11 霧の町でトランプ勝負


国境の町での休息を終えた私たちは、国境を一気に踏み分けて越える。わりかし丁寧に舗装されてきた道は車に優しかった。
お昼を過ぎた頃、霧に包まれた不思議な町へつく。
「(うええ……)」
嫌な予感がしてきた。
国境の街では何もなかったけれど、霧と静けさと薄暗さに包まれた場所では間違いなく何かが起こる。私のセブンセンシズが囁くのよ。確か、えーっと、ポルナレフが便器を。
考えるまでもなくポルナレフはここにはいない。今頃はあちらも砂の地を渡って重要な任務に就いている。それなら誰が便器を舐めるのかな。必須イベントだろ、アレは。
ここで候補に挙がるのは、現状イレギュラーである私とリゾットとアヴドゥルさんだ。
ぜってー近づかねえー。
本当に近づきたくない。私はジャスティスに近づかない。私の傍にも近寄るなーッ。
「……あの……みんな、一緒に行動しようね。怖いし……その……」
誰にも便器を舐めさせちゃイカンでしょ。弱弱しい声を出して懇願する。私も舐めたくない。みんなにも舐めさせたくない。両方やらなくちゃいけないっていうのが私のつらいところよね。本当につらいぞポルナレフ帰って来てくれ。私が一切戦えないというのが痛かった。
「ポルポ、安心しなさい。君はリゾットと一緒に居れば安心だ」
「いや、……あっはい、そうですね……よろしくねリゾット……」
私は近づいてはいけないものを知っているけど、みんなはそうじゃないじゃん。むしろ私から離れないで。
私の気弱なトーンを心配してくれたか、リゾットは生真面目な顔をしてこちらの頭を撫でた。口先の魔術師には程遠い自分に、しばらくおちんこで、いや下品だ、……落ち込んだ。穴ぼこだらけの死体を見た時、紙面でのリゾットの死に姿を思い出して胸が痛くなっちゃうしな。あ、穴ぼこハチの巣ブツブツ蓮コラ。トラウマすぎるわ。今だけは働くのをやめてくれ私の記憶力。
「何かこの町はおかしくはないか?わしの記憶が間違えておったのか?」
車と勘違いして矢じりのような鉄柵に飛び乗りかけたジョースターさんは、破れかけた服を引っ張って汗を拭った。いち早く気づいた花京院くんがハイエロファントで彼を救い出したから良かったものの、ジョースターさんがひとりだけでうっかり突き刺さって原作ナランチャみたいなことになっては、もう、大変ってレベルじゃない。キャーッて言っちゃう。絶対言っちゃう。いつだって冷静に考えられるリゾットみたいな大人になりたかったですね。承太郎くんと並んで怪訝そうにしながら「何をやっているんだ?」と呟いたリゾットちゃんの冷静さとちょっとずれた感じ、好きだよ。
「異様な死に方だ。この霧の中に敵のスタンド使いが潜んでいる可能性がありますね」
「わたしの炎で霧を払いたいところだが、人を巻き込む危険がある。役に立たなくてすまないな」
アヴドゥルさんは無理やりにスタンドを行使したりはしない。本当は霧を薙ぎ払いながらジープを走らせてそのまま逃げてもらいたいし、私がわがままを言えば通るだろうけど、やっぱりこれも時間稼ぎにしかならない。なぜかベナレスで誰の襲撃もなく拍子抜けした余韻が今も残っていて、ふと思い出してはぞわりとする。あの敵はどうなったんだろう。
それと同じく、ジャスティスだって後から予想外の場所で襲撃を掛けてくるかもしれない。DIOの為に身を尽くし、復讐に魂を燃やす老婆だからな。アッ、そういえば直接の仇であるポルナレフはここにはいないんだけど、それについてはどうなんだろう。もしかすると、J・ガイルの攻撃が致命傷になって死んだ……と思われているから、多少は気が治まっているのかも。
