9月27日

少女が唇をとがらせた。つき出された柔らかそうなそれは花京院の目をくぎ付けにし、直後、花京院はハッとして顔を背けた。
一見すると可憐な少女にしか見えない花京院の友人は、男である。大理石に内包されたすべての運命に祝福されたかのような魅力を持つ、魔性と呼ぶべき存在だ。己の姿が相手にどのような印象をもたらすかを充分に知る少年は、誰の為でもなく、すべての美しさを引き出すゆえに少女の恰好をとっていた。今日の服装もまた、事情を知る者から見れば凄絶である。レースが襟の特徴的なブラウスは、存在感たっぷりで眼を惹く青いリボンを引き立てる。視線を下ろせば、柳腰の下部から風をはらみ広がる楚々としたスカートが少年の強気で不遜な表情の印象を和らげる。白いタイツに包まれるほっそりした脚も眩しい。隙があるようで、無い。
スッと綺麗な線を描く眉の下、長いまつげに縁どられる大きな瞳からは挑戦的な気配がし、どこか蠱惑的な色すら帯びる。傷も荒れも見当たらないすべらかな肌や可愛らしい唇は人を前のめりにさせるが、欲望を向けることは躊躇われる。慣れぬものに「畏れ多い」と感じさせるほどに、少年は美しかった。
その本性は、少年の友人曰く、毒花である。芳香と愛らしさであらゆるものを惹きつけるが、気に入ったエサを食いつくす。信頼などされてみろ。それがそいつの不幸の始まりだ。花京院は承太郎を見た。空条承太郎はの一番のお気に入りであり、保護者役を仰せつかった幼馴染であり、理屈にならないワガママで縛りつけられる被害者だった。花京院にはそうとしか思えない。しかし、あの承太郎が――慣れと諦めであっても――甘んじているのだから、言うほど悪い関係ではない。単純に、他人には理解しがたい領域だ。花京院はその一部に組み込まれようとしていた。否、組み込まれていた。とある数十日の旅によって、青年の運命は大きく変わった。とても、さまざまな意味で。
は花京院に紅茶のおかわりを淹れさせ、冷たくしろと文句をつけて青年を二往復させた。
グラスを傾け、「上達したじゃないか」とどこからの目線かわからない褒め言葉を口にする。花京院は自分の常識が錯誤した気がしながらも、礼を言った。
「で?」
鈴の音よりもずっと耳に優しく、甘やかで、聞きほれる中世的な声が訝った。響きだけは素晴らしいが、声のトーンは非常に厭味ったらしい。
「それがどうかした?」
「どうかした、って、君。言うことはそれだけか?」
「他に何を言えっていうんだよ」
9月27日は、ジョセフ・ジョースターの誕生日であった。
陽気な老爺は自分の誕生日を言ってまわったりはしなかった。遠きフランスの地にいるポルナレフももちろん知らない。孫である承太郎も、目立って祝う柄ではない。だから花京院は今日の今日まで、9月27日にどのような意味があるのかを知らなかった。
はどうだろう、と考えた彼は、電車を乗り継ぎ空条家を訪ねた。青年はたぐいまれに可愛らしい少年の自宅を知らなかったし、どうせ承太郎のところに入り浸っているのだろうと推理したのだ。想像は当たった。
事情を説明したところで、のこの台詞である。
仮にも何度となく世話になった相手だというのに、この少年は意に介さない。世界のすべてはすべからく僕に奉仕せよと言わんばかりの態度である。
唇をとがらせたが、ちゃぶ台に肘をついた。
「おめでとうのひと言でも伝えないか、と思ったんだ」
「伝えりゃいいだろ。電話はあっちにある」
細い指が廊下の奥を指した。
「……承太郎、君はもう言ったか?」
「あの歳になりゃあ、誕生日なんざ嬉しくもなんともねえだろうよ」
こちらもつれない。
「花京院、お前は僕にクラッカーを鳴らしてジョースターさんおめでとう、だとかなんとか言えっていうわけか?」
「そこまでは言わないけど、知ったのに何も無しというのも失礼な話じゃあないかな」
「無駄だぜ、花京院」
眉根を寄せると、低い声が花京院を宥めた。
「承太郎」
承太郎はそれ以上なにも言わなかった。十数年の付き合いにおいて、身に染みて学ぶことがあったのだろう。『おめでとう』の五文字と引き換えに多大なる要求をされたのかもしれない。無尽蔵に応えてやれそうで、応えてやるであろうジョセフを思うならば、祝わせないほうが得策か。
