neta02


刀剣乱舞 (彼氏持ちの女審神者の話)


 近侍の朝は早い。そして審神者の朝は遅かった。
 審神者は自室で寝ているのだが、近侍の仕事はまず、その部屋の戸の前から声をかけるところから始まる。
 まずは仕事部屋の前から、ひと言。

「ぬしさま、起きていらっしゃいますか」

 起きているはずがない。
 そっと障子戸を横に滑らせ、中へ。畳の上を心なしかすり足で進み、もう一枚の隔たりの前に跪く。

「ぬしさま?」

 返事は聞こえない。
 聞こえないのだが、ここから先に入ってはならない決まりがある。『本部』からすれば傍若無人でアウトロー過ぎる審神者も、この指示は素直に聞いていた。プライベートな部屋に刀剣を入れてはならない。
 なにせ審神者の部屋には『現世』から持ち込んだ様々な品物があり、通信機器があり、触れられては困るものが溢れている。
 そしてもっとも触れられてはならないのが、眠りこける審神者その人だ。
 うっかり何かがあってはカレシに顔向けができないと、持ちうるなけなしの危機感を振り絞り、彼女はこの部屋にだけは絶対に入るなと告げた。入ったら私すぐ実家に帰るから、と言われては刀剣男士も恐れおののくしかない。
 そういうわけで小狐丸はふすまの前から必死に声をかけるのである。

「ぬしさま、ぬしさま。朝餉の時間です」

 根気強く五度ほど呼びかけたところで、衣擦れの音がした。
 さらに二分待つと、ふすまがほんの少し、小指が入る程度に開いた。目を凝らすと賑やかな室内が見える。

「おはよ。メイクするから。先行ってて」

 口調はしっかりしたものだ。小狐丸はひとつ息をついて、どこかうっとりした表情を浮かべた。これが一仕事を終えた気持ちというものか。
 今、ふすまの向こうには無防備な顔をした審神者がいるのだなと思うと開けてみたくてたまらないが、平手打ちを食らうわけにはいかないのでぐっと堪えた。
 廊下を戻ると、起き出した短刀たちがせかせかと動いて食卓を整えている。五虎退の虎が邪魔にならないように大人しくするのを見て、小狐丸もその隣に腰を下ろした。
 近侍の役目について清光と長谷部からレクチャーを受けながら待てば、素早くおかずが運ばれてきて、たくさん食べる者の為に炊き立てのご飯がおひつでやってきたり、数人の為の椀がどんぶりに変わっていたりと忙しなく、見慣れた朝の風景が流れていった。小狐丸は今のところ食い専なので、自分の箸と茶碗を確保するだけで手伝いはしない。
 しばらくすると審神者が寝坊も構わず堂々と入室する。彼女が勧められた座布団に尻を置くのが合図だったように、石切丸が号令をかけた。

「では、いただこうか」
「いただきます!」
「いただきまーす」

 朝はパン派と公言してばからない審神者も、何も言わず美味そうに味噌汁をすする。
 小狐丸は食事をとる彼女の顔を見つめた。審神者はすぐに気づき、まつ毛をたっぷり増量させた目をしばたたかせた。引かれたアイラインはまったく滲まないし掠れない。メイクは気分によって変わるようで、場合に依っては風呂上がりの時とはまったく違う顔が出来上がる。和泉守は別人説を冗談交じり、半ば本気で提唱した。本人かどうかは気配でわかるとはいえ、あまりにも見た目が違うと間違いを疑ってしまうものだ。

「今日のお味噌汁は薬研?」
「残念、俺っちは魚だ」
「あ、そう? 魚、これナニ? アジ?」
「今日は奮発してノドグロだぜ」
「へー、おいしいね。なんで奮発したの?」
「ちょっとしたお祝いだよ」

 薬研は小狐丸を見て意味深に微笑んだ。どうやら小狐丸の近侍初任を祝うつもりらしい。
 小狐丸は複雑な気持ちになったが、素直に受け取ろうと決めた。
 ほぐしたノドグロは美味かった。

 食事が終われば次は執務だ。
 審神者は後片付けを薬研と燭台切、山姥切、大倶利伽羅に任せ、部屋に戻った。後ろからついてゆく小狐丸の髪がひょこりと跳ねて動く。
 彼女が文机に向かったのは三十分だけだった。
 こっち来て、と小狐丸を手招きする。すすすと小狐丸が近づくと、審神者は小狐丸の身体を背もたれにしてため息をつき、力を抜いた。

「ご休憩なさるのでしたら、甘い物でも召し上がりますか? 誰ぞを呼びましょう」

 離れたくないので、自ら取って来ようとはしない。

「大丈夫。バカスカ食べてたら太るし」
「ぬしさまがふくよかでも、小狐丸は何も思いませぬし、むしろ良いことと感じまするが」
「ぼっちゃり好き?」
「ぬしさまが好きなのです」

 審神者が首を傾げたのが、小狐丸には背中の感触でわかった。

「……あれえ?」

 てっきり見かけはたっぷり、その実はうすっぺらーく返ってくるものだと思っていた審神者は、想像以上に真に迫った口調に首を傾げた。けれどすぐに、何か心境の変化でもあったのかな、とフワフワした思考でやり過ごす。背もたれは体温があたたかくて、ほどよく硬くて気持ちいい。
 手を伸ばして紙を一枚とる。
 読むふりをして親指のネイルアートを見て楽しみ、暇つぶしに文字も追う。致命的に優先順位を間違えているが、小狐丸からはそれが見えない。見えていたとしても叱り飛ばしたりはしないだろう。おそらく、決して。
 実際に小狐丸は、爪を見せびらかされても、猫が喉を鳴らすときのような顔をしただけだった。

「おきれいです」
「でしょ」
「ぬしさまは器用でいらっしゃる」

 仕事とはいったい何だったのか。

 ひとしきりネイルについて喋り倒すと審神者は満足して、体勢はそのままで書面に目を通す。

(……近侍とは、これでよいのだろうか……?)
(身体がデカいと凭れやすくていいわー)

 審神者がいいのなら、これが正解なのだろう。


 近侍の夜は遅い。
 審神者は美容に気を遣い、日付が変わらないうちにさっさと布団に入ってしまうが、それを最後まで見送って褒められるところまでが近侍の仕事だ。
 小狐丸は風呂上がりの審神者のほてった頬を団扇で扇いでやった。
 化粧を落とした審神者は、別人とよく言われる目元をやわらげ、気持ちよさそうに目を細める。

「おやすみね」
「はい」

 そこで少し口ごもってみせる。
 審神者は続きを促さなかったが、小狐丸は構わず言った。

「明日も私をおそばにおいてくださいますか?」
「決めてないから誰でもいいよ」
「では私ということで」
「うん」

 さりげなく口約束をもぎ取った小狐丸は満足げだ。
 パジャマ姿でひらりと手を振った女性の背中からは謎の力強さが溢れている。

「おやすみなさいませ」
「おやすみー」

 馴染みのない審神者の部屋の景色が見えなくなっても、小狐丸はしばらくそこに立っていた。灯りが消えるまで待って、執務室を暗くする。
 表情こそは落ち着いたものに戻っていたが、月明かりはふらふらと尻尾が揺れているように見える影を廊下に落とした。



20150314