07 線路の上から


かたいベッドに横になり、アヴドゥルさんから借りた小さくて分厚い本に目を通すのにも慣れてきた。人は意外とすぐ環境に適応する。隣にリゾットがいて安心させてくれるので予想よりも早く自分のペースを取り戻せた、というのもあるだろう。
本を閉じ、ごろごろ寝転がりしわになったシーツから抜け出す。のろい動きで鞄を引き寄せた。キャンディを探したが、見つかったのは香港で渡されたレシートだけだった。外国のこういうものって捨てちゃうのがもったいない気がしてつい手元に持っていてしまうよね。お財布にレシートをためておくとよくないって話を聞いたことがあるからお財布じゃなくて鞄のポケットに入れておくんだけど、そのまま忘れてしまうことが多い。今回もそのクチだ。綺麗に折りたたんであったので、女子力はぎりぎりで繋ぎ止められた、と信じたい。
私のポシェットは小さいので、メインのバッグは別にある。できるだけ荷物を少なくすべき旅だとわかってはいるものの、必要な道具や着替えを削るのにも限界ってものは存在するのだ。
大きめのバッグは持ちやすくなっているけれど、私が実際に持ち手を握ることは少なかった。乗り物移動が多いし、ちょっとした時にはジョースターさんが持ってくれようとする。おじいちゃんに無理をさせるわけにはと申し訳なさから冗談めかしたこともあったが、その時はチチチと舌を鳴らされてしまった。見栄を張らせてほしいと言われ、あまりのダンディさに二の句を告げなくなったものだ。イケメンはこれだから尊敬するしかない。魂からして非童貞の香りがする。
シンガポールでリゾットがメンバーに加わってからは余計に重い物から遠ざかった。イタリア人の血とリゾットの優しさを掛け算すると無量大数の思いやりが導き出され、結果私が堕落する。グラッツェと言うと、リゾットの目は10回に6回くらいの割合でかすかに細められた。
そんな怠惰な私は小ぶりなバッグのストラップを片手でつかみ、肩に引っ掛けて歩くのが常だ。お手軽なサイズ感のバッグにはハンカチティッシュお財布などの定番から、タッチしてピッなカードや、ポチポチ弄ってはちょっとしたサイトにアクセスしうっかりゲームに課金までしてしまえるスマートで便利な携帯電話などの今ここでは使えないアイテムまで、この時代にジャンプしてしまった時と変わらない顔ぶれが揃っている。だって、これらを捨てるなんてとんでもないことだ。色んな意味で。

ある時の話だ。
「ポルポ、そのバッグの中にはナニか気になるモンでも入っとるのか?」
「ん?」
いったいどういう意味かと鞄を見下ろす。後々にはみんなで撮った特別な写真を入れるつもりですよと言ったら、ジョースターさんは真剣に受け取り笑って頷いた。素敵じゃないかと同意を得られたので、夢を夢のまま終わらせなくてもよさそうだ。
「だが、そうじゃあなくてだな。頻繁に手を……こう、バッグに入れようとしてやめとるじゃろ。何かを取りたいんじゃないかと思ったんじゃよ」
納得した。確かに私は何かを取りたくて鞄の留め金に手をかけている。けれど同時に、無駄だったと思い出して手を離してもいる。人には言えない理由がそこにはある。
「何かあると、すぐ友達に連絡を取って笑い合っていたので……。つい、くせで」
リゾットの視線が痛かった。彼も私が携帯電話で具体的に何をしているのかは知らなくても、言葉通りの意味でないことは察しているに違いない。予想の通り、通信先はポケベルでもメールでも電話でもない。ある意味はメールに近いのかな。どちらにしてもここでは使えないし説明もしづらい。
私もそこまでやたらめったらハマってはいないんだけど、共有したい出来事が多すぎるんだよね。いつも日本の友人が草を大量に生やしながら反応してくれるものだから、面白い出来事を見ては、いわゆる、『連絡』をとっていた。つまりそういうことだ。
ここには電波塔もなく、充電もできなくて画面は真っ暗。使い物にならないがらくただ。わかっていても手が伸びる。
「なるほどなあ」
ジョースターさんは髭をいじった。
「もしもよっぽど寂しくなったら、隣におるリゾットの手を握るといいぞ」
ウインクしたおじいちゃんにバキューンと指で撃たれた。出た、ジョースターさんのバキュンポーズ。必ず惚れさせるって合図だ。
「反対側の隣にいるジョースターさんの手を握っちゃったりして」
「オッ!それはそれで」
いいのか。

さて。
部屋で活字を追っていても、近くの気配が気になってうまく集中できない。横顔をチラ見。格好いい男は何をしてても格好いいな。新聞を読んでいるだけで絵になるし、2つほどボタンの開けられたシャツの陰になってハッキリとは見えない鎖骨にもブラックホールレベルの吸引力がある。
本を盾にしてリゾットを見つめる。
新聞の三面を端から端まで読み終わりページをめくろうとした指先の所作が悔しいほど色気を孕んでいたので、私は隙を見て口を開いた。
「リゾットって、いつ見ても格好いいね」
「……言いたいことはそれだけか?」
「うん」
超それだけ。
閉じはせず、読む途中の本に栞代わりの紙をただ載せておく。私の名誉の為に主張するが、決して鞄のポケットに入っていた香港産のレシートではない。
「暇になったら教えて。私、リゾットに話したいことがいっぱいあるんだ」
「今でいい」
リゾットは新聞をたたみ、わきへ除けた。この人はいつもこうして私を優先してくれる。ストレスとかうっぷんとかたまらないのか、とっても失礼ながら、心配だ。
「香港で食べた料理なんだけどさ」
