16 机を叩いて全力で異議あり


ぴーかんに晴れた空は透き通る青さで、ずーっと向こうの方まで続いている。そりゃそうだ。うんと伸びをしたらジョースターさんに脇腹をくすぐられた。砂地に顔突っ込んで笑い転げたらどうしてくれるんだ。耳にラバーズ突っ込んで背中をかくぞ。ノォホホノォホホ。笑かしまくって屈服させ完堕ちダブルピースだ。
笑いから復活してあくびをすると、忙しないな、とアヴドゥルさんが言った。
ついで、向けられた花京院くんからの物言いたげな視線をやり過ごす。思春期って色々あるから大変だよね、悩んだり世界の何もかもが嫌になったり中二病に目覚めたり。花京院くんも考えたいことがあるのだろう。私はいつでもお手伝いするけど、まともな答えは期待しないでもらえると嬉しいな。そもそも頼られるのかはわからないけれど。もちろん自分から突っ込むつもりはない。あと、『突っ込む』は隠語じゃない。
「なにィ!?」
セスナを購入するジョースターさんが困った声を上げた。
「アヴドゥル、どうする。わしらは赤ん坊を抱えとる余裕なんかないぞ」
「同感ですね。母親には申し訳ないが……わたしたちがここに戻って来る予定はない」
私は赤ん坊の顔を覗き込む。熱をおしてきゃらきゃらと笑う赤ん坊はスタンド使いには見えないけど、なぜ犬歯がここまで発達しているのか理由が知りたい。スタンド使いは歯の成長が早いのかな。
赤ちゃんは遠くから見ているぶんには可愛い。まあ私は彼がスタンド使いと知っているので、間違っても抱く気にはなれないけれども。
「抱いてみます?」
だからこう言って赤ん坊を差し出されても丁重にお断りした。スタンド使いじゃなくても怖いから嫌かもしれない。小さな手はこちらに伸びてくるし、母親カッコカリも赤ん坊を私に押し付けたそうだったが、気づかないふりでやり過ごした。無理無理無理WRY。敵を抱くとか超無理。あと、初めて抱くならブチャラティとトリッシュの子供と決めてるし。ン?これなんか今自分の可能性をつぶした気がするな。まあいいか。
そそくさとジョースターさんに近寄る。やめた方がいいと思うんですよね、連れて行くのは。
「"お母さん"も赤ん坊と離されるのは心配でしょう」
母親じゃないと否定してくれれば一件落着、異変を感じたジョースターさんたちが見切りをつけられる。
しかし、彼女は辺り障りなく肯定した。母親ではないと言わないまま、赤ん坊が心配だと俯いてしまう。離されても良いから病気を治してやりたいと。赤ん坊のパワーなのかベイビィ・スタンド使いとして催眠術も嗜んでいるのか、どっちでもかなり怖い。魔法界のマの字もわかっていないようだが、服従の呪文は禁じられているんだぞ。捕まっちゃうぞ。
どうかお願いしますと半ば押し切られ、ジョースターさんは渋々頷いた。赤ん坊は緊張からかぎくしゃくした動きのアヴドゥルさんに籠ごと抱かれてセスナに潜入完了。段ボールがなくてもステルスはうまくいくんですね。
「(もうどうにでもなーあれ)」
デス・サーティーンの回避はならず、絶対に眠ってはいけないセスナ機24時が始まってしまった。仕方がないので昨夜の寝不足も我慢して、とにかくぺらぺら喋りまくる。リゾットが黙って付き合ってくれるのがありがたい。承太郎くんに苦情を叩きつけられたけど、悪いがここは譲れません。
「体格のいい人たちに囲まれていると、自分が小さくなった気がするわ。リゾットもアヴドゥルさんもジョースターさんも承太郎くんも花京院くんも若々しさ満点で筋肉があってカッコいいから余計に」
「そうか」
「うん」
話に区切りがつくとどうしても集中が切れてしまう。
「……うー……、……ダメだ……眠い……」
両手で顔を覆う。本当に寝不足だ。リゾットに体重を預けると眠気が増す。安心効果があるのも考え物だね。いつもはリゾットのリラックスアロマ安眠香や静かなスリプルでぐうぐう丸まって眠って幸せだけど、マジで今だけは勘弁してー。眠いよー。
もう一度あくびをすると、リゾットが口を閉ざしたまま、膝に置いている私の手を握った。アッやめて、落ち着いてしまう。
私が静かになったからか、飛行の機械音が大きく聞こえる。ジョースターさんたちも声を潜めて会話をするので、こずえがこすれるような耳心地の良い音が余計に眠気を誘う。
口では嫌がっていても身体は正直だ。リゾットが膝枕をしてくれたのがダメ押しとなる。私の寝不足とその理由を知っている彼は、いつも以上に気を遣ってくれている気がする。
ああっと、何について考えていたんだっけ。ううん、何についても考えてないんだっけ。
