13 酒の濃い夜


ポルポがグラスをテーブルに打ちつけた。正確には置いただけだ。
「はっ、もうリタイアか?幹部ともあろうやつが、なっさけねェなあ!」
プロシュートが赤くなった目元を愉快そうにゆるめて笑う。
テーブルの向かいで空のグラスを握りしめ、片手で髪をかきあげたポルポは、ぎりりと歯を食いしばってプロシュートをにらんだ。うるんだ瞳で睨まれてもプロシュートは痛くもかゆくもない。ニヤニヤと意地悪く笑って、自分の方に寄せていた酒の瓶を押しやった。
ポルポはおぼつかない手つきでそれを受けとって、注ごうとして、うまく指に力が入れられなかったのか、隣に座っていたギアッチョにグラスを差し出した。
「いれて……」
か細い声だった。酒でふらふらで、懇願するような響きがある。メローネは頬杖をつきながら思った。これだけ飲んだらそりゃそうだろうなと。
「もうやめとけ。プロシュートに酒で勝とうってのが間違ってんだよ」
「ギアッチョおねがいい……私、ううう、かちたい……」
そう言いながらも、頬は赤いし、声はヘロヘロだ。メローネはあつくなったポルポの頬を指の背中でくすぐった。
「プロシュート、勝ちを譲ってやれば?」
「バカ言うな。一度乗った勝負をまっとうしようとしてるこいつに悪ィだろーが」
「だったらもっと悪びれろよ。笑ってるぜあんた」
プロシュートはくっくっと喉の奥でこらえきれないように笑った。平然としているように見えて、プロシュートもかなり酔っている。
メローネは動かないギアッチョの代わりに、ポルポのグラスに酒をついでやった。とろりとした琥珀色の液体がグラスの七分目でとぷりと揺れる。ギアッチョがあきれ果てたと言わんばかりにメローネを見た。
「オメエ、容赦ねーな」
「だって、ふらふらになってるポルポ、可愛いだろ?ほら、ポルポ、ついだぜ。もう一杯いっとこ」
「ん……ん、めろ、ね、……ありがと……」
メローネに支えられて、ポルポは杯を煽った。ギアッチョから見れば、ポルポが飲んだというより、メローネが飲ませたという感じだ。
プロシュートはその点については気にしないのか、自分で瓶を引き寄せて手酌で最後の一滴までグラスに落とすと、ペッシが目を輝かせて称える男気で一気に飲み干した。
「ペッシよォ、オメーから見てどうだ?俺とポルポのどっちが勝ってるように見える?ん?」
「(兄貴、酔ってるなあ)」
さすがのペッシも苦笑い。でも、見たままを素直に伝えた。
「兄貴です」
プロシュートは弟分の言葉に満足そうにうなずいた。大仰に足を組み替えて、テーブルにつっぷしてうめいている女を見る。
「ポルポ、これで終いにするぜ。酒もなくなったことだしなア」
「うぐぐ……ぷろ、しゅ、と、にくし。……つぎは、勝つ、からねっ、おぼえてろっ」
「おーおー、いつでも挑めよ。ま、テメーには黒星以外はつかねーだろーがな」
時々ポルポからこぼれるジャッポーネ的な言い回しを使ってプロシュートが揶揄すると、ポルポはがたんっと椅子を蹴り倒して立ち上がった。乱闘にもつれこむか、とメローネ以下9人、全員の視線がポルポに向かう。
細いヒールで、ふるえる両脚を、身体をささえて、ポルポは座ったまま自分を見上げていたギアッチョにもたれかかるように抱き着いた。眼鏡のずれたギアッチョがたたいた悪口はポルポの胸に吸い込まれた。
かき抱くように髪の毛をかきまぜて、ポルポはギアッチョに甘えた声で話しかける。ポルポにはその声が甘えているようにきこえるという自覚はないようだった。
「ねえ、あのさあ、わ、たし、さあ、やっぱりダメなのかなあ……」
はあ、と落とされたため息もどこか色っぽい。ギアッチョはポルポの腰をひっつかんで引き離そうとして、聞こえてきた言葉にその手を止めた。すん、と鼻を鳴らして、ポルポはギアッチョから胸を離した。ギアッチョが腰を掴んだままなので、それ以上は離れない。