まずレストランでポルナレフがどてっぱらに一発喰らって昏倒した話から始めた。話を樹形のように広げ、これまで何があったのか、できるだけ客観的に説明していく。日記でも書いていたら、それを参照してよりわかりやすく語れたのかもしれない。リゾットは他には何もせず、私の目を見て話を聞いてくれていた。聞き流してるのかなあと油断しているとたまにわざとぼかしたところを鋭く突っ込まれてウッてなるけど、概ね無事に進んだ。
個室で男女が2人きり、しっかり見つめ合って熱心に会話(一方的)しているこの様子を切り抜いて見てみたら、きっと恋人同士の熱烈な語り合いに思えただろう。何かが致命的に違うという点を除けば大正解だ。
内側から鍵のかかるドアには、小さな覗き穴しかついていなかった。どこにも人の目はない。
突然話題の糸が真ん中から切られたように、唐突に話が尽きた。喋りたいことはまだあるのに、うまい言葉が出てこない。なんだか気が抜けてしまった。胃が痛いからマジ帰りたい1000%、なあんて茶化していても、実は本当に不安をため込んでいたの、かもしれない。久しぶりに自分の精神の豆腐っぷりを感じた。
「……リゾットって、いつ見ても格好いいね」
さっきと同じ言葉で褒め称えると、リゾットは私の頬をあの色気ある指でぐにぐにと揉んだ。私が倍返ししようとするとあっさり手を離して、逆にこちらの浮かせた腕を押さえてくる。優しい押さえ方だったので喪女としてとてもドキドキした。くっ、殺せ。罪深い男だよ君は。不覚にも高鳴ってしまった胸に照れているのも見透かされているっぽくて悔しい。
ふっと空気が緩み、重心が移動する。ポルポ、とリゾットが私を呼んだ。ふたりの呼吸が、近づく。
「……」
と、こんなとき。
気まずそうなノックがあり、私は反射的にリゾットから目を逸らした。えっあっ、はい、どちらさま。
するりと、リゾットの手が私から離れる。先ほどまでの、毛糸の玉がちょっとだけほぐれたかな?これ柔らかいような気がするな?とかろうじて感じられる雰囲気は、どこかへ隠れてしまったかのように綺麗に消えていた。
立ち上がろうとして、身体が強張っていることに気づく。長い間、同じ姿勢でいたからだろうか。いや、緊張していたのか。だってずるいでしょ。ずるいよあれは。ねえずるくない!?残念ながら同意してくれるホルマジオはここにはいない。心の中で恥ずかしさがくすぶった。いつか絶対に勝つからおぼえてろイケメン。
ドアを開けるとアヴドゥルさんが立っていた。彼は私の顔を確認してホッと息をついた。
「邪魔をしてすまない。5分ほど時間を貰いたいんだ」
「私の?リゾットの?」
「2人ともだ。入っても……構わないだろうか」
目で問いかけ、リゾットの許可を得る。私はアヴドゥルさんに道を開けた。
大きな身体で申し訳なさげに入って来た彼は、ドアをきちんと閉めてから立ったまま話し出した。ベッドと荷物置きとちょっとした窓しかない個室なので仕方がない。私はアヴドゥルさんに席を譲ろうかと思ったが、同じベッドに並んで座るリゾットとアヴドゥルさんという絵面に耐えきる覚悟ができない。彼もまた、人のベッドに腰掛ける性格はしていなかった。
「まずはわたしが本物のモハメド・アヴドゥルであることを証明しよう。マジシャンズ・レッドだけでは証明にならないから、ポルポから聞いた話を一つ披露させて貰う」
スタンドが合言葉にならないことは、イエローテンパランスがハイエロファントを模造したという承太郎くんの証言で明らかにされている。しかし私は敵味方の識別ができるほど重要な話をしていたかな。この人には大層お世話になっているけど、暗殺チームの話も仕事の話も私がどんなスタンドを使っていたのかも、もちろん口にしていない。こんな真っ白な人に言えるわけないだろ。
「……ゴホン。ポルポの首の傷は猫に引っかかれた結果ついたもので、猫の名前は『フーゴ』だな」
「ああ……。はい、フーゴちゃんです」
チョーカーの下には変わらず傷痕がある。アヴドゥルさんの家に数日だけ滞在させてもらった時に質問され、隠すことでもないのであっさりした説明をしたおぼえもあった。
アヴドゥルさんは記憶間違いがなかったことに安堵の息を吐く。私がこの話をしたのを忘れていたら大変だったよね。やっべえ憶えてねえーと思いながらテキトーに同意してしまう時もなくはないので、今回はお互いに運が良かった。記憶にございませんは通じない真剣な場面だ。
融通が利かないと言われるのだ、とアヴドゥルさんは過去に苦笑していた。わたしは確かに自分をふざけた人間だとは思っていないが、どうやらそれは人を生きづらくさせるらしい、と。
特別な答えを求めてはいなさそうだったので微笑みで乗り切ったが、その時と似た表情を浮かべたアヴドゥルさんは今、精一杯リゾットを思いやっていた。この人は確かにたまに頑固だ。でもこうして『昨日の敵は今日の友』と受け入れる度量もある。
「この時代には慣れそうか?」
リゾットと私の間には、今は距離がある。人目を気にせず接触を保つのも真面目な彼には失礼だ。じゃあイルーゾォたちには失礼ではなかったのかと突っ込まれそうだが、彼らはもう、慣れてたじゃん。まず私がリゾットのハグで寝落ちしたところから始まってるじゃん。開き直れたし開き直るしかなかったよね。ここに、彼らとアヴドゥルさんたちの線引きがあるのかもしれない。一応、節度は持とうと思う。
