03 ユーキャントライ


ソルベとジェラートは同時にお互いの顔を見た。慣れた動作だ。
「(これってよお、ソルベ?)」
「(ようやくその時が来た、ってことだよなあジェラート?)」
もはや言葉も必要ない。
グラスに出された炭酸飲料をこくりと飲んで、ソルベはポルポを見た。
見るたびに痛ましい事件(ポルポによると"事故")を思い出してしんみりとしていた短かった金髪は、パーマもあてていないのにゆるく波打って女の肩甲骨の真ん中あたりまですっかり伸びて元通りだ。その髪を押さえることもなく、ポルポは肘をついて口と鼻の前で指を組んでいる。手のひらは合わせられていない。見る人が見ればひと目で何のポーズか理解できるそれだったが、当然ソルベとジェラートには分からなかった。
「リゾットが風邪ひいたってのも驚いたけど、ポルポが珍しくため息吐いてっから何かと思えば」
「俺たちにも話すのを渋ってた理由が分かったぜ。悪かったな、無理やり聞きだしてよ」
ポルポはゆるゆると首を振った。
「むしろ心の整理がついてよかったよ」
「……そりゃ、ポルポ、どういう意味だ?」
「自分の気持ちを認めたってこったろ、ソルベ」
怪訝そうに片眉を跳ね上げたソルベにポルポの心境を慮るような発言をしてみせたジェラートも、まさか本気でそう思っているわけではない。むしろ、なにこの展開ヤバめじゃね?と、意見が胸中で合致していた。表情には欠片も出さず、ぐびりとジュースを飲んだ。
手を下ろしたポルポは、グラスを両手で包むようにして指先を冷やした。よほどのことがない限り、ポルポは顔を上げて話す。だからこそ嘘をつき慣れていないのか、それともつけないのか、ポルポの表情はとてもわかりやすい。今は、決意を固めつつあるそれだった。
「ソルベとジェラートはさ、これ、ひと言で感想言って。どう?」
「そうだなあ、俺としては、……遅かったな、ってカンジか?」
「ジェラートがそう言うんなら、俺としては、よく持ったな、ってカンジかねえ」
「……やっぱりあれか……26歳で初恋は遅いし痛いか……」
「(そっちじゃねえよ)」
「(やっぱり全然ダメだったなポルポは)」
はああと自嘲のため息をこぼしたポルポを前に、ソルベもジェラートも、同じ人物を思い浮かべて同情した。

ジェラートの言った"遅かった"というのは、ポルポの恋心の発露の時期のことではない。もっと早いうちに、事態は展開するかと思っていたのだ。最後の任務までに事が成らなかったのは期を逃したなと、成る方に賭けたジェラートは読み間違いに舌を打った。なら、次は請負業が落ち着くまでは仕方がなかったとしても、夏の入りには決着がつくだろうと予想したのだ。それが、それから2か月も過ぎて、ようやくこの段階に到達している。遅い。ポルポが女として経験がなさすぎる、とかそういうことは置いておいて、この後の感想はソルベと一致していた。
ソルベの言った"よく持った"というのは、ポルポが26歳まで恋人を持たずによくぞやってこられたな、という意味ではもちろんない。この言葉の対象はポルポではなく、リゾットだ。
「あいつはマジでなんもわかってねえから性質が悪ィ」
あまりにも男女の自覚のないポルポの行動に、イルーゾォが愚痴を漏らしていた。至極その通りだとソルベも思う。
ポルポの前科は多くある。
男の部屋を、その男のパジャマ(上)とショーツだけの姿で訪ね、寝ていたからという理由でベッドにもぐりこんで背中にくっついたことが始まりだったかもしれない。ソルベとジェラートは酒の席でリゾットからポツリと零された話でしか知らなかったが、その場にいた数人が喉を詰まらせて咳き込んだことはよく憶えている。パジャマについては仕方がなかったにしても、行動については完全に彼女の責任だ。
