05 再会はディナーの前に


ホテルの設備が懐かしい。ちょっぴり硬いマットレスとぎこちないスプリングを軋ませ、真っ白なシーツの上にダイブするのはシャワーの後だ。同室の家出少女ちゃんに一緒に入ろうかと持ち掛けると、今までになく色よい返事があった。彼女も早くお風呂に入りたいのだ。
「アンは手足がすらっとしてるね」
「……そーいうポルポは胸がデカイわね」
「ははは、まあそれほどでもあるよ」
並んで服を脱いで、海風で傷んだ髪を洗い身体の汚れを落とす。備え付けのシャンプーの香りから始まった話は香料の素当てゲームになだれ込み盛り上がりを見せた。それから美肌効果のある食べ物しりとりをして茹だるまで遊ぶ。しりとりには勝った。
身体を拭いて、簡単に脱ぎ着できるワンピースに着替えてしまう。さっきまで着ていた服は、ジョースターさんたちと同じようにホテルの洗濯サービスをお願いしている。旅はまだ始まったばかりだけど、過酷さで言えばかなりのモンですよ。ネアポリスからローマまでの旅だってこんなに過酷じゃありませんでしたよ。なにせあの時はプロが2チームも揃っていたし、私もお金を持っていたから、列車も車も多少乗り心地の良いものを選べたもので。
ベッドの上であぐらをかいて少女と一緒に観光パンフレットを開く。列車のチケットは明日に買うらしいので、我々は今日を少しだけ自由に使える。遊びに出かけはしないけれど、こうして見て夢を膨らませるだけでも充分楽しい。私と家出少女は安心安全なホテルでのんびりと束の間の休息を得ることにした。
シンガポールでも敵襲があったように思うのだけど、確か対象はポルナレフだ。
彼は部屋割りの時にこう言っていた。
「彼女たちを私と同じ部屋にはしない方が良い」
ポルナレフと家出少女、そして私を同室にしようとしたジョースターさんへ向けての言葉だ。首を傾げた私たちに、ポルナレフは苦い表情で続けた。敵襲があるからだと気づいたのは、もちろん私だけだった。
「どういう意味じゃ?」
「その、危険だろう。私は体格もある男だし、彼女たちは……抵抗できない女性だ」
「……何を言っとるんじゃこいつは?襲う気があるのか!?」
「いや、ない!誓って、ない!」
「だろうなア。何を心配することがあるんじゃ」
彼の態度が香港から今まであまりにも紳士的だったものだから、そういう意味でのジョースターさんからの信頼がMAX。笑うまいと必死に我慢した。説明しづらそうなポルナレフが可愛くて仕方ない。あとその言い訳は苦しい。
「と、とにかく……、女性が男と同室になるのは良くないだろう……」
そんなポルナレフの苦労を経て、私たちは女2人だけの部屋を与えられることになった。
彼なら一度この事態を経験しているのだし、問題はないだろう。楽々やり過ごして敵の鼻に小指を突っ込むくらいはやってくれるに違いない。テキトー過ぎかな。一人部屋で大丈夫なの、と目で訊ねてみたところ、しっかり頷いてもらえたので心配はないと思いたい。
「あたしたちだけでいるのもなんだか不安ね。不思議なことがたくさん起こっているから、あの強い人たちと一緒にいた方が安全でいいんじゃない?」
少女は上目遣いで私の顔色を窺った。反対する理由もないので、ルームサービスで飲み物を楽しむのはジョースターさんたちの部屋に行ってからにしようと決める。観光パンフレットをベッドに投げっ放しにして身体を起こした。
靴に履き替える前に、ベッドに胡坐をかいたまま受話器を取る。短縮番号は何だったかな。うっかり押し間違えてエステサービスかなんかに繋がっちゃったら大変だ。欲望に負けてマッサージを受けてしまうかもしれない。私はデスクワークが得意なタイプなので筋肉痛に悩まされていた。早めに痛くなったことを嬉しがればいいのか、体力/Zeroの自分を殴ればいいのか。
部屋番号を押してしばらく待つ。とぅおるるるるん。当たり前だが、ボスじゃなくてアヴドゥルさんが出た。
「これからそっちに行っても良いですか?」
「何かあったのか?」
「ただちょっと寂しくなっちゃって。ずっと賑やかだったから」
それらしい理由をつけたのが面白かったのか、アヴドゥルさんは1212号室で微笑んだようだった。
「ははは、なるほど。君たちがそれで休まるのなら、わたしたちは構わない。待っているよ」
少女に向かってウインクすると、彼女はパッと顔を輝かせた。