顔にかかった髪を梳いて耳にかけられ、そのままゆっくり撫でられる。
欲に抗えず眠ってしまい、私は見事に愉快な夢へ突き落とされた。
どこからか愉快な音楽が流れて届く。



花京院くんが私の肩を揺すぶっていた。
目を覚ます。どうやら眠っていたようだ。
ここはイタリアではなかった。自室のベッドでうたた寝したのではなさそうで、少しだけ頭が混乱した。
ああそうか、と思い出す。私は今、過去にいるんだった。
それにしても奇妙な空間だ。
ジェットコースターや観覧車、メリーゴーランドの回るファンシーでごちゃごちゃした子供向けの遊園地みたいな場所だった。えーっと、ここはどこで私は誰かな。花京院くんの手のかたさも現実味がない。過去にいるのは百歩譲って納得するとして、どうしてこうなってるんだっけ。
ちょっぴり硬直したが、すぐに自分を取り戻せた。これも日ごろの訓練のたまものかな。いきなり非日常に放り込まれるのには慣れている。そもそも自分の正体に気づいた時とリゾットと付き合うことになった時にドビックリしすぎて心臓に毛が生えたから、もう眠った先が死の遊園地であっても驚いたりはしない。
ただ驚かないだけで、命の危機には震えている。
「おかしな夢ですね、ポルポさんが出てくるなんて」
「そうね、おかしな夢だね。起きたいね」
「ここは遊園地でしょうか?」
聞いて。
花京院くんに手を借り、立ち上がる。おっと、とバランスを崩したのは、片足だけ靴がなかったからだ。流れるBGMは止まらず私たちを取り巻いて螺旋をつくった。空は、テンプレ通りピエロの手から離れ宙を舞う紐つきの風船が見えてもおかしくないくらいに晴れ渡る。この不自然な青さは不吉の象徴でしかなかった。
ふらふらと遊園地を彷徨ううちに、一瞬、フッと意識が途切れた気がした。直後に私たちは場所を移動し、観覧車の席に腰掛けていた。
「あれ……、僕たち、こんな所にいましたっけ?」
瞬きに合わせて気が遠くなったので、気絶した実感はない。花京院くんは違和感を覚えていないようだし、もしかすると気絶なんてしていなかったのかもしれない。"目を開けた時に場面が変わっていた"というあり得ない現実を無理なく認識する為に、頭が辻褄合わせをしたのに近そうだ。
観覧車はゆっくりゆっくり回っている。円環を表す遊具は、逃れられない『夢の世界』を体現する様だ。
遠ざかる地面を見る。並んで座る私たちを乗せ、明るい色のボックスは上昇していった。
花京院くんは高い所が怖くはないのかな。
彼はどこか無邪気に遊具を楽しんでいるように見える。あれ、こういうところに来たのは久しぶりなのかな、高校生だし、そんなものかな。
それからあることに思い至って、陳腐な問いかけを喉の奥にしまいこんだ。誰にも心を開かなかったスタンド使いは、子供の頃に遊園地に連れていかれても楽しいものをたくさん見ても、心からは喜べなかったのではないか。常に孤独を感じ、ひとりぼっちだった寂しさが花京院くんの人生を形づくっていたとして。そうして出来上がった今の彼が承太郎くんたちとゆく素晴らしい時間を過ごして、ようやくこのミニチュアガーデンに感動できるようになったのかも、なんて。あながち間違いではなさそうでつらい。
「夢の中のポルポさんになら訊けるかな……」
花京院くんの手が、胸元、第二ボタンのあたりで握りしめられる。
「練習をさせてください」
「うん?」
前振りなく切り出した花京院くんは景色から目を離し、私を見ていた。や、さっきの独り言が前振りだった可能性も否めない。ごめんな、まともに聞いてなくて。
異様に陽気な音楽には不釣り合いな真剣な空気が降りた。彼は私を夢の中の存在だと思っているらしくて、先ほどからこちらの意見はあまり聞き入れてくれていない。今回も私の引きつった表情を気にせず小さく微笑む。不安げに、肯定して欲しそうに。
「ポルポさんは僕たちが好きですか」
訊いておきながら気まずげに俯いてしまう。ヤプリーンの村でクリーニングした学生服は、遠くの木々を目立たせる深い葉の色だ。少し、皺が寄る。起きても皺くちゃなままだと困るけど、そうはならないんだっけね。ええと、自分でつけた傷や皺は残るけど、夢の中で生み出されたものの痕跡は消える、とかか?なんかそんな感じだった気がする。もっとちゃんと3部を読んでおくんだったなあ。
