21 磁力でドッキリ


車を変え、コム・オンボに辿り着く。私の隣で目を閉じるリゾットの腕に触れて起こし(寝てなかった可能性の方が大きいけど)車から降りる。溌剌とした人々の声に引き寄せられるようにして、ジョースターさんがふらりふらりと露店に足を向ける。
露店にはパピルスが並べられたり、乾燥させた果物が盛られたり、石板の欠片に値札が貼り付けてあったりして目移りする。お土産に良さそうだなあと思っていたら、ポルナレフがぼそりと「偽物じゃあないのだろうか。前はそうだったが」と私に耳打ちした。真偽のほどはいかに。アヴドゥルさんならわかるだろうか。しゃがみ込んで真剣に手触りを確かめる彼の後ろから手元を覗き込むと、こちらもおさえた声で囁いた。
「うむ。偽物だな」
ポルナレフの笑顔が輝いた。
「ほら、ポルポ。そうだったろう?」
そうだね。もうこの三十路ほんと可愛いなあ。

大きめの塊をつくって歩くうち、ポルナレフがそわそわし始めた。近くには石柱の目立つ大きな遺跡のようなものがそびえ、観光客を圧倒する。ナイル川からは離れたが水路はあり、それもそれなりに深そうだ。物を落としたら取るのに苦労するだろうな。
同じことを、違う意味で考えている者がいた。そう、我らがジャン・ピエール・ポルナレフである。彼は意味深な沈黙と共に水路を見下ろすと、ぶつぶつと呪文のように作戦を呟いた。聞き取りづらかったが、この近くで襲撃があるらしい。正統派だがかなり手ごわい敵で、巻き込みたくはないがジョースターさんたちがいてくれたほうが心強い。だからこの付近を何かと理由をつけてうろうろしたいのだが君はカフェかどこかで待っているか? 訊ねられ、私は一も二もなく頷いた。当たり前だ。私が助けになれるはずがないし、ついて歩いてうっかり人質に、なんて月9みたいな展開になっても困る。九栄神のうちどの神様が襲ってくるのか、名前は出てこなくても何となくなら思い出せる。確か、刀のスタンドだ。叩けば叩くほど強くなるという特徴はまさに刃物。過去に苦戦したからこそ、ポルナレフも慎重な姿勢を見せる。
ひとりの男が私たちの前に躍り出たのは、ジョースターさんが戯れに購入したパピルスを空にかざした時だった。うっすら繊維が透ける紙は、英語の『ペーパー』の語源と言われているそうだ。マメ知識ならぬ、ジョースターさんからの星知識。
体重移動の仕方も、構えも、男はド素人の私が判断しても拙かった。人をひとりも殺したことがない、そんな純粋な気配がどす黒い悪意に染まってジョースターさんたちに襲い掛かる。こう言うと格好いいが、まるっきりの初心者が刀に操られるようにしてつんのめりながら刃を振るっただけだ。危うく袈裟懸けに斬られかけた花京院くんがサッと飛び退く。
剣戟をかいくぐり、スタープラチナの拳が男を一撃した。
からんからんと音を立てて、刀が地面に転がった。
「やれやれ、真っ向から勝負を挑んでくるのは良いが……」
「操られているのかと思うほどのへっぴり腰だったな」
実際に操られていたんだけど。
「……あれ」
元凶の刀を見下ろしているうち、何やらおかしな気持ちになってきた。今すぐ花京院くんを押し倒したい。嫌がられるのも構わず足とかを舐めたい。
いや、違う違う。そうじゃない。今すぐこの刀を握りたい。そんな想いだった。決して青少年に邪な欲望をぶつけたいわけではない。
「私……、……どうしよう。なんだろうな、今すぐ……」
手を伸ばして頬ずりしたい。いや、花京院くんにではなくて。
「ポルポ。いや、君は一瞬リゾットを見つめてくれ」
「えっうん」
ポルナレフらしくない雑な動きで肩を押され、刀から目を逸らす。途端に葛藤から解放される。不思議に思いながら言われた通りリゾットを見つめ、ああもしかしてアレがスタンドの力か、と納得。リゾットは大多数と同じように刀に目をやって、肉の壁、THE・ポルナレフガードに阻まれていた。
ポルナレフは慎重に刀を鞘におさめ、今にも引き抜きたそうな顔をしながら、決して柄には触れず、スタンドを水路のところまで引きずった。
流れるように蹴り落とす。
その拍子に鞘から身をこぼしたスタンドが盛大な悲鳴を上げ、ポルナレフ曰くの『アヌビス神のスタンド』は水底へ沈んでいった。
