リゾットを深く眠らせたかった話


そもそもこの面子に相談することが間違っていると言えなくもない、のだが、ここには彼らしかいないのだから選びようもない。
オレンジジュースをごくごく飲んで、ぷはあ、テーブルに置く。音がしないように小指をテーブルとコップの間にちょっと挟んで置いたら、ポルポってそういうスキルはすぐ身に着けるのになんで残念なんだろうな、とソルベが言った。同意したジェラート。さすがにあんまりな言い草だと思ったので、ふたりの飲み物をそれぞれ取って飲みほした。あーっ女王さんひっでー、とまったくそう思っていない声でげらげら笑うふたり。どうやったら彼らは落ち込むんだろう。
「でもさあ、ポルポには残念かもしれないけど、ペッシならともかく俺たちがぐっすり寝ることなんてないと思うぜ」
顔の輪郭を両手で包んで肘をついた可愛いポーズのメローネが、いつも通り、口元に笑みを刻んだままマスクの奥でにやりと目を細める。その試みには興味あるけどさ。
「熟睡したことないの?こっち入ってから一度も?」
ソルベとジェラートは唇に一本指を当てた。ノッポの27歳がそんな仕草したところで釣られクマー。
「んー……俺らは結構熟睡してるけど」
「そもそも部屋に入って来られないようにしてるしな」
私は何度かお招きいただいたことがあるんですけどね。
何があるの、と訊ねると、ふたりは声をそろえた。ちょっと言えないコト。ハートマークでもついてたんじゃないか?まじで何があるんだろう。罠だろうけど、入っていけないってことは入り口で即死する青酸ガスとか用意してるのかな。
思考が飛びかけた私を呼び戻したのはギアッチョだった。どうでもいいけどメローネとギアッチョってやっぱり一緒にいることが多いよね。同期のよしみなのか別の理由があるのか。私はどちらでもカモン。
「俺らのチームはオメー以外に面が割れてなかったからよォ、仇討ちなんかを食らうことはありえねー。それでも、襲われました、寝ていて対応できませんでした、死にました、っつーワケにはいかねえだろ」
「そうねえ」
「部屋も分かれてっし、まさか仲間に助けを求めるなんて情けねえこたーできねー。自分の身も守れねえで何がプロだって話だ」
たぶん襲撃してきた人がかわいそうなことになるんでしょうね。誰のところに忍び込んでも。
一番かわいそうなのはどこに襲撃した人だろうか。老衰はまだ楽だろう。ソルジェラはよくわからん罠を仕掛けているらしいし、ペッシはプロシュートと謎の同居だ。ギアッチョは凍らせて砕けば一発。リゾットは言わずもがな血みどろ。イルーゾォは鏡の中で寝てるだろうし(部屋を借りている意味はあるのか?)、ホルマジオはえいやと一発小さくして踏みつぶせばオッケー。こいつらえげつないな。対ホルマジオが一番えげつないかもしれない。
「メローネはどうやって撃退するのかね?」
「確かに俺のベイビィフェイスは急襲には弱いけど、俺自身だって戦えるんだぜ?」
「枕の下に銃とか?」
「あはは、ドラマによくあるね。でも銃は後片付けが面倒だから使わないな」
じゃあ何を使うんだろう。言葉を待っていると、気になるなら夜に部屋に来なよ、手とり足とり教えてあげるから、と言われた。何を教えてくれるの?殺し方?それならうちに最強のセコムがいるからいいです。

ジュースを飲む。
リゾットを深く深く眠らせるなんて、やっぱり無理なんだろうか。暗殺チームのリーダーだもんなあ。
「そもそも、眠らせてナニがしてーんだ?」
「ナニ、ってわけじゃないのよ。君らってノンレム睡眠に落ちてる?すぴすぴ寝息を立てて寝てる?夢とか見る?そういうのが気になるの。リゾットって常に私の気配を見……いや感じてる?らしくて、私が夢から覚めてハッと目だけ開けて、たぶんちょっと呼吸は乱れた?かもしれないけど、全然動かずまた寝た時も、次の日に何か悪い夢でも見たのかって心配されてこいつデキる……って驚いたわ。そんな余裕しゃくしゃくな男がぐっすり眠って周りの様子に気づかない様が見たい。逆になんでみんなは見たいって思わないんだろうって不思議。そんで、できればカメラに寝顔をおさめたい。いっつも動いてんだか動いてないんだかよくわかんない胸とか腹が深い呼吸で大きく動いているところが見たい。あと、耳元でなんか言うとその夢を見るって俗説があるからそれを試したい。ついでに何時間寝るか計りたい」
「ポルポ、普段リゾットにナニされてるんだよ」
「どんだけ欲望ため込んでんだ」
ソルベとジェラートが笑いの渦に沈んだ。
ちなみにリーダーは距離的にどこまでポルポの気配を感じてんのか判ってるのかい?とメローネに訊かれたので記憶をたどる。
風邪をひいていた時は"離れた"ことだけ判ってあとはおぼろげだったように見えたけど、この間私がベッドの足元から床に下りてトイレに行って早朝だったからポストを見に行って、そしたら道のちょっと離れたところに猫がいたからどうせこの近所には誰もいないしと思ってパジャマでにゃんこと遊んで、一通り遊んだら猫が逃げたから私も立ちあがって家に戻って手を洗ってさて二度寝するかとリゾットの部屋に戻ってまたベッドの足元から上って布団にくるまったら、パジャマで出歩くなって言われてびっくりした憶えが。
「家から出る気配くらいは感じてたのかなあ?」
「へえー……」
「ぶひゃひゃ、まあスタンド使ってっと鋭敏になるとこあるしな!」
「ぜってーもうちっと離れても判るな、そいつはよお」
索敵範囲どんだけ広いのよ。そして君たちのリゾットの扱い。なんか高性能のロボットだと思ってる?私も思ったことあるよ。
メローネがぶー、と唇を突きだした。君、本当に25歳?
