11 ナランチャチャチャチャ



今日はリストランテでブチャラティとフーゴと待ち合わせ。特に用事があるわけではないが、最近会ってないし、たまには食事にでも誘おうかなと思い立ったのだ。
上司っぽく、重役出勤ならぬ重役入店しようかとも思ったが、私のキャラじゃないのでのんびり30分前に来て予約席でオレンジジュースを飲んでいる。
百パーセントの濃厚なジュースが好きなんだよねとビアンカと来た時に話していたら、店員が聞いていたのか、次に来た時にはもうグラスに百パーセントのオレンジジュースが注がれるようになっていた。脅したような気分になって申し訳なかったので、ありがとね、とお礼を言って、支払いには釣りはいらねえぜと格好をつけたのもいい思い出だし黒歴史だ。この店に来るたびに心のやわらかいところを店員の生ぬるい眼差しで掘り起こされてダメージを負っている。でもおいしくてやめられない。

待ち合わせ時間の10分前に、ブチャラティの姿がガラスの向こうに現れて、そのまま店先の邪魔にならないところでふらりと立っていたので、ウエイターに頼んで呼んでもらった。
「すまない、遅れてしまって」
「逆にごめん」
ブチャラティはまったく悪くないのに謝らせてしまった。
「フーゴには俺が使いを頼んでしまったから、遅れて来る。先に食べていてほしいとのことだ」
順調にお仕事を進めているようだ。ブチャラティから感じる謎の安定感。
護衛チームのことは実は全然心配していない。私よりも6歳も年下なのに、私よりもずっと落ち着いているリーダーがいるからだ。あと私よりかなりしっかりしている10歳は年下の部下とか。年齢差を考えて真剣に危機感を覚えた。大人としての存在意義が揺らぐわ。
三人掛けの丸いテーブルなので、どう座っても隣に来るわけだが、私は私よりも出口に近く、それでいて残された席よりも上座の位置にスッと自然に腰かけたブチャラティに内心拍手を送った。スマート。私なんかどっちが上座かっていうのを覚えるのにしばらくかかったからな。ポルポっていう名札立てておいてもらいたいなって何度もプンスカしたからな。やっぱ自信なくすわ。
「何食べる?」
「そうだな……ポルポは、いつも通り、アラビアータとピッツァか?」
「うん。あとフォカッチャとパニーニ食べる」
「そうか、おいしそうだな」
淡白な相槌なのに、決して無味ではない。ブチャラティのすごいところはそこだと思う。
平然とした態度でいるのに、まるで、自分の話を真摯に受け止めたうえの返答であるように感じる。例えば今みたいな、私のくだらない腹ペコアピールであってもだ。アピールしたわけでは決してないが。
人と話すのは面白いが、ブチャラティと話していると隠し事ができない気がする。嘘をついてもバレちゃうとかそういうのは置いておいて、だ。

ブチャラティはトマトソースのスパゲッティを選んだ。前菜代わりに軽いチーズと野菜のまざったサラダが出てくる。
「その……今日はいつもとかなり雰囲気の違う服装だが、何かあったのか?」
どうでもいいことだが、ブチャラティの口調がペリーコロさんだ礼を取れッとはかなり異なるラフモードなのは、頑なに敬語を外そうとしなかったブチャラティに私が口調を賭けてじゃんけん三回勝負を持ち掛けたためだ。あっち向いてホイだったら負けていたかもしれないが、単純なじゃんけんだったら運勝負だ。二勝一敗でギリギリ勝利をもぎとった。
「脚丸出しで寒そうだしマンネリだなって言われたから、変えてみた。どう?タイツの色は深めの青にしたんだ。せっかくブチャラティに会うから小細工しようと思って」
「あ、……なるほど。似合っていると思う。けれど、前の格好もとてもポルポらしくて良かったよ」
おばさんをおだてるのがうまいやつだ。マダムキラーの称号をあげよう。ん?もしかして今の自分がおばさんだって認めたことになる?前言撤回しよう。ブチャラティはマダムキラーじゃない。レディキラー。
「ありがとう。サラッと褒めてくれるからいっつもドキドキしちゃうよ。ブチャラティもカッコいいよ!」
当たり前だと胸を張ることも、そんなことはないと謙遜することもなく、グラッツェ。素晴らしい躱し方だ。着実に社交界慣れしてるね。それでもスレない笑顔が好きだよ。

