28 アイスクリームが溶けたとしても


再会の場はポルナレフとあちら側の強い押しによって早々に整えられた。
私たちにとっては数週間ぶりで、彼らにとっては十数年ぶりの顔合わせが異例の速さで実現したのは、お互いの気持ちが一致していたからだろう。彼らに会いたい、と。
私はといえば、せっかくだしおめかししちゃおうかなとクローゼットを漁って、買いはしたものの着る機会のなかった大人っぽいデザインのワンピースを取り出し、鏡の前で身体に当ててみては"これマジで胸入るかな……大丈夫かな……"と試着しなかった過去を恨んでいた。
奇跡的にすんなり身体を通せたので安心して、今度は靴を選ぶ。いつものバイカラーのものでもいいんだけど、こちらも"せっかくだし"。イケるか?イケるか?とおそるおそるストラップつきのミュールに足を入れた。イケた。一仕事終えた気分だ。なんだろうね、強く掴まれなかったらいいのかな。トラウマがどういう仕組みなのか、どこまでが許容範囲なのか、実験したい気持ちもある。しんどいのは嫌なので実際にはしないけどさあ。リゾットに履けたよと報告したら良かったなって言ってもらえたから何でもいいわ。似合う、のひと言をもぎ取りたくて手を尽くしたらそちらも言ってくれたので元気が出た。まあね、私、ほら、イタリア人女性だから。平均的な顔立ちだけど着映えするのよ。たぶんな。凄いテキトーでごめん。
待ち合わせたカフェから少し離れた、大きな建物の前で私たちとポルナレフは合流した。リゾットが普段通り、イタリアでいうお洒落なユニクロ的な服装をグッチばりにばっちり着こなすのに対し、ポルナレフもどことなく浮ついた表情で浮ついた格好をしていた。見慣れないからそう見えるだけで、おかしいわけではない。めかしこんだポルナレフなんて見たことないから思わず口からぽろりと"お見合いみたいだね"とからかいの言葉がこぼれ落ちた。ポルナレフは笑って、そんなものだろう、と言った。
どこか3部にいた彼に近くて、けれどアレよりは大人しい服装のポルナレフは、誰の助けも借りず車椅子を動かした。
彼らに会う場所は、いま流行する健康的な食事を提供していたり、別の国から取り入れた豪勢なパンケーキをつくっていたりする落ち着いた雰囲気のカフェだ。立ち話も何だし、かといってパッショーネの本部に呼べるような相手ではない。その、なんていうか、ギャング的なことって彼らに合わなさそうだ。満場一致だった。
ポルナレフが暇を見つけては可愛らしい女子向けのスイーツ特集雑誌をめくり、どこにしようかわくわくしながら決め、予約を入れた。時間はたっぷり取ったが、彼らもたぶん有給でも取ったのではなかろうか。ポルナレフは取ってたよ。私とリゾットは、まあ、私が休みっつったら休み、みたいなところがあるので問題ない。
この調子だと夕食まで一緒になるんだろうか。
細身の腕時計と並んでしゃらりと音を立てるのは思い出のブレスレットで、きらりと光を反射したそれをカーディガンの袖に隠して口角を上げた。それならそれで構わない。言葉はおかしいが、空腹の貯蔵は充分だ。
とりあえず手始めにカフェでパンケーキだな。ホイップクリームが鬼のように盛られ、フルーツがたっぷり添えられた雑誌の写真を思い出すだけで気分が高揚する。こんなことでもないと、こういうカフェには来ないからな。普段はその辺のバルにふらっと入ってお茶飲んで軽食を食べたり、トラットリアに入って食事したりしちゃうから。あるいは家に帰る。
ドアを開ければベルが鳴る。からりからりと音を立てたそれに反応し、店員さんが笑顔で人数を聞いた。可愛い子だ。どうやら制服にもこだわりがあるらしい。赤色のギンガムチェックを基調とした、袖がふっくら膨らむワンピースに白いフリルのエプロンが眩しい。萌え萌えキュン、って感じかな。エプロンの前ポケットに入っている業務用のハサミがちょっと怖かった。
店員さんが私たちを窓際の、奥の席へ誘導する。観葉植物の葉を避けたところで、がたん、と椅子を蹴って立ち上がった人が居た。
