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審神者ゴーゴーマイペース


 ここに新しい審神者が赴任してきたのは、今からひと月前のことだった。
 加州清光は爪を噛む。整えたそれに傷がつくと気づいたのは、口に含んだあとだった。紅のはがれた親指に、苦い気持ちがつのる。
 どうして何も言わないのか。
 それだけが不思議で、やるせなくて、釈然としない怒りが湧きあがった。
 主の姿は、後ろ姿ばかりが目に焼きついて離れない。どんな顔をしていたか、見ようとしなかったのは清光自身だったはずなのに。
 同じように思うものは何人もいた。清光の後ろでぼんやりと虎の相手をする、幼い刀剣もそのひとりだ。五虎退は審神者の足元にじゃれついた虎を見て真っ青になり、ひぃ、と引きつった声を上げて逃げ去った。虎は少年を追い、審神者はひとり残された。
 厭われているのに。疎ましがられているのに。
 審神者はいつも変わらない態度で、いつもいつも、清光たちに会釈をした。

 来ないでくれる、と言ったのは清光だった。
 主に愛されたいという願いは、思いの外わがままなものだったらしい。
 本当に大切にしてくれる主に愛されたい。しっかり自分に向き合ってほしい。爪を見て、綺麗だねと言って、「すきだよ」と微笑んでくれる主がいい。そんなひとがいたのならと思った。
 初めて清光をおろした審神者は、その願いを叶えるかのように清光を愛玩した。身なりを整えさせ、よりよいものを与え、清光の切れ長の涼やかな目元を好きと囁いた。
 清光は幸せだった。それ以外なにもいらないと思うほどに。
 けれど、時は訪れる。
 審神者はいつからか鍛刀に固執し、何度となく出陣させられ、何かを求めるがむしゃらな醜さをむき出しにした。あるじ、と微かに震える清光の指先に、気づきもしなくなった。
 彼女はとらわれていた。天下に名をとどろかせるうつくしい刀剣を手に入れる夢に。
 念願かなってそれを手に入れた瞬間、審神者としての自覚も、これまでかぶってきた優しい皮も、すべてが彼女からはがれ落ち、審神者はひとりの女になった。それは、唯一彼女がなってはならないものだった。
 三日月宗近以外なにもいらない。
 どこにもいかせない。
 揮わせるなんてもってのほかだ。
 あなたはここにいるだけでいい。
 審神者だった女の言葉は毒となり、徐々に屋敷を蝕んだ。暗澹たる陰気が本丸の旗を黒く染め、濃厚な聖なる力は神の気配と混ざり合い、どろついた何かに変貌する。憂えた刀剣たちの言葉は届かなかった。
 それどころか、ぴしゃりと百倍にして跳ね除けられる。
 おまえたちに何がわかる。わたしが欲しかったものはこれだ。これを手に入れるためにここまできたのだ。
 見よ、このうつくしさを。おまえたちの誰がこれに太刀打ちできる?
 ああ清光。おまえは可愛らしかった。だがもう。
 だがもう、と審神者は清光の心にひびをいれた。

「だがもう、いらない」


 すさんだ屋敷で、清光はそっと誰かに肩を抱かれた。見ると、和泉守が目を伏せて首を振る。
 それだけでわかった。
 もう、この場所に真なる審神者はいない。
 いずれ力は絶え、ここは涸れてしまうだろう。木々は葉を落とし、常春を演じられるはずの庭は望まぬ冬を生み出していた。
 
 はじめの審神者がどこかへ消えたのは、それから数日後のことだった。審神者にだけ見えていたはずの式神のようなものが現れ、刀剣たちに新たな主の訪れを報せたのも、それと同じ時期だった。
 新しい、主。
 あの頃はあんなにも甘美な響きだったのに、今の清光らにとってこれほど苦い言葉もない。呆然とした清光の隣で、ハ、と喉の奥から嘲笑をもらしたのは山姥切だった。
 そんなものがはたしてここに必要か?
 声にしなかった叫びを、刀剣たちは寸分たがわず理解した。
 消えていきたい。このまま苦い思いをなかったことにして、刀へ戻り静かに呼吸を止めてしまいたい。
 燭台切がそう呟く前に、式神はかぶせるように言った。

