23 DIOをさがして三千里


「1984年9月22日、夜の11時15分。あなたは自分が何をしていたのか憶えていますか?」
顔に彫りを施す男は言った。今や顔面は崩れに崩れ、服も顔も髪もボロボロに乱れているが、強気の姿勢は変わらない。アヴドゥルさんに噛みつかんばかりに顔を近づけられても、清涼な風を浴びるような穏やかな表情で居る。膝に飛び乗った猫を片手で撫で、男は「フフ」と唇をひきつらせて笑った。
「わたしは憶えている。カリフォルニアでその時間、スティーブン・ムーアというアメリカ人がわたしと賭けをして、あなたの今の台詞と同じ台詞をわたしに言ったのです。その男がこいつです」
男は傷だらけの手で本を開いた。分厚い本には円形のくぼみがいくつもあり、ぴたりと隙間を埋めるように嵌るのは幾枚ものコインだった。小さく書かれた名前はこのギャンブラーの直筆だろうか。ではここにペンがあれば、彼は花京院典明の名をそこに刻むかもしれない。
コインになった花京院くんはダービーの手の中でくるりと転がされる。魂が抜けて空っぽになった肉体はどうと倒れ、今はポルナレフに支えられていた。
ダービーの口は堅かった。"スタンド使いか確かめましょう"と言ったポルナレフのチャリオッツで目玉すれすれまで剣先を近づけられても、まばたきひとつせず不敵に微笑んでいた。真っ直ぐその剣を見つめていたことで相手がスタンド使いだとわかったジョースターさんたちは初っ端から相手の前口上も聞かず相手を軽くボコした。ダービーは戦闘向きではなかったため、胸ぐらをつかまれても抵抗らしい抵抗もできなかったのだが、それでも決してDIOの館の場所は喋らない。
「敵ながらあっぱれ」
ジョースターさんがこう言うと、不気味なほど冷静な瞳で一行を見つめた。
「わたしの本領は『賭け』なのです。どうです、わたしに勝つことができればその建物の場所を教えましょう。わたしはDIO様の為に戦うのではありません。ただ、生まれついての賭け師として戦いたいのです」
建物の場所という弱みを握られたうえ、脅しにかかった罪悪感もあったのか、まず花京院くんがダービーの言葉に乗った。
投げた魚の燻製のどちらを野良猫が取るかという単純な賭けだった。しかし意図せず魂を賭博にのせてしまった花京院くんは、実は野良猫ではなかったにゃんこの頭の良すぎる行動にやられ、魂を抜かれてしまう。花京院くんが「右」と言ったので私はすかさず「私は左だと思うなあ」と口を出したのだが、賭けを邪魔するなとめちゃくちゃダービーにキレられたのでごめんとだけ言って引っ込んだ。そうだよね、ずるかったよね。結局猫は左から右、という順で燻製を取りましたよ。でもたぶん花京院くんが答えを"左"に変えていても結果は同じだっただろう。賢すぎる猫ちゃんだ。ジョジョ界の動物は基本的にヤバい。
ダービーの『オシリス神』は"敗北感を感じると死ぬ"スタンドだ。賭けに負けた時、どんなに強気な人間であっても、わずかにでも、"やられた"と思う。してやられた。賭けに"負けた"。そして負け惜しみや呪詛と共に魂を奪われ、永遠に黙することとなる。この世に敗北感を感じない人間がいるだろうか。自分の手に圧倒的な自信を持てば持つほど落差が激しくなる。この土俵に乗らずに済むのは最高にふてぶてしく、傲慢で、勝負を勝負と認識できない者だけだろう。あのメローネだって負ければやられるに違いない。何だかんだでまともな感性を持っていそうだし。暗殺チームって結構派手にやられてるからなんとなく抜かれちゃうイメージあるよ。
驚愕に震えるジョースター一行の中で、一歩踏み出したのは。
「じゃあ私やっていい?」
やらいでか。
だってあのダービー戦だよ!?魂をコインにされるんだよ!?不謹慎だけどやってみた過ぎるでしょ!?冷静に考えて名物ゲームじゃんこれ。最終的に承太郎くんが勝つと知っているからこそできる身体を張った(私だけが面白い)観光のひとつだ。いやあ、3部の数ある名場面の中でもこれはベスト5に入るイベントだと思うね。承太郎くんのハッタリ格好いいよすはすは。
