04 にじむ


とんでもないうっかり発言を落として颯爽と帰っていったホモふたりを歯噛みしながら見送って、私は気を取り直してキッチンに立った。イタリア語でクチーナ。
あのふたりとの会話なんてリゾットは聞いていないだろうし、聞いていてもいつものことだからスルーしてくれるだろう。ちょーっぴり取り乱してしまったことは事実だが、ここは私の気持ちの切り替えでカバー。とりあえず、今度は恋愛小説も読んでみようと決めた。手始めにハーレクインお前からだ。始まりが終わりになりそうだな。
にしても、ソルベはピッツァが打てるのか。ん?うどんとは違うから、打つっていう表現は正しくないかも。捏ねる、あるいは回す?ピッツァをつくったことがないのでわからない。
「リゾットってピッツァつくれる?」
「……食べたいと思った時は外に出ていたから、つくろうと思ったこともないな」
「へー」
そうだよね。普通、ピッツァを焼こうって気にはならないよね。彼らって一体何者なんだ。
期待しているというわけではないが、まあちょっとは期待していたが、いつも私がキッチンに立つと、「手伝う」とか「あれが食べたいから自分でやる」とかそういう良妻のようなことを言ってくれるのだけど、今日はじっと本を読んでいるままだ。手伝ってくれる時のほうが貴重だというのは重々承知しているので、特に何にも思わずに夕食をつくり終えた。私のは多め。リゾットのは普通。基準が成人男性の摂取量なので、私のちょっぴり多い量がどれほどのものなのか、もはや説明するまでもないと思う。まじでこのエネルギーはどこへ行っているんだろう。謎。
やったーリゾットがワイン開けてくれたぞー、とおいしいお酒の入ったグラスを傾けて、味わいながら飲む。おいしい。やっぱり酒は命の水だね。ビールが水代わりの国の人のように酒が好きなわけじゃないけど、おいしいものは別だ。そしてこれはおいしい。
「(しまった、さっきナチュラルにリゾットのことを良妻って思っちゃった。妻じゃねえ。……しかしこの安定感、やはり母性を持っているのでは……?)」
飲みこんで、リゾットを見てしまう。私なんて10年くらい経たないとテーブルマナーに慣れなかったのに、リゾットはやっぱり生まれもってのイタリア人。綺麗な所作だなあ。私も気をつけないとな。仮にも26歳だ。仮じゃなくてマジだけど。
「……」
目が合った。私が何か言う前に、リゾットが視線を逸らした。
「(あれ?)」
ほんの少しの違和。それが何か考える前に、私はグラスを持ち上げた。脚、ステムと呼ばれる部分を持つのが正しいマナーなのかなあと思っていた日本人の私の常識は打ち砕かれた。えええ、丸いボウルのところを持ってもいいの。温度変化とかいいのかな、と思わなくもなかったが、パーティで素人丸出しでウエイターに訊ねたら、そういう影響はないという説もあるんですよとにこやかに教えて貰えた。そのあとバカにされていたかもしれないが、まあどうでもいいことだ。