私の心を落ち着かせる声が短く肯定した。まだ数日と経っていないけど、リーダーの適応力はヤバイんだよ。私が突然利き手をダメにした時もすぐに左側のサポートに回ってくれたし、結成当初、メローネが徐々にチーム内で仕事に真面目な変態の片りんを見せて行っても完全スルーだった。たぶんチーム内の全員から俺たちホモでしたリーダー狙いでした愛しています、なんて告白をされたとしても、言葉を失ってからすごく複雑な顔をして、その情熱は仕事に回してくれ、と言う程度で話を終えるだろう。も、もしそんな時があったら上司たる私に相談してくれるかな。今はもう上司じゃないけど、どうしたらいいのかわからなくなって頭を抱えるリゾットちゃんが見たい。最高に頭を働かせて答えるよ。自分が間女と謗られてもむしろ気持ちいい。面白すぎだろその展開。
平静そのものの表情で男2人のやりとりを見つめている私がこんなことで時間をつぶしているとは、よもや彼らは思うまい。思考があっちにいったりこっちにいったり暇がない。生きるのって大変だ。
「わたしたちは君にできる限りのサポートをしたい。年代や国柄のギャップで戸惑った時にはすぐに言ってくれ、リゾットよりもわたしの方がこの先の土地に詳しい」
「そうしよう」
「ああ、そうしてくれ。ポルポも遠慮はしないでほしい。君は自分だけで問題を解決しようとするからな」
アヴドゥルさんは深い瞳でじっと私を見つめた。私も彼を見上げ、神妙に頷く。自分だけで物事を解決しようとしているかなあ。自分で解決できないことは人に相談するよ。今まで彼に目立った相談をしなかった(と、思われている)のは、私が自分の中で解決させられる問題しか抱えていなかったってだけの話じゃないかしら。具体的にどういう例をもって私をそんな頑張り屋さんなイメージに当て嵌めてしまったのかちょっと知りたい。自分だけで問題を解決しようとする筆頭はポルナレフだ。彼は頑張りすぎだよ。私よりもポルナレフに目を向けてほしい気持ちがある。
「本当に、どうしてそう思ったんですか?アヴドゥルさんに相談してません?」
「夕食をどこで食べるか……ぐらいだろう。この世界において、不可思議に巻き込まれた君はひどく冷静だ。こう言っては何だが、リゾットというパートナーが君に寄り添ってくれて少し安心したぞ」
この人ってば本当に真面目だ。私も見習わなきゃ。
私たちの年齢など関係なくこの人は私たちを気にかけてくれている。どちらにせよ彼の方がちょっぴり肉体的に年上だからかもしれないけど、保護者の責任を果たしたい思いや彼自身の優しさがあることは疑いようもない。ありがたくお気遣いをいただいておこう。
私は数々の取引きで成功をもぎ取って来た最高の笑顔を浮かべ、アヴドゥルさんにお礼を言った。
彼は咳払いをして照れを振り払うと、リゾットに右手を差し出す。
「君に幸あらんことを願うよ」
綺麗なグラッツェが返され、2つのしっかりした手が結ばれた。ついでに私も手を出して2人と握手しておいた。アヴドゥルさんの手はたくましく、あたたかい。
指先を名残惜しげに彷徨わせる。私も冷え性とは程遠いが、アヴドゥルさんの手はそれよりもあたたかい。太陽の力を取り入れてるとしか考えられない。
穏やかな手が外に注意を向けさせる。
「あぁ、もうすぐ駅に着く」
その言葉通り、列車は徐々にスピードを落としていった。見知らぬ景色の見知らぬ駅が私たちを迎え入れる。


長旅で身体が強張らないよう、私たちは途中に停車した駅で一旦降りることにした。旅は乗り継ぎを繰り返すけど、ここはまだ同じ列車で進む。20分程度の休憩でも、息抜きに砂っぽい新鮮な風に吹かれると元気が出た。人間が単純なのか、私が単純なのか。たぶん後者だ。隣にリゾットがいるからより楽しくリフレッシュできる。ちなみに、彼は見知らぬ駅の景色に夢中だった。本当に夢中かどうかはわかんないけど気を取られていることは確かだ。
青空の下、帽子を飛ばされないよう手で押さえていたジョースターさんは、そのまま大きく伸びをした。ぱきぱきと関節が鳴りそうだ。
「ンンンッ、身体を伸ばせると気持ちがイイなあ!そう思わんか、承太郎」
「ああ、そうだな」
孫の同意を得たお爺ちゃんは溌剌とした笑みを増した。承太郎くんの肩を抱いて無碍に振り払われても嬉しそうにしている。次はアヴドゥルさんの背中を強く叩き、ポルナレフにハイタッチを求めていた。苦笑しつつちょっと楽しげに応じたポルナレフも、隠しているが気持ちが高ぶっている。お爺ちゃんは私にも手のひらを向けた。イエーイ、とタッチするとそのまま繋いでぐるぐる身体を回され視界が飛び飛びになる。アメリカ人のテンション怖い。
リゾットにもやるのかなと抱いた期待を裏切らないのがジョースターの血筋だ。どんなムチャブリでも吹っかける男、それがジョセフ・ジョースター。
独特の服を脱いだリゾットは一般的なシャツとズボンを身に着けた平凡な姿でいる。ピリッとした雰囲気も今は鳴りを潜め、鍛えられた一般の男性にしか見えない。あ、でもこれは私が普段の暗殺モードなリゾットを知っているから普通に思えるだけで、他の人から見たら『こいつ只者じゃねえ……』って感じなのかもしれないな。
ぼんやりしていた(ように見える)リゾットの肩をジョースターさんが叩き、赤い瞳が怪訝そうに振り返った。
その頬に人差し指が押し当てられる。
無表情のリゾットとドヤ顔のジョースターさんが対照的だった。花京院くんが堪え切れずに噴き出す。急いで取り繕うが口元が引きつっているぞガクセーくん。隠しもせずに笑っている私が突っ込むのも何なので見なかったふりをしているけど、彼の笑顔をいじくりたくて仕方ない。肘でWRYWRYしたい。絶対に困った顔をするし、私の株が下がる。しかし頼んでないピザは来ないし、そういう危険を冒してでも今は花京院くんにちょっかいを出すべきだ。ねえねえ花京院くん今笑った?