「プロシュートにまけちゃうし、ぎあっちょも私のこと、ときどききらいでしょ?」
「はッ?」
「私、ずーずーしいし、あたまもよくないし……りぞっとより年下だし……はあ……筋肉ないし……おっぱいだけだよ……」
「おい……ちょ、な、泣いてんじゃねえよ!バカか!胸押し付けてくんじゃねえ!ぶん殴るぞ!」
「なぐっていいよう……かんぶらしくないって……うう……へんじんってなんだよお……へんなのはこの世界だよお……」
「アホか殴んねえよ!おらッ、あっちいって、大人しくしてろ!誰かこいつ連れ―――」
ギアッチョの言葉が途中で止まった。ポルポがギアッチョの肩に手を乗せて、その額にキスをしたからだ。
突然の出来事に、プロシュートが野次を飛ばす。もっとガッといけ!ガッと!うるせエ酔っぱらいは黙ってろッとギアッチョが罵声で応えた。
「はいはい、ポルポ、あっち行こーなー」
飲んでもいないのに頬を真っ赤にしたギアッチョから細くてふにゃふにゃした女性の身体をうけとったメローネは、自分にすがりついて服をつかんだポルポの腰に手を回した。慣れた手つきだったが、その目がマスクの下で素早く動いて、ポルポが自分の手を拒みはしないだろうかと彼女の様子を窺った。メローネの可愛い杞憂を吹き飛ばすように、ポルポはメローネの身体を抱き締めるように腕を回す。
「めろーね……」
「うん、俺だよ」
テーブルからソファまではわずかな、メローネがふつうに歩いて五歩もかからない距離しかないが、酔ったポルポの歩幅に合わせると、非常にゆっくりな運びになる。メローネがそれを面倒と思うことはありえない。今だけは腕の中でぐんにゃりとまとわりついてくる高い体温を自分だけが独占できるのだ。
もちろん、ポルポはメローネが望めば、口ではからかったり抵抗したりするが、きちんとスキンシップに応えている。けれどポルポが、いつも高いヒールを履いて、年齢を感じさせない足取りで凛と立つ彼女が、メローネにくったりと身を任せることはあまりないのだ。メローネはそれがうれしかった。甘く名前を呼ばれて、浮かれた声で返事をするくらいに。
「めろ、ね、ぷろしゅーとどこ……」
「えぇ?俺じゃなくてプロシュートがいいってわけ?浮気者だなあポルポは」
「ちゃう。……再戦の……やくそく……」
仕方ないなあとメローネは笑った顔で方向を転換した。ソファに向かっていたポルポの腰をよいしょと持ち上げると、ヒールが数瞬宙に浮く。プロシュートの方に降ろして、腰を支えたまま背中を少し押すと、ポルポはテーブルに片手をついてバランスをとってから、脚を組んで不遜に顎をそらせているプロシュートに手を伸ばした。
「あ?」
「手、かして」
催促するようにポルポが手をぱたぱたと動かす。プロシュートは、ポルポのそういうところをヘンだと思うと同時に、気に入っていた。
プロシュートのスタンドが相手に直接触ることで最大の威力を発揮すると知っているくせに、忘れているわけではないくせに、まったく警戒しない。

ポルポのことを信用する前、プロシュートはふいに思いついて、誰もいない時にグレイトフルデッドを発動してみたことがあった。手を出せと言われて、おう、と返事だけは男らしい女の返事とともに白い手がプロシュートの手にのせられると、離されないようにきつく握ってスタンドを出した。
悲鳴を上げるかと思いきや、ポルポは急激に老いていく自分の手と身体を見て、男らしすぎるひと言を発した。
「なるほど……」
プロシュートは呆れた。なにがなるほどだ。何を把握してんだ。今からテメーは死ぬっつー場面において、最後に発する言葉がそれでいいのか。何考えてんだこの女。
――俺がテメーを殺そうとしたとは考えねえのか?