戦いをするのに傷が残っていないのは凄いと感心しながら腹を触ったり上着をめくったり背中を触ることは軽い方だろう。酔っぱらってその男と結婚するなどと口にしてくったりその膝の上で眠ったり、男の隙を見つけたいなどという訳の判らない理由で男が使用しているバスルームの扉を開けて察知していた男に水浸しにされたり(けしかけたのは自分だということは置いておく)、男の部屋に夜中に突撃をかけて(けしかけたのは自分だということは置いておく)馬乗りになり服をめくったあげく何をするかと思えばくすぐり攻撃で、反対にひっくり返して押し倒されたにもかかわらず危機感が向くのは次の日の腹筋の筋肉痛だけ。まったくその意図はないままに、その男の下で笑いで引きつりすぎた、どこか色めいた声をあげたポルポが男に何をしたかと言えば土下座だ。
普段は腹を抱えているソルベと相棒がさすがに頭を抱えたのは、イルーゾォが疲れた様子でポルポの家から帰ってきた時のことだ。
「あいつ、上の下着つけねえでリーダーに抱き着いてやがった……」
憐憫すら抱いた。
他にも数えきれないほどあるし、ふたりが同居していることを考えると、余罪は追求しきれないだろう。
これだけの、いやそれ以上の回数、想いを寄せている女に無防備に近づかれて、この6年、5年の間まったく手を出さなかったリゾットは、なんなんだ。どんな鋼鉄の理性なんだ。
でもくすぐり事件の時は結構マジだった気がするぜ。
ああ、階段から飛び降りてた時もイラッとしてたしな。心配させてんじゃねえよってことか?
あっ忘れてたけどリゾット一度ポルポの首にキスしてたよな。
ああ……ポルポが口の端にやり返したアレな……。ありゃあ、後から考えたらリゾットが顔の角度ずらしててもおかしくなかったと思うぜ。そしたらポルポはなんて言ったのかね、あーポルポわかんねえ。
そういやリゾットと同じベッドで寝かしてもらって寝心地良かったとかほざいてたなポルポが。
ほざくとか言ってやるなよ可哀そうだろブヒャッ。

目だけで会話をして、そういやいつからだったんだろうな、とふたりは同時に記憶をたどった。
「(リゾットと一緒にいたポルポの目の前で俺らが馬鹿にされた時、あの事後、リゾットが珍しく俺たちの前で色々考え込んでたよな)」
「(ああ、ポルポが反論して平手食らって『ふざけてんじゃねえぞハゲ!』って言いながらぶつかってって相手の顎殴って最終的に相手が平身低頭で謝罪してきたアレの後だろ。俺もアレはポルポの認識を変えるかなり重要なファクターだったんじゃねえかと思うぜ)」
もはやポルポから引きずり出した彼女の恋心を肴にリゾットを憐れむ会となりかけている。知らないのはポルポだけだ。
ジェラートは二分とかかっていないアイコンタクトから意識を外し、ポルポの手に手を伸ばした。
「しっかりしろよポルポ、いつもの元気はどこやったんだ?おにいさんたちがちゃんと話聞いてやるから、これからどうしたいのか言ってみな」
「うん……そうよね、私らしくないよね」
そうそう、と笑いかけたソルベに、ポルポも微笑みを浮かべる。
