17 トレビアン


この鳥はニャアニャア鳴いているからウミネコだなあ。
青い空を見上げて羽ばたきの数を数える。確か、ウミネコだった気がする。名前は忘れてしまったし、私の人生にもブチャラティの人生にもそんなイベントは発生しなかったけど、おぼろげながら憶えていることのひとつだ。ニャアニャア鳴くのはウミネコ。
「ねえ、ニャアニャア鳴くのはウミネコだっけ」
船は波をかき分けてしぶきを上げる。弾けた海水と強い風で髪が崩れるのを手で押さえ、身体を傾けて後ろの人たちに問い掛けた。彼らも鳥の影を見る。
「カモメじゃあないでしょう、ニャアニャア鳴いていますし」
「尾羽を見てみるといい。黒みがかっているだろう。アレはウミネコの特徴だ」
私の隣に立って空を指さしたアヴドゥルさんにならい、もう一度雲のはざまに目をやると、確かに鳥の尾羽の先端にそって黒い模様がある気がした。目は悪くないけど、勢いよく動く小型船の上から空を旋回する鳥の特徴をとらえるのはちょっとだけ難しい。
それにしてもこの人は何でも知ってるんだな。私が知らなすぎるだけだろうか。へえボタンを押すふりをしても誰にも小ネタは通じなかった。
アヴドゥルさんは鳥を見るのをやめ、太陽の向きを確認した。怪訝そうに首を傾げ、これじゃあ南だと呟く。操縦桿を握るジョースターさんの方へ行き何事かを話し始める。強い風切り音にかき消されてよく聞こえなかったけど、たぶん『重要な人物に会いに行く』話をしているのだろう。私は他人事として処理をした。楽しみではある。すごく楽しみだ。ポルナレフに再会できるのは本当に嬉しいし、どんな顔をして鶏にエサをやっているのかも気になる。マイケルとプリンスと、それから誰だったかな。あの鶏は原作ではどうなったんだっけな。憶えてねえわ。そんなところまで記憶していられるか、私は部屋に帰らせてもらう。
ばたばたと激しくなびくコートの裾をビル風にあおられめくれかけたスカートを押さえるOLみたいに丁寧に押さえていたリゾットに、アヴドゥルさんが話しかける。
「君はこの先に待っている人物のことを知っているか?」
彼は他の人よりも驚いた顔をしなかったから、ジョースターさんと同じく事情を知っていると思われたらしい。
進行方向に小さく見え始めた島の影に目をやったリゾットは、非常に、非常に可愛らしく首を傾げた。思わず鞄に手をやったが、そこにあるスマートな携帯電話のクレバーなカメラは使えない。悔しさを噛み締めるしかない私は無力だ。心のネガを現像できるひみつ道具が求められる。早急に。なるはやで。ASAP。
小さく首を傾げたリゾットは天使もかくやという仕草で軽く肩まですくめてみせた。今日は大安か?最高だ。欲望に突き動かされるまま足が一歩前に出た。ここは大人として、人間として我慢するべきだとわかっているのに、そんなことを言っても身体は正直だ。しばらく悩んだあと、自分に素直に生きていくべきだってばっちゃが言ってたのを思い出して躊躇をふり捨てた。ぱたぱたと小走りにふたりに近づき、アヴドゥルさんと目を合わせてスマイル一発。今日一番顔が輝いてた気がする。
「大丈夫、ジョースターさんの知り合いに悪い人はいませんよ。たぶん」
「あ、ああ……。どうでもいいが、君は急に元気になったな。どうしたんだ」
「リゾットちゃんが可愛すぎて」
「そんなことだろうと思ってはいたが、君は本当に正直だな」
アヴドゥルさん程ではない。
彼が視線を外した隙に、へらへらした顔をキッと引き締めてリゾットの腕を引いた。
「さっきの、もう一回やってくれない!?」
「……何の話だ?」
ごもっともな疑問である。それと同時に私の心には感激が湧き上がる。つまり先ほどの小首を傾げる動きはリゾットにとっては無意識のものということだ。狙わずに、あんな、あざといことを。わかってはいたけどこの人はずるいよ。色んな意味でずるいよ。勝てっこないじゃん。愛してるよリゾット。私の財力を以て世界的に保護したい。イタリアに帰ったら申請してみるね。テキトーなことを言い過ぎかな?
