17 戻って来た10人目


鍵が閉まっていていたので開けた。今では後悔している。
ドアを開けて廊下を進んで右手を挙げて、お邪魔しまーす、みんな元気だった?
ただそれだけのいつもの挨拶のつもりだったのだが、部屋がしんと静まった。
「え、……あの、……みんな?」
9人の視線が集まって、穴が開きそうだ。お土産買ってきたんだけど、と右手に持っていた紙袋を一番近くにいたペッシに差し出したら、ペッシの目に大粒の涙が浮かんだ。待って泣かないで君を泣かせたらプロシュートに殴られちゃうよ。
「どうしたのペッシちゃん、おねえさんがいなくって寂しかったの?」
ペッシは喉をひきつらせて嗚咽を漏らした。お土産を持っているので頭を撫でることができない。
「ポ、ポ、ポルポなんだね……本当にポルポなんだね……!」
「そうだよ!おっぱいも本物だよ!」
「本当にポルポだ!!」
おっぱいで判断してんのか?
胸を張ると、ペッシが両手で顔を覆って泣きだした。女の子みたいな泣き方なんだね、とてもかわいいと思う。
「とりあえずお土産、はい、プロシュート。ちゃんとプロシュートのは甘くないやつにしたから」
「……」
ペッシの隣で煙草を吸っていたプロシュートに紙袋を差し出す。このイケメンが煙草を吸っているところは久しぶりに見た気がする。匂いがつくから、頑張って禁煙してたんだとばかり思っていたけど、そうではなかったらしい。プロシュートは無言で私の頭をひっぱたいて、それから紙袋を受け取った。イテエ。
ところで一番に飛びかかってくると思って構えていたのに、メローネが立ち上がったまま動かない件について。ねじまき式になったのかな。あるいは私がいなかったことで変態成分が抜けて綺麗なメローネになったとかね。
ホルマジオとイルーゾォは相変わらず並んでいるし、ソルベとジェラートはお互いひっしり抱き合っている。なんで今抱き合ってんのかわかんなくて二回見てしまった。
メローネが目を見開いたまま動かなかったので、私のほうから近づいた。軽く見上げると、硬直したまま、ポルポ、と私の名前を呼んだ。
「そうだよ、待たせたね。さ、おいで!」
右手を広げると、ふらふらと動いたメローネは、私の首にしっかりと腕を回した。後頭部を手で押さえられて、メローネの肩に顔を押し付けられる。苦しいです。
ようやく呼吸を取り戻したように、時々引きつりながら深く息を吸い込んだメローネは、そのままたっぷり一分間、私から離れなかった。右手で、相変わらず薄すぎるてらてらな服の上から背中を撫でて何度も名前を呼んでいると、名残惜しそうに離れて、見つめ合って、それから流れるような動きでメローネの唇が私の唇に近づいた。
「そこまでは許可してないってーの。何度でも言うけど、私は、初めては好きな人とやりたいの!」
「……やっぱりポルポだ」
右手のひらでガードすると、口を手のひらで押さえられたままメローネがふんにゃり笑った。そのまま手を押さえられて、チュ、とキスが落ちる。お、おう。ありがとう。でも私の手に頬ずりするのはやめてくれ。

メローネの手から手を抜き取って、ぽんぽんと頭を撫でてから、ソファから立ち上がった姿勢のままこちらを見ていたギアッチョに向かった。首に腕を回して抱きしめる。
「ギアッチョのポカン顔が可愛くて宇宙がやばい!」
「はあ!?調子に乗ってんじゃねーよッだれがポカンとしてたっつーんだ、あ!?してねえよ!」
「してたじゃん!ねえホルマジオ、してたよね?!」
「あー……オメーしか見てなかったからわかんねえ」
「どんな告白だよ」
まさかのホルマジオから飛び出るイケメン台詞。お前しか見てなかったとか言われてみてえよ。あ、今言われたか。そうじゃねえんだ。
「離れろッ!同い年だからってメローネとおんなじ扱いしてんじゃねーぞッ!!」
「うおッ、すまん」
