彼の知ってる彼女の秘密

 こいつほど裏表の激しいやつもいねーだろーな、と仗助はいつも思っていた。
 表面上はニコニコととても穏やかな女学生だ。どこにでもいる、図書館が似合う大人しい文学少女。今どき、胸にかかるかかからないかくらいの長さの少しぱさついた黒髪をふたつの三つ編みにして前にたらしている。髪をまとめるゴムも色のある物ではなく、いつも黒。華奢な眼鏡をかけて、制服の袖から覗く手首はとても細い。本よりも重い物なんて持ったことがなさそうな、控えめな少女。
 けれど仗助は、この幼馴染が見せかけだけだと知っている。呆れてしまうほど知っている。
 と仗助のふしぎな能力はある意味でとても似ている。仗助は破壊と再構成ができて、は再構成―――相手を癒すことだけができる。ただし、ふたりとも、自分の傷は治せない。
 まるで隣に立つことが初めから運命で決められていたようだと、仗助は子供の頃に、うかつにもそう思ってしまった。
 突然目覚めた、自分にだけ見える不思議な人影。幼馴染のにすら秘密にしていた存在は、ある日脈絡もなく「なにかカラフルなものが見えるよ、じょうすけくん」と指摘されてあっさりバレた。その時、にも似たような力が芽生えた。
 仗助が怪我をした時はが治し、が怪我をした時は仗助が治す。
 少女のスタンドは手つなぎをきっかけに効果を発動するものだったから、仗助は何度もと手のひらを合わせることになった。
「小学生じゃねーんだし、手をつなぐなんて、なんか恥ずかしィだろ」
 思春期の始まりを迎えて、仗助はそう言って手を拒んだことがある。
 本当は年齢以外にも恥ずかしい理由があったのだが、は理解しているようなしていないような目でぱちりと瞬きをして、仗助の言葉を無視した。
「じゃあ、恥ずかしくなくなるまでずっと手をつなごうよ」
 一週間ぶんだけ年上だからと言って、お姉さんぶった優しい眼差しでそうあたたかく微笑んだは手を伸ばす。暖かくてやわらかいの手が仗助の手のひらを包む。とたんに痛みが消えていって、そして感情の奔流がなだれ込んできて、仗助は赤くなる頬を隠すためにそっぽを向いた。
「(うわーっ仗助、なに?もしかして照れてんの?ちょおおおおおお可愛いんだけど!は?なに?私に照れてんの?思春期?え?思春期?とうとう性の芽生えの時期?ヒューッ!赤くなったほっぺがキュート!グレートにキュートだよ!もっとこっち向いてくれたらいいのに)」
 大人しい子リスの皮をかぶった雌豹は、仗助の羞恥心をぐさぐさと尻尾で刺激した。「東方くん、プリントを集めてるんだけど……」と、控えめに催促する少女はここにはいない。いるのは、崩れない笑顔の下で仗助の反応を見てニヤニヤと愉悦に心を震わせる女子とも思えない幼馴染だ。
 は傷を治せる代わりに、手をつないだ相手に自分の考えていることがまるまる伝わってしまうのだ。
 彼女がそれに驚いたのは最初だけだった。仗助の能力を知っているのがだけであるように、の秘密を知っているのも仗助だけ。もはやこうなっては隠しきれないと観念する心の声が手を通じて伝わって、首をかしげた仗助に、は出会ってから数年間隠し続けていた己の性癖を完全に暴露した。流れ込んだの感情をダイレクトに体感した日、仗助はあまりのギャップに半日寝込んだ。
「(こいつ、ホンットーに演技がうめーよなあ……)」
 仗助だけは知っている。が図書委員に立候補したワケを。図書委員をまとめる生物教師が非常にの"好み"であることを。
 仗助だけは知っている。が可愛らしいものを愛でるのがだいすきだということを。その可愛らしいものというのが、猫や犬などの小動物を指しているのではないことを。欲望に正直になれば、可愛くなくてもおいしく頂けてしまうということを。
 仗助だけは知っている。時にはクラスメイトが、時には担任の教師が、時には大人しい見た目のに絡んだ不良が、彼女の脳内で真っ裸に剥かれ、屈強な男や誰某かの友人に見るも語るもぞわぞわとおぞましい妄想に犯されていることを。
 は腐っていた。趣味の読書の方向が捻じれに捻じれ、腐りきったの英米文学の全集が収まる本棚のその奥には、薄っぺらい冊子がぎっしりと詰まっていた。
「(こんなの見てまだ友達でいてくれるのなんて仗助だけだよ。いやあ、私は素晴らしい幼馴染がいてほんっとうに嬉しい!ところで今度鏡の前で雌豹のポーズしてほしいんだけど何積めばいい?)」
「ナニ積まれてもやらねぇよ!!」
 仗助だって、じゃなければこんなことご免だ。そんな趣味はないし、正直、ビビる。けれど相手がだから、それを受け入れている。
「(じゃなかったら……)」
 手をつなぐことを恥ずかしいとも思わないだろう。なんだかんだ流されて、言われるままにポーズモデルになることも、自分の部屋に招くことも、一人で過ごす時間に、部屋へ持ち込まれたの私物を見つめて彼女を思い浮かべることも、傷を治してもらうこともしない。
 ただ、致命的なことに、はそんな仗助の気持ちに気づいていなかった。彼女から伝わってくるのは良き幼馴染に対する好意と腐りきった妄想だけで、仗助は何度脳内で制服の胸元を引き裂かれたかわからない。慣れと仗助の柔軟性がなければ、今頃仗助は男を嫌いになっていたかもしれない。が自分の妄想を押し付けたいわけではなく、ただ手をつないだことがきっかけで仗助を意識し、習慣になった薔薇色の思考をうっかりほとばしらせてしまうだけなのだと知っているから、仗助もその覚悟を決めてから手を伸ばしている。怪我をしていない時でも、の手に、肌に触れたいなと思うからやめられない。
 男相手ではなく、とそういうことがしたいのだという悶々とした想いは伝わらない。はサトラレはしても、サトリはしないからだ。

