エピローグのプロローグ
――強さは強みだけれど……
彼女の言葉が思い出されたのは、偶然だったのだろうか。
壁に書かれた文字を読む直前、視線を動かす刹那、張りつめた少女の顔が思い浮かんだ。
文字を読み終わる前にアヴドゥルは走った。「この文字を読み」くらいだったかもしれない。振り向くポルナレフを押し倒す勢いだった。何かを察したイギーがアヴドゥルのローブに食いつく。
「走れ!!」
らしからぬ大声を上げたアヴドゥルに驚いたものの、ポルナレフもやがて負けないように走り出す。彼らに背後を振り返る余裕などなかった。ガオン、と異様な音を立てて空間が削り取られる様を目撃しなかったのはアヴドゥルにとって幸運だった。足取りが恐怖にもつれなくて済んだから。
先回りして空いた大穴を見て初めて、アヴドゥルは足を止めた。息を切らし、中空に浮かぶスタンドを見た。
「……お前は……」
「……ヴァニラ・アイス。―――DIO様のお休みになる上階には、一歩たりとも近寄らせん」
表情はなくとも、イギ―はおおよその言いたいことが理解できた。動物の縦社会に表情は存在しない。目を見れば、たとえそれが潰され白く濁った双眸であっても、彼には感情が読み取れる。
当初イギ―は特別彼女のことが好きであるというわけではなかったし、嫌いというわけでもなかった。ただそこにいる連れ合いの一人、人間の一人というそれだけだ。その認識が変わったのは、水を使うスタンド使いを承太郎が倒した、その後だった。
――イギーさん。最初で最後のお願いをしてもいいでしょうか。
話しかけてきたのは彼女のほうだった。興味なさげに視線をそらしても、傍にしゃがみこむ少女にジョースターたちがイギ―の反応を賭け始めても、少女は小さな声でイギーに語り掛けた。とうとう根負けしたイギーがぱたりと耳を動かすと、視界の端で彼女が微笑んだのが見えた。
――あなたはこれから、不本意でしょうが、戦いに巻き込まれます。
少女の声は真剣だった。
――もしかしたら片脚を失うかもしれません。
冗談じゃあない。思わず顔を上げると、彼女はより声を潜めた。誰にも聞かれてはならない話なのだと判り、イギ―は興味のないフリをして脚の上に顔を置いた。それでも耳はぴくぴくと動いて声を拾う。
――ですがそれは最悪ではありません。もし、もしもあなたが死にたくないのなら、最後まで、未来を生きたいと思うなら、どうかお願いです。
少女の手がイギーの毛並みを撫でた。その手つきは、小動物を愛しむ人間特有の浮ついた感情からはかけ離れていた。
死にゆく戦士の痛みを、気休めにぬぐいさるような、そんな手つきだった。
――決して、ヴァニラ・アイスを怒らせないでください。愚者で彼を惹きつけろと言われても、決して頷かないでください。
まだ見ぬ敵の名前を聞かされ、要求され、イギ―はぱたりと耳を動かした。ぎょろりと目を向けて、問いかける。だったらどうしろってんだ?