くいーっと飲み干してテーブルに戻すと、カトラリーを置いたリゾットがワイン瓶を取った。さっきから、かなり注いでくれているのだけど、どういうことなの。飲んでいいの?
リゾットがあまり喋りたがっていないように見えたので、目で訊ねると、こくりと頷かれた。じゃあ遠慮なく。でも、さっきからリゾットのワインはあまり進まず、私ばかりが飲んでいるように思える。いいのかなあ、これリゾットのワインなのに。
勧めてくれるものをあえて断ることもなく、お皿の上をきれいにさらって、ちょっと酔ってふらふらするかもな、と思いながら洗い物をして片づけて夕食を終える。今日もおいしいものが食べられて幸せでござる。この時、酔っているということもあって、私の頭からはソルジェラの来襲のことがすっぽ抜けていた。
「(リゾットが新しいグラスを出してきた件について)」
ごくり、一体これからさらに何を飲むって言うんだ。やっぱり飲み足りなかったの?私が飲みまくってたから?すごいごめん。そいつはごめん。今度はあんまりいただかないようにするね。
無言で注がれた。
「いいの?」
「どうぞ」
「あ、そう、……ありがとう」
ソファにのんびりもたれながらちびちび飲むことにした。隣ではリゾットが、やっぱりゆっくり楽しんでいる。こっち全然見ねえ。なんかやっちゃったっけな。あ、あれか、15分、じゃなくて12分、じゃなくて、ええっとどれくらいだっけ、頭がフラフラして思い出せん。とにかく、抱き着いて本を読んでいたのがいけなかったのだろうか。抱き着くだけの時は普通だったと考えると、そのまま本を読み始めたのがまずかったということか。なるほど、すまん、リゾット。
「うあ、リゾットさん、もう私酔っぱらってるんですが……」
「確かに顔は赤い」
「だしょ。そりゃ、あんだけ飲ませて貰ったら酔うわ……。ちょ、ちょっとまてなんでワインつぐんだ」
頷いておきながら瓶の口からとくりとくりと、透明でもなく、ほんの少し光と瓶の色の加減で緑がかって見えるような、水に似て明らかに非なるものがグラスを満たした。やめてー、飲めねえー。
「残りを俺が飲んで、最後だ」
「じゃ、これもリゾットさ、んが飲んでくれればよいのじゃあ?」
「……味が好みじゃなかったか?」
いや、おいしいけど。おいしいけどさ。
「……」
グラスを見て、リゾットを見ると、ス、と視線を逸らされた。えええ、ここで放置。放置プレイか。私いつか亀甲縛りのやり方を調べようと思ってるんだけど今がいい機会かも。私はなにを考えているんだ。もうお酒で!ふらふらでーっす!!
脳内で一気コールかけんのやめろ。ワインを一気とか正気じゃない。
けどもう早く飲んでしまわないとよけいに酔いが回ってグラスを落としかねない。私は背もたれにくったりもたれてほぼ動けなくなりながら、三回に分けてグラスを空けた。ごちそうさまも言えない。うあああと呻いていると、リゾットが自分のグラスを置いて、私の手からも体温であたたまったグラスを抜き取った。
「んんんう……あかん……これはあかん……わ、私酔ってる……ごめん……」
目を閉じて、それからこじ開ける。眠気に負けちゃだめだ私。まだシャワーも浴びてないぞ私。動けないぞ私。震えるぞ指先燃え尽きるほど身体熱い。
「……あまりこういう方法は取りたくなかったんだが、すまない」
「え、どうしたの、リゾットひゃん、うおお舌がまわらねえ……」
リゾットが私の頬に指を這わせて、こぼれていた髪の毛を後ろに流した。するりと離れていく手が寂しくて、惜しくて、私はその指を追いかけた。ふつりと瞼が落ちる。


0.5

ポルポのゆるんだ指をほどき、その手のグラスを取ってローテーブルに置いたリゾットは、ソファの背もたれにくったりと預けられた肢体と、傾けられたその顔を見た。誰が見ても、酩酊している。
「ん、んんう……あかん……これはあかん……わた、私、酔ってる……ごめ、ん……」
閉ざされていた瞼が開き、潤んだ東雲色の瞳が彷徨った。この瞳はどこを向いているのだろう。リゾットの親指がポルポの頬を撫ぜる。輪郭をなぞって、顔にこぼれている髪の毛を耳にかけた。
「ポルポ」
返事はない。何か言いたげに薄く唇が開いて、すがめられた目が離れるリゾットの指を追った。緩慢に持ち上げられたポルポの右手がリゾットの左手をおもむろにつかまえて、うん、とポルポが呟いた。リゾットが名前を呼んだ、それへの返事だったのかもしれない。
力の抜けたポルポの手を引き寄せると、ポルポが反射のようにリゾットの肩に触れた。自分の身体を支えようとしてできなかったので、傾いだ身体はその肩を押さえられてとどまった。
横座りのソファの上で、したたかに酔った女に何をするかと言うと。
リゾットは少し目を逸らした。あまりこういうことはしたくなかったのだが、ポルポは決してリゾットに真実を語らないだろうという予感があった。ソルベとジェラートがぽろりと漏らした言葉への反応を見れば、推測は容易だ。あの剣幕なら、その話題をつついただけで警戒されて逃げられる。