ポルポの顔は、劇的に整っているわけでも、透きとおるように綺麗な肌を持っているわけでも、吸い付きたくなるような魅力的な唇があるわけでもない。目立つ点と言えば、夕焼け色の瞳くらいだ。目が合って、良い色だなと思って、笑顔を貰ってこちらも笑いかけて、おっ胸が大きくてナイスだね、と記憶の片隅に留め、彼女はどんな仕事をしているんだろうか、恋人はいるのかな、そんなふうに考えて家の扉を開けた瞬間に忘れてしまう、イタリアではありふれたそんな容姿だ。それでも目を惹かれてしまうのは、その警戒を見せないへらりとした笑顔と、ふとした時に垣間見せる芯の強さ、そして弱いくせに図太い度胸の輝きのためだろう。
ソルベは脳内でちょっぴり訂正を加えた。彼女が警戒心の欠如しまくった笑顔と態度を向けるのは、懐に抱え込んだ一部の人間にだけだった。彼女はバカだアホだと罵られるけれど、決して愚鈍ではない。引きずり込まれたギャングの世界で幹部に上りつめ、どんな下劣な妄想にも下種な手段にも揶揄にもびくともしない姿勢がその表れだ。
髪をなでつけて耳にかけ、ポルポは自分のこれから辿るだろう道を確認しだした。
「リゾットには何も言わないで、このまま気持ちは封印しちゃおうと思うんだよね」
「えっ……」
「あ……え?マジで?マジで言ってんの?」
ソルベとジェラートのぽかんとした顔に躊躇いながら肯定を示して、ポルポは少し寂しそうに睫毛を伏せた。
「だって、重いし邪魔だし面倒くさいよ、こんなこと急に言われても。リゾットって人との接触あんまり好きじゃないと思ってるんだけどさ、君たちの上司だった時から、みんなにべたべたして、リゾットの優しさに甘えて抱きついて癒されたりわがまま言って面倒掛けたり、私、結構、ひどかったじゃん。それが今はほぼ対等な立場になって、それなのに、酔った時のこととはいえ、元上司の私に指名されて私と同居することになってさ、リゾット、別の所に部屋とか借りないと、恋人とも逢引できないじゃん?そんで私はこっちでもまた世話かけて、め、めんどうみてもらって、重荷にばっかりなってるし、……これ以上迷惑かけたくないよ。リゾットは優しいから気を遣ってくれると思うけど、それってリゾットにとってすごく大変なことじゃん」
「……えー……まずひとつひとつ整理するから、待ってくれ」
ソルベはテーブルに肘をついてこめかみに指を当てた。なんか、俺たちの認識とかなり齟齬があるんだけど。
「リゾットが人との接触が嫌いだろうなって思ったのって何でだ?」
「いつだったか忘れたけど、リゾットに惹かれたらしい綺麗な女性が腕に抱きつこうとしたら、やんわり引きはがして何か喋ってすぐどっか行っちゃったのを見たのよ」
「はんはんはん。まあたまにあるこったな、プロシュートみてーにさ」
「俺らみたいにカッコいいもんなあ、リゾットもプロシュートも。……まあリゾットは明らかに堅気じゃねえから、一般受けするかってったら微妙だけど」
それは端っこに置いておいて。
「確かにリゾットはあんまり人と触れ合わねー、そら確かだぜ。ポルポはちゃんとそのことを理解してるわけだ。そうだよな?」
「理解かはわからないけど、知ってるわよ」
「それを踏まえて、次だ。俺らにべたべたするってのはぜんっぜんオッケーむしろヴェニーテ!なんだけどさあ。ポルポって、俺らも知ってるとおり、リゾットに抱き着いたり膝に寝転んだりリゾットを椅子にして寝こけたりしてたよな」
ポルポが両手で顔を覆った。
「今思うと命が消えなくてよかった」
「……」
ジェラートもこめかみを押さえた。
「よォーく、俺の言うことを聞いてかみ砕いて理解しろよ、ポルポ」
「え?あ、はい」
顔から手を離して居住まいを正したポルポに、ジェラートが、いち、と人差し指を立てた。
「リゾットは人との接触をそれほど好まない」
ソルベが、に、と人差し指と中指を立てた。