――イギーさんに言っても仕方ないのでしょうけれど、走り回り、彼に捕捉されないようにしながらDIOの悪口でも言ったら現れるかもしれないですね。
その時が今なのだと、イギ―は魂で理解した。人間には聞き取りづらいだろう喧噪のなかの小声も、イギ―の優れた耳はきっちりと聞き取り、脳みそで記憶している。
ヴァニラ・アイスというスタンド使い。愚者でひきつけろという要求。すべてが整った。イギ―は片脚を失ったが、闘志までは失っていない。しかし、命をなげうつつもりもなかった。自分をコケにしたDIOとかいう奴を叩き潰す。それが目的だった。
イギーはポルナレフの懐から飛び出すと、ところどころ陽の射す石畳を駆け回った。ぎこちない動きにももう慣れた。スピードより、今は攪乱が大事なのだと気を静める。そして、イギ―は自分のボキャブラリすべてを叩きつけるつもりで、ワオンワオンと大きく吠えた。
爪先を失って初めて、敵の能力の恐ろしさを知る。削り取り、亜空間でバラバラにしてしまうスタンドだと?そんな規格外が存在してたまるか。恐怖と、それを補って余りある闘志がわき上がる。
イギーに提案したDIOの砂人形という作戦は本人――犬によって却下された。彼は今、不自由な脚を動かして、石畳の上で吠えまわっている。
「な、なんだァ!?あいつ、おかしくなっちまったんじゃねェだろうな!?」
「いや、待てポルナレフ。イギ―は賢い。何か策があるのだろう」
「策ったって、犬語はわからねぇぜ」
ローブのそでを失ったアヴドゥルは、いつものくせではためく袖を振り顎に手を寄せようとして、袖がないことを思い出すと苦笑をこぼす。戦場の中でも、いつものドンと構えた態度は変わらなかった。焦っていたのは最初だけで、いつの間にか落ち着きを取り戻している。その強さがどこからくるのかと考えた時、思い浮かぶのは数十日前の列車だった。
「奴はDIOに心酔している。奴が我慢ならず飛び出してくる状況を作るには、……イギーのようにすればいい!」
「はァ!?」
「落ち着け。ポルナレフ、DIOを罵れ。立ち止まっていてはいかん。あの亜空間に飲み込まれてしまうからな。イギーのように走り回り、居場所を特定されないようにしながら罵りまくるのだ」
騙されたような気持ちで、ため込んだ鬱憤を悪口にして駆け回っていると――あのオカタイアヴドゥルですら、俺のような下品な悪口を言ってみせている!――、ガオン、と空間の開く音がした。反射的に飛び退ると、今まで足を置いていた床が消失した。
「ハ、なかなかの忠犬ぶりじゃあねぇか!」
「DIO様を愚弄するなど……許せん!許すものか!」
主を侮辱されて頭に血が上ったのか、ヴァニラ・アイスは亜空間の鎧を脱ぎ捨て、生身で石畳の上に立っている。思わず舌なめずりをした俺は、チャリオッツを出して切っ先を嫌味な鼻先に突きつけた。
姿勢を低く保ったイギーも砂のスタンドを呼び出し、アヴドゥルの周りには炎が踊っている。
この三人がそろっていれば、勝てない敵はない。ポルナレフは確実な勝利の風をつかみはじめていた。
テレンス・T・ダービーと名乗る執事のようなスタンド使いに連れられた先は、屋敷の中の隔離されているであろう小部屋だった。
彼はゲームをしろと言う。その相手に、なぜかか花京院を指名して、ジョセフは混乱していた。なぜ、DIOの闇に焦がれているこの少女を敵のように見なすのかわからなかった。ジョースター――我々と共に旅を続け、カイロに辿りついたことによって敵と認識されたのだろうか。だとしても、DIOのに与する者ならば、彼女の昏い瞳を見ればわかるはずだった。ジョセフが何度も覗き込んだその瞳には、一度たりとも光が宿ることはなかった。それこそが、が闇に心酔しているという証なのではないのか。
敵同士が泥仕合で自滅をするかもしれない。
そういう考えは、ジョセフの中には全くなかった。そうであってほしいという願望もかけらたりとも存在しなかった。
さらには、何を考えたか、テレンスの誘いに頷いてしまった。
「あ、あ、ちゃん!?」
「話が早くて助かりますね。さて、何のゲームにしますか?ここにあるものから選んでくださって構いませんよ」
ジョセフには視線もくれず、少女は机に並ぶソフトをひとつひとつ確かめている。花京院が隣に立ち、アドバイスを与えようとしたが、テレンスによってぴしゃりと制された。