ほかほかと湯気の立つ炭水化物の塊たちが運ばれてくる。待ってました。私はきらっきら目を輝かせているだろう。ブチャラティがふっと笑った。うまいもんを前にしちゃうと、こればっかりは仕方ない。"ポルポ"としての本能がうずくんだろうか。指まで食うぞ。
チーズが固まる前にとピッツァをひときれ口に運んでもぐもぐしていると、私を見てほんのりにこにこしていたブチャラティが何かに気づいたように外に目をやった。私も釣られてそっちを見る。
堂々とガラスのドアを開けて入ってきたのはフーゴだった。隣に誰か連れている。ちっちゃい子かと思ったら別にそうでもない。
「ポルポ、ブチャラティ!こいつにスパゲッティを食わせてやりたいんですがかまいませんねッ!」
まさかのこの場面にピッツァ噴くかと思った。ブチャラティが私を見たので、口の中のものを飲みこんでから頷いた。
「どうぞどうぞ」
戸惑っていたウエイターに椅子を持ってくるように言って、ふたりを手で招く。
フーゴに引っ張られるようにして来たのは、黒髪でぼろぼろの少年だ。目、痛くないんだろうか。
「何飲む?」
「ポルポはまたオレンジジュースですか。……僕らも同じものをもらいます」
そうかい。
よろしくね、と椅子を持ってきたウエイターに目で言うと、親指を立てんばかりのウインクが戻ってきた。気合じゅうぶんでよいね。
フーゴが一番下座に座って、私の隣に少年が来た。ブチャラティが、まだ手を付けていない自分のスパゲッティを少年の前に置いた。
「最近まともなご飯食べてないんだったら、お腹に優しいものがいいんじゃないの?スパゲッティでいいの?」
「あ……」
「考えてませんでした」
「若いから平気か。君いくつ?」
少年は15歳だと答えた。若い。私より、と引き算しそうになってやめた。護衛チームみんな私より若いんだから自分が悲しくなるだけだ。
「ここのスパゲッティおいしいんだよねー」
「そうなんですか。と、言いつつあなたが食べているのはペンネですけど」
「私はこれが好きなんだよ」
時々、ごはんを夢中で食べている少年にも話を振る。ためらいながらも、つっかえつっかえ、たぶんブチャラティの菩薩オーラに惹かれて、少年は口を開いた。
スパゲッティを食べ終わってもまだ食べられそうだったので、私のフォカッチャを半分渡してみた。ぽかんと見上げられたので、あーんしてみると、思わず、と言った様子で食べてくれた。よし、餌付け。フーゴの冷たい視線が突き刺さったけど気にしない。
フーゴにもあーんしようか、と訊ねたら、やめてくださいと真顔で言われた。大丈夫、傷ついてないよ。その言葉の後ろに、人前じゃなかったらいいですよ、ってくっついてるのを知ってるからね。にっこり微笑んだらむっとしたあと視線がスパゲッティに戻った。私<スパゲッティ。

あのあと、ブチャラティは少年を病院に連れて行ったらしい。地区のいざこざをおさめる立場のブチャラティには病院も良い印象を抱いているから、悪いようにはならないだろう。十中八九彼はナランチャだし、目も数か月も経てば完治すると思う。
そんな思考でのんきに構えていた私は、ある日突然ブチャラティからの電話を受けてびっくりした。私からかけることはあっても、ブチャラティからかけてくることはめったにないからだ。すわ大ごとかと彼のアパートに飛んでいくと、ブチャラティは私を迎えた後、ため息をついて腰を下ろしてテーブルに肘をついた。組んだ手を唇の少し下に当てている。
「なに、どしたの?」
勝手知ったるひとの家。
私は冷蔵庫からオレンジジュースの小さなパックを取り出してコップに注ぎ、ブチャラティの前にそれを置いた。自分の分は持ったまま、斜め向かいの椅子に座る。
ちびちび飲んでいると、ブチャラティが話し出した。
「3か月前、フーゴが連れてきた少年を覚えているか?」
「ん?あー、もうそんなになるっけ?覚えてるよ。目、どうなったんだっけ?」
忘れるわけはない。今しがたまですっかり忘れていたことは黙っていた。
「それは完治した。視力も戻るそうだ」
「よかったね」
「あぁ。……それはよかったんだが……」
ブチャラティは呟いた。少年―――ナランチャが、ギャングになりたいと言ったのだと。
あ、そのイベントか、と私は内心でぽんと手を打った。それでブチャラティはブチキレかまして一喝するんだよね。
「ひどく簡単にとらえているようだったから、つい叱ってしまったのだが、……彼はあのまま諦めるだろうか?」
「諦めてほしくないの?」
「いや、……そういう……わけではない、と思う。安易にこの世界に踏み込むのはよくない。だが、あの少年はハッキリと、俺のもとで働きたいと言った。それがこの裏社会でなくても、同じことを言ったと思う。そう考えると、もしも時間が経って、それでも彼がこちらの世界に入りたいともう一度言ってきたら……」
微妙な気分なわけだ。また叱ることはできるけど、もしもきちんと決意を固めてやってきたら、その覚悟を受け入れるべきかどうか、迷っていると。
フーゴの時はどちらかというと私に決定権があったから、ブチャラティは私とフーゴの覚悟のもと、フーゴを受け入れたけど、ナランチャはブチャラティに言っているんだもんね。私とブチャラティのふたりに責任が分散しているわけではない。もちろんフーゴを受け入れることにも大きな葛藤があっただろうけど、今回はちょっと、前とは違っているのだ。
「私はブチャラティが彼の身柄を引き受けるっていうんだったら、それはそれでいいと思うよ。ただ、部下にするなら話はべつ。悪いけど、チームに組み込むなら試験を受けてもらわないといけない」
ただ養子にとるとかそういうのだったら話はいっそ簡単だ。私がちょいっと書類を数枚書けばいいんだもん。もちろん、ブチャラティはそれで済むとは思っていないし、ナランチャもそれで済ませるつもりではないだろうが。
ブチャラティは黙り込んだ。私の試験は圧倒的に死の確率が高い。覚悟を決めたブチャラティと、生を選び取る自信で心を固めたフーゴは運よく(予定調和ともいう)生き残ったけど、ナランチャがそれに続くとは、普通は考えない。