「明日、到着なさいます。神にふれることも戦いに挑むこともはじめての方です。どうぞ、お手柔らかに」

 このようなことを言える立場にこんのすけはなかったが、言わずにはおれなかった。
 こんな現場に投げ込まれる新たな審神者と、こんな現場で生きざるをえなかった刀剣たちへのあわれみが彼にそうさせた。
 影に姿を消した式神を見送り、乱が、いつかの和泉守のように首を振る。諦めのこもったため息が落ちた。
 どうしようもないことだ。
 練度はそれなりに上がっている。だから、何か大いなる力はこの本丸を維持しておきたいのだろう。歴史を改変させないその為に、戦力はいつでも必要なのだ。
 戦いの場に出され、傷を負うのはいつものことだ。
 三日月宗近をおろすため、何度となく、数えきれないほどの資材が炉に熔かされ、刀剣たちの手当てのぶんがなくなって。疲労する身体に何度も鞭を打って。帰還しても、誰も褒めてくれなくて。
 褒められたくて戦っているのではないけれど、一度は与えられていた――はずの――ぬくもりが欲しかった。
 そして同時に、もう二度と要らないとも思う。
 恋しがって裏切られた。この胸の苦しみと、切り裂かれるような痛みは、常にかたちを変えるひとに信を置き、情を求めたから起きたのだ。それならば二度と――。

(そう、二度と)

 清光は三日月宗近の手を握りしめた。違うようで同じ苦しみを味わった、うつくしい刀剣。瞳を覗けばすぐわかる。その三日月が曇るほど、審神者に何をされたのか。

「二度とひとを信じたりしない」

 戦うだけならものでもできる。心も情も、もはや清光たちに必要なかった。




 新しく派遣された審神者は、右も左もわからぬ屋敷に戸惑った。ひと月前のことだ。
 自室はかろうじて把握できたものの、どこが厨でどこが執務室で、どこへ行けば刀を鍛えられ、手当てができ、指示を出せるのか、何もわからない。お付きのこんのすけは「近侍に訊けばいい」とだけ、言いづらそうに口にして置物のようになってしまった。訊きたくてもその近侍がどこにいるのかがわからないから困っているというのに。
 もちろんこんのすけは意地悪でこう言ったのではなかった。
 本当ならば、案内してやりたいのだ。それがこんのすけの任務であるし、審神者も円滑に業務へ入れるだろう。
 だが、こんのすけは今、刀剣たちを刺激してはならないと感じていた。ずけずけと新人を連れて主となる部屋を紹介していっては、触れれば切れる、まさに刃のような気配を持つ彼らにどこで遭遇するか、わかったものではない。そうなっては誰にとっても不幸が起こる。
 審神者には、正直に言って動き回ってほしくなかった。
 だから困り果てた審神者の前にもう一度現れ、こう付け加える。

「実は前の方が、いわゆる、散財をしてしまいまして。今ここは涸渇した本丸と言ってもよいわけです」
「そうなんですか」
「審神者さまがいらっしゃれば新しい資材が入ってきますので、ある程度貯蓄ができるまでは自室にて聖なる力を高めていただけないかと」
「はあ」

 そういうものかと納得し、審神者はおとなしく自分の部屋に足を戻した。

「ですが、挨拶くらいはしたほうがいいのでは?」
「それはその」

 こんのすけは、もっとも返事に窮したが、なんとか言い訳を絞り出した。

「みなさま、刀に宿った神さまですので。人付き合いにはあまり、興味がないようですよ」
「そうなんですか」

 審神者は頷いて、今度こそ部屋の扉を閉めた。

 そんなことが続いて時は経ち、誰にも会わぬまま、審神者は木々に花が咲く様子を窓から眺めて過ごした。
 勉強することは山ほどあったので暇ではなかったが、やはり部屋にこもっていては気が滅入る。あまり出歩くなと言われてはいたが我慢できず、そろりとサンダルを履いて庭に出ることもしばしばだった。
 その庭で、出会った。

