02 誰も教えてくれないタイミング


なんと、なんと、今年一番の驚きかもしれない。ブラックサバスがレクイエムになった時くらい驚いた。

珍しいことに、朝起きた私がリビングに下りてもリゾットの姿がなかった。この時点で異変その1。
夜更かしでもしたのかな、と朝食をつくって先に食べた。私が寝坊した時、リゾットはいつもそうしているので。もぐもぐ食べ終わって、新聞を眺めて、1時間が経ってもリゾットは起きてこなかった。異変その2。
さすがに心配になった私。ぱたぱたと階段を上ってリゾットの部屋の扉を叩いた。返事もないし出てこない。私の気配に気づいていないはずはないのに。異変その3。
もしかして敵襲を受けて重傷だったりするのだろうか。物音には気づかなかったけど、スタンド使いに襲われたのかもしれない。私は自分の想像に青ざめて、「ごめん、入るよ!」と声をかけて扉を開けた。部屋が真っ暗。これは通常運転。
心なしか、いつもより部屋の中がほんのわずか蒸していた。異変その4。
軋まない床をそろそろと進んで、ベッドに近づく。はあ、はあ、と、壁の方を向いたリゾットの肩が大きく上下していた。異変その5。異変どころじゃなくて硬直すらした。
「ど、ど、どうしたの!?具合悪いの?だ、大丈夫?」
ベッドに乗り上げて、暗がりの中、顔を覗き込む。目は閉じられ、唇がうすく開いていた。荒い呼吸が繰り返される。頬に指の背中で触れて、汗ばんでいることに驚いた。異変その6。もうカウントしなくていいかな。なんにせよ、初めての事態だった。
「か、……風邪ひいてる……」
額に手を当てると熱かった。り、リゾットって風邪ひくんだ。驚きでまた固まって、それから大変だ、と立ちあがった。
「リゾット、リゾット、大丈夫か?ごめんだけど、ちょっとだけ起きて」
「……起きている」
わあ声が嗄れてる。
「ごめんねうるさくして。あの、どんな症状なの?普通の風邪だと思う?」
もう一度ベッドに手をついて顔を寄せると、リゾットは小さくうなずいた。
「ただの風邪だ……。水と……棚の箱から薬を取ってくれ」
「おっす。すぐ持ってくるね」
自分の部屋に風邪薬を常備してるのか、準備がいいなあ。感覚の鋭敏なリゾットの妨げにならないよう、できるだけ音を立てないようにお水を汲み、必要そうなものを抱え、棚にあるという薬箱をさがした。棚にそれらしい箱はひとつしかなかったので開ける。わあ治療道具がいっぱい。あとなんかよくわかんない怖そうな色の薬が入ってる。
「どれ?」
「市販の……」
「あ、これか……」
激マズいお薬だった。この味、私は知っているぞ。いつかに飲んだことがあるから。
箱を戻して、私は一包の薬を手のひらに持ったまま、起き上がろうとしたリゾットに手を差し出した。支えに使ってくれれば、と思ったんだけど、なぜかその手をぎゅうと握られて終わった。支え……。
味に文句をつけることもなく、リゾットはさらっと粉薬を含んだ。す、すげえ、これも訓練のたまものなのか。感心していると、水で流したあと、まずいな、と呟くのが聞こえた。表情に出ないだけか。きゅんとしたわ。
「味覚はあるみたいでなにより。体温計持ってきたよ、熱はかろうぜ」
「……」
無言で受け取られた。体温計を差し込むためにわずかにくつろげられたパジャマの襟元、とてもベネ。あと、相変わらずパジャマは黒と白の細かいストライプです。好きだねえそれ。
水で濡らして絞ったタオルを頬に当ててみたら、はあ、と重そうなため息が落ちた。だるいみたいだ。
「(弱ってるリゾットちゃん見るの初めてだからなんかちょっとワクワクするな。悪いな)」
リゾットは体温計を取り出した。暗くて見えないな、と光源をさがしていたら、呟くように小さく温度を伝えられた。けっこう、高い。
「平熱低そうだから、つらいだろうねえ……。なんか胃に入れる?」
「いらない……少し寝る」
「おう。なんかあったら呼んでね」
「……」