一仕事終えたポルナレフが、呆気にとられる私たちに片手を上げた。晴れやかな表情だ。
彼は先ほど手で押した私の肩をそっとさすった。
「すまない、叩いてしまって痛くはなかったか?」
え?私叩かれてたの?逆にごめん、全然気づいてなかった。
「君がスタンドに操られたら倒しづらいからな」
「まるで操られたのがリゾットだったら合法的に日頃の恨みを晴らせた、みたいな言い方」
「ああ、そうだな」
「そうだね、ごめん」
わかりづらいギャグに乗っかってくれてありがとう。
登場からこの方、合計しても2分だって喋らないうちに、アヌビス神はリタイアした。

次に星印一行が向かったのはルクソールだ。夏はひどく暑く、降雨がほとんどないと言ってよい地域である。東側には『生』を意味する遺跡や神殿が並び、西側には『死』を内包する谷がある。かつてファラオたちは墓泥棒からの盗掘を防ぐために、ナイル中流の奥深い険しい谷に死後の安住の地を求めたという。これが西側の、王家の谷、王妃の谷と呼ばれる場所だ。以上、アヴペディアより。
ジョースターさんがトイレに行っている間の暇つぶしのつもりか、滔々と語ってくれたアヴドゥルさんに、花京院くんが疑問をぶつけた。
「では、盗掘はなくなったんですか?」
「いや、減りはしたがなくなりはしなかった。ツタンカーメンという王がいることは知っているだろう?盗掘の被害を唯一免れたのは、そのツタンカーメン王の墓だけだった」
「罰当たりなものですね」
「まったくだ。この岩山の中にある村は墓泥棒たちの子孫の村と言われている。いまだにどこかの墓の地下では、金銀財宝を求めて政府に内緒で洞窟を掘っている奴がいるという話もある」
時代が流れるたびに価値が上がるものばかりだから、止まる手も止まらないのかもしれない。まだ発見されていないお墓や財宝もありそうだし、過去の遺物へのロマンと探求心、それから野心は永遠におさまらなさそうだ。
承太郎くんが肩を竦める。
「それにしてもジジイのやつ、ずいぶん遅いな」
2人一組で行動するよう私たちに厳重に言いつけたジョースターさんは、よりにもよってペアにイギーを選んでトイレに出かけた。歩いて行った方角を見ても、犬の姿はない。もちろん大柄なおじいちゃんの影もなかった。あるのは無機質な公衆簡易トイレだけだ。
「イギーも戻って来ないし、ただ長引いているだけじゃないか?水で腹を壊したとか」
自分の腹をさすったポルナレフは単独で旅をしていた過去に水で中った記憶があるのか、顔をしかめて唇を舐めた。食中りはきついよね。世の中のすべてが憎く思えるっていうかなんかもう生きてるけど人生を儚んじゃうっていうか、一瞬意識が途切れたと思ったら苦痛ですぐに目覚めてしまって永劫の苦しみを味わわされている気持ちになるっていうか。これ拷問に使えるでしょ、って中るたびに思う。ひとり暮らしで誰にも助けを求められず脱水症状で死にかけた日本人の時の記憶が苦い。
「アヴドゥル、君もトイレに行っておくか?もし行くのならば付き合うが」
「ん、……そうだな……」
アヴドゥルさんは歯切れ悪く曖昧に頷いた。
「わたしはホテルについてからにしよう」
どうやらもちろん彼はエジプト、ルクソールのトイレ事情にも詳しいようで、生ぬるい表情を浮かべた。ジョースターさんにホイホイついて行かなくて良かった。
3回くらいOMGが聞こえてきたあと、個室からジョースターさんがまろび出た。全員がそちらを向くと、砂に足を取られて転んだ彼は悲鳴を上げて弾かれたように身をしならせた。
「ビリッとォ……来たァ!!」
「大丈夫ですかジョースターさん」
心配するアヴドゥルさんはかなり真顔だった。
「カイロまではあと2日あれば行けますが、お疲れのようですし、今夜と明日はルクソールで宿を取って休憩するというのはどうでしょう?」
座り込んだままのジョースターさんに手を差し伸べ提案したアヴドゥルさんは、こくこくと頷いた彼を助け起こしてお尻からぱらぱらと落ちる砂を払ってやった。これは絶好のチャンスだ。私も駆けて行って、おじいちゃんのお尻から乾ききった砂を手で払い落す。よしっ、ジョースターさんのお尻に触れた。ちょう邪念まみれでごめんなさい。スタクルの中に混じる痴女とは私のことだ。満員電車だったらこんなもんで済ませられていた自信がないので、ここが視界の開けたルクソールで良かったと世界に圧倒的感謝。ありがとうと純粋な感謝を込めてアヴドゥルさんと私にお礼を言ったジョースターさんと目を合わせられない。
