06 Bチームはアウト


書類に日付けを入れる時に、95/って書いてからウワアアアアアって叫んで96/に書き直す作業にももう慣れてきた。ていうか、最近ようやく一発で書けるようになってきた。だから新しい年を迎えるのが嫌なんだよ。

今年で私も21歳になって、酒がうまくて仕方ない。やっぱり元日本人としては20歳を超えるまで、必要にかられた場合を除いて飲酒をしちゃいけない気持ちがあったので、パーティの付き合いがない限りは禁酒を心に決めていたんだけど、もう通り越して1年も経つと仕事中にシャンパン開けちゃう?みたいな、ゆるんだ気持ちが顔を出すね。
ビアンカが酒に弱くて、すぐ酔っぱらって呂律が回らなくなるのが可愛すぎるので、仕事終わりにホテルの上階にあるおしゃれなバーで数杯ひっかけたあとに、つい予約してあるお部屋にお持ち帰りしてしまった。べつに何をするってわけじゃあない。ただ、いつも死体を見て陶然と潤んでいる瞳が閉じられて、長いまつ毛が間接照明に照らされて頬に影を落として、あどけなく眠っている姿が見たいだけだ。だって毎日毎日口を開けば下ネタかネクロフィリアネタばっかりなんだもん。せっかくきれいな女性なんだから、きちんとそうやって愛でたい。中身が残念すぎるから普段は無理だけど。

どうも部屋の電波が悪かったので外に出る。私が持っているのは、パッショーネの幹部と一部のチームリーダーにだけ渡されている携帯電話だ。決められた数個の連絡先にしか電話のできない、らくらくフォンみたいなやつだけど、パソコンすら窓95で感動されてる時代だから文句も言えない。
飲んでいる時に着信があったらしく、液晶の文字がちかちかと点滅していたので、私は電波のよい廊下の隅っこで電話を耳に当てた。コール音のあと、電話がつながる。
「はいはい、どしたの?」
「いや、俺ではなくメローネの用事だ。今替わる」
メローネがリゾットの携帯から電話をかけて来るとはこれはいったい。
待っていると、ばたばたと足音のような雑音と、それからメローネの声がした。
「ポルポ!あの雌猫とホテルに入ったってマジなのか!?ソルベとジェラートが見たって!」
「雌猫とかどこで勉強するのそういう表現?」
エロ本でも読んでんのか?読んでるんだろうなあ。
どうでもいいだろと一蹴して、メローネはもう一度同じことを訊ねてきた。マジだよ。ビアンカなら今俺の隣で寝てるよ。いや、今は隣じゃないけど。
そんなようなことを冗談めかして言ったのだが、メローネは冗談だと思わなかったらしく、ハアアアア!?と奇声を上げてかみついてきた。
「なんでアレなわけ!?べつにポルポがそーいう趣味でも俺は全然いいけど、あいつだけは絶対ダメだろ!」
「……いや、別にいかがわしいことをしたわけではないんだけど……」
逆にききたい。なんで私がビアンカ相手ににゃんにゃんしてるように見えるんだ。私は付き合うなら男だし処女捨てるのも男相手がいいよ。やや疲れぎみの声で言う。直接的な言葉で言わないと理解してくれないツンデレちゃんなのか。一番いいフラグを頼む。
メローネは黙り込んだあと、おそらく電話の向こうで真顔になった。
「ポルポって処女なの?」
どんがらがっしゃんと何かをぶちまけるような音がした。誰だよメローネの周りをうろついてた純情ちゃんは。これがリゾットだったら光の速さで保存するんだけど。たぶんペッシだろうな。
「まあ、今んとこ恋人もいないし。つーか用事それだけだったら切るよ?私も明日早いから寝たいんだ」
「そっか。みんなに言っとく。じゃ、おやすみ」
「おい」
バカかメローネしばくぞ。何が悲しくて私の貞操が暗殺チームの中で周知の事実にならないといけないんだよ。
私は電話をメローネに見立てて床に叩きつけたくなったけれどぐっと我慢した。壊したら弁償しないといけない。痛くもかゆくもない出費だけど、無駄な金は使いたくない。主人公の言葉を借りるなら無駄なことは嫌いなんだよ無駄無駄WRY。