そういえば、フーゴの試験後はひどかった。なにがひどかったって、スタンドを呼び出すコツをブチャラティがあの小部屋で教えてしまったので、フーゴが何も知らずにパープルヘイズを呼び出してしまったことだ。
内容を知っていた私は特に驚かなかったけど、フーゴはしばらくパープルヘイズを見てから、なるほど、と頷きはじめるし、どんな能力なんだろうな、と天然なのかマジなのか、ブチャラティがのんびりそう言った瞬間、パープルヘイズの拳のカプセルが落ちた。ぷすぷすと煙を上げ始めたそれをビアンカが即行ガオン。明らかに危ない雰囲気だったので全員なにも文句を言わなかった。
もしかして無差別なんでしょうか。
何かを察したフーゴが呟いて、全員そうだろうな、と思っても口に出せない空気のなか終幕。ありゃひどい。

「ポルポなら、……どうする?……と訊くのは卑怯だろうか」
「え、いやいいんじゃない?でも私の意見、参考にならないことの方が多いよ」
「そんなことはない」
真剣な面持ちだったので、私も真剣に答えることにした。いっつもは真剣じゃないのか、と言われると弱る。真剣な時も多いんだけど、だいたいがそう見られないんだ。
「私は彼に任せるよ。死ぬのは嫌だと言うならそのままブチャラティの世話になってやがて独り立ちすればいいと思うし、死ぬかもしれなくても、その人のために働きたいって、無謀でもそう口にする勇気があったなら、それでいいと思う。私は刺すだけだからね。ちゃんと生き残ったら彼の望み通りにするし、死んでしまったら、残念だけどさようなら」
「……」
「ね、参考にならないでしょ。っていうのも、私はそのナランチャくんと話したことも少ないし、彼がどんな顔で、どんな目でブチャラティを見つめてその言葉を口にしたかを知らない。言っちゃえば他人なわけだ。私は他人をいちいち大切に思うほど人間ができていないから、ブチャラティの心情との齟齬が発生する」
ナランチャのことは、キャラクターとしては好きだ。人物として、ブチャラティに対する一途な信頼は好感が持てるし、修学の有無に関わらずおとぼけているところも可愛いと思う。
きちんとした判断力があって、何が最適か、自分で考えることができる。とても素敵だ。けれどそれは紙面での話でしかない。
私は今、実際に彼を知っているわけじゃない。
ブチャラティとフーゴはどうなんだというと、ショタラティはまだ駄目だなと思ったから拒否して、ブチャラティに進化を遂げた青年はいいな、と思ったから刺した。正直、気に入ったし。"ポルポ"はブチャラティを気に入る運命にでもなっているのだろうか。閑話休題。
フーゴは彼がフーゴじゃなくても拾っただろうけど、それからほぼ数か月間まるまる夕食を毎日共にして、時には一緒に出掛けて、そうして彼の覚悟ができた。だから私は受け入れて刺した。
ナランチャへ抱く感情にあえて名前を付けるなら、興味だと思う。それは暗殺チームの彼らに抱いていたものと少し似ている。
――指令を受けてぶっ刺した彼らが生き残って、暗殺チームに配属されて、それで彼らはどうなるんだろう。
もともと、今私が"ナランチャ"という二次元の存在に抱いているのと同じような感情を持って、私は彼らと接してきた。数年をかけて、今の関係を築いてきた。もしナランチャと私がそうなれるとしても、それは先の話だ。
「私は、大切な人以外は大切じゃないんだよ。だから思いやりのない、誰にでもそうする対応しか言えない。ごめんね」
「……そうだな。だから俺は、……」
あなたの心に印象をのこしたいと思ったんだ。
愛の告白もかくやという言葉がそっと空気にとけて、私はそれを聞かなかったことにした。マジでかありがとうと喜ぶにはこの空気は重すぎる。
悩んでいるブチャラティがかわいそうになったので、私はわざと明るい声を出した。
「人生なんて、予想通りにはいかないもんだよ。予言してあげようか」
「予言?」
「うん。ブチャラティは今月中に、仕方ないなあって顔をする」
「……それ、予言か?」
予言以外の何に聞こえるのかしら。私が真顔で黙っていると、ブチャラティはちょっと笑った。それ、どんな顔なんだ?訊ねられたので、その時になったら鏡を見てみなよと言っておいた。