手を離したのはプロシュートのほうだった。指の骨が老い、くずれそうになっても、ずるずると老いていっても、ポルポの赤い瞳は揺れなかった。事情を呑みこんだ後は、ひたとプロシュートを見ていた。
――殺されそうになったって、まだ死にたくないからね。どうしようかなって考えてたんだよ。解除してくれてありがとう。おばあちゃんになったのは、うん、初めてだったな。
そう言って、離されたプロシュートの手を追いかけて、握手をしてみせた。
こいつはバカだな、とプロシュートは思った。そしてその時、ポルポの表情を見て、ただのバカじゃないかもしれないと直感がはたらいた。その勘は、一同が集められたリストランテで現実のものとなった。
ポルポは確かにバカだったが、それは醜い愚かしさではなかった。

プロシュートはぼんやりとそんなことを思い出しながら、ポルポの手に自分の手を重ねた。
当たり前のようだが、ポルポの手はプロシュートのものより小さい。さまざまな女に手を重ねてきたが、この手に触れる時は、姿を見なくても誰なのかがわかる。触れる温度があるからか、そこに彼女がいるからか、解明されていないスタンドの謎なのか。
ポルポは両手で、プロシュートの片手を掲げるように持ち上げた。
「ん。……再戦のお約束」
ポルポはプロシュートの指先にくちづけた。ただ手をひっこめるのもおかしいような気がして、プロシュートはかるく、前髪に隠れた女の額をこつんと小突いた。
「次は勝負の土台を考えんだな」
「はいー」
いつも以上に陽気なポルポは流れるようにペッシのほっぺをなでた。近くにいたペッシは完全に巻き込まれた形になる。
「はいはいはい、ポルポ、おしまい!こっちおしまい!ほら、ソファ行くぞ!」

ソルベとジェラートはメローネからポルポを受け取ると、酔っ払いの体温が思いのほか高かったことにゲラゲラと笑い声を立てた。ひょろりと背の高い次年長コンビは笑いの沸点が低い。
「レジーナポルポは俺たちのことが好きなんだってよ、ソルベ」
「ぎゃはは、レジーナって。女王って。ジェラートより俺の方が好かれてるぜ、ほら、くっついてくるもん」
「うふはは、ソルジェラずっとラブラブですね!?」
ソファに座らされたポルポが、ソルベとジェラートの手をつながせた。
「あんたらの世界って完結してそうだよなー。死がふたりを別つても、ってやつかい?」
つながせられた手をより深く絡めて、もう片方の手で肩を組み合った。メローネのからかいに言い返して笑う。そう、俺たちはずっと一緒だぜ。
「まあお前らも道連れだけどな」
「まさか楽に死ねると思ってねえよな?」
「怖えよ!!」
イルーゾォは一歩距離をとった。
「イルーゾォよォー、ポルポって今晩のこと憶えてっと思うかァー?」
「あんだけ飲んでたし、憶えてねえんじゃねえの?」
「だよなアー?だったらよお……」
隣にいる同期に自分のグラスをおしつけて、ホルマジオは腕まくりするふりをした。
がっしりした手でブラウスの胸元を整えてやってから、にやっと笑みを浮かべて女の脇腹を思いっきりくすぐった。
「ぁっひゃ、あははは、や、あは、マジオやめろー!あぁはひゅりゅまじおきゃあーあッ、あッ、あ、むり、ああは、むりむ、ひあははッげほ!」
「ぎゃはははは、前に俺の背中に氷入れた仕返しだよ!」
「あっ、ひひゃひゃ、このやろ!ひゃっうは、いるーぞーたすけてー!」
息も絶え絶えに涙を浮かべながら、ホルマジオの抑止力になりえる男の名前を呼ぶポルポ。グラスをふたつ持って両手がふさがっていたイルーゾォは、そういえば前に足の裏をくすぐられて笑い死にしかけたことがあったなと思い出した。
「ホルマジオ、俺の分もよろしく」
「おう!わははは、味方はいねェぞー!」
「あっひゃあっいる、るーぞーひゃっあ、のう、あう、う、らぎりものー!あっひゃああううやああ、あほー!おぼえて、あぁぁあううー!」