でも、そうだったとしてもDIOへの献身がある。私たちを全員殺す為いつまでも、たとえ火の中水の中あの子のスカートの中、どこまでだって追いかけてくるだろう。みんな逃げろ、今すぐリゾットのコートの中に隠れるんだ。

宿帳に記名する時、承太郎くんが老婆の目を盗んでまったく違う名前を書いたのを見て、私はティンと来た。よぉし、パパ頑張っちゃうぞ。いったいどんな偽名がいいかな、一見普通でもよく見れば違う名前にしないといけないんだよね。そう思っていたら、アヴドゥルさんが最初に書いたジョースターさん、承太郎くん、花京院くんの微妙にデタラメな名前に続いてまったく関係のない名前を書いたので笑ってしまった。ウルムドって誰だよ。そしてハッとした。いつから意味が解れば怖い話が始まってたんだ。やめてください私が死んでしまいます。
どうせ宿帳など見るはずもないのだから、こっちも盛大にふざけてしまおう。ペンを手に取ってパンナコッタ・ギルガと書いた。リゾットは何と書くのかなと横目で見ると、綺麗な字でプロシュートの名前を借りていた。あえてのプロシュートチョイスに二度見したが、たぶん普段から仕事においてお互いの名前を貸し借りしていて慣れているのだろう。綺麗な字だなあと惚れ惚れする。私の『P』とは大違いの書き方だ。ご教授願いたい。
「置いて行くぜ」
言って、承太郎くんがポケットに手を突っ込み直す。小柄な老婆に引率され、不気味なほど静かな部屋に入る。置いて行かれると困るのでリゾットにくっついて小走りで続く。
「大きな部屋で良かったな、全員で固まって寝られる。今夜はトランプでもして遊ぶか?」
部屋の引き出しを漁ったジョースターさんが古びたトランプ箱を見つけた。中を見て扇のように広げると、ジョーカーも含めてきちんと揃っていた。
「ジョースターさん、子供じゃあないんですから。わたしは見ているだけにしますよ」
「僕は嫌いじゃありませんよ。承太郎はどうだい?」
「くだらねーな。ポルポとやってろ」
「えー、一緒にやろうよ承太郎くん。ジョースターさん、大富豪にします?ババ抜きにします?」
「ふむ、大富豪にしよう。わしが勝つに相応しいタイトルじゃし」
「ほほう」
言っておくがこっちには経験ってモンがあるぞ。大富豪はそこまでやり込んでいないけど、コミュニケーションと相手をカモる手段の一環としてスキルの研磨に余念はない。
「リゾットもやろうよ。ジョースターさんと花京院くんをパンツまでひんむいてやろう!」
「お前は朝に起きられるのか?」
「大丈夫大丈夫、こう見えて朝には強いタイプよ」
「僕らはむかれるんですか……」
もうずっとこうしてトランプをして夜を明かしたいよね。ははは。エンヤ婆が近づいてきたらメタリカとスタプラでボコボコにして、遠距離だったらハイエロファント。傷さえ負わなければこっちのモンだし、アヴドゥルさんの炎で霧を蹴散らしてクロスファイヤーハリケーンスペシャルミディアムレアにすればいいと思うよ。今晩中にアクションを起こすのは確実なのだから。あ、私抜けた。
「すみません、僕も抜けます」
「何ィ!?」
「俺もだぜ」
「ふォアア!!」
手札を投げ捨てたジョースターさんに、アヴドゥルさんが苦笑する。
「ジョースターさん、向いてないんじゃあないですか?」
「馬鹿な、わしはイカサマのプロだぞ!」
ぐぬぬ顔のおじいちゃんの手が慣れたふうに散らばったトランプをまとめた。音を立てて格好いい切り方をし、ぱっぱと放るように私に5枚のカードを配る。なんだろう、と手に取る。ジョースターさんと私にだけしかカードは撒かれていない。一対一の勝負を仕掛けられたらしい。二人の真ん中に置かれたカードの山からジョースターさんの気迫が立ち上る。