「俺だってポルポがかかってたらそれくらい判るもん」
「もん、って!もん、って!メローネかわいい!」
「えへへ」
「キメエんだよおおオメーはあああ!!」
ギアッチョがメローネの頭を引っつかんで思いっきりテーブルに叩きつけた。さすがに今のはあざとかったか。コップを避難させる私。爆笑するソルジェラ。
あははギアッチョは激しいよなと笑いながら起き上がったメローネは不死身なのかもしれない。

ソルベはカップを取り上げて、中身が空っぽなことを思い出して立ち上がった。ジェラートが自分のカップを預ける。
「ノンレム睡眠は周期的なモンだから、たぶん取ってるんだろうぜ。居場所を特定されないために呼吸音を立てねえようにしてたから、寝てる時に寝息が薄いってのは癖みたいなもんだな。夢は……覚えてる限りじゃあ見てねえけど」
ジェラートが片肘をついた。お前ら見てるか?俺はたまに見るよ。見てたとしても覚えてねー。なるほど。
メローネが見る夢ってなんか彼のトラウマとかまざってそうで怖い。しんどくなったらおねえさんがハグしたげるからね、と言うと、ニッコリ笑ったメローネは、グラッツェ、その時は泊まりに行くよ、と言った。誰もかれもトラウマ持ってそうだけど、メローネとソルジェラとイルーゾォから漂ってくるこの負のイメージは何だろう。根が歪んでるっぽいからかな。あっこれちょっと失礼だわ。
「で、どうやってリゾットを眠らせるか、よ」
両肘をついてゲンドウポーズ。15年ぶりだな、冬月。どうでもいいことその二だけど彼らに会ったのはおとといぶりだ。
カップに飲み物を注ぐ音がする。かたりとポットが置かれ、ソルベがふたり分のカップを持って戻ってきた。私は座っている椅子をテーブルに寄せてソルベの通り道をつくる。俺、細いから気にしなくていいのに。ソルベがグラッツェのあとにそう言った。
ソルベとジェラートは筋肉の層が薄いのか、とんでもない爆発力が秘められているとは思えない細い身体をしている。でも、道を開けるのは一種のマナーみたいなものじゃあないかね。
席について、ジェラートにカップを寄せたソルベがカップを口元に持っていく。
「薬でも盛れば早いんじゃねえ?」
「俺らに薬は効かねえだろー」
「やっぱり耐性あるの?」
薬に対する耐性なんて、私からしたらスパイ映画かファンタジー戦記ものでしか馴染みのないものだ。もちろん私にはない。いくつか薬を盛られたことはあるけど、そのたびにバッチリ効き目が表れて死にかけている。
「ほら、例えば"場"をつくるために相手のホテルかなんかに潜入したとするだろ?そこでホテルマンに変装して飲み物を勧めるワケさ。そしたら、そりゃー何度も殺されかけたことがあるだろう相手は、用心してこっちの分もワインを注いで、先に飲めって俺に毒見をさせる。あるいはお互いのグラスを交換する。こっちは耐性があるから問題なし。相手は死ぬ。そういう話だぜ」
「ほー……なるほど物騒。たとえば私がそういう状況になったとして、どうすれば生き延びられるの?」
「簡単だろ。オメーの部屋に一緒に泊まってる俺らの誰かを呼びゃあいいんだよ」
わあチート。
言われてみれば、ギャングの幹部だった時とは違って、今の私がひとりでホテルかどこかに宿泊することなんてない。出掛ける時は一声かけていくし、遠出の時はなんだかんだで誰かがついてきてくれる。ビアンカで慣れたから違和感もなかったけど、かなり強力に守ってもらってるんだなあ。
改めて感謝の念が湧き上がったので、いつもありがとうね、とお礼を口にする。
女王さんを守るのはナイトの役目だろ?とソルベ。対の騎士なんてロマンチックじゃねえ?とジェラート。あんたらがナイトなら俺は側付きの使用人がいいなー、側仕えがその地位の差に背いて女王を手に入れるってかなりイイストーリーだろ?とメローネ。変態は黙ってろとギアッチョ。
「ポルポは、ンなこと気にしなくていーの。ほら、リゾットを眠らせる方法が本題だろ?」
「そうそう。薬がダメなら首絞めるか?動脈押さえたら数分と経たずに昏倒するぜ」
「私がリゾットの頸動脈を押さえるってかなり無理だと思う」
相手はプロだぞ。
頸動脈はここな、とジェラートが指で私の首をつついた。知ったところでどうにもならない。
ギアッチョがグラスに口をつけた。入っているのはリンゴジュースだと思う。前に否定されたことがあるけど、床にぶちまけられたそれからは甘い匂いがしたし、ビールにしては色がうすいし泡もないから。可愛い飲み物を飲んでいることを内緒にしなくてもいいのにね。