こんな所、と言うのは失礼だろうけど、まさかエジプトのルクソールにもコーラがあるとは思っていなかったので、ジョースターさんが栓抜きでコーラの瓶を開ける動きをしげしげと眺めてしまう。ぐいっとひと息で飲み干すその義手に瓶の王冠がくっついていた。まるでこの人が磁石になったように。
遠くに見えるホテルらしき建物を目指して大通りを歩いていてハッと思い出した。気づくのが遅すぎたが、そうだ、これはバステト女神の暗示を持つスタンドの。
確信を得たのは、ジョースターさんの後頭部めがけて風切り音を立てたカナヅチをアヴドゥルさんが叩き落とした時だ。ポルナレフがムッとして、先ほどまでトンカンやっていた町の人に文句を投げる。
「すっ飛ばすなんて危ないぞ! まったく……」
「気をつけてくれ。ここに置いておくからな」
アヴドゥルさんもしっかりした声で注意した。数十歩、黙ったまま歩く。ポルナレフですら普通の会話を楽しんでいるのを見てから靴の履き具合を直すふりをして振り返った。
カナヅチは砂の上をゆっくりと滑るようにしてジョースターさんを目指していた。あ、これバステトですわ。ポルナレフが無視してるっていうのがちょっと気になるんだけど、もしかしてこの人、ここでバステトの襲撃があったことを知らないのかな。まさかな。でも忘れているはずはないし、襲撃があった、と知らされてはいてもどのタイミングだったかは把握できていないのかもしれない。んんん?どういうことだってばよ。
何にしても、鉄に気をつけないといけない。私の持ち物の中に磁力で引き寄せられそうなものはあったかな。
あっ。
横を見る。
持ち物じゃないけど隣にすごい人物がいたわ。
「どうした?」
きょとんと(当人比)されてしまったけど、この人、バステト女神のスタンドとまともにやり合えるタイプのスタンド使いなのでは。
あちらは物を磁石にしてしまう能力。こちらは鉄分を操って磁力を発させたり形状を変化させたりする能力。バステト・マライアに対する切り札と言って良さそうだけどそこのところは。どうなのよドラえもん。
「何でもない……。今日もリゾットちゃんは可愛いね。砂漠の砂粒を集めて数えたって、リゾットちゃんの可愛さの数値には足りないと思うよ」
「そうか」
「うん」
コンセントには気をつけよう。心からそう思った。

ええと。心からそう思ったはずだったのだけど。
当然、コンセントが危険だと知っているのは今のところ私だけだ。宿でリゾットがドライヤーを使おうとした時はもちろん私がそうっと用心深くプラグを挿して髪を乾かしてあげたし(不審がられるかなと思ったけど、意外にも私の平常運転だったらしくて何も思われなかった)、普段からそうそうコンセントになど触れようがないけれど、注意もしていた。
しかしまあ、朝起きるのは私の方が遅くてだね。これは私が悪いんだけど。200%私のミスなんだけど。
「ッ、う」
ばちりと弾けた音とほぼ同時に聞こえた短い呻き声に細く目を開けると、カーテンは既に開けられ、ふたつのベッドには東から光が降り注いでいた。朝だ。夢も見ずにぐっすり眠ってしまったようで、眠る前に読んでいたホテル備え付けの聖書がどのページまで進んだかも曖昧だった。枕元の本を抽斗にしまい、起き上がる。洗面所の方から大きな音がしたけれど、どうしたんだろう。
申し訳程度に身だしなみを整えてベッドから降りる。おはよー、と言うと、不思議そうに手を見つめるリゾットがゆっくりと洗面所から姿を現した。しっとりと前髪が濡れている。
「どうしたの?」
「顔を洗っていたんだが、タオルを取ろうとしたらどこかに手がぶつかって、強い静電気にでも遭ったような気がしたんだ」
「……へえー。もう何ともない?大丈夫?」
「ああ」
良かったね。オメーそれ触っちゃいけないコンセントだよ。