月末に近づいてきたころ、のんびりテラス席でパンナコッタをつついていると、あのっ、と声をかけられた。なんだナンパか?振り返ると、残念ながらナンパじゃなかった。すっかり元通りになったらしいくりくりした大きな両目で私を見て、あのどこで買っているのかわからない寒そうな格好をしたナランチャがそこには立っていた。
「あー、元気になったみたいでよかったね。座れば?なんか注文する?」
「ありがとう、ございます。食べていいの、ですか?」
「いいよ」
ナランチャはマチェドニアとジェラートが一緒になった甘いものを頼んだ。すぐに運ばれてきたそれをもぐもぐ食べて、おいしいと顔を輝かせる。かわいいね、わんこみたいだね。
食べ終わった頃を見計らって用事を訊ねると、はっとしたナランチャは身を乗り出した。
「ポルポ、さん、は、試験をしているってききました」
「そうだね。誰に聞いたの?」
「……怒らない?」
「怒んないよ。気になっただけだから」
ナランチャは小さく、フーゴの名前を挙げた。へえ、そうなんだ。フーゴはナランチャのことをつっぱねるかと思っていたけど、熱意に負けたのか、はたまたナランチャを拾ってきた時から、彼に何かを感じていたのか。
感心を込めてそうなの、と言うと、ナランチャは恐る恐るこちらを見上げてから、フーゴは悪くないんだ、と言った。
「俺が、どうしてもブチャラティの下で働きたいってずっと言って、待ち伏せとかしてたから、昨日初めてポルポ、さんの試験のことを教えてくれて、そんで、……よく飯を食いに行く場所を教えてくれて……」
「フーゴを怒ったりしないし、ナランチャのことも別に怒んないよ。で、ブチャラティの下で働きたいから私のとこに来たの?」
「うん」
なるほど。
支払いを済ませて、私は席を立った。ナランチャに手を差し出したら握ってきたので、手をつないでのんびり街を散歩する。
「なんでブチャラティの下で働きたいの?」
水を向けると、ナランチャはつたない言葉で、時々どこで知ったんだその表現と言いたくなる慣用句を使って、ブチャラティがとても自分に親切にしてくれたことを語った。そしてそれだけでなく、見ず知らずの自分のためを思って叱ってくれたことを。この人についていくのが自分のやりたいことだ、と、ぱっと道が開けたように感じたのだという。それから数週間、前までやっていたように毎日を過ごしても、その思いは離れなかったと。