「へえ、……すごいですね」
くすり、とが笑った気配を感じて、ジョセフはハッと思いついた。彼女の今の言葉には、言葉にならなかった続きがあるのではないか。
彼女は己の力のなさを知っている。しかし、それでも、戦わずにはおれないのではないだろうか。DIOへの道に立ちふさがっているものは、同じ闇といえど彼女にとっては敵なのではないか。だからこそ、魂を賭けてまでテレンスを排そうとしているのではないか。
その考えはとてもしっくりときた。
ソフトを選び出し、テレンスに渡した少女の後ろ姿はぴんと背筋が伸びていて、戦いに挑むもの特有の空気があった。
車を捨て、屋根の上に上ったジョセフを追って、花京院は時計塔の大きな時計の側に立った。遅れて登ってきたを戸惑いながらも引き上げる。
ここまで道を共にした少女の手は自分より小さく、握りしめると頼りない。
ジョセフがなぜ、をこの場に連れてきたのか、花京院には分からなかった。
追うか逃げるかを選ぶ時、はジョセフの服をつかみ、何事かを口にした。夜風にさらわれて花京院には聞こえなかったが、ジョセフの表情は硬く、老いた眼差しは哀れみに溢れていた。
DIOのスタンドの秘密を探る方法は、たった一つ、考え付いていた。
決意を胸に、少女の手を離そうと指をほどくと、彼女は驚くべき行動に出た。
「さん?」
は花京院の手を握り返したのだ。
――頭がよすぎるんでしょう。
いつか告げられた言葉が蘇る。
するりと、余韻も残さず解放された手にさみしさをおぼえる。おかしなことだ。彼女はDIOのもので、敵であるはずなのに、手放しがたく感じている。それは、旅の途中にわずかながら触れ合った思い出があるからだろうか。花京院の心にそよ風のように入り込んだ少女は、微笑み一つよこさずにきびすを返した。
法皇の結界を散り散りに張り巡らせて、DIOの訪れを待つ。
闇夜に輝く金色を見たと思った。知らない、それでいて懐かしい香りに包まれた。
次の瞬間、結界がすべて同時に切られていた。それを認識すると同時に吹き飛ばされ、尖塔の煉瓦にぶち当たる。瓦礫に腰が埋まり、腹部に鈍い痛みが走った。
――痛くなります。……お腹が。
(彼女が言ったのは……この……ことか……)
結界が同時に切られた理由に至り、必死で声をあげる。
「ジョースターさん!時間です!DIOは時間を止めることができるんです!だから僕の法皇の結界をすべて同時に切ったんです!彼にとっては順繰りでも、僕らにとっては一瞬なんです!」
そして花京院は気づく。今まで傷を認めたくなくて毅然と上げていた顔が、唇がわなないた。必死だった時にはわからなかった重み。瓦礫ではなく、柔らかな――……
「あ……」
腹ではなく、吹き飛ばされる刹那、胸に感じた圧力。
彼女は、花京院が結界を張り終えるのと同時に飛び込んだのだろう。胸に抱き着くような形だった華奢な身体は、花京院が壁に叩きつけられた衝撃でずり落ち、腹にしがみつくような体勢になっている。おそるおそる、花京院が傷ついた手を伸ばす。リボンが引きちぎれたその背中には大きな傷があった。少女の肉をえぐり、骨を削り、神経を断つ攻撃は見るのも痛ましい。血に塗れた服に包まれた身体は、上下していなかった。
「あ……あ……」
――痛くなります。……お腹が。
もうきこえない声がリフレインする。花京院は、の肩を揺さぶった。あの時の、アヴドゥルのように、本当は生きているのじゃないか?むくりと起き上って、あの無表情で「ふぅ」とため息をつくのじゃないか?
「さ、ん」
腹に寄せられた顔に、髪をかきわけて、手を近づける。震える指先には何も感じない。夜風すら、止まってしまったようだった。
DIOに血を吸われ、抜け殻のようになったジョセフを見て、怒りを抑えることなどできない。しかし冷静な自分が、スタンドとは別の方向から承太郎に囁きかけた。
(あいつが何もしないはずはない)
五十日に及ぶ旅路の中で、承太郎は無表情の少女のことを理解しかけていた。しかけていた、というのは、その歩み寄りが一方的なものだったことを表している。五十日足らずの猶予があっても、承太郎はという少女について概要しかつかめていなかった。彼女はともすれば承太郎よりも寡黙だった。正確に言うと、寡黙であるというよりは、面倒くさがりだったのだ。口を開くことを、表情を変えることを、相手に歩み寄ることを面倒くさがる少女だった。
