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刀剣乱舞 (彼氏持ちの女審神者の話)


 けたたましい音がして、燭台切は反射的に立ち上がっていた。
 動きこそしなかったが、鶴丸もハッと燭台切と一度目を合わせ、音のした方角へ素早く顔を向けた。

 今のは、審神者の部屋ではないか?

 口にはしなかったものの、じわりと嫌な予感が広がった。
 激しい音のあとには何もない。あの彼女なら、大げさに悲鳴でも上げようものが。
 とりあえず向かってみよう、と燭台切が一歩踏み出したところで、再び騒音が鼓膜を震わせた。例えるなら、茶器を廊下にぶちまけ、皿を割り、それを踏み分けたような。
 近侍の声が響く。

「大将!!」

 今度こそ燭台切は戸を破る勢いで駆け出した。鶴丸が続いて畳を蹴り、外に出たところで別の引き戸が開くのを見る。怪訝さと、正体のわからぬ焦燥に突き動かされた刀剣の顔が目に焼き付いた。
 うるさくなりそうなやつはいないな、と鶴丸は咄嗟に思った。へし切り長谷部も、小狐丸も、今は遠征に出ている。今剣と和泉守もそうだ。
 いや、あいつらは出撃しているんだったか。
 では、審神者との連絡が途切れて驚いていることだろう。

(そんな驚きは――……)

 いらない、のだが。

 行ってみると、薬研が背中を丸めて審神者の肩を揺すっていた。身体の大きな者がやって来たことに気づき、焦った顔で道を開ける。燭台切は膝をつき、審神者の身体を抱き起した。
 ぴくりとも反応しない肉体はただの殻のようだった。
 鶴丸は気配を感じて振り返り、部屋の前で唖然として立ち止まる三日月の顔を見た。この太刀も、異常を聞きつけてやって来たに違いない。嫌な想像が当たったといったところだろう。
 三日月は鶴丸の目の前で、眼差しを鋭くし、審神者の身体の中にその魂を見つけようとするように、女の身体を睨みつけた。

「俺っちが来た時にはもう倒れてたんだ。音がして、ああどうせまた硯を引っかけたんだろう、墨汁が零れて畳が汚れちまっていけねえや、と思ったら」
「今日の近侍は君だったね。朝はどうだった? それと悪いけど、誰か布団を敷いてくれないか」
「部屋にこもった時は普通だった。『おやつにチョコレートケーキが食べたい』って言ってたから、渡されたつくり方を見て作って……それで……」

 薬研の言う通り、蹴り飛ばされたのはこげ茶色の、チョコレートケーキと呼んで良いもののようだった。初めて薬研が作ったのだ。多少ぱさついてはいたが、かじれば風味と甘さが口いっぱいに広がり、審神者を喜ばせるはずだった。共に運ばれたのも緑茶ではなく、琥珀色のダージリンだ。刀剣たちに気を遣い、海外の食べ物はなるべく持ち込まないようにしているのかと鶴丸は半ば感心していたのだが、よく考えるとそうでもない。
 出撃していた部隊が戻ってくるまで、どれほどの時間が必要だろうか。
 三日月は時計に目をやった。堀川が戻ってくれば、より看病の体制が整うだろう。
 この本丸に詳しい、こまごまと動いていた者は薬研と燭台切と堀川、それから長谷部だ。

「いったいどうしちまったんだ、大将は」
「……わからない」

 天下に名をとどろかす刀剣自らが敷き整えた布団に横たえられた審神者は、玉砂利のような顔色で、目を開かない。しかし倒れた時に零した墨汁で服と顔の一部が汚れていることや、呼吸が薄いことを除けば、ただ眠っているように見えた。
 濡らした手ぬぐいで汚れを拭ってやりながら、薬研はぎゅっと一度目を瞑った。
 気づけなかった。何にも気づけなかった。

(具合が悪いんなら、そう言ってくれりゃいいんだ)

 そこにある審神者の手を握ると、いやになるほど冷たかった。

 重苦しい沈黙の中、口を開いたのは鶴丸だった。
 今までじっと審神者の顔色を見ていたが、「もしかすると」と彼女の唇から目を離さないまま言う。

「俺の予想でしかないが、力が不足してるのかもしれない」
「力?」
「顕現した刀剣を幾本も維持して、遠征やら出撃やらと気を回してるんだ。『審神者』が『審神者』たる大本の部分が疲弊しても不思議じゃない」
「……つまり?」
「つまりもしかしもかかしもわからん。審神者じゃなくなるか、死ぬか、何年も寝たきりになるか。その辺りは定かじゃないが、とにかくどうにかはなっちまうんじゃないか」