ツー音を切って廊下を戻る。角の所で、どん、と誰かにぶつかってしまった。
「すまん、大丈夫?」
「あ、いえ、すみません、僕が前を見ていなかったので……」
まだかなり年若いだろう少年だった。
つやつやのおかっぱをさらりとゆらして、ふるふると首を振って詫びる姿は比護したくなる危うさがあるのに、ぱっちり合った群青の瞳には冷ややかな刃のような鋭さが隠れている。
私が壁際に寄って道を譲ると、彼はぺこりと小さく頭を下げた。少年が顔を上げる前に、なんとなく、手を伸ばして私よりも低い位置にある頭を撫でた。
少し見開かれた瞳が私を見る。ごめん、なんか撫でてやらねばならんという気になったんだ。ショタコンじゃないよ。
見つめ合っていても仕方ないので、私は彼とすれ違うように一歩踏み出した。
「じゃあね、がんばれ」
どうして応援してしまったのかはよくわからないけど、たぶん彼の雰囲気が、入団試験を受けに来た、私よりも年下の彼らに似ていたからだろう。

少年に再会したのはその数か月後だった。
もう私はホテルの廊下ですれ違っただけの少年のことなどすっかり忘れており、日常どおり、入団志望者を殺したりスタンドを発現させたり、感覚を麻痺させないとやってらんねえよクソボス野郎と罵りたくなる任務をこなしたり、アホか腱鞘炎になるわと全部崩して紙束の雨に打たれたくなるほどキリのない書類と戦ったりしていた。え?抗争?あるらしいけど、私の敵はもっぱら組織にいるバカとか始末書とかだ。私は戦闘向きじゃないし、ボスも私の貴重なサバスたんをうっちゃることはできないので、ダブルピースで平穏な内勤を続けていた。
「会ってほしい構成員がいる、とな」
雨の日のことだった。
ネアポリスの空が陰ることは珍しく、空気の入れ替えができないと、朝にビアンカが窓を睨みながら腰に手を当てて怒っていた。私はといえば、日本よりも湿気が少ないので、楽な雨天だなあとのんびりラッテを飲んでいたのだが。

嘆願のような形で意見を求められることが多い私のメールアドレスは、ある程度の人間に公開されている。公開しているから問い合わせが多い。くだらない用事や愚痴をきくことで人脈も広く浅く広がるし、時にはどうでもよいような鬱憤に紛れて組織のほころびや構成員の不正が判明するのだからバカにもできないし雑にもできない。そのメールは、そんな中の一通だった。
比較的、仲のいい人からだ。地区で言うなら、Eのうちの下っ端を管理する役割だろうか。幹部ともチームとも違う、どこに配属されるかが決まる前のばらけた新人のまとめ役だ。ブラスコという名前の、床屋に擬態した30代半ばかそれ以上の男。本来ならきちんとチームに振り分けられる実力の持ち主なのだが、どうも右も左もわからぬ新人をニヤニヤ眺めるのが好きらしい。どんな趣味やねん。
私はそのブラスコに呼び出された。この雨の中だ。傘をさすのがへたくそで、私はよくびしょ濡れになる。だから雨の日は外に出たくないのだけど、どうしてもと言われたら行かずにはおれない。

指定された場所はブラスコが仕事に使っているアパートだった。私の仕事場から30分ほど歩いた場所にある。面倒くさいのでタクシーで近くまで行って、10分くらいうろうろ歩き回ってパンとかお菓子とかを買い込んでからドアを叩いた。
「悪いな、ポルポさん」
友人を招き入れるような気軽さで微笑まれ、私もお邪魔しますと礼儀をとおした。ドアと鍵が閉められ、私はタオルで軽く水分を拭き取る。
「雨だったってのが最悪だわー。晴れてたらもっとおめかしして来たんだけどさあ。ごめん床濡れない?」
「いいっすよ後で拭くんで」
「ごめんね。これ、お詫びがてら。まともなもん食べてないんじゃないかと思って、パンとお菓子持ってきた」
「マジですか。グラッツェ」
ブラスコは無精ひげを生やして、たまに数食食べ忘れて低血糖でぶっ倒れるタイプのダメ男だ。そんなんでよく表社会に擬態できるな、と思わなくもないが、私は空気を読んで黙っておく。
リビングルームに通されると、そこにはひとりの少年が椅子に座っていた。目が合って硬直された。おい、とブラスコが声をかけると、がたんと椅子を蹴り倒しそうな勢いで立ち上がって私に礼を取る。おかっぱ頭がさらりと頬の横を滑り落ちて、既視感。安いナンパの常套句がよぎって、苦笑して振り払う。私のストライクゾーンからは遠く離れた少年だ。
「私はポルポ。ブラスコとは……なんだろ、たまに電話する仲よ」
「ははは、そうッスね。こいつはブローノです。ブローノ・ブチャラティ」
同姓同名もいるもんだね、とは思わなかった。パッショーネに所属するブローノ・ブチャラティなんてひとりしかいないわよ。
びっくりしたのだが、びっくりすると人間はあまり声に感情が乗らなくなる、らしい。私の場合はそうだった。へー、とまったく気のない相槌を打ってしまって、顔を上げたショタのブチャラティ略してショタラティが身を縮めた。ごめん、脅かすつもりはなかった。
「この子がどうしたの?」
勧められるまま椅子に腰かける。タイツが濡れてくっつくので脚は組まない。テーブルにゆるく肘をついて、立ったままのブラスコを見上げると、彼は言いづらそうに頬をかく。
渡した荷物が重そうなので、置けばいいのにという意味を込めて私の隣の椅子を引いた。床に荷物を置いたブラスコがそこに座った。そうじゃねえ。いいけど。いいけどね。君が座ったらショタラティがひとり立ってて可哀そうじゃん。あ、もしかしてショタラティがこういう場合にどうするかって言う反応を見ているのか?ブラスコの悪趣味は私にはちょっとわからん。
ブラスコに指されたショタラティは立ったままだった。
「こいつがね、強くなりたいって言うんですわ」
うん、がんばれ!と一瞬思ってしまったことは秘密だ。私を呼ぶということはもちろんそういう肉体改造の話ではないのだろう。

