07 風邪


迂闊にもチンピラにぶつかって治療費を吹っ掛けられてしまったことをしこたま叱られながら、私はちびりちびりと紅茶を飲んでいた。あの時プロシュート兄貴が通りかからなかったら私は素直に支払っていたのだろうか。メンタル弱いからなあ。
それにしても今日はやけに寒い。
季節的に、涼しい風が吹き込んでくるころだからだろうか。少し薄着すぎたかもしれない。おやつの時間を楽しもうと思い立った時は暑いくらいだったのに、今は服の下に鳥肌がたつくらい、芯から冷えている。脚をむき出しにしたのがいけなかったのかな。
「おいポルポ、聞いてんのか?」
「えっ?あ、おうおう、聞いてるよ。自覚が足りないって話でしょ?」
「違ぇよ、聞いてねえじゃねーか。テメーの顔色がよくねえって話だよ。昼飯食ったのか?」
プロシュートにごつんと額を小突かれた。イテ、と感じるよりも、その軽すぎる衝撃で視界がゆらいだ。あれ、おかしいな、お昼ご飯はたっぷり食べたから、低血糖は起こさないはずなんだけど。
背もたれの後ろから私の頭に顎をのっけて、空いているほうの手をもんだりさすったりしていたメローネの右腕がちょっと私の首にふれた。ん?と呟いたメローネが離れる。
「ポルポ、汗かいてるぜ。そんな暑いかな?」
「や、むしろ私は寒いんだけど……汗なんて、変だな……こんな鳥肌立ってるのに……」
二の腕をあたためるようにさする。
横に回って私の頬に手の甲をあてたメローネが、びっくりした顔で私の顔をぐいっと自分の方に向けた。首が痛いです。抗議しようと口を開いたはずなのに、唇が重くて何も言えなかった。プロシュートにハンカチを渡されて、感謝のかわりにそれをちょっと持ち上げてから首をぬぐう。ほんとだ、汗かいてる。
メローネの手招きで、読んでいた雑誌を閉じてやってきたギアッチョが、乱暴な手つきで私の前髪をかきあげて、額に手のひらをくっつけた。ひんやりしていて気持ちがよかったので、我慢していた眠気に任せて目を閉じる。
「ギアッチョ、きもちいい……」
「はァ!?おい、ポルポ、オメー―――」
最後まで聞けずに、私はぐんにゃりと身体から力が抜けるのを感じた。

知らない天井だった。えっと、つまり、どういうことだってばよ。額に何か乗ってるし、身体は重くて動かしづらい。きしむ首を動かして横を見ると、椅子に足を組んで座って、足の上に置いた雑誌のページを左手でおさえているギアッチョがいた。私が動いたことに気づいたのか、ギアッチョがこちらを見た。視線が合う。
「えー、……どういう状況……?あと……なんだ、この声……」
喉が詰まったように言葉が出てこない。かぼそい声で訊ねると、ギアッチョは私のデコから手を離した。
「ぶっ倒れても自分が風邪ひいてるって気づかねーのかよ」
「……か、…………風邪!?私が?ここ10年はひいてなかったのに?」
学校に通っていた頃に季節風邪で数日ダウンした記憶はあるが、それくらいだ。前世から身体が強かったのか、あるいは私がバカだということなのか、食生活がいいのか、そもそも仕事柄外出することが少ないから風邪菌を取り込まないのかわからないが、とにかくだるさとか熱とか風邪の諸症状とはほぼ無縁の生活を送っていたのに。
「熱なんか38度ちょい出てたぜ」
まじか。ギアッチョをじっと見ていると、なんだよ、とギアッチョは唇を尖がらせた。なんだなんだ、私が元気マックスだったら奪っているところだぞ。あっ、でも情けないことを言うと、私この年になってもまだ初キス済ませてないからお互い苦い思い出になりそうだね。
「ずっと……いてくれたの?うつるかもしんないのに……ごめ、ゴホッゲホ」
ギアッチョと反対、壁のほうを向いて咳き込んでいると、たどたどしい手つきで背中をさすられた。すげえ、風邪ひいてるとギアッチョが優しい。いつもは後ろから抱きついてもうぜえうぜえと私を罵倒しながら距離を取って、慣れない猫みたいにフーフー威嚇してくるのに。