この部屋は一階、それも街の大通りに面した場所にある。この部屋を『ジョースター一行』のうちのふたりが取ったと知ったマライアが罠を仕掛けたとしてもおかしくない。実際にそうしたんでしょうね。どちらかが引っかかれば、助けようとしたもう片方も巻き添えで死ぬ確率が高い。あるいはどちらも引っかからなくても、既にジョースターさんは絡め取られ済みだ。このスタンドを使いこなすバステト・マライアなら、効率よく全員を殺す作戦もすぐに立てられるだろう。
「強く生きよう、リゾット。それから、この戦いが終わったら結婚しよう」
「そうだな。ところで、あれから電話はあったか?」
リゾットはスマホを指さした。
スマホは砂漠で一度鳴いたきり、うんともすんとも言わない。私は重苦しく首を横に振った。
顎に手を当てて考え込む。どうしてつながったんだろう。それから。
「誰からの電話だったんだろうな」
「それね」
とどかない電波の向こうにいたのは誰だったのか。謎はまだ解決の糸口すらみせない。
深刻な場面だったけど空腹には勝てない。お腹空いた。エジプトの朝ご飯が楽しみだなーとシリアスをぶった切って伸びをする。朝ご飯かあ。ナイフスプーンフォークがリゾットにくっついちゃったりとかするのかな。シャレにならないけどちょっと見てみたい気持ちがあるぞ。急に鉄系の物が自分にくっついてきてびっくりするリゾット。見たい見たい。ウワッなんだこれ!みたいな顔をするリゾット。いや、それは流石にないかな……。いつも冷静なんだもんなこの人。自分に向かって猛スピードで飛んでくる刃物を指先でキャッチして叩き折って捨てそうなイメージあるよね。強すぎ暗殺マンの朝は早い。
問題のコンセントには触らないよう細心の注意を払って準備を済ませ、ホテルの前に出る。ポルナレフと花京院くんと承太郎くんはもうそこにいて、屈みこんでイギーにちょっかいを出しては指を噛まれそうになっていた。
「ジョースターさんとアヴドゥルがまだ来ないんだ。様子を見に行った方がいいと思うか?」
「ただの寝坊じゃねえのか。老人がみんな朝に強いとは限らねーぜ」
「何かあったら困るだろう。もっとも、あの2人なら何の心配もないような気もするが」
視線が一巡したが誰も名乗り出ようとはしなかった。
「その、恥ずかしいんだが、私はもう少しイギーと遊んでいたいんだ。……リゾット、行ってもらえないか?」
ポルナレフは本当に照れくさそうに俯いてしまった。こんな可愛い20代の男性を前にしては断ることなど思い浮かびもしないのか(そんなわきゃあない)、リゾットは「解った」と言って私の隣からスッと離れ、ホテルの中へ戻って行った。ポルナレフの頬はまだ色づいたままだ。恥ずかしがって気がそぞろになり、動きの鈍ったフランス人の指をイギーががぶりとやっていた。
ホテルの入り口には2枚のドアが並び、リゾットは左側のドアから入ったのだけど、ポルナレフを笑ってけらけらと笑っていると、リゾットが中に入ってからそう時間も経たないうちに右側のドアからアヴドゥルさんが姿を見せた。
「ジョースターさんは?」
「ジョースターさんならすぐに来ると言っていた。それよりリゾットが居ないようだが、どうしたんだ?」
「リゾットはアヴドゥルさんたちを呼びに戻ったよ」
「なら入れ違いになってしまったんだな。悪いことをした」
「すぐに戻って来ますよ。お腹も空いているでしょうしね」
くすりと笑った花京院くんに釣られ、全員が大なり小なり声を立てて笑う。
それからしばらく待つも、リゾットとジョースターさんは一向にやって来ない。ポルナレフは異常を察知して「様子を見に行こう!」と言い出しそうなものだが、イギーに構うのに夢中で時間を忘れているようだった。しかし時々辺りを鋭く見回していることから、何かには警戒しているらしい。もしかして、ジョースターさんとリゾットなら何があっても大丈夫、と信頼して沈黙してるのかな。彼らを気に掛ける余裕もないほど重要な敵が自分に手を伸ばすと知るゆえにこうしてここで待機している、とか。
九栄神の、誰だろう。
バステト・マライアと同じタイミングに仕掛けてきた敵、それもポルナレフと承太郎くんに関係するスタンド使いとなると限られてくる。あ、花京院くんは本来なら病院で待機、アヴドゥルさんはジョースターさんと一緒に不在、私は当然イレギュラーってことで除外してーの、ポルナレフと承太郎くんの2人組だ。イギーは数に入れてはいけない気がする。
「あっ、イギー!」