脚を組む。私は片足にしか靴を履いていないが、これはきっと眠る時に脱げてしまったのだ。夢の中に持ち込めるのは眠る直前に身につけ、具現化していたものだけだから、右足の靴はない。じゃあ全裸で寝たら全裸でしか動けないのか。どこまでなら"身につけている"ことになるのかしらね。毛布を掛けて眠ったら毛布も一緒について来てくれんのかな。心強……くない!全然心強くない。それならリゾットが覆いかぶさって毛布になってくれてたらリゾットも持ち込めるってことになるしな。ならないのは知ってるから病院は来なくて結構です。ブラジャーを外して寝たらもちろんノーブラで引きずり込まれるだろうし、ノーパンで寝ても然り。ウーン、エロ漫画のネタにされそうな能力だ。勤務地を間違えてるぞデス・サーティーン。
ストッキングに包まれた爪先をふらりと一度揺らす間に言い終えてしまいそうな、とても短い答えを言おうとした時だった。雑念を振り払い、できるだけ大人っぽい表情をしようとしていた時でもある。花京院くんがずっと悩み、"夢の中の私"で予行練習をし、現実に暮らす"私たち"に問い掛けようとしたことの真意を読み取り、間違いなく最高の答えを叩きだせるはずだった。これは完全に背景に花が咲き乱れて好感度ゲージがぐぐぐっと上がるだろ、とゲスな確信もしていたのに。
個室の天井が溶けた。
誰かが蝋燭に火をつけ、熱に負けた蝋が耐えかね滴るように。天井のペンキが垂れ、花京院くんの顔を打った。
「あッ……こ、これは!?」
反射的に身を竦めた彼の口の中にどろりとしたものが入り込む。入りきらなかった白い粘液が口周りと頬を汚す。BUKKA、いや、くそっ、汚れているのは彼の顔だけじゃない、私の心もだ。BUKKAKE、いや、ええっと、違います、私は無罪です。
「違う、ッこれはあの時の夢と同じだ……!」
彼は朝方に一度悪夢を見ていたのか、異様な出来事を受けて素早く異常性を読み取った。夢の世界と現実の記憶がようやくリンクしたとも言える。
床にできた水たまりがぶるぶる震え頭をもたげる様には惹きつけられる奇妙さがあった。綺麗に張ったラップの上で音楽に合わせて水溶き片栗粉が踊るみたいなイメージだ。
夢の中という誰にも手出しできない場所での襲撃に、冷静ではいられなかったけれど、この時はまだ余裕があった。どう暴れたら早く目覚められるか、考えてもみられた。
水溶き片栗粉モドキが形を変えた。目は惹かれるけど触りたくはない。
音楽がやけに耳に障る。
「ひゃあっ!」
とぐろを巻いた白濁液が、蛇のように素早く飛んだ。予想外のぬるりとした感触に身体が固まる。名状しがたいが、例えるのならば叩きまくって柔らかくした豚肉のブロックをキンキンに冷やして細く伸ばしたものがこれだ。ドン引きした。ひやああと可愛い悲鳴を漏らした自分にも引いた。
ちなみに、悲鳴はすぐに凍りついた。
爪先から肌を這い、ぐるりとストッキング越しに足を舐めまわした粘液は、さながら下品に太った成金貴族がついさっき買ったばかりの首に重たい鎖の輪をつけられた奴隷のエルフ少女を品定めする時のように、下品な手つきで見事に私の足首へ絡みついた。肉感のあるペンキのスライムは止まらず、ふくらはぎから膝の方へ這い上がって来たが、まあそれはどうでもいい。
問題は、どうやっても動かせない足の方だ。
顔からは血の気がひき、喉はからからだった。落ち着け落ち着け私はできるやればできる子大丈夫、と自分に言い聞かせたくても声が詰まって悲鳴も出ないし、唯一の助けとなるだろう花京院くんは花京院くんでハイエロファントを出せず激しく精神的に動揺しているからこちらにまで気が回らない。頭が真っ白で何も考えられない。まじやめて、ほんとやめて、ガチでやめて。私が3回やめろって言ったら本当にやめてほしいんだよ。普段はたまにしか言わないだろ。ああもう、何だっけ。デス・サーティーンがラリホーでスタンドが赤ん坊で、ええっと。私はかなり混乱していた。久しぶりですよ、私をここまで混乱させたおバカさんたちは。
ここはどこで私は誰で、ええっとそれから、何だっけ。
「や、やめ、て、それ、ほんと、や、やだあ」
八割泣いていた。この数十日で一番情けない声が出た気がする。視界が暗んで、どこかで目を開ける。


あたたかい。
肩を優しく揺すぶって目覚めさせられた私は、当てられた手の力強さと体温に、しばらく呆然としていた。
なんだろう、とても嫌な夢を見た気がする。
おぼろげな記憶を辿ろうとして頭痛に苛まれる。思い出した方が良いような、このままなかったことにするべきなような。
リゾットの膝枕で眠ったのに嫌な感覚が残っているなんて、この世に癒しはないのかね。彼らは私の最後の砦だろ常識的に考えて。私から幸福な時間を取り上げないでくれ。
身を起こして初めて、自分がリゾットの服を握りしめていたと気づいた。強い力を入れ過ぎて指が強張っている。皺が寄っちゃうねと他人事みたいな感想が出た。まだ現実に戻り切れていない、マヌケで寝ぼけたものに聞こえた。