も今は欲しいものがないのか、そういう性格でないだけか、率先して恩を売ろうとはしなかった。
「僕は電話をしてくるよ。電話を借りていいかい、承太郎?お代はあとで払う」
「好きにしな」
立ち上がった花京院は部屋を出て、アメリカへ声を飛ばす。

しばらく待つと、聞き慣れた懐かしい声がした。最近は会っていないが、ハリは変わらない。
「おお、花京院。久しぶりじゃな」
「お久しぶりです、ジョースターさん。お忙しいでしょうから手短に言いますが、お誕生日おめでとうございます」
ジョセフは時差を越え、大げさに喜んだ。言ってよかった、と花京院が安心する喜びようだ。
「よく知っとったのォ。承太郎が言ったのか?」
「そんなところです。次に日本にいらっしゃるときは教えてください。なにか、日ごろの感謝を込めて贈り物を……と思うのですが」
「気を遣わんでいいぞ。じゃが、気持ちは嬉しい。そーじゃなあ、団子かなにかを食べたいかもしれんな」
それからいくつか話をし、どれもにジョセフがあたたかく応じるので、花京院はありがたく思いながらも苦笑した。ここにを呼び寄せられていれば、この人はもっと喜んでくれたかもしれないのだが、自分ではまだ力が及びそうにない。いつか祝うときがくるのだろうか。
「みんな元気か?」
「ええ。いつも通り、ばたばたやってますよ」
「想像できるなァ。この場合、変わらんというのはイイことじゃ。会うのを楽しみにしとるよ」
「僕もです」
それじゃあまた、と電話を切ろうとした花京院は、横から受話器のコードを引っ張られて振り返った。受話器をひったくる手は、ちらりと本来の性別を垣間見せる、肉の薄いものだった。
花京院の隣に立ち、はぞんざいに、海の向こうへ話しかけた。
「今度、いつ来るの?」
「ん!?なんじゃ、か!?久々じゃなァー!元気だったか?」
「元気だよ。承太郎もね。最近、新しいマニキュアを手に入れたんだ。緑は趣味じゃないと思ってたんだけど、どうしてもつけろって花京院が言うから」
「言ってないよ、。新しいのが出たねって言ったら君が僕に買わせたんだろう」
「緑か。可愛いんじゃろうな。わしが行ったら見せてくれんか」
「いいよ、見せてあげる。いつ来るんだい?」
は花京院を無視した。いつものことだ。花京院はため息もつかなかった。
「来月には時間を取るつもりじゃよ。ちゃんはわしに会いたいのかな?」
「そういうわけじゃないけど」
「ないんか」
綺麗な指の爪先がコードをいじった。
「直に言われたほうが感動的だし、僕も即日でお返しを受け取れる。WIN-WINだ」
言葉の意味をわかって使っているのか、花京院には訊きづらかった。
ジョセフは気にしなかった。些細な問題だ。
「うむ、うむ。そうじゃな。もう明日行っちゃおうかなア」
などと、なかば本気で計画を立てかける。普段の態度が態度なだけに、ただでさえに甘いジョセフは、少年の気持ちが嬉しくてたまらなかった。後半の発言が本気だとしても照れ隠しだとしても構わない。ハッピーバースデーのひと言のために――非常に頑張れば――海を越えられる男、それがジョセフ・ジョースターなのであった。
は二言三言、自分勝手なことを言ってから、花京院の了承も得ずに「じゃ」とだけ言って電話を切った。心ならずも貰い感動でジンとしてしまった花京院は声を上ずらせた。
「ちょっ……、!」
「まだ何かあったの?切ろうとしてたじゃないか」
「いや、そうだけど、そうじゃあなくて、普通は僕に渡すだろう」
「用がないなら誰が切ったって同じさ」
なんともひどい言い分である。かすかに『確かに……』と思ってしまった花京院は、またも自分の常識が崩壊する錯覚を抱いた。
踵を返したを追う。彼女の――彼の歩幅は大股でも狭く、背の高い花京院ならすぐに隣に立てる。
しかし、一歩引くのが正しいような気がしてしまって、踏み出した足を半歩戻した。ちゃんと『おめでとう』を言ったへの感動が抜けていなかったのかもしれない。正確には何ひとつとして祝ってはいないが、花京院にしてみても、ジョセフにしてみても、あれは悪魔じみた天使がごとき少年からの祝福だった。
遅れて歩くと、は肩越しに花京院を見上げ、にこりと微笑んだ。
ここで花京院の誕生日を訊いたりしないところが、実に彼らしかった。