処刑人リゾットと踊る話



中世の欧州あたりでは処刑人という職業はめちゃくちゃ忌み嫌われていたので、拷問の中に『処刑人とダンスをする』というものがあったらしいと、いう話を見て滾った結果だよ。
扱いのよくない暗殺チームとか、もうこれ処刑人。ハイ。
ということで、中世。
ポルポさんはなんで拷問されることになったんでしょうね。秘密組織の幹部だって密告された系の変人。
組織の体系を全部吐けーボスの居場所を教えろーっつって捕らえられたけど知らぬ存ぜぬマジで知らん、で喋らなかったら拷問に回された。マジで知りませんマジで、とは言ったけど信じてもらえるワケがない。ですよね。
変人だってガンガン知らされていたので、痛いのも苦しいのもたぶんこいつ効かねえな、と判断されて"屈辱"を与える方面に持ってかれる。すなわち、"穢れている"処刑人とのダンスを。
そういう完全パラレルパロディしっちゃかめっちゃかなシリアスな話を供養。








至極面倒臭そうに、欠けたカップを傾けたのはメローネだ。何度も抽出しすぎてもはやお湯と変わらない薬草茶を音も立てずにすする。
とにかく、金が入らない仕事だ。それだけのことをし、咎められた罪人とはいえ人を処刑し、ある意味では国のために手を汚す職業でありながら、死刑執行人―――処刑人の報酬は少ない。子供の小遣いでも投げられているのかというほどに少ない。子供の小遣いでも投げているつもりなのだろう。
仲間同士、九つ分の生活を保つことにそのほぼすべてが費やされる。半数以上が成長期だ、食費は帳簿を圧迫する。手元に残るのは雀の涙ほどの硬貨と、肉を切り骨を断つ感触だけだ。
「俺らの所に連れて来られるなんて、不運な奴もいたもんだな」
イルーゾォが頬杖をつく。
「よっぽど強情なのかねえ。それか、痛いのがダイスキな被虐趣味だったりしてな。鞭打ちはご褒美ってやつ?」
「ふは、そいつはお手上げだよな。吐かせるまで殺されないってこたーわかってるワケだしよ」
ソルベとジェラートが笑った。

人里から離れた小さな家にやって来た男は、リゾットをはじめとする九人にこう告げた。
「明日、"ダンス"を行う」
いわゆる、拷問の一環だ。
誰が、どうしてその方法で問われることになったのか。そんなことにはひとかけらの興味も浮かばない。リゾットは短く、理解した意だけを伝えた。
要件を伝えた男はすぐに道を戻って行った。ドアは開かない。ローブで身を包み、マスクもしていたかもしれない。処刑人との接触は誰もが忌避する。言葉を交わすことも、同じ空間にいることも嫌悪されるかもしれない。する人間は確実にいるだろう。
理由はどうあれ、人に死をもたらす職業だ。彼らの印象は、恐怖と穢れとしてこの国に根付いている。

そんな"けがらわしい"存在と踊らされる。この国に生きる人間にとっては、蠢く蟲に集られるより、群れの中に放り込まれるよりも怖気のする拷問だ。毒草とキスをしたほうがマシと言った者もいるらしい。
毒草とキスをすればそいつは死ぬが、俺たちと踊ったところで命は消えない。踊った後のことを無視すれば、どちらが自分にとって安全かは考えずともわかるはずだ。
けれど、命と天秤にかけられて、命を選ばれる職業であることは、子供でも、知っている。自分たちがそう思われていることを、彼らも知っている。
社会の輪から、事情があって弾かれ出された者ばかりだ。元の生活に戻れるとは思っていないし、戻ったところで何になろうか。狭い家と薄すぎる給料には不満があるが、言ったところで変わらない。
踏みつけられ、蔑まれ、遠ざけられ。
もはや、それに何かを感じることもない。



マジで知らんのに、正直に知りませんって言ってたら殴られたでござる。なにそれ理不尽。
現代日本で、喉にもちを詰まらせて冒険を途中で終わらせてしまった私は、王様の手か教会によってか、中世モドキの時代に生まれ直した。前世の記憶がオマケにくっついていたのは、なんだろうね。そのおかげで言葉の習得が遅かったよ。日本語はバリバリですけど。
モドキ、というのは、その日本語の扱いのせいだ。
地球とは違うのか、時代がそうなのか。"日本語"は、この国、いや、国外でも、"古代語"として周知されている。
知られているだけで、それを修めている人はごくわずかだ。古の文献を解読する国営団体に所属したり、独力で研究を進めたり、道は少ないけれど、かなり難解とされる"日本語"を操れる人間の将来は安定している。国に養ってもらえるようなものだ。私はこの国の言葉の発音のほうが難しいとおもうけど。
まあ、そんな感じで、世界が違うらしい。地球じゃないの?ここ。周りの人が人間っぽくてよかった。スライムとかだったら、前世の記憶があるだけに受け入れられなかったかもしれんな。プルプル、私悪いスライムじゃないよ。スライムじゃないし。