「次はポーカーじゃ。まずポルポから」
「リゾットー、ヘルプ」
「そりゃズルいじゃろ!?リゾットは引っ込んどりなさい!」
やっぱりダメかあ。リゾットのポーカーフェイスは鉄壁だから補助に入ってもらえたら百人力なのに。
ババ抜きだったら私にも分があるが、こういう勝負はあんまりしたことがなくて場に呑まれてしまう。カードを2枚替える。ジョースターさんは3枚替えた。
「いいのか?……先に言っておく。わしはフラッシュじゃ」
「私はワンペアです」
「……」
コインを積み、いっせーのーせ。お互いツーペアで引き分けだ。
「さらっと嘘をつくんじゃあない!」
「えええ」
ちょう言われたくない。
三回ほど勝負を重ね、私はめでたくも星を取りこぼした。勝つまで解放する気がなさそうだったおじいちゃんは諸手を上げて自分のフルハウスを誇った。私はワンペアで負けた。ワンペアを偽証したものはワンペアに泣くんですね。めでたく、とか言ったけどちょっと悔しい。
次に彼が狙いを定めたのは、リゾットだった。一人掛けのソファに座り、脚を組んでアヴドゥルさんの本を借りて読んでいた彼のところまで丸テーブルを引きずっていき、ばばんと場を整える。顔を上げたリゾットに問答無用でカードを配り、イカサマはせんよ、とニッコリした。
「俺ではなく、自分の孫を誘ったらどうだ?」
「わしは君とやりたいんじゃよ、リゾット」
どうしても引かないと見たか、ぱたんと本が閉じられる。テーブルの隅に置き、組んでいた脚を下ろす。リゾットの動きには余裕があり、それが余計にジョースターさんの闘志に火をつけたと見える。花京院くんが心なしかわくわくしていた。私もわくわくしている。花京院くんにちょっぴり近づいて観戦の準備を整えたが、なんと彼は拒まなかった。リゾットがちらりと私たちを見る。頑張れリゾット!
胸の中で唱えた応援が伝わったか、伝わらないか。無言でカードを1枚替えた彼は手短にレイズ。何も替えなかったジョースターさんは自信満々にコールした。
「どっちが勝つと思う?」
「ジジイだ」
「もしかして承太郎、"見た"のかい?スタープラチナで?」
「んなことはしねえ」
承太郎くんはおいしそうに煙草を吸い、煙草の煙で輪っかを作った。感動する。もしかしてだけど、本当にもしかしてなんだけど、私が前にできるかって訊いたから今やってくれたのかな。自意識過剰なのはわかってるけど、本当に感動した。もしそうだったら承太郎くん大好き。いや、ずっと大好きだったよもちろん。
勝利予想の根拠を、承太郎くんはこう説明した。
「リゾットのことは知らねえが、ジジイは絶対にあいつよりは経験があるだろうが。リゾットをナメちゃあいねえし、初っ端からイカサマを仕掛けるつもりはなくても本気は出すだろうぜ。それに、リゾットのポーカーフェイスよりもジジイのポーカーフェイスの方が有利だ」
「無表情よりも、色んな感情を表に出した方が読み取られにくい……ということか、承太郎」
「あぁ」
ぷか、とまた輪が浮く。それを目で追ううちに、二人の手札が開かれる。
「なァにィィ!?」
ジョースターさんは椅子を蹴り倒して立ち上がった。どしたの。
「リゾット、お前今さっきわしが"わしはフルハウスじゃ"って言ったら"俺はロイヤルストレートフラッシュだ"って言っとったじゃあないか!?」
「言ったな」
「じゃがキミ、いま、ノーペア!!」
「そうだな」
「どんだけ盛っとるんじゃ!!ポルポとおんなじタイプか!!」
相手がロイヤルストレートフラッシュって言ってるのにコールしてるんだから、ジョースターさんも信じてなかったんだろうに、よっぽどの肩透かしだったんだろうなあ。"ロイヤルストレートフラッシュだって言ってるけどどうせハッタリで、良くてスリーカードなんじゃろうな"と思っていたらまさかのノーペア。完全にやる気がないと思われても仕方ない。怒られててもしらっとしてるしな。
