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刀剣乱舞 (彼氏持ちの女審神者の話)
気づいていないようだったけれど、小狐丸は、近侍になったことがない。
動物臭いなと自分でも思う。
小狐丸は言いつけられた仕事を終え、馬に簡単な別れを告げたあと、湯でも浴びようと屋敷の中をうろついていた。身軽な装束には小さな汚れが点々とある。通りすがりの鯰尾が小狐丸を見て「あははは、藁がついてますよ」と笑った。小狐丸は彼に一瞥をくれ、ついと前を向く。藁は指でつまんで庭に落とした。
「主さんは居間にいますよ。あ、洒落みたいになっちゃいましたね。何か今はちょうど暇してるみたいです。昼餉の豚肉で胃もたれ起こしたとか言って横になってますよ」
「訊いてもいないのによう喋るな」
「あれ、気にならないんですか?」
「汚れた格好で相まみえるわけにはいかぬ」
「そういうもんですかね。ま、なんでもいいんですけど。じゃあ俺はこの辺で」
輝かしい笑顔が去る。
今は昼餉も終わり、おのおのが自由に過ごす時間だ。もちろん審神者も例外ではなく――本来は例外なのだが――好きに遊んでいるらしい。
寝ながら本でも読んでいるのか。それともすごろくでもしているか。
意外にも小狐丸は冷静だった。
主のこととなれば何でもそわそわし、浮足立ち、頬を染めると思っては大間違いだ。
確かに彼女を目の前にするとまたたびを与えられた猫のような態度をとるが、その内心は、そうでもない。
何というべきだろうか。
小狐丸はどこか計算的に審神者を見つめていた。
審神者自らに鍛えられた刀は、審神者に借りもある、とある程度の深い付き合いを持っているが、拾われた刀は審神者への忠誠心が薄いことが多い。
例えば三日月宗近は鍛刀され、呼ばれた者だ。審神者に対してちょっぴり甘いのは、彼の性格もあろうが、『おろされた』という理由も含まれているに違いない。少なくとも小狐丸はそう思う。
余談だが、貴重な刀は時に、望まない者のところへやってくる。審神者も何も考えず日課として資材を炉に熔かしただけだったので、後から刀図録に目を通してとても驚いた。
さて。
拾われた小狐丸はまだ、審神者の度量を推し量る最中だった。
同じく別の時代で拾われた骨喰も、戸惑いが大きかったそうだ。いつの間にか審神者のペースに巻き込まれてしまい、今はすっかり彼女がだらけた時の『偽署名係』としてペンを執っているが。
小狐丸には何の役割も与えられていない。近侍になったおぼえも、考えてみれば、ない、ような。
ようやくそれに気づいて愕然とした。
(……愕然と?)
なぜ愕然とする必要があるのだろう。
審神者の前で、四分の一ほど混ぜ込めた冷静さを隠してすり寄ったとき、立ちのぼる彼女の『気』を感じて心地よいなと思うからだろうか。
足を止めて考える。この一角は風呂に近く、昼間はあまりひとが来ない。
近侍を命じられないのは悲しいことか?
(と、言うよりも)
初期の話は時々加州清光に聴くのみだが、保有する刀剣が多くなった今はほぼ日替わりで誰かが呼ばれているそうではないか。
ならなぜこの小狐丸は呼ばれないのだろう。
ここにやって来てからはそれなりに時間が経っているし、交流もあり、審神者からしてみればおそらく『忠誠的で良い太刀』と思えるだろうに。
考えを振り払い、とにかく汚れを落としてしまおうと引き戸を開ける。
そこには長谷部が居た。
へし切り長谷部。審神者に忠誠を誓おうとする、小狐丸から見れば多少いびつな精神の持ち主である。
「使うのか?」
「そのつもりだったが、掃除の途中ならば後で構わぬ」
「いや、その格好では何かと不便だろう。もうすぐ終わるからそこで待っていてくれ」
袖と裾を捲り上げ、スポンジを手に持つ。長谷部は風呂掃除の真っ最中だった。
「『主命』か?」
それ以外にはあるまいと思いながらからかうような声音を使う。
長谷部はちらともこちらを見ずに床をこすり続ける。
「そうだ」
「嫌にはならぬのか? 風呂掃除など、刀剣のすることではあるまい。ましてや、我らが?」
「だが、主がお望みになったことだ」
「ほほう。重篤だ」