一瞬の間にさまざまなことを考え、私は口を閉ざした。そうだよね、無意識だもんね。無理やり彼から反応を引き出そうなんてのはズルい行いなのかもしれない。自然にそれを引きだしてこそ、26歳元ギャング、履歴書に書けない経歴を並べ連ねる女というものではなかろうか。ここは私の巧みな話術を駆使する時だ。
「おっぱいの話だけど、巨乳の評価は一時期暴落して、いわゆる手に収まる程度の大きさが最も好ましいとされた時期があったんだよね。ルネサンスとか」
「……本当に何の話だ?」
唐突にわけのわからない話を始めることで、ルネサンス期の巨乳どころか私の株が大暴落だけどまあそれはいい。リゾットは狙い通り首を傾げて私を訝った。内心で拳を握る。ふと振り返るとアヴドゥルさんが私を見ていた。ヤバいこの人にも聞かれてた。純情なイメージがある彼に対して申し訳なさと気まずさがこみ上げる。リゾットには申し訳なくないのかと言われると微妙な所なんだけど、彼はどうでもいい話は本当に聞き流しているから大丈夫、だと、お、思いたい。
モハメド・純情・アヴドゥルさんは人差し指を立てた。
「ルネサンス以前にも話は遡るぞ。古代エジプトでは好ましいとされていたが、同時代のギリシアではポルポが言ったことと同じような現象が起きていたそうだ」
この人ホントに何でも知ってるんだな。アヴペディアか。
ちらりと様子を窺うとリゾットは完全にこちらをスルーしていた。そういうところ好きだよ。


さてさてやって参りました紅海の孤島。小型船から降りる時からすでにジョースターさんたちはお通夜ムードを演じている。私も心臓がばくばくだ。ポルナレフがどんな格好で出てくるのか、さっぱり予想がつかなくて。
確か紙面上のアヴドゥルさんは露出の多い服装で白髪頭のかつらをかぶる変装をしていたはずだ。ポルナレフはどうなのかな、スーツとか、ビシッと着こなすのかな。ごめん、またテキトーなことを言ってしまった。
背が高く肉厚な草が生い茂る砂地を抜けると、そこには一軒の家があった。コケコケと鶏が鳴いている。ポルナレフはいつからここに待機してたんだろう。
ジョースターさんが家の戸を叩く。薄っぺらい扉の奥から小さな音と共に、ひとりの男が姿を現した。長い銀髪を肩におろし、シャツとジーンズを身につけたガタイのいい男だった。
彼は沈鬱な表情のジョースターさんを見て目を丸くし、ついで私たちを見まわした。唖然とする一行には大して目もくれず、私とばっちり視線を絡めて大げさに手を打ち鳴らす。
「オー!こんな陰気な島にこォんな素晴らしい美女がやってくるなんて、一体全体今日は何のお祭りだ!?」
あのジョースターさんが沈黙した。私も面食らって言葉を紡げなくなる。えっ、何このハイテンション。
サラサラの髪の毛を歓喜に飛び跳ねさせ、ジョースターさんを押しのけて私の前までやって来たポルナレフカッコカリ。彼はリゾットすらも突き飛ばす勢いで私の両手をまとめて握った。気圧されて注意を払えなかったけれど、たぶんホントに軽く突き飛ばされていた。ポルナレフ――みたいな人――は感激そのものといった感情をキラキラした瞳に浮かべる。呆気にとられていると、大仰な握手と共に頬ずりを受ける。何だこれ。
「素晴らしい、素晴らしい!どこの国から来たんだ?いや待て、フランスってイメージじゃあないが、どこだっていい!美女の姿は国境を越えるってやつだ。こんな場所では波の音が潤いのようなもんだから、ちょっと俺の家でお茶でも……」
「ま、待て待て待て、待ってくれ。ちょっと待て」
