18 髪を切ってもらう話



肩甲骨あたりまで伸びてぶわぶわ風に舞っていた髪の毛は、血で汚れたとか治療の時にシャツを切ろうとしてひっかけて切ってしまいましたとか(ギャングアバウト!)で、今は肩につくくらいの位置をふわふわしている。しかし、どうにも不安定な長さだ。美容院で整えたわけではないのでどこかざんばらだし、正直に言うとみっともない。気づいてしまうと気になって仕方がなかった。なので私はもう少し切りそろえることにした。ハサミを持って鏡の前に立つ。
「……やっぱこれダメだな切れねえ」
問題なのは後ろの髪なのに、合わせ鏡にして背後を確認しながら切るのは至難のわざだった。自分ではできそうにないし、ビアンカに任せるとたぶん切り落とした髪の毛を一本残らず自宅に持ち帰って匂いを吸い込むか、枕の中に仕込むか、あるいはとても言えない下ネタなことに使うかもしれない。まさかねハハハと笑い飛ばせない何かがそこにはあるので、彼女以外の誰かに頼むことにした。
まず思い浮かんだのはイルーゾォだった。几帳面そうだし、あのオシャレヘアーを毎日整えているくらいだから髪の毛には何かこだわりを持っているのではないかと思ったのだ。聞いてみたら、「他人の髪なんて触ったことねえしコエエからやだよ」と言われた。残念。
次にソルベとジェラートの、意外と言えば意外、そして予想通りと言えば予想通りの女子力の高さに目をつけた私は、ソルジェラの部屋を訪ねてみた。髪の毛を切るの得意?と訊ねた私に、ふたりはにっこり笑ってうなずいた。俺たちはお互いの髪を切ってヘアスタイルを整え合っているんだぜ。お揃いにしてやるよ、と冗談には聞こえない顔で言われたので、こちらの方から丁重に断った。ごめん、聞いておいて何だけどちょっと美意識のずれを感じる。ふたりは爆笑していた。
メローネは器用そうだけど自分とお揃いにしてきそうなので却下。ギアッチョに頼んでブチ切れられて取り返しのつかないことになったら目も当てられない。ホルマジオは剃るしか知らなそう。ペッシに頼んだら緊張しすぎた彼が泡を吹いて倒れてしまいそうだ。プロシュートは女性とのデートに忙しそうに見えたのでそっとしておくことにした。
ではリゾットは、と彼の部屋の扉を叩こうとして、思い直してやめた。メタリカで私の身体からハサミ取り出されて切り始められたら死ぬ。そんなことをしないとは判っているものの、紙面の中でドッピオちゃんの喉からハサミを生み出すリゾットたんの姿が衝撃的すぎた。あれ怖い。
ということで、今私はブチャラティの前に座っている。

しゃきん、しゃきん、と軽い音を立ててハサミが閉じられるたび、はらりと床に髪が落ちる。俺でいいのか?とブチャラティは少し驚いたように、差し出したハサミを見つめていたが、よく考えればブチャラティ以上の適任はいない。きっちりしているし、情緒不安定じゃないし、むしろメンタルが強い。それに毎朝髪の毛を編みこむくらいだから、手先も器用だろう。ブチャラティしかいないんだよ、と頼み込むと、彼は苦笑して散髪の準備を整えてくれた。私が持参した要らない新聞紙を床に引いて、その上に椅子を置いて座った。他人に後ろから髪の毛を持ち上げられるなんて機会はなかなかないので、鏡で自分の姿を見られないこともあってふるりと震えたが、ハサミを持つのが誰あろうブチャラティだと考えると落ち着いた。天然なのかすっとぼけているのかわからないくらい可愛いオトボケを見せる青年ではあるが、その実力と大人っぽさは折り紙付きだ。たぶん6歳年上の私よりも大人。