「わ、笑ってなんか! リゾット……さんを前に笑うなんて、やめてください」
結構ガチめで拒否されて別の意味で笑った。距離置きすぎ。あれもこれもどれもそれも全部DIOのせいですかね。はたまたリゾットから拒絶オーラでも発せられているのか?もしかして、同じスタンド使いだとしてもリゾットとは街中でもすれ違いたくないほどの恐怖心を抱いていたりして。初対面でメタリカ食らったトラウマってやつかな。お互い積極的にコミュニケーションをとるタイプじゃなさそうだし、もしも溝があるのなら、それは深まるばかりだろう。
「リゾットもこーいうのに引っかかるんじゃな。わしはてっきり義手を折られるかと思った」
折られるかと思ってんのにやるってトコロにシビれて憧れた。彼には『やる』と言ったらやるスゴ味がある。
「この程度では折らない」
「どこまでやったら折るんだ?」
ポルナレフの素朴な疑問に、リゾットは躊躇いがちに答える。言っていいものかと悩むよりは、どう説明すればいいのかを考えている顔だった。
「……刺されかけたら……折るな」
「良かったですね、ジョースターさん。折られることはありませんよ」
「わし、刺さんもんな」
「ここにいる誰も刺さねーだろうよ。こいつだけは特にな」
ごもっとも。これについては仲間意識は関係なく、本能的な話だ。いや、本能よりはもう少し理性寄り。私もリゾットが両手両足を縛られスタンドが使えなかったとして、私が包丁レベルの刃物を持っていたとして、刺せば確実に致命傷だとして、それでもリゾットを知っていたら刃物じゃあかからない。スタンドが封じられていてもリゾットなら返り討ちにできる。絶対できる。義手を折られるどころじゃ済まず、顔面を潰されて死にそうだ。
幾分か心外そうに目を眇めたリゾットが私を見た。私はぶんばぶんばと首を振る。いやいや、何も考えてませんよ。リゾットに襲い掛かるシミュレーションなんてしてないし、一発ノックアウトから両手両足を折られ逆に床へ叩きつけられる自分の姿なんて思い浮かべてもいませんからね。
「発車時刻が来るまでお茶でも飲まないか?」
勇気あるジョースターさんの敬意を表するべき行動に沸いた空気をそのままに、私たちはポルナレフの提案を受けてちょっとしたお茶売場へ移動した。並び順としては先頭から、ポルナレフ、アヴドゥルさんと彼の横並びにジョースターさん、承太郎くんと花京院くん、ついでリゾットと私だ。アツアツのお茶を買ったみんなをこっそり観察していたけど、誰も唇をお湯につけて「アチッ!」とは言わなかった。それどころか、必死こいてファンファーレをフーフーしていた私をくすくす笑ってくる。よく見て、承太郎くんもちまちましか飲んでないから。ただそんな気分だっただけかもしれないけど、猫舌だって可能性もね、なくはないしね。ほら、ね。よく見て。ジョースターさん後ろ後ろ。
早々に飲み終わって使い捨てカップをゴミ箱に放り投げた面々に続き、列車の発車時刻が迫るまでには飲み終えられればいいなと思っていたが、残念なことに十数分後の私はがたんがたんと揺られながらシートに腰掛け、冷めかけたお茶をまだ飲んでいたのだった。熱過ぎだろこのお茶。
頑張って飲み終わると、口直しにとリゾットが冷たいジュースを買って来てくれた。ありがとね、おねえさんお腹がちょっとたぽたぽだからもう少ししてから飲むね。
人のいない車両で向かい合わせの席に収まり、私たちはトゥビコン中断していた話を再開した。


ジョセフ・ジョースターは年齢を重ねている。人の心の機微に敏い方でもある。老爺は隣の席で漫画雑誌を読む孫に、こう言った。
「リゾットについてなんだが、承太郎、お前はどう思う?」
「何がだ?」
指を振って注意を引く。承太郎は一切顔を上げなかったが、耳は傾けるつもりでいた。あの男については解らないことが多すぎる。
「性格じゃよ。どうもイタリア人にしちゃあ落ち着いとると思わんか」
「あの男も、イギリス生まれのひょうきんなジジイには言われたかねえだろうよ」
否、解らないのではない。
リゾットの行動の根底にあるものはよく理解できていた。必要があることをし、必要のないことはしない。寡黙で冷静と言えるし、取捨選択の激しい面倒さがあるとも言える。いつも無感動な目で承太郎を見るものだから、青年は視線を遮って帽子を引き下げた。観察するような居心地の悪い視線には文句を言いたくもなるが、相手は引き際を心得ている。承太郎が睨みつけるまでもなく顔を逸らし、おそらく馴染みのない景色に目をやる。あるいは誰かと短く会話をする。恋人だという(承太郎には俄かには信じがたいが)女に対しても素っ気ない態度なので、あれが本来の姿なのだと今は全員が理解していた。
ポルポを除けば、最もリゾットとうまく付き合っているのがポルナレフだ。適応力が高く、男の無感動さにも気を悪くしない。誰とでも柔軟に形をそわせる彼の姿は、物分かりのよい上手な大人に思えた。
「どこ生まれと言っとったっけなアー……。イタリア人は情熱的で明るくファイン!そんなイメージが覆されっぱなしじゃ。全員が全員ポルポみたいな性格じゃあないとは解っちゃいるが、それにしたって几帳面だし」
ジョセフは記憶を辿り、顎を上げて長いため息をついた。帽子がずり落ちそうになったのを手で受け止め、被り直して腕を組む。一方的な会話から承太郎を解放するつもりはない。