 くい、と服の裾を軽く引かれて振り返る。
「ね、コンビニ行かない?」
 誘いをかけたの分厚いレンズの奥の瞳が穏やかに仗助だけを見ている。不意を打たれた仗助は、「おう」と、それしか言えない。

 ジュースについてるオマケが欲しいんだなとわかっていたので、どのキャラがいいんだよと問いかける。あのジュースは嫌いじゃないし、コレクションの手伝いをしてもいい。
 はとても驚いた顔をした。
「手をつないでなかったのに、どうしてわかったの?」
 オメーのことを見てりゃわかるよ、とは冗談でも口にできない。いかさまを仕掛けて相手を言い包めるのは苦手じゃないが、相手がとなると勝手が違う。
「そ……、そりゃあー……、オメーがコンビニ行くなんて珍しいだろ、いっつもスーパーで済ませてんのによ。でもコンビニに誘ってくるっつーこたあ、キャラもののグッズがあんのかなって推理だよ」
「へえ、仗助って私のことよく見てるんだねえ」
 ニヤニヤと、の口元に笑みが浮かんだ。何もかもを見透かすような態度に、仗助はぎょっとして立ち止まる。
「わかってるってことは、最後まで手伝ってくれるんだよね?12個、コンプリートするまで」
「12個もあんのかよ……」
「種類は6個だけど、保存用と使用用が」
「わっかんねー……」
 さっきの笑顔は、『こちらの畑の人じゃないのに趣味への理解が深くて素晴らしい』という意味がこめられていたらしい。は結局何にも気づいていないのだ。仗助はため息をついた。安心したような、残念なような。