「じゃあよお、酸欠にしちまえばいいんじゃねえ?鼻と口濡れタオルかなんかで塞いでよお、ギュッと押さえてしばらく待てば意識失うだろ」
「素直に押さえられててくれなさそうだし、反対にやり返されたら私が死ぬ」
濡れタオルを顔にかけるのってとても危ないことだ。火事の時はむしろ生存率が上がるらしいけど。
突然恋人の口元に濡れタオルを押し付けて窒息を狙う私。おかしい。絵面としておかしい。
「しゃがんだまま両腕をばってんにして肩に握った手を当てて、しばらくしてから立ち上がった時にどーんとぶつかると気絶するぜ」
「さっきから気になってたんだけど、私はリゾットを眠らせたいのであって昏倒させたり意識を失わせたり気絶させたりしたいわけじゃないんだ」
あははは知ってるよ。メローネがけらけら笑って自分のグラスを持ち上げる。残っていたオレンジジュースを煽って、ことんと置いた。
「ま、俺ならともかくリーダーのためにこんなアドバイスするのは微妙だけど、一番の安眠のもとは"安心"だろ?リーダーが安心する状況をつくるのがまず第一じゃないかい?」
「安心、……ねえ。どんな場面で安心するのかしら」
リゾットの安心とは。
命が狙われないのはもちろん、あるだろう。私の家は一度も襲われたことがないし、あの周辺にはソルジェラが小細工しておいたから、とウインクを残して去って行った謎のトラップがあるから、たぶんこれからも襲撃の心配はない。命は狙われないと思う。
「オメーはどんな時に安心すんだよ」
「私?」
考えるまでもなく、ぽん、と頭にリゾットが浮かんだ。そう、安心するのはリゾットと一緒にいる時だ。それとか、9人が全員そろって笑っているのを見ている時にとてもホッとする。上司という立場だったからだろうか、友人として付き合っているなかでも、時々、かわいいなあと親のような気持ちになってしまう。プロシュートの頭を撫でて呆れられたこともある。あれはすまんかった。
余談だけど、リゾットへの母性は気持ちを自覚した瞬間に消えてしまった。この人の母親役はつらいなと感じたのが原因だろう。
「それとおんなじじゃねえのか?リーダーの安心なんざ、俺はどおおでもいいけどよお」
「安心、ねえ……」
ぽつり、呟く。
リゾットの安心は、どこにあるんだろう。

お昼ご飯をみんなでつくって食べて、笑い話に興じて、おやつの時間になる前に私は彼らのアパートを出た。帰り道を歩いて、家の前で猫を見つけたのでしゃがみこんでチチチ、と指を伸ばした。ふんふんと匂いを嗅いで、猫が近寄ってくる。なーうと鳴かれてこっちも猫ちゃんイエイイエイとテンションを心の中で上げてごろんと横になった猫の頭と耳の付け根をかりかり、腹をもふもふ。肉球が手にくっついたり離れたりで可愛らしい。うりいうりいと遊びながら考える。安心、ねえ。

にゃーんと言って猫が尻尾を揺らしながら去って行ったので、私も立ちあがって門を開ける。ポルポさんのお帰りですよーとのんびり扉を開けてスリッパに履き替える。ぱたぱたと洗面所で手を洗ってうがい。あの猫かわいかったなあ。野良猫といえばフーゴたんだけど、フーゴたんはごはんをあげてにゃんにゃん撫でてたら懐いてくれたんだが、あの猫はどうだろう。野良に餌をやるってあんまりよくないからなあ。でもうちの門をすり抜けて入ってきたらささみでも茹でてあげてみよう。あのふにふにのお腹は、それなりに満足な食生活を送っているんだろうから。
鼻歌をうたいながら牛乳を注ぐ。
「歌はいいねー。リリンの生み出した文化の極みだよー」
極みは食文化だと思ってるけど。第十七使徒たんすはすは。
ドアをノックして、返事があったので開けて入る。
「リゾットちゃん、おやつ食べる?今日はソルジェラお手製のアップルパイよー」
「おかえり」
「あ、ごめんごめん、ただいま」
きちんと目を見て迎えられた。だいたいいつも目が合っていることは置いておいて。
リゾットは、つまみ食いとかには寛容なのに、こういうところはきっちりしている。いい人なんだよなあ。
どうやらアップルパイに魅力を感じたらしく、かたりとペンを置いて立ち上がった。並んで階段を下りて、やっぱりギアッチョが飲んでるのはリンゴジュースだと思うんだよねとか、ソルベとジェラートの細さが男とは思えないんだが彼らは本当に男性なのかとか、リゾットも細いよねえとか言いながらお茶の用意。私は牛乳。リゾットは苦いやつ。なんであれが飲めるんでしょうね、生粋のイタリアーノだからか?私は日本での味覚を覚えているからダメなのか?