抱き締められながら文句をぎゃあぎゃあ叫んでいたギアッチョが、とうとう私を振り払った。座っていたホルマジオが、ふらついた私の尻を支える。小さくなったか?って言って揉まれたんだけど、揉むな。痩せて小さくなったけど、揉むな。
ありがとうイルーゾォ。ソファの背もたれの後ろから、イルーゾォがホルマジオの頭をすっぱたいてくれた。
「おいおいポルポよー……なんか俺たちに言うことはねェのか、あァ?」
「言うこと?……えー……あー……あ、仕事増やしてごめんね。私の仕事が割り振られてたって聞いたけど」
「それはリゾットが全部やってた」
「マジでか!?あれを!?リゾットさんすみませんでした!!」
振り返って全力で頭を下げたら、それは構わない、とお優しい言葉をいただけた。さすが26歳ともなると落ち着いている。私はあと2年であの域に達することができるのだろうか。できなさそうだ。
ホルマジオは立ち上がって、一歩後ずさった私の後頭部に手を当てると、力強く自分に押し付けた。ぎゅう、と片腕で抱きしめられて、私のまつ毛がホルマジオの身体に引っかかる。
耳元で、こらえるような、低い声がした。
「何日ぶりだと思ってんだよ」
「……えっと……」
「数えんな。……連絡もつかなくてよォ、あの女は使いものにならねーし、俺たちは他ンとことは違ェーから、誰にも何にも聞くことはできねー……なァ、ポルポ、どんだけ心配したと思ってんだよ?」
暗殺チームと組織をつないでいるのは私だ。私というパイプがなければ、彼らは本島から離れた離島で、どうすることもできない。私からも連絡がなく、ビアンカという細い糸をたぐって、私が入院しているという話を聞いて、初めて上司の負傷を知ったホルマジオたちはどう思っただろう。
私は目を閉じた。私が彼らを大切に思うように、彼らもまた、そうなのだと、今ばっかりは自信を持って、その気持ちを受け止められる。
「そうだね。……ごめんね、ホルマジオ」
ホルマジオの腕に触れて、顔を離す。
「心配かけたね」
「……ったりめーだろうが。遅ェんだよ」
ぐらぐらと頭を撫でられた。勢いが強すぎて目が回る。私が笑っていると、そっと顔が下りてきて、触れるだけのキスが額に落とされた。
「で、そのキスマークはなんなんだ?」

「……え?」
ホルマジオが私の首筋を指で軽くつつく。プロシュートが煙草にむせた。格好良くない兄貴の姿を見たのは初めてで、思わず顔を輝かせていたらメローネがすっ飛んできてホルマジオの指を払った。ああああああっマジだああああと悲鳴が上がる。キスマークってなんだっけ。一瞬言葉が理解できなかった。キスマークがつくようなことをした覚えはないぞ。
「し、しかも、ふたつもあるぜ!?ポルポ、なんなんだよこれはあッ!?」
「え、ええー……?……あ」
眠っている時のことはわからないけど、そういえば目覚めた時にビアンカが左首にちゅうちゅう吸い付いてきたな。よだれでべとべとになった時だ。
「ビアンカかも」
「あの雌猫かよ……ッ」
今殺意滲まなかったか。落ち着け。キスマークにはビビったけど、寝こみを襲ってくるはずのビアンカは私が寝ている間生きるしかばねだったし、それ以上は別に何もないよ。
キスマークをつけられたのは人生で初めてなのですが、いったいどんな形になっているのか、私、気になります!うっ血痕が花びらって表現される通りなのだろうか。
ギアッチョにも乱暴に確認されて、ケッと吐き捨てられた。そうだよね、心配してた相手がキスマークくっつけて帰ってきたら吐き捨てたくもなるわ。苦笑しているイルーゾォが癒しだ。
「ポルポ、お前いつ退院したんだ?」
目が合ったからか、イルーゾォが質問してきた。
「三日前だよ。さすがにふらふらだったから、今日までの間に体調整えたんだ。今はもう元気。ごはんも普通に食べられるしね」
「どうりで誰も気づかねえはずだ。最後の見舞いは五日前だったからなあ」
お見舞い、と言ったか。暗殺チームが私のお見舞いに来ていたの?
