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刀剣乱舞 (彼氏持ちの女審神者の話)


 ここのところの悪天候にはうんざりだ。
 本丸では湿気のこもりが激しく、少しでも空気を入れ換えようと、雨が入り込まない程度にふすまや障子戸を開け放つ部屋が目立つ。
 審神者が主に書類を片付ける部屋からも、つくりの良い庭がいつもと同じくよく見えた。
 雨に濡れた石灯篭の色が変わり、池には絶えず波紋が生まれる。飛び石のへこみに水たまりができ、植物の葉からしずくが滴り、地面の草を揺らす。
 見る人が見れば息を呑んで惚れ惚れとする景色だ。
 しかし、この部屋の主は情緒を解さない。
 曇りっぱなしの空が一度泣き止んだ時は正座を保っていたものの、再び呻き声を上げ始めると、雨粒ごと気力まで地面に染み込んでしまったかのようにペンを放り投げて畳に沈んだ。
 近侍を命じられた長谷部が戻って来ると、審神者の姿がない。あたりを見まわして「主?」と声をかけ、一歩部屋に入ると居場所はすぐにわかった。腕を枕にし、ごろりと横になっていたのだ。よく見れば文机の端から素足が伸びていた。

「主。茶と菓子をお持ちしましたよ」
「うぅい。ありがとぉー」

 ゆっくり起き上がった審神者の肌には畳の跡がついていた。
 年齢を聞いた時は予想よりも歳を重ねていることに驚いたものだが、こういう動きを見るとやはり歳相応には思えないな、と感じてしまう。
 不敬であろうから口には出さず、頭を振ってすぐに思考をどこかへ遣る。
 今日は玉緑茶を選んだ。彼女はあまり苦いものは好まないようだし、茶菓子の甘みも抑えられたものだから、ちょうどいいかと思ったのだ。
 茶を注ぎながら、飲む彼女の表情を想像した。そしてへし切り長谷部はその瞬間、もしかするとこの本丸は平和なのではないか、と何かを理解した。
 外は戦いの場だ。時代を越え、嫌な過去と未来にぶち当たり、刀を振るい、傷を負うこともある。
 しかしこの場所だけは。
 審神者が住まう居城だけは平和なのだと、その時、そんなことが心のどこかに音を立てて刻まれたのだった。
 審神者は何も知らず、前のめりになりがちな身体を反らし、ぱきぱきと肩を鳴らした。

「今日は何?」
「玉緑茶とかるかんです」
「フツーの緑茶と違うの?」
「苦味が少ないんですよ。西の方でつくられたものです」
「西、ね。ふぅーん。おいしいの?」
「まずはどうぞ、召し上がってみてください」

 文机の上に並べられた紙束を手で雑に除けようとしたのを止め、手早く折り畳み式の小さなちゃぶ台を組み立てる。手際の良さに審神者が気のない拍手をした。彼女にやる気はまったくないらしかった。長谷部も気にしない。自分がやるのが当然だと思っているようでもあるし、仕方がないなと言うようでもあった。
 審神者は正座は面倒だし脚が痛くなるので嫌いだったが、まさかこの近侍の前で座椅子に座り胡坐をかくわけにもいかない。小言は言われないだろうけれど、と数瞬悩んで、やめておく。
 言われた通り、茶をすすると口の中にまろやかな香りが広がった。苦味よりも熱さが強くて味がよくわからないが、質のいい茶葉だ。飲み口が軽いのでいくらでも飲めそうだった。おそらく誰かが審神者の渡したお小遣いで買ってきたのだろう。自分の為に使えばいいのに、律義なひとたちだ。
 かるかんの程よい甘さが身体の疲労を取ってくれる。
 ほう、と息をつき緑茶と甘味を交互に楽しむ審神者を黙ったまま姿勢を正してじっと見つめる長谷部は、傍から見ると蟻の巣を観察する少年のようだった。

「先ほどまで、寝ていらしたのですか? 呼びかけても返事をいただけなかったので心配しましたよ」
「え? ……や、ただ畳の目を数えてただけ」
「ご休憩中でしたか」
「そぉ」

 休憩中、のひと言にまとめる刀剣も刀剣だが、まったく何も否定しない審神者も審神者だ。ここに不自然さを指摘できる者がいれば、精神ががりがりと削れる音を聞けただろう。

「楽しいですか?」
「何が?」
「畳の目を数えることです」
「べつに」
「なるほど」

 無心でかるかんを食べ終えた審神者は、斜め向かいに陣取る長谷部越しに庭を見る。雨はまだ止まない。

「おかわり。主命で」
「はい。少々お待ちください」

 膝を引き、立ち上がりかけた長谷部に声がかかる。

「ねー、ちょっと『待ってろよ、桜……!』って言ってくんなぁい?」
「……は。……『待ってろよ、桜……!』」
「もう少し蟲を吐きそうな勢いで」

 審神者しか面白くない要求に、さすがの長谷部も眉根を寄せる。
 いったいどういう意味なのですかと訊ねても、のらりくらりと躱される。
 主命とあらば、何でもこなす。そう言って「マジ? チョーイイやつじゃん」と拾われた長谷部だが、審神者から言い渡される命令には不可解なものが多い。この間は『くそっ、時臣』と言わされた。
 彼女は自分の声が好きなのかもしれない。
 他の誰にも似た要求をしてはいない。言われるのは長谷部だけだ。ということは、そうなのだろう。長谷部はこう思い、訝りながらもいちいち審神者の願いに応えていた。『主命』だから、なのか。
 自分の中にくすぶる皮肉な感情を言葉に溶かし、もう一つのかるかんを運び戻ると、審神者はまた畳に寝転んでいた。

「どこか具合でも」
「眠くなっただけー。こういう時カレシが居たら抱き枕になってくれるのになぁ」
「抱き枕をご所望なら、何か見繕って来ましょうか」
「人肌だからいいの。あー、早く面談スケジュール上がんないかなぁあ」

 『恋人』の話は少し嫌なのだが、意見するには何かが一歩足りない気がした。
 黙ったまま、新しいかるかんののった朱塗りの皿を差し出す。気だるげに起き上がった審神者が受け取る刹那、指が触れ合う。
 そして何事もなく離れた。

「手で食べていい?」
「主がそうしたいのであれば」
「ヒュゥ、さすがディルムッド・長谷部」
「……主」
「ごめーん。長谷部くんね、長谷部くん。なぁんかいじりたくなるんだよねぇ」

 いじりというよりもはや悪意がこもった意地悪に近いのだが、審神者は自覚があるのかないのかさっぱりだ。目を見て謝るところだけは評価されても良い、かもしれない。もっとも、等価で打ち消されるかは難しいところだし、ひとはそうは考えないだろうけれど。
 結局審神者は、きちんと楊枝を使って食べていた。
 二つ目もぺろりと綺麗に皿を空け、淹れ直された緑茶の湯気が新しい湯呑に手を伸ばす。アツ、とちょっとだけ指を曲げ、注意深く持ち上げた。
 すすり、言う。

「おいしい」

 長谷部は姿勢を正して、小さく頭を下げた。

「何よりです」



20150227