めちゃくちゃまっすぐだなこの子。がんばれよと肩を叩きたくなる純粋さがある。それを眩しく思うと同時に、どうして自分がナランチャのことをそれほど心配しなかったのかがはっきりとわかった。
ブチャラティ――あるいはショタラティとも、フーゴとも、暗殺チームの誰某とも違う輝きだ。それはとても透きとおった心の、真ん中に、あの時、ブチャラティに叱られた時にぎゅっとかためられた強固な思いで、ナランチャはそれがある限り、一心にブチャラティのことだけを想って生きられるだろう。その芯の強さが、私というお節介焼きの世話を必要としないから、私は遠く離れていてものんきにナランチャを眺めていられるのだ。私にはない強さ。彼らの中で一番無垢で、弱いけれど、うたれても倒れない強さ。そうか、そうだったのか。
とあるドアの前で足を止めた私を、ナランチャは不思議そうに見た。
「これから私はこの部屋の中に入る。君は、どのタイミングで入ってきてもいい。ただ、この中に入ったら、君はいつどのタイミングで死ぬかわからない」
「……部屋に入ることが試験、なのか?」
「入ることは簡単だよ。入って、死なないうちに出ればいいから。試験はね、この部屋の中で死ななければ合格になる。思い浮かんだ話を色々してくれたら、あっという間に時間は過ぎると思う。すべて話し終わって、並んで外に出られるといいね」
ショタラティの覚悟が足りないと言ったのは、彼が矢に選ばれるとわかってはいても、まだその時期じゃないと感じたからだ。実際に顔つきもふやふやしていたし。
ナランチャはどうだろうか。水晶のように透きとおった清らかさがあることはわかった。では、ナランチャは誰のために、死の危険を冒すのだろうか。
部屋の中に入ってドアを閉めようとノブに手をかけたら、ナランチャが踏み込んできた。早いだろ。いいのか辞世の句とか読まなくて。
「俺は、ブチャラティに従いたい。きっと、ただ生きているだけじゃ、死んでるのと同じだから」
「そっか。じゃあ、どうぞ」
ドアはふたりをのみこんで、ばたんと鍵をかけた。



0.5

ブチャラティとフーゴの過ごす護衛チームのアジトとなりかけているホテルを訪れたポルポは、ふたりの顔をじっと見た。
「……知らせたいことがあってね」
どうしたのかと腰を浮かせたブチャラティに、疲れたような苦笑を向ける。ポルポはゆるくうねる金髪が滑り落ちるのも構わず、視線を落として、ぽつり、呟いた。
「あの子を刺したよ」
びく、とフーゴが震えた。ナランチャにポルポのことを教えたのはフーゴだ。ポルポの声は、とても、沈痛なものだった。
分の悪い賭けだと知っていた。フーゴの優秀な頭脳はそれを無理だと判断し、けれど心のどこかが、ナランチャの勝利を望んでいた。それは自分がポルポとブチャラティに抱いたのと同じ輝きを、ナランチャの瞳の中に見出したからだ。けれどポルポは、こんなにも俯いて。
ブチャラティが立ち上がった。静かな態度だ。動揺しているのかしていないのか、フーゴにはまだ見分けがつかなかった。

ポルポの前に立ったブチャラティは、その背を少しかがめてポルポの顔を覗き込んだ。すくいあげるようにその手がポルポの頬に触れて、ポルポは避けるように顔をそむけた。
「ポルポ、こっちを向いてくれ」
「……嫌だって言ったら?」
ブチャラティは答えず、ひとつの質問を投げかけた。ポルポは言葉を詰まらせて、んな直接的な、と呟く。あまりにも場にそぐわないひとりごとだった。
フーゴはおかしいな、と眉を跳ね上げる。ポルポは人を食ったような態度でこちらをからかってくることはあったが、真剣な時は真剣な顔をして、無駄口など叩かない。フーゴが口を開こうとしたのと同時に、ブチャラティがポルポの顔に顔を寄せた。舐めた。
「ポルポ、嘘をつこうとしている味がする」
「どんな味なんだよ!相変わらずこええよ!!」
アホか!ポルポが舐められた頬を守るように手で覆って、ブチャラティがその手を掴んで引きはがした。
「で、ナランチャはどこにいるんだ?」
「……ブチャラティがいると嘘つけないから脅かせらんなくてつまんない」
ポルポは髪の毛をおどらせてドアに戻り、開けてナランチャを呼び寄せた。きょろりと部屋の中を覗いたナランチャが、ブチャラティを見て嬉しそうに顔を輝かせる。道を開けたポルポの横を風のようにすり抜けて、ブチャラティの前で立ち止まった。
「ポルポの試験に合格したよ!なあ、ブチャラティ、俺をあんたの部下にしてくれ!」
ブチャラティはいくつか真面目な顔でナランチャと言葉を交わして、ナランチャの瞳に宿った憧憬を正確に読み取った。その背中を支えて、廊下から、部屋の中心に招き入れる。全身で喜びを表したナランチャに、ブチャラティの横顔が、仕方なさそうに目を細めるのをポルポは見た。そしてポルポがそれを見てにんまりと笑みを浮かべたのを、フーゴは見た。
「(こいつ、また何かおかしなことを考えたんじゃないだろうな……)」
ポルポはフーゴの視線に気づくと、ひらひらと小さく手を振ってそのままドアの外へ出る。
かちゃりと静かにドアが閉まり、フーゴもドアから視線を外した。