面倒に付き合う気も起きない。漫画も気分転換に読んでいただけだったが、興味のない話に延々巻き込まれるなら煙草でも吸っていたほうがましだ。承太郎は立ち上がるとドアを開けた。呼び止められても振り返らない。学ランの内ポケットから取り出した箱を軽く掲げて見せ、喫煙コーナーへ向かう。
ジョセフは肩を竦めた。

どうせなら、外の風に当たりながら煙を吹きたい。承太郎は適当な場所を求めてふらふらと車内を彷徨った。喫煙コーナーを通り過ぎ、無人の購買の横を抜ける。そのうち乗り換えるだろうが、車両の配置を確認する意味も込めて列車の後方へ歩き続けた。
ドアの向こうに人影を見つけ、ぴたりと足を止める。
ガラス窓から見える車両はやはり人が居らず、しんと静かだ。
そこに女はいた。ボックス席で、ちょうど承太郎のやって来た方が見える場所に位置取り、何事かを喋っては身振り手振りをしたり笑ったりする。相手が誰かは見えなかったが、予想はできた。
遠慮なくドアを開けた。ここを突っ切らなければ居心地のいい空間には辿り着けそうにない。
ポルポは承太郎に手を振った。どこかジョセフを思い出させる明るさだ。言葉が通じるからか、承太郎が年下だからか、好みに合ってでもいるからか、彼女は承太郎によく声をかけた。
予想通りポルポの向かいに座っていたリゾットも、承太郎に一瞥をくれる。
「どしたの?」
「煙草だ」
「へえ。ジョースターさんは?」
「ジジイなら部屋だ」
「そっか、ありがとう。ねえ、煙草の煙で輪っかつくれる?」
突拍子もない質問に、承太郎は答える義理がない。無視して歩き去ったが、ポルポは身を乗り出して承太郎の背中を見送った。
振り返った承太郎には、何事もなかったかのように身体を戻し、会話をやり直す2人が見える。今度はリゾットと目が合った気がしたが、錯覚で済ませられる短い時間だった。男女どちらも非常にマイペースだ。やれやれと呟き、肩を竦める。彼の仕草は祖父によく似ていた。

孫を追って車両を移動するジョセフがポルポとリゾットを見つけたのは、承太郎がかの車両を後にしてから5分もしないうちだった。がたりとドアを開ければ、ポルポがジョセフに手を振ってニコリと笑う。ジョセフも手を振り返した。
軽い足取りで近づき覗き込むと、ポルポはオレンジジュースを、リゾットはコーヒーを開けていた。ポップなラベルの缶にはべこりとしたへこみ。中は空っぽだ。
「承太郎は来たか?」
「ついさっき、もっと後ろに行きましたよ。煙草を吸うんですって」
ね、と同意を求められたリゾットが興味なさげに頷いた。ジョセフはやはり不思議に思う。本当にイタリア人なのだろうか、この男は。
忘れてしまった彼の出身地を訊ねると、コーヒーの男は場所を答えた。場所柄とリゾットの性格にはぴんとくるものがなかったが、タイプは人それぞれだ。あまり追求するものでもないなと思い直し、違うところに目をとめる。ポルポとリゾットの片手は繋がれていた。なぜこの距離で手を繋いでいるのか、さらに問いかける。おかしかあないか?
「ゲームかナニかか?」
「いえ、私はリゾットに触っていると落ち着くので、こうやって日々のエネルギーを貰っているんですよ。これは今日一日の分」
「おおかた、ポルポが強引に迫っとるんじゃろ」
「私は非常に淑女的に、彼に合わせて事を進めているつもりなんですよ。ね?」
再び同意を求められたリゾットは、そうだな、とだけ言った。
「本当にイタリア人か……?」
思わず呟きを漏らしたジョセフは失言を詫びる。あまりにも率直で飾りのない言い草にポルポが笑い声を立てた。
「リゾットはバリバリのイタリアーノですよ。お茶目でキュートでやさしい」
「わしの知っとるリゾットと君の目に映っとるリゾットにはかなり齟齬があるなァ」
「私の方がリゾット歴が長いので、私の完勝」
「ウム……否定はできん。何年じゃったっけ?」
ポルポが親指を立てた。6年は長く非常に感心したが、先ほどからリゾットがひと言も発しないのが恐ろしい。自分についてどんどん話が膨らんでいくことを好むようには思えない。手早く切り上げるべきだと感じ、ジョセフは大げさにポルポの頭を撫でた。
「仲良しの邪魔をすると馬に蹴られるな、わしは承太郎を探して来よう。それじゃ、スマンかったな」

ひとしきり煙草の煙を吐いた承太郎は、途中から合流したジョセフと並んで部屋へ戻っていた。
例の車両の前でジョセフは突然足を止める。おい、と文句をつけようとした承太郎は、帽子の陰で瞠目した。
ちょうど2人が立ち上がったところだった。ポルポが空き缶を手に取って顔を上げる。まるでいつもそうしているように身をかがめたリゾットは、何かを言いかけたポルポに口づけを落とした。驚いて背を逸らした女を抱き寄せて追いかけ、もう一度重ねる。鳥が戯れるようなキスだった。
「……」
老爺と孫は無言で、あっさり離れた男女の背中を見送った。
「……リゾットか?」
「だろうよ」
「ほー……」
ジョセフはそれきり何も言わない。
部屋のドアを閉めるまで黙りこくったままで、鍵をかけた瞬間に承太郎に掴みかかった。
「なんっじゃあァありゃあ!?」
「うるせえな……ただのイタリア人だろうが」
「信じられん!信じられん!!」
「テメーのその目で見ただろ」
「ちっとわしはポルナレフの所に行ってくる!」
「勝手にしろよ」
この剣幕で落ち着きなく絡まれるポルナレフを憐れんでから、承太郎は読み止しの漫画雑誌を開いた。
腕時計はゆるやかに、夜の訪れを刻んでいた。


夕食の時間を迎え、外の暗さで窓が鏡のようになる。私たちの横顔は列車に乗ったままスルスル景色をやり過ごしていた。緊張も続いているが、どんな時だってお腹は空く。
