「オメーな、マジで仕事の時にしかあそこに行かねーのか?」
突然後ろから肩に腕を回されたので、思わず短い悲鳴をあげた。ひったくりか強盗か強引なナンパか殺人か、この力強い腕なら私の首など簡単に折れるだろうなと身体が固まる。
「……おい、ビビんなよ。俺だよ」
緊張が一気にほどける。聞き覚えのある声に気づき、安堵の息とともに名前を呼ぼうとして、ようやく呼び名を知らないと思い出す。
しかし、驚かない方が無理だ。
「あ、あなたでしたか……」
彼は腕を組んで首を傾げる。
「結構大げさに近づいてたつもりだったんだがなあ」
「すみません、足元を見ていて気がつきませんでした」
「たまには横も見ろよ、危ないぜ」
歩道の隅に寄って立ち止まり、私は彼の顔を見上げた。
伝言は聞いてもらえただろうか。『あそこ』とはジェラテリアを示しているのか。私は頻繁にあの店を利用するけれど、最近はせっかく痩せたのだからと仕事以外では立ち寄らないようにしていた。服のサイズが一つ下がったのは重要な変化だ。
「『あの話』はしねェよ」
例の一件を言っているに違いない。
「礼は言わなきゃあいけねーし、オメーの電話で最悪の事態を避けられたのは事実だ。だが、ンー……」
「重いですよね」
「……言い方は悪いが、義理は通すぜ」
「ありがとうございます」
私はこれですっかり何もかもが終わりだと思っていた。お礼を言われて、ジェラートの一つを奢ってもらえて、話をして、それからまた以前のように仕事のやりとりをするようになるのかなとばかり考えていた。だから一瞬、その単語が何を意味しているのか呑み込めず咽こんだ。
「ホルマジオっつうんだよ」
「……チーズ?」
「ほっとけ。オメーが知りたがってた名前だよ」
すごく複雑な知り方だったけれど、私は彼の名前を呟いた。不思議な響きだし一般的ではない。しっくりくるのが不思議だった。これからはチーズを見るたびに彼の顔が浮かびそうだ。
「ありがとうございます」
ホルマジオは頷いて、私に手を差し出した。
「ついでに繋いどくか?」
にこりと笑って首を振る。
「結構です」

並んで歩いてジェラートを食べた。
次の連絡の時からは、またホルマジオが顔を見せるようになった。私は彼の名前を呼べたし、彼もまた私と世間話をしてくれる。この空気が心地よかったので、彼の目を見つめながら、体重は気にせずジェラートを食べることにした。奇跡的に忙しさでカロリーが消費されたのか、服のサイズは変わらないままだった。ホルマジオに「また小さくなったんじゃねえのか」と言われても、微笑む余裕すら生まれている。
「小柄な人を好きになってくれる方もいらっしゃいますし、抱きしめやすいかもしれませんから、特に気になりませんね」
ホルマジオが閉口する姿を見るのは二度目だ。
「……オメー、よく俺の前でそーいうことを言えるよなァー……」
「ムッとしますか?」
「男心は難しいんだよ」
頬杖をついたホルマジオが可愛く見える。いかつい男がフクザツな男心に苛まれる表情にときめきを感じるとは。わたしはまだ知らなかったようだけど、恋とは、かくも恐ろしいものか。