「うん。全員で行くと目立つから、日をばらつかせてひとりずつね」
メローネが答えてくれた。彼らのような格好をしていたら、ひとりずつであっても目立つのでは。
上司が負傷したからと言って危険を冒して公共の場に姿を現すような性格じゃないと思っていたけど、私、もしかするとかなり愛されているのでは。
「普通の格好だよね?」
「ギアッチョとプロシュートとソルベとジェラートはいつも通りじゃなかったっけ?」
「俺の格好はいつもフツーだからだよ!オメーとは違ぇんだよメローネ!」
「俺もフツーなのに」
今のはギアッチョが正しいと思うよ。
かみついたギアッチョに、メローネが自分の服の胸元をくつろげた。乳首見えちゃうよと言うと、ポルポになら見せてもいいよ、とにっこり笑われた。私だけじゃなくて全員に御開帳されてしまうと思うんだがね。
「リゾットちゃんも普通の格好して来てくれたの?」
「あぁ」
見逃してしまった、非常にもったいない。何を着てきたんだろう。ポロシャツと半ズボンだったらお腹抱えて死ぬ。でももう秋だし、リゾットちゃんは疲れた管理職みたいに見えるし、無難にスーツっぽいスラックスとシャツとかかな。もう一度着てくれないかなあ。
リゾットが自分の黒コートを"普通"じゃない格好だと自覚していると気づき損ねたのは幸運だった。笑ってしまったら申し訳ないもんな。
「お見舞い、来てくれてありがとね。でもよくブッキングしなかったなあ」
「もう一個のチームの奴らも行ってたのか?」
プロシュートが灰皿に煙草を押し付けながら片眉を上げた。そうなんだよ。それもかなりの頻度で来てくれてたみたいなんだよね。
ブチャラティなんかは三日に一度は来て私の様子をこまめに確認してくれていたらしい。一週間くらいそれが続いたので、そのうちフーゴとナランチャと何度か顔を合わせたアバッキオも参加して、仕事の合間に私の寝顔を眺めに通院していたと説明されて顔から火が出るかと思った。ありがたいけどつらい。護衛チームに何をさせているんだ私は。
「俺たち、ポルポの病室から出てくる男を見たぜ?」
「え、そうなの?」
「うん。あっちは気づかなかったみたいだけどな。まだ若かったが、イルーゾォレベルに変なスーツ着てたなあ」
私のお見舞いに来てくれるスーツの男といえばブチャラティくらいしか思い浮かばない。
「ブチャラティかな」
「へー、あいつがあのブチャラティ」
ソルベとジェラートは納得するように頷いて、ホルマジオとイルーゾォがどんな奴だったのかと特徴を言及した。なんでソルベとジェラートはブチャラティのことを知っているんだろうか。私、話したことあったっけ。あ、そういえばブチャラティもリゾットのことを、酔っぱらった私からの電話で聞いたと言っていたし、もしかして酒の席でぽろりと零してしまったのかもしれない。今度からはひどく酔わないようにしよう、と心に決めた。管理職の機密保持がまったくできていない。
ギアッチョがソファに座った。私が頭をなでると、こちらを睨んだあと、下を向いてされるがまま、じっと黙っている。悪態をつきながら、心配してくれたのだろう。お見舞いに来て、そしてこうして愛撫を許してくれるほど。
「またご飯食べに行こうね」
私が言うと、ギアッチョは下を向いてずれた眼鏡を押し上げて、オウ、と呟いた。


部屋に入った時の、どこか静かで重苦しかった空気はなくなっている。ペッシとプロシュートが買い出しに出かけて、酒とつまみと簡単な食事が並べられてからは、軽い宴会のような盛り上がりを見せていた。
私は椅子に座って、もうすっかり慣れたガス入りの水を飲む。最初はなんてまずい水なんだと思ったけど、喉に引っかかって喋りやすくなるし、お腹も膨れた気分になるから、けっこう便利だ。なぜお酒を飲まないのかと言えば、血の巡りがよくなると腕が痛くなるからである。
左腕をだらりと下ろしたままテーブルにつくのもどうかと思ったので、一応テーブルの上には上げてあるものの、動かすのは右手だけだ。ご飯もうまく食べられそうになかったので、素手でつまめるナッツとかチョコレートとか素のままのグリッシーニとかだけを口にしている。
包帯の巻かれていない左手の指先と右手をつかって、キャンディのようにつつまれたチョコレートの包装をとってつまんでいると、隣の席で静かにお酒を飲んだりグリッシーニになんか塗ってたべたりしてたリゾットが、私の目の前にいくつか転がるチョコレートの包装紙を見て口を開いた。
「まだ食欲が戻らないのか?」
チョコレートかナッツかグリッシーニしか食べてないもんね。あと水だもんね。
「お腹は空いてるんだけど……。左手を主に使って生きてきたから、ご飯食べるのが大変でさ」
「動かすと痛むのか」
「そうなんだよ。こうしてじっとしている分には問題ないの、に―――あっあぁつおあぁぁぁおまっふざっあけんな!痛いっつってるだろ!!」
言葉の途中でリゾットが手を伸ばして私の左手首を掴んだ。それで充分痛いのに、振り払おうとしてしまってよけいに痛くなって涙が浮く。声が引っくり返ってしまったのは、もう私のせいじゃあない。