さくさくとパイをフォークで切り崩して口に運ぶ。
「おいしい……!ソルベとジェラートはもう結婚した方がいいわ」
「ふたりとも男だ」
「性別の壁がなあ……イタリアじゃ難しいか」
結婚できたとしても、あのふたりはしないんだろうけど。あの距離感がいいんだよね。恋人でも夫婦でもない、親友よりも近い距離。
パイおいしい。パイ生地からつくったって言ってたから、かなり手が込んでいるんだろう。フィリングも手づくりだし、さすがにシナモンは市販のものだろうけど、それすら疑ってしまうほどおいしい。
リゾットのおいしい顔ってどんなんだ?夕ご飯の時に私のつくった料理がめちゃくちゃ口に合うかあるいは地方独特のものだったりするとほんのり口の端を上げて笑うのは知っているけど、甘いものを食べてにっこり(誇張)するところは見たことがない。
ちら、と視線を動かす。
「どうした?」
「(気づかれるのはやい)」
なんでもない、とパイに戻る。
ぺろりと食べ終わって牛乳で手軽にカロリーを摂取。食器を洗って、キッチンから様子を見る。うん、リゾットはのんびりカッフェを楽しんでいる。ただぼーっとしているだけなのか、何かを真剣に考えているのか、横顔からは読み取れない。どっちでもいいことだ。
「ふむ。リゾットもたまには仕事に休憩を挟んだ方がいいと思うよ。私が出かける前から部屋にいたでしょ?ちょーっと疲れたんじゃない?」
オン・ザ・ソファ。リゾットの隣に座って、カッフェを飲み終わるのを待ってから話しかけた。
「特に感じていないが、言われてみるとそうかもしれないな」
「うん、たぶんそうなんだよ」
ぽんぽん、と私は自分の膝、いや太ももを軽くたたいた。
リゾットは私を見て、太ももを見て、また私を見た。私は揃えた膝を心もちリゾットの方に向けて、さ、と招く姿勢をとる。
「なぜ急に?」
「いつも私が寝てるばっかりだから、逆もいいかなと」
まさかリゾットが熟睡しているところが見たいですとは言えない私の苦肉の策。
私はリゾットの膝枕で余裕で眠れる。リゾットがそうだとは言いづらい、むしろ人肌のぬくもりで寝づらいかもしれないけど、私が思い浮かぶリラックス方法ってこれくらいしかない。マッサージとか入浴とか縁側でお茶と大福とか、幸せだけど眠るほど落ち着くか?