ホルマジオの笑い声とソルベとジェラートの笑い声と高い女性の嬌声じみた笑い声がまじってなにがなんだかわからない。
メローネは自分の缶ビールに口をつけて目で笑いながら、ポルポの声って結構高くなるんだな、と冷静に考えた。ペッシは咳き込むほど笑っているポルポを心配しているようで色事には結びつけていないようだが、呆れたように新しくワイングラスを傾けているプロシュートはメローネの視線の理由を理解したらしく、唇でアホかと罵りを形作る。ギアッチョはどうだいと振り返ると、不機嫌そうな顔で睨み返された。したいように解釈することにして、メローネは反撃を食らったホルマジオに顔を向けた。

ポルポはあるひとつの言葉を記憶の底から引っ張り出すことができたようだった。
「くらえ!」
「なにしやッもご」
ホルマジオの顔がファンタジーバレーオブおっぱいに埋まった。呆れ果てた声はくぐもっていてポルポには聞こえていないし、聞こえていても意味はない。くすぐる手が止まっている時点でポルポの勝ちだ。
すなわち、攻撃は最大の防御である。
「あー、はあ、はぁ、おっぱいばくだん、あー……死ぬかとおもった……ホルマジオ泣かすー」
落ち着いてきたポルポはホルマジオの後頭部を撫でていて、イルーゾォはジッと動かない同期の後頭部を冷えた目で見つめる。あいつ、いつまで胸に顔うずめてるつもりなんだ。
「アホか!ご褒美だろうが!!だからオメーはモテねーんだよ!!」
「いるーぞー、いまマジオがひどいこといったんだけど!相棒としてはどうなの!」
脚の間にホルマジオをはさんだまま、ポルポはホルマジオの頭をかかえるようにしてイルーゾォに手を伸ばした。
確かに年齢や加入時期という共通点はある。8人の仲間はすでに馴染みすぎるほどしっくりと馴染んでいるし、背中を預けるという意識を交わすことがなくとも、自然に成り立つだろう。しかし"まとも"な部類として精神の平穏を保ちたいイルーゾォは首を振った。
「俺相棒じゃねえし」
「ちょっと!私たち、同い年どうしで仲良くやろうって夕陽にちかったよね?!」
「誓ってねえし」
へなりと腕が下りる。
ホルマジオはぺちぺちと、手を伸ばさなくても届く場所にある女のふとももを叩いた。
「オメーいくつだよ?マジに俺と同い年か?スカートはめくれてっし、ハー……こいつどーしよーもねえなァ……」
「失礼ですね!私だってね、がんばりゃ恋人くらいできるのよ!モテないけど!一度もモテたことないけど!そもそも皆じゃなかったらこんなべたべたしないよ!?つつしみぶかい女だから!」
ポルポはホルマジオを解放して、足を床におろした。
間に決して小柄ではない男がいるので、プロシュートもかくやというほど膝が開いているが、ペッシ以外の誰もそれを指摘しない。明確な"他"との差を受け止めて、ほんのわずか間が開いた。
「(こいつ、……一応はそういう枠組み知ってたのか……)」
「(脳みそまでピッツァでできてっかと思ってたぜ)」
黒髪ともじゃもじゃ頭が同時にグラスを傾けた。

ホルマジオはふとももから手をどけて、つんときれいにととのい今はほんのり赤くなっている彼女の鼻の頭を指ではじく。
「……"慎み深い"って辞書で引いてから言えよなァ」
「リゾットちゃん、ひいてください」
「……軽はずみな言動をしなかったり、遠慮がちで控えめであることだ」
「ひいた」
「引いたのはリーダーだしなんで空で言えるんだよリーダーこええよ!」
イルーゾォの声は不可解な現象を指摘する時にだけ張り上げられる。よどみなく説明したリゾットは、イルーゾォを気にした様子もなくあっさり自分のつまみに戻っていた。
リゾット、童貞ってひいて。もし彼女がそう訊ねていたら、リーダーは無感動な声で説明したのだろうか。しそうで怖い。
「俺、なんかオメーが心配なんだよォー、行き遅れたらどーすんだ?ただでさえモテそうにねェーのに、ギャングの幹部なんて誰も貰ってくれねーぞ?」