 元々が、未知の部分の多い力だ。
 鶴丸の言葉が刀剣を刺した。薬研などは、もう、責任に押しつぶされて奥歯を噛み砕いてしまいそうな様子だった。
 審神者の化粧を施した顔はいつも血色がよく、今日のメイクもなかなかの完成度で、肌の奥から輝きが溢れているように見えた。食の量も変わらなかったし、かったるそうにしているのもいつも通りだった。
 もし、素顔だったら。もっと早くに気づけたのだろうか。頬紅の鮮やかな色が褪せて見えるほど血の気がひくよりも早く、体調不良を見抜けたのだろうか。

「と、すると。出かけている刀剣のどれかはすでに現界できなくなっているやもしれんな」
「その可能性もあるな」
「……むしろ、そうなってくれた方が彼女の為かもしれないね」

 自分に回す余裕ができれば、具合も良くなるはずだ。
 燭台切の言葉は――彼らにとっては――残念なことに現実とはならず、全員が生身の姿で戻って来てしまうのだが。
 三日月は「困ったな」と口元に手をやり、目を細めた。

「俺たちにできることがあるとすれば、……力の受け渡し、くらいか」
 
 初めて聞く響きだが、意味は何となく理解できる。
 落ち着いたふうの燭台切が丁寧に問う。

「僕たちが彼女に、ってことだよね」
「そうだ」
「誰か、やったことはあるのかな?」

 三日月を筆頭に、全員が首を横に振った。

「俺はないな」
「おいおい、俺もないぞ」
「俺っちもないぜ」
「僕もないよ」

 そうだろうな、と全員が全員の顔を見まわした。
 ただ、理屈の上では可能なのだろうなとは思う。
 審神者が刀剣に力を渡せるのなら、刀剣から審神者へのバックが不可能というわけではないはずだ。ラインは繋がっており、実際に、刀剣と触れ合うことで審神者は心地よさを感じている。それはお互いの間で、誰にも見えない神聖なものがやりとりされるからだ。体温と体温が結びついて身体があたたまっていくように、刀剣と審神者の間にはそういった、名前のない神経がある。
 ただ手を握るだけで、今だって薬研は、ささくれ立ち、焦り走りかけていた心が冷静になるのを感じる。普段ならばもっと濃い安心を得られただろう。
 これすらも審神者の負担になるとわかり、薬研は白い手を彼女から離した。布団の上に力のない手が落ちる。
 しかし、思い直してもう一度触れてみた。ぐっと握りしめ、体温とともに少しでも力が流れ込めばいいのにと願う。
 薬研の体温が審神者の指に移る。だが、それだけだった。指先があたたかくなるだけで、審神者は目を覚まさない。

「どうすりゃいいんだ。これ以上、俺たちに何ができる?」
「……深く接触すればするほど行き来する力が増える……という考えもあるようだけど、これは――」
「恐らく、そうだろうな」

 燭台切の言葉が途中でひったくられる。奪ったのは三日月だった。
 燭台切は、自分の言葉の続きを持て余してしまう。やるべきではないんじゃないか、と言うつもりだった。深い接触となると、眠る彼女を抱き寄せて体温を分け与えるようにしたり、あるいはもう少し直接的に『あたたかさ』を分かち合ったりする――ような気がしたので、もし本当にそうなれば、止めるつもりだった。止めて、部隊の帰還を待って、全員に休息をとるよう頼もうと思っていた。
 しかし、三日月の手が審神者の頬に触れた時だ。

「……おちおち寝てらんなーい、……ってワケ?」

 薬研が弾かれたように顔を上げた。

「大将!」
「起きたのか!」

 審神者は軽く横を向き、鶴丸にため息を投げた。

「驚いたでしょー」
「ああ、ああ。驚いたな!」
「嬉しくねーわ」
「嬉しくないのか」

 それでも、ほっと胸を撫で下ろす。
 どうであれ、目を覚ましたのはよかった。

「ちょっと三日月さあ、うら若きオトメの寝こみを襲うってヤバくない?」
「俺も必死だからな」
「ふぅーん。まあ、何でもいいけど。とにかくありがとね。これで私、労災下りるから、奮発してイカのお刺身に紫蘇巻いて食べていいよね?」
「大将……」
「あ、薬研。チョコケーキは?」
「……あるぜ。うっかり一切れダメにしちまったが、まだたっぷり残ってる」
「なんでダメにしたの」
「……そりゃあ……」