マジで怒ったポルナレフに腕を捕まえ引き止められ、リゾットにも反対側の腕を掴まれたが、私が止まると本当に思っているかな。止まるわけないじゃん。こんな興奮する遊びを指をくわえて見ているなんてナンセンスだ。そうでしょイタチさん。
「状況が解っていないわけではなさそうだな」
「よく解ってるわよ。でも、花京院くんを放っておくなんてできない」
「君の気持ちは痛いほど理解できる。だがここは私たちに任せてくれないか。君を危険にさらしたくない」
悲痛な声で私に言い聞かせてくれるポルナレフには悪いが、もう私のことは止められない止まらないかっぱえびせん。何を言ってるんだろうね私は。とにかくここで行動しないと私が廃るのよ。花京院くんごめんね、君のことはとても心配なんだけど承太郎くんが必ず救い出してくれるから安心してちょっと休憩しててね。
「私だけ後ろで見ているなんてできない。一度、私は私よりずっと年下の子たちに頼って、大きな敵と対峙すらしなかった。あんな気持ち、もう二度と味わいたくないの」
「ポルポ……」
コロッセオでのブラック・サバス・レクイエムの悪夢を思い出しながら何か八割テキトーに善っぽい発言をしてみたらポルナレフがしんみりしてしまった。要するに賭けをやってみたいってだけなんだけど色んな意味で泥沼を生み出している気がする。こういうことを言うから良い感じの勘違いが進んでしまうんだよな。まあ、損にはならないから何でもいいんだけど、自分がゲスすぎて元ギャングはつらいよ。人呼んで巨乳女のポルポと発します。
ポルナレフは納得してくれたようだけど、問題はリゾットだ。
「俺が"行くな"と言ってもやるつもりなんだろうな」
「やるつもりだよ」
誰にも通じないから理由は自分の胸の中にしまっておくけど。
「……お前が行くつもりなら、先に俺が行こう」
「え」
ちょ、ちょっと待って。想定外なんだけど。
今度は私がリゾットの腕を掴んで止めた。いやいやいや、おかしいでしょ。その流れおかしいでしょ。
「リゾット、君までそんなことを……!ッ、私が行く。ふたりは下がっていてくれ」
「いや、そもそもはわしらの問題じゃ。君らよりもわしが行くのが筋じゃろう」
「ジョースターさん!まだ敵の手も見えないうちです。わたしはギャンブルは得意じゃあありませんが、斥候の代わりにはなれるでしょう。わたしが行きます」
「え、ええ?えっと、じゃあ私が……」
「お前はいい」
誰もどうぞどうぞどうぞとは言ってくれなかった。おかしいでしょ!言ってよぉ!そういう雰囲気だけ作ってスルーするのはやめて欲しい。
「私にやらせて。ていうかぶっちゃけ誰かがやらなきゃいけないけど敵の能力もわかんないですし、戦える人をぶち込んで花京院くんのように戦力を削られる方が痛手でしょ?これ、実際私もちょっとやってみたいなって思いが強くて挙手したんですけど、よく考えたら私が行くのが一番じゃないですか?」
ぶっちゃけてみるとジョースターさんがぐっと眉間に皺を寄せた。否定したいけど否定できない、と言った顔だ。非戦力は非戦力としてやれることがあるんだよ、たぶんね。後は任せた、承太郎くん。
「じゃあそういうことで。オービーさん、よろしくお願いします」
「ダービーだ」
「オッケーバービーさん」
「ダービーだッ!二度と間違えるな。……構いませんよ、そちらのお嬢さんからにしましょう」
「お嬢さんだって」
「喜んどる場合か?」
呼び間違いはテッパンだ。なんかかなり侮蔑とともにお嬢さん呼ばわりされた気がするんだけど思い過ごしだよね。
キレ気味のダービー氏に迎え入れられ、私は彼の向かいに腰を下ろした。
「ポーカーにしましょう」
「ポ、ポルポ!君は確かポーカーが壊滅的に弱いんじゃったよな!?わしとやった時はめちゃくちゃ弱かったぞ!」
「弱いってところを除けば最強ですよ」
ていうか負け前提の捨て駒なんだから(言葉が悪いかな?)何で勝負しても一緒だろ。
「君が何を言っとるのかサッパリわからんがポーカーはやめなさい!」
くっ、ダメか。じゃあ。