ポシェットに手荷物をまとめて靴を履く。
「おやつも食べられたら嬉しいね」
「そうね!シンガポールって言ったら何かしら……」
部屋を出た私たちは、ルームキーをポケットに入れ、ドアに背を向けた頃に部屋の電話が鳴ったことには気づかなかった。
それにしてもポルポ、適当に言い過ぎじゃない? 電話でアヴドゥルさんに告げた訪問の理由をアンに突っ込まれ、苦笑する。鋭いね君。

電話が鳴ったことに気づかなかった私たち。女子2人は踏み心地のいい絨毯に足跡をつけ、実に優雅に、何の障害もなく廊下を進んでいた。
身振り手振りを交えて食べ物の話をしていると空腹を思い出す。ホテルの上階から青空とシンガポールの街並みを眺め食べる優雅なおやつはどれほどおいしいだろう?国には合わないかもしれないけれど、ちょっぴりイタリアのおやつも懐かしい。ジェラートくらいなら普通に注文できそうだから、そのあたりを攻めるとしようか。
「ポルポさん!」
ジョースターさんたちの部屋が視界に入った時、花京院くんの声が私たちの背中をぶっ叩いた。朗らかさいっぱい、爽やかで若々しい声だ。
振り返ると、背のある学生が2人こちらに向かってくる。人のいない廊下でとても目立つ青年たちだ。家出少女と手を繋ぎながら、ナニナニ、と首を傾げた。一体どうした。君たちもジョースターさんの部屋に行くのか。訊ねると、承太郎くんが頷いた。
「どうせ部屋に居ても寝るだけだ。ジジイに今後のことを聞いておきたい」
「そうだね、先は長くなっちゃったしね。……おやつが食べたいって言ったら食べさせてもらえると思う?」
「もらえるんじゃないでしょうか。ジョースターさんは優しいですし」
「一緒に食べようよ。シンガポールって言ったら何だと思う?」
「さあ、僕はこの辺りはさっぱりで……。ですが、ホテルはこちらの方がずっと豪華だから、香港よりもぱあっとしたものが出て来そうな気がしますね」
「確かに。ルームサービスにさ、丸い蓋がくっついてたりして」
アンが感激した。
「そんなの本当にあるのォ!?あたし、俄然楽しみになっちゃった」
「ご飯の時は見たことあるよ」
シンガポールには来たことがないからわからんけど、そういう雰囲気はあるよね。
ああでもないこうでもない、ととりとめなく話をする。珍しく承太郎くんも相槌を打ってくれたので余計にテンションが上がった。
そうこうしているうちにすぐ、ジョースターさんの部屋に到着する。
ノックされても気づけない程度には厚い扉の向こうで何が起こっているか、私たちにはさっぱりわからない。ジョースターさんが半裸腰巻一丁で踊っていたとしても、アヴドゥルさんがエジプトの民謡を歌っていたとしても、まったく何も感知できなかっただろう。自分で言ってて何だけど、それ滅茶苦茶見たい。
承太郎くんの慎重な性格も、ここには何も見つけなかった。ジョースターさんとアヴドゥルさんが居るだけだし、まさかこの短時間で敵襲を受けているなどとは思いもよらなかったのだ。
聞こえないだろうなと思いつつも、呼び鈴を押す前にノックしてもしもーし。
「……」
「はい」
承太郎くんの圧力に負けて大人しくチャイムを鳴らした。この時、扉の向こうのジョースターさんたちに走った戦慄はいかほどのものだっただろうか。
「ジョースターさん?僕たちです、一緒に来てしまいました」
返事はなかった。後から思えば、返事をできる状況ではなかったのだろう。待てど暮らせど、誰も現れなかった。
「何か……変だ。返事がない。確実に部屋には居るはずなのに」
「スタープラチナでぶち破るか?」
私たちはドアから距離を取った。その発想が怖い。
「待ってくれ、承太郎。考えられないが、もしかすると手が離せないのかもしれない。ドアの下に隙間がある、そこからハイエロファントグリーンを這わせ……、うッ……」
花京院くんが、呻いた。私たちは異常事態にさらに一歩退き、承太郎くんは一歩踏み出す。
花京院くんは身体をくの字に折り曲げた。腹を押さえ、いや、喉を、胸を押さえてハイエロファントを自分の身体の内側に這わせているようだった。スタンド使いの干渉があることはもはや明白。ジョースターさんたちは襲撃され、のこのことやって来た私たちも攻撃を受けている。わかっているけど、いったいどんなスタンドなのか、想像もつかずに頭だけがぐるぐると回る。花京院くん吐きそうなの、大丈夫?洗面器はないけど背中をさすろうか。