「悪い夢でも見たのか?」
表現しづらくて、戸惑いがちに頷く。とても悪い夢だった。だけど、何が悪かったのかはわからない。
ここで気づく。この状況で悪夢を見るなんてあまりにも偶然が過ぎる。そもそも眠ってしまう前に考えていたのはスタンド使いの赤ん坊のことだ。
事情を呑み込む。
私はスタンド使いの罠に嵌ってしまったということか。あまりの悪夢にうなされる私をリゾットが起こし、助けてくれたと。
ゆっくりと服から手を離した私の目元に、リゾットが親指を押し当てた。そのままスッと横に引かれ、少しだけ冷たいものが目じりに残る。親指はすぐに私の死角に隠されたが、それは明らかに涙をぬぐっていた。
私、泣いてた?
信じられない気持ちで、触れられた部分をなぞる。少し、濡れていた。手の甲でぐいっと擦ると、やめなさい、という感じでリゾットに手を取られた。
泣いてたのか、私。寝ているうちにガチ泣きしてたのか。悪夢で泣くってどんだけだよ。相当怖かったんだろうな。本当にいったい、何が怖かったのやら。物陰からゾンビでも襲って来たんだろうか。ゾンビが襲ってきたのなら部位破壊で即死させればいいじゃない。犬は怖くて無理。
「……花京院くんって寝てます?」
「多少うなされてはいるがぐっすりだ。何か用事があるのなら、後にしてやってくれないか?今朝も悪夢で跳び起きていた」
うなされてるなら起こしてあげた方がいいんじゃないのか。
赤ん坊のおしめを取り換えるアヴドゥルさんは、慣れた手つきで仕事を済ませると、席に戻って花京院のシートベルトを外してやった。
「これで少し様子を見よう。ここのベルトは少しきついからな……」
いや、色んな意味で危ないからシートベルトはつけてあげて欲しい。スタンド使いにまたまたやられてしまいましたァンと彼が操縦桿を蹴り飛ばし腕から血を流して四面楚歌で孤立する姿は見たくない。植物のように静かに行こうよ。この旅に同行している時点で、植物は植物でも忙しなく蜂の飛び交うレンゲのようになってしまっているかもしれないけどそれは置いておこう。ミツバチみたいな可愛いものだったらまだいいのに、相手はオオスズメバチだったり、クマンバチを束にして物理的にぶつけてきたり、色んな方法で私たちの蜜を搾取しようとする。絶望の顔を見せて落ちて行ってしまうからやめてほしいよね、本当にね。あと関係ない話で申し訳ないが、このセスナ機のシートベルトをきつく感じるのはあなたの身体が大きいからだと思います。
アヴドゥルさんを見ると、ニコリと微笑みを返された。私もつい癖で社交的な笑顔を浮かべる。
空の旅が嫌いにならないことを密かに祈ろう。


錐もみ回転してヤシの木にぶつかり、私たちは移動の足を失った。想定の範囲内ってやつですよ、ハハハ。これくらいで私を動揺させようったってそうはいきませんよ。うぅこわかった。
シートベルトをつけていなかった花京院くんは、アヴドゥルさんに抱えられてセスナの残骸から転げ落ちる。音を吸収する砂の海。ふたりの着地を合図にでもしたのか、私はゆっくりと目を開いた。
「……う……?」
熱いものに触れ、反射的に手を引いた感覚があった。危険に踏み込みかけたけれど、すぐに戻って来られた確信がある。脳裏に絵の具がまき散らされ、そうと気づかないうちに水がすべてを洗い流したような。
墜落の衝撃でわずかに気を失っていたみたいだ。
秒針が一周もしないうちに目を覚ませたのは、リゾットが咄嗟に私を庇ってくれたからなのだと思う。申し訳なくなる一方、わからんこともない、と頷きもする。私とリゾットの立場が逆なら私だってそうするだろう。
気絶と眠りが接していると気づくのに時間はかからない。私が人知れず理由もわからない安堵感を抱いたのは、すっかり中身を忘れてしまった悪夢から逃れられたためだったのだ。漠然とホッとしたので、何やらトラウマの香りを感じる。デス・サーティーンにはこの辺りで鉄板土下座を要求したい。
赤ん坊の所在も無事もどうでもいい、とにかく全員を起こして回らなければ。目を凝らして全員の呼吸による胸の上下を確認して一安心。まずは手近なリゾットから死者の目覚めを食らわせる。フライパンとお玉はないが、リゾットの腕をペシペシ叩いて名前を呼び続けた。ウボォーさん聞こえますか。いや、いやいや、レクイエムじゃないしリゾットはウボォーさんじゃない。この人はおそらく特質系だ。そういう問題でもない。
ぴくり、と指先が動いた。同時に悲鳴が空気をつんざく。
「うげええええッ!!」
