くないな、とか、チーズだな、とか短すぎる感想が返ってくる。そうだねえと適当に同意してキッチンに戻る。
最後の片づけも終わって、カウンターテーブルにつく。リゾットの隣で、ペンを動かすリゾットを見る。
うーむ、あの頭巾をかぶっているリゾットもよく見るけど(仕事的な意味で)、インクでシャツの袖が汚れないように軽くまくっている家着リゾットもよいですねえ。シャツがストライプなのは初見で笑った。どんだけしましま好きなんだよ。
「(クッキーが残っているうちに誰か来るかな?半分、あっちのお茶うけ用に渡せばいいか?えーっと120個くらいできてるわけだし)」
ふわりと入ってきた風が気持ちいい。
ビアンカにもあげよう。この間うちに来た時、エクスタってんじゃねえかと思うほど感激してたもんな。ていうかエクスタってた。
住所は知ってるはずなのに(ビアンカが私の情報を他人に洩らすわけがない。訊いてきた人間が死にそう)、どうして今まで訪ねてこなかったの?と訊いてみると、「だって、ポルポの家にはあの猫がいるんだもの。わたくし、わたくしからポルポを奪ったあいつをまだゆるせていないの。ポルポが悲しむことは絶対にしないけれど、心の準備をしてからじゃないと泣いてしまうわ」と言われた。心の準備に半年かかるのか。相変わらず愛が重い。電話をしても、切る時に絶対泣くもんね。早く私離れしてくれ。
ピーピーとオーブンが鳴った。へい、今行きます。立ち上がってキッチンへ。
ざらざらと皿にクッキーをあけてテーブルにゴー。あとは冷ましてひとに分けるぶんを取り分けて、保存容器にぶち込むだけだ。
「私はクッキーを食べるぞー」
ジョジョ―ッ。
ビアンカに3つずつ包んで(意図的に1つをハートにしてみた)、あっちのアパート用を保存容器に入れてもう少し冷ます。
お皿を取ってきて、うち用のクッキーをざらざらと入れた。カウンターテーブルにオン。お茶を入れてスタンバイ。
「いたただきまー」
す。
うめえ。自分ながらうめえ。
「クッキーってだいたい誰がつくってもおいしいけどさ。自分でつくると、手間をかけたぶん余計においしく感じるよねー。あ、胡麻おいしい。家に常備しておいてよかったわー」
リゾットは書類とペンを目の前からどけて、新しく淹れなおしたカップを傾けたり私を見たりしている。食べへんの?
「味が好みに合わなかったかな?リゾットちゃんや」
「いや、おいしい」
「あ、そう?」
じゃあお腹すいてないのかもしれないね。私は慢性的に空腹を感じているのだが、世の多くのひとがそうでないことくらいは知っている。
「これ、リゾットちゃんが型抜きしてくれたからおいしい」
「……」
「"型抜きは味に影響しない"」
「そうだな」
「こういうのは気分の問題なのだよリゾットくん」
リゾットが型抜きしたクッキーを一枚、リゾットの唇に押し付けた。リゾットがそれを食べた。
「それがリゾットちゃんが型抜きしたやつね」
「……」
飲みこんで、カッフェで口の中を流したのを見て、別の一枚をつまみ取る。近づけると、リゾットが自分から口を開いた。サンキュー。
「こっちが私が型抜きしたやつ」
「……」
「ちがくない?」
なーんてふかして笑ってみたら、リゾットが冗談に付き合ってくれた。
「そうだな、味が違うように感じるな」
「でしょー?こういうのは気分なのよ。まあ、うっかり捏ねが足りなくて味に差が出たのかもしれないけど、それを言い始めるとキリがないし」
もしかしたらリゾットは適当に話を合わせてくれたのかもしれないけど、まあいい。
私も紅茶を飲む。カフェインタンニン。タンニンちゃんは水溶性で唾液に溶けて渋みを感じさせるらしいね。でも縮合タンニンは不溶性になって渋味を感じなくなるらしいね。化合物すごい。