呼ぶって言ってもお前の部屋との間の壁は厚いぞ、と言いたげな顔をして(表情がわかりやすくなってるのも弱っている証拠かな。異変7)、リゾットは私に背中を向けて布団にくるまった。そろそろ涼しくなってくる頃だというのに、布団の綿はまだ夏用のもので、病人には寒いのじゃなかろうか。
心配になった私は自分の部屋から取り換えたばかりの布団を抱えて持ってきて、とりあえず上からかぶせておいた。こたつむりみたいで可愛いな、と思ったのは内緒だ。不謹慎不謹慎。
布団を抱えながら持ってきた折り畳みのスツール(ベランダで本を読むときに使うのだ。読んだあとは太陽光に目をやられてしばらく緑色しか見えなくなるけど)を開いて座った。部屋の扉も閉めて、リゾットの呼吸の音だけがあった。私?私はいたって健康なので、静かーにリゾットを見守っているのだよ。
ところで、関係のない話だけれど。いや、とてもとても関係あることなんだけれど。
眠っている人を見ているうちに眠くなることってよくある。
「(でも看病してる間に寝るってどうなんだ……)」
部屋が暗いのも原因のひとつだと思う。私は睡眠と看病を天秤にかけて、まあリゾットちゃん、深く眠ってるみたいだしな、と睡眠を選んだ。さすがに枕元で寝息を立てるのは気が引けたので、スツールを持って移動して足元に。座ったまま前にばたんと倒れるように、リゾットのベッドの端っこを借りて額を預けた。苦しい体勢だ。にもかかわらず、私はややもせず、眠りに落ちた。


唇に何かが触れている気がする。これ指だ。誰の?
指先が私の唇をなぞり、ふに、と軽く押す。ゆっくりな動きだけどくすぐったい。
リゾット、と寝ぼけたまま名前を呼んだ。私の唇から指が離れた。なんだったのかな、私には行動の理由も、今の感覚が夢だったのかそうじゃなかったのかも、よくわからなかった。
きつく目をつぶって眠気を振り払い、乱れた髪の毛を片手でかきあげてのそりと顔を上げると、リゾットが起き上がって私を見ていた。いつの間に起きたの。気づかなくてすまん。
「なんか、欲しいものある?」
「だいぶ楽になったから自分で取りに……」
「いやいや、ここはポルポさんにお任せよ。病人は安静にしてないとね!」
「お前の方が安静に眠っていたようだが……」
「……」
それを言われると。すみませんとしか言えない。
早起きしたからね。苦し紛れに言い訳すると、いつも通りの時間だったぞと言われた。寝込んでたのに音には気づいてたの?暗殺者ってすごいね。いつ気を抜くのかな?

リゾットの肩を押して布団をひっぱりあげ、ぽんぽんとたたいて寝かしてから、私は水と、ウイダー的栄養ゼリーを持って上がった。ゼリー、冷たくて食べやすいのかな。ひと口貰った時はくっそまずいなこれって思ったけど、風邪で味覚が死んでると大丈夫なんだろうか。あ、いやいやリゾットの味覚は生きてたっけ。リゾットもこれを備蓄しながら、「決してうまくはない」って言っていたし、やっぱりまずいんだろう。
リゾットにリゾットつくろうか、と言うのも微妙だ。たぶん気にしないだろうけど私の腹筋がちょっと。あとでリンゴでもすりおろしてあげよう。
こくこくと控えめに水を飲んでいる姿は、さっきよりはましだけど、まだどこか弱弱しい気がする。もちろん当人比だ。風邪なんて引かなそうだもんな。トクベツでかいのにがつんとあたったのだろう。不運なことだ。
「あーんしようか」
「……いい」
「遠慮しなくていいのに。それ飲んだら、ん?食べたら?また寝なね」
そうする、と伏せられた目は、わずかに潤んでいるように見えた。えーっリゾットちゃん扇情的!こりゃ誰にも見せられんな、とふと思った。
また横になったリゾットは、重そうに頭を動かして私を見た。
「移ると良くない。いつも通り仕事をしてくれ」
「ええー……」
見捨てがたい。
「……リゾットが寝たらそうする……」
納得したのか、今度は仰向けのまま、片手を布団の上から腹に乗っけて目を閉じたリゾット。仕事よりも大切なものがここにある!部屋に引っ込む気などさらさらなかった。ふふふ。普段のリゾットなら見抜けたかもしれないが、弱っているなら好都合。私の記憶のアルバムに焼き付けておかねば。ワンショットワンショットがエロイよ!リゾットさん!