無駄に考えている場合ではないが、私も混乱していた。なぜならこの場面で、ジョースターさんたちを襲うスタンド使いなど居ない筈だったからだ。シンガポールってデーボとハンサム顔だけだった、はず、なんだけど。
戦力が分散する今が好機なのはわかる。だからこそエボニーデビルはたった一人で部屋を取ったポルナレフに狙いを定めた。でも、だからってなぜ、今ここで。
花京院くんの腹の底から胃液がせり上がり、喉元の異物を外へ流した。
「うええええッ!」
「きゃああああッ!!」
少女が悲鳴を上げた。私も悲鳴を上げたかった。花京院くんは血を吐いていた。承太郎くんはすでにスタープラチナを具現化させており、いつでも姿の見えない敵を殴る準備をしている。もしかすると部屋の中にいるのかもしれないが、目標も見えないのに正確に花京院くんだけを標的に据えられたのなら、こちらの見える場所に隠れている可能性が高い、と判断したのだ。
原作を読んだ記憶があり、断片的に現実と紙面上の情報が混ざり合う私は、この場面で何のアドバンテージも取れなかった。頭がフットーしそうだよぉ。実際に、恐怖と困惑でカッと喉元から頬にかけてが熱くなる。絨毯の敷かれた床に落ちたある物を見て、表情が引きつる。おいこれスタッフ。
私、これ知ってる。
あえて言おう。
私はこのカミソリの正体をすべて知っている!メタリックで鉄分がヤバくて完全犯罪的なところから名づけて、それは。
「に、逃げ、いや、承太郎くんッ!10m以内にいる!います!絶対にいる!いるけど姿が見えない可能性が微レ存!いや、微粒子じゃない」
「何を言っているんだ?知っていやがるのか」
「ちょっと待って私も理解できない。でも、知り合いだと思う。落ち着いて……えー……誰か時間を吹っ飛ばせたりしない!?」
「テメーが落ち着け」
「何、だって……ポルポさんの知り合いにはDIOの手下が……?ではまさかあなたも……ッ」
「いや、今はそういうのは置いとかない!?違うしね!?」
私の事情なんかどうでもいいだろ。
「……っ、リゾット!」
NDK?
景色に溶け込めるリゾットを(ただでさえプロなのに)見つけられるとは思わなかったが、なぜかその時、メタリカと思しき能力が止んだ。
血をぼたりと口からこぼし、花京院くんがハイエロファントをふるう。超長距離型スタンドの触角が索敵に回り、素早く廊下を這ってゆく。ぎらりと瞳が光った。
曲がり角の景色がぐらりと歪む。実に人の多いホテルだったが、幸運なことにこの廊下には誰も通りかからなかったし、誰も部屋から出てこなかった。まさか邪魔されないために全員……その……そのようなアレはしてないですよね、と不吉なことも考えたが、今はただの雑念だろう。声震えてないよ。
なぜリゾットがここにいるのか。なぜDIOの部下としてここまで出張して来ているのか。くそー、そんなの浮気じゃん。君は私の部下だったはずじゃん。乗り換え反対。
はたして本当にリゾットなのか、と希望なんだか絶望なんだかわからない疑問が立つが、ごたごたもなく解消された。触手に捕えられ引きずり出されたスタンド使いはスタープラチナに一撃される前に承太郎くんを攻撃したが、身に纏う鉄粉がはがれ落ち、垣間見えた姿は、間違いようもなく。
「リゾッ……」
「オラァ!!」
言いきれなかった。
雄叫び一発、スタープラチナの渾身の拳が、拘束するハイエロファントの触手ごとリゾット・ネエロのどてっぱらにぶち込まれる。ぶっ壊すほどシュートってやつだ。これリゾットの内臓大丈夫か?巻き添えで花京院くんが腕を押さえた。
「い、痛いぞ承太郎……」
「悪いな」
私レベルの悪びれない口調だった。もうどうにでもなれ。
遠い目で現状を俯瞰し、現実から逃げ出した。こんなところにいられるか、私は部屋に戻らせてもらう。
ああそういえば。
「……ところでこの血と刃物の混じった吐しゃ物を見てくれ。こいつをどう思う?」
「強敵、でしたね。恐ろしいスタンドだ」
「……そうだね……」
すごく……隠ぺいに困ります……。


突然だがここで説明しよう。眼鏡と指示棒を持っているつもりで、くいっとこめかみのあたりで手を動かす。