その人は驚愕に目を見開いたあと、泣きそうな顔をして私たちの名前を呼んだ。
「ポルポ、さん、リゾットさん」
「……ポル、ナレフ……」
店員さんが空気を読んで笑顔ですすすと姿を消す。私たちはもう、案内されなくても目的の席を判別できた。
立ち上がったふたりは、変わらない私たちと、随分と変わってしまったポルナレフの姿に言葉を失う。
「アヴドゥル。……花京院……」
ポルナレフの声は小さく震える。
アヴドゥルさんはしっかと頷いた。唇を引き結ばないと嗚咽が漏れてしまいそうだった。こんな場面を見てるともらい泣きしそうになるんだけどどうかな。とりあえず座ろう。座って挨拶をしよう。なんか私が仲人みたいな感じになってるけどそういうのは年長さんに任せたいね。
ポルナレフの車椅子とテーブルの高さは合わなかったが、どうしようかと迷った私を見て彼は悪戯っぽく微笑んだ。車椅子の肘掛け部分についたボタンを押す。椅子の高さが上がっていく。あっそのシステム歯医者さんでよく見る!パッショーネ凄い!
さっさとメニューを手に取り、ポルナレフはふたりの言葉を押しとどめた。
「まずは何を食べるか決めようじゃないか。腹は減っているだろうな?さあポルポ、何が良い?」
「フルーツミックスデラックスカスタードパンケーキで」
「リゾットは?」
「……カプチーノだな」
「私はパッションフルーツのジュースにしよう」
ウインクしてるけどそのギャグがわかるのは私とリゾットだけだよ。
「ほら、君たちも」
メニューを向けられ、アヴドゥルさんと花京院くんは顔を見合わせた。おずおずと飲み物を選ぶ。食べものを食べようとしてるのが私だけなので空気読めてないみたいでちょっとつらかった。みんなも食べようよ。エビバディイート。
どうでもいいことだが、6人掛けの席のソファ側にアヴドゥルさんとリゾットが。椅子の窓側から順に花京院くん、私、ポルナレフがついている。ポルナレフとアヴドゥルさんが対角線上にあるのは偶然だ。
注文を済ませると、沈黙が落ちる。ヴェールのように私たちを包んだ静けさを破ったのは、ポルナレフだった。
「それで、元気だったか?」
アヴドゥルさんの額に青筋が浮かぶ。かろうじて怒号するのはやめてくれたようで、「ポルナレフ」と低く名を呼んだだけにとどまった。
「君は、いや、お前は。お前というやつは」
「そう怒るな。花京院、君はどうだ?」
「僕は、元気です……が。たった今、ものすごく疲労しました」
「ん?なぜだ?」
疲労の原因はきょとんと首を傾げた。
花京院くんが首を振る。理由を告げるにはあまりにもMPを吸い取られすぎたか。あるよね、相手に毒気を抜かれ過ぎて魂まで持って行かれることって。結構心に来るんだわ、これが。もう説明とかどうでもいいやって気分になっちゃって話がぐだぐだになる。花京院くんもポルナレフの純粋な眼差しにやられちゃってつらそうだった。
気まずさを吹き飛ばすように神速で運ばれてきたパンケーキにナイフを刺し込む。バニラアイスとホイップクリームと苺とパンケーキの一切れを重ねてフォークで刺し、ひと口で頬張る。うますぎ。やっぱり流行るのには理由があるんだな。スイーツの宝石箱だわこりゃ。
「ちょっとリゾットも食べてみてよ」
「腹は空いてない。気にせず食べてくれ」
「リゾットが可愛らしいパンケーキを食べているところが見たいから食べてほしい」
付き合いが長くないとわからないレベルの変化だけど、もっと嫌だよ、みたいな顔をしてからパインだけ食べてくれた。優しいね。もぐもぐしてから「うまい」と言ったところも可愛いよ。パンケーキはいつか私が家でつくるね。家だったらこれくらい生クリームがのっててもシャレオツでも可愛らしくても食べきってくれるんだわ。
そんな私たちを見て、花京院くんが弾けるように笑いをふき出した。くすくす肩を揺らして笑う。
「変わりませんね。姿もそうですが、何より精神が。あなたたちは……ポルポさんとリゾットさんは……いつだって変わらなかった」
やがて泣き声のように変化した声に、ようやく気づく。
もしかして私たちって想像以上に好かれてた……のか……?
