24 ギュウギュウ詰めでも苦しくない


イギーがホテルに戻ったのは、夜の8時頃だ。市街で夕食を食べ終えて夜道を歩きメナハウスへ辿り着いたところだったので間違いはない。出入口の隣にちょこんと豪快に座る(ムジュンじゃないのよこれが)ボストン・テリアを見つけ、ポルナレフが大きな声で名前を呼んだ。
イギーは珍しく、応えるように一声鳴いた。四つ足でしっかりと立った姿は、よく見ればしとどに濡れている。どうしたんだろう、と考えて思い当るのは敵の襲撃だ。水を使うスタンドはンドゥール様のゲブ神だから却下として、水ではないなら氷だろうか。
「無事だったか、イギー」
前足の具合を確かめたポルナレフがホッと安堵する。ああなるほどと記憶を穿り返して納得した。ペット・ショップの氷のスタンドだ。鷹の目から逃れるため、水中に潜ったのか。
そのままでは風邪をひいてしまうからとアヴドゥルさんが疲れ果てたイギーを懐に抱き、ホテルマンの目を盗んで4階の部屋まで連れて行く。ホル・ホースを含めた私たちもついて行って……、あ、ホル・ホースはなぜか私たちと一緒に夕食を食べに街に出たのよ。ビールをおかわりしまくってたもんだからお前は目立ちたくないんじゃないのかと小一時間ほど問い詰められていた。アヴドゥルさんに。それに対する答えは簡単。
「俺が単独であんたら全員を倒せる筈がねえ。ここで殺されるか、あとであんたらを全滅させたDIOに殺されるかの違いだぜ。ヒヒヒ」
地球の裏側まで逃げてやるつもりではあるけどな、と付け加えていた。おつまみに文句をつけながら。
「あいたっ」
ドライヤーの熱風を当てられたイギーは、熱くなりすぎるとドライヤーを持つ花京院くんの脚を噛んだ。何度か噛まれ、温厚な花京院くんの額にも青筋が立ちかける。ある程度乾いたところで水を出され、イギーはひとしきり喉を潤したあと、アヴドゥルさんに目で何かを要求した。コーヒー味のガムだ。せっかくだしと思って予備に渡されていたやつをしゃがみ込んで食べさせてみる。もうひとつあったので、それはリゾットに渡した。リゾットは放り投げて食べさせるかなと勝手に予想したんだけど、きちんと膝を曲げて子犬と距離を近づけ、手ずからガムを食べさせていた。立派な体躯の男性が小さい犬と戯れる様、いとをかし。
くちゃくちゃとガムを噛む音が、全員が揃ったという実感を湧き上がらせる。スタクル大集合。そこに混じる突然の粥とタコとガンマン。ロマンチックだね。うん、何がだろう。私もリズムに乗ってハイになってきた。私とリゾットとホル・ホースの存在が謎すぎて笑う。
イギーは足を一本犠牲にしてペット・ショップに勝利したものだとばかり思っていたが、今の彼は凍傷未満の傷や裂傷などが見られても、きちんと自分の足で立てている。私たちが加わったことで何か差異が出たのかな。良い方に転んだと思っておこう。おそらく私たちが交通事故に巻き込まれたあたりで犬vs鳥のエキセントリックドリームマッチが繰り広げられ、からくも(何となく全然からくなかった気がするんだけど)イギーが勝利したんだろうね。原作の、事故後また街を歩いて乞食に扮した情報屋とやりとりをするイベントがなかったものだから、私たちの引き上げはかなり早まった。加えて、強行軍だった紙面でのスタクルと違い、一晩をホテルで過ごして早朝から仕掛ける作戦を立てている。今合流できていることを考えるとそれが妥当かなあ。
それにしても、良い方に転んだものだ。二度目になるが改めて思う。イギーの足がなくならなくてよかった。見てて痛かったもんね、アレね。無事が何よりですよ。イギーさんよかったね。犬がモノを食べている最中に犬を撫でるなというのはあまりにも有名だけれど手を伸ばす。思い切り頭突きされた。
「それじゃあ、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
「ホル・ホースに気をつけるんだぞ」