「あんたにしんぱいされたくないんだけど」
「だってよ、マジオちゃん」
「お前ら三人、童貞くさすぎるからなあ」
「うるせえ童貞なのはイルーゾォだけだよ!」
「俺も違えよ許可しねえぞホルマジオ!!」
ジェラートとソルベの言葉に全力で反応する男ふたり。逆に怪しいとメローネは腹を抱えて笑った。確かにポルポたち三人からは慣れた感じがしない。まあ、あの胸に押し付けられて真顔でいられるんだからホルマジオはシロか極貧乳派だろうけど。あるいはホモだ。メローネの判断基準は極端である。

「そんなこと言うーなら、ちゅーりつのたちばの人にきくからな!鞄とって!」
「おら」
ポルポはプロシュートから放り投げられた鞄をどんくさく顔面でキャッチして、その中から携帯電話を取り出した。酔っぱらってボスにかけたらどうしよう。ポルポがボスの番号を知っているはずもないのに、一瞬部屋の中にいる半数の人間がそれを心配した。
ほんわりした表情でポルポは電話の相手を呼んだ。ぶちゃらてぃー。
「誰?知ってるかい?」
「知らねえ」
いち早く訊ねたメローネに、ギアッチョが低く言う。プロシュートは無言で否定して、ペッシもぶんばぶんばと首を振る。
「ソルベ、知ってっか?」
「いんや、知らねえなあ。聞いたことある気はするが」
ジェラートとソルベも知らないようだった。リゾットも首を振って、ホルマジオは直接ポルポに訊ねた。それ誰だよ?
「ブチャラティはー、すんごくやさしいイケメンだぜ!ちょおおおおおおかっこういいからぜったいほれる!もうめろめろだよね。ねー、ブチャラティ。ん?ううん、ちょっとだけよ、そんなに酔っぱらってないわ。兄貴と勝負したけどいい勝負だったもん。ね、そうだよねあにき?」
「誰だか知らねぇが、俺の圧勝だっつっとけ」
「兄貴のあっしょうだったらしい……」
ポルポの声がとぎれると、ホルマジオを始め、リゾットはわからなかったが、部屋の中のほぼ全員が電話から漏れ聞こえる声に耳を澄ませた。
落ち着いた、柔らかい音がきこえたかと思うと、ポルポはくすくすと笑ってやさしげに眼を細めた。メローネやギアッチョを遠くから見ている時のような目だ。ギアッチョはそれに気づいて、自分の眉間にしわが寄るのを感じた。誰だかわからないが、ブチャラティというやつは敵だなと、奇しくも同い年のメローネと心境が一致した。
「そんでね、まじおがね、どーてーのくせに」
「童貞じゃねえっつってんだろオメー胸揉むぞ!」
「もめよ!おそれずに揉めよ!ただだよ!」
逆に胸を寄せられてホルマジオはポルポの額をはたいた。上司とか部下だとか、もはや彼らの間に枠組みはない。どう見てもあけすけすぎる兄妹のやりとりだ。
「推奨すんな!アホか!!おい、言っとくけどよォ、勧められてオメーの胸揉むやつとは付き合うなよ!?それくらいはわかってっか!?」
「まじお、私のおねえさんみたいね」
「性別!!忘れてんじゃねえ!!」
ホルマジオが撃沈した。もう知らねェと呟いてイルーゾォの隣に戻る。グラスを受け取って、疲れたように肩をすくめた。
あいつダメだわ、なんもわかってねェ。そんなの判り切ってたことだろ、アホか。うるせえ。
「え?うん、まじおはどうてい……じゃないってめっちゃアピールしてるからぎゃくにあやしい。うん、男だよ。おないどし!」
うろうろと話題がさまよって、ポルポはハッと本題を思い出したように神妙に膝を閉じた。声を潜めるように上体を傾ける。
「ねえ、ブチャラティはさ、私が嫁ぎ遅れると思う!?」
部屋がしん、とする。ポルポは心配そうな表情で相手の声をきいて、ちいさくうなずく。
なんだよ、とイルーゾォが呟いた。最後までは言わなかったが、酒と一緒に飲み込まれた思いは、ソルベとジェラートにも同じものを感じさせた。ホルマジオの言葉には反発していたのに、ブチャラティと言う男の言葉は真剣にきいている。少なくとも軟派なやつではないらしい。