折れた翼の向こうでじゃらじゃらと金属音が立った。げえげえとえづく荒い呼吸は、明らかに子供特有の高い声に苦痛を混ぜ込んだものだ。えっまさかやっちゃった?コロコロ?しちゃったの?ハウダニット、フーダニット。
足し算をするくらい簡単に導き出せる回答だ。月の光に導かれ、メタリカパワーでお仕置きよ。そうだった、リゾットのメタリカは血中の常駐タスクだった。
スタンド使いは眠る時にスタンドを夢の中に持ち込めば、悪夢の世界でも能力を使うことができる。リゾットは血中の常駐タスクウイルスセキュリティメタリカが仕事をしたのかもしれないけど、もう一人スタンドを持ち込んだ人がいるはずだ。操縦桿をハミパで無理やり操作したジョースターさんもまた、スタンドを持ったまま夢見ている。
もしかすると、リゾットたちを起こさない方が。
とりあえず赤ん坊の様子を見に行こうと立ち上がりかけたところで(嵐の中、畑の様子を見に行こうとするタイプのフラグを感じる)、硬い手に手首を掴まれた。引く力が強かったので心臓が跳ねる。そりゃ、起きるよな。悲鳴も聞こえたし。起こそうとしておきながら、何が正しかったのかわからず複雑な気分だ。
「リゾット、大丈夫?身体に痛いところはない?吐き気があったり、頭が気持ち悪かったりしない?」
「何もない。……墜ちたんだな」
墜ちましたねえ。
リゾットは嫌な感覚を振り払おうとしたのか、長く細くため息をついた。手を掴まれたままの私も、彼につられて身体が動く。
「嫌な……事件だったね」
カメラはないが、放課後さながらの夕陽はある。立ち上がって呟くと、リゾットは短く相槌を打った。まだ終わってないがなと言われたので、それもそうですねと私も頷いた。
皆を起こすため、一度手を離す。
大破したセスナ機を見てぞくりと鳥肌が立った。低い位置からの墜落であったことと、ジョースターさんの機転のおかげで(どんな機転だったのだろう)この程度の被害で済んだけれど、デス・サーティーンの手にかからず全員が死亡する確率だって低くなかった。
「(……死にたくねえー……)」
悪夢の中で取り殺されることも、墜落死することも、どちらもご勘弁願いたい。


スタンドさえ持って入れば夢の中での出来事を憶えていられるのかとばかり思っていたが、そうではなかったらしい。赤ん坊はカミソリを吐き血まみれになっていたが、リゾットはデス・サーティーンと出会った記憶をなくしていた。ジョースターさんも、スタンドを持ち込まなかった3人も、事態が呑み込めていない。
目覚めた彼らはお互いの無事を肩を叩き合って祝した。心に残った"良くない"感覚は、そっと押し隠す。
私もジョースターさんとアヴドゥルさんに挟まれてもみくちゃになる。本当に全員が全員目立った傷もなく生きているので、もちろんとても嬉しいことなんだけど奇跡的なノーダメージっぷりに逆に引いた。
余裕が出た私たちは、悪夢の残滓を胸に隠し何事もないふうを装って赤ん坊の入った籠を捜索する。落ちた衝撃で砂地に半分埋もれていたが、籠は私たちがいた場所とは反対に飛んで、こちらも結果だけ見れば無事だった。
「もしかしたらもう、……最悪の事態に……」
捜索中、返事はないかと呼びかけてもどこからも泣き声が聞こえないことに不安を抱き、ジョースターさんはこう呟いた。しかし、どちらかと言うと最悪なのはリゾットの立場の方だ。
「な……ッ」
見つかった赤ん坊の籠と口元は血に塗れていた。
私が耳にした悲鳴は間違いなくこのスタンド使いのものだったようだ。籠の中で鈍く光るいくつもの刃はカミソリに見える。
呼吸を荒くし今にも死にそうな赤ん坊を背に庇ったほぼ全員がリゾットを睨みつける。彼らの足は半歩引かれていた。代わりに、と言うと奇妙になるけれど、私は無意識のうちに半歩、リゾットの前に出ていた。
「君は何をしたんだ!?この赤ん坊に!」
リゾットの答えは決まっていた。何より彼自身が、誰よりも困惑に襲われていたと言っても過言ではない。
「……覚えがない」
ほんまそれ。
私はもう半歩体重を傾け、リゾットを背に置く。ほんとにそれね、わかるわ。覚えがないよね。だってアレは夢の中の出来事で、彼らは記憶を失っているのだから。
口元に手を寄せ、それきり黙りこくったまま目を細めて赤ん坊を確かめるリゾットは、自分を疑ってはいなかった。自分がこの赤ん坊を"無意識下"で殺害する理由を考えている。誰かに操られたにしても、ジョースター一行ではなくこの赤ん坊だけをピンポイントで"狙わせられた"意味が解らない。だからその可能性はないと見る。では、自分の意思と仮定するなら、なぜ攻撃したのか?
