01 始動


聞き覚えがある名前だった。
自分の名前を呼ばれるたびに既視感を覚えて、前世も――じゃない、その前、前々世も同じ名前だったのかなーなんてのんきなことを考えて、ごはんとおやつをパクついて、ちょっと太って来たかな、なんて体重計に乗っかって、日本文学を研究する。そんな普通の生活をしていた。あんたって変わり者ねえって教授には呆れられたけど、イタリア語よりも日本語の方がなじみがあるんだから仕方ない。でも、イタリアの文学科であえて日本文学に手を出しているのはちょっとヘンだという自覚はちゃんとある。
「私イタリアーノだからジャッポーネの研究なんて評価できないわよお」
苦笑した教授(ものすごく繊細で涙もろいホモだと暴露されて二度見した。どうして私に告白するのか)に比較的手を出しやすい同性愛をテーマにした文学作品を勧めてみたら入れ食い状態で釣れた。思い出し泣きをしながら私に「これについてレポート書いたわ!」と逆に紙束を提出されてこれには私も苦笑い。けれど、ゼミ的な集まりでも顔を合わせる教授に日本文学の良さを知ってもらえたのはとてもよかった。
去年のことである。

ここまでならばただの奇妙なイタリア人で済む。けれど私は、なんと言うべきか、ちょっと前世の記憶があるイタリア人だ。
前世は前述したように日本人。乙女ゲーからレースゲームまで広く浅く手を出して、漫画を読みながらごろごろして、レポートの提出期限ギリギリに教授に突撃する、どこにでもいる大学生だった。享年は25歳。死因はもちをのどに詰まらせての窒息死だ。うん、食い意地張るのはよくないね。ニュースになったかと思うと顔から火が出そう。1人暮らしでもちの一気食いはよくない。今世では気をつけます。
そして現状の話に戻る。

自分の名前に感じていた違和がはっきりと形になったのは、今から半年前のことだ。
その時の私は、飲み会でべろんべろんに酔っぱらっていた。だから、というのは言い訳にならないけれど、普段は通ってはいけないと言われている道に迷い込んでしまったのだ。最近台頭してきたギャングが、縄張り争いをしているという道に。
道に座り込んだ私を、誰かが介抱してくれたことを覚えている。ディ・モールトグラッツェ。ぐにゃぐにゃな口調でお礼を言おうとした私を、その誰かは―――いいや、言ってしまおう、ボスは私を突き刺した。何でかって、"矢"で、である。ガッシボカ、私は死んだ。スイーツ。まじでそんな感じだった。実際は死ななかったし、死ななかったことでボスに目をつけられたのだけど。どちらのほうが幸せだったのか、私にはよくわからん話だ。

拉致されるようにネアポリスに連れられて、私は常に逆光で顔の見えないボスにフハフハ笑われながら言い聞かせられた。
―――お前はもう表の社会にはいられない。
勝手に決めるなよと食ってかかって、いかに私が学校で研究を楽しんでいたかという話をつらつらと立て並べると、ボスはじっと黙って、それから、お前のスタンドはこちらの手ごまを増やすことに長けているから、言うとおりに仕事をしてくれたら望むままの資料を手に入れてやるし、読みたい本も食べたいものもすべて世話をしてやる、と言った。マジでか!色めきたって歓声を上げると、ボスは待て待て待てと首を振った。
―――ちゃんとわたしの言うとおりに働いて、成果を出したらの話だからな。
私は内心で舌打ちした。人生捨てさせるんだからもっと行き届いた世話をしろよ。
ちなみに、のちに、ボスが初期の手ごまに手厚い待遇をしすぎたせいで彼らが調子に乗って切り捨てざるを得なくなったために調節をしているのだと知った。なるほどね!よく考えたら私だけじゃなくて、ギャングになる人ってだいたい人生捨ててるしな。
「ところで、私がこれから従事せざるをえなくなったこの組織ってなんていう名前なんですか?ボンゴレ?」
「ん?アサリではないぞ。我々はパッショーネ。……情熱だ」
「ホワアーッ」
変わんねえだろアサリも情熱も。もっと名前捻れよ。いや、アサリは捻りすぎだけど。

一晩たって、はた、と私は気づいた。
私の名前。パッショーネ。顔が逆光のよくわかんないボス。矢。そして目覚めたスタンド。
なぜ昨日のうちに気づかなかったのか。いや、気づかなくて正解だった。気づいたところで選択肢に「拒否」の文字はなかったのだろうし、もしあのボスが私の知っているボスなら、私の動揺なんてまるっとサラッとスパッとすべてお見通し。そして全部ゲロらされて殺されていたかもしれない。
「にしても……」
シャワーを浴びながらまじまじと鏡を見て、首をかしげる。だるそうな目はひとみが赤い。うん、リゾットカラーですね。原作でも同じ描き方だった。
「ポルポって、女だったっけ?」
Fカップも夢じゃない巨乳。私の胸元でこれでもかとばかりに存在を主張するそれは、もしかして、もしかしなくても、あのデブの名残なのだろうか。あるいは突然生き別れの兄弟が出てくるとか。
んなわけないか。なにせ私のスタンドは、―――刺された矢を、そのまま飲みこんでしまったのだから。