「(普段は顔色ちょっと悪くて体温低いかっこいいニーサンだけど、今は熱で火照って顔もあったかいし、たぶん明かりの下で見たら血色いいんだろうな。どっちもいいと思うけど、どっちでも好きだけど、やっぱり早く元気になってほしいなあ)」
胸の下で腕を組んだまま上体を倒して寝顔を見つめる。おっぱいが邪魔で膝に肘をついて頬杖がつきづらいので苦肉の策。
しばらく見ていると、はあ、と大きく息をついた。起きたか、となぜか一瞬身構えてしまって、すぐに元通りの寝息のリズムに変わった呼吸にほっと安心した。
「(なんで安心してんだ?……あ、そうか、私、リゾットが寝たら出るって言ったからか)」
なるほど。自分で言ったことを3分後には忘れているとか鳥かよ。鳥以下かよ。
腹の上に乗っていた手がずり落ち、私とは反対側、壁際に投げ出されていた腕が持ち上がって、枕元で落ちた。手の甲が額に当たって、今痛そうな音したけど大丈夫なのかな、と、軽すぎるその衝撃でずれた濡れタオルをひっくりかえして冷たい面を額に当て直した。
椅子から腰を浮かせたまま、枕の横に手をついて、上からリゾットの寝顔を見る。なんだろう、とても安心するけど、今は彼を守らなくては、という使命感に駆られるな。
「……」
何か言おうとして、やっぱりやめた。
「……リゾット、ちゃん」
ぽつりと名前を呟いて、自分の声に違和を感じる。

あれ、今私、逃げた?

手のひらからすりぬけた何かがあった。
あえて考えるのをやめる。今まで私がおぼえたことのない感覚で、深追いしたらたいへんなことになる、そんな予感。
「……リゾッ、ト」
しっくりくるけど、この気恥ずかしさはなんなんだ。相手が寝ているからかな。
私はリゾットの額の濡れタオルに乗せていた手を浮かせた。それからどうしようかなんて考えもしていなかったのに、手が勝手に、眠るリゾットの輪郭をなぞった。何度もすべすべ撫でたことがあるけど、その時とは違った。なにが違うんだろうと疑問に思いながら、人差し指でその唇に触れた。熱で乾いてちょっとかさついてる。普段のうるうる……いや、うるうるじゃないけど健康リップはどうした。
「(ち、違う……なんだ、私いま、いま何から逃げてるんだ)」
あえて雑念を交えた思考で、どんな結論に至ることを避けているんだ。
もう真実にたどり着いているはずなのに、目をそむけるように自問した。
反応がないのをいいことに無心で唇をいじって頭を無にする。無。私は無。無なんだってば。無。む。むに。むに……?