感じてしまうと胸がドキドキし始める。まじか。やばいな。嫌われてはいないなと思っていたんだけど、そうか、泣くほど好きだったか。ご、ごめんな。なんか未来から来ちゃってごめんな。
慌てて花京院くんの背中に手を当てる。よしよしと撫でさすると、私よりも年上になった彼は首を何度も振った。
「僕はもう一度、あなたに、リゾットさんとあなたに会いたかった。死んでしまったかもしれないと……いや、死んでしまったときいて、僕たちがどれだけ悲しんだか、あなたたちにわかりますか?」
仲間として私たちを信頼し、絆を結んでくれた花京院くんたちが、私たちの事実上の死を知ってつらく思わない筈がない。ここまで想いを傾けてもらえていたとなると、絶望と悲嘆がそこにはあったのだろう。
「想像は、できるよ」
「ではその想像を10倍にしてください」
「すごいごめん」
それ以外何も言えない。
花京院くんは流れていない涙をこするようなそぶりを見せた。
私とリゾットを見て、傷なんてない目を細めて笑う。優しい顔だった。いつの間にか彼は、こんな表情をするようになっていた。私たちが追いつこうとしても追えない奇妙な時間の隔たりが、私たちを驚かせた。
「こうしてまた会えて、本当によかった」
アヴドゥルさんもテーブルの上で手を握りしめる。
「ポルポとリゾットが元の時代に戻れていて、わたしもとても安心した。あのまま死んでしまって……ポルナレフと同じように……もう二度と会えないとしたら……と思うと、今までにないほどの絶望と悲しみがわたしを苛んだのだ」
「……待ってください」
花京院くんが立ち上がりかけた。アヴドゥルさんがきょとんとする。
あちゃー、とポルナレフが額に手を当てた。一瞬考えて、ぽんと手を打ち鳴らす。そうだった。花京院くんは私たちの事情を知らないんだった。
この面談でいつか必ず説明しなくてはならない時がくると思ってはいたものの、こんなぽろっと暴露されるとは思っていなかったのでポルナレフに同意してうんうんと頷く。そうだね、びっくりだね。
「ポルポさんたちは……やはり、未来からやってきたんですね」
「予想してたの?」
パンケーキのアイスが溶けるので食べながら話を聞く。気を悪くしたりはせず、花京院くんは私とリゾットを交互に見た。もちろん、普通に歳をとったポルナレフにはノータッチだ。彼は"私たちの過ごした3部"からそのまま年月を経たと思われている。その誤解が消えることはない。
「ポルポさんが言ったんですよ」
「ん?」
「"未来で待っている"……と。僕たちに」
「(そうだっけ……?)」
そんな重要なフラグみたいなこと口走ってた?酔っ払った勢いだっけ?ちょっと憶えてないですね。
3歩歩けば大事なことも忘れてしまうと有名なこの私に、数か月前の話をされても困る。ただでさえ忙しい日々を送っているのに(大誇張だ)過去なんて振り返っていられるかってのよ。
と、言うのも青年に悪いので、「ああアレねえ」と知ったふりをした。リゾットとポルナレフだけがあまりにもテキトーな私に気づく。ポルナレフはこっそり肘で私を小突いた。ごめんね。
花京院くんの大真面目な表情がどことなく、私の錯覚なんだけど、私を責めているようで恐ろしい。
「ポルポさんとリゾットさんからは、不思議な空気が感じられました。だからもしかすると本当に"そう"だったのかもしれないと思うこともありました」
「大正解」
「当たっていてよかったような、残念なような、複雑な気持ちです」
どうしてか訊ねる。
花京院くんの頬に赤みが差した。
「僕はあなたたちと同じ時を歩みたかった。仲間と一緒に、遠いイタリアに住むあなたたちと……親友たちと連絡を取りながら、やりとりをしながら、一緒に年齢を重ねたかった」
