拍手お礼 ポルポ


ホルマジオの部屋で猫と戯れる。一時期は週四のペースで通い詰めて猫からも飼い主から苦笑された私であるが、最近は節度ある態度でさり気なく訪ねてささみを献上する次第だ。
まだらの模様が可愛らしい猫がテーブルの上に飛び乗った。私とホルマジオは同時に「コラ!」と非常に丁寧に猫を叩き落とし(異議あり矛盾してます!)手土産の"つまらないもの"をつつき直した。マロンクリームの代わりにホイップクリームが。栗の代わりに桃が埋め込まれたドーム型のケーキだ。ケーキはフォークで、という暗黙の了解を覆すことで社会の歯車にならないSTYLEを表明するロックな精神を持った人間になれるんですよ。このアンチ正統派ケーキヒーロー的な姿勢は、向かい合ってる剃り込み男にしか理解してもらえないんだけどさ。なにせこいつ以外ここにいない。いや、猫に私たちの言動を理解する能力がないと決めつけているわけではないのだが、便宜上ここには私とホルマジオの二人だけが人語を介する存在として……ああもういいや。脱線するのが私の悪い癖だ。まとめてしまうと、私たちはケーキをスプーンで食べている。そのほうが崩しやすいし食べやすいからね。
ホイップクリームにスプーンの縁を沈める。柔らかいスポンジは底に向かうにつれて洋酒の香りが強くなる。スプーンを下ろす軌道上に桃が食い込んでいないと察知する能力は衰えておらず、心もち指先の動きを変えることで果物の欠片を抉り取った。え?行儀が悪い?バレなきゃいいんだバレなきゃ。これはもはや長年培われてきたケーキもぐもぐ鑑定士としてのプライドに関わる話なのだ。握り拳より一回り小さい上品なケーキと自分との戦いである。ケーキがなくなる前に何回スプーンをケーキと口の間で行き来させられるか、回数には限りがあるんだから、ひと口を大切に後悔なく食べなくてはもったいない。
オメーならケーキなんざ浴びるほど食えんだろ、と胃袋的な意味と親指と人差し指でマルをつくる意味で呆れられたけど、この男は女子の繊細さをわかっていない。外見からは想像できない気の回し方をする時があるのに乙女心にはちょっぴり疎い、ってもうそれどこの攻略対象よ。暗殺メモリアルじゃん。公園デートでベンチに座って景色を眺めるだけで嬉しそうにする主人公に内心で"楽しそうな顔してんなァー"って呟くけど、どうして主人公が何もない公園で楽しそうにしてるかはぜんっぜんわかってないんでしょ。やだ……そんなのあんたと一緒にいるからじゃん……。無自覚な一枚絵回収イベントを繰り広げそうなホルマジオさんには乙女ゲーを百万回プレイして来いと顔面に円盤を投げつけたい。
「ホルマジオ、しょっぱいものが欲しくなったらそっちの袋に辛いやつ入ってるから」
「しょっぺーのと辛いのはちっと違うんじゃあねェか」
「『辛み』と『しょっぱみ』。ほら、どっちも似てるじゃん」
方言的にもあるし。
「オメーわざと言ってんだろ」
ジャポネーゼジョークは通じない。
呆れた眼差しは袋に移った。甘いものの後にはしょっぱいものが合う。しょっぱいものを食べると甘いものにいく。飽きたらまたしょっぱいものへ。出口のない迷路だ。ホルマジオは食の迷宮に足を踏み入れてしまった。ここから抜け出せた者は、まあ今のところいっぱいいる。
猫はとうとうお零れを狙い始めた。食事中は一貫して無視し、膝から追い落とす。
「最近映画とか見てる?」
さっき雑念の中で円盤のことを考えたのもあって、視線を送る。持ち主は首をめぐらせてテレビを振り返った。
「推理物を見たぜ。そこに箱があんだろ?」
「本当だ。進行に合わせて推理することある?」
「や、俺の場合は"当てねえで見る"ってのが面白くてよォ」
「なんだその本気出せば当てられます感」
なんかプロみたいなこと言ってるぞ。
「動機はともかく犯人ならだいたいわかんだろ?」
「まあ、王道な展開だったら薄々わかる」
「協力的なサツと、ある程度の地位についてる高官にゃ裏がある、ってな」
「協力的な警察はリアルに危ない時があったしね」
「オイオイ、ポルポ。そりゃあ何の話だ?聞いてねェぜ」
おっと口が滑った。なんてことはないパッショーネ時代の軽いごたごたの話だ。摘発しようと通報したら快く駆けつけてくれた警察官が摘発対象とグルで取り囲んできたもんで、一緒にいたビアンカが相手から武器を奪い取って叩きのめしたという彼女の武勇伝の一つである。この子はどこの戦闘部隊で訓練された人なんだろうなーとへんじがないただのしかばねが虫の息で床に伏す様を見下ろしながらしみじみ不思議になったわ。経歴は書類で読んでるし彼女も包み隠さず教えてくれるのだけども、そういう問題じゃあなくて。
記憶力がとんでもない男には軽く説明して「忘れといて」とお願いした。これくらいは大した事件に入らないため、彼も了承する。
「他にはどんなの見てんの?」
「借りたモン。メローネは資料になるっつって色々持ってんだ」
「なんで急にそっちの方面に走るの?」
「こないだ勧められたヤツを通販で買ってみたんだが、同じ監督でも良し悪しは差が激しくて見極めが難しいんだよなァー」
無視か。いいけど。
「あー、それはね。仕方ない。なんて名前の監督?ていうかマジでそっち方面?」
普段は私を諌める立場にまわるホルマジオも、人目のない場所ではこんな感じだ。
監督の名前と作品名を教わり、なーんか聞き覚えがあるなと脚を組む。ケーキの最後のひと口は食べ時が定まらず、まだ残ったままだ。
カフェラテで頭をしゃっきりさせる。
「ああ、そうだそうだ!その作品の続編が面白いんだわ。貸したげる。っていうか見て。一作目で立ち止まっちゃうのが勿体ない面白さだから見て」
「男に成人向けビデオを勧める女がどこに居んだよ」
話を振ったのは私だけど方針をそっちに変えたのは君だよ。今さら何言ってんだ。
「つーか持ってんのか」
「持ってるわよ。メローネから借りるのでもいいけど、ぜひ見てほしいから受け取ってくんない?頼む。あんたの感想が聞きたい」
「良いけどよォ……」
銀紙に残るクリームをこそげる。スプーンの先端を咥え、ホルマジオは最後の甘さを堪能した。
私も惜しみながらご馳走さまと食器を置く。
しばらくお茶を飲むと、私たちは同時にしょっぱいものが恋しくなった。武骨な手が紙袋から包みを取り出す。野菜チップスをぱりぱりと噛み砕く音が耳に優しい。
諦めない猫がまた膝にのってきた。ブラウス越しのお腹に身体をこすりつけてまるまられたので、可愛さに折れて放置する。こんな手口に釣られて動揺した私がお菓子の欠片を落とすと思ったら大間違いだ。
「……」
誘惑に負けて撫でたら毛並みがふわふわすべすべで気持ちよかった。
椅子から転げ落ちるように下りた私に、ホルマジオが阿吽の呼吸でささみを一切れ渡してくれる。
床に降り立った猫は満足げに鳴いた。

私がテーブルに戻るころには、ホルマジオが野菜チップスを食べつくしていた。
絶対に許さない。絶対にだ。