18 小屋の3人


木目の目立つテーブル。置かれた、七人分のカップ。
乾されたカップは四つある。比較的入口に近い席と、奥の上座の二つ。ジョセフとポルナレフのものだ。
それから入り口側の辺を支える位置に、一つ。ポルポのものだ。
斜め向かいに視線を動かすと、最後の一つを見つけることができる。
出ていってしまった三人を見送った花京院は、途方に暮れた顔で空のカップに忙しなく指紋をつけた。同じ立場にいるはずの承太郎は何も語らず、一人置いて行かれたリゾットもまた、沈黙する。飲み物に手をつけないところを見ると、場繋ぎをするほどの気まずさは感じていないのかもしれない。花京院はこんなにも緊張しているというのに。
不公平に思える。
だから花京院は勇気を振り絞り、カップを奥へ押しやった。
自分がこんなにも臆病だとは思わなかった。
いや、臆病と云うのは正しいのだろうか。
花京院は自分がこんなにも、誰かに心を動かされるとは思わなかった。――――そう云うのが正しい。きっとそうだ。
今まで、心を閉ざし、生きてきた。DIOに遭遇し、恐怖で足元が崩れる錯覚に陥った。それから仲間を手に入れ、振り返れば同じ力を持つ人と気の合う話ができる喜びに打ち震えた。
そうできない。そうしたいのに、そうできない。だから花京院はリゾットとの会話を怖れていた。そうだ、きっとそうなのだ。
花京院はリゾットと仲間になりたかった。友人になりたかった。
花京院はポルポが好きだ。リゾットのことも好きになりたいとどこかで思っていた。
だからリゾットとまともに口をきいて、この寡黙で冷ややかな男から『仲間』であることを否定される哀しみを味わいたくなかったのだ。無意識のうちに『襲われた恐怖』や『疑心』に変換して、自分の求めるものに気づかないようにしていた。
けれどもう、花京院は迷わない。
「……リゾットさんは、僕たちが好きですか?」
それは訊ねようとして訊ねられなかった、夢の話の続きだった。ポルポを相手に訊ねたかったことだが、もしかしたらきっと、違ったのだ。花京院はポルポ――あのとてもあけすけで裏表のない(……などと花京院が思っていると知れば困惑するであろう)女性――を通して、リゾットに問い掛けたかった。
だからこうして直接気持ちをぶつければ、こんなにも心が満足する。

リゾットにしてみれば、これは表現しづらいほど面倒で気まずい時間である。
正直に言って、どうとも思っていなかったからだ。
――ただ同行しているだけ。
目的も、目指す場所も、ポルポとリゾットは花京院たちとは何もかもが違う。だからそんなくくりでまとめられそうになり、僅か、言葉を失った。
たった一言告げてやっても、満足はしないだろう。リゾットは意味のない嘘は厭だ。余計な面倒を引き起こすし、重ねれば重く圧し掛かる。過去であれ、未来であれ、異世界であれ、鎖を連ねたくはない。
それなので、こう言った。
「俺はおそらく、お前たちの中の誰も好きではない」
そして、嫌いでもない。

助け舟を出したのは承太郎だった。花京院がリゾットの言葉を理解するよりも早かった。
「面倒な言い方は好きじゃあねえ。今まで考えたこともありませんでしたって顔してるぜ」
「実際に、分類しようとしたことがないからだろう」
動揺か怒りか困惑か、感情を誘うつもりだったが、リゾットはするりと受け流してしまう。
「面倒がっていやがるのか? あの女のツレとは思えねえな」
「誰もがポルポのようだとは思わないほうがいい」
挑発に対してもこの通りだ。
「では、僕たちのことはどうでもいい、と。生きようが死のうが、接触しようが、されようが?」
承太郎もリゾットも花京院が諦めたものだと思っていた。あそこまできっぱり言われては、彼は踏み込むのをやめるだろう、と。花京院とは、そういう慎重さと冷静さと強さがある青年だ。ある種の冷酷さとも云える。そこはリゾットに近い。