知らぬはずのことを知り、昏い瞳で遠くを見る。承太郎に確信できたのは、その視線の先にいるものがDIOではないとうことと、もう一つ。
(あいつは、ジジイの……いや、俺たちの死を……)
知っている、というべきか、予見しているというべきか。
そして彼女はひとつひとつを手に取るように確かめて、時折手の届く範囲で戯れともいえる雑さで自分たちの傷を回避させていたのだ。
その彼女が、ジョセフの危機に、それも生命の危機に訪れないはずがないと承太郎は思っていた。
――あなたの進む道は白です。
まっすぐにこちらを見つめて告げた表情が今もありありと思い浮かぶ。
承太郎は逆に考えた。彼女が出てこないということは、ジョセフは死なないのだと。
「フ、フフハハ!ジョジョォ、まさか仲間の登場を待っているというわけではあるまいな?よもや、あの女を待ってはいまいな?」
首の傷が埋まったDIOは、非常に楽しそうに手を大きく広げて承太郎に語り掛けた。ぴくり、と青年の肩が揺れたのを見て、笑みを深くする。
実に愉快な気分だった。最高にハイな状態に近い。
ジョナサン・ジョースターの肉体に目覚めたスタンド能力は、ジョセフ・ジョースターのハーミットパープルによく似た探査のスタンドだった。
DIOの手が軽々とポラロイドカメラを叩き壊すと、カメラからは念写の写真が吐きだされる。その写真に写ったのは、一人の少女だった。
彼が信頼を置いたエンヤ婆は、DIOの求めに易く応じた。見覚えのない写真の少女を占うと、その結果にDIOは哂った。彼女はただ、世界線の混雑に巻き込まれただけの被害者だった。混乱に巻き込まれた彼女は突如この時代に放り出された。それも、ジョースターの血筋の元に。
ジョースターの血筋に恐怖しているわけではなかった。侮れないだけだ。そんな彼らに、無遠慮にDIOの生活に隠者の茨を伸ばす彼らにちょっとした悪戯を行っても構うまい。それだけのことだった。名前も知らない少女を揶揄して、ジョースターに”聞こえるよう”にDIOは彼女の眼差しにこもった闇を褒め称えた。このDIOの優秀なる手ごまとして働くであろうと、愉悦の笑みを浮かべて、あることないこと気の向くままに喋り立てた。
見事に念聴や念写により、DIOの言葉を信じこんだ彼らは、現れた表情の硬い少女に警戒を向けた。その様子を、各地に散らばる耳から伝え聞くと、どうしようもなく肩が震えた。少女の都合などDIOにとってはどうでもいい。彼女がジョースターたちの、偽の真実に対する追及に耐えかね、DIOの元に逃げ込んできたとしてもそれはそれで面白い。その時は、手足をもぎ取ってより深い絶望に浸してやろうではないか。
「そう思って今まで泳がせていたが、フ、フフフ、……あの女、実に……実にけなげよな」
朗々と、ジョセフの殻を戯れに蹴り飛ばしながら承太郎にたくらみのすべてを説明すると、DIOの目の前で承太郎は唇を強くかんでいるようだった。握りしめた拳は今にも振るわんばかりに震えていて、それでもDIOの笑みの理由を最後まで聞こうと、帽子の下から切れてしまいそうな視線を向けてくる。実に楽しいひと時だった。この余興に、DIOはフィナーレを告げる。
「スタンドも何もない小娘の癖をして、わたしから花京院をかばってみせた」
フフフと、笑みがもれて仕方ない。DIOは高らかに哄笑すると、ジョセフのものとは違う血に濡れた指を夜空に掲げた。時計の側で倒れたであろう二人に向けるように、血のきらめきを月に透かす。
「花京院にはわたしのスタンド……ザ・ワールドの能力を暴いた褒美に時間をやった。この辺りか?そう、女なら子宮のあるアタリだ……。つい先ほどまで自分に疑いを抱いていたであろう花京院の身体に抱き着くように飛び込んできたから、時間を止め、じっくりと貫いてやったよ。花京院は今頃、小娘の亡骸を抱いて絶望しているのではないか?そう、最初から無実であった者を疑い、針の筵のような空間に留め置き、フ、フフ、ハハ……あまつさえ、そやつに庇われたのだからな!」
指で自分の腹をくるりと示して、DIOは承太郎を窺う。