彼が彼女と距離を置く訳

 今日、ちゃん具合悪そうじゃない?
 囁かれる声に耳を傾けると、女子たちが示す先には、本も開かずに両手で顔を覆って肘をついているの姿があった。仗助は図書委員仲間だという女子生徒に肩を叩かれて、「ちゃん、大丈夫なのかな?」と訊ねられた。
 本人に聞きゃあいいのにと思ったが、ゆっくりと上下するの背中は眠っているようにも見えて、声がかけづらいのだろう。
「遅くまで本でも読んでたんじゃねーの?」
「そっかあ……東方くん、家近いんでしょ?何かあったら送ってあげてね」
 リーゼントでばっちり髪型をキメ、うっかり逆鱗に触れると見境なく暴走する仗助を遠巻きにする女子は多かったが、この図書委員ちゃんはのことがよほど心配らしい。
 いつも控えめに微笑んで、成績も良好で、教師の受けもいい優等生な。もちろん委員仲間も大切にして、広く浅く伸びた人脈とその落ち着いた態度から、いろんな人の相談を受けるやさしい少女だ。図書委員ちゃんもそんな彼女を好ましく思っているのか、家が近いという理由でよく彼女が接触している仗助に、勇気を振り絞って声をかけたのだ。
 学校での仗助とはそれほど距離が近くない。「家が近い」という理由だけで教師に東方仗助の世話を頼まれているちょっとかわいそうな女の子。の立ち位置はそんなところだ。
「(平穏無事な生活ねえ……)」
 目立つことは悪いことではない。けれどは落ち着いて生活したがった。なぜか?それは妄想の為である。妄想の種を他人の話から取り入れて、じっくり本を読み、またペンを執りたい。
 はそう言って、高校入学の時に仗助にあることを告げた。仗助の部屋で、クラスメイトが見たら目を剥くであろう豪快なあぐらをかいて、手をつなぐことなくけろりと。
「ってことで、家みたいに話しかけたりはしないことにしていい?」
 相変わらず変なヤツだと思っただけで、仗助は軽くそれを受け入れた。その時は、それがどれほどつらいことか考えが至らなかった。
 ずっと隣にいた少女が、人をひとり隔てた距離に遠ざかる。手を伸ばしても学校の中では繋ぐことができず、仗助の左手は暖かくてやわらかい感触をいつも探していた。
「仗助ェー、メシ食いにいこうぜェー」
「オウ、行くかぁ」
 億泰と連れ立って教室を出る間際、仗助はわずかに振り返った。
 教科書を片づけたは図書委員ちゃんと微笑みを交わしながら鞄を手に取る。仗助と反対のドアから廊下に出て、購買とは反対の方向に歩いて行った。




彼女が知らなかった彼の友人


 校門の前でばったり出くわして、仗助は「ゲッ」と顔をひきつらせた。の表情はぽかんとしていて、自分よりずっと上にある顔を、縫い止められたように凝視している。
「(だ、……だから黙ってたのによォ……)」
「オメー、あー……なんつったっけ?仗助の家の近くに住んでんだよなァー?」
です。こんにちは、虹村くん」
 一瞬だけ逆光にきらめいて表情の読めなくなった眼鏡を押し上げて、は清楚な微笑みを浮かべた。億泰はの名前を何度か呟いて、ウンウンと頷いた。覚えたようだ。
 は億泰の隣に立っていた大柄な青年にもぺこりと頭を下げた。
「初めまして、お邪魔してすみません」
「いや……東方仗助の知り合いか?話に聞いたことはねぇが」
「家が近いんです」
 ね、と同意を求められて、気だるい返事しか口にできない。
 虹村形兆は、の好みをドンピシャに突いている。初対面こそ敵対していたが、友人の兄として認識すれば、体格もよく、顔立ちもきりりとしていて、ピンと伸びた背筋に大きい手は億泰でなくても思わず慕いたくなる何かがある。
 いくつか言葉を交わすと、はすぐに虹村兄弟に好意を持ったようだった。今まで周囲にいなかったタイプの人間に(もっと絞るなら『男』に)出会えた興奮に浮かれ、花がポンポンと咲いている気がする。
 は絶対に億泰たちを気に入る。仗助にはそれがよくよくわかっていた。
 だから友人の話題はのらりくらりと躱して黙っていたのに、まったく。




