ドリーム小説
ぎゃあぎゃあと背後から少女に喚かれ、メローネはうんざりした。足を止めはしないけど、エネルギーがガリガリ削られていく。悲痛な叫びは、メローネが目をつけ追いかける女性に対する警告だった。初っ端から街中でこの変態と口汚く罵られた時はどうしてやろうかと思ったが、どうやら幽霊の声も姿もメローネ以外には認識できないらしい。放置できて何よりだ。
メローネを罵るくせに、幽霊はずっと彼の後について回った。
「ついてくんなよ」
これに対する返事は、決まってこう。
「ついていきたくてついていってるんじゃないのよ!!身体が勝手に……、引き寄せられるの!」
風船みたいなもんか、とメローネは思った。紐がついている風船だ。手を離せば空のかなたへ飛んでゆき消える風船は、メローネの腰元あたりを紐でがんじがらめにして離さない。ある程度歩くと、浮遊していた幽霊はグイッと見えない紐に引っ張られる。引きずられる先にはメローネがいて、少女は望まない行進を強いられた。メローネも望まない船頭を務めさせられた。

財布を取り出す。紙幣を崩す意味もあり、支払いには折りたたんだ現金を出した。
熱いカフェラテを受け取り、紙カップにスリーブをつける。
暖色を基調とした店内は少し混雑していた。しかし多くの人がテイクアウトを選んでいるのか、席はいくつも空いている。メローネは外に出ると、テラスのテーブルを一つ陣取った。鞄からノートパソコンを取り出す青年を、誰も気にすることはない。コートを着たままでいても外なら目立たないし、行きかう人々はパソコンの画面から作業内容を読み取ることもできない。いざとなれば素早く人混みに紛れられるし、冷えた風さえ気にしなければ良い位置だ。ああそれと、後ろに幽霊さえついていなければ。
「薄っぺらい服でさあ、あんた寒くねえの?」
「寒くないわよ。でもそうね、なんで私はこの服装なのかしら」
「知らねー」
幽霊は寒さを感じないと言うくせに、飲み口から湯気を立てるカフェラテを羨ましそうに見つめている。これ見よがしに熱そうに飲んでみると、あてつけに苛立った視線の弾丸がメローネの手元を貫いた。
さて。
些細な遊びを終わらせる。メローネが『研究』の合間にこうして時間を取ったのには訳がある。理由もわからずメローネにとりついている幽霊ふぜいとは違うのだ。
これまでに『母体』として使った女のデータを画面に出すと、背後から覗き込んできた少女は嫌そうな顔をした。きもちわる、と聞こえた気がするが無視を決める。虚空に向かって喋りかける奇特な男と思われないよう、あまり流行っていない携帯電話を耳にあてておく。
「生年月日と血液型、それから死んだ場所を教えてくれ」
「イヤ」
(面倒くさいなあ……)
少女の正体を知りたい。こいつを成仏させる手がかりになるかもしれないし、情報は多い方が有利だ。彼女がどの場所で死んだか、どの『父親』と交わったのか、どんなベイビィを生み出したのか、メローネはそれが知りたい。何らかの条件が積み重なってゴーストが出来上がったのだとしたら、今後同じことが起こらないとは断言できない。そうなるとメローネは固定された自転車を一生懸命こいでいるようなものだ。
学生だと言っていたのは憶えている。
見た目から年齢を絞り込み検索すると、数人が当てはまった。残念ながらデータに顔写真は必要なかったので取り込んでいないが、三人しかいないのならあてずっぽうでも正解できる気がする。彼女は腹芸の得意そうなタイプには見えない。一番古いデータから読み上げていく。『出産』に名前は必要なかったが、身分証明書で確認できる時はきちんと入力していた。それからいくつか会話できた相手については、読み取れるだけの性格も。
通りの向こうで盛大にクラクションが鳴る。メローネはちょっと顔をしかめた。
「1980年、12月5日。血液型はAB型。性格は冷静沈着で他人に流されない」
これは違うだろうなと思いながら一人目を挙げる。
「ローラー作戦ってワケ?誰がそんな手に引っかかるもんですか」
メローネを嘲笑う幽霊は強気だった。意外にも大人しくメローネと向かい合う椅子に座り、かたくなに腕を組んでいる。まるで、どんな攻撃にも屈しないぞと表明する小さな子供のようだった。苛烈な叫び声を上げる唇が結ばれ、ふん、と鼻を鳴らす。
二人目を挙げる。こちらは名前も登録されていた。