「あっち向いてホイにしましょう」
「アッチムイテホイ?」
お、知らないのかな。簡単にルールを説明すると、ダービーはちょっとわくわくして目を輝かせた。知らない分野での勝負が楽しみなようだ。あっち向いてホイは国境を超える遊びだね。私、これも苦手だけど大丈夫だよ、頑張るね。
じゃんけんから始める。私がグーで、ダービーがチョキだった。
「あ、私が"勝った"」
ちらりと様子を窺ったが、この程度の敗北では魂は抜けないらしい。やはり提示した勝負で決着をつけないといけないんだろうなあ。ぷよぷよって指定したらぷよぷよやってくれたのかな。ここにはないけどさ。ぷよぷよなら私、圧勝する自信があるよ。カートレースモノはちょっと苦手だけど、ぷよぷよはね。落として弾いてダイヤキュートなだけだしね。テクニックを知っていれば大連鎖も夢じゃないのさ。
あっち向いてホイ、の掛け声とともに人差し指を左に向ける。ダービーは上を向いた。次のじゃんけんでも私が勝ち、下を指す。ダービーは右を。次のじゃんけんではあちらに権利が移った。
「あっち向いて……ホイ!」
ここで耐えきれなくなって咳き込みかけた。咄嗟に横を向いちゃって、「あ」と誰かが言った。
「やっべ負けた」
「ポ、ポ、ポルポー!!」
「わたしがコインにした人物の中で、もっともライトな女性だった。なかなか面白い勝負を仕掛けてきたが、しかしわたしの勝ちだな」
「ごめんなさいジョースターさん!承太郎くんあとよろしく」
それからリゾット怒らないで!!怒らないでね!!
念入りにお願いしたところで、ぐ、と内臓が引っ張り上げられるような感覚に襲われる。目を丸くしてダービーを見ると、彼は意外なほど優しく微笑んだ。
「君は大切にするよ。いい記念になりそうだ」
褒められたのか?
目を開けたのは、体感的には気を失ってから数秒もしないうちだった。目を閉じたと思ったら開けていた。何を言っているかわからねーと思うが私も時間の感覚がつかめなかった。
店内の時計を見ると、長針は半分以上廻っていた。
椅子に座っていたリゾットに抱きかかえられていたとわかり、ものすごく、非常に、とんでもない冷汗が流れる。やべえ逃げらんねえ。言い逃げしたからたぶん怒らないでは居てくれると思うんだけど逃げらんねえ。
かわるがわるスタクルから怒られた私は、やっぱりなまなかな気持ちで危険な遊びに手を出すのはよくないなと実感した。人に心配をかけ過ぎた。
「すみません……」
「リゾットの目を見て言いなさい」
ポルナレフお母さんが腰に手を当てて私に言った。私がリゾットを怖がり過ぎてさっきから不自然に顔を逸らしていたのがバレバレだったっぽい。話が一段落ついたと見たか、リゾットは片手を私の顔に手を添えてグイと自分の方へ向けた。のけぞってもそこはリゾットの膝の上。横座りのかたちで抱きかかえられていたから、片腕が腰にまわっていて逃げられない。8回にげるを選択してかいしんのいちげきを出そうにも相手は物理で押さえ込んできそうなので却下だ。
「何か言いたいことはあるか?」
明らかに殺す前に相手の辞世の句を聞く暗殺者の台詞です、本当にありがとうございました。
「な、なにもないです」
「俺が言いたいことは解るな?」
「本当にすみませんでした」
「俺は常々、お前に"自覚を持って行動してくれ"と言っていないか?」
「言ってます」
「……それで?」
「お、大人としてダメでした。ごめんなさい」
リゾットがため息をついた。
「……終わりか?」
「心配かけてすみません!本当にすみませんでした!もう……もうしませ、ぐえ、おさないで」
頬に当てられていた手が滑って首のチョーカー越しに古傷を押された。すみません、本当にすみません。もうしません、に"たぶん"をつけかけたのがバレた。なんでこういうところはバレちゃうんだろうね。
あまりにも私の姿が憐れっぽかったのか、なんとあの承太郎くんがリゾットの肩を掴んでくれた。
「やめときな。何度言ったってわからねえやつはわからねえんだ」