「リゾットは意にそぐわない命令が下されたとして、それが仕事ならまだしもプライベートなら、一度は許しても二度目は拒絶するタイプ」
ジェラートが、さん、と中指に続けて薬指も立てた。
「リゾットの面倒見の良さはごくごく一部の人間にしか発揮されない」
ソルベが、よん、と親指をたたんで小指を立てた。
「チームだった時のアジトでわかるように、リゾットはたとえ仲間であっても、仕事以外で自分の部屋には人を招かない。ポルポ、誰かがリゾットの部屋にいたところを見たことあるかよ?」
「……ない、気がする」
「だろ。つまり、同じアパートに暮らしていても、居住スペースは分かれてねえと落ち着かねえやつなんだよ。職業病かもしれねーけど」
ジェラートが手のひらを開いた。ご。鼻濁音を炭酸ジュースに溶かす。
「"リゾットは優しい"ってー結論は、半分正解で半分不正解」
ソルベが手を伸ばして、ポルポの鼻を摘まんだ。むが、と驚いたポルポが声を上げる。
ここまで言って思い当らないって、こいつ、どんな環境で生きてきたんだろうな。そりゃあれだろ、花真っ盛りの青春をいきなり裏で過ごすことになったそういう環境だろ。魑魅魍魎に囲まれて男っ気もなきゃあ、鈍くもなる、か?それにしたってひでーけどな。
「さっきポルポが言ったことと組み合わせて考えてみろよ」
「一分だけやるから、さっさとな」
ソルベとジェラートはニヤニヤと笑みを浮かべた。急いでいるわけではない。ただ、ポルポは焦らせないとなかなか答えに辿りつかないからリミットをつくったまでだ。
自分で気づかないと、意味がない。

ぎゅっとしかめられていた表情が、ぱちりぱちりと瞬きをするたびにゆっくりほどけていく。ポルポの眉がへなりと下がって、じゃあ、と情けない声が出た。
「それってさ、私の甘えがリゾットに許されてた、ってこと、でいいの?」
「そーとしか考えらんねーだろ」
「なんだかんだ、細かく言えばギアッチョより好悪が激しいしな。わかりづれえけど」
ジェラートのぞんざいな同意とソルベの補足を受けて、ポルポの目元がようやくやわらかくゆるんだ。そうかあ、と心の底からにじみでて止まらなかった喜びをブーケにしたような声音で呟く。
「私、リゾットのそばにいていいんだね。ソルベとジェラート、すごいよ。ひとつだけしか年齢が違わないのに、ずっと冷静だし、客観的だし、……慰め方が上手だ」
「ん?おう、グラッツェ」
「客観的なのは実際俺ら、傍観者だからな」
限られた人間との狭いコミュニティだけを大切に生きてきたポルポと、組織の中でさまざまな人間と対立し競い蹴落としてきたソルベとジェラートでは、そもそも物の見方も違うし、ある意味で冷徹だ。もし、ポルポの想いにまったく望みがなかったら、"おにいさん"としてすっぱり諦めるよう説得しただろう。
かみしめるようにコップを両手で握ったポルポが、あ、と顔を上げた。ふたりは交わしていたアイコンタクトでの会話をあっさり止めてポルポを見る。
「リゾットのやさしさが、半分正解で半分不正解って、どういうことなの?私、今のイメージの同期で、リゾットのことをちょっぴり煩わしい人間関係を面倒くさがるために口数も少なくなってそれに慣れてしまったある種事なかれ主義のちょっとめんど……いや気難しいコートがおかしい優しいリーダー、だと認識したんだけど」
わあポルポ結構辛辣。決して褒めてねえ。面倒って言いかけたよな。冷静になってくれてよかったな。確かにめんどくせえけど、これリゾット泣いちゃうんじゃね?ぶはっやめろ笑かすなフヒャヒャヒャ!