リゾット・ネエロは距離を取って暗殺するタイプだ。気配を殺し、身体に鉄をまとい周りの景色と同化しつつ、スタンドの射程圏内から慌てず騒がず能力を発動する。相手は異様な痛みと現象に見舞われながらジ・エンド・オブ・人生。よって彼の姿は、暗殺対象のみに留まらず、パッショーネという組織内でも謎に包まれたままだった。表舞台に立たないチームのリーダーだからと言って、ここまで存在が明るみに出ないのも珍しい。服装は目立つのにね。目立ちまくりなのにね。サルディニアの流行を先取りしすぎである。サルディニアの流行などは知らんけど。
それが彼の戦い方だった。
ではなぜ彼はまとめて全員を片付けなかったのだろう。ここにやって来てジョースターさんの部屋を訪ねた時点で、私たちはスタクルのメンバーだとわかる。明らかにホテルマンではないし、隣の部屋からご挨拶にやってきました、とか、アヴドゥルさんが民謡を歌う声がデカすぎて眠れません、とか、そんな話とも思えない。
室内のジョースターさんとアヴドゥルさんは瀕死だった。あとは放置プレイでおうちに帰るつもりだったのか、最後のとどめは刺されていない。もしかするとアラホラサッサとやる前に私たちが来たもので、集中を途切れさせざるを得なかったのかもね。幸運だった。……誰にとっても。
少し遅れて部屋に入ったポルナレフは無傷だった。びっくりするほど無傷だった。敵襲があったなんて信じられないほどだ。
「おお、ポルナレフ。お前は無事だったか」
ジョースターさんに心配され、ポルナレフは目を丸くした。部屋のベッドには見たことのある男が寝かされ、その上に屈強な男子高校生が馬乗りになり、血反吐を吐いた男性3人が彼らを見守りながらぜえはあ言っているのだから、そりゃあ驚く以外にどうすりゃいいのかわからないだろう。可哀想だからベッドに寝かせてあげて欲しいと言ったのは私だったけど、ついでに「起きると危ないかも」と伝えたのが悪かったのかな。承太郎くんがマウントを取ってしまった。鍛え上げられた暗殺者に対して、鍛えただけの青年がどうにかこうにかできるとは思わないので、むしろ私はハイエロファントでの拘束を望んでいたんだけれども、ま、まあ、君がそうしたいならいいんじゃなイカ。
「あ、あぁ……。敵襲はあったが、問題はない。それより、いったい何があったんだ……部屋が血まみれじゃないか」
そこかよ。
「こちらも襲われたのだ。恐ろしいスタンド使いだった。どうやら肉の芽が埋め込まれているようで、ポルポが知り合いだと言うから、今摘出を試みているところだ。できそうか、承太郎?」
「いつもと何ら変わりはねえぜ」
スタープラチナが肉の芽の突起を掴み、一息に引き抜いた。呼吸を取り戻しある程度回復したジョースターさんが波紋疾走オーバードライブでDIOのかけらを消し炭にする。波紋って便利だ。窓から射し込む陽光も肉の芽の消滅に一役を買ったのかもしれない。
ところで肉の芽っていうのは太陽光に当たると消滅してしまうんだよね。電灯の光じゃダメで太陽光ならオッケーっていうと、例えばUVカットのレースのカーテンを閉めていたら無効になったりするのかな。ジョースターさんに訊いてみると、「それなら吸血鬼は日焼けできんなあ」と笑っていた。紫外線照射装置が吸血鬼に有効だと知っている彼のジョークだとは、残念なことに気づけなかった。
「承太郎、そいつは起きそうか?」
「さあな……まだ目は開かねえぜ」
「寝たふりをしている可能性が微レ存じゃない?」
起きないはずがない。ソルベとジェラートの殺人キックを食らっても攻撃に転じたと噂のリゾット先輩だぞ。スタンドの一撃だと、また違うのかもしれないけど。鉄格子さえ歪められるスタープラチナのパンチで内臓がやられていない奇跡を噛み締めておこう。リゾットがズタボロになっていると、紙面で読んだ光景を思い出してむせび泣いてしまうからな。ちくしょー、ボス恨む。この世界では関係ないけどボス恨む。
「ポルポさん、あなたはさっきも『微レ存』と言っていたが、いったいそれは何の略なんです?」
「こっちの話だわ、ごめん。ちょっとしたイタリアンジョーク、みたいね。ははは……」
突っ込まれてしまった。ネットスラングの多用は良くない。普段はわかりやすいものは使わないのにうっかり出てしまった。癖とは恐ろしいね。居た堪れない気持ちでいっぱいです。花京院くんはあんまり使わないでいてくれたらおねえさん嬉しいなあ。