生まれながらにして、お金の成る頭脳もとい"古代語(ジパーナ)"を持っている私だけど、略歴は至って普通だ。中流か下流かで言えば中流の家庭に生まれて、学校に通って、燃費が悪すぎて家計に負担をかけてしまうことにすぐ気がついたので内職を始めた。
街角に転がっている、英語Tシャツに似た、意味もわからず字面の格好良さで散りばめられたジパーナを翻訳して、こっちのがカッコいいよ意味的にも形的にも、とアレンジするだけの簡単なお仕事だ。母国語だからちょろい。得たお小遣いで買い食いをしてお腹を満たしたり、日本語楽しーと読書をしてたら拉致された。
何を言っているかわからねーと思うが私も何をされたのかわからなかった。端的に言うと、とてもいえない組織のボスにジパーナのセンスかっこ笑いかっことじを勝手に見込まれて、家族を人質にとったとかフカしたボスさんに書類を回されるようになった。知らんアパートに軟禁状態。外には出られるけど、人質……ですからね……両親な……。逃げられないですよねえ。
逃げられないまま、二年が過ぎた。私は十六歳の誕生日をわびしくぼっちで迎えた。
娘が行方不明になり、冷たい世間の風に耐えかねたその両親がすでに儚くなっていることを知ったのは先週だった。おい。

二年の間に、数えきれないほどの"ハジメテ"を経験した。生まれ直しも"ハジメテ"だったけど、きっとこの世界でも、普通に生きていたら想像もしないことだ。いや、想像はするかもしれない。でも、自分がそれを行うとは考えない。
指令書が届くと私は、書かれた名前をジパーナに翻訳する。そして毎回違う住所に送りつける。それだけだ。一度で、一般的な月給を二つ合わせたくらいの報酬が手に入る。
高すぎるとは思わない。もしも命に値段がつけられるなら、この報酬は別のところに送られるべきだし、それは私が支払うべきだ。なぜならこの私の一手間で、人が死ぬのだ。
初めは、いくつか記された名前になんの意味があるのかわからなかった。ヤバイ組織だからヤバイ名前なんだろうなとは思っていたけど、まさか組織の敵と疑われる人物をボスに報せるお手紙の代わりだとは思わないじゃん。
意味がわかって、寒気がした。私、何人か間接的に殺してる。
相手が同業者で、人の倫理から外れたことをしている、とか、法で裁けない犯罪者だ、とか、おくしゅりのみつゆはよくないよね、とか、そういうのは問題じゃない。これはトラウマモノだ。しばらく仕事をストライキしたら、ボスから直々に警告された。逃げたり、背いたりしたら、両親ともども私を殺す、と。
いあいあいあ、引きずり込んだのはあんたじゃん。しかも今思えば両親死んでる。もう死んでる。
けど、私は死にたくなかった。死ぬ瞬間を憶えている。意識が途切れる瞬間は、眠りにつくように曖昧で、でもあの苦しさと恐怖を憶えている。二度目が嫌だった。怖かった。自分は可愛い。誰だって死にたくないだろうけど、比べたことはないけど、なんでもいいから死にたくなかった。死にたくなかったので、諦めることにした。

メンタルがビーバーに齧られて折れそう。だいぶ図太くなったと思ったけど、この三日でかなり折れそうになった。理由は簡単だ。
「いつまでも口を割らないと、君ねぇ、死ぬより嫌な目に遭うことになるぞ?」
はい、違法組織取り締まりで捕まりました。
「喋れることはもう喋ったんですけど……」
前からマークされてたらしいよ。私の経歴丸洗いされてたらしいよ。おっぱいのサイズまで知られてるらしいよ。どうやって調べたんだ。下着屋に問い合わせたの?
うちの組織(って言うのが不自然じゃなくなってきた自分な)のボスに用事があるらしい。私がジパーナ繋がりでボスに重用されているという情報を得て、半年監視した結果ふんじばったとのことだ。へー。半年。長いよね。確実に密告されてます本当にありがとうございました。
で、ボスの情報を、あとなんか組織のことを吐け!って言われてるんですけどね。ぶっちゃけ本当に知らない。何も知らされてない。だって私ただの翻訳機だから……。エキサイト翻訳ならぬポルポ翻訳だから……。エキサイトできない。
べちべち殴られてふざけんなこいつらコロコロすんぞ!とか、ここを出たらおぼえてろよ私の財力でなんかアレしてやる!とかプンスカしたけど、出られないまま殺される可能性には最初から気づいてたよ、ポルポちゃんファンタジー小説好きだったからね。今はそこが現実です本当に以下略。
れいーぷとかに走って来ないのは、れいぷ目になって心が壊れちゃうと頼みの綱がアウトだからかな。十六歳は法的にアウトだからかな。れいーぷは何歳にしても犯罪。なんにせよ幸運だった。

と、二日目。知らん人に知らん部屋に連れていかれた。ひんやりする、打ちっ放しのような小さな空間。逃げ場はもちろんなさそう。石造りって、石によってはこんなに寒いんだーアハハ。マジで寒かった。あと、「いつまで耐えきれるか楽しませてもらおうか」って言われた。何が始まるんだこれから。水責めされたら死ねるな、死ねないし死なないけど。
ビビってたらおっさんが部屋から出てった。あいつらと同じ空気を吸いたくねえとか言ってた。エ?誰?
おっさんはそのまま戻ってこなかった。
マジで誰?