むに、といえば、メローネとギアッチョに、いつだったかこんなことをしたなあ、と思い出して、人差し指と中指を曲げた。その第一関節と第二関節の間の平らな指の背中で、軽くリゾットの唇を押す。まったく起きる気配がなくて、それでいいのか暗殺者、とさっきとは正反対なことを胸中で呟いた。
「(これ、もうすっかり忘れたけど、何が元ネタだったんだっけなあ……)」
こんなベタベタな動作、少女漫画なにかだろうけど。
記憶の彼方に抛り去られた元ネタをつらつらとほじくりかえして、あ、とひとつの作品に辿りつく。あれかあ。
思い出してすっきりすると同時に、フッと我に返った。無意識に、曲げた指を唇に当てていた。
「……」
ええと。
この指って、さっきリゾットにキスのまねごとをした指で。
それを私は唇に当てていて。
ええと、それってつまり、間接……
「(う、うわあああああああやってしまったあああああああ)」
何気ないしぐさだった。その何気なさが、私の命とりだった。
椅子を蹴り飛ばさなかったのは、なけなしの理性が働いたからだろうか。ドキドキと心臓は激しく脈打っている。落ち着け、まだ慌てるような時間じゃない。冷静になって考えるんだ。脳内の孔明が扇子を開いた。
間接キスなんて、大したことじゃない。今までだってリゾットにひと口飲み物を分けて貰ったりしていた。
でもあれはグラスだったから飲み口は違ったよね、と脳内の劉備。ふざけんな。今までと変わらないことだ。変わらないことだ。
大事なことなので二回言いましたと考える余裕もなく、私は立ったままおろおろした。困った時の癖が出て、がり、と折り曲げたままだった指をちいさくかじって、アホか!自分を罵った。ストレスで指食ってる場合じゃねえ!
ちら、と顔を動かしてリゾットを見る。すぐに目を逸らした。まともに見れなくなっている。私の顔は、手は、すごくぽかぽかして熱い。もちろん風邪じゃないことは自分で充分わかっている。これは、私が今まで一度も経験したことのない、その、つまり。
「(こ、……恋、……というやつか?)」
今度は逆にリゾットにくぎ付けになった。どういうことなの?ぜんぜんわかんないよ私。どうして私がリゾットに恋を、するの?
リゾットっていうのは私にとって元部下で、傍にいてとても安心できる存在で、とても優しくて、何か頼まれごとをされたらとても嬉しくて、――それって尽くしてくれた部下に恩返しができるからっていう理由じゃないの?好きな人の役に立てるから喜んでいたの?
「(わ、わからない……わからないわよ私……ポルポわかんない……だ、だって……)」
人にこんな感情を抱くなんて初めてのことだから。
すとんと心に落ちてきた気持ちの塊からは目が逸らせず、私はただ、そうなのか、と納得してしまった。恋に理由なんていらないって言うよね。どんなもんなんだそれは、と思っていたけど、こんなもんか。むずむずして緊張してどうしようもなく照れて苦しくてしんどいな。うわあ私少女じゃないんだから。26歳だぞ。26歳で初恋ってなに。いつからなの。全然気づいてなかったよ。何で今自覚するの。このタイミングなに!
リゾットは。
はた、と一瞬で心のざわめきが収まった。
リゾットはたぶん初めてじゃないだろう。そりゃこんだけの優良物件だ。プロシュートのように表立つことはなくても、女の人は寄ってくるだろうし、すぐにリゾットを好きになると思う。だってすごく落ち着くし優しいし声もいいし筋肉ばっきばきやで。そりゃ惚れるよ。私が男でも惚れるよ。その中の誰かに、リゾットも恋をすることがあっただろう。恋するリゾット、宝物か。
「(リゾットは、私のことを……たぶんただの同居人か、良くて友人だと思ってるだけだろうし)」
私の想いって、リゾットの負担だな。

気づいて、ちょっと呆然として、それはとても寂しいな、と素直に思った。さみしいし、苦しい。
失恋ってこれか!初恋を自覚すると同時に失恋。この流れ、私の人生の中で一番笑えるのではないだろうか。
