19 合計12億円の行方


一般の銀行でこんな巨大な額を扱うのはかなり目立つので、一定以上の収入のある組織の構成員には特別な口座が与えられる。私の持っているこの通帳は、その口座の内のひとつのものだ。今、ちょうど通帳記入を済ませた。
「……貯まった」
いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、じゅうまん、ひゃくまん、いっせんまん、いちおく。
ゼロを8個数えて、頭には6がつく。飛び込んできた特別収入などをすべてつぎ込んだ結果、ブチャラティ貯金計画は1999年をもって完遂された。あとはこれを物理的な財宝に換えてブチャラティに渡すだけだ。さて、いったいどんなきらびやかなものと交換しようか。
便利なスタンドを持っているホルマジオを呼び出して、私は片っ端から金品を買いあさった。どんだけ散財してんだよと呆れられたが、貨幣価値は変わるかもしれないから札束では残せない。もっともこの2年の間に変わるとは思えないが、次代は実物資産、金だ!Au!Au!
ビー玉サイズの輝かしいそれらを大きめのトランクに全部詰めて、私はホルマジオにハグをした。あんたのおかげだよ。そのスタンドはすばらしいよ。ちなみにこれいつ解除したらいいんだ?と訊かれたので、連絡するわ、と適当にうなずいた。マジかよ発動し続けんの疲れんだけどよォ。ごめんね、今度おいしいもの持ってくからさ。しゃーねーなァー。
何度目かになる生しゃーねーなーをいただいた私は、さっそくそのトランクを持って、ホテルの一室にブチャラティだけを呼んだ。