花京院は予想に反して言葉を繋いだ。
「それなら僕にも考えがある。僕もあなたのことは好きではない。嫌いでもない。ただどういう物の考え方をし、どうして旅を共にし、なぜ……、……なぜイタリア人なのにジョークの一つも言わないのかが知りたい。だから僕はあなたに接触するでしょう。エジプトに近づいた今からでも、遅くはないと信じています。なぜなら僕らには時間があるからです。旅が終わっても……、僕たちは続いていく。そうでしょう? 僕は続かせたいんです。なぜなら僕らは、僕は、あなたの『仲間』になりたい」
カップを取り上げようとして中身が空だと思い出す。花京院の指が取っ手からほどけた。
「俺たちの関係に続きはない」
「わからないでしょう」
「……」
理由を説明できない以上、リゾットの分は悪くなる。
「……わかりました。続きが無くても構いません。僕は、あなたと、今から、友達になりたい。……おこがましいとは、思いますが」
静かに立ち上り始めた煙草の香りが、花京院とリゾットの間に不釣り合いに漂った。
「ずっと考えていたんです。リゾットさんとポルポさんと、……いや、僕と承太郎とポルナレフさん以外、と言うべきかな……。ええと、あなたたちの間には僕たちの知らない事情があるのでしょう。それゆえに同行しているのだと、いつだったか言っていましたよね。"家に帰りたい"。ポルポさんはたまにそう言います。だけどこの旅に同行して、家に帰る保証があるなんて思えない。イタリアの家に帰りたいのなら飛行機に乗ればいいんです。わざわざ、危険な旅に、………こう言うのは本当に心苦しいが、ホリィさんとも承太郎の血筋とも何の関係もないあなたたちがこの旅についてくる理由なんてない。そうでしょう?」
「そうだな」
「普通に考えりゃあな」
「ああ、承太郎。しかしあなたたちはついて来ている。それはこの旅の最後に、DIOを倒すことで何かがあるかもしれない、と期待しているからだ。その"何か"は人智を超え、僕たちにもあなたたちにもできないことをしてくれる。だから"家に帰る"為に"旅をしている"」
花京院は言葉を止めない。
「アヴドゥルさんの占いが、ポルポさんたちの同行を読んだそうですね」
「そう聞いている」
「帰れる、と?」
「いや、そうではない。……ただ……」
「"ただ"?」
言ってよいものか悩んだ末に、リゾットは短く答えた。
実際のところ、ポルポたちから説明された事情はリゾットに何の真実ももたらしていない。彼女らも迷っているのは同じなので、仕方がないと言えば仕方がないのだが。
なぜこの時代にいるのか。なぜ、こんな形なのか。
正直に言えばまったく何もわからないが、唯一の手がかりとしてポルナレフが頭を抱えて口にしたに曰く。
「……俺たちは……"DIOに深く関係する人物と、浅からぬ付き合いを持っている"。だからDIOのもとに何らかの手がかりがあるのだろう。……事情を知る奴らはそう言っていた」
ポルポとポルナレフの名はもちろん出さない。
この仮説を立てたのはポルナレフだ。シオバナハルノ――ジョルノと付き合いのある人間がDIOの負の力に引き寄せられたのではないか、というもの。それならばもっと深い付き合いのある人間もやってきていないとおかしいと自分でも指摘していた、粗だらけの推測である。
だが花京院にとっては寝耳に水の話だった。
「……ええと、何ですって?」
「深くは考えるな。これ以上は、俺の一存では言えない」
「今ここにポルポさんを呼んで訊くのは構わないんですね?」
リゾットは頷いた。
「ポルポが許可するのなら、特に異論はない」
「狗か、テメーは?」
「最近はそうはあまり言われないな」
「昔は言われてたんですか」
余計にこの人のことがわからなくなったが、花京院は落ち着きを取り戻していた。少し急きすぎた自覚はある。こうして気持ちを静かにすると恥ずかしさすら感じられた。