ショタラティを見ると、かたくこわばった表情で、じっと立っている。私からは見えないが、両手を握りしめているんじゃなかろうか。とても緊張している。あるいは、強迫観念にとらわれている。そんな顔だった。
「私が強い力を与えられるってこのおじさんに言われたの?」
おじさん呼ばわりに傷ついているブラスコは無視。
ショタラティは困惑の宿った瞳で、こくりとうなずいた。唇は頑なに引き結ばれたままだ。
「他に何か教わった?」
「……」
ショタラティがブラスコを見る。口を開いていいのかと視線で訊ね、ブラスコが小さく顎をしゃくってそれを許可した。この場合、許可するのは私であるはずだけれど、私が細かいことをいちいち気にする性格ではないとブラスコは知っているのだ。
ショタラティは私に向き直った。
「その……強い力は、僕にその素質がなければ、僕はそれを手に入れられずに死ぬと聞きました」
「そう。で、どう思った?」
「……でも……僕は……今、それを手に入れないと、……守れないから……」
じーっと見つめていると、ショタラティはだんだん俯いてしまう。いくつだっけ?口パクできくと、ブラスコが指で15と示した。へえ、15歳ですか。若いな。ていうか5年後がスタートかよ。樹海に飛ぶしかないな。
「ブラスコ、ちょっとあっちで私とこの子に茶でも入れてくれる?」
「俺の分もいれていいんすかね」
「どうぞどうぞ」
冗談めかして席を立ったブラスコは、カウンターのようにつくられた、リビングとキッチンの仕切りの向こうに消えた。私は席を立って、テーブルの向こうのショタラティを座らせる。
ブラスコは、なぜショタラティが力を手に入れたいのか知っているんだろうか。彼は知らない、と私は見た。そして恐らく、ショタラティは彼に言えないんだろうなとも思った。でも知らないオバサンになら――おっとおおおおお自分のことをオバサンとか言ってしまった死にたい。お姉さんねお姉さん。それになら言えるかもしれないよね。そう、おねえさんになら。
「君は死にたいわけじゃないでしょ?」
「……うん……あ、……はい」
しゃがんで、座ったショタラティを下から覗き込むと、ショタラティは小さくうなずいた。膝の上で握りしめられてすっかり冷たくなった手を握ってみる。あたためるように両手でなでさすると、ショタラティの声が震えた。
「守りたいものがあるんだね。君はそれを生きていないと守れない。でも、私に、死んじゃうかもしれない方法で、力を欲しいって言う。ブラスコに頼んでメールを出してもらった?彼がそうするだけの気迫があったんだね。若いのにすごいよ。……何が君をそうさせたのかな?」
パッショーネ入りして色んな人と接するうちに磨かれた私のコミュ力レベル50を見ろ。とある界隈ではこれがマックスのレベルだと有名だぞ。でも戦闘力に換算するとたったの50かゴミめって言われる。
答えを急がず、やかんからたちのぼる湯気のように、それが天井にきえるようなゆるやかさで、私はショタラティの手をさする。すべすべですね。たぶん何もお手入れしていないんだろう。それなのに、手のひらは少し硬い。戦う力を少しずつ身に着けて、いずれ決まるチーム編成を待っている、子供の手だ。
「僕の……父の……」
ショタラティはふるえる唇で少しずつ話し出した。
子供のころから冷静で、かたくななところはあるけれど、覚悟を決めた静かな湖畔のような強さを持った少し残念なイケメン、のはずだったけど、それを5年ぶん幼くしたとはいえ、彼をここまで追い詰めるものがあったのは確かだ。私の嫌な予想は当たった。
ショタラティの父が麻薬取引を偶然目撃して瀕死の重傷に陥ったこと。口封じにヤクザ者が現れたのを殺したこと。私の知ることを、ごまかしにもなっていないごまかしをまじえながら短く説明したショタラティは、自分の現状を口にした。
父の入院している病院のある地区のチームが――便宜上分類するならばBチーム――が、ショタラティを快く思っていないこと。そして、誰からも見えないような角度でショタラティを追い詰め、そしてとどめに、どこで入手した情報だかは知らないが、病院に圧力をかけてショタラティの父を放逐させることもできるぞと脅したことを。
「(うわー、やっぱりあのチーム、あんまり宜しくなかったか)」
私はため息を隠した。