ジョースターさんが狼狽えた。花京院くんはポルナレフにそっくりな男から飛び出す、およそ彼の中の『ジャン・ピエール・ポルナレフ』からは程遠い言動に目を白黒させていた。承太郎くんはその隣でこちらも僅かに唇を開いている。承太郎くんのポカン顔とか完全に世界の宝。やれやれだぜの決め台詞も忘れてますからね。帽子が引き下ろされることもなく、まだ隠れていない表情の高校生らしい若さがあらわになっている。
リゾットは突き飛ばされてたたらを踏んだが、こちらも胡乱な顔でさり気なくポルナレフと私の間に割り込んだ。ポルナレフが顔をしかめて片眉を跳ねあげる。
「なんだ?あんた、このマダムのボディーガードか何かか?心の狭い男はイヤだね、まったく。どこの国だか知らないが、あんたみたいな奴はモテないと相場が決まってるんだ。情緒のなさそうな無表情野郎はすっこんでな。今俺はこの女性と話しているんだ。さあ、美しい人。冷たい飲み物がいいかな?それとも温かいアフワでも淹れようか。コーヒーが苦手なら紅茶もある!いやあ、ワクワクするなあ!こんなことなら部屋を掃除しておくんだった」
「できれば冷たいものがいいんだけど……」
「ン?それじゃあカルカデーあたりにするかなア」
「いやいやいや、ポルポ!そこじゃあないだろう!?こ、このケーハクな……いや、失礼。この気安い……、いや。……よ、陽気な男はいったい誰なんだ!?」
アヴドゥルさんの隠しきれていない本音に爆笑した。ポルナレフカッコカリは息巻いてアヴドゥルさんを睨みつける。
「シツレーな男だぜ、まったく。いいか、ブ男。女性に敬意を払って丁重にお茶へお招きするってのは男のギムだ。命題だ。美しさを放置することこそ罪だぜ。その調子じゃあ今まで一度も人を口説いたことがねえんだろうな?俺は軽薄なんでも気安いんでもない。そっちがオカタイだけなのさ」
「な、何だと……!?」
激昂が喉元まで出かかった顔をしている。血管切れそう。
「ジョースターさん、この彼が我々の"会わなければならない"人物ですか?」
花京院くんの質問に、ジョースターさんは顎鬚を撫でて戸惑った。
「うム……、その筈……なんじゃがなあ……」
鼻息荒く睨みあう男ふたりは、ジョースターさんの予想外だったらしい。

家に招き入れられた私たちは、一部に険悪な雰囲気を漂わせたまま謎のお茶会を開くことになった。アヴドゥルさんとポルナレフカッコカリはもっとも遠く離れた席を取る。どちらも視線を合わせようとしない。
出された冷たいお茶をありがたくいただく。
ポルカッコカリナレフの紹介を進めるにつれ、説明しているジョースターさんのほうが自信なさげに小さくなっていった。
それでもめげずに説明を続けると、こうなる。
「彼は姓を捨て、世界を放浪して過ごすポルナレフの遠い親戚だそうだ。最近は中東に向けてここを拠点としていると財団から聞き、孤独の身であったポルナレフの最期を伝える為に……来たんじゃが。想像していたよりも……何と言うか。パワフルじゃな」
アヴドゥルさんがハッとして手を握りしめ、俯いた。ポルナレフにそっくりな(そりゃそうだ)瞳に見つめられるのが急に苦しくなったようだった。なんていうか、本人かな、みたいな気がするんだけど。アヴドゥルさん以外の全員が、彼がポルナレフ本人だと知っているはずなんだけど、成熟した性格が20代前半の若者特有のそれに変わっているので確信が吹き飛んだらしい。この人、ポルナレフだよな。いや、たぶんポルナレフだよね?えっと、本当にポルナレフなんですよね!? そんな心の声が聞こえてきそうだ。どうでもいいけど髪の毛をおろしている姿もセクシーでカッコいいよ。