「さ」
促すと、少し考えてから、ソファは寝づらいからベッドがいい、と言われた。私は寝ながらソファの肘かけに脚を乗っけてふくらはぎが飛び出ようとなんでも眠れるけど、リゾットは背もあるし、身体が痛くなるといけない。確かに、と同意して、私はリゾットと並んで階段を上った。それってベッドで寝てるのとどう違うのかな、と浮かんだ疑問はスルー。むしろ膝枕のほうが寝づらいのでは、というのもスルー。

部屋の明かりはさっき出た時に消されたままで、開いたカーテンから射し込む午後の日差しが柔らかい。閉めなくていいのかな。のそのそとスリッパを脱いでベッドに乗り上げ、壁に背をくっつけて脚を伸ばす。枕のすぐ隣なので、リゾットが寝っ転がっても足元に余裕がある。
「へいカモーン」
ぺしぺしとスカートの上から太ももをたたくと、リゾットはよっこいしょ(まあ無言なんですけど)と肘をついて、ゆっくり太ももの上に頭を置いた。
「横向いてて寝づらくないの?」
「大丈夫だ。この方が落ち着く」
「へー」
背中ががら空きだけどアサシン的にいいのかな。リゾットは左側を下に、壁際の方を向いて横になっている。小さく上下する肩とか、まだ開いている目とか、はー、と落とされるため息とか。なんでため息つくんだ。今のはため息じゃなくて感嘆の吐息か?でも私の太ももはおっぱいに比べたら普通だからなあ。おっぱい枕のほうが気持ちいいと思う。それがどういう体勢なのかはわからないけど。
これが人の頭の重みか。初めて体感するわ。
シャツ越しにうっすらリゾットの呼吸を感じる、ような。気のせいか?気のせいと間違われる呼吸ってどんなのよ。こんなのか。
「おやすみ」
目が閉じられたので、ぐっすり寝てくれますように、と真心四割下心六割で、片手でリゾットの手を握り、もう片方の手で髪を撫でた。真心四割は少なすぎたかもしれないな。
寝ているのかまだ起きているのかまったくわからない横顔を見下ろして、ふむ、いつもの睡眠と、狙うべき熟睡との差はどこで見分けたらいいんだろう。
あと、私は脚がむずがゆくなったらどうしたらいいんだろう。あんまり考えないようにしよう。考えるとくすぐったくなってくる。

リゾットの部屋を眺める。換気はしているのだろう、空気がこもった感じはしない。でも、昇る朝日を感じながらカーテンをシャッと開いて窓を開け放ち、爽やかな朝だなあとすがすがしい空気を吸い込むリゾットはいなさそうだ。今日は晴れか(無表情)だろ。
あー、リゾットって、天気で気分が上下しないのかな?晴れでも雨でも曇りでも強風でも表情が変わらないからわからん。風が強かった日に、こりゃスカートが捲れて街に彩が加わるねと冗談を言ったら、広がるスカートはやめた方がいいと忠告された。その程度だ。
ゆったりと単調な動きを繰り返して撫でる。私が普段リゾットをこの角度で見下ろすことなんてなかなかないから何かしたいけど、撫でる以外に思いつかない。
「ふあ、……はふ」
あくびを噛み殺す。ぼーっとリゾットを見ていたら眠くなってきた。私がか。私がか。ばっかやろうリゾットに膝枕してるのは私だぞ。そしてリゾットの熟睡が見たいのは私だぞ。
ぐだぐだ考えていても眠いものは眠い。壁に預けていた背中の、そして肩の力を抜くと、ふわふわしてきた。あかん、これ私が眠ってしまう。26歳なのに目的を達する気力も湧かない。これ、何歳だったとしても変わらなそうだ。私の数ある欠点の中のひとつだとおもう。あとはコミュ力が低いとかうるさいとか遠慮を知らないとか常識がないとか警戒心がないとか、数えはじめればいっぱいある。半分くらい、他の人に言われたことだ。警戒心ってどーすりゃいいのよ。ひとを疑って生きるのは窮屈だし、悪い人といい人の区別なんて初対面じゃ直感以外ではつかないわよ。
すり、とリゾットが私の太ももの上で頭の位置を調節した。起きてんのかな。それとも無意識なのかな。たぶん浅く寝てるんだろうな。
とうとう瞼が重い。なんでリゾットが傍にいるだけでこんな眠くなるの?もう安心のレベル超えてない?リゾットから睡眠を促す空気が出ているとしか思えない。
指から力が抜ける。すう、と私の呼吸が深くなる。私じゃあだめなんだよお。しかしもはや抵抗できるはずもない。
「リゾ、……ト……」
俺だー!このまま熟睡してくれー!
目を閉じた。

何かが下腹のちょっと横あたりにくっついている。これはなに。あったかい。
力が抜けたような重みがあった。繋がれていた指がほどける。音もなく、表現するなら、すう、と言う深くゆっくりした呼吸を感じた。それは、それ自身がハッと気づいたようにぴたりと止まって、ほんのわずかに太ももから重みが消える。すぐにそれは戻った。
「りぞっちゃん……」
もにょもにょと、ほとんど意識の外で口が動いて、その自分の声がきっかけに、意識がずるずると芋づる式に引きずりあげられる。ばちんと目を開けて、反射的に時計を見た。あれから二時間経っている。
顔を下に向ける。リゾットは寝ていた。あるいはただ目をつぶっていた。
さっきの感覚は気のせいか。夢でも見ていたのかもしれない。ほっと息をついて、かなり長い間止まっていた手を小さく動かす。指でゆるゆると髪の毛を梳いてみたり撫でたりして、ああ気持ちのいい眠りだったと深呼吸をする。あたたかいところでの昼寝ってやっぱり最高だな。冬の二度寝くらい最高だ。
「(これ、どうなんだろう、寝てるのかな)」
寝ている時、私はつつかれても気づかない。暗チの元アジトのテーブルに突っ伏して転寝していた時、お腹が空いたなあと感じて目を開けると、メローネがしゃがみこんで私のわき腹をつっついていた。なにしてんの、と訊ねると、いつ起きるかなと思って、と悪びれない笑顔を向けられた。その程度で起きるやわな睡眠じゃない。
つん、とつつくのはさすがに判りやすいかもしれない。私は髪から手を離して、そーっと頬を撫でてみる。リゾット起きません。寝てる?これ寝てる?一気にワクワクしてきた。
手をにぎにぎしてみる。起きません。リゾット起きません。これは私が無視されているのか?寝ているのか?