 あんたが倒れたからだろ、とは言いづらい。倒れたのは彼女のせいではないし、かと言って、違う理由をつけるのもおかしい。
 困った薬研に助け舟が出される。意外なことに、三日月からだった。はたしてそれを助け船と言っていいのか、薬研には判断がつかなかったが。

「池の鯉が食べたがったそうだ」
「え? 鯉? は?」
「すまんなあ。だからやってしまった。そうだろう、薬研」
「……ああ、まあ……そういうことでいいんじゃねえかな」

 まだ掃除も何もできていないが、審神者が起きる頃には綺麗に片付くだろう。
 なぜかいまだにあまり『審神者』の重要性に気づいていない彼女のことだ。心配して食べ物を床にぶちまけたなんて知ったら、彼女は驚愕して目を見開くに違いない。
 実際は『審神者』の重要性にはしっかり気づいてある程度理解もしているものの、生来の性格のせいでそう見えないだけなのだが、表面化していなければないのと同じだ。

「だが、主よ。蒸し返すようだが、こうすれば早く楽になれるはずだ」
「え、チョー何の話?」
「俺たちと触れ合えば力がそちらへ逆流し、体調がよくなる、という話だ」

 彼女は三分前の話は憶えていない。
 あっさりした説明をやり直した三日月に、横から燭台切が丁寧な補足を入れた。
 審神者は何度か軽く頷いた。

「それって詐欺みたいなもんじゃない? だってどっちにしても使われてるのって私のそのチョー凄いパワーなんでしょ? 後からドカンってツケが来るじゃん。やだよ。自然回復が一番」
「苦しくはないのか?」
「苦しくないわけなくない?」
「うーん、わからなくてごめんね」
「いいってことよ」
「急にどうしたんだい」
「薬研の真似」
「俺っち、そんなこと言ってるか?」
「こないだ言ってたよ」
「忘れっちまったぜ」

 言いながら、薬研はくすっと笑った。
 鶴丸が言う。

「これでいいんだよな」
「何が?」

 意味が分かったのは刀剣だけだった。

「いーや、何でもない」
「君は早く元気になることを考えてね。その顔色じゃあ、帰って来たみんながびっくりしそうだ」

 燭台切は審神者に布団を掛け直し、さりげなく三日月の手を審神者から遠ざける。
 しかし三日月の手は燭台切のガードをすり抜け、軽く女の額に触れた。
 ただそれだけで、すぐに離れる。

「早く元気になってくれ」

 審神者は小さく頷いた。

「寝るんだろ? 化粧は落とさなくていいのか?」
「落とさなきゃダメだわよ。薬研、後でいいからメイク落とし持ってきて」
「どこにあるんだ?」
「私の部屋……、……は、入っちゃダメなんだったわ。んー、チョイ面倒だけど洗顔の方にするか。お風呂場の私の、丸いボトルのやつ」
「じゃ、湯も一緒に持ってくるぜ」
「あんがと」

 立ち上がった薬研と燭台切にひらりと手を振り、審神者は天井を見上げる。
 が、すぐに飽きたのか、自分を見つめる鶴丸に目だけ向ける。

「あんさー、みんなが帰ってきたら、もっかい同じ場所に全員遠征に出るように言っといてくんない?」
「……どうしてそこまでするんだ?」

 連日連夜、審神者は刀剣の疲労の具合を見ながら、それでも手は休めずに、ローテーションで遠征組を送り続けていた。もう、一週間になるだろうか。
 そうまでして何をしたいのか、この時まで鶴丸はわかっていなかった。自らにも刀剣にも苦を課す理由が単純なはずがないと思い込んでいたらしい。それも、まさかこうして倒れるまで。
 にっかり青江がここにいれば、デジャブを感じて笑っただろう。
 審神者はあっさり答えた。

「資材ないと詰むじゃん」

 それでここまで。
 鶴丸は倉庫にある資材の輝きを思い出し、沈黙した。

「まだたくさん残っているような気がするのは俺の間違いか?」
「いくらあっても足りないんだよ。いつ新しい場所に行けるようになるかわかんないでしょ」
「……そ、そうか」
「そーなんです」

 もう薙刀を集めて十人がかりで挑んでもぴくりとも持ち上がらないほど集まっているように思うのだが。
 賢明にも鶴丸はそのツッコミを飲み込んだ。
 三日月は何もかもわかったような顔をつくって、審神者の頬を撫でた。
 審神者は少々血の気のもどった顔で、「寝てる間のおさわり禁止」と主命を持ち出してその手をぴしゃりと叩いてやった。




20150322