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刀剣乱舞 (彼氏持ちの女審神者の話)
膝枕とは良いものだ。
審神者は目の前で空けられていく壺酒を眺める。
大きな手が無造作に縄を掴み、大きな盃に命の水を注いでは飲む。よどみのない動きは何度も繰り返された慣れたもので、審神者の顔には一滴たりとも落ちない。
ぷんと漂う酒気が、雨の匂いに混じる。
審神者は次郎太刀の膝に頭を預け、手に入れたばかりの本を読む。お偉方との面談の際、少ないながらも与えられた自由時間に恋人と顔を合わせ、プレゼントされたものだ。流行りの推理小説らしい。
彼女は普段、こういった本は読まなかったが、恋人からのプレゼントとなれば話は別である。それなりの厚さを誇る文庫本を開き、必死に文字を追っていた。恋人の趣味には近づきたい。
「主。主の好い人って、何て名前なんだい」
突然投げかけられた質問に生返事で応えたのは、登場人物の名前と関係性がややこしくなり始めていたからだ。外国名と血筋の繋がりはなぜ、ファンタジー小説ならば容易に理解できるのに、現代や中世を舞台とする作品となるとこれほど難しく感じるのだろう。
ひと通り自分の中で整理をつけてから次郎太刀の顔を見上げる。次郎太刀は気を悪くした様子もなく、もう一杯、もう一杯、と湯水のように酒を飲み続けた。
「教えない」
突然、審神者が答えた。
次郎太刀の目が丸くなる。
普段このひとは、何のネタでもすぐにばらす。隠すことを知らないのかと疑いたくなるほど、すぐにひとに言う。書類もぶちまける。上司への不満も並べ立てる。秘匿するべきだろう仕事の内容でも暴露する。ついこの間は『器用そうだから』という理由で骨喰に書類のサインを代わりに書かせようとした。筆跡を真似ろというのだ。言われた骨喰は絶句した。
そんな彼女が、沈黙を選んだ。
驚いた次郎太刀は壺を置き、盃も置き、審神者の両頬を大きな手で包む。顎を指でくすぐられて、くすぐったそうに身をよじっても逃がさない。
「言わないのかい!」
「言わない。呼ばれたら嫌だから」
「どうしてまた」
「次郎太刀は秘蔵の酒をどこで手に入れたか、人に言う?」
すぐに首を振った。言わない。太郎太刀や審神者に訊かれれば答えるかもしれないが、たとえば石切丸には言わない。一見物腰柔らかで害のなさそうな燭台切にも秘密にするだろう。
貴重で、大切だからだ。独り占めできたらなと思うからだ。
「知りたいんだ?」
「あぁ、知りたいねえ。いい加減、その男について話す時に『恋人殿』だの『カレシ殿』だの言ってるのがまだるっこしくなってきたんだ」
「ふぅーん」
審神者は推理小説に視線を戻した。そのまま読み物に戻ってしまう。次郎太刀が枕代わりにされる膝を揺すぶって審神者を急かしても無視を決め込んでいた。
数ページ分読み進め、ようやくまた開いたままの本を胸の上に置く。次郎太刀の長い髪が着物の肩から前に滑り、審神者の顔をくすぐる。彼女が顔を振ると、気づいた次郎太刀は耳に髪をかけ、背中に流した。
「『X』」
「んん?」
「だぁから、カレシの名前は『X』。そういうことにしちゃえば喋りやすいんじゃなぁい?」
X。未知を表すアルファベット。
次郎太刀はそうとは知らなかったが、前後の意味からして『何某』と同じ意味だろうと推察した。
「なら、そういうことにしておこうか」
「そうして。でも、いったい何の話をしてんの? カレピが何かした?」
「みんな気になるのさ。何せアタシらの審神者がこれっくらい好きな相手だろう?」
「そんなもん?」
「あぁ」
それに、と次郎太刀はうっかり続けてしまった。言うつもりはなかったのだが、酒が回り過ぎたのだろうか。全身が、指先まで、痺れるほど熱い気がする。
責めるようだから、言ってはいけないと、思っていたのに。
「それに、アタシらよりもずっと、主が気にしている相手なんだから」
審神者の胸の上にある本。審神者が着ている服の色。幾枚もの手紙を読み返す横顔。ことあるごとに、比べるような言い方をする彼女の、無神経で自覚のない刃。
本丸に集まる刀剣の中で、次郎太刀が初めてその審神者に切り込んだ。
誰も言わなかったことを、酒に任せて口にした。
「だってそうだろう。主はアタシら刀剣と話している時だって、恋人のことばかり考えているんだ。違うかい。アンタも想像してみるんだ。目の前のその恋人が、『X』が、アンタと一緒にいるのに遠くの山ばかりを見ていたらどう思う? 嫌にならないか。悲しくはないかい。もっとこっちを見てほしいと思うだろう。そのことについて、ダチと愚痴を言ったりするのは、おかしいことじゃない」
言いながら、胸が苦しくなる。失敗した。言わなければ良かった。女々しかった。後悔が喉の奥に貼りついて、次郎太刀はこれ以上何も言えない。
審神者は次郎太刀の苦悩を下からじっと見つめていた。
珍しく、言葉を選んで、唇を舐める。
「私、そんなに……悪いことしてたの」
刀剣男士の悩みはわからない。審神者は刀剣ではなかったし、付喪神がどんな気持ちを持って、ただびとではない、自分たちと近い立ち位置に居られる審神者と接していたのか、想像もしなかった。
困惑する審神者の顔に次郎太刀の手がかざされ、視界が暗くなる。暗さの中で、彼女は今までの自分の言動を振り返った。
言われて初めて気がつくこともある。審神者の彼女にとって、それは刀剣男士の気持ちだった。本当に、今まであまり考えてこなかったものだから。
恋人を引き合いに出して説明されれば理解も容易い。――と思ってから、ああこのことも含まれているのか、と納得する。彼女の基準は、初めから今までずっと恋人にあった。
でも確かに、嫌、かもしれない。否、嫌だ。とても嫌だ。
次郎太刀の手を避けて身体を起こし、向かい合って座る。酒臭いため息をついた大太刀は盃になみなみと透明のアルコールを注いだ。一気に呷り、手の甲で口元を拭う仕草が男らしかった。
「挙句の果てに『何某』だなんてあんまりじゃないか!」
「え、ああ、はあ……」
「まったく。あんまりこだわらないアタシだからこうして言っちまえたけどねえ、別のやつだったら溜めこんで、いつ爆発するかわからなかったんだ。これからは少し……」
言いよどみ、気を取り直す。
「少し、こっちのことも気に掛けておくれよ」
審神者は心もち、前のめりになった。次郎太刀の顔を覗き込むかたちになる。
「少しでいいの?」
「……良いわけないだろスカポンタン! おたんこなす! 同列に扱え!!」
「はえぇ!?」
壺で殴られるかと思った、と、のちに審神者は薬研に語る。
部屋に押しかけてきた彼女から事情を聞かされた薬研は眼鏡を押し上げ、大将そりゃあ俺たちの中には味方はいないぜ、と爽やかに笑った。
20150227