「話を戻しますが。……アヴドゥルさんがあなたたちの道筋をタロットから読み取ったなら、間違いはありません。僕たちの関係は、続くんです」
「なぜ言い切るんだ?」
「正確には、"こうして縁ができてしまった以上、僕たちは離れられない"と言うべきですね、すみません」
「……」
「スタンド使いは惹かれあう。……繋がりがあるのなら、余計にそう。……違うとは言わせません。今の僕は、リゾットさん、あなたを諦めない」
花京院は立ち上がり、リゾットに手を伸ばした。右手のひらを差し出して、砂漠で彼が花京院を信じた時に感じた想いを込めるように、半ば睨むように赤い瞳を見つめた。


私たちは外で海風に当たりながら散歩をしたり、『ジャッジメント』との戦闘譚を聴いたりと楽しい時間を過ごしていた。そろそろお見合いも終わった頃だろう。
小屋へ戻ろうとすると、ジョースターさんがひょいと列から離れて手を振った。
「先に行っとってくれ。わしはさっきの舟からスピードワゴン財団に、エジプトまで物資を持ってくるよう電話で頼んでくる」
はっとしたのはポルナレフだった。
「ああ、ジョースターさん、それなら私も同行しても?実は……、そう、小型のラジオが欲しくて。エジプトに上陸してから受け取る手筈でしょう?」
「そうじゃよ。ラジオなんて聴くのか、ポルナレフは?」
「世俗から切り離された旅だから、少し周りの状況を知っておきたいんだ」
「確かに一理あるな。もし受け取れるようだったら、わたしも少し聴かせてもらいたい」
ふたりは波打ち際へ向かっていく。肌寒いが、なんとなく彼らを置いて家に入る気分にもなれず、アヴドゥルさんを防御壁にして鶏小屋を眺めた。
それにしても、ラジオか。どんなニュースがあるのか、私も一緒に聴こうかな。会話とは違う音声を耳に入れるのは刺激になる。どこに周波数を合わせるんだろうね。私が知っているコードは使えないんだろうなあ。あ、せっかくだし、綺麗に音の出るラジオなら嬉しい。ああでも皆で聴くとなるとちょっと音量の大きなものにしないといけなさそうだから、音質との両立はまだ難しいかしら。
ここまで考えたところでひとつ引っ掛かりを覚えた。
「(……ラジオ?……"音"?)」
まさかと思うより早く、背の高いふたりはさっさと戻って来る。
「待たせてスマンかったな。入ろうか」
「はーい」
服についた砂埃を手で払い、がちゃり。ドアを開ける。
様子を見るつもりが、ドアノブと蝶番が予想外に大きな音を立ててしまった。3人の目が一斉にこちらを向いてびっくりすると同時に焦る。もしかして大事な場面だったか。花京院くんは握手を求めているっぽい姿勢だし、承太郎くんはフンッて感じでそっぽを向いているけどちらちらリゾットを気にしているようだし、リゾットはギャルゲーで最終日に告白されるも好感度があと一歩足りずお前とはそんな関係にはなれないと残酷にも告げる攻略対象のイケメンみたいな困った顔をしているし(当人比)。うん、完全に私邪魔だな。お邪魔しました。
見なかったことにしてドアを閉めたらすぐに小屋の中で椅子を倒す音がして、慌てた足音が私を追いかけてきた。勢いよく迎え入れられ、鼻先に開閉の風圧を感じる。いいのかこれ。入っちゃうぞ。
と、思っていると花京院くんは私の手首を掴んだ。お?お? 引っ張られるまま席につく。さっきと同じリゾットの隣の席だ。ポルナレフとアヴドゥルさん、ジョースターさんも続いて入り、最後の人がドアを閉めて風を遮って、元の椅子を引いた。
宴会の幹事さながらに胸を張った花京院くんは、私をじっと見据える。逃さないぞと言われているみたいだ。
「ポルポさん。僕たちの関係はこれからも続きますよね?」
「ん?うん、続くんじゃない?仲良くしてね」
「あなたたちが"帰った"あとも?」
「……」
ねえ君たちこの密室で何の話してたの?