おやすみを交わして隣の、私たちが眠る部屋のドアを開ける。夜はまだ浅いが、明日のシリアス具合を思うと早寝せざるを得ない。体力をつけないとね。
ああ、ていうか今更だけどどうやって生き延びればいいのか考えなくちゃいけないのか。なんかもうDIO戦に入ったら必ず承太郎くんが勝つって決まってるんだから岩陰とかに隠れていたらいいんじゃないかな。どうせあっちも気にしないよ、私たちみたいな一般人のことなんて。あ、いやリゾットは執着されているかもしれないけど。なにせリゾットは強くてカッコいいブルーアイズホワイトドラゴン的な存在だからね。
アヴドゥルさんと花京院くんとイギーが死んでしまう未来は避けたいんだけど、そこのところもどうしたらいいのやら。ポルナレフが居て本当に助かった。未来を知るのが私ひとりだったら胃痛を起こしてテンションが上がりすぎて"よしッ私も戦うしかない……!"みたいな自己犠牲精神を発揮しかねなかった。や、そんなことないな。私ひとりだったら。ごめん、たぶん見殺しにしている。本当にごめん。そして罪悪感と共に生きていくのだな。なんて嫌な大人なんだ。ポルナレフありがとう。君がいるから頑張れる。
恐らくだけど。本当に仮説なんだけど、私たちってポルナレフのオマケとしてここにいるんじゃないのかな。
ベッドに腰掛けるリゾットの隣に失礼して、リラックス状態で頭を働かせてみる。
3部の主人公は承太郎くんだけど、のちのことを考えるとポルナレフ物語と副題がついていてもおかしくない。それほどポルナレフは活き活きと描かれていたし、人生を左右するイベントも(スタクルみんな人生懸けてるけど)多かった。死をたくさん見送りもした。そして5部に続いている。
そのポルナレフがこの時代に逆行した。誰もがこう考える。リゾットもジョルノも、知っていればこう考えるだろう。ポルナレフは3部で、心残りだったことをやり直すために選ばれたのだと。誰にかって、そりゃ知らん。ただのテキトーな妄想だ。
その流れに、私たちが運良く(かなあ)くっついてしまった。それで3人がこの時代に連れて来られて今に至る。なんかしっくりくるんだよなあ、これが。
「なあ、姉ちゃんよ。あんたらはいつもそんなに距離が近いのか?」
「近いよ」
「堂々としてる女は嫌いじゃねえぜ」
「ありがとう」
私もホル・ホースのこと嫌いじゃないよ。顔カッコいいし。落ち込まないで、人となりを知らない場合はそこで判断することにしてるんだ。
で、だ。えーっと、どこまで行ったっけ。ああそうだ、ポルナレフが主役で私たちがメインの脇をちらつくモブだってハナシか。私はともかくリゾットはモブとは言い難いけど便宜的にモブと呼ぶ。
私たちはモブなので、ポルナレフ(……と、主人公の承太郎くん)が作る大きな流れから外れさえしなければ、『大いなる旅のひとひら』としての役目を全うし、元の世界に戻れるのではないかと思うのだ。ポルナレフもまたしかり。役目が終わったら退場。それは舞台の上のお約束だよね。ここは演劇舞台じゃないけど、似たような力は働くんじゃなイカな。
だから私たちは隠れていればいい、と、思う。戦いに参加する必要はない。ポルナレフのやり直し物語を見て、傍にいればオッケー。ポルナレフにだけ重荷を背負わせてかなり良心が咎めるので彼から要請があれば手伝うつもりではあるけど、あちらも私に期待はしないでしょうし。くっそ、元の時代に戻ったらおぼえててね。いっぱい肩を揉むからね。
「ところでホル・ホース。明日はどうするの?ホテルでずっと待ってるの?」
「バカ言うなよ姉ちゃん。昼まで寝て、それから旅に戻るに決まってる」
「旅の祝砲代わりにDIOと結託して後ろからズガン、はやめてね」
「DIOと協力なんてそれこそ冗談じゃねえ。……正直言うが、もう二度と顔も見たくねえ。あの恐ろしさ、……姉ちゃんにはわからねえだろうが」
ホル・ホースは自分の頬をさすった。よほど怖い目に遭ったんだな。可哀想に。お尻は無事かな。
ごめん雑念だった。
