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刀剣乱舞 (彼氏持ちの女審神者の話)
乱藤四郎は沈黙した。差し出された紙は乱藤四郎に馴染みのあるものではなかったが、刀剣男士として肉体を持つようになってからは、何度も手にした指触りだ。
和紙よりずっと脆く、力を込めずとも簡単に破れてしまう。水で濡らせば台無しになるのは繊維が繊維たるゆえんか、何か。
真っ白な紙面に等間隔に引かれた罫線は、インクの濃淡を邪魔しないような薄い色で、一筋たりともブレない機械的な印象を与える。
しかしその無機質な面は、柔らかさを孕んでいた。直線、曲線が混じり合う日の本の言葉が現代の形を取り、黒い文字となって文章をつくる。そして生まれるのが、この、『手紙』というやつだ。
乱藤四郎は、自分の手が震えないよう、必死に神経と筋を理性で押さえつけた。
恐怖ではなかった。喜びに似ていたかもしれない。だが、素直に反応できない。
かろうじて、乱は明るい声で主を笑った。
「ボクに見せていいの? 大事なラブレターなんでしょ?」
審神者と呼ばれる女は、アルバムに落としていた視線を持ち上げ、きらきらと粉のようなラメが散る瞼を何度か動かした。そのたびに、盛られたまつ毛が、誰にも届かない微風を生む。空気だけが揺れた。
外は晴れ。いい天気だ。刀剣たちは何事もなく朝食をとり、一部があくびを噛み殺しながら遠征に向かった。
気を引き締めた顔で腰元の刀を確認したのは、出撃を任された第二部隊の面々だ。一期一振が部隊長をつとめ、太刀、打刀、短刀で構成された『玉鋼発掘部隊』は頼もしく時代を超えた。
目的地は、手ごわい敵もいない場所である。昼前には、全員が無事に帰還するだろう。
残された男士らも、ルーレット形式で決められた内番に取り組む。このデタラメで運任せな当番選抜案を提唱したのはもちろん、この審神者だ。本日のチークはこの季節の新色で、目じりを猫のように彩るアイライナーの色に負けず、彼女の顔全体を明るく見せていた。
この季節、とは言えども、この本丸を取り巻く景色は審神者の気分に左右される部分がある。審神者はそれをすっかり忘れて気ままに過ごし、影響などはほぼ皆無と表して良かろうものだが、まあ、正確に言うとこの場合の『季節』は現世のそれだ。
自撮りした写真を送ろうにも、こちらから現世への干渉は許されていないため、審神者は装った顔をしかめて唇をとがらせる。彼女にできるのは、めいっぱいの勝負メイクでカレシの前に立つことくらいだった。カレシは健気な恋人の姿を確認し、柔らかく微笑み、すごく似合ってる、と再会を嬉しがるのである。
閑話休題。
カレシ殿の雰囲気がそのまま詰まったような手紙だった。
乱の手が微かに震え、うっすらしわが寄る。慌てて指先でつまむように持ち替えた。
「だって、見たいって言ったじゃん」
「そりゃ、そうだけど」
審神者が大切なものを入れる抽斗に、何が入っているのか、知らない乱ではない。
近侍なのを良いことに、誰も通りかからない執務室で二人きり、乱は可愛くねだってみた。
――主様って、恋文いっぱいもらったことある?
あるよ、とおやつの金平糖を分けるような軽さで、封筒ごと手紙がよこされた。
思わず受け取ったが、かなり初期から審神者とお付き合いがあり、彼女の性格とカレシとの絆を知る乱は半笑いしか浮かべられない。
なぜなら、開いてよく見れば、それは修正の施されていない一通だったのだ。
刀剣男士を従える者は。
否、神と触れる者は己の名を明かしてはならない。
女をこの職務に就けた人間は、何度も何度も女に言い聞かせた。
これまでに送られたラブレターを持ち込むなんてとんでもない。
しかし、審神者となった彼女は、顔をしかめる。素養のある者には、立ちのぼる不満が形となって目に見えた。
――要するに、名前さえ知られなきゃいいんでしょ?
などというとんでもない理屈をぶつけられ盛大にゴネられては、時間の無駄だ。条件付きで許しが下りた。
名前の部分だけは絶対に隠すこと。
これ以上は譲歩できないと断言され、審神者は目の前で塗りつぶされていく『宛名』を見送った。
一枚だけ、申告漏れがあった。
最近のものだ。プレゼントの中に同封されていて、政府も見逃した。あちらこちらで多発するトラブルで、調査の正確性が欠けたのだ。
審神者はあとからそれに気づいたが、まあいっか、と放置した。どうせ自分以外は見ない。
乱が見てしまったけれど。
少年の姿を持つ彼は、その名を見なかったことにした。
心は震える。
非常に震え、叫び出したくなるような何かが湧きあがる。
だが彼は、乱藤四郎は、この審神者を面白く思っていた。
きっとそれは、彼女がこうして自由でいるからだ、とも感じていた。
だから乱は目を逸らし、誰かが来る前に手紙をたたんだ。本文なんか、もう、ちっとも内容がわからない。興味も失せた。どうせ甘いアレだ。
「主様、それ、名前書いてあるから見せちゃダメだよ」
「え、マジで? ヤバいじゃん。ヤバくない?」
「ヤバいよ。すごいヤバい。ボクじゃなかったらどうなっちゃうと思う?」
「どうなるん?」
「ヤバいことになる」
「ヤバいわそれ」
非常に頭が悪そうな会話だった。
日ごろツッコミに回る乱が使い物にならない上に、ここには――幸運にも――乱と審神者の二人しかおらず、山もオチもない会話は止まらなかった。
ヤバいヤバいと言い交わす。
「めんどくなる?」
「めんどくなるよ」
「どんくらい?」
「小狐丸さんと長谷部さんと三日月さんが主様と一緒に買い物に出かけたくて仕事を押し付け合ってるトコに御手杵さんが『俺も欲しいもんがあるんだよなー』って入って来て、燭台切さんも便乗して『え、じゃあ僕も立候補しようかな長谷部くん』とか言ってる場面に出くわしちゃって巻き込まれた大倶利伽羅さんの気持ちくらいめんどい」
「めっちゃめんどいじゃん」
「だから、めっちゃめんどいんだって!」
彼女には危機感が足りないのだ。
(かわいそうになるくらい通じてないもんねー)
誰とは言わないが。
遠征で経験を積み、有用な資材を持ち帰る者たち。
敵を屠り、主の役には立ちたいと思うものの、いつまでもこれが続くよう相反する願いを抱く者たち。
なぜかマニキュアが一大ブームを巻き起こした、とある日など。
審神者は彼らの気持ちを知っているのかもしれないけれど、と乱は切なく口角を上げる。
すぐに首を振った。
その深さは知らないだろうなあ。
少年は女に顔を近づける。
重心を後ろに傾けた審神者は、少女じみた可憐なかんばせが視界を埋めても、やっぱ米ぬかの洗顔って美容に効くのかなあ、と少年の肌を注視していた。
鼻先がくっついてしまうほどの距離で、乱は囁く。
「絶対、見せないで」
彼の真剣さに、審神者は唇を閉ざす。
「ん」とだけ言った。
審神者は近侍の目の前で、手紙の宛名を塗りつぶす。
彼女の名は、乱と彼女だけの秘密になった。
乱藤四郎は今のところ、誰にも教えるつもりはない。
20151022