ポルナレフはつんと顔を背けた。
「わざわざ報告なんざしに来なくても良かったんだ、そんなこと。誰も気にする必要なんてない」
「なんだと!?」
アヴドゥルさんの隣に座る花京院くんが、立ち上がりかけた彼を慌てて制止する。大人しく椅子に腰を落ち着けたアヴドゥルさんはポルナレフカッコカリを睨みつけた。
しかし自責からか、視線は間を置かず、握りすぎて強張った自分の手へ向かった。
「すべてはわたしの責任だ。彼の死は……わたしの失態が原因だ。だが……それでも言わせてもらう。身内である君であっても、彼の死を"そんなこと"だなどと言い捨てるのは許せない」
怒りをぶつけられた男は、全員の顔を見まわしてからカップをぐいと傾けた。カップの底のふちの欠けが目に焼き付いた。欠けたカップを見れば、私はこの時を簡単に思い出すだろう。
「いいや」
ポルナレフは少し俯き、首を振った。銀糸の髪のカーテンが横顔を隠す。彼はフッと笑った。全員が笑い声を聞き、アヴドゥルさんが激昂するより早く、カーテンが取り払われる。
「誰も"そんなこと"を気にする必要なんてなかったんだ。なにせ私は、死んでいないのだからな」
なあポルポ、と肩を叩かれる。あっはい、そうですね。いや、そうかな。何か生まれ変わった感あるよ。
20代前半のテンションまで自分を高めていたポルナレフの茶目っ気が全員の驚愕をもぎ取った。「呆然としすぎだぞ、みんな」なんて言ってけろっと元に戻っているのがこわい。楽しんでたでしょ絶対。
ついでに反対側にいる承太郎くんの肩も叩かれていた。
「髪を崩して少し口調を変えただけで、案外気づかれないものだな。ああ、すまない。灰皿を出していなかった。今持って来よう」
ポルナレフが席を立つ。色々な場所をひっくり返して灰皿を探しているところが可愛らしい。
唖然としたアヴドゥルさんが、すぐ近くにいたリゾットに掴みかかった。なぜかのリゾットチョイス。たぶんすぐそこにいたからだ。
頑丈な手は逃げたイタリア人を素早く追いかけてコートの両肩のあたりを引っ掴んだ。
「き、君は知っていたのか、リゾット!?全員が知っていたのか!?彼はポルナレフなのか!?先ほどの……、先ほどのフランス人は誰だ!?」
「アヴドゥル、先ほどから今まですべて私だ」
「違うだろう!?」
ジョースターさんと花京院くんが苦笑い。私は声に出して笑った。わかるわ。私もリゾットが急にメローネみたいなテンションで話しかけてきたらスタンド使いの仕業を疑う。あるいは中身の入れ替わり。

ちなみに、カメオはあまりにも有名なお仕置きをされる前にチャリオッツでカタをつけられていた。暇つぶしに散歩をしていたら偶然スタンド使いに会ったんだとさ。仕組まれた偶然もあったもんだなと思う。
ああ、この人がいると話が早いなあ。小学生並の感想が浮かんだ。


フーフー言う興奮したワンコのようだったアヴドゥルさんが落ち着くよう、ポルナレフはお茶のおかわりを用意した。
苦くなった最後の一滴を自分のカップに落とす。それを流し台に下げ、水を溜めてから戻って椅子を引く。ところで、と言ったのは彼だった。
「君たちは願い事がみっつ叶うとしたら何を選ぶ?」
審判のアルカナの話だとすぐに気づいた。もう既にスタンド使いは倒されているので、慌てず騒がずのんびり考えをめぐらせる。そうだなあ、何を願おうか。幸運なことに私はとても恵まれているので、すぐには思い浮かばない。
承太郎くんは空っぽになった煙草の箱を握り潰した。
「別のやつが吸いてえな」
「僕は……そうだな、味噌汁が飲みたいですね」