「リゾットならわかるか?あんたも肉の芽を埋められたクチだろ」
「よく憶えていない。……急なことだったからな」
「そりゃ幸運だ」
リゾットはかなり不運な方だと思うんだけど、実際にDIOと対峙した人からすると、DIOの空気に当てられなくて済んだのはラッキーに思えるのか。やべえちょっと私ワクワクしてきたぞ。DIO様。DIO様か。今回も野次馬根性を発揮して一度は目にしてみたいものだ。凄絶な美貌、美術の教科書に載る彫像のような整ったつくり。冷酷な唇。形のよい、麻薬のような瞳。死の匂いを嗅ぎ分ける鼻。私の陳腐な形容じゃ追いつかないくらい凄いんだろうなあ。殺されない保証があるならぜひ物陰から観察させていただきたい。そしてできればリゾットのおとがいに手をかけて品定めしてもらいたい。リゾット・ネエロ、君の能力は非常に惜しい。今ここでわたしに再度の忠誠を誓うというのなら、わたしは君を歓迎しよう。そんなことを言って、天鵞絨に影を映すような匂い立つ世界を作って欲しい。
ちらりとリゾットを見ると目が合って怖かった。な、何も考えてないです。本当です。
「覚えておけよ、リゾット、ポルポ。DIOには逆らわねえほうがいい。そしてできるなら、ジョースターどもなんて放っておいて今すぐ逃げな」
親切な忠告に従いたい気持ちは山々だったけど。
でもありがとうね、ホル・ホース。先にシャワー浴びて来いよとこちらも親切心から進めるとホル・ホースが備え付けの炭酸水を吐き出した。
「言い方考えろよォー、オイ、姉ちゃんよ」
「はいはい。お先にどうぞ」
「ったく、嫌になるぜこいつらと付き合ってんのは」
ぶつくさ言いながらもバスルームに向かう背中を見送って、私はリゾットの肩に額を寄せた。なんかあれきり電話も鳴らないし、当たり前なんだけどみんなピリピリしてるし、死にそうで怖いし、どうしようかな?
どこに隠れようかなあと思考がまわるようで、まわらない。目を閉じる。寝たい。猛烈に寝たい。でもお風呂に入りたい。もうホル・ホースと一緒に入ろうか、全員で。リゾットのすごい嫌そうな顔が見られそうだったので言うのはやめた。

「ベッドは2基しかないので、ホル・ホースには床で寝てもらうことにして」
「おいおい姉ちゃん」
お風呂上がりのホル・ホースに開幕で冗談をぶつけると、ホル・ホースは意外にも本気で困った顔をした。女を追い出すわけにはいかないから反抗はしづらいけど床で寝るのは嫌だ、という顔で眉尻を下げる。
ごめんごめんと軽く謝ってからまっさらなベッドを指さした。窓側だが、この男がホテルの4階から窓をぶち破って外に飛び出し逃走するM:Iのような行動をとるとは思えない。普通に骨を折るし悪ければ死ぬ。4階って高いんだよ。
姉ちゃんはどうするんだ、的なことを言いかけたホル・ホースは片手で宙を押して私を黙らせた。
「シングルベッドにギュウギュウ詰めで眠るのかい。羨ましいこって」
まったく羨ましそうではない。
「私は早寝するから寝る時はテレビの音量は小さくして欲しいな」
「そもそも見ねえから安心しな。アラビア語なんざ欠片しかわからねえ」
「欠片はわかるんだ?」
「わからなきゃあボられるかもしれねェだろ」
「なるほど!」
確かに、路銀には限りがあるもんね。無駄な出費は死活問題だ。
こんな感じでホル・ホースの流浪の話を聞いているうちに時間は過ぎる。お風呂上がりのリゾットに勧められ、私も着替えを持ってバスルームに向かった。ドアを閉めてからしばらく耳をそばだてていたのだが、テレビの音が聞こえるだけで話し声はひとつもなかった。テレビ見ないって言ってたのに。私に気を遣って嘘をついたというよりは、本当にそのつもりだったのにリゾットとふたりきりで黙っているのがあまりにも気まずくて助けを求めたってのが正しそうだ。やけにコメディチックな番組が流れているようで、ドア一枚隔てた向こうの空気が徐々に死んでいくのを感じながら笑いを堪えてシャワーの温度を調節した。