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刀剣乱舞 (彼氏持ちの女審神者の話)


 鶴丸は目を丸くして、伸ばした手をだらりと身体の横に落とした。

「お、おい……?」

 呼びかけられても、審神者は振り返らなかった。つん、と整えた唇を突き出して、鶴丸を置いて障子戸を閉めて居間から出てゆく。
 残された鶴丸の茫然とした顔に、次郎太刀の酒臭い息がかかった。

「ちょっとアンタ、どうしたんだい。何かあったのか? めちゃくちゃ怒ってたじゃないか」

 白い衣の袖を持て余すように揺らす。鶴丸は顔のまわりにかかる霞を振り払うように首を動かした。
 心当たりはある。直接、面と向かって宣言されたからだ。

 事の始まりは鶴丸の悪戯にある。
 普段、驚かされてばかりの自分に情けなさと悔しさを感じ、審神者が留守にしているうちに執務室の、審神者の机に細工をした。
 難しいものではない。
 抽斗を開けると、中から精巧につくられた偽物の虫が現れるという可愛らしいものだ。
 現代人の審神者が虫を得意としていないのを知ってこの仕掛けを選んだ。
 狙いは真っ直ぐ的に突き刺さり、十二分の効果を生んだ。
 帰還した審神者は早速、提出義務を課せられた何かの同意書を机に広げた。ペンを取ろうと抽斗を引き出す。
 その視界の端に、黒ずんだものが。
 甲高く、短い悲鳴が、すぐ近くに控えていた鶴丸の心をくすぐった。
 堪え切れない笑いを必死で噛み殺し、執務室に飛び込む。

「どうだ、驚いたか?」

 飛び出した鶴丸は勢い余って机の上の何かを引っかけた。目に、書類を濡らす水分が映る。
 グラスに服の裾が引っかかり、中のジュースが見事に紙の文字を滲ませた、――という状況が容易に見て取れた。
 悪戯を成功させられたことは嬉しいのだが、何か言わなければならない気がする。彼女が口を開くよりも早くに言わなければ大変なことが起こりそうな、嫌な予感もひしひしと感じられる。
 だが鶴丸は、初めて感じる『危機感』とも『焦燥』とも異なる第六感の叫びに戸惑った。
 その時間が命とりだった。
 審神者は勢いよく抽斗を叩き、中の虫モドキをひっつかんで鶴丸に投げつけた。前髪の隙間から見えた目には涙が滲んでいた気がする。
 そこまで苦手だったのか、と後悔が滲む。書類の印字よりも微かなものだったが、ずっと濃い影響を与えた。

「ちょっと! ねえ! 紙が濡れちゃったんだけど!!」
「す、すまん。悪かった。これは俺も予想外で」
「はああ!?」

 審神者は思い切り、机に手を突いて腰を上げた。自分よりも背の高い鶴丸に精一杯顔を近づけ、いつもと色の違う瞳で彼を睨み上げる。不自然に色彩を明るませるレンズを通しても、鶴丸の顔色が悪くなっていくのはよくわかった。
 だが彼女は止まらない。
 この書類を手に入れる為に、三枚の書類を提出した。それから三週間待ち、直接手渡しででしか授受ができないと言われ、型通りの対応に憤った記憶は新しい。
 そしてようやく今日、手に入れたのに。
 あとはサインするだけで、時空を警備する検非違使を撃退する許可が下りるところだったのに。
 検非違使が時空を遡行するものたちを取り締まり始めた今、方々へ出かける刀剣部隊は自由に動けなくなり、歴史改変者との戦いが邪魔されることもしばしばだ。
 そうなっては本来の任務を達成できない。
 かと言って、勝手に検非違使を倒してしまっても問題が起こるかもしれない。
 頭を働かせた審神者は、頬杖をつきながら、珍しく真面目な顔で机に向かっていたのだった。証人は骨喰と太郎太刀である。
 それが、これだ。
 しおしおと波打つ紙は切なく濡れる。
 事情を知らぬ鶴丸も、審神者の肩に手を置くこともままならず、自然と両手を頭の高さに上げていた。
 審神者はしばらく鶴丸を睨んでいたが、最初の怒号以外は彼を罵倒することもなく、ツ、と瞳を閉ざしてそっぽを向いた。
 ひっぱたかれるかと一瞬思った鶴丸は、拍子抜けする。
 だがそれは次に訪れる衝撃の、嵐の前の静けさに過ぎなかった。