「そういえばおむすび。おむすびはマジでつくるひとによって味が変わるらしいね。正確には、女性がにぎったほうがおいしいらしいよ。手からの分泌物だかなんかが影響するんだって」
「……」
「お米なんかもコシヒカリあきたこまち、もう5s送ってほしいけどさすがにそれは無理だもんなー。ねえ、送り先がはっきりしていればなんでも移動させられるスタンドがあれば便利だと思わない?どっかにいないかなー、具体的に言うと日本にいないかなー」
「……」
「あっ紅茶に砂糖入れるの忘れてた。まあいいか、クッキー甘いし。あ、リゾット気をつけてね、星型のクッキーはレシピと同じ分量のお砂糖使ってるから甘いよ」
リゾットがカッフェを飲んだ。置く。
「どうりで味が違うと思った」
「食べちゃったかー。大丈夫?」
「アイスクリームよりは甘くない」
耐えられるってことか?私は星型のクッキーを摘まんだ。
「アイスって怖いよねえ。私もさあ、前はカロリー気にしてあんまり食べられなかったもんよ。乳脂肪のあとに砂糖って続く食べ物、なかなかないよ?」
「何年前の話だ?」
「え?……あー……10年、くらい?」
26年前もそうだったけどね。
「その時はカロリーを気にして食事をしても倒れなかったのか?」
「んー……まあお腹は空いてたわよ。でも、体重が増えるのを気にしているのにガツガツ食べるわけにもいかないじゃない?そんなお金もないし」
「体重の増加は……」
「おっぱいよね」
ファンタスティック。
私は自分の片乳を片手で持ち上げた。以前より少し痩せてくれたとはいえ、重いよねえ。もしかして巨乳の多い国で人気のブラジャーを買ったらうまく支えてもらえるんだろうか。
「だんだん食べる量を増やしてみてさ、様子見てたんだけど、今まで必要なぶんを食べていなかったからか、ちょっと増やしただけでめっちゃ元気になっちゃってびっくりしたわ。やっぱり身体が求めるままに食べなきゃダメね!いやあー、気づいて良かった」
ギャングになってお金が入ってきたのも嬉しかった。
クッキーをリゾットの口に持っていく。食べてくれた。イエーイ。
「でも最近体重が減ってきてるのよね……これナニかしらね。おっぱい?おっぱいが痩せてるの?まあそれは軽くなってありがたいんだけど、金とおっぱいという私の二大特徴のうちひとつが失われて没個性に……?やばいなおっぱいがなくなったらただのイタリア人じゃん……いやいいんだけど。洋服の幅が広がって助かるんだけど」
「……」
「あ、ごめん別に興味ないよね」
紅茶を飲む。リゾットがおっぱい党じゃなくてよかったわ。
ただのイタリア人っつっても前世の記憶がある時点で普通じゃない。もしみんなが前世の記憶を持っていることを巧妙に隠しているのでなければ。私が話さないように、みんな話さないよねえ。
紅茶を飲んで、頭にあるお菓子が浮かんだ。
「そうだ、今度ビスコッティをつく、……ろっかな」
リゾットにおっぱいを揉まれた。いや、すくうように持ち上げられた。まあおっぱいはどうでもいいんだが。
「痩せてはいないようだが」
エーッわかるの?やっぱりリゾットすごいな。
「下着はつけろ」
「あー……」
ばれてしまったか。
「でもほら、これパッドついてっから」
「……」
「明日からそうします」
つけないと将来垂れるかなあ。胸筋だけは維持してるけど、それまでには手ごろなサイズに痩せていてほしいね。
リゾットの手を胸の間に持って行って、えい、とおっぱいで挟んでみた。
「……」
「ごめん」
無言で見つめられたので、誤魔化すようにクッキーを食べさせた。おっぱいを冗談に使うと静かに叱られるんだよなこれが。
ぽりぽりとクッキーを食べ進めて、最後のひとつになったので、静観していたリゾットに差し出した。受け取って半分かじったリゾットが、私の口に半分になったクッキーを向けてきたので、ありがたくいただいた。餌付けか。