全員がほぼ同時にワイングラスを手に取った。軽く掲げ合う。
ポルナレフが香りを嗅いで、ふふ、と笑った。ジョースターさんは片眉をしかめ苦い息も混ぜている。彼らが日頃楽しんでいる嗜好品とは雰囲気が違うようだけど、それに対する反応は二者二様で見ていて興味深い。
リゾットはどうかなと横目で窺ったらひと口飲んだ彼も私を見たので、ぱちりとアイコンタクトをした形になった。以心伝心じゃん、やったね。美味しがっているのか不味いなと思っているのかはわからなかった。私は赤ワインならばこういう口当たりよりももっとどっしりしてる方が好きかな。もうこの辺りは好みの問題だから、異国の列車で提供されるボトル一本で意見が合致する方が稀だろう。アヴドゥルさんはジョースターさんに向けてワインのフォローを入れていた。
「悪くない味ですよ」
「そりゃあ解っとるんじゃよ。ポルポはどうだ?」
「可もなく不可もなく。リゾットはどう?」
話題を振った瞬間、アヴドゥルさんと花京院くんがガッと構えたのがわかった。特に花京院くんは態度が顕著だ。ナイフの動きを一旦止めた。すぐに何事もなかった感じを装っているけど、斜め向かいにいる私にも、真正面にいるリゾットにも、彼の緊張は明確に伝わっている。プルプル、リゾットは悪い人じゃないよ。任務がなければ無害なおにいさんだよ。たまに無言でからかってくるけどお茶目さと思えば問題ないしむしろご褒美。
一挙手一投足を見守られていても、イタリア人は狼狽えなァい。
「可もないし不可もない」
あんたそれ絶対面倒くさくて私の答えにかぶせたでしょ。本当にどうでもいい味だったんだろう。ソルベとジェラートの料理だとかペッシの新作だとかにはちゃんと感想を言っているから、たぶんだけど、特筆すべきことがないどころか筆も執れない味に感じられたんじゃないかな。リゾットの好みは、ないように見えて結構激しいってばっちゃが言ってた。
もうひと口飲んで、やっぱりプラマイゼロな味だなと思う。リゾットはそのままグラスを置いてしまったので、アヴドゥルさんがリゾットの性格をより呑み込んだというか、本当に余計なことは喋りたくないタイプなんだなと認識した音がした。ゴトリと。
ぎこちない空気をどうにかしたいけどどうにもできない。手を出したくないし近づきたくない。そんな顔をする花京院くんがおいしくなさげにお肉を噛む。口の中でゴムを転がしているような顔だ。リゾット拒絶されすぎワロタ。何回も考えているけど、この二人はマイナス×マイナスというよりはマイナス+マイナスだ。どこまでも深みに突っ込んでずぶずぶ沈んでいく感じ、好きだよ。
しかし私が深淵を覗く時、深淵もまた私を覗いているのだ。他人を分析すると同時に自分にもブーメランのダメージがくる。わ、私は会話が得意だもん。本当だって。独り言ばっかり言ってるわけじゃないし、下ネタまみれでもないし、ど、どど童貞でもないんだから。いや童貞っちゃあ童貞だけど……。
「わたしたちはこれから長い時間を共にするわけだが……ウム、どうだろうか。この辺りでお互いの情報を交換すると言うのは?」
「ああ、それが良いな。まずはアヴドゥル、君から教えてくれ。好きな物は何だ?」
大人2人組が場を先導する。素晴らしい流れで一気にお見合いの空気になった。私も本腰を入れて話に参加しようじゃないか。でもその前に人参のグラッセを駆逐させてください。
アヴドゥルさんはワインをぐるぐる回しながら少し悩んだ。
「わたしは……チャーイと寿司が好きだな。天気はやはり晴れの方が良いし、きちんとした態度をとる者も好ましいと思う」
「まったく、オカタイ男め。わしは音楽とか漫画集めが好きだぞ」
「えっ、ジョースターさんも漫画が好きなんですか?」
わざとらしくやれやれと首を振り肩を竦めるジョースターさんに思い切り食いついた。細かいところは憶えていなくて気にしていなかったけど、そうだったのか。私はジョースターさんの漫画コレクションのラインナップ(ハンパなかった)を聞いて何度も頷いた。なるほどなるほど、思わぬところで同志を見つけた。集めているジャンルは違えど、大まかに言えば『漫画好き』という同じ括りだ。
「んじゃあこの流れでポルポの番にしようかの」
私はわかりやすいですよお。暗殺チームと護衛チームとおいしいものと漫画とゲームとぐうたらするのが好きだ。語彙も好みも単純で実に説明が容易なので、ざっくり前2つを省いて言った。
しかしこれだけだと『打ち解けたい』というアヴドゥルさんの要望には今一歩足りないだろう。突っ込んで、ぺたりとリゾットの腕に触った。
「リゾットちゃんの可愛いところも好きですよ」
ジョークの一環だったから良いものの、彼らの反応は一様に唸りが混じっていた。
「カワイイ……ねぇ」
「可愛い……ですか……」
「……」
「いや、一概に否定するのは良くないぞ」
「アヴドゥルの言う通りだ。このリゾットにも可愛いところはあるのだろう、最もリゾットをよく知るポルポがそう言っているのだから」
「いやいやいや、あるどころか全部可愛いですよ。挙げます?」
「夜が明けそうだからいい」
私を何だと思ってるんだポルナレフは。そんなことしたことないんですけど。
ザワ……ザワ……したあと、まあ人の感性は様々だからな、と結論づけられた。本当に正直だ。アヴドゥルさんとポルナレフの苦い笑いが心の慰めだよ。リゾットは私を放置してブロッコリーを食べているけど、こう見えてハートにひっかき傷がついているかもしれない。もしそうならアフターケアは任せて欲しい。傷、ホッチキスでパチンって留めるから。