人数の指定はされていないのだし、察するに、対象は一人だ。大型の執行でもないのだし、全員で動くまでもない。
一人は自分から手を上げた。
「"ダンス"自体はどうでもいいけどさ、極限状態の相手がこっちをどんなふうに拒絶するのか、もっと知っておきたいだろ?」
明らかに、隠密行動にも殺人にも向いていない服装と目立つマスクで身を包んで、メローネは笑う。
彼のストッパーとして、リーダーであるリゾットが行くことになった。どちらも奇抜な服装だが、この国では別段珍しいことではない。
メローネは道すがら、道路に面した二階の窓からこちらを見つめていた女性に手を振った。女性はパッと嬉しそうな顔をして、控えめな動きで応えた。微笑みを投げて、金髪の少年は隣を振り返る。
「俺たちが"何"なのかを知ったあの顔が引きつるところとか、さ」
「…………」
リゾットは沈黙で答えた。それは充分に知っている。

ドアの横には男が立っていた。男はこちらを見て顔を顰め、顎で部屋の中を示す。何を聞き出せばいいのかは、手短に伝えられた。
リゾットとメローネがドアに近づくと、男は二人を避けるように遠ざかった。まるで、死に至る煙でも出ているかのような動きだ。
「握手してあげようか?」
一歩寄っただけで、男の身体に震えが走る。メローネは嘲笑した。誰をだろうか。表情は、深く引き下げられたフードに隠して読み取らせない。
「死んだりしないさ、そう簡単にはね」
腐臭漂う屍を見るような目を向けられ、メローネはふいっと視線を外した。興味が失せたのだ。
リゾットはメローネを呼んで、それからドアを軽く叩いた。怪訝そうな女の声が聞こえる。
「(少女、か?)」
哀れだな。
リゾットが抱いた印象は、それだけだった。



ノックされたので返事をしたら黒ずくめの青年……少年かも。そんな人が二人入ってきたんだけどなんか質問ある?質問したいのは私です。
「やあ、こんにちは」
身長の低いほうの黒ずくめに挨拶されたので、はあ、こんにちは、と会釈をした。話しかけられたけどこの人名前なんだっけっていうか知らねえー!誰かわかんねえー!に似た混乱をしていたので、かなり疑問符が浮かんでいたと思う。
「これから何があるかわかってるかい?」
正直に言うとわかってないです。
フードの奥で、くっく、と少年の忍び笑いが起こる。彼は名乗った。
「俺たちは"処刑人"だよ」
処刑人って、あの処刑人か。断首刑や絞首刑を執行するあの処刑人か。狼男より死神より身近で恐ろしいとされるあの処刑人か。私も、子供の頃に、悪いことをすると処刑人に連れていかれるわよって教わったし、街を歩いていても死刑の執行が刷られると色んな意見が聞こえてくるから、存在はよくよく知っている。国に捕らえられた罪人は、法の下、処刑人の手で裁かれるのだ。
法に反した人間が。
「(今の私は、罪人で)」
背中に冷や汗が浮かんだ。鼓動がうるさく聞こえて、押さえ込めるはずもないのに、胸に手を当てた。
どうやって逃げようかと退路を探して、そんなものがないことは知っていた。袋小路だよ。
私はどんな表情をしているのだろうか。
「私、今、死ぬ?」
音を立てた明確な死の予感を、どう退ければいいのかわからない。死にたくなかった。
「(二度目は、ない)」
老衰以外、認めない。



誰が来るのか、何が起こるのか、何も聞かされていなかったのだろう。
困惑しながらメローネの挨拶に挨拶を返した少女は、目の前の二人が"処刑人"だと知って激しく動揺した。
まだあどけない朱色の瞳が大きく見開かれ、唇を閉ざしたまま、呼吸が浅くなるのを堪えるためか、心臓を締め付ける恐怖に耐えるためか、握りしめられた手がその胸に押し当てられた。こちらに合わせて立ち上がっていたその重心も、恐らく無意識だろうが、後ろに傾く。倒れそうになるのを、片脚で支える。唾を飲み込む。唇を噛む。
リゾットは、数秒もかからなかった彼女の変化を見ていた。恐怖で声が出ないのかは知らないが、悲鳴を上げられないだけ静かでいい。その程度だ。何の感慨も抱かない。だから、かすれた声で問いかけられて、正確に否定した。その無感動さ故に、メローネが気づいた彼女の声に秘められた大いなる覚悟には、気づけなかった。
「そういう指示はされていない」
「けど、あんたはこれから俺たちと"ダンス"しなきゃいけない」
一拍、沈黙が降りた。
「……えっ……」
真っ白く見えるほど血の気の引いた唇が動く。呼吸がひきつれて、ひくっ、と喉が鳴っていた。
「……」
少女はひきつった表情のまま、リゾットとメローネを順番に見た。リゾットに視線が戻って、深く、震えながら息を吸い込んだ。恐怖で滲んだ朱色が、泣きそうにゆがむ。
そう、いっそそれなら死んだほうがマシなのだ。処刑人と踊るということは、処刑人に腰を抱かれるということは、処刑人に触れるということは、この国の人間にとって、死よりも耐え難いことなのだから。

