一般人だから仕方がない


ふつん。
えっ、と思う間もなく、灯りが落ちた。混乱は一瞬で、あぁ停電か、と理解する。日本でもよくあったことだ。
ブレーカーが落ちたのかな。うっかり電化製品を使いすぎただろうか。電子レンジが原因かなあ。
カーテンを閉めた一階はとても暗い。すべての電気が落ちたのだから当然だ。私は慣れたキッチンから出て、ブレーカーのあるところへ向かう。リゾットは二階でまだ仕事をしているのでここにはいないのだ。
「うわ、もしかしてパソコン落ちたのか……?」
わあ、大変だ。ちょっと顔が引きつった。停電のせいでデータがぶっとんでお陀仏になったことが何度かあるから、その脱力がよくわかる。脱力するリゾットに興味がなくはないけれど、私が原因で電気供給が停止してしまったと思われるので、もうこれはゲザってもゲザり切れない。
「うわっ」
がつん、と躓いた。何だここは床だぜ、と身を引いて思い出す。あー、私ここに置いたままだったわ、宅配便の箱。自業自得ってやつですね。
手探りならぬ足探りで、そろそろと進む。暗いよ。暗くて腰が引けるよ。
「うああー……暗いと周りになんかあるんじゃないかって錯覚するこの現象、なんて名前なんだ……」
特に暗所恐怖症ではないけれども、やっぱりビビる。玄関までの廊下、ちょっと長いし。
ぱた、音が鳴った。びっくうううう、と水をかけられた猫のように跳んで硬直する。くらがりの中に音。サイレントヒル、零、クロックタワー。一瞬でプレイしてきたゲームの場面がフラッシュバックして、うわあああと背筋が凍った。お、落ち着け、ここは家だ。なんで日本の記憶なんて薄れてきているのにそういうことだけ思い出すんだ。私の脳みそは意外と高性能なのか。それとも残りの98%が仕事をしたのか。
1秒と掛からずに映像は過ぎ去り、一定のリズムで近づいてくるそれがスリッパの音だ、と気づいた、ドキドキドキとひどく興奮した胸に手を当てる。
「(こ、こえええ……暗殺者気配ない……)」
暗闇の中だからこそだろうか。リゾットの気配がまったく判らない。足音もどこかで止まってしまった。なんで止まってるんですかあ!絶対夜目利くでしょ!だって暗殺者だもんね?私は君たち9人以外の暗殺者の知り合いはいないけど、物語の中ではだいたいそんな扱いじゃないですかあ!某ファロット一族とか某アローニィとか!
もしかして動いてるけど足音が消えて判んないだけ?私の感覚器官がリゾットを捉えられないだけ?この状況でなぜそうする必要があるのよお。
「り、……リゾットさあん……」
ものっすごく情けない声が出た。私最近、情けなさすぎじゃないか?もっと26歳らしくなりたいよ。リゾットがいると気が抜けるんだろうか。リゾットはどんだけ癒しオーラを出してるんだ。
ぽん、と頭の上に軽い重みが加わって、ビクッと肩が跳ねた。手か。手だなこれ。リゾットの手だね。リゾットのものであってほしい。ホラー的な意味で。
私はその手に触れて、頭から下ろして、そろりそろりと、慎重に手首から前腕、上腕をなぞって方向を確認した。背中、らしいところまで辿りついて、ほっと息をつく。
「リ、リゾット……」
「そう、俺だ。今ブレーカーを上げてくる」
パソコン大丈夫だったのかな。特にがっかりした声はしてないな。むしろなんか、ちょっと楽しそうだったような。暗闇好きなの?暗殺者だから?落ち着くのかな?