ちなみに前から抱きついた時は間に挟んじゃったギアッチョの手が私のおっぱいをわしづかみにしちゃって、私がからかったら真っ赤になって私を罵倒してきた。ちょうかわいい。あと、器物損壊がひどいからちょっと自重しようねって注意しに行った時、部屋に鍵もかけずにシャワーを浴びていたからバスルームのドアを開けてみたらウオオオオオオふざっけんなテメエ殺すぞッてシャンプーボトル投げつけられた。不用心な君も悪いと思うんだ。
「はあ……」
咳き込んで、疲れてそのまま背中を向けていたら、軽く肩をゆすられた。
「おい、大丈夫かよ……薬飲めるか?」
「んー……イタリアの薬おいしくない……」
「うめェ薬なんかあるわけねーだろ。おら、水……起きられっか?」
錠剤とかシロップ薬とかおくすりのめたねが発達していない時代なので、粉薬がまずすぎて耐えきれない。パブロンよりまずいと思う。私は絶対嫌だと顔を両手で覆ってアピール。肩を引き倒されて仰向けにされても嫌だとアピール。苛立ったギアッチョにアイアンクローでこめかみを締め付けられても悲鳴を上げながら絶対に飲まない姿勢をアピール。
「薬飲まなくても寝てれば治るしさあ!」
「飲んだ方が早えだろうが!いくつだァオメーは!」
「21ちゃい」
「アホか!さっさと起きろ!」
「ギアッチョがいじめるー!」
雑誌が落ちるのも構わず立ち上がったギアッチョが、両手で私の肩を掴んで引き起こそうとする。風邪ひいた人の看病に慣れてないのだとわかって、両手で隠しながらくすぐったい気持ちになる。寝ている人を起こす時にはちょっと傾けながら背中を支えた方が起こしやすいんだよ、ギアッチョ。今のままだとギアッチョが腰をいわしちゃうよ。
観念して起き上がろうとした時、「騒がしいぞ」と、ドアを開けてリゾットが入ってきた。片手を私の肩にかけて、もう片方の手を私の顔の横について半分ベッドに乗り上げているギアッチョと、その下で(咳き込んで)涙目、よわよわしい私。ふたり分の視線が同時にリゾットに向いて、一瞬でリゾットの目が細められた。
「べつに押し倒されてるわけじゃあないからね。むしろ襲うとしたら私がギアッチョを、だからね」
「知っている」
「バ、バカかポルポお前このッ……アホか!!」
「ギアッチョ顔赤いカワイイーッゲホゲホ」
20歳になってその純情さはなんなんだ。まさかまだ童貞なのかギアッチョ。イケメンだからとっくに卒業しているかと思ったんだけど。というかリゾットのセリフはなんだ。知っているってなんだ。私信頼なさすぎる。ん?いや、ある意味で信頼されているのか。

「それで、何を騒いでいた?廊下に筒抜けだぞ」
ドアを閉めると、足音もなくベッド際まで近づいてくるリゾット。ギアッチョはフーフー威嚇するように肩をいからせて私から離れている。私は上体を起こして水をさがした。リゾットがコップをとって渡してくれる。うまい、もう一杯!叫ぼうと思ったけど喉がガラガラだったのでやめた。
「こいつが」
「こいつ!?ちょっと私のが年上なんだけど!」
「るっせェだったら年上らしくしやがれ!薬飲みたくねェとか駄々捏ねてんじゃねえよ!風邪引いてんのはオメーだろ!」
抗議したら数倍の怒鳴り声が返ってきた。そんな怒んなくても。
頭に響いたのでちょっとうつむいて黙っていると、う、とギアッチョが気まずそうにうめいた。
「メローネが買ってきたんだ。飲まないと奴も悲しむ」
「え、そうなの?薬箱に入れてあったんじゃないんだ?」
「傷の手当はすることがあるが、病気に罹る奴はいないからな」
「さすが若いと違うわね」
リゾットは私よりも年上だとかそういうことは無視。
