善意で動くわけではない
ホル・ホースが去るとき、はその別れを惜しんでいた。馬上のガンマンから別れのハンドサインを受けると、彼女はわずかに手を振った。ジョセフは驚く。何にも関心を示さないように見えたが、なぜあの男にあれほどの反応を見せるのか。
はジョセフに一瞥もくれなかった。音もなく歩いて、ホル・ホースに縋り付いた女性に近づく。自分とホル・ホースを引き離す原因となった、ホル・ホースに愛されているという女性に何かするのではないかと危惧したジョセフは、思わずのリボンを引いた。くっと躓いたは、ちらり、ジョセフを振り返った。深淵を覗くような眼差しで見つめられて、ジョセフの胸を罪悪感が締め付ける。
首をかしげたに、ジョセフは首を振る。
「すまん、君があまりにもあの男を見ていたものじゃから、つい」
は自分の腕を持ち上げて眺めた。むき出しの前腕に、血がついている。女性の擦り傷を治療する時に飛んだのだろうか。少女は女性――ネーナをじっと見ている。リボンが掴まれているからか、前には進もうとしなかったが、わずかにその唇が動いたのをジョセフは見逃さなかった。
(『あー』……と言ったのか?)
ため息とは違う、言葉を紡ぐ動きだった。
ジョセフはハンカチを取り出して、少女の腕を拭いてやる。血の下には小さなできものがあった。少女の棒のように細く、白い肌には不釣り合いだ。
「ん?これは……かゆくないかのォ?」
はじっとできものを見つめると、なんでもないというふうに腕を下ろした。
次にのできものに目を留めたのは、花京院だった。ホル・ホースに責められたことがどうしても頭から離れず、の様子をこっそり観察していたのだ。白い肌に痛々しくうきあがったできものはひどく膿んでふくらんでいるように見える。
「……さん、痛くないの?」
「病院に行った方がいいんじゃあないか?」
日本に比べると医療技術は劣るが、ここベナレスでも治療できないことはないだろう。焼いた針でつぶしてしまうというのも手だったが、少女相手にそんなことをするわけにもいかない。
ネーナに夢中になっているポルナレフは置いておいて、ジョセフは花京院と一緒にを病院へ連れていくことにした。は無感動に、連れられるまま待合室の椅子に腰かける。ジョセフが初診だと受付に言う間、花京院は少女の隣で待っていることになった。
花京院は沈黙を苦にするタイプではない。だが、が相手となると、何か喋らなければいけないような気持ちになった。黙りこくっている少女が、沈黙したまま闇に引きずられていってしまうような気がしたのかもしれない。
(アヴドゥルさんのことを、彼女はどう思っているんだろう)
アヴドゥルの生存を知らないのはポルナレフとだけだ。ポルナレフは、今は女性に気を取られて悲しみから目をそらしているかもしれないが、瞬間瞬間で悔恨の表情を浮かべる。しかしの顔には何も浮かばない。
花京院はそれを訊ねるのが少し怖かった。もし、もしも、彼女がこう答えたらどうしようかと思うのだ。DIOに仇をなすであろうアヴドゥルの死を、当然のものとして喜びを抱いていたらと。
「さんは……あの時、死にたくてあの場所へ走った……?」
「……そう」
の肯定に、花京院はやはりと息を呑む。ホル・ホースのもとへ一直線に歩いて行ったの背中には迷いがなかった。
「だったら――……」
はっとした。
自分は今、何を言おうとしたのだろうか。花京院はあの時の感情を思い出して、それに流されそうになった。乱れた息を整えていたあの一瞬、がアヴドゥルの代わりに撃たれていればと、そんなことを考えてしまった。
の視線がゆるりと動いた。愕然としている花京院を射抜く。責められているような気がして、花京院はこわくなった。
仲間が大切で、皆がいつも通りであればいいと花京院は思う。今まで体験を共にし、スタンドという共通点を持ち戦う仲間など、彼にはいなかった。だから、というのは言い訳にならない。自分より若い少女に、敵の仲間だからと言って、死を願うなど。
「それは……考えなかった。失敗すると思ったから」
「え?」
言葉の意味を確かめる前に、ジョセフが戻ってきた。
「説明したら、手術で切ってしまった方がいいと言うんじゃ。どうも信用しづらいが、ちゃんはどうじゃ?」
「……手術は構いません」
が誰かの言葉に逆らったことがあっただろうか。変わらない様子でジョセフの手を取ると、三人は診察室を通り抜けて手術室の前に行く。医師が改めての腕を見て、片言の英語で手術の必要性を再三訴えた。
手術室の前で待っている、と言ったジョセフを、の昏い目がじっと見る。何か言おうとして、無言のままジョセフの服の裾を引いた。
「一緒に……ということか?」
「できるなら」
返答は短い。
ジョセフはに行動を要求されたことを喜び、大げさなほど笑顔で頷いて見せた。医師に交渉し、消毒液にまみれてから扉の奥へいく。
「花京院はそこで待っていてくれ」
言われた通りに腰を下ろすと、花京院は組んだ手を額に当てた。あまりにもひどいことを考えてしまったと、自責する。