「僕はチェリーと」
「知ってるぜ」
「じゃろうな」
花京院くんが口を開いた瞬間、ジョースター祖父孫からのツッコミが入って人参が変な所に入った。げほげほ言ってリアル涙目。
彼らのこの辺の気軽さが好きだ。花京院くんも彼らの合の手で「反応が早すぎますよ」と笑って多少は気持ちが緩んだようだった。リゾットから視線を外している時の花京院くんが安心しすぎていて、少し切ないと同時に微笑ましくなる。好き嫌いはともかく、無関心でないのはいい。振り幅がデカい方がインパクトがあって印象に残るし、何か知らんが挽回などはこれからすれば良いのである。
でもここまで敬遠されていると、改めてメタリカの怖さが察せられる。リゾットから本気で命を狙われて生きていたこの4人が恐ろしいよ。スタクル、ハンパなく強い。結果としては全員無事だったが、実際に攻撃された彼が近づきたくなくなる気持ちは理解できる。射程内にいたくない、とかさ。ビアンカのスタンドも射程は短いから、私も最初の方はいつ殺されるかとビクビクしていた。今はいつ食われるかとビクビクしている。
花京院くんの自己紹介が終わり、視線が承太郎くんに向く。彼は物凄く短く、ライスの合間に「相撲」と答えた。意外と言えば意外で納得と言えば納得な答えにきゅんとしたので素直に告白したが、承太郎くんは何も言わない。くっ、私が好きになる人は四割がこんな感じでツレないんだよな。好きだよ。フーゴちゃんとかアバッキオとかリゾットちゃんとかギアッチョちゃんとかイルーゾォとかプロシュート兄貴とか、クールな性格を振り向かせたくていつもあれこれ世話をしてお金をかけてにゃんにゃん言わせるようにしている。アレ?これってダメ男の発想か?金があれば人の心を買えると思ったら大間違いだぜ。私はいくら積まれてもなびかない。いや、ちょっと待てよ。でもボスにお金と作品の空輸をチラつかされてぐらりと傾いたな。おかげさまで土台が出来上がったけど、最高にやりたくない仕事を任されるようになったってことは私も金で買われたと、いやいや、考えないでおこう。心までは売ってないってことでいい。んんん?じゃあ身体は売ったのか?それって大草原な表現じゃね?怒られるし、このネタはリゾットとポルナレフ以外には通じないので心にしまった。ありゃあ正当な報酬だ。人の命に値段をつけてるえげつなさはあるけど、こっちも生きるか死ぬかの瀬戸際だったので、『受けない』選択肢を排除し賭けに挑んだ人たちの自己責任と思わせていただきたいところ。まあ、受けない選択をした人がその後どうなったのかは、知らないんですけど。閑話休題。
「リゾットの好きな物は?」
何を食べても無感動だけど存外好みが激しい話はつい先ほどもしたっけか。親しい人間が作った分には手を付けるけど、自分ではあまり調理しない食べ物とかもあるもんね。それがピーマンと人参だったら私は頭の中に桃色を咲かせ悶えまくってリゾットを愛でるんだけど、残念なことに彼はどちらも普通に食べられる。私が作るピーマンの肉詰めも、今このお皿に乗っている人参のグラッセも、何も問題なく口にしていた。今は話を聞くために銀食器を置いているけど、動きによどみはなかった。
「俺は無駄なことがなければ、言うほどのこだわりはない」
「『ポルポ』って言ってくれないの?」
「……」
これは海魚だったが川に放流しても大丈夫かな、みたいな目で見られたのでごめんと言ってワインを飲んだ。
「成程。……突っ込んだことを訊いて失礼だとは思うが、すまない。君にとってわたしたちとの会話は無駄なものだろうか?」
真っ直ぐ切り込んだのはアヴドゥルさんだった。これが本題だったらしい。
真剣に問われても、リゾットはかけらも動揺しない。図星だと狼狽えることも、心外だと眉根を寄せることもなかった。
「そうは考えていない。ただ、ここはお前たちのコミュニティだろう。ポルポはともかく、俺が加わる必要があるのか様子を見ているだけだ」
「そんなっ、……いえ……、すみません」
花京院くんが何かを言おうと口を開き、すぐにやめた。たぶん、「そんなことはありません」と同じスタンド使いを歓迎しようとしたのだ。だけど相手への苦手意識を思い出して躊躇した。苦悩する青年が落ち込む様ったらもうたまらにゃい。花京院くんのぴょこんと伸びる前髪ごと頭を撫でて原初の海に還りたい。ほわあああ可愛い。
リゾットはどんな反応をしているか、全員に紛れて顔色を見ると、彼は平静極まりなく花京院くんの逸らされた視線を掬い上げていた。少しだけ目を眇める。あの時に何を考えたのか後から訊ねてみたのだけど、なんとまあ彼は一度護衛チームと食事をした時に(意味が解らない組み合わせ過ぎて腹筋がヤバかった)ブチャラティから似たような言葉をかけられたそうだ。やはりどちらも『白』であるということか。そんな中、リゾットへの対応を行わず爽やかに微笑んでいたジョルノ様の強さは言うまでもなかろう。あの子はしれっと野に吹く清涼な風のような顔をしておきながらえげつなく人を放置する。
ぎこちない空気は最後まで払拭されなかったけれど、リゾットが持っている考えは誰しもが知ることとなった。これをきっかけに会話が増えたり、リゾットとスタクルが肩を組んでお酒を飲めるまで進行すればディ・モールト人生が楽しいんだけれども。ああ、うん、あり得ないのは知ってる。



