ドリーム小説
幽霊を除菌してやる。これほど奇妙なことはそうないだろう。
メローネは大した期待もせず、通りで見つけた適当な薬屋に足を踏み入れた。並べられた薬の小箱は時々列からはみ出たり、不自然に通路へ飛び出したりしている。大ざっぱだなあ。メローネは本棚に本を戻す時、しつこすぎるほどきちんと背表紙の並びを揃える知り合いを思い浮かべた。チームに配属されるより前の話だ。面倒くさいことこの上なかった思い出である。
除菌グッズはいくつかあった。掃除用品の中に紛れ、ひっそりと存在を主張している。ウエットティッシュとかスプレーとか液体とか洗剤とか。パッケージに『除菌』の文字を見つけると、は敏感に反応した。
「いつも使ってたのはこれよ」
触れんのか?メローネは首を傾げた。
「……今、触れるのか疑問に思ったでしょ」
案外、幽霊はカンがよかった。
そうだよと首肯して素直に白状したところ、激昂するかと思った彼女は唇をとがらせるだけで話を流した。メローネの家で棚を漁れなかった記憶が、彼女に疑いを持たせている。
「でも、これを使ってたの。これ買って」
高飛車な要求に従う義理はなかった(……はずである)が、メローネは無視せず、箱を手に取った。くるりと裏返して説明書きを読む。もちろん、『幽霊にも効きます』とは書かれていなかった。
片手にアルコールティッシュの箱を。片手に、はみ出していた除菌スプレーを持ち、レジへ向かう。「よく効くわよ」と店員の女が笑った。
「幽霊にも効くと思うかい?」
青年のジョークに、女は笑った。
「効くんじゃない?」

果たして、その効果のほどは。
人けのない道までバイクを走らせ、砂塵を巻き上げながらタイヤを滑らせる。その間、幽霊は振り切られるそぶりもなく、本当に紐付き風船のようにメローネを追いかけ続けた。本人にとっても不本意な移動であるから、は終始不機嫌そうだった。
「さあて、実験だ。仕事に取りかかる前にあんたをどうにかしなくちゃいけないからな」
「そーね。変態」
「一般から見りゃあな」
「私が悪いみたいに言わないでよ」
「言ってないじゃん」
「そう聞こえた」
ああ言えばこう言う。はメローネの言葉をいちいち否定しないと気が済まないようだった。
彼女の死因を思えば、当たり前の心理なのかもしれないけれど、メローネからしてみると面白くない。メローネは仕事を全うしただけだし、遂行に誇りを持っていた。
もしかすると、そう思わなければいけないのか。
ふと浮かんだ気持ちは振り払う。メローネには道を選ぶ余地はなかった。例えば汚れたフェンスに寄りかかり、月を見上げた空腹のとき。世の中の何もかもが面倒に思えて仕方がなかったとき。目覚めさせられた能力の皮肉に笑ったとき。任務を達成し、実力を認められ、報酬を手に入れたとき。
すべてがメローネを構築し、ここまで押し上げてきた。最近の人事はあまりよいとは言えなかったし、転属先では正当な報酬を受け取っているとは考えづらかったが、ぼろいアパートの窓から見上げる夜空は、あのときとはまったく違っていた。だから、メローネはそれでいい。
きっと。
は黙ったまま、すかすかと空を掻きながらメローネの手から紙袋を奪おうとしていた。物思いに耽っていた青年は我に返り、意地悪く、温度のない少女の手に触れてみる。予想通りは悲鳴を上げて飛び退き、右手が切り落とされたような絶望を浮かべた。少なくともこの点で、メローネは幽霊にアドバンテージを持っていた。これはかなり重要なことだ。相手はメローネ以外の誰にも見えず、聞こえず、認識できない存在だとしても、幽霊には『知覚されない』という優位さがあった。がメローネに何をしようと、メローネはされるがままになるしかない。その不平等に対する不快感は形容し難い。
封を開けたスプレーを、シュッと噴く。霧が幽霊の手をすり抜けた。
「当たった?」
「……当た、らない」
冷たさも清涼感も、何もなかった。失望が二人の間に漂う。まだ付き合いは続くらしい。
では、次はどうするか。アルコールの風呂に突き落とすか?
あまりにも非現実的だし、そんな余裕はない。
「俺も忙しいんだよねー」
「私だって忙しいわよ!……っていうか、忙しくなくてもあんたの傍にだけはいたくないわよ!」
忙しい幽霊とは、いったい。
「はあ……」
「ため息をつきたいのは私!!」
「どう考えても俺だよな」
風が通り過ぎる。砂埃が立ち、立ち尽くす二人の被害者をあざ笑った。
ペースが崩れて仕方ない。
メローネは自覚し始めていた。この少女と居ると、メローネはうまく調子を保てない。とんでもなく理不尽な存在だからか、おおっぴらに嫌われているからか、理由はいくつでも並べられた。
気づいてしまえばあとは意識が高まるだけだ。忘れようとして忘れられるものでもない。この女と一緒にいてはいけないのだと強く感じる。メローネは自分の直感を信じていた。
「憂鬱だわ」
「俺がね」
「私がよ」
二人は睨み合い、同時に言った。言葉は違うが、同じ意味を込めて。
「早くジョレイできたらいいのに……」
「早くジョウブツできたらいいのに……」
とてもとても、重いため息が落ちた。