質問できる空気でもなかったし、はぐらかせそうな雰囲気でもなかったので、私は真剣に花京院くんの目を見て首を振った。
「君たちが、"私たちのいる"イタリアに来られれば会えるよ」
「……それはどこにあるんですか。フィレンツェですか?ヴェネツィアですか?」
「ええ、そこまで言うの?」
住所はちょっと勘弁してほしい。照会されたら困るし、一生懸命調べられるのもちょっと抵抗がある。花京院くんだって私に家の住所を教えるのはどうかなって思うでしょ、たぶん。同じことだよ。たぶん。
あと、恐らく彼が訊きたいのってそういうことじゃない。
どうやら花京院くんは私たちの核心に迫ろうとしているらしい。なぜそうなっているのかは後で承太郎くんを問い詰めるとして、素早くリゾットの顔を見ると、彼はゆっくり瞬きをした。よ、読めねえー。自分でやっといて何だけど、読めねえー。ウーン、そうだな、ハッキリとはわからないけど、少しなら暴露しても良いよと許可をくれたのかもしれない。彼は元々、私に決定権を委ねてくれている。
「花京院くん。承太郎くん。……あ、あとポルナレフ」
そういえばポルナレフは何も知らないことになってるんだった、と思い出して名前を付け加えた。
これからも関係が続いていくか? そんなの私にもわからない。色んな意味で。
「でも、続けば楽しいだろうなとは思うよ」
よく言えば大人。悪く言えば、事なかれ主義。イエスかノーならさあどうでしょうと口ずさむ日本人の魂を存分に揮い、私はTHE 曖昧に微笑みかけた。実際にそう思ってるから嘘ではないよ。10年後のサタデーナイトで会おう。
「おねえさんとおにいさんたちは君が成長するのを未来で待ってるからね」
「……」
花京院くんは少し目を見開き、"おねえさんはともかくリゾットさんにおにいさんという呼び名は似合わなすぎじゃないですか"みたいな顔をしてからくしゃりと笑った。28歳はぎりぎりおにいさんってことで許してあげて欲しい。おにいさんだよ。人は皆永遠のセブンティーンなのだ。身体は力に満ち溢れ、精神にはちきれんばかりの若さがある。これがイタリア人元ギャングの健康の秘訣。あと、リゾット・ネエロ28歳をおにいさんと呼ぶのをやめてしまったら私が28歳になった時にすんごくやるせないことになっちゃうから無理やりにでもおにいさん呼びを貫かないといけないというつらい現実もある。28歳は若いんだよ。やめてこっち見ないで。
「待っていてください。……絶対、ですよ」
困ったような笑顔でこう言われてぐっと来た。
あれ、でも、ああ。
この人、死んじゃうのか。
待っていても、来ないのか。
これから先のことが頭の奥の方を過り、すとん、と人生のお邪魔ぷよが心に積もった。アヴドゥルさんも花京院くんも、今はいないイギーも、そうか。
うう、なんか吐きそうになってきた。顎関節のあたりがキンと痛くなる。
な、なんか、どうしようね。私、がんばる、しか、ないのかな。2001年3月にすべて出し切り燃え尽き症候群を発症したあの時みたいに?私、あっ、そうかあ。どうしようね!?
こんなこと、前にも考えたことがある気がする。
まったく同じことを、今思った。
「(だ、誰も死んで欲しくないのなら……?)」
事情を知っているポルナレフと私が、動くしかないのでは。
飲み物を飲もうとしてカップを見たら、空っぽだった。くっそおお、何もかもが私を追いつめる。名状しがたい悔しさのような衝動。
「むしゃくしゃしたのでお茶ください」
「なぜ今の流れでむしゃくしゃするんだ君は!?」
突っ込みつつも、アヴドゥルさんはきちんとお茶を淹れてくれた。