ポルポがリゾットに感じているように、リゾットもまた同じ思いを持っていた。すなわち、ポルポにもっとも近い人物は自分であるという確信だ。
メローネとの接触がどんなに多くても、ホルマジオやイルーゾォが気安くその頭を撫でまわしても、ソルベとジェラートがポルポの両側を陣取って親しい言葉を交わしても、最終的にポルポが戻ってくるのはリゾットの元だ。笑っていても怒っていても、泣いていても酔っていても病気の時でも、リゾットが名前を呼ぶまでもなく、ポルポはリゾットに抱きついたり、抱きついたり、抱きついたりして甘えを見せる。それは他の誰に対してもない心のゆるみだ。
モテないとか、恋愛の経験がないとか、処女であるとか、ポルポは日ごろからあけっぴろげな自虐ネタを躊躇しない。チームの全員が理解していることで、仲間がそう言うように、リゾット自身もこれは本当に"女"として扱われたことがないのだろうなと感じていた。
えげつない下ネタを口にすることはともかく、男に混ざって発禁のつくビデオを視聴するところまではまあギリギリアウトといったところだが、胸への接触を拒まないことや、むしろ自分から遊び道具に使って人に悪戯を仕掛ける姿からは、羞恥というものが欠けている。それでいて人に下着姿をさらすことをひどく恥じらったりキスの貞節を大切にしているところなどは経験のない少女の名残とでも言うべきか、ポルポ本人も自覚しているように不安定な基準だ。
と、言うものの、ポルポの自分と人に対する規制は、リゾットの前ではひどく緩んでいた。
距離を縮めてきたのはポルポで、それを上司と部下以上の感情から許容したのはリゾットだったが、明らかに互いが男と女であるという自覚からかけはなれたポルポの行動に驚くと同時に、こいつは本当に今まで無事でいられたのかと心配になってしまったリゾットだったが、ポルポのそのゆるみが完全に心を許した人間にしか表れないものだと理解してからは、その気持ちもなくなった。
なるほど、唯一の女性幹部として謂れのない批難や揶揄を受けても揺るがず、むしろ相手からの罵倒に感心してしまう、しなやかで、それでいてこの世界に生きている人間として不思議になるほどの純粋さを持ったこの女が唯一羽を休める場所は、自分の家でもなく側付きの部下の隣でもないのだ。直属の部下という枠から外れ、人生と共にポルポの懐に迎えられた9人の中で、その役目はただリゾットだけのものだったのだ。
「ポルポ」
「うん、リゾッ、ちゃん、どしたの……」
そう。こんなふうに、リゾットが呼べば、答えようとするのだ。例えアルコールでふらふらになっていたとしても。
その無条件の信頼はひどくくすぐったく、そして暖かいものだった。あまりの無警戒さに、時に言葉を口にしたリゾットのほうが驚いてしまうほどのそれ。

身の安全を確保するために同居が必要だと八割の心配と二割の――言ってしまえば下心を込めて言ったのはリゾットだった。リゾットに対して申し訳なさを覚えるところは彼女らしいが、心配する点がリゾットの意思と恋人との逢瀬の方法だというのはいかがなものだろうか。恋人も、ポルポのものではなく、ありもしないリゾットのそれを想像して懸念を抱いているしまつだ。
お前は嫌ではないのかと訊ねると、私はむしろ嬉しいよ、とあっさり微笑んでみせる。何も考えていないのか、考えた末での結論なのか。リゾットは断言できる。よもやリゾットがそういうことを考えているとは、ポルポはまったく、さっぱり、頭の片隅にも考えていないのだ。