リゾットも、メローネも、少女が悲鳴を上げると思った。身を縮めて、泣き喚いて、誰にともしれない許しを乞うと思った。ただの少女だ。裏組織に所属していたとは思えないほど普通の少女だ。
リゾットは騒がしい音を遠ざけるため、わずかに顔をそらした。その視界から、立ち尽くしたまま、すとんと首を垂れた少女が消える寸前、彼女は深く息をついた。
「よかった……」
二人とも、一瞬、何が聞こえたのか理解ができなかった。この状況で、聞いたことのない響きだった。メローネの唇から、ぽろりと一音が落ちる。
「は?」



死ななくていいみたいです。
逆にビビりすぎてウックルシルートに入るところだった。
このまま処刑しまーすって刃物出されたら死んでも逃げるしかねえなって思ってた。殺されるくらいなら殺します!!
十中八九殺せないし逃げられないけど、ただ死を待つほど潔くはいられない。何度も言うけど、二度目はナイノデス。
人生という意味では二度目は在った。途中退場はもう、しない。私は自分が大好きだから、自分については諦めたくない。
おっぱい?ンなもんなくたって死なねえ、どうでもいいわ!揉め!揉んどけ!
食べ物?なきゃ死ぬし人生楽しくないだろ!
あっぶねえー、ルーラ唱えて天井に頭ぶつけるところだったわ。
安心して、身体から力が抜けた。なんだよ、シリアス気取ってたのは私だけじゃん。被害妄想乙。
でもあながち間違いじゃないよね。このまま行くと確実にこの人たちのお世話になるよね。なにせ、公的機関にしろ隠匿された組織にしろ、国が関わる殺人には処刑人が関わる決まりだもんね。自分たちの手を汚したくない大人のしわ寄せの処理をさせるための決まりとしか思えんですな。標的なので他人事じゃないです。
でも、いま殺されなくて。
「よかったあ……」
心の準備とかできてないし、最後の食事とか出されてないし、なんにせよ神様への祈りとか懺悔とか、そういう時間はもらえてもいいんじゃないですかね。その間に逃走を試みます。無駄でもやってみる。うまくいくかもしれないだろ。十中八九以下略だけど、諦められないんだから仕方ない。
へたりこんで、大きく息をつく。壁の冷たさが気持ちいい。石壁サイコー!もうなんでもいいわ。
「……何が、"よかった"の?」
複雑な声だな、と感じた。動揺か、怒りか、笑いか、涙かを押し殺した、さっきとは違う種類の声だ。
「死ななくて"よかった"」
「…………」
「ちょっと待って、それ以外に怖いことをするの?」
爪を剥いだり指を折ったり切ったり焼いたり?
言ってて寒気がした。触ってないのに手がイテエよ。
「……そういう指示も、受けていない」
セーフ!私のメンタルは守られました!あと肉体!というか、殺しもしないし痛いことをしないなら君たちは一体なにをしに来てるんだ。なんの指示を受けてるの?
「(……あっ、ダンス?ダンスか)」
さっき若そうなほうが言ってたな。若そう、というか、明るいほう。
「恐怖はないのか?」
静かに問いかけられたので、まあ、と頷いた。
なにを対象とする恐怖なのかはわからないけど、少なくとも殺されなくて、拷問にもかけられないならよくね?
私の想像力が足りていないだけで、"ダンス"ってなんかの隠語なの?焼けた鉄板の上で踊り狂うやつ?アレは"痛いこと"に分類されるだろ。
へえ、とわざとらしく、黒ローブの少年が背をそらした。袖に隠されていた片手を持ち上げる。革の手袋を抜き取る。
素のままの手を投げ出すようにこちらに向けて、ほら、と催促みたいに軽く揺らす。
「それなら自分から来なよ。怖くないなら、簡単だろ?」
「……」
その隣の青年の言葉と、少年の手と言葉でようやく理解できた。なぜ、そうされるのかがわかった。ごめん頭悪かったね私ね。
"処刑人"は忌憚される。同じ空気を吸いたくないと言われる。彼らが通った後には死臭が残ると言われる。死と触れ合い、死を齎す。
人はそれを避ける。縁起が悪い、と避ける。死と近いモノを避ける。"法による裁き"は、"彼らによる裁き"として刷り込まれる。
前世とは、考え方が違うのだ。当然だ。国も違うし世界も違う。たぶんマジで世界が違う。
その違いが、ここに決定的に現れた。
どう表現したらいいのか、そもそも前世とか言い出したら封印指定されちゃうんじゃないかとか、宗教的にヤバかったかなとか、色んなことを考えてしまって言葉が渋滞を起こしていたけど、なんか言わなきゃあの手が無沙汰だよなと、うっかり気遣いの心がアクセル全開。
「もっと可愛く言って欲しい」
欲望も全開だったわ、ごめん。
少年のほうが固まって、隣の人が彼をちらりと見た。私も自分の発言に固まった。
「ご、ごめん、ついうっかり」
なにがうっかりなのかわからないよね、私もわかんないよ。
もはや撤回のしようもない。この空気どうしよう。普通に握りに行けばいいの?おっさんはなぜ入ってこないんだ。あっ、彼らがいるからですねわかりました。
記憶も数えると三十は超えるけどヤッチマウことってそんなになかった。あんまりなこの空気にオロオロしていたら、ぽつりと、名前を聞かれた。
「あんた、なんていう名前なの」
答えた。
「"ポルポ"だよ」
二つ目の名前として馴染んだ、十六年が三文字に詰まっている。
少年はゆっくりと、手のひらをこちらに向けた。フードが少しずれる。金髪がこぼれて、整った口元が、その唇が言葉の形をつくる。笑ってはいない。どこかつぶやくような、そんな動き。
「ねえポルポ、俺と踊ろうよ」
はい喜んで!!!