脳内で話題に上らせたせいか、何かの匂いを嗅ぎつけ鼻をひくつかせたイギーが突然走り出した。ワンコをいじっていたポルナレフと花京院くんが立ち上がる。
「すみません、僕が構い過ぎたせいですね。追いかけて捕まえます」
「いいさ、どうせ私たちで遊ぶのに飽きたんだろう。追いかけなくても――……」
そこでポルナレフはふとこめかみに指を当てた。考えてから、うん、とやけに明るく言葉を繋いだ。
「そうだな、すまないが花京院とポルポはイギーを追いかけてくれないか」
「え、私も?」
花京院くんは素直に頷いたが私は面食らってしまう。私?なんで私?
これからここで起こる(であろう)戦いの邪魔になりかねないからか。比較的短い時間で気づいたので、ポルナレフが即興で組み立てた説明をする前に手で制止して了解を伝える。オーケーオーケー、私に任せて。事件から逃げる早足には自信と定評があるポルポだよ。
承太郎くん、ポルナレフ、アヴドゥルさんをホテルの前に残し、私と花京院くんはてくてくと犬の足跡を追って歩き出した。ここは砂の多い街だ。我々の目から逃れようなんて思わないで欲しいものだね、イギーくん。

ルクソールを横断する線路に差し掛かり、あっ、と言った花京院くんが見つけたのはイギーではなかった。線路脇の柵に凭れかかるようにしてくっつく見覚えのある男たちだ。
片方はジョースターさんだった。もう片方は、推して知るべし。
「リゾット、さん……?」
2人は密着していた。隙間なんてかけらもないのではと錯覚してしまうほどに。う、いや、あるいは錯覚ではないのかも。ぴたりとくっついた2人の上半身は、凹と凸が組み合わさって四角形をつくるように絡み合っていた。
呆然とたたずむ花京院くんは目を丸くし、長いまつげを震わせる。ポ、ポルポさん、僕はいったい何を見てしまったのでしょうか。そう言われても私も困る。禁断の一場面とかじゃないかな。
「戻ろうか、花京院くん」
「そんなわけにはいかないでしょうッ!?ど、どう見てもスタンド使いの攻撃を受け、……う、受けてい……いますよね?」
日本語がおかしくなるほど混乱した花京院くん。母国語を失うくらい青年の精神に消えない傷を残すなんて悪いスタンドだなあ。
花京院くんはどうやら、リゾットの恋人である私に気を遣ってくれているようだった。この子はいつも私たちに気を遣ってくれるけど疲れないのかな。大丈夫?これリゾットにも同じような心配を抱いてるんだけど、私の周りの人って優しすぎない?ソルジェラレベルの独走感を持っていいんだよ。私、そのくらいじゃ堪えないから大丈夫だよ。リゾットがジョースターさんと本気でいちゃついているのなら一考するけど、これスタンドのせいでしょ?そうだよね?違ったらどうしよう。違うはずがないんだけどここまで花京院くんが動揺していると不安になるな。
野次馬の中から私たちがじっと見ていることに気づいたのはジョースターさんだった。リゾットは私たちに背を向ける形でジョースターさんと熱烈なハグを交わしているので、背中に目でもない限りはわかりようがない。
ジョースターさんがか細く長い悲鳴を上げた。
「ひええええ、ポルポッ!花京院ッ!!違うんじゃああぁ、これはその、……違うんじゃよおお!」
否定しなくても違うのは知ってるから大丈夫ですよ、と言おうとしてやめた。それこそ違うでしょう、ポルポ。ええ違うわ。脳内で天使と悪魔が結託した。
花京院くんの制止を振り切って走り出す。髪もできるだけ振り乱し、喉の奥から悲痛そうな声を絞り出す。
「ひどいっ、ひどいわジョースターさん!私がリゾットのことを愛してるって知りながらこんなことするなんて、それも路上で、見せつけるみたいにっ」
「ちが、ちが、ち、違うんじゃよ!」
「何が違うんですか!どうせ私たちが来なかったらこのまま野外であんなことをしたりこんなことをしたり」
「ホントに違うんだってばぁ!」
この辺りで"あれ?言うほどぴったりくっついてないな?"と気づいたのでトーンを落とす。
「リゾットもリゾットよ」
矛先を変えると、元々どこか嫌そうにしていたリゾットが目だけで私を見た。うっ、こわい。その目怖い。怖い方の眼差しだ。これは突っ込みのさじ加減を間違えると後で凄い(静かに)怒られるやつだ。気をつけていじろう。気をつけるだけでいじるの自体はやめないってところにこの私がいかにバカバカしいことを楽しもうとしているかがお分かりいただけると思う。もう一度ご覧いただこう、このリゾットからの冷ややかな視線を。