彼が知らない彼女の友人


 寝ぼけ眼をこすりながらカーテンを開ける。空気を入れ替えようと窓を開けて、なんとなく道を見た。数人が行き交って、そのなかに見知った髪型を見つける。
?」
 いつもの眼鏡が太陽の光にきらめいて、ワンピースの裾が風にはためく。がワンピースを着るなんて珍しいことだ。
 なんとなく彼女の様子が気になって、仗助は慌てて服を着替えた。朝食も摂らずに、靴をつっかけて町に出る。
 少しうろうろしていると、コンビニから出てくるを見つけた。見慣れたトートバッグと、ビニール袋を提げている。ばれないように距離をとりながら追いかける。は海のほうへ足を進めて、杜王グランドホテルの前で立ち止まった。
「(ホテル……?)」
 誰か親戚でもやって来たのだろうか。そんな話、何も聞いていない。昨日の放課後もは仗助の部屋にやって来たが、いつも通りノートを広げるだけで変わった様子はなかった。
 コンビニの袋からジュースを取り出して飲んでいるは、誰かを待っているかのように時々時計を見る。
 やがてガラスの扉が押し開けられて、現れた人物に仗助は思わず叫び出しそうになった。
 「(じょッ……承太郎さん!?)」
 はもたれていた壁からぱっと離れると、嬉しそうな笑顔で承太郎に一礼していた。何事かを話しているが、仗助の位置からは何も聞き取れない。
 はビニール袋から何かを取り出した。ぴょこんと承太郎の肩から飛び降りた犬が、の足に近づいていく。しゃがみ込んだは、手に持ったものを犬に捧げてカメラを構えた。エサで釣っている間に写真を撮るつもりらしい。そういえば、犬を描く練習をしたがっていたっけ。

 数十分、が犬と戯れている間、承太郎はタバコを吸ってじっと待っていた。その視線が不意に仗助を射ぬいて、仗助はびくりと身をすくませる。気づかれていたと知って、とても悪いことをしているような気まずい思いが湧き上がった。
 承太郎はに知らせるようなことはしなかった。興味を失ったように視線を外して、しゃがんでいるのつむじを見ている。 吐きだされた煙が空にとけていくのがなんだかひどく大人らしかった。


 承太郎と別れたが次に向かったのは、住宅街だった。大きくぐるりと楕円を描くように、短くない道のりをすたすたと歩いて行く。
 はその細すぎる身体に似合わず、かなりの体力がある。数日の徹夜を経て授業を何事もなくこなせるように、年に数回ある祭典に突撃して隅から隅までマークしたルートを闊歩できるように、その足腰と精神は鍛えられているのだ。
 仗助は途中で購入したパンをかじりながら、探偵のような気分で溌剌とした後ろ姿を追いかけた。このままどこにいくのか突き止めたい気持ちと、くるりとが振り返って自分に気づいてくれたらいいのにと思う気持ちが入り交ざった。
「(前は、一緒に行こう、なんて誘ってきたたくせによォー)」
 めんどくせーよォと仗助が拒んでも、手首をとって無理やりに色んなところへ連れまわしたくせに。
 いつの間にか、には仗助の知らない一面ができていた。はその能力から、隠し事ができないはずなのに、まったく変な話だ。

 仗助はその場所に近づくにつれて、顔が引きつっていくのを感じていた。この道は『あの場所』につながっているし、の足取りに躊躇はない。まさか、まさか、まさか。
 の指が呼び鈴に伸びる。仗助の願いもむなしく、は岸辺露伴の邸宅の前にいた。
「(露伴と知り合いなのかよォ―――ッ!?)」
 確かに、確かに、招かれるままドキドキと胸を高鳴らせながら招きを預かったの部屋の本棚には、数々の資料と書籍にまぎれて、ピンクダークの少年があったような気がしなくもない。けれどそれは尽きることのない彼女の興味の一環だと思っていたのだ。
 さらに恐ろしいことに、家主はたった一度のチャイムで姿を見せた。
「は……はぁああ?!」
 衝動のまま駆け出す。振り返ったの目が驚きに見開かれ、扉の陰から露伴が不愉快そうに眉を跳ねあげた。
「ちょ、ちょっと待てよォ!、何で露伴と知り合いなんだよ!?」
「仗助、なんでここにいるの?」
「お前、クソッタレ仗助と知り合いだったのか」
「あれ?言いませんでしたか?」
「聞いてないぜ」
ぐいぐいと扉を閉めようとする露伴をクレイジーダイヤモンドで押しのけて、仗助はの後ろから邸の中に踏み込んだ。