夏の暑さも高まった頃、いつものように正面から抱き着かれた時にリゾットが一瞬硬直したことは本人しか知らない。
下着をつけない、薄い布を一枚隔てただけの胸を軽く反らして、ぺらりと布の襟元をひっぱって中を覗き、でもパッドはあるし、と呟かれてため息が出た。さすがにそれは自覚が足りな過ぎる。
にっこりと細められた夕焼けの色の瞳を受け止めるのも、「リゾットちゃん落ち着く」と身体を預けられるのも、意外なほどてきぱきした手つきで進められる食事の用意を隣で手伝い、そしてそれを共に口にするのも。自分とポルポの、たがいに抱く感情は決して交わらないと知っていたけれど、それでもリゾットは、その役目は自分のものだと思っていた。ともに言葉を交わし、岐路を乗り越える。こみ上げた愛しさがいつから芽吹いていたのか記憶をたどることは難しい。胸を焦がす想いと、仕様のない煩悩を胸の奥にきちんとしまいこみ、リゾットはポルポと6年を共にした。想いを伝えることはできなくても、彼女の隣に立つ権利は、自分だけのものだと思っていた。


ジェラートがうっかり口を滑らせたその言葉の意味を、リゾットは理解し損ねた。耳からそれだけが滑り落ちたようだった。
腕の中からあっさり離れた女が、また何を思いついたのか密着していた時間を計って、それから何の他意もなくリゾットのわずかに乱れたらしい耳元の髪を撫でて直した。耳を指が掠めて、リゾットの視線が自分に向けられたとはまったく気づかず、ポルポは振り返ることなくソルベとジェラートの元へ向かった。落胆するようなこともない、日常の一部だった。
「手っ取り早く"成就"させるためにさあ、ポルポももっと恋愛小説とか読めばいいんじゃねえ?」
即座に打ち消すように声を上げたポルポの声が、ジェラートの言葉をこれでもかと肯定していた。
身に覚えがなければ、何言ってんだか私はまったくもってモテないわよ、といつものように残念がることもなく胸を張ってやり過ごし、その後にリゾットの元に戻ってきて、ああもうモテなくていいよリゾットちゃんがいればいいよ、と本気で言う。リゾットがむくりと鎌首をもたげた欲求を押さえて、ひっそりとため息をついて終わるはずの話だった。
「う、うらぎったあ!」
悲痛なその言葉が、リゾットの鼓膜に突き刺さった。
裏切りとはつまり、ジェラートが何らかの約定を違えたということだ。それはいったい何か、考えるまでもなかった。"成就"させるものがなんなのか、考える間もなくリゾットの頭は答えをはじき出す。
「(ポルポが、……恋?)」
ひどく馴染みのない響きだった。現実味すら帯びない、かすみのようなそれ。
わずかに振り返って目にしたポルポの横顔は、初めての恋という未知の心地への戸惑いと、落ちつけていたはずの感情をジェラートの発言によって穿り返され、玲かにされてしまったことへの焦りと羞恥に染まっていた。
視線を元に戻す。
去っていくふたりをせめて引き留めようとするポルポは、さっきの爆弾のように落とされた言葉をリゾットが耳にして、追及してくることを避けたいのだろう。そうしてリゾットを避けようとするということは、誰にも言うつもりのない想い、なのだろう。ポルポがリゾットに秘密にしていることは、あまりない。彼女の抱えていた重い首輪のいきさつも、結局はリゾットが聞きだした。
あるとすれば、そう、リゾットがジンクスに乗っかって口にした婚姻を求める言葉を聞いて、どうしようもないほど頬を赤らめ混乱した彼女の言葉から読み取れた、"名前"の秘密のことくらいだろう。言及しようと微睡の隙を狙ってみても、ポルポは寸前で正気に戻ってなんでもないと否定した。
今回もそんなふうに、リゾットの詮索を拒絶するのだろうか。それは、とても。
とても―――。
ペーパーブックに意識を戻すことは難しかった。閉まった扉の音と、あああ、と諦めたように漏らされたポルポの声が、研ぎ澄まされたリゾットの聴覚にとらえられる。
「(ポルポが、誰かに、恋をしている……)」
動揺を抑えたつもりだった。ドクリと不自然に高鳴った心臓は、何の感情に突き動かされたのだろうか。精神の激動か、あるいは彼女の心を向けられている"誰か"への殺意か、そのどちらでもあるように思えた。
クチーナに立ったポルポに視線を向けられない。
彼女がどんな表情で、誰を想っているのか、知りたくなかった。
静かに物事を突き詰めてきたリゾットのこの堪えきれなかった揺らぎを、すべて理解したうえで笑うものがいたとしたら、それはラプラスのソルベとジェラートだっただろう。


