「帰りましたか」
彼女の姿がなくなりました、と保護係の報告を受けたジョルノは冷静だった。今まで割いていた部屋の設備を撤去し、元の空き部屋に戻す。未練など欠片も感じさせなかった。
「いいのかよ」
「何がです?」
打てば響く。
あまりにも反応が良かったので、ミスタの方がたじろいでしまう。
「だから、……帰しちまって、っていうか。部屋も……ほら。片付けてるだろ」
ミスタはジョルノが少女の使っていた部屋をそのままの形で残しておくものだとばかり思っていた。
涼やかな声は質問には答えない。書類にサインする手を止め、ジョルノは壁掛け時計を見上げた。夕食の時間はまだ遠い。正午を少し過ぎたほどだ。
小指ほどの羽虫が窓にぶつかる音を聞き、ミスタは一瞬、ジョルノから意識を逸らした。
その間に、少年は立ち上がった。
「部屋を残しておけばは帰って来るんですか?今まで、同じ人間が二度この世界へ遣られた事例はない。それならば、いつまでも一室をつぶしておくのは……」
ジョルノは素早く、心にもないことを言った。ミスタのため息が胸の奥底までを暴き立てるようで、苦いものが喉を落ちる。
残しておきたい気持ちはあるし、できるならばそこへ通い詰めての痕跡を一つ一つ見つけたい。何も残さなかった彼女が、やむを得ず置いて行った何かを探したい。
を止め切れなかった保護係を責めるつもりはないし、むしろ糾弾するべきは自分の不手際だとジョルノは思う。彼は、の不在を見つけ、死にそうな顔で膝をつき謝罪した中年の女に微笑んで許しを告げた。
ジョルノとが面会するところを見ている人は多かったが、異世界からの客人に対して礼を尽くしているのだと思われている。中には邪推する者もいたし、ボスの心情を慮りつつ、面白がる者もいた。それでも表面上は、ジョルノに疚しいところはない。
この、組織のトップに君臨する人間として弱みをつくるわけにはいかない彼の理性が、の部屋を片付けさせた。
元の客室に戻し、少女の服を処理させる。もう誰にも使われることのない生活用品を捨て、間違っても自殺できないよう細心の注意を払って撤去した『凶器』となりうるものを一つずつ戻す。
が消えたと報せを受けた直後、ジョルノは彼女の部屋のドアを急いて開けた。あの時のがらんとした匂いのない部屋が、今も少年の胸につかえていた。
整理は、夕食をとる頃には終わっているだろう。
「お昼を食べに行きましょう、ミスタ」
「プリンのやけ食いには付き合いたくねーぜ」
「安心してください、今は肉を食べたい気分です」
大きく伸びをしたミスタは、スペッツァティーノにしようぜ、とジョルノの背中に声をかけた。
ジョルノは軽く振り返って、サルティン・ボッカは駄目ですか、と言った。

スペッツァティーノは夕食になった。彼らは二回続けて味の濃い肉料理を食べても負担を感じない。
「お食事中に失礼します。……これは、早くお見せした方がいいかと思いまして」
見慣れた面々と歓談するジョルノに、煮込まれた料理と共にそっと渡されたものがあった。手紙だった。どくりと心臓が脈打ち、息が詰まる。期待と不安がジョルノから言葉を奪った。
先に食べるよう促し、全員が時間稼ぎのためにグラスを傾けたのを見てから封を切る。
便箋は一枚だけだ。世話への感謝が書かれている。ご迷惑をおかけしましたと綴られた文面が他人行儀で疎ましい。からの手紙だと思えば気も安らぐが、できるなら、もっと違う内容がよかった。そして、返事を出せる距離がよかった。
ジョルノは背もたれに体を預けた。
誰にも見つからずに消えてしまった少女が元の世界で何をしているのか、ジョルノには想像をめぐらせることしかできない。どんな方法で死んだのかも、また同じだ。
(さようならは諦めたと言っていたはずなのに、うそつきな人だ)
銀食器がとても重く思える。
きちんと便箋を封筒に戻し、待機していた女に渡す。無造作に手を動かしたジョルノは、グラスに手酌で飲み物を注いだ。
「それにしても、部屋には何もなかったんだろ。……死体がねえのは当然としてもよォ。はどうやって帰ったんだ?」
ミスタの疑問はもっともだった。ジョルノや保護係の見る限り、あの部屋に即座に死を迎えられる道具はない。例えば水で窒息死を狙ったとしても、カーテンを外して首つりを試みたとしても、必ず誰かが気づいただろう。部屋は一階で、窓の外は人が頻繁に行き来していた。保護係が目を離したわずかな隙に、痕跡も残さずどうやって。
の微笑が浮かび、ジョルノはハッと顔を上げた。
「……」
瞠った目をすぐに伏せたが、くすぶった予感は脳裏に煤のような雑念をこびりつかせた。
たった今読み終えた手紙を受け取り立ち去った保護係の女は、もしかすると何かを知っているのではないか。が死んだ方法か、あるいは、彼女が部屋から消えたまったく別の理由を。
「……彼女は……」
ミスタが首を傾げる。ジョルノは言葉を途中で区切り、そのまま飲み込んだ。子供っぽい希望だと思った。冷静に考えればわかることだ。しかしふいに思いついてしまったのだから、どうにもならない。
笑って何事もないふうを装い、肉にナイフを入れる。
誰にも訊ねられるはずがなかった。シオリがどんな手段を選んだのか、あの中年の女にも問えまい。あの厳重な部屋から姿が消えることは、すなわち彼女が死に、帰還することだと、今の今まで信じ込んでいたけれど。

彼女は本当に元の世界へ帰っているのか、などとは、今のジョルノには訊けなかった。