彼が"忘れている"夢の中に答えがあると勘付くかは別として、私は唯一の目撃者たる役目を果たすことにした。冒頭陳述は省略する。
「悲鳴が聞こえた時、リゾットはまだ眠っていたよ。むしろ、声がして初めて起きたんじゃないかな」
「それは証明できない。リゾットは戦いに優れたスタンド使いだ、眠りを偽装し、シロウトである君を騙すことなど容易い」
検事はアヴドゥルさんかよ。ポルナレフ私だ早く戻って来てくれ。アヴドゥルさんにぶつけて相殺できるのはポルナレフだけだ。私を生贄なしで召喚できるスケープゴートだとすると、ポルナレフはバーバリアン1号、アヴドゥルさんはバーバリアン2号である。
学級裁判がひっそり開廷してから思うのも何だけど、これ弁護側の証人が誰もいなくてつらいな。でも心は折らないよ。諦めたらそこで試合終了ですからね。何があっても全発言に『待った』をかける。ついでに言うと『もう少し突っ込んで訊いてみようかな……?』と迷ったら突っ込んで訊いてみる。それが燦然と輝く段ボール造りの弁護士バッジを胸につける私の使命なのです。
「待って。リゾットは得にならないことはしない。赤ん坊を殺したところで彼に何のメリットがあるの?彼はどうしてこの……よくわからない子供を殺す必要が?……つまり殺害の動機は?」
「スタンドを出した覚えがねえのに、勝手にスタンドが暴れ回ることはあるぜ」
ここで検事側の証人として承太郎くんが召喚されてしまった。自分の例を持ち出して来るのはズルいよ。それはスタンドに対する認識とスタンドエネルギーへの理解が足りておらず、相手の正体を知れなかったが故の暴走だよ。リゾットは違うって。
しかしどう違うのかと言われると物証はないので、無駄な反論はしなかった。裁判長ジョースターさんからの信頼ゲージがボカンと一発爆発しては困る。
「それについてはスタンドに詳しいアヴドゥルさんなら説明ができると思うんですが、どうですか?」
「確かに……スタンドが暴走する例はある。だが、わたし自身の言葉を用いて言うのなら、スタンドの操作に長け優秀な技量を持つリゾットがそんな事態に陥るとは思えない」
「それは同感じゃ。同様に、誰かに操られた線も考えにくい。それこそ赤ん坊を殺すメリットが見当たらんからな。この赤ん坊が特別な力を持ち、世界の危機を救う役目を負っているなどというのなら別じゃが、そんな話があるわきゃあなしに」
赤ん坊の応急手当てを終えたジョースターさんは、籠を抱えてセスナから少し離れた。沈黙を守っている花京院くんとリゾットは、一番最後に続いて歩く。
「個人の感情でのみ……判断するとしたら。わたしはリゾットを信じている。何か必ず理由があるのだと思っている。だが、それだけで終えられない話もあるのだ。君が子供を……"理由なく"殺そうとしたことは確かなのだから。すまない、ポルポ、……リゾット」
アヴドゥルさんがそっと私の肩に手を置いた。
弁護人として仕事ができたのかはわからないが、相手を冷静にはさせられたみたいだ。放っておいても冷静になってくれた可能性が無きにしも非ずだが、時間短縮で無駄を省いたとポジティブに考えよう。
リゾットは4人の背中を見送り、険しい顔をしたまま歩き出す。自分の行動に謎を感じているだろうに、背筋はのびたまま、へこたれたりはしていない。へこたれるリゾットとは、と顔を覗かせた雑念には頑張って蓋をした。
「よく信じたな」
「……ん? 私に言ってる?」
「ああ」
目を見て話すと、彼の疲労を読み取れた。もっとも自分の自由にできるはずの、もうひとりのボクと言っていい存在であるスタンドが身に覚えのない働きをしていたのだから、今の彼にかかるストレスと感じている混乱はどれほどのものだろう。
その答えは渡せないけど、リゾット。大丈夫だ、面倒なやりとりは全部私に任せればいい。私もリゾットが真実に辿り着くって(勝手に)信じて身を任せてるよ!