「わ、うれしい!やった、ブチャラティにほしょーされたら、ばっちりだ!ぐらっちぇ、すきだよ!」
メローネの後頭部にプロシュートの投げたコルクが当たった。反応早えよあ、と笑うメローネから剣呑な気配が消える。
「うん?うん、そう、びあんかも、こわいけど好き。どうていでもまじおのこと好きだし、みんなすき。私、みんなのことが好き」
「……だから、違ェーってのによォ―……」
呆れたようにつぶやいたホルマジオも、もう口を曲げてはいない。こらえきれないというように笑った。
「え?もし嫁ぎ遅れたらどーするのかって?あはは、へーきへーき!」
ポルポはぱっと立ち上がった。その動きを追ったリゾットの目が、とろりと潤んでとろけそうなポルポの目と合う。にっこり、そのままポルポは綺麗に笑った。
「リゾットにもらってもらうから大丈夫!」
「俺か」
ホルマジオとイルーゾォが噴いた。ギアッチョが噎せて、メローネがはああああ!?と大声をあげ、プロシュートがうるせえとコルク抜きを投げた。メローネは後頭部に飛来したそれを見もせずに受け止める。ソルベとジェラートは腹を抱えて笑っていた。もうひきつけを起こしそうな勢いだった。ペッシはリゾットの反応が怖かったのかプロシュートの後ろに隠れた。
平然としているポルポはぐるりと部屋を見回して首を傾げると、同じく、表面上には何の動揺も表れていないリゾットとの距離を詰めてまたソファに腰を下ろした。自分の左腕とリゾットの右腕をぴったりくっつけて、右手で持った携帯電話に笑う。
「そう、りぞっとちゃん!……あっ、電池なくなる。じゃあね、お邪魔しましたー。おやすみねー」
ブチッと音を立てて電話が沈黙した。本当に電池がなくなったらしい。
ポルポはガラクタと化したそれをソファに置くと、はあ、とため息をついた。
「結論がでたよ。たしかに私はいまだに処女で恋人もいないけど!ブチャラティたんいわく!その気になれば結婚相手くらいみつかるだろう……とのことです!見たかホルマジオ。ブチャラティたんの人を見る目はたしかだから!!」
「あー……そーかよ。つーか俺の酒返せよ噴いちまっただろ……」
「ん?なんで?」
「嫁ぎ遅れたらリゾットと結婚するなんて言うからだぜ、ップヒャ」
「ソルベ笑ってんじゃねえよウハハハ」
そういうジェラートも笑っている。こらえきれていないし、もはやこらえる気もないのだろう。きょとんとして、あどけない表情で不思議がっている一歳年下の上司に丁寧に説明してやると、彼女はああ、となんでもないことのようにうなずいた。
「だってこのなかで結婚するならどう考えてもリゾットちゃんでしょ」
「はあぁぁあ!?ちょっと!俺とのことは遊びだったわけ!?」
「挨拶代わりに手をなめてくる変態とはちょっと……」
「舐めなきゃいいのか?」
「そうやって聞いてくる時点でだめじゃない?」
酔いが少し収まってきたのか、いくぶんかはっきりしてきた口調ですっぱり切って捨てたポルポは、右手をひらいて指を折り始めた。
「ホルマジオもイルーゾォもあんなんだし」
「こいつはともかく俺はまともだろ!」
「イルーゾォ、まともだって主張し始めたらおわりだよ」
「ぐッ……こいつが正論言うの久しぶりに聞いた……」
大変失礼な言い草だったが、ポルポはそれをスルーした。あるいは聞いていなかった。ホルマジオがぞんざいに背中を叩くと、力が強すぎたのかイルーゾォが咳き込んだ。
「ペッシは可愛いけどプロシュートの大事な弟分だから手を出したらソッコーでぶん殴られちゃうし」
「殴るか、アホ」
「プロシュートは激烈イケメンだけどないでしょー」
「おいさりげなく却下してんじゃねェよ」
「プロシュート激モテだからレベルについていけない」
「まあなァ」
否定しないのかよ。ぼそりとイルーゾォが口を挟んだ。プロシュートは事実は否定しない。