すたすたと素足で石の床を踏んで近づいて来たポルポは、メローネが差し出していた手に手を重ねた。そのやわらかな感触に、メローネは瞬間、手を引いた。どの"対象"とも違う手だった。
メローネたちが"対象"を押さえるために手を触れると、彼らは、彼女らはそれが布越しであっても、まるでそこから焼けただれていくかのように恐怖し、逃れようとするのに、この手は違った。近づいて来た。逃げようとしない。布を介していない、素の手に触れて来た。逃げようとしない。持ち主はこちらを見つめている。その目が何を表すのか、"異質"すぎてメローネにはわからなかった。
熱いものに触れたかのように素早く引かれたメローネの手を、ポルポの手は追わなかった。ただメローネの動きを見て、手を下ろした。
求められたから応えて、相手が終えたからこちらも終える。
それは当たり前の動きだった。
「あんた、……、……」
何と言っていいのか、メローネには適切な表現が、質問が浮かばなかった。代わりにリゾットが口を開いた。
「よく触れられるな。"穢れ"がうつることは気にならないのか?」
ポルポはリゾットを少し見上げて、それから自分の手を見た。メローネを見た。メローネは隠すように、手を袖の中に戻した。ポルポはまた、リゾットを見た。
「うつっても、風邪とか引かないじゃない?なら、なんでもいいと思う」
「……」
「悪いが、同じ言語で喋ってくれ」
「え!?」
ジパーナ混じってたか?とポルポが首を傾げたが、リゾットのニュアンスも、メローネの沈黙の意味もそうではなかった。同じ公用語を使っているのはわかっている。
そうね、とポルポは悩むように頬に手を当てた。
「触ることで影響を受けるのは片っぽの、もしくはお互いの精神であって、身体的には何の問題もないじゃない?感染症とか持ってるなら別だけど」
持ってたら"処刑人"には選ばれないし、就けないわよね。
同意する。仕事の処理は体力を使うし、勤めは不定期だ。連続することも、まったくないこともある。その変化についていけない身体では、就けたとしてもすぐに退任を余儀無くされる。金銭的にも、足手まといを抱えられるような余裕のある仕事ではない。
「そして、私はこの子に触ったことに、特に何も感じてない。手がすべすべしてるけど男の子だねえ、そのくらい」
思い出すように、ポルポはメローネに重ねたほうの手を軽くにぎった。
「"処刑人"に触れたり近づくことで"穢れ"がうつるっていうのは、死体の衛生面の問題もあったのかな。でも今の技術でその心配はなくなってる。となると、これは、……これだけじゃなくて、全部が私の想像だけど、"処刑人"と接することで、強烈な負のイメージとか、死ぬこと、殺されることへの、その正体のわからない、感じたことがない恐怖、みたいなものを感じるとしてさ。それを感じたくなくて、怖い思いをしたくなくて、"処刑人"に近寄らないために、近寄らせないために、"穢れ"という概念をつくった。"処刑人"から発せられる正体不明のそれを避けた。それを、うつる、と表現した。……だから、本当の意味の"穢れ"がどういうものか、私はわかってないかもしれないけど、少なくとも、君に近づいたり、この子に触ったりして、私は怖さを感じない。だから、"穢れ"がうつっているとは感じないし、うつっていたとしても、それでいいと思う。誰にもわかんないよ、私が"感染"してるかなんて」
ペラペラとよく回る口だ。リゾットはその雄弁な、血色のよくなった唇を見つめた。
メローネは袖の中で手を握りしめた。
「だから、うつっても、風邪とか引かなきゃいいんじゃない?」
ポルポは真顔で、時折苦笑して、喋り切った。
「(そう)」
"穢れ"が他人からの物差しだということを、リゾットたちはよく知っている。それでもたまに、ふいに、自分たちを"穢れ"ていると感じる時もあった。自分たち以外の世界中の人間がそう言うのだから、その部分もあるのかもしれない、と。