 大木の幹に手を添え、清光はふくらんだつぼみを眺め、目を細めた。あんなにも死へと向かっていた木々が蘇り、うれしそうに微笑んでいる。命の輝きが眩しく、危うく何かを信じそうになる。こんなにもきれいな花を咲かせるひとが、ひどいひとであるはずがない。
 だが、とすぐに首を振った。きれいな花が咲いていても、桜が舞い散っても、事は起こったではないか。
 誰も信じない。仲間以外の誰も信じない。
 そう頑なに開花をこばむ刀剣の耳に、ぱたりと間抜けな靴音が届いた。
 素早く振り返り、身構える。仲間であったなら声をかけるはずだ。清光がここによく来ることはみな知っているのだから。
 どくん、どくん、と心臓が鳴った。うるさいほど存在を主張する胸の奥のかたまりがいとわしい。
 誰がいるのか、わかっていた。
 それでも訊ねる。

「……誰なの」

 驚いて足を止めたのは、清光の姿と同じくらいの年ごろに見える少女だった。
 女であることは聞き入れていたけれど、まさかこんなに若いとは。以前の審神者が妙齢であったことを考え、色々な部分が劣るなと感じた。
 審神者の少女は目を大きく見開き、じりじりと後ずさった。

「も、もうしわけ、ありません、すみません、その、まさか、ここに、……刀剣さまがいらっしゃるとは」

 そのびくついた姿を見て、無性に清光は苛立った。
 なぜ、怯えるのか。怯えたいのは俺のほうだ。無垢な顔をして、何をしでかすかわからない。どうして。何かが心の中でざわめいて止まらない。

「……出てってくれない?」
「は、はい、今すぐ」
「そうじゃなくて」

 清光の透き通った声は、冷ややかな光を帯びて審神者に突き刺さった。

「ここから。この本丸から。あんたのいた世界に」

 審神者は硬直した。
 当たり前だろう。清光だって、出会いがしらにこんなことを言われたら戸惑うに違いない。何を言っているのか聞き返すかもしれない。反発するかも。
 だが少女は何も言わず、は、と不明瞭に呟いて、言葉を探した。おどおどしているように見えて、意外にも態度は揺るがない。口下手なのかもしれないなと冷静な部分で考えた。

「はあ、あの、すみません。帰るわけにはいかなくて。でも、お邪魔でしたらできるだけ引っ込んでますので、あの、どうぞよろしくお願いします。挨拶が遅れましてすみませんでした」
「……話聞いてる?」
「はい」
「帰れないとか、そっちの事情でしょ。俺たちはもう、誰かと接したりしたくないんだよね」
「そうなんですか」

 気の抜けた相槌に、苛立ちと呆れがこみあげた。

「そうなんですか、って何? あのさ、顔も見たくないし、存在も感じたくないって言ってるんだけど」
「なるほど。気をつけます」
「何に?」
「部屋からあまり出ないようにして、指示はお手紙で伝えたりとか」
「真面目に工夫しようとしないでくれる?」

 相手のペースに引きずり込まれると気づき、清光はしっしと審神者を手で追い返した。
 素直に後ずさった審神者から目を逸らす。
 なんだか悪い奴じゃなさそうだ、なんて思う自分は切って落とす。握りしめた手に爪が食い込む痛みで、絶望を思い出す。

「俺、もう誰も」

 信じたくないんだよね。
 そこまで言ってしまった後で、ハッと気づいて口を押さえた。何を言おうとしているのだ。口から勝手に言葉が滑り落ちたようだった。審神者の空気に巻き込まれ、心が無防備になりかけているのかもしれない。
 危険だ。
 清光は少女から距離を取り、半ば睨みつけてその場を立ち去った。
 置いて行かれた少女はぽつねんと立ち尽くし、はあ、とまた言葉にならない声を落として首を傾げた。

「神さまって気難しいなあ」

 こんのすけの助言は、ある意味で彼女の精神を守っていた。

 虎にじゃれつかれ、可愛い可愛いと目を輝かせて相手をしようとしたところで引きつった悲鳴が聞こえても。
 悲鳴の主がばけものでも見たような顔で逃げ去っても。
 厠からの帰り道、偶然出くわしてしまった背の高い美丈夫にわざと肩をぶつけられても。
 時に直接、「帰れ」と言われても。
 手紙での指示がまったく通っていなくても。

 彼らは人間の自分とは違う考えをする。その考えは人間である自分には理解できないことも多い。要求が大きすぎることもあるし、できないことだって「せよ」と言われる。
 だがそれはすべて、彼らが神さまであるからで。

 とどのつまりはまったく、刀剣たちの苦い想いは審神者に届いていないのだった。



 

20150620