感心していると、リゾットがチェストの上から薬の箱を取り上げた。封を切って、中から小さい袋を取り出す。とん、とチェストの平らな所に一度袋を立てて粉をすべて下に落として口を切る。心なしか、薬の嫌なにおいが私のところまで漂ってきたような。
毛布を口元まで引っ張り上げてNOをあらわす。するとリゾットは水差しから私の持つコップに水を注ぎながら言った。
「あまり抵抗するようなら、お前の側付きの部下を呼ぶが」
「ビアッ……い、いや、飲みます。何袋でも飲みますからそれだけはやめて……」
「そうか」
ビアンカが来たらたぶん汗を舐められたうえで薬を口移しされる。私の初キスをビアンカにうばわせるわけには。
薬を渡される。口をへの字にまげてそれを睨み、私は一気に呷った。水で流し込む。
まずすぎる。
前世の子供の頃にのんだパブロンの味はもう覚えていないが、あれは吐き気をもたらした。大人になるにつれてそれはなくなっていったけど、あれは味に慣れたのかそれともパブロンがあまりにもまずいそれを改良したのか、どちらだろう。どちらにしたって、今この時代の薬がまずいことに変わりはない。
リゾットはゴミをゴミ箱に入れて、コップを置くと、私の額に手を当てた。そういえば、プロシュートとの話の途中で倒れる少し前にギアッチョが手を当ててくれたような気がする。あれも冷たくて気持ちよかったけど、リゾットの手もひんやりしている。顔色もいつもよくないし、血行が悪いんだろうか。大丈夫か?仕事しすぎか?いや、ちょっと待てよ。もしかすると私が熱いだけか?
冷たくていい感じだったので、当てられた手の上から両手で押さえてじっとしていると、だんだん私の体温が移ってぬるくなってきた。
「あれ?そういえばさっき、寝てる時かな?すごくデコが気持ちよかったんだけど……」
濡れタオルも冷えピタもなかったような。
手を離してギアッチョの方を見ると、腰に手を当てて私を見ていたギアッチョがつんとそっぽを向いた。なんだろう、と記憶をたどって、目覚めた時に、隣に座っていたギアッチョの手が私の額にのびていたことを思い出す。夢うつつの中、ひんやり冷たくて気持ちよかったのはもしかして。
「ギアッチョ、ずっといてくれたの?」
「……だったら何なんだよ」
むくれた声だ。なんでむくれてんだよ。からかったからか。それについてはおねえさんが悪かったからさ、もっとこっちおいでよ。
懐かない猫を呼ぶような気持ちでちょいちょいと手招きすると、ギアッチョはじりじりと距離を詰めてきた。
「もうちょっとこっち来てー」
「……」
手を伸ばして腕をつかまえる。ギアッチョゲットだぜ。ポケモンボールはないので、ベッドの上で膝立ちになってギアッチョの頭をよーしよしよしよしよしと撫でまくった。もじゃもじゃがぐしゃぐしゃになって、バカやめろよとギアッチョが私の手首をつかんで押しのける。その拍子にバランスが崩れてベッドにしりもちをついた。今このベッド軋んだ?嘘だろ承太郎。いやマジだぜ。できるならだれもそれを聞いてませんように。
私はニヤーッというよりはヘラーッと笑って、ギアッチョのひんやりした手を握った。
「ありがとね、ギアッチョ。おかげでこんなに元気出てるよ!」
眠る前の、重苦しくて寒かった何かがどこかへ飛んで行ったようだ。ずっと人がいてくれたというのもあると思う。風邪の時は人恋しくなるから、きっとひとりだったらもっと苦しかっただろう。
お礼を言うと、ギアッチョの口がどんどんへの字にまがっていった。ずれてない眼鏡を押し上げて(余談だけど、ギアッチョの眼鏡の押し上げ方は、真ん中を指一本で押すのではなく、眼鏡の両端を親指と中指で押し上げるやり方なので、私としては毎回きゅんとして興奮する)私を見て、リゾットを見て、唇がむずむずして、それから私が握っていないほうの手で私の顔の上半分を掴んで枕に頭を押し付けた。勢いがつかないように気をつけてくれたようで、ドカーンというよりはポスンという感じだ。