「寝てる?リゾットちゃん、寝てる?」
寝ていたとしたら答えられないし、寝ていなかったとしても答えるかは判らない。起きている、と言われたらやっぱりねと思う反面ちょっと残念だ。
返事はなかった。リズムの変わらない呼吸だけが伝わってくる。
寝てることにしよう。寝ている人の耳元で言葉を囁くと、その夢を見るらしい。それを実験するチャンス、だと思おう。
何の夢を見てもらおうか。
「んー……」
決まらねえ。囁く言葉といっても焼肉定食くらいしか思い浮かばない。
とりあえず、返事をしないということは寝ている、あるいは寝たふりをしているわけだ。ということは、寝こみに私が何をしようと批難できないし、気づいていないふりをしなくてはいけない。おっと、寝たふりだと決めつけてしまった。寝てたらすまん。
以前にメッと怒られて、表向きは控えているが、私はまだリゾットの喉仏を諦めていない。やっぱり格好いいし、なんか飲んだ時に動くのが不思議。
つないでいた指をそっと抜いて、その手を襟元に持っていく。相手は寝ているんだから何を恐れることがある。
「うおおー……」
指を差し込んで、指先でするするさする。なでる。なぞる。くるくる。くるくるは角度的にやりづらい。
「私が男だった時もこれあったのかな……」
背が伸びて、声も低くなって、ちょっと顔つきも変わったのかもしれないが、筋肉のないぺらぺらな身体はそのままだったし、あるはあるだろうけどきっと全然目立たないんだろうなあ。私のも含め、全員のあの姿を写真に残しておきたかった。ブチャラティチームセクシーすぎ。暗チは堂々としすぎ。ポルナレフは美しすぎ。私ポツン。
玄関前で出会ったにゃんこのことを思い出したので、ついでに指で顎の下をかりかりしておいた。やべーにゃんこリゾットやベー。いや受けという意味ではなく。
リゾットが猫だったらどんな感じだろうか。すんごくクールな白猫かなあ。毛白いし。猫まっしぐらとか開けて待機してても、ねずみを咥えた状態でこちらをチラ見してすぐ去って行くんだろうな。クール。人に媚びない慣れない近づかない。俺はお前に近づかないとか言ってたしな、謎のポーズで。
リゾットまっしぐら、欲しい。私が両手を開けてヘイ!と待っていても動かないリゾット。私じゃまっしぐらできません!むしろそんなリゾットに私がまっしぐら。ポルポまっしぐら。
「寝てる?」
返事はなし。
「寝てるね?」
返事はなし。
今から言おうと思っていることを喉に待機させて、ちょっと照れる。言うのやめようかな。起きてたら恥ずかしいな。26歳だけど恥ずかしいもんは恥ずかしいんだよ!