「(ぜんぜん笑えねえよ)」
私がこんな心情を相談されたら、ものすごく同情する。素晴らしい人を好きになったんだね、でもちょっと状況が悪かったね。そう言って慰めるだろう。その時のお茶代くらいはおごってあげるかもしれない。
でも、この気持ちを捨てるのは嫌だな。
椅子に座る気が起きなかったので、ベッド脇にしゃがみこんだ。
よく考えてもみろ。ひとの人生を買い叩いた上司が今までベッタベッタベッタベッタまとわりついてただでさえ面倒をかけていたのに、もう上司じゃないただの同僚(同僚?)に指名されて(これはひどい)一緒に暮らすことになり、6か月と少しの間その世話をして、人が近くにいることを嫌がりそう(偏見)なのにその女は部屋には押しかけてくるし方向感覚がないくせに散歩に出かけようとするしとにかくご飯は食べるし、あげくの果てにあなたが好きです、はないだろ。ありえないだろ。ドン引きってレベルじゃない。言っててめちゃくちゃつらくなったわ。私、リゾットになにやってんだろう。申し訳が立たなさすぎる。
この想いのはけ口をどっかに見つけようにも、暗チの彼らも絶対引く。26歳独身恋愛経験なしの元上司からの恋愛相談、確実に、距離を置かれる。
じゃあ日記はどうだろう。日本語で書けばばれないだろ。私以外の誰も見ないけどさ。
ちょっと迷って、却下した。書いてて絶対ペンをへし折る。自分の恋心についてつづるってなに?少女パレアナ?パレアナもそんなことしないよ。赤毛のアンかよ。
「(なんで気づいちゃったんだろうか……)」
私の失敗はそこだな。うっかりしすぎた。ヤバいなと予感した時点でやめていればよかったのだ。ひー、自分を呪っても時間は戻らない。いますぐ世界よ一巡しろ。あっやっぱりやめて。
指を見つめる。この指が悪いんじゃ。おりゃおりゃ。アホかリゾットの唇の感触を思い出してどうするんだ自分くびるぞ!!
膝に額を押し付けて、かっと熱くなった目元を隠した。馬鹿か、私は。なんでリゾットの部屋でリゾットへのうんにゃら恋心を抱えて泣かねばならんのだ。
出よう。リゾット、すまん。今はちょっとまともに顔が見られないから、また落ち着いてから来るわ。アデュー。
私は立ち上がってリゾットを見て、ああやっぱりこれって好きってことか、とじんわり湧き上がってきた感情をこらえて、どうしようもなくなったので、寝ているのをいいことに投げ出された手にちょっと触った。私きもい!きもすぎる!ダメな上司ですみませんでした!
握る勇気はなくて、すたこらさっさと逃げ出した。こいつぁ拷問の方が楽かもしれない。あっやっぱり駄目、イエス二次元ノー現実。

自分の部屋にしばらく居て、分かったことがある。
「隣にリゾットがいると思うと落ち着かねえ……」
これってかなり重傷だ。メンタル弱いんだから自分に負荷をかけるのはやめようよお。
苦し紛れに逃げてきたリビングのソファに身体を預けて、ずるずると深く身体を沈める。手はお腹の上で指を組んで、ぼーっと、どこともなく壁を見た。
頬の赤みは引いたし、指先も平温に戻った。むしろちょっと冷えている。見た目はまったく普通だと、思う。主観だから、他人から見たら違うのかもしれないけど。
何分が経ったのか、あるいは何十分が経ったのか、秒針の音を数えていないからわからなかった。数えていてもわからなかったと思う。
はっと気がつくと、庭に続く大きな窓からは夕陽が射し込んでいた。やばい、完全にリゾットを放置していた。
恋だの愛だのは放り投げて、私は階段を急ぎ足で上った。病人をほっぽり出してセンチメンタルに耽っているなんて有り得ん。
そーっと扉を開ける。リゾットはまだ静かに寝ていた。扉を閉めて、忍び足で近づいた。
こちらを向いて横になっていたリゾットの額からはすっかりぬるくなっているだろう濡れタオルが落ちていた。
「(また冷やしてくるか)」
それを取り上げようと手を伸ばす。
「……っ!?」