ちなみにイタリアンジョークではないことは、この場にいる2人にはばれている。ポルナレフとリゾットね。リゾットは絶対起きてるでしょ。彼は寝たふりが上手な仔猫ちゃんだ。それで何度痛い目を見たか、思い出したくない。
「……あの、ちなみにお訊ねしますけど、生きてる?」
「力加減は間違えてねえ」
「そっか、疑ってごめんね。……リゾット、起きて。どういうことなのか事情を突き合わせよう」
ベッドに近寄ると、家出少女が私のスカートの裾を引っ張った。危ないわよと怯えた声で心配される。大丈夫だよ、肉の芽は抜いたし。私についての記憶がなかったら死ぬけどな。うっ、考えてつらくなった。誰かここにホルマジオを呼んでー。ひたすら私の心のケアに努めてもらいたい。
「そ、そっか。知り合い……なのよね。あっ、だから躊躇した、ってこと?」
「え?」
「どういう意味じゃ?」
ジョースターさんが首を傾げる。
少女は続けた。
「だって、ポルポがあたしたちに叫んだら攻撃が止まったわ。それってポルポに気づいて止めたってことじゃあないの?」
アヴドゥルさんとジョースターさんが顎に手を寄せる。ふむ、と考え込み、2人の間でアイコンタクトが交わされた。ついでにぽつりと呟きが落ちた。
「知り合いとはいえ、肉の芽に支配された者が躊躇するとは。ポルナレフの時と言い、やはりポルポには不思議な力があるのかもしれんな」
これにはさすがの私も大草原を突っ走って崖から飛び降りかけた。ポルナレフも内心大草原って顔をしている。元はと言えばあんたの説明が原因だよ。やめてくれ、私にそんな便利なスキルはない。こうして誤解は深まっていくのであるな。アルカイックスマイルを浮かべて、しとやかにバンナソカナと主張しておいた。予想外の展開にビビっちまって小さなひきつった声しか出なかったわけでは、ない。
「リゾット」
枕元に手をついて、とんとん、と肩を叩く。
「一度は無理やり起こしてみたいけど、後が怖いよね」
「どうでもいいぜ」
マジで気絶していたらどうしよう。大丈夫なんだよね、と承太郎くんを見ると、とりあえず口元に手をやって呼吸を確認してくれた。承太郎くんレベルになると寝ている人と起きている人の呼吸の違いがわかるのかな。それとも確かめる気なんてさらさらないぜって感じか。前者であれと天に祈る。
すると、その手をリゾットが緩慢に払いのけた。
「お……、起きていたのか、本当に。信じられない」
花京院くんが肩を竦めた。スタプラの猛攻を体験したからこそのこの発言。私でも想像はできる。これが内臓殺しってやつだ。
「ほらねー、ポルポさんの言うことに間違いはないのよ。リゾット、具合は大丈夫?……というか、まず……私を知ってる?」
テキトーに言っておいて、リゾットに向き直る。もしこれで知らないと3回言われてしまったらショックすぎてポルナレフに泣き縋る。
リゾットはしばらく私を見ていた。不安になってきた頃、「知っている」と彼は言った。
「とてもよく」
続けられたひと言に、自分の顔がめっちゃ輝いたのが実によくわかる。承太郎くんがリゾットに跨ったまま、やれやれと首を振ったからだ。26歳ですみません。これでも君より10歳くらい、えっ、10歳くらい違うの。えっ、マジで。ちょっと、マジかよ。やめてほしい。そういう心にクる事実には気づきたくなかった。ブチャラティですら6歳年下なだけなのに。10歳、いや、マジでか。10歳じゃあ言い訳ができない。
一人打ちのめされたが、ちっとも顔には出さなかった、と思いたい。
「確認しておくが、テメー、抵抗するつもりはねえな?」
「状況は理解している。退いてくれ」
「どうする、ポルポ」
承太郎くんが久しぶりに私の名前を呼んだぞ、やったあ。
「私は問題ないと思うけど、承太郎くんがそうしていたいっていうなら、まあ……私としては見ていることもやぶさかではなく」
「オーノーッ!わしの孫はいったい」
「うるせえジジイふざけてる場合か。冗談じゃあねえ、退くよ」
素早くベッドから降りると、大きな革靴を履いてすっくと立つ。承太郎くんはポケットに手を入れたまま、アヴドゥルさんの隣にある椅子にどっかり座った。ポケットから、買ったばかりの煙草を出す。元々持っていた銘柄はすっかり湿気てしまったので、味見がてら新しいものを手に入れたらしい。封を切って一本取り出す仕草がとても格好良かった。格好良い人を見るといつもしみじみ思ってしまうが、この承太郎くんにもショタだった時期はあるのだなあ。ホリィさんが見せてくれたアルバムにおさまっていた写真を私は一生忘れない。可愛かったよ。