「ヘンなこと言ってねーで、さっさと、寝ろ」
目元をおおわれているので、ギアッチョがどんな表情なのかはわからなかった。言われた通りに目を閉じると、まつ毛が手のひらに当たったのか、ぴくっと指が動いてから、ゆっくり手が離れていく。額に手は寄せられなかったけど、つないだ手はそのままだった。

「……て、ちょっとまって、私、誰のベッドを占領してるの?誰か寝っぱぐれるんじゃない?」
落ち着きだした思考がそのことに行きついて目を開ける。リゾットを見上げると、リゾットは小さく首を振った。
「ここは俺が借りている部屋だが、もともと一部屋余っていた」
「あ……そう。じゃあ、遠慮なく。……おやすみなさい」
今度こそきちんと目を閉じる。すぐに眠気はやってきて、身体からじんわりと力が抜けていく。指先がギアッチョの手から離れかけても、それでもひんやりした感覚はそこにあった。そして私が眠りに落ちるまで、リゾットは部屋を出て行かなかった。


目が覚めると、身体がすっかり軽くなっていた。倦怠感も、寒気も、熱っぽさもない。長引くかと恐々としていたが、早く治ってよかった。あとはぶり返さないように注意しよう。
ギアッチョの姿をさがして横を見て、二度見した。あ、二度見しても頭が痛くない。やったー。
そうじゃない。
なぜかソファが運び込まれ、そこにメローネが寝ていた。
ギアッチョは眉間にしわを寄せながら椅子に座った姿勢で寝ているが(夜中じゅうずっと手を握ってくれていたらしい。さすがにぬくまっていた)、メローネの寝顔はすやすやと穏やかだ。どこかあどけないのは、髪の毛が顔にかかっているからそう見えるだけだろうか。あるいはマスクがないからか。
私はギアッチョを起こさないようにそっと手を離して、ベッドから降りた。ふたりとも何も掛けずに寝ているんだが、私の風邪がうつる心配とか、冷えてお腹を壊す心配とかはないのかな?子供は風の子だから平気なの?君たちもう20歳だよね?
気にはなるものの、私の汗にまみれている上掛けを使うわけにもいかない。そろそろと歩いてドアを開ける。ノブを捻った時にがちゃりと音がしたけど、ふたりとも目覚める気配はない。暗殺者としてそれでいいの?まさか私が一緒にいるから超リラックスしてますみたいな話じゃあないだろうし。もしそうだったらふたりとも可愛すぎる。食べちゃいたい。
洗面所で顔を洗う時に初めて気づいた。私、パジャマ着てるよ。
「……自分で……着た……のか……?」
逆に、なんで今まで気づかなかったのか不思議だ。まったく記憶にない。ハッと揉んでみると、下着もつけていなかった。寝苦しくないはずだ。
黒と白の細い縞々パジャマは肩も裾も袖もぶかぶかだ。黒と白の縞々の柄に気づいた時爆笑するかと思った。これぜったいリゾットのだろ。どんだけストライプ好きなんだよ。
そして生足にミニスカートを履いていた弊害か、スースーする感覚に全く違和感を覚えなかったのだけど、私ズボン履いてねえわ。なんでだよ。履かせてよ。ズボンを履かせることに抵抗があったなんてふざけた理由は受け付けない。じゃあなんで私のブラジャーが脱がされてんだよ。そっちのほうが抵抗あるだろ。
とりあえずさっぱりして、指で髪の毛を整えて戻る。

ふたりはまだ寝ていた。寝顔を見るのは初めてなので、まずしゃがみこんでソファの上のメローネを眺めた。
部屋の真ん中あたりに置かれたソファに、私が寝ていたのと同じ向きで寝息を立てている。背もたれに背を向けて、靴を脱いでちょっと丸まるような体勢だ。顔はベッド側に向いている。
