拍手お礼 ポルポ



わたしはスタンド使い。名前はまだありません。このイタリアの地には旅行でやってきました。
ご主人様は出かけていて、わたしは一人公園であの方を待っています。レインコートを着ていますが、降り注ぎぽつぽつとしたたり落ちていく水滴がうっとうしくてたまりません。せっかくのイタリアの街並みが台無しです。どうせ旅行にやって来るのなら、もっといい天気の時がよかった。

「どうしたの、迷子?」
十分ほどじっとそこにいたからでしょうか。俯いていたわたしの頭上から、やわらかくて優しげな声が聞こえました。
顔を上げると、がっしりとした体型に似合わない柔和な面立ちをした青年がわたしを見下ろしています。
「家は?一緒にいる人はいないのかい?」
彼はわたしの代わりにきょろきょろとあたりを見回してくれました。わたしはご主人様を待っている途中なのですと伝えると、ペッシと名乗った青年は相好を崩してしゃがみこみ、びしょぬれのレインコートの上からわたしの頭をなでてくれました。
「そっか、待ってるんだ。えらいね。俺も兄貴とポルポとここで待ち合わせをしてるんだ」
タコ?
首をかしげた拍子に水滴が目に入って慌てて首を振ります。びしゃびしゃとレインコートに溜まっていた雨水が飛んでしまいましたが、ペッシは気にせず、ポケットから出したハンカチで、なんとわたしの頬を拭ってくれました。
「ポルポはねえ、俺の上司なんだよ。上司で、家族で、すごく素敵な女性なんだ」
ポルポというのは女性のようです。
人に、それも女性につける名前とは思えませんが、家庭の事情は人それぞれ。わたしも誰かのことをとやかく言える立場ではありませんので、そっと口を噤みました。
では、兄貴というのは?兄弟がいるのでしょうか。確かにペッシは誰かの弟にぴったりなように思えます。
「兄貴は兄貴だよ。本当の兄弟じゃあないんだけど、すごくしっかりしていて、頼りがいがあって、格好良くて。俺、兄貴に憧れてるんだ」
ペッシはニコリと微笑みました。本当に『兄貴』が好きなようです。まっすぐに向けられる想いに、わたしがご主人様に抱くものと似たようなものを感じ取り、不思議な親近感がわき上がりました。ペッシは素敵な人物なのだなと、短い時間でもよくよくわかります。
水たまりをわざと踏む足音が聞こえました。
高いヒールを履いているのでしょう。足音の主は楽しげなステップでこちらへ近づいて来ます。わたしが振り返ると、ペッシも通りの向こうに誰かを見つけたようで、少し中腰に立ち上がりました。
「兄貴!……と、リーダー!?」
大きく手を振ります。傘から腕がはみ出て濡れることも構わずにとても嬉しそうにするものですから、わたしの心も楽しくなって、わたしまで思わず立ち上がってしまいました。
ふたりして横断歩道の向こうを見ると、二つのモノクロに挟まれるように薄ピンクの傘が雨を弾いていました。傘を差す男性はどちらも女性より背が高く、三人の服装も性別もバラバラでしたが、彼女らは共通して、凛と背筋を伸ばしていました。それを見たペッシも、しゃんと身体を伸ばします。
"ポルポ"は悠々と高い足音を鳴らしてやってきました。"兄貴"と"リーダー"がその後について歩き、三人はわたしに目を留めます。
「どしたの君、迷子?」
同じことを訊くのだなと笑ってしまいます。ポルポの言葉はペッシがわたしに問いかけたものと同じでした。
いいえ、迷子ではありません。そう答えるより先に、ペッシが代弁してくれました。
「待ってるんだって」
「あら、早く来るといいね。どうしよう、レインコートだけじゃ寒いよね。傘要るかな?」
街の様子を窺ったポルポは、雨でぐしょぬれの公園に近づく人影がないことを見て取り、わたしのご主人様の帰りがまだないと知りました。ええ、ご主人様はまだしばらくお戻りになられません。ですが、お気遣いは無用です。あなたの傘がなくなってしまいますから。
銀色の方の男性が言いました。
「どちらでも構わないが、置いて行くのなら俺の方に入るか?」
ポルポは悩みます。
「うーん、でもそれだとリゾットに迷惑かけちゃうか」
困ったようにわたしと"リゾット"を交互に見やるポルポは、きっととても優しいのでしょう。あるいは道端にいる捨て猫を見捨てられないタイプなのです。わたしのように雨の中一人イタリアの街で佇んでいるものを見かけると、世話を焼きたくなってしまうのかもしれません。
わたしのご主人様もそういう性格をしています。
親近感からポルポにすり寄ると、ポルポはがしがしとわたしの頭を撫でました。腕が濡れることも気にしたそぶりはありません。
「可愛いね。こんなに可愛かったら攫われちゃわないかな?」
「ええッ!それは困るね、誘拐になっちゃうよ」
慌てたペッシに、金色の方の男性が言います。
「巡回の警官もいるし、この辺りはまだ物騒じゃあねぇだろ。それより、遅れんぞ」
腕時計を見たポルポは決断したようでした。
彼女を見上げるわたしにニコリと笑いかけ、石畳に傘を立て掛けました。
「賢そうだし、わかるかな?夕方にはまたここを通るから、このままここに置いておいてくれたら助かるな」
「わあ、ありがとうポルポ!」
顔を輝かせたのはペッシです。
躊躇するわたしを傘の下に促し、ポルポは銀色の方の男性に寄り添いました。"リゾット"は彼女が濡れないように傘を傾けてやり、どことなく空気が緩んだようにわたしには思えました。
傘を返そうとしていたわたしは、レインコートの裾を気にしながらその場に座り込みました。もしかすると、これが一番いい形なのかもしれません。だって、きっとポルポとリゾットは恋人同士で、あれはいわゆる、"相合傘"というやつなのですから。

名残惜しげに立ち去ったペッシたちを見送ってから三十分ほどが経ち、わたしは再び立ち上がりました。ご主人様のお帰りです。
「ごめんねー、待たせちゃって。寒かったでしょ。スタンド使わなかったの?えらいっていうかマジメっていうか……、……この傘誰の?」
ポルポのですよ、と言うには言葉が足りず、わたしはただ一声吼えるだけに留めました。
「よくわかんないけど、置いておけばいいのかしら」
はい、そのように仰られておりました。
「じゃあそうしよっか。誰だか知らないけれど、ありがとうございました……っと。それじゃあ行きましょう」
ご主人様はわたしにリードをつけたりはしません。すたすたと先を歩き、わたしはその後ろをついてゆきます。
雨はまだ止んでいませんし、レインコートも冷たいです。ですが、一時の出会いはわたしの心をとても癒してくれました。
「早く晴れるといいわねー」
「わふ」
いいえ、ご主人様。わたしはできれば、午後いっぱいは降り続いてほしいと思います。
だってそうすれば、"リゾット"は"ポルポ"と、ああやって帰ることができるではありませんか。ねえ、ご主人様。