ひゅっと喉が鳴って息が止まった。リゾットの手が私の手首を一瞬にして捕まえていた。あっ体温が元に戻ってきた、とノンキに考える一方、もしかして侵入者と間違えられてこのまま問答無用メタリカで殺されるんだろうかと戦慄。それは困る。めっちゃ死にたくない。私が味方だとどう伝えるべきか混乱した頭は導き出さなくて、代わりにリゾットが口を開いた。目は開いていなかった。
「ポルポ、……どこへ行っていたんだ……?」
「え、どこって、……リビング……?」
なんか用事頼まれてたっけ、と回想する。いや特に何も言われていないはずだ。
戸惑いながら答えると、リゾットはだるそうに息を落として言った。
「長い」
ぶわああと全身の毛穴が開いたんじゃねえのかと錯覚するくらい、全身が熱くなって、一秒もせず寒くなった。これ冷や汗。
「……ええっと……起きて……たのかな……?」
腰がひけてる私。逃げたい。答えによっては振り切って逃げたい。けれど、私の手を捕まえているリゾットの手には、病人とは思えない力が込められていて、逃げるどころか振りほどくこともできそうにない。ためしにひっぱってみたら、反対に引き寄せられた。おおう、お怒りか。いつも通り気楽に脳みそを動かしながら、心のどこかでやべえ接触嬉しいな、って呟いている自分は無視。無視だってば。うわああやめろ26歳だぞ!26歳で初恋はつらい!人の倍の年数の記憶がある身としては非常に痛々しい!
「寝ては、いた。……寝ててもお前の気配くらいはわかる」
「あ、さいですか。どんな感覚してんだ……?全員そうなのかな……」
チートもいいところだ。寝ててもわかる気配とは。私の存在感ってそんなにあるかな。おっぱい?おっぱいの質量で感知?リゾットに限ってそれはないか。ホルマジオはありそう。
「……なんか欲しいものある?」
「……」
目を開けないところから察するに、やっぱりまだ頭が痛かったり、だるかったりするのだろう。
濡れタオルをスツールに置いて、リゾットの額に手を当てた。熱は下がってきている。あの薬に解熱作用でもあったのかな。
たっぷり間を置いて、リゾットがかすれた声を出した。
「いらない」
「あ、そう……。じゃあタオル冷やしてくるからちょっと離してほしい」
「……なぜ?」
いや、なぜってあんた。
「タオル、冷やす、熱、下げる」
「必要ない、……もう下がった」
「じゃあ、ぬるめの飲み物でも淹れようか?おいしくないかもしれないけど胃にはやさしいよ」
ポカリがあるととても便利なんだけど。ポカリをお湯で割るお湯割り。平常時に飲むとおいしくないけど、運動したあととかお風呂上がりに飲むとうまいんだこれが。
「いらない」
どうしろと。
「んじゃあ、リンゴでもすりおろそうか?」
「……いい。ポルポ、……少し黙れ」
「あ、はいすいません」
なんで怒られてるんだ私。しんどいのか、言葉に配慮する余裕がないらしい。いいよ全然、むしろもっと詰ってくれていいよ。どうしようそのうちそれを喜びと感じ始めたら、私ビアンカのこともう異星人と思えない。
「座って、……」
「……」
ぐいぐいと場所に手を持っていかれたので、黙ったままベッドに腰を下ろした。リゾットはこれ、狭くないのか?壁のほうにはまだスペースがそれなりの余裕分空いているけど、リゾットこっちに寄ってるぞ。
「そのまま、ここにいてくれ」
「……お、おう」
う、うわあだからリゾット、私の胸を締め付けてくるのはやめてくれ。無自覚でやってんの?風邪ひいて人恋しくなったの?なんにしても嬉しくなってしまったし、気持ちも浮上したよ。私単純すぎる。
拘束が緩まったので、私は手を抜き取って、リゾットの手を自然な位置に戻した。
せっかくここにいるのだし、ちょっとくらい調子に乗っても、大目に見てもらえるかな。
本能と打算がいりまじって、私はその手の上に自分の手を乗っけた。リゾットは私の手を握った。
気持ちの整理はつかないし、どっちかっていうと進む先には回収日が月水金のゴミ収集車が待ち構えているだけだけど、それでもいいから、早く元気になってくれないかなあ、と寝顔を眺めた。