 康一の紹介で顔を合わせたというと露伴。
 露伴は最初、にあまり興味を抱かなかった。康一くんの知り合いで、図書委員らしい女子生徒。参考になるかなとヘブンズドアーを発動しようとして康一に止められ、それならといくつか質問を投げかけてみると、どうやら少女がスタンド使いらしいということがわかった。康一も知らなかったようで驚いていたから、日常的に役立つスタンドではないのだろう。スタンドを悪用しているということもなさそうだ。
 のスタンドについて言及すると、怪我を治せるスタンドだという。同じ能力を持つスタンドはふたつと存在しないのに、仗助と似た力に首をかしげた。怪訝そうな露伴に、は自分のスタンドのもうひとつの特性を軽く説明する。手をつなぐと、の考えることは相手にダダ漏れになるのだと。
 へえ、面白いじゃないか。
 康一が止める間もなく、露伴はの手を取っていた。そして勢いよく離した。
「な……、なんだ!?お前、普段何考えて生きてるんだ!?」
「えぇ!?露伴先生がこんなにびっくりするなんて、本当に何があったの?!」
 露伴の脳内に滑り込んできたのは、自身のスタンド、ヘブンズドアーが意思を持って露伴自身に襲いかかり、露伴のページにさまざま猥雑なことを書き込み露伴を拘束、汁まみれに―――……これ以上は思い出したくなかった。
 えへ、と困ったように首をかしげて笑ってみせたの瞳の奥に、獲物を見つけた肉食獣の気色を感じ、露伴はぐっと身を引いた。 なんだかわからないがこいつは危ないやつだ。近づいたらどうなるかわからない。

 それだけなら、二度と近づいたりはしないのだが。
 にはセンスがあった。そのセンスはもっぱら腐った創作活動にあてられドロドロになっていたが、ピンクダークの少年に向けられた考察や突拍子もない発想は、腐敗した妄想を我慢してでも言葉を交わしたいと思わせる輝きを放っていた。
 絶対に近寄りたくないと寒気をおぼえる自分を押さえて、岸辺露伴はその日からの訪問を受け入れるようになった。

 は仗助の内心など知らずにからりと説明すると、「今日はただ遊びに来ただけなんだけどね」と、露伴の了承も取らずに棚からコップを取り出す。
「おい、勝手に使うなと僕はいつも言っているよな?」
 案の定ぴしゃりと鞭打つような言葉が飛んだが、も慣れた仕草で頷いて自分のバッグを示した。
「大丈夫、除菌ペーパーは入ってます」
 露伴の家でくつろぐためにわざわざ用意したらしい。こうなってしまってはどうしようもない。仗助にできることは、ここにいない康一に詰め寄るシミュレーションを組むことだけだった。




彼と彼女が知らなかったこと


 仗助くんって、どんな子が好きなのかな?
 がそう訊ねられることは少なくない。なにせ、家が近くて、昔から『仗助係り』で、人当たりが良くて、なんと、仗助に恋情を抱いていない(と、思われている)珍しい女の子なのだ。
 ラブレターを代わりに渡してとポスト扱いされることにも文句を言わず、「今日、告白しようと思ってるの」とそう打ち明けた女の子の代わりに仗助を呼び出してやり、失恋した女子へのアフターケアも忘れない。なんと便利な女子生徒だろうか。
 今日もは、一度も会ったことのない女子生徒から質問を受けていた。
「お友達の億泰くんがすごく明るくて面白い人だし、そういう人と気が合うんじゃないかな?」
 にこり。控えめに微笑んで、は名も知らぬ少女にエールを送るふりをした。仗助の好みなんて、私が知りたい。そんなことを思いながら、誰にもつながれていない右手を見る。ああ、早く放課後にならないかなあ。


 が『窓口』になっていることに、何も思わないわけではないのだ。仗助はきゃあきゃあと周りを囲む女子に困っているし、抑止力になりうる―――そしてなってほしい―――本人は子リスのような笑顔の裏に愉悦を隠してそんな仗助を笑っている。ヤツは仗助がドジをこけば、眼鏡の奥の瞳に涙を浮かべこちらを指さしてぷぎゃははははと腹を抱える非情な幼馴染だ。なんで俺はコイツが好きなんだろうと自分の心に問いかけることは、数えきれないほど。