麻酔をかけられたは動けない。自らの腕のできものが医師の肉を切り裂き、食らうのを見ても、どうしようもなく動けない。
手術室まで付き添ったジョセフの機転で医師の命は助かったが、彼は突然人の顔のように膨れあがり肉を食らい始めたできものに驚いていた。
「な……なんじゃあッこれはァ!?」
「ヘイッ!あたいの食事の邪魔をするんじゃあないよッジョセフジジイ!肉が足りないのさァ!!」
むくむくと成長するできものはエンプレスと名乗る。女帝のカードは入れ物の中のメスを掴むと、ざくざくとの肌を切り裂いた。麻酔に鈍らされた痛覚は、に何も伝えない。ただ血だけがリノリウムの床にこぼれ、少女の顔色を悪くさせた。
「ちゃん!」
刃物を遠ざけようとしたジョセフが台車を蹴り飛ばす。けたたましい音を立てて壁に激突した台車は、床にさまざまな手術道具を散らばせた。音を聞きつけ、廊下から花京院の声がかかる。ジョセフが緊急事態を伝えると、青年は手術室に突入してきた。騒ぎを聞きつけたナースたちはすばやい当身で意識を失う。
「スタンドを伸ばしたって無駄さね!ハイエロファントグリーン?ひひ!おいしいおいしいご飯と違うのォーッ?!」
少女の腕から引きちぎろうとエンプレスに伸びたハイエロファントの触手が、がちりとその歯で固定される。ちゅうちゅうとスタンドから直接エネルギーを吸い取るようにエンプレスが触手をしゃぶると、その身体はより大きくなった。強い力で台の縁を掴みを手術台から引きずり落とすと、床に散らばったハサミを取る。
それを思いきりジョセフに投げつけると、飛んできた茨を両手で引きちぎる。
「くうッ……やたらめったら攻撃するとさんに当たってしまう!」
「落ち着くんじゃ、花京院!」
エンプレスが宿っているのはの腕なのだ。もしかするとエンプレスは、ジョセフたちがを攻撃できないと知っていてそこに宿ったのかもしれない。ネーナから飛んだ血の滴をがジョセフの代わりにあえて腕に受けたとは知る由もない花京院は、とエンプレスが協力している可能性を考える。DIOの闇に染まり切っているかもしれない少女だ。そういうことがあってもおかしくはない。
いざとなれば、花京院はの腕ごとエンプレスを破壊することを躊躇わないだろう。少女の腕から流れる血をすすり、大きく成長していくエンプレスを睨み付ける。
ぴくり。倒れ動かなかったの指が動く。急激な失血で、麻酔とは別に意識を失いかけているとはっきりわかる顔色で、エンプレスが投げつけようと振りかぶったメスを握りしめた。刃がくいこみ、手のひらから血が落ちる。エンプレス自身の握力でばきりと真ん中から折れたメスの、刃のほうを握り直すと、思いきり振り下ろした。
「ちゃん!!」
エンプレスが悲鳴をあげる。の腕とエンプレスの境目、ちょうどそこをえぐるようにメスが刺し込まれている。その隙を突いて、ハーミットパープルがエンプレスをの腕から引きちぎった。
血まみれのをどうしたらいいのか、花京院は戸惑った。医師を呼ぶにも、手術担当だった男が倒れ、手術室がボロボロに破壊されているこの状況では、ジョセフと花京院が犯罪者として追われることになるだろう。
ジョセフは手早くの腕を、にかけられていたシーツを引き裂いて止血すると、少女を両手で抱きあげた。
「SPW財団の支部がこの近くにある。車でそこまで向かおう」
無駄な時間をかける暇はなかった。
多くの人に見とがめられながら承太郎たちの待つホテルに辿りつくと、ジョセフはすぐに車のエンジンをかけるように言った。
ポルナレフが車を走らせる。アクセルを全開にして山道を駆け、ジョセフの指示通り角を曲がる。の出血は収まりつつあったが、麻酔が切れて痛みが戻ってきたのか、時折大きく車が揺れると小さく声をあげていた。
財団スタッフの治療は的確で、清潔な包帯を巻き、増血剤を投与すると、激しい運動をしなければ旅を続けて大丈夫だと言った。本来なら一日くらいは入院させるところだったが、ジョセフは次の街まで進むことを決断した。エンプレスのこともあり、あまりベナレスの近くにとどまっていては危険なのではないかと判断したのだ。
ジョセフの膝の上で眠るを見て、花京院はジョセフにホル・ホースの言葉を正確に話した。が追いつめられているように見えること、死を求めるのにはどういう理由があるのかということを。
ジョセフは神妙な顔つきで、冷えたの頬に触れる。
「わしは……DIOの洗脳なのではないかと思っておる。ちゃんには肉の芽は埋まっていない。だが、肉の芽以上に根を張った……死が救いであるという強烈なインプリンティングをされているのではないだろうか」
DIOの闇は恐ろしい。花京院は記憶のすぐそこにあるかつての光景を思い出した。少女にかかったプレッシャーは、どれほどのものだったのだろうか。あの甘美な誘いに乗ってしまった自分には、を批難することはできないと、花京院は目を伏せる。
*
失血死はできるだろうか。