絶対ひとりで来てね、絶対だぞ、と、ある界隈では明らかすぎるフラグである念押しを何度もして、私はシェードを下ろした大きい窓からわずかに差し込む陽を浴びながら紅茶を飲んでいた。イタリアのコーヒーは濃すぎる。エスプレッソ、なんだあのすっぱくて苦い液体は。私はラテかジュースか紅茶しか飲めない。家ではハーブティや緑茶を楽しんでいる、イタリアに染まり切れないイタリア人だ。
ブチャラティは時間きっかりにやってきた。この業界、早すぎても遅すぎても悪いことがある時があるので、この時間を読む能力は必須ともいえる。ほら、分刻みでスケジュールを動かしている悪い人とかいるし。
私はブチャラティに椅子を勧めて、ポットから紅茶を注いだ。どうぞどうぞと差し出すと、礼を言ってからそれに口をつけたブチャラティは、ひと口飲んでからカップをソーサーに置いた。それを見た私は、あのね、と口火を切る。
「ブチャラティに頼みたいことがあるのよ」
「なんだろうか?」
私は、向かい合う私とブチャラティの、その隣、私を12時とするなら3時の位置に置いてあるトランクを指さした。
「この中にね、私の財産が入ってるのよ。まあザッと、6億相当」
「……多いな」
「そうね、ちょっと貯めるのに苦労したかも。でも、これがごっそり手元からなくなっても私は困らないわ」
ブチャラティは瞬間硬直して、すぐに持ち直した。おそらく、その額の大きさに驚いて、それ相当の財産が入っているにしては小さすぎるトランクに驚いて、何か誰かのスタンド能力だろうと思い至ったのだろう。
「これをね、ブチャラティ。君に隠してほしいのよ。そうね、ブチャラティ以外、誰にもわからない場所に」
私からの指令を飲みこんだブチャラティは、真剣なまなざしでトランクを見た。それから私に顔を向けて、静かな口調で問いかける。
「質問を許してもらえるだろうか?」
「もちろん、どうぞ」
どんな質問でもどんと来い。私が軽く頭を動かすと、ブチャラティはまずひとつめに、とテーブルの上で指をくんだ。
「この中身は誰かに狙われているのだろうか?」
「いいえ。誰にも狙われていないし、たぶん、私以外の誰も存在を知らないわね」
「では、銀行に預けておけない理由があるということだろうか」
「んー……うーん、そうね、預けておけない理由があるわね」
組織の口座はすべて私の名義だから、私以外の誰も引き出せない。そして引き出す人間がいなくなった口座の預金は、すべてボスが懐に抱えてウッハウッハ。そんなの正直、ふざけんなって話だ。
ブチャラティが、さらに続けた。
「俺がその理由を訊ねたら、ポルポは答えてくれるか?」
「ん?うん、別に隠すようなことじゃないから」
簡単な理由だ。そう、誰に隠すこともない。これほど大きな金額を動かすことはないにしても、きっとある程度の財産を持つ人間ならだれしもがやっていること。
「私が死んだ時に、君たちに使ってもらうためだよ。要するに遺産だね」
「……」
答えると、ブチャラティはわずかに俯いた。髪の毛がさらりと流れて影をつくる。くまれた指に力が入って、指先がすこし白くなった。
驚くようなことではないし、ブチャラティも予想はしていたと思う。私は'ポルポ'のように刑務所の中で安全に過ごしているわけではないので、いつ命の危険にさらされるかわからない。むしろ、私の財を思えば、この対応は遅いくらいだ。ちなみに、不公平にならないようにちゃんとリゾット貯金も用意してある。これは余談。
「こんだけあれば、善良な幹部、そうだね、ペリーコロちゃんとかに全額支払ってブチャラティが私の後の幹部になることもできるし、護衛チームの全員で分けて生活費にしてもいい。私とブチャラティしか存在を知らないお金だから、私が死んだあとはブチャラティが好きに使ってくれて構わないんだ」
「……ポルポはずっと、このことを考えてきたのか?」
「うん。そうだね。私は早死にするタイプだから。2年後に生きているか、……私にもわからんし」
「……縁起でもない話は、……やめてほしい」
「ごめん」
キーは2年後なんだよなあ。2年後の3月。うーん、生き延びられたら笑い話にしよう。というかこの場合、どういう流れでジョルノに会って、どういう流れで殺されるのかがわからん。死にそうになってから考えよう。でもその時はビアンカが傍にいたらだめだな。目の前で私が死んだら、手あたり次第攻撃しまくって主人公をぱっくんちょしてしまう可能性が大きすぎる。レクイエムでもないゴールドエクスペリエンスにはあのぱっくんちょを防ぐ手立てはないだろう。
「……いつまでに隠せば?」
「早い方がいいかも。中身はぶちまけて、トランクは廃棄してね。終わったら連絡をちょうだい」
「わかった。……確かに、引き受けた」
立ち上がったブチャラティは、私に静かに礼をした。それからトランクを取って、ひきずりもせずに歩き出す。結構重かったんだけどな。やっぱり鍛えている男は違うな。そんなことを考えて見送りの姿勢をとっていると、ふいにブチャラティが立ち止まった。
「ポルポ。……まさか病気を患っているわけではないよな?」
「お?おう、腕以外は健康だよ」
「そうか」
ブチャラティは頷いた。それから、振り返ることなく、少し怒ったような口調で言った。
「フーゴの結婚式に出席して、祝辞を読むのが夢だと言っていただろう」
「……」
うん、確かに言ったわ。でもそれ、二重の意味で叶いそうにないんだが。もし私が生きてたとしてもフーゴ結婚できるのか?有望株だけど問題も多すぎる気がするよ。
「そうだね。……ブチャラティの結婚式にも出ないとね」
ブチャラティはどんな人と結婚するのかな。白いタキシードを着て、チャペルの、赤い絨毯の先で待つブチャラティはとてもきれいなのだろう。そしてその隣に立つ誰かも、きっと。
うん、死ねないね。
「そん時まで頑張るわ」
想像して、笑って、答えると、ブチャラティは俯いたのか頷いたのかわからない動きをして、ぎゅっとトランクの持ち手を握り直した。扉の前で一礼してすばやく出て行ったその表情は、私からはうまく見えなかった。