何事もなかったかのようにリゾットの名前を呼び、ピッツァをつくったことはある?ととりとめのないことを訊ねてきたポルポに答えた声は不機嫌にならなかっただろうか。ポルポの反応は無感動で、リゾットの声音をどう感じたのかも読み取れない。
湧き上がっている感情が苛立ちだと、リゾットはここでようやく気がついた。いつかに感じた激しいものとは違う、沸騰石を入れられた水が沸いていくようにゆるやかな激情だったから、すくい上げるのに時間がかかったのだ。
リゾットはグラスを選んだ。夕食の準備が整えられたテーブルに、3つの飾りを添える。ポルポのグラスに、きつめにつくられたワインを注ぐ。そして自分は食事のペースすら遅らせてゆっくりとそれを含み、彼女が空のグラスを置くタイミングで代わりをついだ。ちょっと困ったように下がった眉と、徐々に酔いににじんでいく夕陽の瞳が、本当に飲んでいいの?と何より雄弁にリゾットに問いかけた。そのたびに飲むように促して、そして食事を終える。リゾットも2度、グラスを空にした。
うっかり皿を割ってはいけないとは思ったものの、自分が手を出しても何かの拍子にぐらりと苛立ちが傾いてバキリとカトラリーを折ってしまうかもしれなかったので、慣れた手つきがのんびりと片づけを終えるのを見守った。もっとも、気配だけを追って、視線はむけなかったのだけど。
ポルポのスペースを開けたソファに、当然のように彼女は身体を預けた。はー、と落とされた吐息は酒気を帯びているし、頬は火照っている。だいぶ酔っているな、と様子を見て、さらに理性を取り除き、それでいて言葉を紡ぐことはできるだけの量の別のワインをポルポに勧めた。
「わ、私もう酔っぱらってるわよ……」
先ほどより細身のグラスとはいえ、数杯はこたえたのだろう。ポルポがリゾットさん、と他人行儀に名前を呼んだ。それはいつもの愛称の戯れだったが、今のリゾットの気に障った。
「味が好みじゃなかったか?」
こう訊ねれば、ポルポはそんなことはないと表すために、最後の杯を空けざるを得ない。彼女の性格はそういうものだった。

3度に分けてグラスを空にしたポルポは、ぐたりと力を抜いてリゾットの方に頭を傾けた。グラスを取り去ったリゾットは、その傾きがリゾットを求めたものではなく、ただ脱力した結果だと知っている。
名前を呼ぶ。ポルポはリゾットの手を弱弱しく握りながら、うん、と鼻にかかった声でうなずいた。
「リゾット、ちゃん……どしたの……」
こぼれてしまうと思うほど潤んだ瞳は、ぼんやりとリゾットをうつした。
「ポルポ、俺が誰かわかるか?」
ポルポに握られた手はそのままに、くたりと支えとしてのつとめを放棄した首を撫で上げて、頬に手を当てた。薬指の先で、いつかポルポがリゾットのそれをさがして耳の付け根や首筋を指先でまさぐった、その脈動を確かめる。ポルポは、うん、と言って、もう一度リゾットの名前を呼んだ。
こんな手段は、卑怯だと思う。
自覚はあった。
それでもリゾットは、うずまいた感情の行く先を知る必要があった。ポルポの記憶に残らないだろうこの出来事を刻み、彼女のもっとも親しい隣人となるよう"変化"するために。
リゾットの手に、ポルポは安心しきった表情で頭の重みを預けている。いくつか彼女の意識の清濁を確かめる質問をして、リゾットは唇を舐めた。いつの間にか乾いていた。
「ポルポ」
「ん、うん、……リゾット、ちゃ……」
頬から目元にかけてのまろみに触れていた親指に力がこもったのは、これからすることに比べたら、よっぽど許されることだろう。
「お前は今……」