「……」
ちらりと様子を見ると、少女の身体がぴくりと震えた。反応してしまったと気づき、ぎこちなく顔を逸らす少女の横を、冷たい風がぴゅうと通り抜けた。
こいつはというのか。知ると同時に、メローネはどこかで納得した。なんとなくだけれど、彼女にはとても『』の響きが似合っていた。
けれどその気持ちを正直に伝えるには抵抗がある。理由はメローネ自身にもよくわからなかった。が今まで散々メローネを糾弾してきたからか。それとも褒めたところで、道端の吐瀉物を見る目を向けられるとわかっていたからか。面倒が長引いたり、余計なやりとりを交えて事態を面白く感じたりすることを、メローネは無意識のうちに避けていた。
「なあ。データによるとあんたはサンタルチア港で俺と出会った」
言うたび、みるみる記憶が蘇る。
ホテルがいくつか建ち、青空の下の眩しい景色を横目に散歩する観光客が何人も見られた。はあの時も同じ格好をして(当たり前だ、その状態で死んだのだから)海ではなく街を眺めていた。カメラを片手に、観光パンフレットと道を照らし合わせながら。

何をしてるんだい、と話しかけたのはメローネだ。なかなか綺麗な体つきをしていたし、見るからにきちんとした清潔そうな女だったので、今までにないタイプを『母』に据えてみようと思った。任務の外でえげつない行為を働くのはルール違反だと思う部分もあったが、『父親』自体は実際にリストで渡されている人間なので、今のところ問題はない。……はずだ。注意されないのなら、たぶん問題はないのだろう。
少女は突然話しかけてきたイタリア男に警戒した。馴れ馴れしい口調で、嫌がる間も与えず人けのない場所に連れ込まれる。ちょっと、と文句を吐こうとした口は塞がれた。
本当に驚いた時、咄嗟に動ける人間と動けない人間がいる。平穏な学生生活を送っていた少女は、動けないほうの人間だった。
石のように手足が固まり、悲鳴は喉の奥で凍りつく。末端が冷えて痺れる。血液を身体中に行き渡らせるためのはずの心臓が、全身の血の気を吸い取ってしまっているかのようだった。
恐怖に眼を見開く少女を見て、メローネは真剣な顔をした。
「これは必要なことなんだ。君、麻薬はやってないよな?酒も……飲んでるふうじゃない。ついでに言うと処女?」
少女は理解できない質問のあられに打たれる。口調が穏便なのが恐ろしさを掻き立てる。
「頷いて答えてくれればいいんだ。時間はかからない方が嬉しいね」
触れる指先が汚い。壁に押し付けられた背中が汚れていく。髪の毛が絡まり、きっと砂粒にまみれている。冷汗が肌をしめらせる。無遠慮に漁られる鞄はもう二度と使えない。除菌したって使えない。気に入って、いたのに。
長い長い数分が終わり、個人情報をすっかり抜かれてしまった頃、少女の目には涙が浮かんでいた。ぼろぼろと零れていく。学校の課題をこなしに来ただけなのに、私は死ぬんだ。笑っていた膝が折れる。汚れも構わず座り込んでしまった少女の前で、青年は端末を操作する。
「どのやり方が好きなのか、数字を選んでくれ。何かを始める時には楽しくなくちゃいけない……」

オフシーズンの港とは遠く離れた場所で、二人は向かい合っていた。片方は半透明で、もう片方はコートの襟を立てて風を避けている。
「あーあーあー、完全に思い出した。忘れててゴメンな、
「ああそう、それは良かったわね」
「知りたいかもしれないから言っとくけど、あんまり良い子供じゃあなかったぜ。任務は遂行できたけど相打ちだった。成長性はCってトコかな」
「やっぱり私、あんたを殺しに来たのかもしれない」
は苛烈に言い放った。
彼女の言葉を受け流し、ぬるくなったカフェラテを流し込み、メローネは考える。正体は判明した。それなら次はどうすればいい?
何も飲めないが眉間のしわを深くするばかりで動き回らないのを良いことに、パソコンの電源を落とし一人思案する。重たくて不格好な携帯電話も鞄に入れた。
半透明の少女がメローネのもとに現れた理由を探らなければと思っていたが、もしかすると本人が言うように理由などないのか。強烈な思念が彼女を現世に繋ぎとめ、原因であるメローネに鎖がのばされたのかも。だとすると、と更に深く進む。だとすると次の『任務』では、相手が強く強く未練を残さないうちに母体化させなければ。
ではが抱く未練とは何か?死の間際、この世とあの世の境をぶち抜き、うつつに自らを縛りつけた凄まじい執念とは何か?
「死ぬ前に、何を考えたかあんたは憶えてるか?激しく願ったことは?生き延びたいとか、そういうたぐいの」
はしばらく俯いていたが、やがて呟くように答えた。
「除菌、したい」
「……Chiedere perdono?」
「除菌したいって思ったの。汚いものにいっぱい触ったから」
ここでメローネは思い出した。そうだ、この女、潔癖症のきらいがあるんだった。
しかしこうなると厄介だ。望みを叶えてやれば消えるかもしれないのに、よりにもよって物理的な接触が不可能な相手に消毒させてやるなんて。
幽霊の除菌など、この世の誰が試みたことがあるだろうか。