01 50日後の君へ


ある日、無人のクルーザーが発見された。船に故障はなく、争った形跡もない。あるのはただ、飲みかけの三人分のコーヒーカップ。そして、アセチレンバーナーで焼き開けられ、ドンと甲板に置かれた鉄の箱のみ。
箱の中は空っぽで、シェルターのような二重底の構造になっているのを皆不思議がる。
宝の発見を想像したが、数か月もするとやがて、忘れられた。

開けてはならないものが3つある。ヤンデレの心の扉と、玉手箱と、DIOの棺桶だ。これを開けるとバッドエンド直通である。少なくとも、私はそう思う。
スタンド能力もなく、お金も無くなった私が、ごく少数精鋭で挑まねばならない危険な旅に同行することになった理由は簡単。それは"タロットの暗示"である。
ビジョンの名前がタロットから選ばれたように、この世界において『タロット』の効果は絶大だ。モハメド・アヴドゥルは力も実績もある占い師だし、彼と向き合って占いを要求してしまった私にこそ非があるのだろうけど、まさかこんなことになると予想がつくはずもない。へえ、そういえば私を保護してくれた人ってアヴドゥルさんだったのかあ、じゃあ記念カキコならぬ記念占いでもお願いしちゃおうかなあ、せっかく一緒に居るのだからね。その程度の軽い気持ちだった。フラグ、ダメ絶対。
「ふむ、大いなる旅路のひとひらとなる……と出ている」
「ほほう」
ある意味、今の私もトリップと名のつく大いなる旅路にいるのですが、そういう意味ではなかったようだ。私は巨大な流れに巻き込まれ、ついでにその三か月後、さらに抗いようのない渦に呑み込まれることとなったのでした、第3部完。
いやいや、完どころか始まってもいなかった。
私のアラウンド四半世紀ぶんの人生には、新たなる"トンデモ"が付け加えられたのだが、さてさて、こう言うのが正しいだろう。
「(やれやれだぜ)」
突然の事態に右往左往する私を見つけた男は、わざわざ薄暗い路地に足を踏み入れた。濃い肌色の手が私の腕を優しく掴み、人通りの多い場所まで連れて行ってくれた。危険極まりない場所にいたのだと後から聞き、この人が来てよかったなあと心の底から思ったものだ。モハメド・アヴドゥルは善良な人だった。
どこから来たのか訊ねられても、うまく答えられない。どこって、おまえ。イタリアとしか言えなかったのだが、見るからにここはイタリアではない。砂の多い国だ。イタリアってなんだっけ。ヨーロッパ系の顔立ちを見てか、かろうじて英語で喋りかけてもらえて助かったけど、私は実は英語も得意ではない。魂の母国は日本なんですよ。
異国の言語に囲まれ困惑する若い女が気の毒になったのか、モハメド・アヴドゥル氏はどこまでも丁寧だった。わたしはインドが好きなので、と甘いお茶まで出してくれて、心が凄く落ち着いたのを憶えている。
慌ててしまって余計に拙くなる英語で自分の事情を伝えるうちに、ふと気づく。もしかして、モハメド・アヴドゥルとは私の知っているモハメド・アヴドゥルなのかな、と。私はその名前に聞き覚えがあった。それはいわゆる、第3部と名のつく物語の舞台でさまざまな活躍を見せて最終的にはゴニョゴニョになってしまったスタンド使いなのでは。
私はお茶が喉に詰まったのを必死にやり過ごし、表情が引きつらないように気をつけてから、ひときわしおらしく眉尻を下げた。まさかねハハハと笑い飛ばすには、私はあまりにも不思議な経験をし過ぎていた。そして、これがマジでびっくりする5秒前だった。
「スタンド……なのかな……」
思わしげに呟くと、アヴドゥルさんは思いっきり反応してくれた。
「君はスタンドを知っているのか!?」
あっ、この人はアヴドゥルさんなんだな、とめっちゃわかりやすく教えてもらえた気分だった。
「わたしだけでは判断ができないな……初めて聞く事象だ」
アヴドゥルさんは一度抱え込んだ私を見捨てたりはしなかった。スピードワゴン財団に丸投げしてしまえばそれまでなのに、最後まで面倒を見ようと、責任者に申し出すらした。心の弱っていた私はうっかりキュンとした。さすがアヴドゥルさんだぜ。ブ男と言われようがかませと言われようが、私はあなたを支持します。ぼくは、モハメド・アヴドゥルちゃん!次からは推しメンとして彼の名前を挙げよう。
ジョセフ・ジョースターとすでに行動を共にしていた彼は、荷物を取りにエジプトに戻ったばかりだったそうだ。
彼は若々しい肉体を持つ老人との待ち合わせ場所に私を連れて向かった。再び事情を説明し、オーマイガッ、とハードな反応を受けた。
戸籍を問い合わせたりスタンドを知っている理由を訊ねられたり、信用を得るにはひと月ほどかかった気がする。これは私の主観なので、もしかすると最初から彼らは私を疑ってなどいなかったのかもしれないし、彼らの優しさからするとその可能性の方が高いんだけど、もしも私が彼らだったら、『私』の立場にいる人をそうそう簡単には信用しないよなあと思うので、なかなかちょっぴり穿った見方をしてしまう。ごめんねアヴドゥルさんとジョースターさん。
―――大いなる旅路のひとひらとなる。
彼の予言が正しかったのだろうか。あるいは、彼に予言を頼み、あの言葉を引き出しさえしなければ、私はスピードワゴン財団で元の世界―――あるいは時間―――に戻る手がかりをのうのうと待っているだけで良かったのかもしれない。

しかし結果として、一枚の葉っぱでしかなかった私でも、バタフライの片羽程度にはなれたようだった。
元の時代に戻った時、私のトリップ前の記憶はかけらもかすんでいなかったし、それは不可思議に巻き込まれた3人とも同じだった。すぐに連絡をつけてお互いの記憶を確認した私たちは次いで、恐る恐るスピードワゴン財団に電話を掛けるポルナレフさんを―――、いや、ポルナレフを見守った。『さん』をつけたって今さらだろうと笑われてしまったので、言葉に甘えることにする。
電話の向こうに何を聞いたか、訊ねなくたってわかった。眼帯で隠れていない方の目が泣きそうに細められ、唇が笑みを刻んだ。
「そうか、花京院も。そうだったな。すまない、少し寝ぼけていたんだ。最近、……その、会っていない……だろう?ポルポも、リゾットも、寂しがっているよ」
いくつかやりとりをして、ポルナレフはやっぱり泣きかけみたいな顔で笑って受話器を握りしめていた。片手で顔を覆い、私たちに表情を見せまいとする。大人なので、こちらも見なかったふりをした。
「それじゃあ、また。近いうちに会おう、……アヴドゥル」
通信を切ってもしばらくの間、ポルナレフは顔を隠していた。背が丸められ、思わずと言ったように笑う彼の声は震えていた。