「八割合ってる。酔うとじっと黙ってるか、もしくは結構喋る時があるしな」
堪えきれなかった笑顔が目に出ているソルベ。ポルポが、またか、とほんのり冷めた眼差しになる。沸点低すぎるホモたちめ。ホモじゃねえって!声が重なった。
「正解と不正解が五分五分っつーのはよ、ポルポ」
「リゾットはやさしーかもしんねーけど、それはたいてい、ポルポにだけだって話だよ」
「……お、おう?」
聞けば、なんだ。数日前まで風邪をひいて(ソルベが震えた)寝込んでいたリゾットを、ポルポが看病したというじゃないか。そこでポルポは自分の気持ちに気づいたわけだが、ここで俺はお前に言いたいね、ジェラート。なんだよソルベ、言ってみろ。看病なんかいらねえからただそこにいろ、ってそりゃもうそりゃ、あれだろ。そうだよなあ。人恋しいってレベルじゃねえから。
という会話はすべてアイコンタクトである。ソルベとジェラートの絆の深さは底知れない。
面食らって首をかしげたポルポは、文節でくぎりながらジェラートの言葉を復唱した。
リゾットはやさしいかもしれないけど、それはたいてい私にだけ。
「……え、えええー!まじか!それ、それ聞いちゃうと嬉しい、けど恥ずかしい!リゾットとまた会話できなくなる!!」
「えっ会話できなかった時があんの?」
「おととい、リゾットが回復した時、お礼言われたけど罪悪感と恥ずかしさでちょっと……」
「わあ」
「(これリゾットが寝てる間のことをどこまで感知してたかってのがミソだよな。まあぐったり寝込んでうなされてたわけだし、マジにポルポの気配だけぼんやり探してたって感じだろうけど。っぶひゃひゃ、弱ってるリゾットやべえ、腹筋やべえ)」
「(こいつら、このまま行ったら平行線でお互いにお互いを思いやりすぎて隣人で終わってたんだろうな)」
左右対称に頬杖をついて、ふたりは違うことを考えた。
そして同時に、ため息をついた。
「ポルポ、ちゃんとわかったか?ポルポの心配は杞憂だって」
「そーそー。リゾットはポルポがべたべたしても気にしないし、どんどんやっていいんだぜ。それに、その初恋を伝えたって迷惑にゃあならねーだろーよ」
むしろリゾットのためにもポルポのためにもそうするべきだ。
にっこり笑いかけると、ポルポは元気の出てきた顔をして、ふたりに言われるといつもみたいにふてぶてしくやっていく自信がわいてくるよ、と頷いた。
「私にはわからないかもしれないから、もしよかったら、ふたりから見てリゾットが嫌がってそうだなあとか、疲れてるなあとか感じたら、教えてくれないかな?」
「おう、そんときゃポルポのこと、夜通し慰めてやるよ」
「(俺らの任務重大だな。引っ掻き回してえ気持ちもあるが、まあ今は我慢すっか)」
本音は分厚い笑顔の仮面でガード。
気づかなかっただけでずっとそこにあった想いをようやく見つけ出したポルポは、その想いを涙と共に胸の底に沈めなくてもゆるされるのだと理解して、心に余裕が現れていた。だから、瞼の裏にリゾットの姿を浮かべて、しみじみと呟いたのだ。
「どこまでいけるか気をつけて様子見よう……」
「……」
「……」
ポルポの言葉で言うなら「パードゥン?」
ソルベとジェラートは顔を見合わせた。
「(ちょう面白そうな展開になってきたじゃねえか)」
何の様子を見るかって、今のポルポがすることはひとつしかない。リゾットの許容がどこまで深いのか、その深度の限界を見つけるのだ。
この女王さんはいったいこれからなにをやらかしてくれるのだろう。ソルベとジェラートは、とうとう我慢しきれなくなって爆笑した。


0.5

任務完了の報せを持って、ノックもせずに合い鍵で玄関を開けてポルポの家を訪ねたふたりは、おかえり、とポルポの歓迎を受けた。おうただいま、と応答して、前を見て、死んだ。腹筋が死んだ。
ソファの背もたれにジャッポーネの文庫本が置かれている。それを持っているのはポルポだ。背もたれに向かうという不自然な姿勢。けれどそれが安定しているのは、間にリゾットがいるからだった。
正しくソファに身体を預けているリゾットの首に、前から抱き着くように腕を回して、のんびり脱力して本を読むポルポ。