"処刑人"の顔も棲家も隠されている。フードを払い、ローブを脱ぎ、服装を整えて街に出れば、彼らは喧騒に紛れるただの街人だ。肉を買う青年が、買い食いをする少年たちが、振り返る彼が"処刑人"だと、誰も知らない。想像もしない。"穢れ"はうつらない。
だが、それをここまできっぱりと言い切れる存在は、今のこの国にはいない。それこそ、"処刑人"でなければ理解できないことだからだ。"穢れ"がうつらないものだと断言できるのは、"穢れ"ることを自分から選んだ人間だけだからだ。
この国に染み付き、どうしようもなく古くから枝を広げ、国民の心に深く根を張ったそれが、この少女にはまったく影響していない。理解はしても、相入れない、一つの意見として考えている。
「では、つい今、俺たちから遠ざかろうとしたのは"穢れ"のためではないとして、……何を怖がった?」
数えきれないほど見たうちの一つだった。女が怖れに凍りつく瞬間も、逃げ道を探す視線も、なんら変わりのないものだ。それなのになぜか、あの瞳の色がリゾットに焼き付いて離れない。
「死ぬのが怖いと思った。"処刑人"だって言われて、私は"処刑"される理由があったから、割る口がない罪人なんて生かしておかずに、この部屋で、このタイミングで、組織の仲間が……まあ来ないわけだけど……助けようとしてこないうちに、死刑が執行されることになったんだと思った。この人たちは、私を殺す可能性が高いと感じた。非常に高いと感じた」
「指示があれば今すぐにでも」
「あったら教えて、全力で死なないようにするから」
冗談として処理したように見えて、ポルポの目は据わっていた。無駄だと知っていてもその手段を考えるのだろう。ここに来て、リゾットはポルポに、秘められた覚悟があると察した。圧倒的な死の予感の前にいて、あの時も彼女はその覚悟を抱いていたのだ。もしもリゾットとメローネが刃を抜いていたら、どうしたのだろうか。逃げただろうか。立ち向かって来ただろうか。それとも。
「死ぬのが怖いの」
「そう」
しぬのがこわい。
声を出さずに呟いて、朱色が閉ざされる。
「私は死にたくない。だから、私を殺そうとする人が怖い。罪人だから、指令を受けた処刑人が怖い。下される判決が怖い。街を歩いていたら通り魔が怖い。家にいたら強盗が怖い。殺されることが怖い。死ぬことが怖い。正確に言うと、自分の意思に関係なく死んでしまうことが怖い」
朱色が開いた。フードの繊維を通り抜けて、まっすぐにリゾットを貫く。
「何が怖がったかと言えば、殺されるのを怖がった。そして、どうして怖くないかと言えば、君たちは私を殺さないから」
自分を殺す存在を怖れる。だから"処刑人"を怖がった。
リゾットとメローネはポルポを殺す存在ではなかった。だから、"リゾットとメローネ"は怖くない。単純な話だ。とても単純な、子供のような発想。
「あんた、……異質、だね」
メローネが、リゾットの思考を引き継ぐように呟いた。朱色がリゾットから離れ、メローネに向く。メローネの手は、もう握りしめられていない。
「この国の人間じゃ、ない」
ひどい言いようだ。しかし、真理だと思った。その子供のような発想は、この国の子供にだけは宿ることがなく、常識と世間を学んだ大人の輪からは隔離される。この国では、そうなのだ。
「そうかもねえ」
のんびりと、肩がすくめられる。
「でも死ぬまで、この国の人間として生きていかなきゃいけないのよ」
ポルポは笑った。

シャボン玉が割れるような転換だった。
「それで、まったく拷問にならない気がするんだけど、踊る、のかな?」
確かに、責め苦を与えて情報を引きずり出す目的からは遠く離れている。踊る必要はない。ローブの下にある得物を柔らかな肉に突き刺したほうが効率的だし、任務遂行のためにはそうするべきだろう。
手をとって、引き寄せて、足取りを合わせる必要性など、かけらも、ない。
「……」
リゾットはメローネを見て、メローネはリゾットを見た。メローネはすぐにポルポに顔を向けた。
「指示通り、踊ろうよ」
「えええ!」
少年の手が、隙だらけのポルポの手を掴んだ。ポルポは目を丸くして、手を取り返そうと腕を引く。けれどメローネは離さなかった。ポルポのそれは、嫌悪ではない。ポルポは、"リゾット"と"メローネ"を忌まない。
なら、その抵抗の理由はどこにあるのだろうか。リゾットが問いを発する前に、ポルポがくるりと表情を変えた。
「私、踊れない……。ダンスの授業はぶっちぎってきました……」
「はあ!?踊ろうって言ったら来たじゃん!」
「手を握って、真摯に"踊れません"って伝えたかったですね」
「最初に言えよな!」
「ダンスって拷問の隠語かなんかじゃなくてよかったー」
「違えよ!それが拷問なの!」
ポルポとメローネの表情はくるくると変わる。声音も変わる。
「(踊ったことがなかったのか)」
リゾットは改めてポルポを見下ろした。
濃い金髪は、メローネのものとは違ってあまり光を反射しない。くすんだように見えるのはそのためだ。無造作に背中に流され、その上でふわふわと、生来のゆるやかなパーマのかかった髪が本体の動きに合わせて揺れている。
身体つきは普通だ。少し華奢に見えるのは、年齢の割に胸が大きいからだろう。ふくよかには見えず、不思議と体型にも、顔立ちにも合っていてしっくりとくる。メローネが揉んだ。ぞわぞわしてくすぐってえから揉まないでください、と言っている。メローネの目が輝いたので、リゾットはそのフードごと髪を掴んで引いた。
「リーダーも揉みたいのかい?」
「今、ノーブラだから揉みやすいよ」
「触りたいとも言っていない」
メローネはそのままフードを取った。"処刑人"としては、あり得ない行為だ。
ポルポが目を瞬かせる。可愛いね君、と、朱色が笑みの形に細まった。
「こういうのが好みかい?」
「うん?好きだよ。将来が楽しみだね。十年後にお互い生きてたらまた会おうね、ナンパするから」
メローネはともかく、こいつは十年後まで生きられないだろう。リゾットは知っていた。
「……、今しなよ」
茶葉と同じだ。出涸らしのそれは棄てる。この手段を以ってしても情報が引き出せないのなら、この少女は棄てられるだろう。リゾットたちの中の誰かの手によって。
メローネも知っていた。
数日のうちに、自分たちの誰かが呼ばれるだろうことを。
最後の時間を与えられたポルポは、誰に何を祈るのか。遺す言葉は何なのか。逃れられない死と、どんな表情で対峙するのか。被せられた袋の中で何を思うのか。誰を想うのか。
メローネは、リゾットは、その死体をどう"処理"するのだろうか。
だからメローネは、繰り返した。
「今、ナンパしてよ」
「そうする?」
「うん」
リゾットはフードの奥から、ポルポの瞳が、眩しそうに眇められるのを見た。それは瞬きの間に消えて、笑顔に変わっていた。
「ねえ、可愛い子猫ちゃん、私と一緒にお茶しない?お金はあるから、奢ったげるよ」
陳腐な台詞だった。ポルポは笑っていて、メローネも笑っていた。
「暇なら君もおいでよ。メニューの端から端まで頼んだっていいんだよ。……その時私は二十六歳か。おねえさんって呼んでね」
「……」
お前は俺たちよりもずっと金持ちだな。その代償が命なら、安すぎる金かもしれないな。
理解していないはずがない、十年どころか、来月まで生きていられれば良いほうだということを。
こいつは与えられた日数をどう生きるのだろう。
いくつかの返事が浮かび上がって、リゾットはそのどれとも違うものを選んだ。
「お前より、俺のほうが年上だ」
「でも私のほうがおねえさんだよ」
ポルポは笑った。