バランスを崩して椅子ごと倒れそうになったところを、腰を浮かせて私の肩をつかまえたリゾットに難なく戻された。心臓に悪いことはやめてほしい。
「すまん」
「次やったらなぐる……」
右手でガード。椅子の上をちょっとずれて距離を取る。
完全に守りの態勢に入って様子を見ていると、リゾットは私から視線を外してクラッカーを手に取った。私の好きなチーズをぺったりとのせる。私の方を見て、軽くそれを差し出した。
「……」
もしかして、私にくれるのだろうか。いいの?と目で訊ねたら頷かれたので、そろそろと右手を伸ばす。受け取ろうとしたらすっと避けられた。おい。
「食べていいんじゃないの?」
「食べていいぞ」
「……」
じゃあ食わせろよ。また差し出された。よもやとは思うが手ずから食べさせるとかそういうことじゃなかろうな。そりゃあ、右手使うのに慣れてないからおぼつかないけど。
私はクラッカーとリゾットを交互に見ながら右手で椅子をひっぱって、リゾットの方に近づいた。口の少し下の位置に持ち上げられたので、口を開けた。つっこまれた。食べた。
「……おいしい」
「そうか」
「リゾットちゃんが食べさせてくれたからかな?」
リゾットはもう一度、そうか、と頷いて、今度はフォークでお肉を一切れすくった。それも口元に運ばれて、肉のにおいにつられて反射的に口を開いた。素晴らしいタイミングで食べさせられる。口を閉じるとフォークが抜き取られた。肉うめえ。
もぐもぐ噛んで至福にひたって、閉じていた目をふと開けるとリゾットが次の食べ物を皿の上で待機させていた。いつまで続くんだこれ。
ぺろりと一皿ぶんのお肉を食べさせられて、グリッシーニを突っ込まれて(それは自分で食べられるんだが)、クラッカーをひと箱開けて、そろそろお腹も膨れてきたかな、と思ったら、珍しい味のカップアイスを取りだされたので別腹が発動した。
「そ、それ食べたい!」
「だろうなと思った」
「つうか、さっきからなんでリゾットに食わされてんだよテメーは」
クリームチーズを食べにソファからテーブルに戻ってきたプロシュートが呆れたようにため息をついた。アイスもリゾットがふたを開けてスプーンを差し込んですくって食べさせてくれている。そんなの、私が聞きたいよ。
「リゾットちゃんの優しさ?」
「俺が風邪ひいた時は部屋にも来ねェしドアに薬掛けてあっただけだったぞ」
「プロシュートって勝手に部屋に入ると怒りそうじゃん」
「怒んねえよ」
「ペッシちゃんに限っての話で、んッ?」
プロシュートの方を向いて話していたら、唇に冷たいものが触れた。見ると、アイスののったスプーンが。これで唇をつんとつつかれたらしい。口を開けるとスプーンを差し込まれた。給餌の反射行動かなにかか。
「……うめえか?」
「うん、おいしい。プロシュートもやってもらえば?」
「寒気がすること言うんじゃねえよ!」
全力で拒まれたリゾットが可哀そうすぎる。
ふと思い出したように、プロシュートがリゾットに顔を向けた。
「そういやあリゾット、昨日は悪かったな。すっかり忘れてたから助かったぜ」
「終わったのか?」
「あァ。明日の朝に直接渡す」
「ならいい。元々締め切りは定められていないものだし、ただ気になったから言っただけだ。ところで――」
急に仕事の話が始まってしまった。
あ、ちなみに私は昨日、仕事に復帰したぴょんメールをボスの捨てアド宛に送信した。退院したら教えてくれってメールが入っていたからね。たぶん、明日か明後日から書類がまた舞い込んでくるのではないだろうか。チームに振り分けられていた仕事も戻って、利き手が使えないのにきっと大忙しだ。汚い字になるけどごめんねって書いておいたから許してもらえるといいな。

暇だったので、リゾットの手からスプーンを借りた。リゾットの目がちらっとこっちを見てからすぐにプロシュートに戻る。
アイスをぎこちなくすくって、へたくそだったために、私がひと口で食べるにはちょっと多い量がすくえてしまった。溶かしながら食べるのは行儀が悪い。そういえばリゾットはひと口も食べていなかったなと思ったので、私は手を伸ばした。つん、とスプーンの先でリゾットの唇をつつく。
「あーん」
「……」
「……」
リゾットが私を見て、アイスを見て、無言で口を開いた。入れて、閉じられたので引きぬく。
「これおいしいよね?」
「……そうだな」
小さく頷かれた。やっぱうまいんだよ。このバニラの香り、最高。季節外れのアイスは趣があってよい。
「……んじゃ、そういうことだ。俺はあっち戻るわ」
疲れたように、プロシュートが立ち上がった。私を哀れそうに見て、クリームチーズをまるまる持って行ってしまった。
リゾットは私からスプーンを取り返して、またアイスを掘削し始めた。差し出される前に口を開けて待って、それから口に広がるアイスの甘さに幸せを感じた。アイスうめえ。アイスうめえ。大事なことなので二回言いました。
給餌行動はカップが空になるまで続いて、その間私たちは無言のまま向かい合ってのんびり時間を過ごしていた。時々ソルジェラが爆笑したり、イルーゾォが酒を噴いたりメローネのあああああああという声がきこえまくったりしたのだが、私はそっちに背中を向けていたのでよくわからん。