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釈然としない想いが、花京院の胸をかき乱す。
「いらないと言ったのに」
「お前、それが命の恩人に向かう態度かよ。見るか、僕のスタンドを?お前のせいでみすぼらしい図体が余計に情けなくなったんだぞ」
悪態をつくは怪我人のベッドに腰掛け、こてこてのフリルで白いシーツの上を彩り、タイツに包まれた細い脚を組んでいる。広い病室なのに、彼女が―――彼がひとりいるだけでだいぶ狭くなったような感じを受けたが、花京院は気のせいだと思うことにした。
「どうして承太郎もそそのかしたりしたんだ」
「そそのかした?冗談はやめろよ。僕は承太郎の言いなりになったわけじゃない」
「君は黙っていてくれないか。話がややこしくなる」
問い詰めるべきは承太郎だ。
少年誌から顔を上げた承太郎は、平然と顎でを示した。
「できると思ったからやらせたんだぜ。さらに言うなら実際にできた。問題があるか?」
「大有りだ。何かあったらどうするつもりだった」
「こいつは一度やってのけてる。二度目もできるだろうと思った。それだけだ。……まあ、アレを完全にうまく行ったと言うかは別だがな」
花京院は引っかかりを感じ、眉根を寄せた。『一度』とは、花京院の目の傷のことだろう。しかし、承太郎の歯切れの悪さはどういうことか。
問い詰めようとした矢先、が突然立ち上がった。嫌そうな顔をして両手を広げる。承太郎はその手を避けて帽子を押さえた。
「もう話は終わりだ」
花京院への貸しが増えるのだから、本来ならばは喜んでこの話をしなくてはおかしい。彼の性格からすると、そのはずだ。
けれどはこうして話題の流れを断ち切っている。
善意などではなく、すべては自分本位な理由からだった。
彼にしてみれば、花京院の傷を引き受けるまでの苦悩はみっともないものだ。頂点に立つ人間として、あってはならない取り乱し方をした。今の所、彼のそんな姿を知っているのは承太郎だけだから、これ以上他をこの話題に巻き込みたくない。
ただそれだけで、は自分の利を―――視力の著しい低下という大いなる『貸し』をなかったことにしているのだった。
「いきさつなんかはこの際どうだっていい。大事なのは、お前たちが僕の下僕になったという事実だけだ。一生傅いて、一生僕の言うことを聞けよ」
花京院は笑った。半分だけ吸い取られ人形型のスタンドに移動した腹の傷は、力むとずんと痛む。長い間眠りにもついた。何度も手術をしなくてはいけない。病院から出られるのは、まだずっと先のことだろう。傷にスタンドの力が加えられたなどとは、到底信じられないくらいの重傷だ。
それでもおかしくて、からからと声を立てた。花京院は生きていた。
「ははは、……はは」
笑い声が不意にくぐもって、ぼろぼろと涙があふれてくるのをぐっと食いしばる。痛んだ傷は生の実感と同時に、失われた命の重みも感じさせた。
運が良かっただけなのだ。
偶然にもがいて、偶然にも彼が花京院を助けることができた。ただそれだけなのだと思い、花京院は涙を堪えた。
病室から出ると、季節の移り変わりがよくわかる。
の靴は新品だ。新しい季節に向かって、まだ磨かなくてもつやつやとしている。アンクルストラップの留め金には花のマークがあしらわれ、軽やかな靴音に彩を添えていた。ジョセフがに与えたものだ。旅の間にすっかりぼろになった靴は、が綺麗に拭きなおしてからゴミに出された。思い出をあっさりと捨てるような行いは、幾人かの苦笑を買った。
は母国に帰るポルナレフを見送らなかった。空港まで足を運ぶのが面倒だと言って、ひと筆で走り書きをしたような粗雑な手紙を承太郎に託し、それきりだ。
ポルナレフは日本で季節をやり過ごす前に、海の向こうへ戻ってしまう。特に名残惜しみもしないはジョセフから報告を受けても、普段と変わらない表情で煎餅をかじった。
「ポルナレフが君によろしくと言っておったよ」
「へえ、どうだかね。本心じゃあどう思っているかわかったもんじゃない」
これではジョセフも気持ちのやり場がない。相変わらずの様子に、笑顔が引きつっていた。
そのジョセフが待つ空条邸に戻り、は意地の悪い顔をする。
ジョセフは居間で寝転んでいたが、は彼の孫にでもなったかのように大きな体躯にしなだれかかると、甘ったるい声で囁いた。
「なあ、僕はもう少し報酬を貰っても良いと思わないか?」
「ふむ……何が欲しいんじゃ?」
中華のフルコースか、レースたっぷりな服をオーダーメイドするか、高級な化粧品か、それくらいだろうとあたりをつけて訊ねると、は意外なものの名前を挙げた。ジョセフは目を丸くして、それからすべてを悟った、やさしい眼差しを向けた。
「そうか、わかった。とびきり良い物を一緒に作ろうじゃないか」
は満足そうにニッコリと微笑んだ。
二つに括られた栗色の髪はふわふわと肩の上で踊る。綺麗な色の洋服が風をはらんで踊ると、スカートの下のたっぷりしたペチコートがちらりと見える。
しとやかな仕草でスカートの裾をおさえる指先は磨かれ、薄く桃色に色付けされて綺麗だ。
ほっそりした脚を包む白いタイツが、大人になりきらない少年の色気を抑え込む。足の爪先まできちんと整えられていることを知るのは、本当にごく少数の人間だけだ。
胸元では鮮烈なまでに青い色のリボンがひるがえる。
特徴的ないでたちの少年はこの町の中でも有名だった。その彼に、こう話しかける者がいる。
「素敵な眼鏡だね。印象が変わるよ」
そうしては、花よりも可憐に、嫣然と、いじらしく口角を上げて見せるのだった。