ニコニコと笑いながら、ポルポは一つ一つ、リゾットが教えたステップを踏む。メローネはポルポの姿勢を指摘して、たまにわざとリゾットの足を踏ませた。
引き出す情報は一つもない。彼女はなにも知らなくて、おそらく取り締まり局は、すべて計算の上で進めている。捕らえられた彼女が死ぬ。それが組織の尻尾を掴む手がかりになろうと、影を追う結果になろうと、変化が生まれればそれで良いのだ。

"ダンス"を終え、"別れ"を告げる彼らに、ポルポは軽く腕を広げた。ハグしようよ。
「……してあげても、いいぜ。でも、もっと可愛く言えよな」
何も言わずにすたすたと、ポルポはメローネとの距離を詰めて、その金髪を抱き寄せた。
「久しぶりにすごく楽しかったよ」
俺もだよ、とは、メローネは言わなかった。
細い腕はリゾットにも伸びて、リゾットはハグはしなかった。彼女の両手をまとめて、下ろして、ふわふわしていてくすんだ金髪を撫でた。
「元気でね、君たち」
名前も知らない処刑人二人に向けて、ポルポは笑った。



誰が仕事に出たかは、リゾットが把握している。一番年上のリゾットとプロシュートはまとめ役で、さらに言うとリゾットはリーダーだからだ。
しかし、対象の情報は、仕事には必要ない。
呼ばれた場所で、連れてこられた人間に刑を執行し、命の消えた肉体を処理する。それだけが求められている。

ポルポはリゾットの名前を知らない。メローネの名前を知らない。
言わないまま出会い、言えないまま別れた。

思い出しただろうか。
リゾットは時々、ふと想う。
例えばそれは怯える女を前にした時。あいつとは表情が違うな、と感じる。
例えばそれは鏡を見た時。あいつとはやはり色が違うな、と感じる。
例えばそれは"踊ら"された時。剥き出しでぶつけられる嫌悪に、彼女の特異性を感じる。
例えばそれはジパーナを目にした時。この言葉で彼女の人生が決まったのか、とぼんやり考える。

憶えていられるだろうか。
メローネは時々、ふと想う。
例えばそれは手を見た時。握った感触が消えないように思い出す。
例えばそれは少女を見た時。違う面影を重ねて、消えないように思い出す。
例えばそれは"踊ら"された時。記憶をけがされる気がして、踊らずに終えて思い出す。

一年が過ぎるたびに薄れていく。声は思い出せない。断片的にしか会話を思い出せない。身長はどれくらいだっただろうか。こわばった表情は。重ねられた手は。抱き寄せた華奢な腰は。踏ませた時の反応は。踏まれた足の感覚は。あの瞳は何色に似ていたっけ。
笑顔が残る。残影が消えない。語られた言葉のイメージだけが繰り返される。忘れられないものがある。忘れたくないものがある。
何度も何度もカレンダーを繰って、メローネは二十五歳になった。リゾットも、二十八を数えた。
半日にも満たないあの時間を、夢だったのだと錯覚してしまうような年月だった。