「私というものがありながら、ジョースターさんがカッコイイからって……、えー……、私が来ても離れようともしないで抱き合って!」
「ポ、ポルポさん、この2人がポルポさんを裏切るようなことをするはずがないじゃないですか!落ち着いてください、衝撃的なのはわかりますが、リゾットさんに限ってポルポさんを蔑ろにするようなことは決して!」
あまりにも私が取り乱したからか、いつもの冷静な彼に戻った花京院くんは、リゾットとジョースターさんの胸ぐらをつかみそうな私を羽交い絞めにした。くっHANASE。まだ私のバトルフェイズは終了してないぞ。
盛大な修羅場にぱらぱらと湧く聴衆。拍手すら聞こえる。言語は違えど感情は同じなんだな。
ジョースターさんは泣いていた。ご、ごめん、そこまでつらいとは思わなかった。反省したので話を終わらせる。
「ごめんなさい、ジョースターさん……。ジョースターさんがそこまでリゾットのことを想っているなんて知らなかったんです。そういうことなら私……」
「ポルポちゃああんもうやめてぇ」
「ポルポ」
「ごめんなさい」
やっぱり怒られたのでホントのホントで茶番をやめた。楽しかった。自分でやっておきながらガチで笑うかと思った。でもごめんね3人とも。反省はした。後悔はもちろん、ない。
ホッと息を吐いた花京院くんが野次馬を追い払おうとする。私は、そんな時に響いたジョースターさんの悲鳴に一歩後ずさる。どこからか強い力で引きずられるようで、柵ごとばたんと線路側に2人が倒れた。
「ジョースターさんッ!リゾットさんッ!」
叫んだのは花京院くんで、私は反射的に手を差し出そうとして失敗した。足に思い切り何かにぶつかられて転びかける。何かと思えばイギーだった。線路を伝って響く電車の走る音に気づいたジョースターさんが顔色を悪くするのと、私が足元を見たのはほぼ同時。何度耳にしたかわからないOMGを笑うようにイギーが吠える。その直後だった。状況がどうにもならなそうだと気づいたリゾットが、磁石の力でくっついていたとは思えない身軽さで身体を起こし、力強く、線路からジョースターさんを引きはがしたのは。えええ!?動けんの!?なんで!?動けるのなんで!?ものすごくびっくりしてしまった。
あと5秒遅ければ、ジョースターさんの身体は木端微塵になっていた。その様子を見物しようと線路の向こう、対岸の岩に腰掛けていたマライアの驚愕と屈辱の表情は、横切った列車に隠されてしまった。
「だ、大丈夫ですかジョースターさん!……と、リゾットさん!」
花京院くんは走り出そうとして、イギーを蹴り飛ばしかけた。子犬が牙をむく。
元々身体にかかる不自然な重力や飛んでくるスチール製品に不審を抱いていたリゾットは、一度はジョースターさんに引きつけられ(違う意味ではない)たものの、ジョースターさんに説明され、その理由が『磁力』であることを認識。鉄分を操り磁力すら指先でひっくり返してしまえる(……ような)彼にとって、これほど御しやすいスタンドもなかった(……かもしれない)。っつーか最初の方から飛んでくる物がスチール製であると看破してからはメタリカで反発させて回避していたようなのだけどまあそれはさすがと言うべきか。
ホテルのエスカレーターで出会いがしらにくっつきかけた2人はジョースターさんの機転とリゾットの能力で危険を回避しつつ敵を追走。女子トイレに侵入するイタリア男の姿を見られなかったことは私の一生の不覚だったが、そこからここまで、"徐々に強くなる磁力に翻弄される男たち"を演出しながらやって来たそうだ。演じた理由はもちろん、敵の油断を誘うためである。術中にあると思わせたほうがいいもんね。
バステト・マライアはリゾットのスタンド能力を聞かされてはいたが、まさかここまでとは思っていなかったらしい。『鉄分』と『血液』を操り『刃物』などを生み出せる、と教わっただけだったなら、ちょっとトリッキーすぎるメタリカの使い方に驚いたことだろう。自分の体内で逆の極の磁力を生み出しプラマイゼロ。それ何てチート?