「今日は一日、鶴丸とは口きかない」

 そして今に至る。

 審神者が楽しそうに居間でおやつを食べているので、怒りもおさまったかと鶴丸が顔を覗かせると、審神者は唇をとがらせた。その表情は少し前に見たもので、気まずくなる。
 だが大福を差し出されたのでありがたく手に取って食べる。審神者の隣にあぐらをかくと、彼女は鶴丸に、べ、と舌を出してみせた。すぐにあらぬ方向へ顔を向ける。

「おいおい、主」
「あーあー、口ききませーん。私、今日は鶴丸のこと、知ーらなーい」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
「しーらなあーい」

 審神者は鶴丸の口元に自分の手のひらを押し付けて、それ以上の言葉を封じた。
 次郎太刀の追及も躱して立ち上がる。

「お、おい」

 鶴丸が手を伸ばし、審神者が去る。冒頭で次郎太刀があらわにした困惑は、こういった事情によるのだった。

 あらましを説明しながら信じられないくらいの落ち込みを見せた白衣の青年に、次郎太刀は腕を組んでばっさりひと言。

「自業自得だろ。一日くらい我慢おしよ」
「一日で済む保証はあるか?」
「さあ、そりゃあ知らないけど」
「くっ……」

 鶴丸は畳を打った。
 まさかここまで大ごとになるとは。
 実はまったく大ごとではないのだが、鶴丸からしてみれば一大事だ。
 書類のアレコレなどはまったく知らない彼は、審神者の怒りの程度が大き過ぎることに心底から驚愕させられていた。

「まさかあそこまで怒るとはな。なるほど、俺は彼女の評価を誤っていたらしい。意外にも――」

 怒りっぽいのだな、と続けようとしたとわかりつつも、次郎太刀はあえて空気を読まなかった。
 いや、彼なりに読んだのかもしれない。

「その書類って、兄貴たちが様子見てたやつじゃないかい。アタシたちの出撃に関するものだって聞いたけど。ほら、検非違使とかなんとかいうやつらに関わる話さ」
「うっ……」

 思った通り、鶴丸は沈黙してちゃぶ台に肘をついた。額の前で手を組む。

「どうしたら許してもらえると思う?」

 次郎太刀はけろりと答えた。

「だから、明日になりゃあ全部忘れてるって」


 半信半疑ならぬ二信八疑だった鶴丸だが、翌朝、近侍の長谷部に話を打ち明け、朝食の為に起き出した審神者と顔を合わせたところで、ホッと息を吐くことになる。
 審神者は普段とまったく変わらぬ様子で「おはよ」と鶴丸に手を振った。
 あまりの切り替えの明確さに、もしや自分の後ろにいる誰かに手を振ったのではと背後を振り返ったほどだ。
 もちろん、彼女は鶴丸に挨拶していた。

「……おはよう、今日も……まつ毛が長いな!」
「昨日よりは短いけどぉ」

 まったく感情の読み取れない声で「あのさー」と続けられたので身構える。
 長谷部が審神者の背に手を添え、鶴丸を見上げていても足をもつれさせないように補助した。
 傍から見ると介護である。

「マスカラなんだけどー、あんまり重ねると重たくってさー。目とかかゆくてもかけないじゃん? だから今日はこの長さなんだよね。なんかヘン?」

 鶴丸はさらに怒られるのではと構えたが、まったく関係のない話題に、いからせていた肩から力を抜いた。

「もう怒ってないのか?」
「何が?」

 鶴丸のほうが呆れてしまう。

「……えーっと、だな。昨日の……紙の」

 審神者は指を鳴らした。
 へたくそだったので、うまく鳴っていなかった。

「あれね。べつにいいよ、また貰えばいいんだもん。それまではー、休暇? みたいな」
「休暇」
「だって出撃してもすぐ帰って来なきゃいけないとかめんどくない?」
「お、おう、まあ、君がそれでいいなら……」

 そうさせたのは鶴丸だったが。
 歯切れ悪く頷いた彼に、審神者は不思議そうに首を傾げた。

「なんかあったの? お腹でも壊した?」

 鶴丸はようやく、かぶりを振った。

「……君は……いいやつだな」
「なにが?」
「いや、いいんだ」
「そお」

 鶴丸がそう言えば、それ以上追及しようとはしない。
 あっさりしたこの態度がまた、鶴丸の笑みを誘った。
 長谷部の手のガードをくぐって、審神者の背中に手を当てる。
 軽く抱き寄せると、「歩きづら」と文句がこぼれた。

 
 
20150520