違った。完全に私disだった。高校生に怒りを諦められる私。もう死ぬしかないのでは?アッ今軽く臨死したんだった。これで私は何回死んだことになるんだろう。バーサーカーだから12個くらい命があるんだけど、この調子だとアーチャーにカラドボられなくても普通に死にそうだ。
ジョースターさんも魂を奪われ苦い涙を浮かべたのか、うるんだ目をこすりながら私の腕を強くさすった。
「ありがとう。わしの娘の為に。そしてわしらの為に。君のおかげで敵のスタンドの性質が読めた。"提示された勝負"の勝敗でしか決着がつかないことや、洞察力が異様に鋭いこと……。それから"敗者"はどんな些細な負けでさえ魂を奪われてしまうことが」
「……いえ、何もできなくてごめんなさい」
そして六割くらいがそういう理由じゃなくて本当にごめんなさい。自分のクズさを突きつけられて、魂を奪われるよりも強い死にたさに襲われた。そんな私を見て、ジョースターさんが笑う。
「いいんじゃよ。君も楽しめたかな?」
「ええ。とても良い経験でした」
改めて深々と頭を下げた。


ギザのホテル『メナハウス』。
そこに荷物を置いた後、ホル・ホースはボインゴと共に建物の隅から通りの様子を窺っていた。
「(やはりとても信じれらねえ)」
ボインゴの予言の漫画には、ポルナレフの鼻に指を突っ込めばジョースター一行を一網打尽にできると表れた。だがそんなバカな話を誰が信じるだろうか。ホル・ホースは片眉を寄せて深く息を吸った。煙草の香りが肺を満たす。鼻から煙を吐き出すと、気分が些か落ち着いた。
――ついに見つけたぞ、ジョースター!承太郎!ポルナレフ!アヴドゥル!花京院!リゾットに、ポルポだ!
予言書にはこう書かれている。イギーの名前がなかったが、ホル・ホースは不思議に思わなかった。そもそもその存在を知らないのだ。
――"チクショー!DIO様の館にどんどん迫っているじゃあねーかスカタンどもめ!早いとここのタマをぶち込んでやるぞ!"……ホル・ホースはドロドロに思いました。"兄ちゃんの仇だーッ!"ボインゴもブリブリ思いました。
味のあるイラストは今の様子を描き出した。独特な絵柄のジョースター一行の7人はコマを埋め、モノローグが浮かび上がる。
――でも、ホル・ホース。商店街で『皇帝』の拳銃を使うことを考えてはいけません。
ここからが問題だ。
――さあ!ホル・ホース!ポルナレフの鼻の穴に指を突っ込みーの!アーンド!"アアッ、ポルポのパンツが見えてるゥ!"と叫びーのするとォ!
「(奴らが血を流して気絶する、だぁ……?)」
ごっこ遊びに付き合っている暇はないんだぜと言い捨て、拳銃を片手に今すぐ襲撃をかけた方がよほど建設的なような気がしたが、ホル・ホースはこの予言を無視できない。予言通りに"通常では考えられない行動"を取って利を得た記憶は新しい。ポケットにねじ込まれたネックレスの宝石が、予言の絶対性を無言で語った。
怒鳴りたいのをぐっとこらえ、息を整える。その呼吸が刹那止まった。
「またここに居たのか、ホル・ホース。会うのはおそらく二度目だが、今回も思い通りにさせるわけにはいかない」
「テ、テメェ……、ポルナレフ!」
だらだらとこめかみから冷汗が垂れ落ちる。勢い良く振り返り間合いを取ったは良いものの、尾行しているつもりが尾行されていたと気づいてはしてやられたと舌を打つしかない。クソ、と悪態をつく。
ポルナレフは自然体で立ち、首を振った。
ポルナレフはこう思っていた。『あの時』の大事故はまったくの偶然に起きたことで、ホル・ホースや、見たことのないボインゴにより詠まれた予言とは何ら関係がないのだと。だからあの時とは違う場所でホル・ホースを追いつめたのなら、何の被害も受けないだろう、と。
ここが『以前』とは違う場所だとは、ホル・ホースもボインゴも知らないことだ。アヴドゥルやジョセフ、ポルポですら知らない。彼は誰にも告げていなかった。
だからこそ悠然と立っている。邪魔は入らない。鼻の穴に指を突っ込まれ意表を突かれさえしなければ勝てると。