そんな戯言を言うと怒られるし(二度と口をきいてもらえなくなりそうだし)、あまりにも脈絡がない。私は起き上がったリゾットに手を伸ばした。手を貸すつもりだったんだけど、そのままギュッと握られてしまった。あの、支えにしてほしかった、いや、なんでもないです。私も握り返した。
「肉の芽を植えられていたみたいだけど、気持ちが悪かったり頭が痛かったり、変なことはない?」
「あぁ」
「そりゃよかった」
リゾットの目が素早く、私とポルナレフを見た。ポルナレフが一つ頷いたその動きは、私からは見えない。見えたとしても、えっなにこの2人は目と目で通じ合うだけの絆があったの、とびっくりしただけだっただろう。
「すまんが、ちょっとわしらだけで話をさせてくれ」
ジョースターさんとアヴドゥルさんは私の事情を知っている。承太郎くんと花京院くんにぶちまけるわけにもいかないので、少しだけ遠ざかって固まる。ポルナレフも事情を知らないと思われているので、青年たちと少女の3人の面倒を見る係りを買って出た。彼には後から私が説明をするつもりだ。
それにしても、まさかリゾットがねえ。
もちろん、私だけが特別だと思っていたわけじゃあない。この言い訳は二度目だな。ただ、まさかこんな怪異が他の誰かにも及んでいるなんて想像していなかっただけだ。これを考えるのも二度目かもしれない。
私で一度、ポルナレフで二度。リゾットで三度。二度あることは三度あるというが、本当にそうだったみたいだね。まさか3人も時間を越えるなんて、タイムキーパーは何をしているんだ。社会の歯車になりたくないのか。
「過去、か」
リゾットがカレンダーを見て目を細めた。季節は冬だ。この旅が終わる頃には、すっかり年が明けているだろう。
西暦と日付を確認した彼が何を思ったのか、私は知らないままだったけれど。思い出さないままだったけれど。
逡巡するリゾットが顔を上げた時には、もう思案の影はなかった。
アヴドゥルさんが問う。
「どうかしたのか?」
リゾットは短く答えた。
「いや、何でもない」


リゾットの同行が決まった時、一番複雑な表情を浮かべたのはポルナレフだった。
「どうしたの、ポルナレフ」
「いや、これからのことを思うと少しな。戦力が増えるのはいいことだが、リゾットのスタンドはDIOに知られている。彼からしてみれば、不利極まりないだろう。襲い来る敵にもその情報が伝わっていると考えるのが当然だし……彼の気持ちを思うと、暴走しないかが懸念される」
「暴走?リゾットが?スタンドの秘密を知る者を全員殺すつもりで挑むってこと?」
「お前は俺を何だと思っているんだ?」
「ああ、すまない。聞いていたのか」
沈黙していても、リゾットの言いたいことはよくわかる。君は次に「この距離だぞ」と言う。言わなかったけど、間違ってはいないはずだ。ポルナレフとリゾットの間には、私を挟んで椅子が2つ分の距離しかない。
「安心してくれ、リゾット」
気を取り直し、ポルナレフはぐっとリゾットに顔を近づけた。間にいる私は邪魔にならないようにひょいと後ろに椅子を傾ける。そういえば、今ではこの2人の年齢差が逆転しているのだな。20代前半と20代後半で、リゾットの方が年上だ。
ここまで考えたところで気が遠くなった。なるほど、私もポルナレフより年上じゃねーの。現実なんてクソだわ。
「安心してくれ。襲ってくる敵は、すべて私たちが倒す」
「そうか」
「君はポルポを守ることだけを考えてくれ」
ポルナレフはお尻を椅子に戻した。もぞりと座り直し、両肘をついてゲンドウポーズ。
「『前回』の記憶では、私たちはかなり苦戦している。知識のアドバンテージがあるとはいえ、すべてうまくいくとは思えない。情けない話に聞えるだろうが、不測の事態が起こった時にポルポを優先して守れるかというと難しいところだ。彼女はまったく戦えないし」
わかっていると頷くリゾットには、まったく躊躇がなかった。むしろ私がひと言添えてしまう。あの、自分のことも大切にしてね。
「もうリゾットだけの身体じゃないんだから」
なんつって。ポルナレフが噴き出した。