 いつものように制服のまま仗助の部屋を訪れたは、読んでいる途中の小説とメモ帳を床に広げている。気に入った表現をメモしながら、「そういえば」と仗助のほうも見ずに言った。
「私、ラブレター貰っちゃった」
「……は……はア!?!」
 ごろごろしながら雑誌を読んでいた仗助は、雑誌を叩きつける勢いで起き上がった。ラブレター。誰が、誰に。
 はシャープペンを握っている手で鞄を指さす。開けていいよと言われても、人の、それも女子の鞄に触れるのはどうなんだろうか。仗助の気持ちが伝わったのか、はペンを置いて鞄を開けた。教科書の間に突っ込んであった封筒を取り出して、「これだよ」と仗助の手に乗せる。
「まだ読んでないの。図書委員での先輩なんだけど」
「(だ……誰だ……?)」
 知らない名前だった。一度も、の話にも出てきたことがない、と、思う。
 仗助は開けて開けてと催促され、慎重にシールをはがした。自分で開ければいいのにとは思わない。何が書いてあるのか、めちゃくちゃ気になるからだ。
 年頃の男子が必死に選んだのだろうなと努力に涙してしまいそうになるほど気の遣われたレターセットに、仗助はごくりと生唾を飲んだ。かさりと便箋をひらいて、文面に目をとおそうとして、やっぱりやめた。興味深そうに自分を見上げているに渡す。さすがに、一番に読むのはいけないだろう。
「ナニナニ。……『ちゃんへ』」
「(この野郎、名前呼びかよ!!)」
「『突然の手紙に驚いたことかと思います』」
 当たり障りのない導入と、への恋情が続く。どんなところを好きになったのか、どれくらい好きなのか、これからとどうしたいのか、男にしては丁寧な字で、時折緊張に震えながらつづられていた。
 は、これにどういう感情を抱くのだろうか。
 仗助の知る限り、が自分宛のラブレターを受け取るのはこれが初めてだ。告白に呼び出されたこともない。俯きがちに文面に目を通しているの、便箋をささえる指先がやけに気になって、仗助はの制服についた糸くずに意識を集中させた。
「へえ……。どうしよう」
「ど……どうしよう、って……断らねーのかよ!?」
「日ごろから思ってたんだけど、私ほら、恋愛モノをかいてるじゃない?経験があればもっとうまくできるのかなって」
「なッ……」
 当然、断るものだと思っていた仗助は面食らった。は文面を灯りにすかしたりして、にまにまと笑みを浮かべている。そんなに嬉しかったのだろうか。もしかして、その先輩に気持ちが揺らいでいるのだろうか。
「そ……そんなに好みなのか?」
「うーん、いやあ、私の好みは……、虹村くんのお兄さんみたいな感じだから?」
「げえッ……、……マジかよ?」
「兄貴って点では。そうだなあ……真面目に考えると……」
 手紙を封筒に戻してきちんと封をすると、は起き上がっている仗助の背中に自分の背中をもたせ掛けた。ぐいーっと押されて、仗助はちょっと前屈する。
 はしばらく呻ると、「やっぱり理想が高いのかなあ」と、そのままの姿勢で口にした。仗助の背中から直に声が伝わってくるようで、別の意味でドキドキした。
「ずっと仗助が近くにいたじゃん?ってなると、やっぱり仗助みたいにカッコよくて」
「……オウ」
 格好いいとは思われていたのか。
 普段はかわいいかわいいとしか言わない幼馴染から飛び出した意外な形容詞に、少し照れる。飼い犬か弟かなんかと間違えてるのではないかと時々不安になっていたのだが、誰かと比較してなお軍配が上がるほどには評価されていたようだ。
「私、人に気を遣うの苦手だし……私の趣味に理解ある人がいいな」
 人に気を遣うのが苦手だとは到底思えない擬態の仕方なのだが、実生活のはひどく面倒くさがりだ。家に上がるほどの親しみを持つ人間が仗助しかいないからか、その甘えはすべて仗助に向かっている。人目がなければ態度をつくろったりしないし、自分がコーヒーを飲みたいと思ったら、仗助がお茶を望んでも自分の分だけコーヒーを入れて、「ん?お茶?自分でいれたら?」とのたまうほどだ。そもそもそこは仗助の家のキッチンだし、なぜ朋子の分は入れるのに仗助にはその手間を省くのか。
「おめーの趣味に理解って、かなり難易度高ぇだろ……」
 なにせ、見境なしに男と男を―――……いや、やめよう。
 恋人同士ということは、きっと普通に手をつなぐ。その時、スタンド使いもそうでなくても関係なくなだれ込んでくるの思考に、耐えきれる人間がそう多くいるだろうか。たとえばそれが夕食の話であっても、普通の人間には耐えられないと、仗助は思う。も、そう思っていた。
「仗助の好みはどんな子なの?そういえば聞いたことなかったよね」
「お、俺?」
 どんな子、と言われてもひとりしかいない。
「男でもいいよ」
「オメーが良くても俺がよくねぇーんだよ」
 本気なのか冗談なのか判別がつかないギャグはやめてほしい。
 仗助は背中合わせで顔が見えないのをいいことに、ぽつりぽつりと、胸に浮かぶ特徴を呟いた。
「話してて気ィ遣わなくって……色んなこと知ってて……背は俺よりちっちゃくて……ちょっと捻くれてて……色んなことに興味があって……」
「岸辺露伴か?」
「アホか!!ンなワケねエーだろ!第一男だろ!!」
「なあんだ」
 コイツはマジにそれしか考えてねーのか?
 は仗助の背中に体重をかけたまま、柔軟運動でもするように、少し後ろに投げ出されていた仗助の腕をすくった。の左腕と仗助の右腕、の右腕と仗助の左腕が絡んで、仗助は身動きが取れなくなった。
「なんだよ?」
「それって女の子?」
「ったりめーだろォ」
「年齢は?どれくらいがいいの?」
「おんなじ……ンー……チコッとだけ上」
「スカート派?ズボン派?全裸?」
「はあ?……あー……スカート、かな?」
「ふうーん。スタンドは?」
「ン……使え、たほうがいー……っつーか……」
 実際に使える、というか。
 が黙り込んだ。仗助からは、がどんな表情をしているのかわからない。学校の知り合いから、該当する女子を捜しているのだろうか。
 そんなことしなくても、答えはすぐそこに、仗助のすぐ背中にくっつく体温がそれなのに。