しかし知っていてもどうしようもないことはある。たとえば人の気配を感じ、戦士として反射的にそちらを向いてしまうなど。
「ふがっ」
このポルナレフを知る人が居れば確実に二度振り返っただろう。
ホル・ホースの指は見事に、ポルナレフの鼻の穴に吸い込まれるようにして刺さっていた。
再び同じ手にかかってしまったポルナレフは、思わずフランス語で悪態を呟く。くぐもった声はホル・ホースにだけ届いた。悪態をつきたいのは俺の方だ、とホル・ホースは泣きたい気持ちを必死に抑える。この後はどうするんだったか。
考える暇もなく、彼の背後から聞きたくない声がぞろぞろと連れ立って近づいてくる。
なりふり構わず、ホル・ホースは裏返った声で叫んだ。
「アアッ!ポルポのパンツが見えていやがるッ!!」
「え?!」
「何!?」
ホル・ホースの視界の端で女が自分のスカートを見下ろした。そして鼻に指を突っ込まれているポルナレフが素早く視線を動かしてうっかりその脚に目をやった。枯れたように落ち着いたテンションを持つ彼だったが、持って生まれた性格はいつどんな時でも芽を出すということか。
ホル・ホースがしびれを切らしてポルナレフの鼻から指を引き抜き拳銃を取り出したとき。
轟音と悲鳴、それからブレーキの音がカイロの昼を切り裂いた。
先ほどから視界の端をちらつく"女"の表情をホル・ホースは見てしまう。彼女らに猛スピードで近づくものがコントロールを失ったトラックだと気づくや否や、彼はこれまでにない勢いで駆け寄って、すぐそばにいた男ごと彼女を突き飛ばした。
ホル・ホースは女性を傷つけない。たとえそれが敵の仲間であっても、咄嗟にそうしてしまったのだから、取り返しはつかないのだった。
自分からダイナミックに事故の只中へ飛び込んだ男は、激しい衝撃を受けてぐらりと意識がどこかへ落ちてゆくのを感じた。


暴走トラックの交通事故とかマジ勘弁。
瓦礫と砂埃にまみれながらも、私とリゾットは他の人よりも傷が少なかった。少し身体をすりむいて、青あざができたくらいか。大型トラックがぶつかって建物の外壁が崩れ落ちたにしては軽いものだ。
う、とうめいたのはリゾットが私が石壁に打ち付けて痛めた腕を軽く押したからだ。痛いから打ち身確定。服の上から触れるリゾットの手があたたかくて気持ちよかった。
「リゾットは大丈夫?」
「ああ、問題ない」
私たちに覆いかぶさり気を失う男から西部劇風の帽子が外れ、髪が見える。リゾットが起き上がりざまに男を押しのけ、ごろんとひっくり返した。その拍子に男の頭が大きな瓦礫にぶつかって鈍い音を立てたが無視されている。たんこぶできちゃう。
「みんなは?」
「息はある」
やだ大雑把。
口に手を押しつけて笑うのを堪えると、更に訊く前にリゾットは自分から言葉を付け加えた。
「スタンドで衝撃を軽減していた。死んではいないだろう」
やっぱり大雑把だ。でも無事なら良かった。
それよりもこの、リゾットに押しのけられてぼろ雑巾のように転がったホル・ホースをどうしようか。間近に顔を寄せてみると苦み走ったイイ男だ。ウホッのほうでもなかなかだと思うね。削いだような頬のラインなんかたまらないんじゃなかろうか。起こすと面倒になりそうだなと思って、彼の脚と絡まっていた自分の脚を引き抜いた。靴が脱げたと思ったらリゾットが拾って揃えて置いてくれる。履き直して立ち上がった。
どうしよう、この人。
被害から逃れたポルナレフがげほげほ咳き込みながらアヴドゥルさんたちを引っ張り起こす。誰も戦闘不能に陥らないのが凄いよね。ジョースターさんが帽子を脱いで石や砂を払い落す一方、承太郎くんはぷるぷると首を振って汚れを飛ばした。大型犬のようでディ・モールト良し。
「ポルポ!大丈夫だったか。ひどい怪我はしていないか?」
「ありがとうございます、アヴドゥルさん。私は大丈夫です」
「リゾットはどうだ?」
「大丈夫だ」
「よかった。我々もみな無事だ。……ところでそいつはホル・ホースじゃないか?」
紛うことなきホル・ホースです。どうしましょう、見事に気絶しているけれど。ていうかこの人はなんで私たちに覆いかぶさって気絶しているんだろう。