「ギアッチョはすんごくかわいくて撫でくりまわしたい。でもギアッチョって私のことあんま好きじゃないからー」
「は、ハァ!?オメーそれさっきも言ってたよな!?」
「え?好き?」
「バッ……好きとは言ってねえだろうがッ」
「ほらー。ツンデレさんだから仕方ないけど、ちょっとさみしいじゃん……ツンデレかわいいけど。かわいすぎるけど。かわいすぎて逆に」
ツンデレとは何か訊いたメローネに、ポルポの説明が与えられる。全員が理解した。ギアッチョのことか。
「ソルベとジェラートは、むしろ私が邪魔」
「んなこたあねーぜ」
「おう。ただ重婚になるからポルポが無理って話だな」
「じゃあ重婚オッケーな国に生まれ変わったら結婚しようねー」
「Certo!」
ふたりは声をそろえてもちろん、と頷いた。三人のうちの誰にもその気がないことを分かり合ったうえでの冗談だ。
「リゾットちゃんはさあ、私がべたべたしても、ヘンなことしても、こうやってひっついても、じーっと黙ってるけど、やりすぎるとちゃんと怒るから、たぶん、私に慣れたか、それか諦めてるかのどっちかだとおもうんだけど」
のんびりとここのつを数えた指を全部ひらいて、すべらかな手がリゾットの頭に伸びる。
「こういうのを許してくれて、それって、すごくうれしいこと。だから私、みんなのことがすごく好き。私のことなんて大っ嫌いって今言われたとしても、きっと好きなまんま」
グラスを手放して、彼女が何をするのか黙って見ていたリゾットは、正気を取り戻しつつある、ほのかに潤んだ夕陽のような色の瞳を見た。
赤い色の目立つ眼だと言っても、リゾットの赤とポルポの赤は少し違う。リゾットの色が滲む血の、ブラッドレッドだとするならば、ポルポのそれは輝きながら夜に続く東雲色だ。ポルポは、"ポルポ"の色がそうではなかったことを知らない。誰も知らない。
「リゾットちゃんは特別。やさしいし、身体めっちゃ鍛えられててかっこいいし、静謐で、目と目じゃ会話できないけど、私がたぶん、脈絡のない無駄口叩いても相槌打ってくれるし、こうやって手をつないでも」
ポルポがリゾットの手を取って、手をつなぐ。指を絡めるやりかたではなく、手のひらを合わせて。
ほらね、とポルポが手を持ち上げようとしたので、リゾットも彼女のやりたいようにやってやった。
「ただそこにずっといてくれる。安心する。安定なのかしらねー。……あっ、お金はあるからね!みんなのことは安定して一生養えるよ!」
大丈夫だよ、と力強く頷いて、ポルポは力を抜いた。つながれた手が、苦しい姿勢でポルポのほうからくっつけられた左足と、リゾットの右足の間に落ちて引っかかる。ゆらりと、濃い金の髪がゆれた。立て直そうとして首がふらついたのを見て、リゾットは彼女の頭を自分の肩にもたせかけた。
「苦労させないから、めんどくさかったらみんなつれてにげるから、わがまま言わないようにするから、……ずっと一緒にいてほしいなあ……」
すう、と言葉の余韻が寝息にひきとられる。
ソルベとジェラートは目を細めて音もなく笑った。ギアッチョとプロシュートのため息が重なる。イルーゾォとホルマジオが顔を見合わせて肩を竦める。ペッシがプロシュートの顔を見て、がしがしと頭をつかんで撫でられて、言葉にしなかった感情がただよう。
リゾットは、自分の腕にもたれて眠る女の身体を支えて、そっと自分の腿の上に寝かせ、ゆっくりと撫ぜながら背もたれに深く身体を預ける。
それを見たメローネは腰に手を当てた。
「むかつく。なにがむかつくって、リーダーがポルポの扱いに手馴れてるのにもむかつくし、ポルポが寝ちまったのにもむかつくし、……明日にはポルポが何も憶えてない顔して起きてくるのが目に見えててむかつく」
怖ろしいことに、成人している男とは思えないほどその仕草が似合うメローネは、むっと唇をとがらせて、ずんずんと女の寝顔に近づいた。その途中でめくれていたスカートをさっと引き下げて整える。