「何だ何だ、いちゃついているんじゃあないぞ、まったく。こっちはリゾットにつけられた傷でてんやわんやじゃ。イソジン、効くかなァ」
「しばらくは触らない方がいい」
「君が言うと真実味があるな」
苦笑するアヴドゥルさんはぐったりしている。しばらくフォークを口に入れるのが怖くなりそうだとも言っていた。
そういえば、と私はポルナレフに顔を向けた。
「敵襲があったって言ってたけど、ポルナレフは大丈夫だったの?」
確か、部屋に入って来た時にそんなことを言っていた。傷一つないし髪型も乱れていないからすっかり忘れていたけど、原作通り9階の部屋で襲われたのだとしたら、どんなふうに撃退したのだろう。
詳しくは憶えていないけど、恨めば恨むほど強くなるスタンド使いではなかったっけ。ちょっとでも失敗すれば強い恨みを抱かれ自爆してしまう。
「詳しくは……、……知らないが。身体中に傷があったし、悪魔の暗示だと言っていたからな。何か危険だと思って、一撃で片付けた」
「恐らくそれは呪いのデーボだな」
アヴドゥルさんが敵の特徴を語る。身体中が傷だらけだったのは、相手を恨む為に自分を傷つけさせた結果なのだと。恐ろしいスタンド使いに対しての、ポルナレフの英断を褒め称える。そんな彼に、あまり喉を使わない方がいいぞとリゾットが指摘した。全員が口をそろえる。
「お前が言うな」
同意する他ない。


喉に塗るタイプのお薬で応急処置をしたアヴドゥルさんや波紋の呼吸を取り戻したジョースターさん、九割ゲロりかけた花京院くんと、新しい煙草の味がお気に召さなかった承太郎くんと別れたのち、私は改めて9階のフランス人を訪ねた。あ、部屋の前の廊下はジョースターさんがスピードワゴン財団に連絡をして秘密裏に片付けてくれたそうだ。一時は宿泊客に見つかってホテルが騒然としかけたが、権力とは恐ろしいものである。
メンバーに加入することになったスタンド使いことリゾットは、唯一単独で部屋を取っていたポルナレフと同室に組まれている。この部屋の間取りは知らないけれど、エキストラベッドが入って空間が狭くなっている印象を受けた。この程度の変更ならば容易に行ってしまえるのだから、財団の手当てが厚いというべきか、ジョースターさんのクレジットカードが強いというべきか。くっ、私だってな、これくらいなら元の場所に戻れば浴びるほど。無力さが悔しい。
家出少女は疲れたのか、ベッドに入るとすぐに眠ってしまった。私から色々な話を聞きたいと言っていたけど眠気には勝てないようで即堕ち2コマ。彼女に布団をかけ直し、フラットシューズをつっかけて部屋を出た。エレベーターでごとんごとん。自動販売機のある階でジュースを買った。そのままポルナレフの部屋を目指し、チャイムをぽちり。すぐに鍵が開き、ポルナレフが私を迎えてくれた。こうして、彼の部屋に3人が集う。
「飲んでいい?」
「ああ、気にしなくていい。グラスはここだ」
「ありがとう」
ニコリとしてお礼を言うと、ポルナレフもそよ風のような笑顔を浮かべた。本当の20代だった彼には、決してつくれない表情だろう。
なんでこうなっちゃったのかね、なんて考えるだけ無駄ってものだろう。私たちにできるのは『大いなる旅路』の主流であるスタクルと共にあることだ。寄る辺のないこちらにとって、手掛かりは彼らにあると言っていい。アヴドゥルさんの占いで私が何かしらの役目を持つと予言されたからには、きっとそうなのだろう。彼らの言動に意味のないものなどないと信用しきるのはやり過ぎかな。だけど、たぶんこの世界ではそうなのだ。ジョルノの行動に間違いがなかったように、私の行動が非効率的でぐうたらしていたように、物事には向き不向きと風の流れがある。暗闇の荒野を切り拓き暗雲を晴らす新風は、スタクルとジョルノに吹いていた。私じゃなかった。残念、さやかちゃんでした。
つまりこのままDIOの元まで辿り着くことが、私たちが見いだせるたった一つのシンプルな道筋である。あるいはその途中で、帰れるのかもしれない。帰れなくても、その時に考えようじゃないか。何か、アレでしょ。天才ルッカ様がつくったマシンに乗って空間を移動しようとしたら時空を移動しちゃってうんにゃらかんにゃら、みたいな現象も、スピードワゴン財団の力なら起こせるんじゃないんですか。
椅子に座って脚を組むと、ポルナレフがちらりと私を見た。脚を見た。すぐに逸らされる。彼のお眼鏡にはかなわなかったのか、我に返ったのか。