ぱたぱたと足音が遠ざかり、私はその場に立ち止まっているしかない。なんだよ……なんでさっき立ち止まってたんだよ……。
あ、もしかして、周囲の状況を把握するのに目を慣らす必要があったのだろうか。でも、それなら停電してからこんな短い時間で、あの階段を降りられるものなの?足音を立てずに私の頭に手をのせたってことは、私のすぐ近くにいたことになる。足音が止まってから私がリゾットを呼ぶまでしばらく時間があったけど、それくらいの時間を上階で過ごしていたら、あのタイミングでは下りてこられないはずだ。
どういうことだろう、と首を傾げる前に、ぱちりと灯りがついた。ぶうん、と冷蔵庫が再稼働し、リビングもキッチンも明るくなる。
私はぱたぱたとスリッパの音を立てて廊下に出た。ちょうどリゾットが戻ってくるところだった。
「ありがとう、リゾット。ひとりだったらもっと時間かかってたわ……」
「そうだろうな。こういうことには慣れているし、得意なほうがやったほうが早く済む」
「慣れてるんだ……」
どっちですか、とは訊ねる必要もないだろう。ブレーカーを上げるのに慣れているって普通は言わない。暗闇に、ですよね。はい。詳しくは訊かない。
「ごめんなさい。パソコンも落ちちゃったよね。復旧できそう……?」
それだけが気がかりだ。どうしよう、もし情報をまとめている最中だったら、仕事の成果が水の泡だ。リゾットに回している依頼はそれほど面倒なものはないと思うんだけど、それは私の主観だし、リゾットは万全を期すタイプだから、きっと私よりも詳細に事を進めている。それを無駄にさせてしまって、とても申し訳ない。
あぁ、とリゾットは軽く頷いた。
「30分くらい前にもう落としてあった」
「ほ、本当?よかった、……っていうのはちょっとおかしいか……」
ぎりぎりだった。
安心して肩から力が抜けた。
リゾットは私の背中を軽くさすって、そのままぱたりと一歩進んだ。私も歩き出す。
暗闇ではなくなった安心と、リゾットの仕事が無駄にならなくてよかった、という安堵で満ちていた心の中に、ぽつ、と疑問が戻ってきた。
立ち止まってリゾットを見る。
「さっきさ、私が止まってた時、リゾットってどこにいたの?」
「ポルポの隣だな」
やっぱり?
「私、結構な間立ち止まっていたわよね?その間、ずっと隣にいたの?」
「……そうだな」
ですよねえ。
「リゾットって、暗い中でも物が見えるの?」
「ある程度は」
だと思ったわ。
「私の隣にいた時、全然わからなかったんだけど、それは私が素人だから?」
「……まあ、……そうなんじゃないか?」
「……」
なんで曖昧なんだよ。いっつもきっぱりそうだなって言うだろ。言いよどむ時はだいたいなんかあるよね。隠し事ができないのってリゾットの方じゃないのか?
「見えるのにしばらく私の隣でじっとしてたの?」
「あぁ」
それは同意するんだ?
「なんで?」
リゾットは私の目を見て、それからスッと逸らした。
「暗い中でどうやって戸惑うのか興味があった」
「……」
私がビビってるのを静観してたってことか。私が、どこにいるのかわからないリゾットの名前を呼ぶまで?
「どんな興味なんだよ……コエエよ暗殺者……スキルの無駄遣いだよ……」
両手で顔を覆った。恥ずかしすぎるだろ。ビビってる姿を見られてたってどういうことなんだよ。
「使えるものがあるなら有効に活用すべきだろう」
暗殺スキルの話してる?これは有効な使い方じゃないだろ!完全にあんたの趣味だろ!
「なんでもいいんだけどさ、誰かが怖がっているのを見るのが好きなの?」
「誰かが、というより、ポルポが何にどんな反応を示すのかを見るのが好きなんだ」
「……」
誰かここにイルーゾォを呼んでくれ。急患だ。
私にはどうにもできない趣味だな。私は諦めた。どうせ名前を呼んだら返事をしてくれるんだし、なんかあったらリゾットのことを呼びまくろう。
「ん?……けど、そう言われてみると、私もリゾットの反応が気になる時があるなあ……」
「例えば?」
「例えば?!えー……ごはん、おいしいかな、とか、一緒に出掛けるの面倒くさくないかな、とか?楽しいのは私だけ、かな、とか?」
「どれも気にする必要のないことだし、お前の思っていることとは少し違う」
「……」
つうことは、なんでしょうかね。好きな子ほどいじめたいみたいなやつなんですかね。
どんな楽しそうな彼が見られるとしても、リゾットとお化け屋敷に入るのはやめておこうと思いました、まる。