でも、起きてるって言わないってことは、つまりやっぱりこっちが何をしても干渉できないってことだ。
「いっつも冗談っぽくしか言えないけど、私、すごくリゾットのことが好き。このままずっとみんなと一緒にいたい。その時、隣にいるのはリゾットがいい。リゾットにいてほしい。リゾットに抱きしめてもらうと幸せだし、好きだ、って言われると嬉しくて、後からふいに思い出して顔がゆるむ。例えば格好いいなとかすごく優しいなとか色っぽいなとかぴりっとしてたりのんびりしてたり可愛いなとか思ってやっぱり好きだなと思うけど、他の女の人もそういうふうに感じるんだろうなって考えると、そうそうリゾットはカッコいいんだよって同意する反面、ちょっとモヤモヤして、なるほどこれが嫉妬か、と自覚して自分が恥ずかしくなったりする。最近知ったことだけど。あとなんかたまに叱られたり傷ぐりぐりされたり噛まれたりするけどまあそれもリゾットなら何でもいいかって思っちゃう。あれなに?私がリゾットのことを好きすぎるのかリゾットからそういう空気が出ているのか。あっまた茶化してしまった……とにかくすごく好きです。そのままゆっくり寝ていてね」
よし、最後まで言えた。相手が寝ていると言いやすいな。寝てるか念押ししたからな。実は聞いていましたって言う道は塞いだからな。
ふう。壁にもたれて、照れて熱くなった顔を上に向ける。はいはい向こうのほうの天井ね、はいはい見慣れてますよ。
「はー……26なのに……」
何を照れているんだ私は。経験がないからか。そうですね、ずっと喪女でしたもんね。ていうか喪女だったのになぜリゾットは6年間も……いや、それを考えるとある意味私は喪女ではなかったということにならないか?やったーモテてたー。
経験がないという事実は変わらん。
何が減ったよ。なくなったのは処女くらいだよ。それはそれで新世界、って感じだけど、もう処女ネタが使えないというのは痛い。セクハラにしかならないから、彼らにとってはよかったのかもしれんが。
「好き。好きだー。す、ご、く、す、き。愛してる。うっ、これが愛か……」
重い。私の愛、26年分のがまとめてつまってるから重そう。
「私もイタリア人だもんなー……」
ラテンラテン。
たまには自分からキスができたらなーべでるち。ぽつ、と呟いて、緊張が解けたからかまた瞼が重くなってきたので、かくんと肩の方に傾いて、眠気に任せた。

さわさわとなんかが頬を触っている。
「なんだ……猫か……」
志村ーそれ死亡フラグー。
夢心地で呟いて、ぼんやり目を開ける。なぜかそこにあったのはシャツ。よく判らなくて顔を寄せて頬ずり。やっぱりシャツだしこれリゾットだな。
ずるずるとその場でシーツを巻き込みながら仰向けになる。なぜか私がリゾットを見上げている。そもそも私が寝っ転がっているのが奇怪。
「これはいったい……」
起き上がろうとすると、片手でデコを押さえられた。押し戻される。寝ろってことなのかこのまま横になっていろということなのか。
「リゾットちゃん、いつ起きたの?」
「そうだな、……ついさっきだ」
「へえ……」
かなり寝ていたね。やっぱり疲れてるんじゃないか?
寝たふりを疑っていたことなどすっかり忘れていた私は、頬にあるリゾットの手に手を重ねる。落ち着くなあ。何してたの?
「いつ起きるかと気になった」
今ですね。間違えた。今でしょ!
「めし……夕飯を食べねば……」
「何を食べる?」
「リゾット」
「……」
「いや、冗談だよ、冗談だよ!そんなエロ漫画みたいなこと言わないよ!」
そうか、みたいな感じで目が据わったの怖かった。うかつな冗談は言うもんじゃないな。
「迂闊な冗談は言わない方がいい」
ハッピーアイスクリーム。

ご飯はシンプルなのにうますぎるペペロンチーノ様とミネストローネとサラダとチーズうまし、ワインうまし、ドルチェにまたアップルパイ。おいしかったなあと満足して口直しにオレンジジュースを飲んで、フハー食後はこれだよとひとりで納得していると、やけにリゾットの視線が突き刺さる。でも私が振り返るともうこっちを見ていない。
なんだっけ、とその横顔を見つめて、デジャブ。じわっと脳みそから記憶がにじみ出して、ああああああと思い出してしまった。しまった、たまには自分からキスができたらなあって言ったんだった。待って、やっぱり聞いてたの?え?それともなにか察したの?どんだけ察しがいいんだよ。まさか起きてたんですかと訊くこともできない。だって私が確認したんですもんね、寝てるよね、って。これはリゾットだけじゃなく私の逃げ道も失われた。確実にリゾットは聞いていた。でも知らんふりしてる。思い出してしまった以上私はそれを無視できない。だって今完全に私、照れたもんな。おかしいもんな。
とはいえ、これ私からキスすることなんてなっかなかないし、うっかり引き際を間違えたらそのままお持ち帰りされてしまうのでは?いやここが家ですけど。スマイルテイクアウトで。雑念。
私は考えた。ようやく回転し始めた頭で考えた。
「リゾットちゃん、ちょっと、ちっといいですか?」
「どうぞ」
「(どうぞってあんた、どうぞって)あのですね、今から接近しますので、両手を上げて、抵抗しないでくださいね」
「こうか?」
「そうそうそうベネベネベネ」
両手を軽く上げたリゾットなんて初めて見たんじゃねえかな。今日は初めての体験がいっぱいだねハム太郎。
リゾットの膝に置かれていた雑誌を横に避けて、膝をよいしょと跨いで座る。肩に手をかけて、あまりの照れにちょっと下を向いた。なんなんだ誰だよキスするなんて言ったの!私だよ!
覚悟はいいか?