高校生2人は顔を見合わせてちょっぴり笑った。
「3個と言われると多い気がしますね。味噌汁と、それから……映画を見たい。持ち運びできるシアターを作ってもらうっていうのはどうでしょう?」
「ははは、なかなかユニークじゃ。わしはハンバーガーとキンキンに冷えたコーラかなア。リゾットはどうだ?イタリア料理か?」
「なぜ食べ物に限られているんだ?」
「ム、他のでもいいぞ」
ジョースターさんがリゾットの顔を覗き込む。無邪気な瞳に見つめられ、彼は少し考えた。
「特には思い浮かばないな」
本当に願いを見つけられなかったのかは知らないけど、追及するのも野暮ってものだ。何かを忘れている気もするんだけど、私がその正体を掴む時は来ないのである。
私はどうかな。水も向けられていないけど考えつつ、人の横顔を眺める。隙間時間にちょっと部屋を出たかと思えばばっちりヘアスタイルをキメて戻ってきたポルナレフに、髪を下ろした隙だらけ(チャラ系)のポルナレフも格好良かったので残念だと言ったら目を丸くしていた。髪を下ろした姿なら何度か見たことがあるじゃないかと指摘されてしまう。確かに、旅の途中で何回か目撃している。でもチャラチャラしてなかったもん。ふたつの要素が組み合わさることが大事なんだよ。
「現実的に考えると思い浮かばんよなァ。……わしも、そうじゃなあ……」
ジョースターさんは浮かぶ何かを追うように顔を動かした。ウーン、と唸って腕を組む。
「いくつかあるし、この旅の終わりも祈りたいが。幽霊を見てみたい気持ちはある」
「幽霊ですか?」
指で空中にいくつも円を描く。シャボン玉かな、と勘が働いた。すごく天才的なひらめきだったと思う。
「何をなよっちいことを、と怒られるかもしれんから、ちっとでいいんじゃがな」
懐かしそうに目を細めた。幽霊かあ。ボスの幽霊を想像してちょっと憂鬱になった。死んではいないんだけど、化けて出て来そうだよね。あと、街中で出会いそう。怖い。
「わ、た、し、も。……あるいはそう願っていたかもしれないな!まったく。……君のことだ、ポルナレフ」
「そう怒るな、アヴドゥル」
「騙していた側に、騙されていた側の気持ちはわからないだろうな?」
ポルナレフは快活に頷いた。そうだなとしっかり同意する。あまりにも豪快な肯定だったので、アヴドゥルさんは二の句が継げず唸るしかない。しばらくこの恨みは忘れなさそうだ。彼は泣いたりはしなかったけど、憤りと安心と喜びで心の中がぐちゃぐちゃなのは見ていてよくわかる。
「ポルポはどうじゃ?リゾットともーっとラブラブになりたい、とかかな?」
「そうですねー。『リゾットともっとラブラブになりたい』『モテたい』『家に帰りたい』のみっつですかね」
「君はモテなくてもいいだろう」
「しかもその内のひとつはシャレにならんな」
帰りたいとかね。マジでね。帰りたいんですよねー、実は。笑ってるけど帰りたいんですよ。私、インドア派だし、おうち大好き人間だから。
「ポルポさんは……」
花京院くんの素朴な疑問が突き刺さった。ポルポさんはどうしてこの旅に同行しているんですかと改めて訊ねられる。成り行きと言うのが近いんだけど、それはあまりにも不義理な気がして答えづらい。そうですねえ。釣られてこっちも丁寧な言葉遣いになった。
「私は家に帰りたいんだけどね、どうしてもこのままじゃ帰れなさそうだから、アヴドゥルさんの占いに縋ってみたんですよ」
「どうしても帰れないんですか?」