湯で汚れごと泡を流す。小狐丸の足元に置かれている――小狐丸と比べると――かなり小さなスプレーは風呂掃除用の何かに違いない。手に取ってみると、おかしな色の液体が半分ほど残って、噴出口から甘ったるい匂いを漂わせるのがわかった。眉根を寄せて元に戻す。苦手な匂いだが、我慢して使うだけの価値はある。見れば、風呂の床はぴかぴかになっていた。
「それに、嫌にはならない」
「ん?」
「そちらが訊いたんだろう。嫌にはならないか、と」
「ああ」
話の内容が前後する男だなと小狐丸は些か呆れた。
しかし一応、問い直す。
「それは何ゆえ?」
「主がこういった仕事を俺に任せるのは、俺の力量に期待を寄せているためだとわかるからだ。一番隊に入れられることも、遠征部隊の隊長に置かれることも、風呂掃除を任されることも、どれもが主からの信頼の証だ」
「いや、……まあ、そちらがそれで良いのなら私は何も言わんが。言わんぞ。安心しろ」
「引っかかる言い方はやめてもらおう。任せられてみればわかる」
ぎくりとした。長谷部の言葉は挑戦的で、小狐丸の毛並みを逆なでする。目を細めると、長谷部はあまり格好のつかない風体で小さく口角を持ち上げた。
「主の前と俺たちの前での対応の差が激しすぎて別人のようだな」
お前に言われたくはない、と小狐丸が思ったかどうか。
汚れを落とした小狐丸は居間に向かった。
近づかなくとも笑い声が聞こえてくる。声を立てるのは審神者だ。すぐにわかる。
大きな背を少し屈めて敷居をまたぐと、声を出すまでもなく全員が同時に振り返った。
「ああ、小狐丸。ちょうどいいところに来た。今、明日の近侍を誰にしようか選んでいたところなんだ」
「……なるほど」
ちゃぶ台には一枚の紙があり、何本も描かれた縦線同士を繋ぐように短い横線が無造作に引かれている。審神者側、紙の下部には刀剣男士の名前があった。
そこに『小狐丸』の三文字はない。
「ぬしさま、なぜこの小狐丸を入れてくださらないのです? 私ではご不満ですか?」
「ご不満じゃないけど」
審神者は片手で回そうとしたボールペンをあらぬ方向に弾き飛ばしてから、空になった手で口元を押さえた。グロスの塗られた魅惑的な唇が、ぷるりと言葉を紡ぎ出す。飛ばされたボールペンは獅子王の頭に当たって畳に落ちた。イテッ、と上げられた悲鳴には誰も振り向かない。
「やりたくなさそーな子を引っ張ってもしょうがなくない? こう見えて忙しいんだよねぇ」
「仕事の合間にファッション誌を読むのがだろ」
「最近は漫画よ」
「なお悪いって!!」
コミカルなやりとりは耳に入っていなかった。
やりたくなさそうな子。
小狐丸はやりたくなさそうに見えていたのだ。審神者に。
いやはやいったい、と目を瞬かせる。化粧と恋人にしか興味がないかと思えば。驚きだ。
と、ここで気がついた。一瞬、黙ってしまったのはよくない。まるで肯定しているようではないか。否、肯定しているのだけれども。
「ね?」
「ですが……、その。……今はやってみとうございます」
「え、ホワイ?」
「はい?」
「ややや、なんで? ってこと」
「ぬしさまのおそばにいたいから、としか……」
「へぇそうなの。じゃあいいよ。どこがいい?」
「どうぞ、当たる所にお願いいたします」
「くじではなく任命してあげればよいのに」
石切丸の言葉はまさしくその通りと頷くしかできないものだったが、獅子王と小狐丸の他に同意するひとはいなかった。
「ぬしさま、小狐丸をおそばにおいてくださいませ」
「うんうん」
「聞いておられますか?」
「うん。チャンチャーン、チャカチャカチャンチャンチャカチャカ……」
鼻歌まじりに赤色のペンが動く。
あ、と言ったのは誰だったか。
ゴールは小狐丸の三文字だった。
なぜかその瞬間、小狐丸は、嬉しい気持ちを抑えきれなかった。ぱああと顔が輝くのがよくわかる。演技ではなく頬に朱が差す。
もしかすると。もしかすると、だけれど。
自分は近侍を任されて、何か役割を与えられたかったのかもしれない。審神者から、何かをもらいたかったのかもしれない。
「ぬしさま……!!」
「おめでと。じゃあ明日は小狐丸、よろしくね」
「泣く子と小狐丸には運も勝てない、ってヤツか?」
「意志の力は馬鹿にできないね」
かくして小狐丸は、初めて審神者から仕事を託されたのだった。
20150314