意識のないホル・ホースを、ポルナレフと協力して支えたアヴドゥルさんは、そのままホテル・メナハウスを指さした。
「とりあえず、わたしたちの宿泊する部屋へ連れて行こう。何かわかるかもしれないからな」
私たちが宿泊するのはメナハウスの4階だ。イギーは泊まりたがらないだろうと思ったが、気まぐれなのかコーヒーガムが目当てなのかトコトコと後ろからせっついてきたので、アヴドゥルさんのたっぷりした上着に隠すようにして連れ込まなくてはならなくなった。彼は取った3部屋のうち、アヴドゥルさんとポルナレフ、花京院くんのベッドがある部屋に匿われている。もっとも今は飄々とした顔でどこかへ出かけているのだけど。
「スタンド能力を使われるかもしれない。腕は拘束しておきたいんだが、何かないか?リゾット」
「悪いが、何もない。なぜ俺に訊くんだ?」
「君なら色々とモノを持っていそうだからな。無いなら仕方ない。肩を外しておこう」
アヴドゥルさんが噴いた。
「ポルナレフ、再会してから何度も思っているんだが、性格が違わないか?本当に君なのか?」
「もちろん私は私だぞ。今のはただの冗談に決まっているだろう」
何を言っているんだこいつはという顔をしてるけどジョースターさんも頷いてるよ。よく見てポルナレフ。
ポルナレフとアヴドゥルさんはホル・ホースの腕をそれぞれ自分の首にかけ、二人三脚ならぬ三人四脚よろしく真ん中のガンマンを引きずりながら歩き出した。酔っ払った異国の男が友人ふたりに介抱されているようにも見える。
私たちはその後ろについてゆき、写真の建物が近くにないものかと目を光らせながらホテルまで折り返した。
フロントではかなりぎょっとされたが、止められたり警察を呼ばれたりはせずすんなりエレベーターに乗り込む。降りて来た基には数人が乗ろうとしていたが、私たちがエレベーターホールに現れると波がひくように先を譲られた。そりゃこんな頑健そうなボロボロの男たちと一緒に密室に閉じ込められたくはないわよね。ありがたく先に乗らせてもらって、4のボタンを押した。ミスタが居たら大変だったな、この階数。4階に泊まるくらいなら外で寝るとか言いそう。
アヴドゥルさん、ポルナレフ、花京院くんが荷物を置いた部屋にホル・ホースをぶち込む。成人した男女が8人収まるにはこの部屋は小さかったが、誰も文句は言わなかった。承太郎くんはベッドに腰を下ろし、花京院くんは窓際に、リゾットは一歩離れてドア側に立つ。ベッドに放り投げられるように寝かせられたホル・ホースの左右をアヴドゥルさんとポルナレフが挟み、ジョースターさんが椅子に腰かけた。私は誰のかわからないベッドに座らせてもらう。ちょっと疲れた。
「さて、叩き起こすとするか。リゾット、頼む」
なぜ俺なんだ?みたいな顔をしたリゾットがベッドに近づき、男の頬に手を伸ばした。
思い切りつねる。
千切らんばかりにつねる。
「ッテエエエ!!」
ホル・ホースが跳ね起きた。左頬がいやに赤い。リゾットの握力がどれくらいかは知らないが、まあリゾットがリゾットであるってだけで痛みは察せるよね。可哀想に。
「これでいいか?」
「うむ、えげつない」
「痛そうですね……」
あれはやられたくない。頬を押さえて涙目のガンマンに全員から同情が贈られた。いやホント、可哀想。さすがの私も"ちょっと私にやってみて"とは言えないタイプの起こし方だ。
非情の起床を果たしたホル・ホースは私たちに囲まれている現状から、自分がどうするべきかをすぐに理解したらしい。ケッ、と吐き捨ててまっさらなシーツの上に胡坐をかいた。アヴドゥルさんがちょっと嫌そうな顔をする。アヴドゥルさんが使う予定のベッドだったようだ。
土のついてしまったシーツのしわを手で払ってのばすホル・ホースの鼻息は荒い。
「うまくいかねえな。なんだってんだ?オイ、ポルナレフよ。オメー、俺のツレはどうした?」
「ツレがいたのか。しまったな……」