0.5 余談:リゾット貯金のゆくえ


「リゾットちゃん!」
ばーん、とドアを開け放って、自室の机に向かっていたリゾットに後ろから抱きつくと、ギッと回転する椅子の背もたれが短く悲鳴を上げた。リゾットは無言だった。廊下に入った時から、あるいは鍵のかかっていないドアを開けた時から私の存在には気づいていたらしく、驚いた様子もない。ちょっとつまらん。が、別にそれは本題ではないのでサラッと流す。
私はリゾットから離れて、廊下に置いておいたトランクをひきずった。椅子ごとこちらを向いていたリゾットの前に押し出して、はい、と手を離す。
「これ、どっかに隠しといて!」
「……それは仕事か?」
「そう!重要な任務だわよ。リゾットちゃん以外に絶対にばれない場所によろしくね。トランクからは必ず出して隠すことが条件。期限は特にないけど、早めにやってもらわないとホルマジオがストレスで倒れるかも……」
「あいつのスタンドを?」
「うん」
頷くと、リゾットは立ち上がってトランクに手をかけた。中身を確認してもいいかと訊ねられたので、もちろんどうぞと差し出した。どうせトランクから出してばらしてもらうのだから、いつ見たって変わらない。
開いたふたの隙間からこぼれんばかりのキンキラキン。部屋の明かりを反射してつやりと輝いた小さくなった金塊と宝石たち。その中からぽろりとひとつこぼれ落ちたプラチナとルビーとあとなんかよくわからん宝石で細工の施された細身のネックレスが、おもちゃみたいなサイズでリゾットの手に収まった。一通り確認したリゾットが、きちんと元通りふたを閉める。
「よろしくね。このお金はリゾットたちのものだから、誰にも盗まれないように気をつけてね」
「……俺たちのもの?」
「そう」
床に膝をついていたリゾットがすっくと立ち上がってビビる。背高いんだよ。みんな大体そうだけど、黒い服でそれをやられるとビビる。ところでこんな季節でも前開けたまんまなのな。寒くないのか。ぺたりと手を伸ばして腹筋に触るとほんのり冷たかった。寒いんじゃねえのか?
「寒くないの?」
「……特に感じないな」
「へえ。筋肉あるからかな」
ぺたぺた触っていると、胸のところでやんわり離された。なんだ乳首が大事なのか。そりゃ気持ちはわかるけど、露出してる乳首はもはや公共のものだよ。メローネにもそのあたりのことはそのうち言わないといけないなって思ってるけど、悪いオッサンとかにつかまっちゃうから気をつけないとダメだよ。まあ3秒後にはオッサンが口からカミソリ吐いてるだろうけど。
「どういうことか、説明してもらえるか?」
「ひと言で言うと遺産だね。生前に分与しておかないと、口座凍結させられて全部ボスんとこ行っちゃうからさ」
「ホルマジオはそのことを?」
「何も言ってないけど、察しはついてるんじゃないのかな?あいつ勘鋭いし」
ホルマジオに内緒でドイツから取り寄せたビールを開けようとしたらものすごい勢いで食いつかれたし全部飲まれたからな。荷物の一番下に入れて隠していたのに、なんでわかったんだろう。私はそれを野生の勘だとにらんでいる。
「俺がこれを預かる期間は?」
「期間も何もないかなあ。でも、私が死ぬまでは手をつけないでね。あは、リゾットはそんなことしないって知ってるけど、一応言っとく」
隠し場所とか、ちょう困るんじゃないだろうか。ブチャラティみたいに便利なスタンドがあるわけじゃないし。でもまあ、護チと暗チのどちらにもバランスよくやっておきたいので、ブチャラティだけに預けるわけにはいかないのだ。
「プロシュートには言わないでね、怒られるから。遺産とか、きらいそうじゃん」
うっかり死をにおわせる発言をするだけでげんこつが降ってくるあんなプロシュートじゃポイズン。肩をすくめて笑う。
「幹部の座はあげられないけど、私がうっかり先に死んじゃったら、それ持って好きに生きて。……その時は、最後まで面倒みられなくてごめんね」
まじで2年後がネック。ジョルノって名前がトラウマになって、ボンジョルノ!すら言えなくなるんじゃねえかってくらいネック。
大人の事情でそのあたりを覆い隠して、リゾットの手を握る。置いて死にたくはないけど、どうしようもならなかったら、ごめん。
「ないとは思うが一応訊く。なにか病気にかかっているわけではないんだな?」
「お、おう。ないよ。恋という病気にはかかっているかもしれないけど……?」
「……」
「冗談だよ!恋してる暇がないよ!!」
めっちゃ目が怖かった。ビビりあがった。焦って否定したら戻った。そうだね、今のは冗談を言う空気じゃなかったよね。
リゾットはそうか、と頷いて、トランクを見た。
「今週中になんとかしよう」
「うん、よろしく」

どんな方法で隠すのかは予想もつかないけど、なんつー頼もしい返事なんだ。謎の説得力にひたすら感心して、気づいたら夕ご飯食べてた。リゾットマジック。