「ポルポの他の部下は、そんなに不器用な人間が多いのか?」
「ん?なんで?」
反射的にブチャラティの方を向こうとして、ハサミとは反対の手で後ろから顔を軽くおさえられた。はい、静かにしてます。
私が真正面に顔を戻すと、ブチャラティは櫛で髪を梳きながら言った。
「他の奴らには無理そうだ、と言っていたから」
そういえば、頼み込むときにそんなことを口にしたかもしれない。私は手に落ちてきた髪をつまんで、そうだね、と同意した。
「不器用って言うか、アクが強いから、どうなるかわからないなと思って。でもその点、ブチャラティは落ち着いてるし、器用そうだし、安心でしょう?」
「そうだろうか?」
そうなんだよ。ふしぎそうにちょっと首をかしげていそうな声音で、ブチャラティは呟いた。しゃきん。またひとふさ落ちる。
「確かにフーゴやナランチャには無理そうだが」
「そう。そんな感じ。アバッキオも、人の世話とか嫌いそうだし」
「ははは」
チームリーダーは、自然と貫禄が身についたり、落ち着いたりするのだろうか。リゾットもブチャラティもめったに動揺しないし、言葉もどこか淡々としていて静かだ。他の人たちが大きく動いているから、よけいにそう見えるのかもしれない。
「……」
少し短くなった横の髪をすくうように少し持ち上げられる。するりとその指が前に流れて、髪の毛は肩の上に跳ねた。かすめたブチャラティの指が、不意に私の頬をくすぐった。すぐに離れて、笑ったような吐息が落ちる。
「もうちょっと短く切りそろえたら、俺とお揃いだな」
「マジでか。きょうだいみたいだね」
「……そうだな、……きょうだいみたいだ」
ブチャラティは笑って、一歩後ろに下がって眺めて、私の前に回って眺めて、うん、と頷いた。
「さっきよりはいいと思うが、今鏡を持って来よう」
「ありがとう、ブチャラティお兄ちゃん」
「……」
冗談めかして笑いかけると、ちょっと変な顔をして、ブチャラティは私の横の髪を耳にかけた。くすぐってえ。
「ポルポの方が年上じゃないか?」
「うっ……そうだね、6歳もね。じゃあおねえちゃんって呼んでいいよ」
それを言われると心の色んなところが痛い。年上ね。そうね、私のが年上なんだよね。わかるわかる。うん。知ってる。知ってた。うん。
すたすたとブチャラティが鏡を取りにいってしまったので、私は切り落とされた髪の毛を眺めた。それほど多くないと思ったけど、ちらばる死んだ細胞は予想よりも多かった。髪の毛の量は多い方なのかもしれない。少ないよりはいいだろう。おばあちゃんになっても、ちゃんと残っていてくれるといいんだけど。
ぎしりと床を軋ませて、ブチャラティが戻ってきた。振り返ると、手に折り畳み式の三面鏡を持っていた。
「ありがと、ブローノ」
「どういたしまして、ねえさん」
なかなか素敵な髪形になっていた。短いのにはまだ慣れないけれど、いつか前と同じように馴染むだろう。また伸びて、元通りになるころに、私はちゃんと生きているだろうか。心配になる。
鏡を動かして、私の後ろに立っているブチャラティの顔をうつした。座ったままの私のつむじらへんを見ているブチャラティは、なんだか寂しそうな顔をしていた。寂しそう、とはもしかしたらちょっと違うかもしれない。言葉にするなら憧憬、だろうか。遠くに行ってしまう何かを追いかけたいけど難しい、そんな顔だ。別れた彼女の髪の毛を切った思い出とかそういうのがあったんだろうか。もしそうならごめん。
「ブチャラティさ、今度このお礼に何かさせてよ。何がいいかな?」
なんだか見ていてこっちまで寂しくなってきたので、気を逸らせるように話しかけた。
ブチャラティは顎に手を寄せて考えて、それから私のふわふわのたくっている髪の毛を両手でやわらかく持ち上げた。指先が首にかすってくすぐったかった。
「また切りたくなったら、俺の所に来てくれ」
あ、いいんだ?ありがとう。ってちょっと待とう。
「……ん?うん、……うん?それってお礼か?私が得するだけじゃね?」
「気にしなくていい」
「あ、……あ、そう。ありがとう。じゃあその時はよろしくね」
ひとの髪の毛を切る楽しみに目覚めたのだろうか。引退後は床屋か?奇しくも君の師匠のブラスコと一緒だね。でも似合いそう。私そこ通い詰めるわ。
私から鏡を受け取ったブチャラティにハグを送ると、ブチャラティはスタンドに鏡を預けて(なんつー裏技)、両手で抱き返してくれた。うん、体温高くて気持ちよかった。