「俺はカードに恵まれない」
「そしてとんでもないハッタリをかます、と」
真実味が無さ過ぎて逆に本当っぽいよね。このリゾットが嘘をつくとは思えない、みたいな。リゾットだからロイヤルストレートフラッシュもあり得てしまうのかな、みたいな。普通はあり得ないって。これが信用というものなのだろうか。
ちょいちょい、と手招きに呼び寄せられてジョースターさんに近づくと、立ち上がった彼のぬくもりが残る椅子に座らせられた。肩を押さえられているので立ち上がれず、リゾットと向き合う形でお互いにこの後の展開を悟った。
「ここは恋人対決、ということでどうじゃ?」
どうもこうもめちゃくちゃです。
リゾットと勝負すると、どんなにリゾットが不利でも私が負けちゃうんだよね。味方につけると頼もしいのに、敵に回ると恐ろしい男。それが暗殺チームのリゾット・ネエロなのです。私の場合は、ちょっとオーラに負けてるところもあると思うんだけど。例えば"ヤバイ、勝てないかも"と感じてしまった時にもう勝負はついている、というのが近いかもしれない。どうもリゾットには勝てない気がしちゃうんだよな。これまで何度も屈してきたからかな。くっ、今度こそ私は屈しないぞ。
気合を入れて手札を見たら、なんとスリーカードだった。欲を出して2枚替えたが、そちらは揃わず。
「勝ち負けで賭けなんかはせんのか?」
「じゃあ負けた方が勝った方の抱き枕になる、とか」
「どっちにしてもポルポの得にしかならんじゃろそれ」
「し、失礼な」
えいやと手札を見せ合うと、リゾットの役はワンペアだった。スリーカードの私の勝ちだ。やったあ。
「抱き枕、ゲットじゃな?」
川柳を読んでくれそうなほど嬉しげなジョースターさんが私を祝ってくれる。リゾットは少しも残念がっていなかったが、ちょっと珍しそうにしていた。
「ポルポに負けるのは久しぶりだな」
「まるで私がめっちゃ弱いみたいな言い方、心外です!」
ほんとはつよいんだからね。声震えてないってば。
ジョースターさんがにんまり笑いを堪えて私の肩を揉み出した。くすぐったいからやめて。気持ちいいけど笑っちゃうから。
カードをまとめて片付けるリゾットの前で私がもぞもぞしているのが面白かったらしく、しばらくの間ジョースターさんはくすぐりで私をいじくりまわした。やめ、やめて、マジでくすぐってくるのはやめてよぉ。
「あは、あはは、ジョースターさんやめ、ひゃっ、く、うふふぁ、ぅあっあっ、あはははひえぇ、やめ、や、ちょ、……やめてー!誰か通報してー!……アッー!」
「ワハハハハ!」
モルスァ。いつか殴る。
一気に笑い声で満ちた部屋でおもむろに立ち上がったアヴドゥルさんは「トイレに行ってくる」とフラグを1トントラックに満載したことを言って部屋を出て行った。
彼が用を足す前に階下の物音を聞きつけてロビーの様子を見に行ったと知ったのは、花京院くんとリゾットによる勝負で完全に気圧された花京院くんがボロボロな手札で負けてしまったり、承太郎くんとジョースターさんの奇跡的な戦いでジョースターさんが孫をコテンパンにやっつけたりしてもなおアヴドゥルさんが戻って来ないと不審を抱いた承太郎くんが立ち上がった時だった。勝負は中断され、ジョースターさんもまた承太郎くんに同行して階段を下りる。
様子を見に行きたがる花京院くんを制止することおよそ20分。老婆の霧をつんざく断末魔に続いて、世の中の汚物をすべて吐くようなオーマイガーが聞こえてきて、私は何かを察した。