「覗くかと思ったのに」
「メローネちゃんは純情でちゅからねー」
「るっさいソルジェラ!」
からかわれてフンと鼻を鳴らすと、メローネは立ったまま、寝息でふわふわ揺れる金髪を乱暴にかき混ぜた。メローネのさらさらした金色とは違う、少しくすんで、風を含むようなゆるやかなカールがかかったやわらかい髪だ。もくもくとかき混ぜているメローネに、しばらくしてからリゾットが言った。
「気になるから俺の脚には触れないでくれるか」
「触りたくって触ってるんじゃないんだけど!?こっちから願い下げだよリーダーの脚なんて!」
ポルポのばかああ!泣き真似をしながらメローネが部屋を飛び出した。ガチャリ、バタン。廊下のすぐそこにあるドアが開けられて閉じられる。
すぐに出てきた。走り去ったのも閉めたのもポーズだったようだ。
「今から客間整えるから、ポルポはそこに寝かせろよな。リーダー、自分の部屋に連れ込んだらポルポにあることないこと言いふらすからな!」
「あぁ、助かる。終わったら呼んでくれ」
メローネの言葉の後半は完全に無視。あるいは聞き流している。リゾットの無感動さにギアッチョが引いた。イルーゾォはとっくにドン引きしている。

十分も経たないうちにメローネがリゾットを呼びに来て、ポルポは客間のベッドに寝かされることになった。
眠っている女の身体を抱き上げる時も、リゾットが腕を差し込んだ瞬間にメローネがぼそりと毒を吐いた。彼にしてみても仲間から見ても、それほど強くない毒だ。
だがギアッチョやホルマジオは、リゾットがポルポから腕を引いて、それほどいうならお前が連れていけ、とでもメローネに言うのかなと予想した。リゾットはごたごたする面倒なことからはすんなり手を引くタイプだからだ。口を開く回数が少なくすむようにしているのではないかと疑惑がのぼるほど、その口数は少ないし、無駄な行動もなかった。

ふたりの予想は大きく外れた。メローネの毒を受け流したリゾットは、そのままポルポを横抱きに抱き上げたのだ。それも、膝をついて、ヒールの高いつやりとした靴を脱がせてから。
ホルマジオが酒に噎せて、イルーゾォの強すぎる平手がその背中を叩いた。
意外なことにメローネはその行動を予測していたようで、ポルポの寝顔を覗き込むと、いつも通り平然とした表情に戻った。つん、と頬をついて、部屋の中に入ったリゾットの背中を見送っている。
「メローネ、案外簡単に引いたなあ?」
「ん?うん。よく考えたらさ、ポルポといつも遊んでるのは俺だし、ポルポは俺のことを呼び捨てにするけどリーダーはちゃんづけが多いし、別に張り合うこともないなって思ってさ」
「そうかい」
イルーゾォは相槌を打った。リゾットと張り合おうとしている年少の変態が怖いよ。
そして続いたメローネの言葉に、イルーゾォはメローネの真髄を知る。
「それにさ、俺がセッティングしたベッドでポルポが寝てるって、すごい興奮しない?」
お前以外の誰もしねえよ。
プロシュートの言葉が、何よりも的確だった。


全員の想像通り、次の日に起きてきたポルポは頭痛にうめいて、昨夜の記憶はすっかりなくしていた。かろうじて、プロシュートに勝負の結末をきいているが、それで終わりだ。細かい会話はもちろん、ブチャラティとかいう知り合いに電話をしたことも、盛大すぎる愛の告白と懇願をしたことも、ホルマジオの母性か父性かとにかく世話焼きの本能を呼び覚ましたことも、リゾットに抱き上げられるその時までずっと彼と手をつないでいたことも、何も覚えていない。
動揺させられまくった苛立ちをどこにぶつければいいのか迷ったギアッチョは、自分も眼鏡をかけていられないくらい二日酔いで頭が痛かったが、隣で水を飲んでうめいている女に挨拶代わりの言葉をかけた。
「オメー、酔っぱらってパンツ見えまくってたぜ」
「まじでか。やっべー勝負パンツ履いておくんだった……」
ギアッチョの負けだった。