タイミングの違うぺらり、という音が聞こえる通り、片膝かどこかをポルポに跨がせて、その腰を支えながらリゾットは、それこそ不安定な体勢で、空いている手でペーパーブックを開いていた。頭巾をかぶっていないリゾットの髪にまじるように、リゾットの頭と反対側に流しきれなかった金色があるのを眺めてから、ソルベはひらひらとショルダーバッグを振った。面白えなあこいつら、と浮かびかけた笑みを殺す。
「ポルポ、要望通り写真も撮って来たぜ。確認してくれや」
はいよー、と返事をしたポルポがもぞもぞとリゾットから離れていく。
「ありがと、リゾット。何分ぐらい?15分かな?」
「13分だ」
やだ正確。ソルベが脳内でツッコミを入れる前にポルポが頷いた。
「そっか。ありがとね」
そしてソファに本を置いた後、あ、と気づいて、少し乱れたリゾットの耳元の髪をちゃっちゃと直して、ポルポは未練も残さずソルベとジェラートの元へやってきた。
「(抱き着いてたのはいわゆる"実験"ってやつだとしてもさあ)」
「(髪、直したのはガチの気遣いだったんだろうな……)」
そう来るかー。ポルポはいつも予想に対して魔球を投げつけてくる。ど真ん中を貫いたり、急カーブして行き先も見えなくなるような魔球だ。見てる方は楽しいが、当人は、どうだろう。あまり変わらない表情の下で何を考えているのか、生ぬるい視線で見守ろうじゃないか。
「これこれ」
「どれどれ?……おお、いいアングルだね。参考までに、どんな……あ、いや、いいや、笑顔こわい。やめよ」
ポルポはよくソルベとジェラートの笑顔にビビる。きちんと裏がある時だけ身を引いているので、やっぱり何かしら感じ取っているんだろう。ど素人だが、慣れの成せる業か。
「そんな変な殺し方はしてねーけど、ほら、えげつなく殺せって言われたからさあ」
「あれねー。なんなんだろうね、怨恨かな?どんな相手か知らんけど、美人局からの愛憎痴情のもつれ、あたしはもうあの人についていきたくないの攫ってー、かーらーの、殺人、みたいな?」
「そーいう発想は達者だよな。普段ポルポ、何読んでんだ?」
「本の半分以上はそれで埋まってると思われる、男が人生を振り返ってつづった壮大な遺書を読む話とか……?」
ジェラートはちらりとリゾットの後ろ頭を見た。聞いてんだか聞いてねえんだか、わかんねえやつだぜ相変わらず。
ソルベとも視線を交わして、これから仕掛けるほんの些細な、けれどとっても悪質ないたずらについてのGOサインを受け取り、ジェラートの右目がぱちりと閉じた。
「手っ取り早く"成就"させるためにさあ、ポルポももっと恋愛小説とか読めばいいんじゃねえ?」
「そーかな……って、は、……はっ!?ちょ、ジェラ、はああああ!?裏切っ、くっそこいつらにまともな対応を期待した私が馬鹿だったッ……」
ジェラートの胸元につかみかかったポルポが、驚愕の声をあげたあと、声を殺して叫ぶ。がくがくと上体を揺らされて、ジェラートは声も出ないほど笑っていた。腹筋が攣りそう。ソルベは相棒からバトンを受け取り、ポルポにとってはわざとらしく、端から見れば自然な動作でよしよしと自分よりも低い位置にある金髪を撫でた。
「悪ィな、ジェラートってこういうとこあるからよお、ちっと口走っちまったんだよ。ぶふっ、ポルポ、悪いな」
「ぜんっぜん悪いと思ってないでしょ!?なにが悲しくて26にもなって裏切られなきゃいけないのよおお……」
「年齢は関係ないぜ、ポルポ。俺らはリゾットもプロシュートもその辺のおっさんも、面白いと思ったらひっかきまわすからな」
「自慢げに言うなよ……残機Zeroだよ……」
両手で顔を覆って打ちひしがれたポルポと、振り返りもしないリゾットの後ろ姿に片手を挙げる。勢いよく顔を上げたポルポがふたりの長袖の裾をしっかと掴んだ。
「言い逃げか!ご飯食べてけ!」
「ごーめん、今日はソルベがピッツァ焼いてくれるって言ってたから、そっち食うわ」
「ジェラートはドルチェ担当なんだぜ」
「どうでもいいわよそんな豆知識!あっ、ちょっ、……あ、あああ……」
入って来た時と同じように、ソルベとジェラートは場を濁さずに去って行った。ポルポの目の前で扉が閉まって、もはや追う気力もなくため息を落とす。
「(ど、どうしたらいいのかまだ決まってないのに……)」
だからこそふたりが爆弾を投下したのだということを、ポルポは知らない。知る由もなかった。