呼吸のたびにかかった髪の毛がふあふあしていたので、生え際からツー、となぞって耳にかけてやった。すべすべの頬を親指で撫でる。頬を片手で包むようにしてすべすべと。まだメローネは起きない。指でつんつんと唇をつついてふにふにの感触を楽しんでも、さらさらの髪の毛を指で梳きまくっても起きない。冷えてないのかなと思ってむき出しの腕にも触ったが、部屋の窓を締め切っていたからか、それほど冷たくもない。平熱が高いのもあるかもしれない。
「なんだなんだ、メローネは眠り姫か?よっぽど疲れてたのかな……悪いことしちゃったかー……」
薬を買ってきてくれたのはメローネだと、リゾットが昨夜に言っていた。私は折り曲げた人差し指と中指をそろえて、ぷにっと眠り姫メローネの唇に押し付ける。その途端、ぱちんと音がしそうなほどハッキリとメローネの目が開いた。
「うおっビビったあ!!寝たふりかよ!!」
ビビりすぎて軽く飛んだ。メローネは目だけで自分の口に押し当てられている指を見て、不満そうに顔をしかめる。けれどちらりとその視線が彷徨って、すぐにニヤッと笑った。
「目覚めのBacioをありがとう」
「いえいえ。どっから起きてたの?」
「どっからって、ポルポが起きた時からだよ。当たり前だろ?」
そんなきょとんとした顔で言われましても。
「ということは、ギアッチョも起きてんの?」
「んー?さーね、俺知ーらないっと。寝てんじゃないの?遅くまであんたのことみてたし」
「(寝不足にしちゃったかな……?)」
立ち上がってギアッチョの傍に行き、寝顔を覗き込む。
去年あたりに、ギアッチョが肘をついて転寝しているのを見たことがあるんだけど、その時と変わらず眉間にしわの寄った寝苦しそうな顔をしている。眠りってそんなつらいものだっけ?大丈夫?悪い夢見てない?
眼鏡をかけたままなので、そーっと抜き取ってみる。野暮ったいのになぜかギアッチョがかけるとオシャレに見える謎の眼鏡だ。かなり度がきつい。それをベッドに置いて、寝てるのかわかんないよという意味を込めてメローネを見たら、私がやったように指を折り曲げて、自分の口につけてみせてきた。同じことをギアッチョにもやれと言うのだね。メローネだから許されたけど、ギアッチョはそう言う接触が嫌いそうに見えるよ。大丈夫なの?私死なない?まあ死ぬ前にメローネが止めてくれるだろう。などと楽観視してしまったけど、メローネのスタンドは肉弾戦向きじゃないし、顔面掴まれて直触りで凍らされたら即死ぬわ私。やめてーまだブチャラティ貯金そこまで貯まってないのー。
「ギアッチョちゃーん」
片手で頬をなでて、様子を見るも、やっぱり目を開けない。呼吸が乱れないのは寝ているからなのか、暗殺者のチートパワーやばいでしゅなのか、私にはわからない。ほっぺに手を当てたまま、指をそろえた。むに。唇にくっつける。
「起きないな。マジで寝てるよメローネ」
「えー?マジかー。んじゃ、寝かせといていいんじゃね?」
ずいぶん適当な対応だ。私はギアッチョの手を取って、なんか悪戯したいな、と思ったので、自分のおっぱいに当ててみた。
「あーっ何やってんだよポルポ!」
「いや、おっぱいに」
「っざけんなアホかアアアアアア!!」
全力でふり払われた。起きてんじゃねえかよ。
椅子がガタガタうるさく鳴って、立ち上がったギアッチョがそれを勢いよく蹴り飛ばした。哀れな椅子は壁にぶつかって座るところと背もたれがちょっと割れた。
「人の寝こみを襲うんじゃねえよ!!」
「だって絶対寝たふりだと思ったからさあ……」
FカップのFはファンタスティックのFなんだよ。
「どうでもいいわ!!クソッ人が大人しくしてりゃあ調子に乗りやがって」
「そもそもなんで大人しくしてたの?」
「どーでもいいだろうがこっちの話は!!」
かなり気になるよ。けどまあ詮索するなというなら話を変えよう。私を着替えさせてくれたの誰なの?
