15 目覚めと


知らない天井だ。このネタ、二回目だったかな。
「私……生きてる……」
左手どうなった。あぁぁぁあんまりだあああ俺の腕がぁぁああって泣くのを忘れたのは失敗だった。あの時しか機会はなかったのに。ちくしょう逃した。
左手は動かそうとするととても痛かった。ふざっけんな何痛んでんだよ私の腕だろバカか。こみ上げた衝動のまま涙目で罵倒。
右手で顔に触れると、酸素マスクがあった。こんなのつけて寝てたの、私。危篤じゃないか。
コードA5が連絡されたから、ネアポリスの街は変わらず、あの時の出来事を忘れるか、なにかと勘違いするかして、平和に動いているだろう。
「ポル、ポ……」
水を飲もうと思って、右手でマスクをずらして、枕元の水差しに手を伸ばした時だった。がらがらとドアが開けられて、足音がふたりぶん近づいてきて、そして名前を呼ばれた。かすれた声だけど、ブチャラティじゃん。そんなにびっくりしてどうしたんだ。大丈夫か。あと隣に立ってるビアンカ大丈夫か。生きるしかばねみたいだよ。
「大丈夫?顔色悪いよ?」
水差しにさされたストローをくわえてちゅうちゅう水を飲んでから訊ねると、ブチャラティはすごくほっとした顔をした。
「ポルポこそ、……ッ、よく頑張ったな……」
「なんかそのセリフ、出産に立ち会ったパパみたいだよブチャラティ」
「そうか……」
聞いてないなこいつ。何を言っても相槌しか打たない。私の頭を抱きしめて動かないし。仕方ないので右手でブチャラティをなでなでしていると、ゆっくりと身体が離れた。
「……あの、そんな感動するほどヤバかったの?」
「そうだな。……あれから一ヵ月が経っているからな」
今何つった?
「……パ……パパパパパッパ、パードゥン!?」
「一ヵ月が経っているからな。今は10月だ、ポルポ」
ばかな……!一ヵ月も仕事を休んでいただと……。えっどうなってんの、私の仕事場どうなってんの。書類で埋もれてるか、あるいは幹部降格か!?サバスたんの任務全部ぶっちぎりじゃん。やばい。
私の顔色がさあああっと悪くなったのを見て、ブチャラティがそっと宥めてくれた。
「病院からボスに連絡が行っている。ボスからメールが届いた。ポルポは再びスタンドが使えるようになるまで休養、その間の仕事は我々チームに振り分けられている」
「え、……休養?んなアホな……あのボスがそんな生易し……あ、そうか……私のスタンドか」
サバスたんがいるからこそ、休養と言う措置になったわけか。私は何度目かわからない感謝をささげた。
「ビアンカのことは?」
私のベッドの足元に立っていながら、ビアンカはさっきからぴくりとも動かないし、言葉も発しない。息だけしている人形のようだ。私、何か命令間違えちゃったかな。人間らしく生活しろって付け加えなかったのがいけないの?かなりやせたみたいだし、髪の毛のつやもなくなってるよ。