「DIO……テメエ……、ジジイのみならず、あいつを……そして花京院を……!」
「いたいけな少女を信じ切れなかったのは貴様らの過失だ、そうだろうジョジョ?」
怒りに震えた拳をスタンドで迎え撃つ。DIOは最高の気分だった。
彼は夜明けの日差しにテンガロンハットを引き下げた。
奇跡的に軽傷で済んだ花京院は、誰かを抱きかかえている。承太郎より、ポルナレフより力の弱いであろう青年でさえ、力なく目を閉じる人間をたった一人で抱えられる。彼女は華奢で、軽かった。
己の肩に担ぎあげた細い肢体を思い出す。背中が涙でぬれたことも、ハンカチを景気づけに押し付けたことも、つい昨日のように感じられた。ほんのわずかな時間で、心にあまりにも大きな足跡を残した少女の死を悼むことはいつでもできる。その前にホル・ホースには、どうしてもやらねばらなないことがあった。
花京院を、その腕の中の少女を囲むように集まった彼らの背後から、わざと砂利を踏みつけて、道化のように肩をすくめて登場する。
振り返った面々の驚き方すら大げさに見えて、ホル・ホースは口を曲げた。何を驚くことがあるって言うのだ。彼女の死よりも驚くべきことなんてないはずだ。そう思う一方、柔らかな涙声で告げられた”最後”の存在に、この結末を予感していた自分がいる。
「お前は……ホル・ホース」
「よォ、ずいぶんボロボロになったじゃねぇかポルナレフ。ジョータローだったか?なかなか腕っぷしが強くなったみてぇだな。アヴドゥルさんよぉ、まさかオメーが生きてるとはなぁ。それに……なんだぁ?あぁ、犬っころか。脚なくして、……名誉の負傷ってやつかよ」
「……何をしに来た。DIOの仇討ちか?」
低く、唸るように承太郎が問う。答えによっては、ホル・ホースがエンペラーを現すより先に強力な拳が彼の頬を打つだろう。
「んな下らねぇこと、興味はないね。俺は金で雇われただけだ。タロットの暗示が、そちらさんを除けば最後の一枚になったからって、俺は痛くもかゆくもねぇ」
ざり、と砂まじりの石畳を踏みつけ、花京院に近寄る。少女の躯を守るように身を引いた青年に向かって、ホル・ホースは笑ってみせた。へたくそな笑顔だ。
「……、……その時が来たんだな……」
ホル・ホースとの別れを惜しんだ、昏くもきらめいた瞳は硬く閉じられている。うすく開いた唇からは、今にも吐息がこぼれそうだった。けれど期待を打ち砕くのは、その腹部を真っ赤に染める血の量である。布で隠されてはいるが、きっと貫かれたのだろう。
「……ホル・ホース。君は……と親しかったのか?」
「……そんなもんじゃあ、ねぇよ。俺はあいつから、……あのお嬢ちゃんから重大な秘密を預かった、いわば守り人さ」
重大な秘密というキーワードに、面々が色めき立つ。表情こそ変えなかったが、承太郎も興味を惹かれたようだった。
「もうこの世では、俺しか知らない話だ」
喪われてしまった秘密の共有者の頬に手を伸ばす。今度は花京院は拒まなかった。その腕の中のつめたく重い感覚を伝えるように、少女の頭を向けてくる。ホル・ホースの大きな手で包めてしまうのではないかというほどその顔は小さいし、頭も――。
SPW財団の救急搬送車両に、ホル・ホースも同乗した。傷はなかったが、掘った穴に王の耳がロバのものだと叫ぶようにすべてありのままにぶちまけた彼を、面々は放っておかなかった。思考の整理に、彼が必要だったのだ。ホル・ホースは文句も言わずに車に乗り込んだ。
その途中、承太郎がジョセフの抜け殻に石化体であるDIOからの輸血を行い、ジョセフが蘇生するという出来事があったが、それすらホル・ホースの口元を皮肉にゆがめただけだった。彼らの、自分の目の前で彼女の亡骸は消えた。ホル・ホースとポルナレフ、イギ―以外の全員が、まるで少女が現れた時の映像を巻き戻したような姿だったと感じた。
(輸血でどうにかなって、よかったじゃねェか)
口にしないだけの分別はあった。
百年の因縁を断ち切った彼らは、その背に一人の少女の喪失を背負わなくてはならないのだ。墓を見舞えば会えるという話ではない。世界からの喪失だ。自分たちのとった態度に、言葉に、勘違いに、五十日足らずの旅でできたあふれんばかりの思い出の中、重く苦しい石を抱えて。
*
絶頂にさよなら。