リゾットはメローネと並んで歩きたくない。奇抜な格好が受け入れられる国柄とはいえ、誰が好んでこんな服装の男と連れ立って歩くだろうか。
「……」
「……」
メローネは、ずっと黙ったままだ。元々口数の多くないリゾットも、黙して歩く。
フードを払ってローブを脱げば、二人が"処刑人"だと気づくものは誰もいない。喧騒に紛れ、街を歩き、昼食をとる二人の男が、悪魔以上に忌み嫌われている存在だとは想像すらしない。
あの部屋は七年前に潰されていた。依り代を失い、リゾットとメローネの記憶はより不確かなものになっていった。
「……」
おかしいのはわかっている。
数えきれないほどあるうちの一つのケースだ。ただそれだけだ。
十年も忘れずにいるなんて、記憶にとどめて、霞を掴んで引き止めるなんて、おかしいのはよくわかっていた。あんなに、"この国らしく"ない人間には、もう会えないということもわかっていた。
若かったからか。揺らいでいたのか。追い詰められていたのか。救いを見たのか。
どれも違っている気がした。
リゾットは、少女のことを深く深く知りたいと思った。もっとたくさんの表情が見たいと思った。
メローネは、少女の近くで笑っていたいと思った。狭い輪の隣に来てくれたらいいのにと思った。
「……」
もう忘れたらどうだ、とは、何度も自分に言い聞かせたことだ。死んだ人間のことだ。死者にこだわっても仕方が無い。先がない。
「……」
忘れられないのだから、どうしようもない。
メローネは温くなったカップを取り上げる。チョコラテからは湯気が消えていた。気温は低い。上着の下は冷える。向かいの男はコートを脱がず、足元の石畳を見つめている。面積か、耐久性か、劣化の速度か、材質を求めているのかもしれない。
カップを置いて、意識を外に向けた。テラス席は街路に近い。寒い中でも、休日の街は賑わっている。休日。
メローネもリゾットも、仲間たちも今日は仕事がない。二週に一度、何処かに必ず休みが与えられる。労働法に基づくのならばもっと厳密に基づくべきだと嘲笑していたのは誰だったか。自分だったかもしれない。
かつんかつんと、女物のヒールが音を立てている。私だってやりゃあできんのよ、やりゃあね。
周波数を合わせるようなものだ。人混みをザッピングする。あぁそうかよ、度胸は認めるが世の中実績がモノを言うんだよ。そりゃごもっとも。
周波数を変える。夕飯のメニューについて議論する親子の会話。かつん、と足音が止まった気がした。カップを口に運ぶ。
かつかつかつ、高らかなリズムが近づいて来る。向かいの男が顔を上げて、怪訝そうな顔をしたのは一瞬だけだった。 メローネも振り向こうとして、世界の時が止まったかと思った。
「ねえ、可愛い子猫ちゃん、私と一緒にもう一回お茶しない?お金はあるから、奢ったげるよ」
陳腐な台詞だった。



金髪の女はリゾットに笑いかけた。
「暇なら君もおいでよ。メニューの端から端まで頼んだっていいんだよ」
女の背後で、金髪の男が煙草に噎せた。
「テメッ、バカか、人選間違ってんぞ」
女はプロシュートに身体を向けた。
「え?プロシュートの同僚だって今言ってたよね?」
「だからやめとけっつー意味だよ。……邪魔したな。つうかテメーらも仲良く茶しばいてんじゃねぇよ紛らわ……」
プロシュートの言葉は途中で途切れた。女の身体が、どん、と押されて傾いだために。
うおっ、と低くうめいた女は、肩を掴んで無理やり向きを変えさせられる。細いヒールでたたらを踏んで、プロシュートがその背中を軽く手で支えて、肩を掴んだメローネの手が、がくんと女を揺さぶった。
女は夕陽の朱をぱちりと瞬かせて、メローネを見て、リゾットを見た。リゾットも、女を見ていた。立ち上がって、プロシュートの疑問を無視して、動けずにいる女と、反応できていないメローネに数歩で近づいた。
「……」
女の唇が開きかけて、悩むようにすぐ閉じた。そう、彼女は呼ぶべき名前を知らない。
「十年、ちょうどだな」
「そうだね、……お互い生きててよかったね」
どうやって生き延びたのか。なぜ休日のプロシュートと親しい様子で歩いていたのか。今どんな生活をしているのか。忘れていなかったのか。
返事はいくつも浮かんだ。疑問も浮かんだ。要求も浮かんだ。
リゾットが選んだのは、その中のどれでもなかった。
革の手袋を取る。女の、冬の寒さに冷えた頬にその手で触れる。
メローネは食事のため、手袋を外していた。その手のひらで、晒されているたおやかな手を握った。
「うつるか?」
視界の隅で、プロシュートが腰に手を当てた。
彼女はメローネの手を、リゾットの手を、自分の手でぎゅっと握りしめた。
「うつしなうつしな!風邪引かなきゃなんでもいいよ。風邪引いても、治すからいいよ」
がんぜない子供をあやすように笑ったポルポは、腕を広げて、リゾットとメローネの肩を叩いた。
「友達に教わって、少しなら踊れるようになったよ」
だから、今度こそ踊ろう。
リゾットは、返事の代わりに、ふわふわしていてくすんだ金髪を撫でた。