それより心配なのは、彼女が処分されないか、ということだ。私のスタンドサバスたんとの相性がよすぎて掃除屋さんとして私の下に就いているものの、ボスはいざとなれば面倒な事態を起こしたビアンカなど簡単に始末できる。今のビアンカなら抵抗もしないだろうし。
何より嫌なのは、あの事態が私の不始末でもあることだ。見せしめとして、私にビアンカを殺させる――そんなずるいやりかたを押し付けることも、ボスならやりかねない。
「組織に貢献してきた年数の長さと、ポルポのスタンドの補佐をするのはやはり彼女のスタンドでなくてはならないと判断され、ボスからの特別な罰はなかったようだ。ただ、これはメールの文章をそのまま言うのだが」
「うん」
「"使いものにならないので、ポルポが目覚めてもなおこの状態が続くようなら処分を考える"……と」
「……ま、……ゆるいほうだわ、ボスにしてみれば。問答無用で、私もビアンカも殺されなかっただけ、運がよかったわね」
へらっと笑う。よかったよかった。
私の仕事は押し付けちゃったみたいだけど、当然チームのほうにも影響はないようだし、まあ、一ヵ月も不在を貫くというのはおかしいから、暗チの面々もなにか感じ取ってはいるのではないだろうか。うっかりボスへの叛逆を考えたりしないでほしいんだけど。1999年ももうすぐ終わるから、それまでソルベとジェラートにも、暗チ全員にも大人しくしていてほしい。今死亡フラグ折ってる途中だからさ。
「私の腕はどうなってんの?痛いんだけど」
ブチャラティは、スタンド使いの医師に聞かされたという話を私に説明した。へえ、包帯は巻けるけど、触ったり動かしたり水をかけたりすると痛むんだ。ダメじゃん。何もできないよ。しかもたぶんまあ2年くらいはこのままだろうって?時計がぐるぐる動いてそれで時間を計った?
なんで時計なのにそんな不確かなのかと訊ねたら、ブチャラティはひどく言いづらそうに顔をそらした。
「医師が……時計の針が一周する時間と、回り続けた時間からおおよその値を出したのだが、時計の針の周り方には緩急があって、その間のことはカウントされていないんだ。だから、あるいは今言った2年という期間よりも短いか、長いか、前後するかもしれないと」
手抜きか。自分のスタンドだろもっとなんとかしろよ。
文句を言いたかったが、まあ、2年という期間がおおよそ決められているのならいい。2年後というと、予定では私は死んでいるし。死ぬつもりはないが、それがひとつの分岐点になっていることは確かだ。ポルポとして生きるのはそこまで。あとは私の好きにさせてもらう。パッショーネに居続けるか、抜けるかも、私の自由に。
まあ、ジョルノがボスになるんだったらやりやすくなりそうだから、このまま金食い虫ならぬスタンド食い虫を続けたいんだけど、ジョルノって無駄に死体増やすの好きじゃなさそうだし、これ以上スタンド使いを生むこともよしとしなさそうだから、私のサバスたんはお役御免だろう。悪用を防ぐために殺さ―――やめよう。どっちにしても救いがないじゃないか。ジョルノがビッグパパになったら世界中どこに逃げても無駄無駄無駄WRYだね。

私はため息をついて、右腕をうーんと伸ばした。ひと月寝たままだったから身体が凝ってる。はっ、ムダ毛とかひどすぎるんじゃないだろうか。眉毛繋がってたら泣く。
そっと触ってみたところ、産毛も眉毛も問題なさそうだった。誰かが剃ってくれたとかだったら泣く。ブチャラティだったらもっと泣く。ごめん、女の一番見せたくない所を見せた。
「うし。じゃ、問題ないか。……ビアンカをここに連れて来てくれる?ごめんね、まだ点滴繋がってて動けないから」
動けない間の下の世話とか、そういうことは考えるのを止めよう。看護師さんごめんね。
……看護師さんだよね?スタンド使いでギャングの幹部だからって部下が……アホか!!"ポルポ"ならむしろご褒美ととらえるかもしれないけど私は無理だ。もしそうだったら本当にごめん死ぬほどごめん。
雑念をふりはらって、ビアンカの手を握る。届かなかったので、ブチャラティがビアンカの腕を押し出してくれたんだけど。
「ビアンカ。きこえる?もしもし、ビアンカちゃん?」
「ポルポの最後の命令がかなり強力な暗示になっているようで、誰が何をしても反応を示さない」
「暗示って……」
暗示になるような命令じゃなかったと思うんだけど。あ、でも、あの時は長くて三日くらいと楽観視していたからな。
ひと月の間、ずっとビアンカがあの命令だけを頭の中でぐるぐると復唱していたのなら、それは立派な暗示だ。どうやって解いたらええねん。
確か催眠術を解くためには、催眠を与える前にキーとなる衝撃を用意しておいて、それを与えると目覚める、ってな具合なんだっけ。私、ビアンカに何した?
こっち向かせて目を見て、いや、その前だ。命令する前、私がビアンカの視線を自分に向けるためにしたこと。
「ま……まさかね?」
右手を見下ろす。あの時は、焼きつくほど血まみれだった手のひら。ぬるつきまで再現しないといけないんだったら今は無理だけど。あと、キー行動がこれじゃなかったらビアンカ本当にごめん!
「ごめん、いくよっ!」
狙いを外さないよう、ビアンカを見たまま、私は右手を振り切った。