ああ、と喉の奥から音が漏れる。
わからないでもない。決して叶わない願いだけれど、純粋で、とうとい気持ちだ。
「時に、励ましてもらいたかった。叱ってもらいたかった。笑い合いたかった」
懺悔のように続けられた言葉は、彼が感じた後悔と苦しみを表すようだった。傷を負った彼が眠る間に、戦いも、私たちとの繋がりも、すべてが終わっていた。
ものすごい罪悪感が私に襲い掛かった。特に理由のない罪悪感だったらよかったんだけど、かなり裏打ちされたものなのでやり過ごせない。うう、ご、ごめんなさい。なんかわかんないけど未来から来ちゃってごめんなさい。問題はそこではないので口には出さなかった。
「でも、そのおかげであなたたちとまた会えた。本当に、本当に、……リゾットさん、……僕はあなたたちに出会えてよかった」
リゾットが瞬きをした。急にボールが飛んできた、みたいな顔やめて。私もうわいきなりリゾットにシフトしたよって二度見したけど。
大人になった青年と、大人だった占い師は、テーブル越しに私と、それからすぐ隣のリゾットと固い握手を交わした。アヴドゥルさんの手はあたたかくて、ごつごつしていて、ひとを安心させるものだった。
花京院くんも手を差し出す。こちらは興奮でか緊張でか少し汗をかいていた。つないでから気がついたようで、はっとして布巾で手を拭う。すみませんと言われたのでいいんだよと返した。リゾットとの握手は万全の状態で行えたのか、後悔のない顔つきだった。
「オホン。さて。それで、だ。君たちの事情を花京院にも理解してもらえたところで……」
アヴドゥルさんの眼光が鋭くなった。ジュースをストローで可愛らしく飲むポルナレフが射抜かれる。
「問題はお前だ、ポルナレフ!」
「そういきり立つな、アヴドゥル。こうして無事に会えたのだからいいじゃあないか。それについては電話でも話しただろう」
「ああ話したとも。君が……お前が危険な事件に巻き込まれて我々に連絡できない生活を10年も続けていた、というひどい話をな」
「事実なんだから仕方がない」
「もちろん、責めるわけじゃあない。だが……」
言いづらそうに、声のトーンが落ちた。眼差しは労わりの輝きに変わり、ポルナレフも、彼が何を言いたいのかを内心で察した。
「無事では、ないじゃあないか」
姿かたちの変わらない私たちと並ぶから、余計に変化が異質に見える。
ポルナレフはフッと、ため息を吐くように笑った。アンニュイな空気が生まれたが、すぐに首を横にゆっくり振った彼自身によって霧散される。
「だが、私にとってはこれ以上ない、幸福な未来だ」
その意味とは。アヴドゥルさんも花京院くんも、ここにいない承太郎くんとジョースターさんも、イギーですら知りえない場所にそれはある。正確に理解できるのは紙面上で3部の結末を見た私と、実際に体験したポルナレフだけだろう。否、ポルナレフの苦しみと悲しみを考えると、私にだって正しくはわかっていないかもしれない。
今こうして、アヴドゥルさんと、花京院くんとテーブルを囲めているのは、ポルナレフにとって無上の喜びだった。それこそ、泣いてしまいたくなるほどに。
だが彼は泣いたりはしない。もうそれはきっと、どこかでやり尽くしたのだ。
ポルナレフの表情を見たアヴドゥルさんは、もう何も言わなかった。言いたいことはたくさんあるし、責めてはいけないのに責めたくなったり、再会できてよかったと肩を掴んでゆさぶったり、衝動も手を動かす。
だが彼はその手を強く握りしめ、額に押し当てた。噛み締めるように、むせぶのを堪えるように。
「わたしたちにとっても、これが、どんなことにも勝る幸福な未来だ」