そうなんだよねえ。まあ、何もかも思いつく限りすべての手を試したわけではないけれど、この流れに乗るべきだとアヴドゥルさんの占いを聞いた自分が囁いた。あるいはガイアだったのかもしれない。ガイアが囁いたなら仕方ない。のうのうと待っているだけではいけなくなった。うーん、複雑。エジプト、または日本で待っていなかったためにリゾットと再会できたわけだけど、うーん。複雑な気持ち。帰りたくね?私は帰りたい。
空っぽの煙草の箱を遠くのゴミ箱に放り捨てた承太郎くんは、私に鋭く切り込んでくる。
「"どこ"に帰るんだ?」
「家かなあ」
「イタリアの、ですか?」
「うん」
他の3人がどことなくハラハラしてこちらを窺っている。ちらちらリゾットを見ているのは、もしかして私の信頼が薄すぎるゆえだろうか。リゾットにヘルプを出して欲しがってないかなこの人たち。私ってそんなにダメかな?確かに花京院くんと承太郎くんに隠しておくのが面倒になって来てるけど、同意も得ないうちに暴露したりしないよ。しないって。ねえ待って。しないよお。視線で訴えても完無視である。つらい。
「ジジイとアヴドゥルは知ってるんだったか?」
「ん?うむ、まあ、ある程度はな。ポルポとリゾットが話したくなった時に話せばいいと思っとるぞ」
「え?私はリゾットとかジョースターさんたちが話す時に乗っかろうかと思ってたんですけど」
「君たちが当事者なのだから、君たちに判断を委ねるのは当然だ」
全員の視線がリゾットに集まった。彼は心なしか身体を引いた。
「俺は話す必要はないと思っているが」
「いいえ!」
勢い込んで若者が声を上げた。花京院くんだ。隣に座っていたアヴドゥルさんの肩がびくっと跳ねた。
「僕はリゾットさんともっと距離を近づけたいと思っています。古い発言かもしれませんが、同じ釜の飯を食べている仲じゃあありませんか。僕は……、僕はお二人の仲間になりたい」
熱烈な告白を受けたリゾットの反応やいかに。ブルーライトにも屈しない私の視力がふたりの表情をとらえる。花京院くんの頬は紅潮し、リゾットの唇は相変わらず無感動だった。困惑しているように見えないこともなくもない。もしも困っているのだったら外聞を気にせずハグする。ふたりまとめてハグする。
「少し、距離を縮めませんか?」
言って、花京院くんは恥じらった。
「……すみません、なんだか熱くなってしまって……僕……」
「……いや……」
自分の言葉と態度に驚いているらしい花京院くんと、高校生からの突然のアプローチに面食らっているリゾットがお見合いみたいなことになってて大変面白かったので、私はそっと席を立った。ジョースターさんも続いてくれた。
「ん?ポルポ、どこへ行くんだ?」
アヴドゥルさんからの質問には、できる限り優しい微笑みを浮かべて答えた。
「あとは若いお二人で、みたいなね」
「わしらは散歩でもしてくるからな。ポルナレフ、アヴドゥル、行くぞ!美女と茶でもしばいてくるとしようじゃないか。女性をエスコートするのは男のギムじゃ」
「ジョースターさん、それでからかうのはやめてくれませんか」
「あの衝撃は忘れようとしても忘れられんよ」
慌てる花京院くんたち3人を残し(もっとも、リゾットが慌てているのかはわからない。物言いたげに見られたけれどこちらもスルーだ)、私たちは連れ立って外に出た。花京院くんのみっつめの願いが叶うといいねと言うと、ポルナレフたちも首を振ってくれた。
「(ん?)」
よく考えると私もあの場に居た方が良かったんだろうか。話題はともかく、席に残ってやりとりを眺めるべきだったのでは。
後から気づいてちょっとしょんぼりした。まつおばしょんぼり。芭蕉じゃあないけど。