 突然、の指が仗助の手に絡んだ。背中合わせに座っていたから、が自分の手のひらを湿らせる汗をスカートでぬぐったところも、頬に朱がさしている顔も仗助には見えない。それでもいつもよりもっとずっと熱い手の温度には気づいた。
「それ、……私でしょ」
「!!?」
 はらりと手が離された。ついでに腕も解放されて、背中も離れる。振り返ろうとして、すぐにまた体重がかかってきた。の背中かと思ったが、感触が違う。制服の厚い布に隠されていても、なんだか背中のある部分がふにゃりとやわらかい。
 の腕がするりと首の横を通って、ぎゅうっと仗助の後頭部に顔が押し付けられる。くふふふと耳元で笑い声がきこえて、の息が仗助をくすぐった。ぞわりと、嫌ではない何かが背筋を駆け抜ける。
「仗助ちゃんってばわっかりやすい!ほんとに!?そんなに私のこと好きだったなんて知らなかった!」
 そんなに嬉しそうに言われてしまうと据わりが悪い。人は心構えなく隠し事をずばり言い当てられると否定したくなるもので、仗助もついうっかり苦し紛れの抵抗を叫んだ。
「ば、ば、バカ!おめーだなんて言っちゃあ……」
「え?じゃあやっぱり岸辺露伴?」
「違えーよ!!女だしスカートだっつったろ!!つーか露伴は全部違うだろ!」
「うんうん、女でスカートで同い年なんだよね。だけどチコーッとだけ年上なんだよね。私じゃん」
 誘導された気がする。
 すりすりと頬ずりしてくるを引きはがして距離を取る。組まれたの手をほどいてその間から抜け出し、背中をガードして向き直った。
「え……なに、違うの?」
 ずれた眼鏡を直しながらきょとんと問いかけるは、答えが違っていることなどつゆとも考えていない顔をしていた。違わ、ない。
 違わないのだが、なんだこの自信は。どこから来るんだ。
「ち……」
「ち?」
「……ちがくねえけど……」
 ぼそりと赤い顔を背けて回答に丸をつける。とたんにひまわりが咲き誇るような笑顔を向けられ、仗助はたじろいだ。今までになく、の雰囲気が明るい。なんなんだこの自信は。完売必至の団体が出した限定の売り本を手に入れたとわざわざ東京から仗助に電話をかけてきた時のようだ。
「じゃ、あのさ、お互い結婚できそうになかったら結婚しよう!」
「はあああ?!」
「なに?いいよ、心変わりしてたら別にそれで。何歳までのリミットにする?私は……」
!」
 強く呼ぶと、はびくり、と意外なほど身をすくませた。じっと見つめると、気を紛らわせるように、今しがた言い損ねたリミットの年齢を口にする。それが、想い自体を否定されているようで気に入らなかった。
「今さら、心変わりなんてしねえよ」
「い……『今さら』?わ、わかんないじゃん?私、趣味一筋に生きたいし、正直、ホモ好きだし、ちょォーっと仗助モデルの本出したりしてるし、仗助に気とか遣ってないし、可愛くもないし、スタイルも別によくないし、言うなればモブだよ。そりゃあ、好きになってもらえたのは凄く……嬉しいけど……」
「つうかオメー、今言ったそれ、何年付き合ってると思ってんだよォ……。10年は一緒にいるんだぜ?」
「う……ッ」
 今度はがじりじりと仗助から距離を取り始めた。その差を詰めて、眼鏡の奥の揺れる目を追いかける。ずるい、とは思いながらも、眼鏡を押し上げようとしたその小さな手をとった。ああああと悲鳴のような声をあげて手を取り戻そうとしたの腕を、手をぎゅっと握りしめて止める。
「(じょ、じょじょじょ仗助が私を好きとか、うそだ、ううん、うそじゃないのはわかる、でもそんなことって、仗助手掴むのやめて、私、私、でもそんなことってあるの?まさか、信じられないありえない今日の夕ご飯のことを考えなきゃ、ばれちゃう、別れの場面だっていっぱいかいてきたから、別れが怖い、でもあああいやああ考えたくないでもでもでも私だって好きだよだけど)」
「えっ」
「ひっ」
 ばちんと音がしそうな勢いで目が合って、そして逸らされた。汗の滲んだ手のひらを伝って後悔の感情が流れ込んできて、見る間にの顔が赤くなっていく。今まで、一度も見たことのない表情だった。
「ちょ……い、今のマジッスか」
 思わず、の手を握りしめたまま正座した。
 は腕だけ伸ばしたまま、ずるずると上体を床にうつぶせる。丸見えの耳が、見るからに熱っぽくなっている。