「(私はできた!)」
ガッ、リゾットの肩にかけた手に力を込めて、まっすぐリゾットの目を見ようとしてできなかったので、目を伏せたまま唇に、唇で触れた。照れてしまってぎゅっと目を瞑ったので見えなかったけど、リゾットが私の髪に指を差し込むようにして、私の頭を支えたのを五感で感じた。支えるというより押さえられているのでは、と正しい言葉を見つけたのは、ちょっぴり離れようとしたらその手に力が込められたからだ。激しく動揺した。あ、え、えっと、と不明瞭な声が何よりも心情を表していたと思う。二度目の距離はリゾットが埋めて来た。
「(あわわあ、あ、わわ)」
私に度胸なんて全くないことが証明されてしまったな。そしておまえ、おまえ私は接近するから両手を上げて抵抗しないでって言ったよな。抵抗じゃないからいいだろって考えたの?法の穴をつくように私のガタガタな予防線を破ってこないで。
「前から気になってたんだけど……」
リゾットの肩をなけなしの腕力で押す。乱れた息を整えてから、疑問を口にした。
「キスのスキル、どうやって会得したの?」
「どう、……」
どうやってと言われても、とでも言いたげな眉根の寄せ方だ。リゾットと付き合っているこの6年で、かなり表情には敏くなったような気がします。
記憶をたどっているリゾットが口を開く前に、私は首を傾げる。
「組織で指導されたの?綺麗な女の人とかを相手に手とり足とり腰とり?慣れなくて戸惑いがちなリゾット?それ気になる、めっちゃ気になる。女の人を籠絡して情報を得るために寝技を習うのかな……私は金払って幹部になっちゃったから全然そういうの知らないな……」
「知らなくても問題はないと思うが、知りたいならそのうち」
さらりと言われてしまった。そのうちってナニ。いつ。未来が怖いよ。
「知らないとおかしい?」
「さあ……」
「さあって。さあって。幾人もの女性を泣かせてきたリゾットちゃんから出るにはあまりにも無気力な台詞!……で、どこで体得したの?」
話題を元に戻す。テクニックに翻弄され頬を赤く、目を潤ませて肩で息をする受けリゾットちゃんが見たくないわけではないが、自分の心に正直に生き、意見を述べさせてもらえるのなら、その相手は私でなくてもよいのではないか?もちろんそんじょそこらのヤロウにリゾットちゃんの唇を許すわけにはいかない、合意の上じゃないのはイエス二次元ノー現実。しかしもしも、もしも愛あるプロリゾが成立するなら、それはとても素晴らしい。ん?この場合、私は間男ならぬ間女になるのか?
世間的にはプロシュートが完全に間男の立場だが、情を通じる相手の役目を私ではなくリゾットで想像しているという点に私の過去の黒歴史が凝縮されているな。うーん、リゾットを賭けてプロシュートと対決する私。何もかもにおいて負けている。
おっと、頭を今の話題に戻さなくては。思考を切り換えて、逸らしていた目をリゾットに戻す。
「歩いていたら家に引っ張り込まれたような記憶はある」
「おおおお、襲われたパターン!そうかあ……精神的に傷とか負ってたらごめん」
「特に覚えてもいないから気にしなくていい」
「よかった。……そうかー。私がそれを体得するにはリゾ、……いやいややめよう、照れてきた」
「そのうち慣れるんじゃないか?」
「そういうもんなの?」
「さあ……」
「どっちなんだよ!!」
「何度かやったらコツが判ったから特に考えたことがなくてわからん」
「優秀!どこまでも優秀!」
あまりの優秀さに慄いた。そっち方面も優秀なのかよ。私いまオッサンみたいなこと考えたな。
そして素朴な疑問。
どうやってるんだろう?
首を傾げる。
この流れでしか教えてもらえなくないか?
眉根を寄せると、リゾットもわずかに眉根を寄せた。何を考えたのかはよくわからなかったが、じっとしていても進まないな、と思ったので、あー、と少しだけ口を開けて唇を寄せてみた。
覚悟していたとはいえ舌が触れてビビって反射的に離れようとしたが押さえられてて離れられない。にげるを8回選択してもかいしんのいちげきが出せそうにない。そうだよねこうなるよね。私夕食の時のワインで酔っぱらってたのかな。
内心ではひぎゃあああとかやっぱりなとか意味わかんないよおおとか考えていたのに次第に何も考えられなくなっていって、私一生リゾットをびっくりさせられないのではないかな、と確信に似た予感を抱いた。

「これ何も学べない!!真似をするも何も君の動きを理解する前に力が抜ける!」
「それは別に悪いことではないんじゃないか?」
「!?」
日本人の魂が叫んでいた。学ぼうとしているのにそれじゃあ意味ねえだろ!!
口には出さなかった。