乾いた音が病室に響いて、ブチャラティが目を丸くする。
私は横にふらついたビアンカに手を伸ばして、名前を呼んだ。
「ビアンカ!私がわかる!?」
「……ポルポ……?」
め、目覚めた。マジで目覚めてくれた。ありがとう。これがダメだったら次はキスしかないなって思ってた。初キスを部下に捧げる上司。同性同士だって言うのが背徳的ですねってやかましい。
ビアンカはやつれた顔を私に向けて、その瞳が私の目をとらえた。たまごの殻にひびが入っていくように、ビアンカの表情が、動きが、ゆっくりと戻っていく。
「ビアンカ。お前のポルポだよ。待たせてごめんね」
右手を広げると、ビアンカが、転げるようにして私の首にかじりついた。涙がどんどんあふれて、言葉にならない嗚咽が私の病院着にすいこまれていく。首に直接涙がぽたりぽたりと落ちて、そこで私はようやく違和感を覚えた。あれ、髪の毛がさっきから邪魔じゃない。
ビアンカの背中を撫でながら、私は首をかしげる。そういえば、ビアンカの髪の毛も短くなっている。
「ポルポ、ぽるぽ、わたくしの、わたくしの、ポルポ……」
ビアンカの弱り切った声が耳朶を打って、そのまま耳のすぐ近くの首筋に、ちゅうっと吸い付かれた。ぞわぞわっと背中が泡立つ。
「ひっ、ちょっとまて、おまえなにやってんだ!今吸いついた!?恋人にもされたことないのに!?」
「んむ、……ポルポ、恋人なんていないでしょう?」
ビアンカが私の顔を覗き込んでいった。そりゃ、ひと月前と変わってるわけがない。
「いないけど……」
「なら、今だけはわたくしのものだわ……戻ってきてくれた、わたくしのために戻ってきてくれたポルポ……」
首筋にまた顔をうずめられて、ふうっと息を吹きかけられたりすんすん匂いをかがれたり。匂いはやめて、身体たぶん拭いてただけだから女としてアウトだ。あと喋るな吸いつくな。
「首んとこで喋んないでよ、う、やははっ」
背中をタップしても止まらなかったので、ブチャラティレスキューを呼んだ。的確に素早く引きはがしてもらえて、ものすごく助かる。ひいひいと息を整えてから左の首筋を右手で触ると、ものすごく濡れていた。
「舐めまわすのも、だめだからね……」
「いつものポルポ……わたくしにダメばかり言ういじわるなポルポですわ……」
恍惚とした表情で目元をこする彼女に、ブチャラティがそっとハンカチを差し出した。ビアンカはそのハンカチと、ブチャラティの顔と、私の顔を見て、私にどうするべきかと困ったように視線で訴えかけてきた。
「もらっときな。ブチャラティはいいひとだよ」
「……ポルポが言うなら……もらってあげます」
なんだそのつんつんしたお姫様みたいなセリフは。かわいいな。ブチャビア、今まで考えたことはなかったが、アリと言えばアリだ。