ギアッチョがメローネを指さし、メローネが俺だよと手を挙げた。素直だね。
「なんで私はズボンを履いてないの?」
メローネはへらへらと笑いながら理由を言った。履かせないほうがイイなって思ったからさ。そうですか。私は考えるのをやめた。
「私の着てた服はどこにあるの?」
「あー、この部屋はハンガーもクローゼットの突っ張り棒もないから、リーダーの寝室に置いてあるぜ。取ってくる?」
「おうとも。まさかパジャマで帰るわけにはいかないからね」
立ち上がりかけたメローネを止めて、自分で行くよとドアの方に歩き出す。わざわざ手間をかけさせるようなことじゃない。
メローネはしばらく迷ったようにんーと唇に指を寄せたあと、まあポルポなら大丈夫か、とこちらが不安になるようなことを言った。リゾットの寝室は魔窟かなにかなの?それともドアを開けた瞬間上から刃物が降り注ぐようなトラップに満ちているの?ふしぎのダンジョン?
「へーきへーき、ポルポならいけるって」
な、とメローネに同意を求められて、腕を組んだギアッチョが同じようにうなったあと、平気なんじゃねえの、とうなずいた。私が帰って来なかったらとりあえず救急車呼んでね。

ということで、今私はリゾットの寝室の前にいる。
どうやって入るべきか。やっぱりノックしたほうがいいよね。でも寝てたらどうしよう。こっそり取って出た方が迷惑にならないだろうか。
「(でもあの子たちはすぐ起きたらしいし……)」
まさか、リーダーのリゾットが気配に疎いわけはないだろう。サルディニアではなぜかドッピオを追手だと嗅ぎつけて監視してたくらいだ。あの嗅覚なんなの。獣なの。
あいだを取って、声をかけてから入ることにした。部屋の中真っ暗すぎて笑える。カーテンの遮光性が仕事をしすぎている。
「……」
おかしい。踏み込んでも、リゾットが何の反応もしない。
「あれ?起きてるよね?……リゾットちゃん?」
返事がないただのしかばねの、じゃなかったただのリゾットのようだ。
クローゼットを開けた瞬間刃物がズバババとか洒落にならないので、とりあえず、ベッドに近づく。急に起き上がったリゾットにメタリカされても死んじゃうので声をかけながらベッドわきまで来たけど、リゾットは壁の方を向いている。人に背中見せていいのね。とあるスナイパーは背後に立たれると激おこぷんぷん丸なのに。
つんつんと背中をつついても無視された。
「リゾット、起きてないの?……本当に起きてないの?本当に?え?いやさすがに起きてるよね?」
まったく反応がない。そしてリゾットの呼吸が薄すぎて全然体が動かない。息してる?大丈夫?
寝ているのだろうか。
もし寝ているのだとしたら、起こすのは忍びない。かといって勝手にクローゼットを開けて中をあさるわけにもいかない。そして、成果もなく部屋に戻るわけにもいかない。おっぱいはまあどうでもいいけど、パンツを人前で晒し続けられるほど面の皮は厚くないのだ。おっぱいはどうでもいいけど。なんでどうでもいいのかというと、元々私はこんなにおっぱいがデカくなかったので、"ポルポ"として生まれた副産物だと思っているからだ。このおっぱいは私のものじゃなくて"ポルポ"のもの。誰が触ったって問題ない。私のものじゃないんだから私が気にするのはおかしい。そういう理屈だ。
けど、おっぱい以外はちょっと、気になる。25年プラス21年ぶん生きてはいるが、どの人生でも男と縁がなかったし、下着姿を他人に晒したことなんてないのだ。さすがにちょっと恥ずかしい。
「……仕方ない……」
こんな彼シャツみたいなアホな格好でいるくらいなら私は恥をかき捨てる。
私は掛け布団をめくった。お邪魔します。靴を脱いでその中に入る。人肌あったけえ。体温低いなと思ったけど、人並みにふとんのなかをぬくめるくらいの温度はあるようで何よりだ。もぞもぞと居心地のいい場所を確保してふう、と息をつく。リゾットの背中にくっつく形だ。
「……邪魔だ」
「起きてるじゃん……なんで返事してくれないの……なんか怒ってるの?」