Bチームは、リーダーこそ善良な―――人間として害がなさすぎるがゆえに社会からはじき出された、いわゆる空気の読めない善良さを持つ人間だったが、その下についている人間があまりよろしくないと口の端にのぼることの多いチームだったのだ。それを今まで見逃して来たのは、リーダーが彼らにもいいところはあるんですと嘆願を送ってきたからのこと。ただし、猶予は今月いっぱいだ。
月末も近づいてきたというのに、こんなところで最大のオイタがばれてしまうなんて運のない奴らである。神がいるとしたら、やはり報いは受けるのだなといったところか。
ショタラティは、そんな彼らを、そんな口が叩けないくらいにぶちのめして、父を守らなくてはいけないのだと言った。そのために、強い力が必要で、それをすぐに手に入れるためには、私に―――ポルポに頼るしかないなとブラスコがこぼした手がかりにくらいついた。けれど自分が死んだあとのことを考えると一歩踏み切れない。そんなところか。
私はよっこいしょと立ち上がって、ショタラティの手から手を離した。はっと顔を上げたショタラティの顔には、すがるような戸惑いとわずかな失望が浮かぶ。そうだね、見捨てられるか怒られるか甘ったれんなってひっぱたかれるかのどれかかと思うよね。わかるわかる。私も体育教師に貧血なんですって嘘ついた時、ちょっとジャンプしてみって言われて素直にジャンプしたら元気じゃねえかよって頭叩かれたもん。え?ちょっと違う?
私はくしゃくしゃと、まだ三つ編みになっていない頭のてっぺんに手を置いてかき回した。ショタラティの細い首がかくんかくん揺れる。ほっぺをかるくつまんで、むにっとひっぱる。
「え、え……?」
「結論だけ言うと、君にこの力はまだ早い。年齢じゃあない。覚悟がちょっぴりたりないんだね。時期もよくない。数年後に出直しておいで」
「ッ……」
ショタラティが表情を暗くしたので、私はくしゃくしゃにした髪を手櫛で梳いた。
「でもまあ、その状況はなんとかするわ。そいつらに突撃かけて返り討ちにされるのは、明後日よりもあとにしておきなね」
こぼれた黒髪を耳にかけてみる。見たことのない片耳露出スタイル、とてもかわいい。ショタとか呼んでるけど、15歳という少年が青年になりかける時の特有の色気がある。悪い大人に捕まらないように気をつけて成長するんだよ、となぜか幼稚園の先生のような気持ちになってしまった。

茶をいれたブラスコが戻ってくる。
元通りになったショタラティの髪の毛から離れて、引きっぱなしの椅子に腰を下ろした。熱いお茶を一気に飲んで、熱い、もう一杯!ブラスコはポットから即座にお茶をそそいだ。ネタにマジレスありがとう。
今度はふーふーしながら口をつける。ショタラティがぽかんとこちらを見ていたので、ふーふーしたのが飲みたいのかとカップを差し出したら勢い良く首を振られた。そんなに拒絶しなくても無理強いしたりしないよ。

ブラスコの部屋から帰るころには雨は止んでいて、私は乾きかけのカーディガンを翻して、差し込む光と影の間を歩いた。もしもし、私だけど。
あそこのチームあるじゃん。そうそうそれ。とうとうオイタのしっぽ掴んじゃったから、もう駄目だね。至急でぶっつぶしといて。うん、始末書とかいらないから。考古学チームに回して肉体労働させたらいいんじゃないかな。うん、彼らの勢い、私でもドン引きするくらいだからさ。

それから3日後、ショタラティの表情を見たのか、それとも何かを察したのか、あるいは事情を又聞きしたのか、ブラスコから親指を立てた顔文字だけが送られてきた。ダメだからね、別の幹部に同じメール出したら二度見されちゃうからね。
でもまあ、そんなわけなのである。