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くりさにと、夢


「私たち、さっきまで長い廊下を歩いていなかった?」

 急にぴんとひらめいて、彼女は近侍を振り返った。
 そう、こんなふうに暗い夜の中、行灯も持たず、等間隔で揺らめく鬼火を頼りにゆっくりと、どこまでもまっすぐ続く長い廊下を。私と彼は、二人きりで。
 一つぶんの歩幅をあけて主人に付き従う男が首をかしげる。すると灯りに照らされたように、障子に大きな影が生まれた。しかしただの錯覚だったようで、瞬きをするとあっという間に消えてしまった。当たり前だ。ここは薄暗くなんてない、真昼の廊下なのだから。歩き慣れて、目を瞑っていたって曲がり角をやり過ごせるくらいに勝手を知った、今の彼女と彼らの住処。
 相模国に構えられたささやかな本丸は、この審神者の管理下にある。

「どんな廊下だ」
「えー? こう、……長いの。これよりは広いけど……とにかく長かった。どこに行こうとしているのかもわからないのに、進むのが当たり前のような気がしてたなあ」
「俺もいたのか」
「うん。いつもみたいについて来てくれてたよ。姿は見てないけど、確かに大倶利伽羅といた」
「俺はあんたの背後を歩いていたんだな?」
「うん」
「そうか」

 大倶利伽羅は山々の向こうへ視線をやり、珍しく、薄い笑みを浮かべた。

「おそらく、あんたは俺が今夜見る夢に落ちたんだ」
「は?」
「心配しなくてもあんたに害はない」
「あ、どうも……」

 彼女は自分に及ぶ悪影響になんざさっぱり意識が回らなかったが、大倶利伽羅は律儀だった。もしくは愕然とした彼女の顔を見て気をつかったのか。
 何にせよ、混乱する審神者には的外れな慰めだった。

「えーと、あの廊下は大倶利伽羅の夢に出てくるもので、私はそれに登場してた? ……でもそれは大倶利伽羅が『今夜』見る予定の夢なの? どうしてわかるの?」
「まだ見ていないからだ」
「……いや、そうでしょうけども」
「あんたは俺の姿を見なかったようだが、俺が『見る』場合はあんたの背中を追う形になるだろうな。視点が変わる」

 要点をまとめた大倶利伽羅の話は普段なら非常に頼りになるのだが、摩訶不思議な現象を説明してもらうのには不向きなようだ。

「これ歴史に介入したことにならない? だって、『現在』の私が『未来』の大倶利伽羅の夢に干渉してるよね?」
「あんたは落ちただけだ。神職だの何だのにはよくある話だと聞く。……この辺りは理屈を超えた領域に関わるんでね。詳しく知りたければ石切丸か太郎太刀にでも頼るんだな」

 審神者は微妙に口元を引きつらせた。
 生憎、神事に強いメンバーは資材稼ぎの為の日をまたぐ遠征で出払っている。昼に見送ったばかりだから、どうやったって間に合わない。
 だったらこれだけ、と顔を上げた彼女は、自分を見下ろす鋭利な金の瞳に捉われた。
 龍の巻きつく腕が音もなく持ち上がり、無骨な指が、確かめるようにまろい頬の輪郭をなぞる。
 え、と音もなく口を開けば、鼻先が触れ合う距離まで顔を近づけられる。

 真昼の風が木々をざわめかせるなか、誰もいない廊下で、大倶利伽羅は低い声で囁いた。

「見つけやすくなるだけだ」

 言い終えると、吐息も残さずあっさり離れていく。
 審神者の心臓は激しく脈打っていて「そうだね」としか言えなかった。人形みたいに頷き続ける。
 見つけやすくなるだけか。そうか。問題がないなら良いんだけど、ああ、えーと、そうか、見つけやすくなるだけだ。そうだよね。でも、何をだろう。

 話は済んだとばかりにまた一歩後ろへ控えた大倶利伽羅は、思い出したようにこう訊いた。

「同田貫は見たか?」
「え、……その廊下で?」
「ああ」

 暑くなった顔を手のひらで冷ます審神者は、記憶を辿ったのちに首を振る。

「見てない。気配も、大倶利伽羅の気配だけだった」

 だから余計に夢と現実がごっちゃになったのだ。
 もしも件の廊下に同田貫正国の姿があれば、審神者は大倶利伽羅を引き連れて同田貫の部屋へ直行しただろう。

「同田貫もいたほうが良かったの?」
「いや」

 大倶利伽羅はきっぱりと言い切った。

「あいつと俺は、見るものが違った。それだけだ」

 審神者は諦めて肩をすくめた。すっかりお手上げ状態だ。どんなに言及しても自分には理解できない領分なのだなとわかっただけ儲けものである。

 大倶利伽羅が夢で私を見るのなら、同田貫正国は何を見るのだろう。


「審神者さまーっ!!」
「ウワア!! 踏むかと思った!!」

 でんぐり返しでドロンと現れたこんのすけは、くちに巻物状の情報端末を咥えたまま器用に廊下を跳ね回った。呆れた顔の大倶利伽羅には気づいていないらしい。

「大変でございます! 一大事です! こちらを至急ご確認くださいませ!」

 浮かび上がる文字の羅列に目を通す。
 審神者はまるい眼を見開いて、震える声で呟いた。

「大倶利伽羅と、同田貫正国が、……打刀に……?」

 こんのすけも、飾りの隈取りを心なしか引き締めて尾を振った。

「これは内示でございます。正式に発表され、儀式が行われるまで、刀剣の方々にはくれぐれも、くれぐれもご内密に」

 と、声をひそめるこんのすけは、審神者の後ろから文字を盗み見る大倶利伽羅に目を剥いた。

「ウワアーッ!! 大倶利伽羅さま!? どうしてここへ!? こんのすけが騒ぎすぎたせいでございますか!? 違うのです! これは違うのです!!」
「……念のために言うが、後から来たのはお前のほうだぞこんのすけ」
「嗚呼……!! よもや、わたくしともあろう管狐が……!!」

 きつねは器用にめそめそと泣き出して、審神者のカーディガンの合わせ目に顔を突っ込んだ。

 一方で、審神者は顔を強張らせていた。
 これは刀剣にとって、根幹を揺るがされるような話である。これこそが歴史改変にあたるのではないかと思わなくもない。ちなみにこれは笑う所だ。

「大倶利伽羅は」

 彼女自身も、何を言いたいのか、言えばいいのか、わからずにいた。
 ただいつものように、大倶利伽羅の瞳を見上げて縋りつくと、眉ひとつ動かさない冷静なさまに心から安心させられた。

「どうでも良いな」

 口癖のように低く言う。

「見つけやすくなるだけだ」

 その瞬間、審神者は、彼の言葉がすべてわかった。
 彼女は燃えるように頬を赤く染める。
 そしてなぜか、ちょっとだけ涙が出た。





20190924