「まさかとは思うけど、私がリゾットの言い分を信じないと思った?」
原作の筋道や敵の正体を知らなくても、私はリゾットと、今ここにいない彼らの話を無条件で信じるぞ。彼らは必要のない嘘はつかない。変な子がいっぱい集まっているなあとは思うけど、信頼しているんですよ。もちろん、トリッキーなソルジェラのことだってねえ。……ビ、ビアンカも。信頼してるよ、色んな意味で。
リゾットは首を振った。
「いや、信じると思っていた」
だよねえ。これで信じないと思ったって言われたら落ち込んでるところだ。言われないとは解っているけど。
もっとも、あの弁護は余計な手出しだったかなとは思う。ごめんね。"おうおう初っ端から睨んでくるんかい"と理不尽な憤りが湧いてきたんだよ。たまには私もムッとするのさ。修行が足りないって言わないで。


花京院くんがリゾットの味方になる決意をしたのは、夜になる頃だった。
「サソリだ!」
そう叫んだ花京院くんは、全員の視線を漏らさず集めてから赤ん坊を指さした。
「リゾットは!!」
大声に赤ん坊が目をむいた。私も突然の呼び捨てAA略に花京院くんを二度見した。
彼は恥じ入ったように頬を熱くし、肩を落とした。
「リゾット……さんは敵を倒そうとしただけなんです。見てください、僕のこの腕の傷を。『BABY STAND』……この赤ん坊がスタンド使いだというメッセージだ。眠るのが危険なんだ……、信じてくれ、承太郎! 今、この赤ん坊はサソリを殺したんだ!」
自分の中でさまざまな推測を立てていたリゾットも、これには閉口した。イタリア語でおk、と言いたげな顔をしている。たぶん承太郎くんたちも日本語でおkと言いたいはずだ。
「ちょっと待ってくれ、何を言っとるのかまったくわからん」
ジョースターさんの困惑した声が切ない。
自傷行為と勘違いされ失望した花京院くんは、だらりと腕を下ろして項垂れてしまう。縋るような視線を向けられたので、私は頷いてみせた。リゾットにとっても俄かには信じがたい話だろうけど、可能性のひとつとしては見過ごせない。
「だから……、……だからリゾットさんは、赤ん坊を攻撃したんです。彼はすべてに気づいて……、でも夢から覚めるとすべてを忘れてしまうから、自分でも攻撃の理由がわからなくて困惑していたんだ」
私は砂を睨みつけたまま、花京院くんが泣いてしまうかと思った。
アヴドゥルさんが一歩進み出た。ヤバイかなと焦ったが、それこそ私の偏見と杞憂だった。
アヴドゥルさんは花京院くんの傷ついた腕を手にとった。
「痛くはないか? 赤ん坊がサソリを殺すなどあるわけがないと言いたいところだが、君の、そしてリゾットの行動を一概に『妄言だ』と切り捨てるわけにはいかない。なぜかは……わかるだろう?」
「……いえ、……すみません」
花京院くんは先ほど投げかけられたジョースターさんの怪訝そうな声でかなり気持ちを萎れさせてしまったようだった。青年の爽やかかつ力あるイケボが落ち込む様を耳で楽しむのも砂漠的醍醐味のひとつなのかもしれないが、普段の彼を知っている私からするとちょっと無理。もう独特の前髪も力を失って見えるくらい負を背負い込んでいる。
「なぜアヴドゥルさんが信じてくれるのか、わかりません。僕に確信はありますが、……荒唐無稽な話なのに」
「わからないか」
目を伏せたアヴドゥルさんが意味深に私を見た。私はリゾットを見た。リゾットは、つ、と目だけを動かしてジョースターさんを見た。ジョースターさんは承太郎くんを見て、承太郎くんは花京院くんを見る。花京院くんはアヴドゥルさんを見ていた。今ここに視線の山手線が完成した。
「わしも、本来なら何をバカなと笑い飛ばす立場にある。赤ん坊はサソリのことなんて知らんはずじゃし、殺すなんて知恵もない。だがな、花京院。わしらは『仲間』じゃよ」
「ジョースターさんの言う通りだ。君はわたしたちの仲間であり、友であり、同志じゃないか。……うっ、いや、リゾット、すまん、その、……すまん」
「俺は何も言っていない」
「そ、そうだな、良心がとがめただけだ」
声出してワロタ。さっき私と一緒に逆転でスリリングな裁判ごっこをしたじゃんか。その時の勢いはどこ行ったの。