「怒ってない。ただ、……俺は寝たいんだ……」
「!?」
やっぱり仕事のしすぎなのだろうか。
予想外すぎる発言に驚いて起き上がると、リゾットはようやくこちらを向いた。
「そんな眠いの?大丈夫?」
「寝られる時に寝ておきたいだけだ。……もう具合はいいのか?」
たぶん今のリゾットより元気だよ。
そうか、と相槌を打って、リゾットは掛け布団を引っ張り上げた。帽子のヘリで照準を合わせる某早撃ちの彼はいついかなる状況でも素早く寝ることが特技だったような覚えがあるが、リゾットもそうなのだろうか。仕事柄、夜が遅かったりするもんね。それなのに昼間は書類仕事が待ってるとか、そりゃ寝られる時に眠りたくなるわ。
「あの、申し訳ないんだけど……私の服はどこかね?」
それだけきいたら出ていくので教えてください。
リゾットは仰向けになって、腕を伸ばして、壁の方を指さした。もう言葉を発する気すら/Zero。私も突っ込むことはなく、礼を言ってベッドから降りた。クローゼットを開けると、私の服が一番取りやすいところにかけてあった。ハンガーを抜いて腕にかける。
ハンガーを戻す時に何気なくリゾットの服に目をやって、笑いをこらえるのに必死で腹筋がつりかけた。同じ服が3着は確実にあった。ローテーションだったのか。どこで購入してるのかとても気になる。オーダーメイド以外にはあり得ないだろう、このデザインが一般受けするとは思えない。
何事もなかったふうを装って扉を閉め、私はリゾットの方を見ないようにしながら部屋から出た。見ちゃったら確実に腹抱えて笑ってしまう。危ない危ない。

洗面所で着替えて部屋に戻ると、メローネとギアッチョはソファに並んで座っていた。メローネがギアッチョの肩に腕を回して何事か喋っていたようだ。ドアを開けるとすぐにおかえりと振りかえられてしまったので、何を話していたのかは知らない。
「なあんだ、着替えちゃったのか」
「そりゃあ……。ねえ、あのさ、シーツとかって洗濯してから帰ったほうがいいよね?勝手に洗濯機使っていいのかな?」
「気にしなくていいよ、あとでまとめて俺がやっとく。朝ごはんどうする?今つくろうか?」
「あ……いや、でも私、今回迷惑かけたから……」
部下の家でぶっ倒れて看病される上司とか、どうなんだろう。考えれば考えるほどドツボにハマっていくのであえて気にしないようにしていたが、さすがに寝っぱなしで帰るわけにはいかない。
私がそんな感じのことをぽつりぽつりと訊ねると、メローネはにこにこと非常にうれしそうに笑った。今の話のどこに笑える要素があったのか、私に教えてほしい。
「だってそれってつまり、まだこっちにいたいってことだろ?ポルポがそこまで言うなら帰れとも言えないよなあー、なあギアッチョ?」
「うるせーひっついてくんな」
馴れ馴れしく近づいたメローネの顔を容赦なく手で押しやるギアッチョ。本当に容赦がないし、メローネの首はあんな角度で曲がって大丈夫なのだろうか。大丈夫なんだろうな。

それから洗濯をしたり、空腹にむせびないた私の胃袋のためにメローネとギアッチョが台所に並んで立っているところを見て感動したり(最近、このふたりのことを幼稚園児と間違えているんじゃないかと時々思う)、昼過ぎにようやく起きてきたリゾットと、部屋を訪れたプロシュートとホルマジオに脳天ぐりぐりされたり夏風邪はバカが引くんだぜと日本の俗説を引っ張り出されたりして時間は過ぎていき、私がようやく存在を思い出してメローネから受け取った携帯電話を見てビアンカからの履歴がカンストするレベルの着信に恐れおののくころには、もうおやつの時間を回っていた。
さすがにこれ以上長居するのもどうかと思ったので、改めて感謝を伝えて仕事場に戻ったのだが、涙で顔をぐしゃぐしゃにしたビアンカがそれから二週間ぴったりくっついてトイレまでひとりになることを許してくれなかったので、私も何度目かになるドン引きをしながら心に決めた。もう二度と風邪はひかないようにしよう。