だんだんと身体の年齢に引きずられている彼は、失った仲間たちに囲まれている現在に複雑な思いを抱くと同時に、確かな感動と喜びもおぼえている。憂愁と諦念で静まっていた瞳は朗らかさを取り戻し、自由な肉体を操る喜びに輝いている。仲間と話す口調は少しづつ砕けてもいる。声を立てて笑う。私がぱっと振り返って見ると、ちょっとだけ恥ずかしそうにしていた。興奮した。いや、余談だ。
そんなポルナレフから敬称を取り去ってくれと『許可』された私も、開けっ広げな口調で下ネタジョークをぶちかます。自他ともに認める打ち解けた空気。
私はリゾットにいくつも話題を振って、空白を埋めんとする。あのね、とか、あのさ、とか、とりとめのない話を何度も切り出す。リゾットは一つ一つ相槌を打ってくれた。
「ねえリゾット、そういえば私……」
まだ短い旅の間にあった出来事をすべて話すには、一晩では足りなすぎる。集まった目的も違うしね。私たちは今後どうあるべきか、それを相談する為にやって来たのだ。
ポルナレフに窘められ、口をつぐむ。これでも26歳なんですよ。本当に本当に。ガチなところではもうちょっと人生経験ありますよ。言わないけどね。
鏡の前の椅子に座る私と、自分のベッドに腰を下ろすポルナレフ。リゾットはエキストラベッドに深く腰掛け、膝に肘をついてため息を吐いた。
「それで、ポルナレフ」
どうでもいいけどこの二人が会話している光景が珍しすぎてジュースが気管に入りそう。慌てず騒がず落ち着いて飲んだ。
「お前はポルポのことも知らない。俺のことも知らない。ただ肉の芽から解放されてあいつらに同行しているだけなんだな」
必殺、知らんぷり。彼は私のことも知らんぷりしているし、不自然な展開ではない。知っている方がおかしいしな。どういう繋がりやねんって話ですよね。DIOの手下サークルとかあるのかな。DIOサーの姫。
「私は君も彼女も知らない。リゾット、君もそうしてくれ。私とは初対面で、ポルポとは知り合いだ。ジョースターさんとアヴドゥルは2人が時間を越えたと知っている。私のことは知らない。……いいか?」
「解った」
「"思えば"複雑な三角関係よね」
「紛らわしい言い方をしないでくれ、ポルポ。"思わなくても"複雑な関係だ」
ですよね。最後のジュースを飲み干した。
事情の突き合わせは終わったが、このまま部屋に戻るのもつまらない。シンガポールの夜は深いし、私も目が冴えてしまい眠れそうにない。訊けば、彼らもまだ眠らないらしい。
「もう寝る?」
こう訊ねた時、ポルナレフとリゾットは顔を見合わせて答えた。
「いや、まだだな」
一体全体、どうして寝ないのか。
「話さなくてはいけないことがあるんだ。……わかるか?」
「2人の今後のことかな?」
「やめてくれと言いたい」
もう言ってるじゃん。
椅子の背もたれを抱えるように座って、空っぽになった缶をぺこぺこへこませる。今度はポルナレフが頭を抱えた。
彼がリゾットに話さなくてはいけないこととは何ぞや、とリゾットを見たら彼も私を見た。目を合わせて読解を試みたけれど難しいね。
「私に関係してる?」
「そうだな。お前がなぜポルナレフにそこまで砕けた態度を取っているのか、訊こうと思っていた」
この状況で気にするところはそこか。それでいいのか。
あまりにも理由が簡単すぎて申し訳ないけど、缶をへこまし切ってから答えた。
「まどろっこしいし、私の方が年上ってことになっちゃったし、呼び捨てにしていいって言われたからついでに許可してもらっただけ。そしたら意外としっくりきちゃった、みたいな。違和感ある?」
「元を知っているからな」
「そうだよねえ。……で、話はそれだけ?じゃあ、もう寝る?」
ポルナレフとリゾットがまた顔を見合わせて頷いた。そのつもりだってさ。へえ。隣の家に囲いができたんだってさ。へえ。
何かあるかと不思議がられてしまった。そうね、何もないね。明日も早いしね。私は首を振る。ドレッサーの引き出しにトランプが入っていることは確認済みなので、どうせだったらポーカーをしているリゾットとポルナレフが見たかったんだけど、それは今度の機会にしよう。うむ。
私は男2人を残してドアを閉め、空き缶を捨ててからエレベータに乗った。日付も変わってしまったし、寝るとしよう。