ひいひい笑いを咳で誤魔化したが、誤魔化されてくれなかったアヴドゥルさんは気まずそうに、ゆったりした服の袖で組んだ腕を隠した。ごめんごめん、シリアスに似つかわしくないやりとりに心をくすぐられただけでせせら笑ったわけじゃないんだよ。アヴドゥルさんのそういう素直な性格が好きだ。
「"本気で面白いけど笑っちゃあ悪いかな"という顔で笑うのはやめてくれポルポ……」
花京院くんは感動の涙を流し掛けたが、私の笑い声のせいで変な顔をした。今度はすとんと脱力して眉尻を下げる。赤ん坊を指さす表情からは、先ほどの鬼気迫る色が消えていた。
「おむつを変えた時のピンがありましたよね。それでサソリを刺し殺したんです」
食事の用意を置いて、ジョースターさんがいまだ血痕の取れない籠を覗き込んだ。花京院の孤立を目の前に勝ち誇っていた赤ん坊は、もうおくるみを冷汗で湿らせて怯えている。諦め悪く口を閉ざしたまま、私たちの視線から逃れようと身をよじって赤子を装った。無駄無駄WRY。恐怖を乗り越えた花京院くんならぬ、信頼を固めたスターダストクルセイダースに勝てると思ったら大間違いだ。夢の中でさえなければ、この戦い我々の容易なる勝利である。ギルガメッシュを召喚しなくてもいい。
「おらんな」
花京院くんの顔がひきつった。いませんか。おらんなあ。いないな。ちょっとポルポとリゾットも来て見てくれ。
話をしているうちに赤ん坊がサソリを捨てたのではと過ったが、えー、1歳未満だったっけ。赤ん坊の年齢は見抜けないものの、まだ毛も生えていない子供の(下品かな)腕力で遠くまで投げられるとも思えない。
空けられたスペースから籠を覗き込むと、赤ん坊は落ち着きなく辺りを見まわしリゾットから逃れようとした。まだ痛みが残っているのか、そういえば悲鳴を上げてから一度も泣いていない気がする。トラウマになるよな。私も最後に読んでから数年経ってるけど、サルディニアの衝撃は抜けない。喉から手ならぬ喉から鋏。
リゾットは何かを考えた。すぐに彼の言いたいことを理解できたのは、私がリゾットマスターだからかな。そう思いたいね。リゾットなりの『あれれ、おかしいぞぉ』。アヴドゥルさんがハッとしてから笑った。
「俺には見たところ何もないように思える。"どこかに隠したのだとしても"、"場所を喋らせるのは無理"だろうな」
この花京院容赦せん。
承太郎くんとリゾットとしっかり目を合わせ頷いた緑の彼は手を伸ばし、思い切り赤ん坊の顎を掴んだ。無理やり開かされた口からサソリの尾がチラ見えして今年のトレンドを先取り。もうこの赤ん坊がただの赤ん坊でないことは明白で、さらに言うなら『BABY STAND』のメッセージが正しいことも、八割くらいは証明されたと言っていい。
花京院くんはジョースターさんに肩を支えられ、一度だけ嗚咽を呑み込んだような気がした。私の気のせいかな。決してそうじゃあないと思いたいし、ここにいる全員が青年の真っ直ぐさをみとめただろう。
唾液まみれのサソリを摘み上げ、ぼとりと砂に落とす。怯える子供をわざと優しい手つきで抱き上げ、苦し紛れに掠れた泣き声を上げたスタンド使いに高い高いをした。
「さあ、お仕置きの時間だよベイビー」

一度は心を折られたマニッシュ・ボーイが夢の中で反撃を試み、見事に全員から再調教を食らった話はまた今度にしよう。今はまだ穏やかに眠っていたい。
それにしても本当に、私はセスナで何の夢を見たのだったか。夢の中で赤ん坊に問い掛けるのを忘れてしまったので幸運にもずっと思い出さずに済んだし、自分にドン引きしなくても済んだ。逆に良かったってやつだ。
ハイエロファントに拘束されたデス・サーティーンを尻目に、私たちはファンシーでポップな遊園地を闊歩し、ぎゅうぎゅう詰めになりながら観覧車に乗り込んだりメリーゴーランドの馬に立ち乗りしたりと普通はできないことをいとも簡単にやってのけ、ルール無用で遊び倒した。
翌朝は、一晩中スタンドを発動させていた赤ん坊ともども、息抜きのしすぎでちょっとだけ疲れていたけれど、遊びっていうのはそれも含めて楽しいもんだ。
ああそれと花京院くんは憶えている限りで13回、リゾットのことを呼び捨てにしようとして失敗していたよ。