電車に潰されるわけにはいかず、リゾットにバステトの能力が効いていないと明らかにせざるを得なくはなったけれど、それはどうしようもない。
あれ、まさか。足元のイギーを見る。彼は地面に座り込み、後ろ足で耳を掻いていた。
まさかだけど、助けに来てくれたんじゃないよね、このワンコ。
線路に倒れ込んだ2人。アヴドゥルさんがいないから、枕木を焼き切って地面を掘り回避、という荒業ができない彼らは、本当に窮地にあって普通に考えればそのまま死んでしまっていたはずだ。それを予想して、スタンドで砂地を操りジョースターさんとリゾットを助ける為に、どこかへ逃げていったイギーがここへ来た、という、そんなアホな想像をしてしまったが。そもそもホテルの前から走り去ったのも……。
イギーと目が合った。鼻先でせせら笑われてしまった。
いやいや、これはないな。イギーってそういう性格じゃないもんな。小憎らしくて男気溢れる、孤高のお犬様だもんな。
「でもありがとね」
言っておかなくてはならない気がしてこう言うと、イギーは耳を掻くのをやめて立ち上がった。何の感慨もなく私に大ぶりのくしゃみを引っかけ、すたすたと去る。ウーン、クールだ。どうしてくれるんだこの濡れたストッキング。
後ろ髪を引かれる思いはあったけど、背を向けたイギーに答えを期待するだけ無駄ってものだ。リゾットとジョースターさんに駆け寄る。彼らはもう前を、敵を見据えていた。
「とんでもないスタンドじゃな。ぶっちゃけ君はこの敵を倒す必要とかなさそうじゃけどついて来てもらうぞ、リゾット!」
「できる限りサポートはする」
「ウム!心強いな。とりあえず、5〜10mじゃったな?そこまで近づくぞ」
「リゾットさんのスタンドで片づけるつもりですね、ジョースターさん」
「あぁ。もちろん敵もリゾットのスタンドは知っとる。やすやすとは近づかせんだろうが……そこは気合で何とかする」
お前たちはホテルに戻ってポルナレフたちにこのことを報せろ、と言ってジョースターさんたちは線路に踏み出した。今度は邪魔が入ることも――まあジョースターさんの肉体は線路のレールに引っ張られてギクシャクとしていたのだけど――目立った邪魔もなく道を渡り、ふたつの背中は市街地へ入った。お給料3か月分で買った婚約指輪がジョースターさんに吸い寄せられてしまうカップルには哀悼の意を表そう。
不安そうな花京院くんの肩を叩く。
「大丈夫だよ」
「そう、ですよね。リゾットさんもジョースターさんも、とても強い」
「うんうん」
2人はプリキュアだしね。違うけど。
「戻ろうか」
「ええ。ポルナレフさんたちに伝えなくては。……イギーもジョースターさんもリゾットさんも、誰ひとり連れて帰れていないんですけど。怒られるでしょうか?」
怒られるかと心細げにしながらも花京院くんの声音は笑っていた。
「大目玉だったりしてねえ」
こう言うと、くすくす笑いが私をくすぐった。