そういえば花京院くんがあんまり目を合わせてくれない。なんでやねん。
「ん?……ああ、それはたぶん……」
暇潰しにポーカーで私と遊ぶポルナレフが、花京院くんの荷物を見てしばらく考えてから教えてくれた。リゾットと私がただの友人ではないと知って困惑しているのだそうだ。なぜ彼が惑う必要があるのかわからず「んん?」と唸る。
私もたまにしみじみと、マジでなぜリゾットが私と付き合っているのか不思議になることがある。リゾットってば、私がセクハラを仕掛けてもやんわり回避するし、たまにされるがままになってくれるし、家事もやってくれるし、仕事が煮詰まっているとお茶を淹れてくれたり、自分も忙しく疲れているだろうに大人しく抱き枕になってくれたりするし、優しすぎるんだもん。イタリア人ってみんなそうなのかな。同居するようになってからも付き合い始めてからも変わらないけど、膝枕をしてくれるし、ノーブラで抱きついても叱るだけだし。あっ叱られてるわ。でも冷静な叱り方だから叱られている感じがしなくて反省しなかったんだわ。ごめん。数日は改善したんだけど、ごろ寝する時にあの拘束具は邪魔なんだ。
超絶稀にだけどゲームにも付き合ってくれるし、一緒に本を読んだり散歩に行ったり買い物帰りに荷物を持ってくれたりもする。くだらないわがままも仕事をしたくねえ私のぐだぐだにも耳を傾け、右から左に受け流してくれる。チームのみんなへのケアも手厚く、体調の変化にすぐ気がつく。口では様々言われていても確かに慕われ、信頼され、人間性や能力を認められている。どうしてだか私が嬉しくて仕方ないよ。筋肉もがっつりついていて、背も高くて、落ち着いていて寡黙。でも喋るとたまにすっとぼけたことを言う。たぶんわざとで二割が天然だ。何なんだよお、完璧かよお。主観がいっぱい入っているし、几帳面かつ面倒くさがりなかほりをひしひしと感じる場面もあるが、リゾット・ネエロはスゴイ。きっと私よりもカリスマがある。
本当に、どうして付き合ってくれてるんだろう。不思議。しかも6年も一緒にいたのにまったく辟易した様子がない。お前の懐は53万あるのか?
実に難解な謎だが、これはリゾットに直接突きつけるとしよう。
で、なにゆえ花京院くんが困惑しているのだったか。私の困惑とは意味合いが明らかに違いそうだぞ。
「君たちと私たちの……花京院と私の部屋は向かい合っているだろう。うっかり何かをしてしまわないか心配しているようだ」
「え?何かあるかな?」
ナニかをするのは花京院くんじゃなくて私たちなんじゃないのか。DIOの呪縛によって隔てられ、劇的な展開を経て――かっこわらいかっことじ――再会した恋人同士が密室でやることを考えれば、定石はこの辺りだ。
「セッ……」
「ポルポ」
「はい」
ぴしゃっと怒られたので途中でやめた。
思春期の青年は薄いドアの向こうに濡れ場を見つけてしまわないかと神経をすり減らしているらしい。そんなに気にしなくてもやらないのにね。例えば私がすんごくムラムラしていたとしても、彼の意欲が湧かないと思うよ。知らん時代だし、先のことを考えれば気も萎える。そも、私もムラムラしてないし。普通に考えて何も感じなくね?
「あの年頃の青年はそうは考えないんじゃないか?」
「ん?ポルナレフの経験談?」
「……否定はしないが……」
そっと顔を逸らしたポルナレフが可愛かったのでげらげら笑ったら批難いっぱいにまた名前を呼ばれた。はあい、すいませェん。
花京院くんも多感なお年頃だ。彼なら本当に紳士的な配慮もありそうだけど、邪な目で見ると心がくすぐられる。からかいたくて仕方がないですね。でも嫌われちゃいそうだからやらないぞ。花京院くんに嫌われたら根深そうだし癒しがひとつ消える。つらい。
だから目を合わせてくれないのかー。納得し頷いた。ついでに肩が凝ったので胸ポジを軽く手で直した。ポルナレフが礼儀正しく目を逸らした。こういう大人な部分を見ると切なくてさあ。もっと見ていいんだよ、私のおっぱいはタダだよ。胸ポジなんてみんな直すけど、夏に薄いブラウスを身につけた女子学生が汗でうっすら透けブラしながら直すブラポジの貴重さと尊さに比べれば、私の胸ポジなんて完璧パーペキパーフェクトにどうでもいい話だ。そう思わないかい碇シンジくん。
ポルナレフは二枚捨てて二枚引く。カードを開き、勝利の雄たけびを上げたのは私だった。ワンペアでポルナレフに勝てたわ。絶対に無理だと思っていたのに女神は私に微笑んだ。部屋を出る前にリゾットがいってらっしゃい的なことを言ってくれたのが効いたのかもしれない。
「弁解をする必要はないが、部屋割りを変えるようにジョースターさんに頼んだ方が良いかもしれないな」
「青少年のメンタルは大事にしないとね」
「ついこの間まで、私の周りにはこういったことで悩む人間は居なかったから、なんだかすごく懐かしいよ」
目を細めて愁いを見せたので、私はカードを一山にまとめて角を揃え、とん、と音を立てた。そうだね、みんな寛容だし、イイ意味で図太いもんね。私もこうして理由を教わってみると新鮮で感心するよ。イタリアと日本の違いなのかギャングと学生の違いなのか、調べるつもりはない。興味もちょっとしかないし。
カードをまとめ、横目で花京院くんの荷物を見た。後で無理やり目を合わせたら可哀想かな。近所のおばさん、あるいは親戚の集まりで会い悪質に酔っ払ったオッサンから繰り出される下ネタ攻撃と同レベルの考えを抱えながら、手札を整える。次はフルハウスを目指してコテンパンに負かすとしよう。