悔やむポルナレフにニヤリとホル・ホースが笑いかける。ツレというとオインゴだったかボインゴだったか、あの兄弟の弟の方だよね。予知の漫画の独特な絵柄は憶えている。内容まではわからなかったが、これも運命のひとつなのだろうか。全然関係ないけどあの漫画の中での私とリゾットはどんなピカソ系のイラストになっていたんだろう。
「ま、放っておいても害はねぇだろうがな。臆病なやつだ」
「親しいのか?」
「ジョーダン言うな」
こんなことでもなけりゃあ顔も合わせねーよと言うホル・ホースに嘘はない。即席コンビだもんな。ホル・ホースはひとりで戦う時は大したことはないけれど、誰かと組むと真価を発揮する。そう評価したのはポルナレフで、今も絆の浅い相棒の存在を教えられた彼は納得顔で頷いていた。
「ああ、そうだった。私の鼻に指を突っ込んできたのもそういうことか」
「ふざけた指示だったぜ。しかも、その通りにしてやったっつうのにこのザマだ。……まあ、理由はわからなくもねェが」
帽子の大切さは通ずるものがあるのか、ジョースターさんから差し出されたテンガロンハットをきちんとかぶり直したホル・ホースは、その鍔の下から私を見た。ついでに、頬をさすってリゾットのことも意識した。
ひと通りいきさつの説明を終えた後、渋い声で低く言う。
「俺はオンナは傷つけたくねえ。一体どんな理由であんたらが血まみれになって気絶するのかは知らなかったが、ああいう理由でこの姉ちゃんが巻き込まれるなら話は別だ」
「ホル・ホース……」
一度は予言の書に従って女性に延髄斬りをぶちかました男の台詞とは思えないが、おかげで私は助かった。予言から外れた行動を取ってしまった彼はこうして捕らわれ人となってしまったのだけど、そんな後先は関係なく、考えもせず、目の前の女性を助ける為だけに走ってくれたその精神には感謝と尊敬を捧げるべきだろう。目先のワクワクにとらわれてダービーに無謀な戦いを挑み生ぬるい敗北を舐めた私とは大違いだ。これしばらく自虐ネタになるな。テストに出るから憶えておこうね。
「お前を生け捕りにしたのは理由があるんだ。もうわかっているとは思うが、DIOの棲家を私たちに教えてくれ」
「フン、簡単に口を割ると思うか?」
「思わんが、割りたくさせる方法はたくさん知っとるぞ、わしは」
「DIOはカイロの南側、アズハル大学の近くにいる」
これ以上ないほど綺麗に手のひらを返す。『逃げる』を必殺技とする彼らしい臨機応変な対応だ。
ジョースターさんが首を傾げた。鞄から地図を取り出して指を彷徨わせる。私もエジプトガイドマップを出して眺めた。
「アズハル大学ならわたしが知っている!まさかそんな近くにいたとは……」
「どういう意味じゃアヴドゥル?」
「その大学はわたしが占いを営むハンハリーリのすぐ近くにあるのです、ジョースターさん。それに、先ほどトラックが突っ込んだ角のすぐ近くでもある。わたしたちは核心に迫っていたようですね」
具体的にどこなのかとアヴドゥルさんが地図をホル・ホースに近づけると、彼はポルナレフに渡された赤ペンで地図に点を打った。やる気のない態度を装っているが、滲む冷汗は隠せない。
ペンを放り投げたホル・ホースはベッドに大の字になって倒れ込んだ。
「アヴドゥル、ポルナレフ、花京院、それからリゾットよぉ。オメーらは知ってるだろう。DIOは生半可な悪とは違う。生まれ持ってのナニかがある。近づくだけで感じる恐ろしさがその証拠だ。俺たちが束になっても敵わねえようなスタンドも持ってる。わかるか、あんたらに?拳銃を後頭部に突き付けられた状態だったはずなのに、瞬きひとつするうちに俺の背後にまわっていたDIOの恐ろしさが?蜘蛛の巣の糸を一本だって揺らさずに、瞬時にだ。ンなことができるスタンドを今まで見たことがあるかってんだ」
ホル・ホースは自分の額を指でつついた。
「肉の芽を摘出されたやつは不運だぜ。あの恐ろしさに二度、立ち向かわなきゃあいけねえんだからな」
花京院くんが眉間に力を込めた。操られた過去を思い出したポルナレフも手を握りしめる。だが、と言ったのはリゾットだった。
「だが、道はそれだけだ」