「う、うううううるさい、仗助のくせに生意気!なんなの!」
「なんで俺が罵られなきゃなんねーんだよ?」
 の手のひらから伝わってくる思いは、言葉とは裏腹にとてもやわらかくてあたたかい。紅茶に注いだミルクが渦を巻いて琥珀色を染めていくように、仗助の心にの感情がぐるぐると混ざり込んでいった。
 やがてその想いが諦めたように雑念を切り離す。
「(ずっと釣り合わないと思ってた。恋愛のパターンは本でいろいろ知ってるから、いつか嫌われる時も来るかもしれないって怖くて、それなら幼馴染でいいやと思って、ずっと、傍にいられたらいいと思ってた。趣味を受け入れてくれたのも、気持ち悪い力のスタンドがあっても逃げなかったのも、仗助だけだった。信頼できるのは、好きなのは、仗助が一番だ)」
 何よりも雄弁に、ずれた眼鏡の奥のうるんだ瞳が言っていた。
「す……好きだよバカ!!」
「うおっ」
 がばりと飛びつくように抱き着かれて、仗助はようやく結んでいた左手を右手から離した。さっきまで脈絡もなく、桜の花びらが散るように降り注いでいた感情が途切れて、スッと手のひらが冷えていく。けれど小さく震えながらしがみついてくるの背中を抱きしめると、すぐに暖かくなった。