0.5

いくつか検査を受けて、腕以外に太鼓判を押された。経過を見たのちにすんなり退院できそうで何より。
病室に戻ると、扉を開けて入った瞬間胸にタックルを食らった。自動で閉まった扉に背中を打ち付けてうげっと呻く。腕に響いた。
「おいおいフーゴたん、さみしかったの?悪かったね、ご飯もあげないで放置しちゃってさ」
フーゴは、いつも抱き寄せるとつっぱねてきていたその手を私の背中に回して、点滴生活だったにもかかわらず衰えることのないファンタスティックボインに額を押し付けた。
「……す」
「え?なに?ポルポおねえさんだいすき?」
「あなたは馬鹿ですと言っているんですッ!!」
「うわビビった」
勢いよく顔が上げられて、まつげが光っていたので、泣いてんのか、と無神経に言ってしまった。フーゴは馬鹿じゃないですかっと顔を背ける。私が右手でフーゴの肩をやさしくたたいて、ゆっくり抱き締めると、フーゴはうつむいたまま私の鎖骨のあたりに額をぐりぐりと押し付けた。前より鎖骨出てるからイテエ。
「あなたは、ダメな飼い主ですよ」
フーゴは言った。泣いていそうな声だったけど、胸は濡れなかったので、泣いていないのだろう。
「拾った猫は、エサをやらないと、すぐ、宿を変えるんですよッ」
「うん、……そだね、ごめんね」
「食事も、シャワーも、散歩も、眠るのも、用意してあるだけじゃダメなんですッ」
「うん」
「ちゃんとそこに、飼い主がいないと、……落ち着かないじゃないですか……ッ」
うむ、悪かったね。
未だに、出会った時の例え話をひきずって、泣きそうな声で主張して、きつくきつく、いつの間にかこんなに強くなっていた力で縋りつくように抱き締めてくるフーゴの髪の毛をかきわける。
「大丈夫。飼い主は、シャワーもひとりじゃできない役立たずになっちゃったけど、もう猫を放っといたりしないよ。お腹すいたっていうならご飯をつくるし、散歩に行きたいって言うならどこだって付き合うから。……許してちょーだい」
頭を撫でていると、フーゴがもぞもぞと顔を上げた。目は潤んでるのにキッとこちらを睨んでくるフーゴが可愛くて、私はそのオデコにキスをした。
ひっぱたかれた。


0.5

なんと驚き。ひと月前に私がビアンカのオイタに巻き込んでしまったあの男の人はアバッキオだった。
よォ、と、退院前の日にお見舞いに来てくれたアバッキオは、どうやらあの時に何が起こったのかをすべてブチャラティに聞いたらしかった。記憶消去処理を受けるか、秘密を保持したまま組織に入るかを選ぶように言われて、戻るところも帰りたい場所もなかったアバッキオは当然のように組織入りを選んだらしい。なんという男だ。
ブチャラティがいない時に、アバッキオは言った。
「俺は、正直に言えば、この組織で何をしてもいいと思ってる。目的もない、ただ、表社会からはじき出されて、行くところもなくて落ちた場所だ」
アバッキオはリンゴを剥くのがうまかった。
「だが、そんな俺でも、誰かの力になりたいと思うことはある」
「うん。リンゴもう一個くれる?」
「おら」
「どうも」
足りない病院食でのカロリーを補ってくれるりんごはおいしかった。
「そいつの力になるために、スタンドが欲しい」
「……あ、そうなんだ?十中八九死んじゃうけど、それはその人のためにならないんじゃない?」
ふた切れめのリンゴを私の口に押し込んで、アバッキオはくるりとナイフを回した。ハ、と私を笑う。
「そいつは俺のことなんて何とも思ってないから、別に痛くもかゆくもねェだろうよ」
「なにそれ、そんな人のために死の危険を冒すの?もったいなくない?」
「もともと、どこで終わってもおかしくない命だ。……本当なら俺は、もう死んでるはずだったしな。運悪く掴んじまった命だ、どうせ、この組織の中で、いつ死ぬかわからねぇ仕事についてえんえん暮らすなら、一発勝負に賭けて、そいつをビビらせてー」
「その人の力になりたいのか度胆をぬきたいのかわかんないけど、まあ、やりたいっていうならいいよ。ビアンカ呼んできてくれる?」
アバッキオがビアンカを連れてきたのは、それから30分が経ってからだった。
「こいつ病院の外にいやがるし俺の顔見たらビビッて逃げやがった」
たぶんアバッキオと私とビアンカ自身が揃うっていうのがトラウマになってんじゃないかな。すぐ終わるから全員安心してくれ。そしてビアンカ、私のためにしてくれるのは嬉しいけど、その細腕にその果物の多さはつらそうだよ。

「じゃあ、来世か、次の瞬間に会おう」
「ああ」
サバスたんが貫いて、そしてアバッキオは生き残った。