私たちにとっても、ジョースターさんたちにとっても。
頷いたジョースターさんが何を言っても躊躇しないと知り、ガンマンは大げさにため息をついた。煙草を要求されたポルナレフがケントを渡すと、好みじゃねえなとだけ言って嫌そうに咥える。寝転んだまま火も求めるホル・ホースに、アヴドゥルさんが襟足でも燃やしてやりたそうな顔で火を貸してあげていた。ライターが切れた時のチャッカマン代わりを頼まれていたアヴドゥルさんも、仲間以外に言われると苛立つみたいだ。
「ああそうかい。ま、好きにしな」
味が好みではないのか、ホル・ホースは口をすぼめた。
「場所はわかった。なら、いつ突入するんだ?」
今でしょ、とは言わないよ。言わないったら。誰にも通じないしね。
「夜はイカンな。今日は疲れも溜まっていることだし、明日、早朝に仕掛ける」
「へえ。それじゃあその間は俺はここで待たせてもらうとするが、イイよな?連れて来たのはあんたらだ」
「いやその理屈はおかしいだろう」
「放り出すのかい、ポルポルちゃんよォ。ジョースター一味の情報を手に入れちまった俺を?」
「あぁ……それもそうだな」
ポルナレフは少し考え込む。じゃあさあ、と私は手を挙げた。
「私たちの部屋に居てもらえばいいんじゃない?ほら私、いたいけな女の子だし」
普通なら逆だけど、ホル・ホースのことはそういう意味で物凄く信頼している。なにせ紙面では女性に延髄斬事件以外はなんか優しくなかった?ゲスい感じに優しかったよね。すげえ悪い顔してたけどネーナとかに優しかったよね。優しかったはずだって過去の記憶を信じてる。
振り仰いで訊ねる。
「ダメかな、リゾット。話し相手が増えるよ」
「ジョースターの部屋に置けばいいだろう」
「置物じゃねぇぞ俺はよ」
「わしもこんなデカい置物は要らんよ」
「だから置物じゃねえぜジジイ」
ホル・ホースのツッコミは丸無視。
ああでもないこうでもないと盛り上がった私たちのやりとりに終止符を打つのはいつだってこの人、ポルナレフだ。
「だがポルポに預けるのが一番いいのかもしれないな。傍には必ずリゾットがついているんだ。こいつも迂闊なことはしないだろう」
アヴドゥルさんとポルナレフと花京院くんが揃っている部屋に置かれても迂闊なことはしなさそうだけどね。まあ、来るんだったら来る、来ないんだったら来ないで、何でもいいよ。ただ、今日はもう休むというなら部屋に行ってシャワーを浴びて早寝したい。朝早そうだし。
朝が早いも何も、ここまで来たらホテルで待っていればいいんじゃない?とガイアが囁きかけてきたが、こればかりは聞き入れられない。大いなる旅路の中の葉っぱというのがどこからどこまでのことかわからないし、ここまで来て"はいいってらっしゃい"というのも心情的にちょっと……。
あ、と思いつく。
「アヴドゥルさん。ホル・ホースはいいとして」
「えっ、良くないでしょう」
ごめん花京院くん。良くないよね。
「じゃあホル・ホースはうちで預かるとして、お願いがあるんですけど」
「何だろうか?」
「もう一度、占ってもらえませんか」
これでどんな結果が出るかによって、これから『先』があるのか、『戻る』ことになるのかがわかるのではないかと思ったのだ、が。
アヴドゥルさんは良い顔をしなかった。
花京院くんが訝って身を乗り出す。アヴドゥルさんが私に対して下ネタ以外で渋い顔をすることってあまりないもんね。
彼は理由を説明しようとしたが、その表情を見るだけで理解できる。もちろんいじわるやジョークで断っているのではない。紙面で知っているからこう思うのかな。
もはやここまで来てしまっては、DIOの影響が強すぎて正確な結果を出せない。
そのような話なのだろう。
ジョースターの血筋とDIOの間には、100年、いや、それ以上に切っても切れない因縁がある。そんな因縁の片割れとこんなにも長く接し、旅をしてきたのだ。影響が濃く出てしまい、客観性を欠くのだろう。
私はリゾットと顔を見合わせ、それからふたり同時にゆっくり首を振った。うん、早起きします。