秘密を弾丸にこめて
は足が速くない。華奢な体躯は筋肉で引き締まっているわけではなく、座敷牢に閉じ込められていた隠し子のような脆さがあった。
それでも必死に走ったのは、死の予感があったからに他ならない。それ以外の何でが力を振り絞るだろうか。
ポルナレフよりも遅く、花京院よりも早く、その絶妙な順番で少女が走り抜けた理由は、誰がポルナレフと彼女を追いかけるかで数十秒揉めたことにある。耐えきれず駆け出した花京院とその後を追ったアヴドゥルは、スタンドの剣を抜くポルナレフと、膝に手をついて息を切らしている少女を見た。
「お前の弱点は聞かされた通りだぜ!おちょくれば頭に血がのぼる直情型!唯一の誤算は女の子が着いてきちまったってことか」
弾丸の軌道を見切り、ポルナレフを突き飛ばしたのはアヴドゥルだった。の脇をすり抜けた影に、少女は顔も上げずに胸中でその名を当てる。
「ーッ!なんでおめーがここにいんだよ!アヴドゥル!お前もだ!」
「一人にさせるわけがないだろう!お前は今、誘い込まれているんだ!」
「ハッ、だから退けってか?あんたも知ってるだろう!俺はこいつを……この両右手の男を倒すためだけにここまで来たんだ!あんたはドンと構えて説教でも考えておけよ!」
アヴドゥルの背後の、鏡面のような水たまりから手が伸びる。たくましい背中に吸い込まれるようにナイフが突き刺さり、その隙に放たれた銃弾が眉間をえぐる。倒れた巨体を追って、の傍らにいた花京院が飛び出した。
息を整えたも身体を起こして、ずかずかと、彼女にしては大股で歩き出した。敵が潜むかもしれない水たまりを踏み越えて、しぶきを跳ね上げ、かかとが泥で汚れるのも構わず進む。
「おい、……?」
ポルナレフの声を受けても、花京院のアヴドゥルを揺さぶる声が聞こえても、眼前のテンガロンハットが動揺に揺れても。
「お尋ねしたいのですが」
「……え?あ、俺にかァ!?」
「はい」
今までにない溌剌とした輝きを放つ黒い瞳に覗き込まれ、ホル・ホースは後ずさった。ちらりと少女がエンペラーを見るも、彼女はこの男が女を撃たないことを知っている。
「ハングドマンはどこですか?」
「……は?」
「どこですか?あの鏡でしょうか、それともまださっきの水たまりにいますか?英語が正しくありませんか?」
「英語は正しいよ、だが……アンタもスタンド使いか?旦那を倒そうってなら、あの直情ポルちゃんが先じゃあねェか?」
「私はスタンド使いではありません。殺してくれる人を探しています。あなたはポリシーがあります。しかし彼にはありません。いけます」
ホル・ホースは稲妻に撃たれたように目を見開いた。殺してくれる人間を探している?ポリシーがないからJ・ガイルの旦那を探している?少女の目は真剣だった。幾人もの女性の眼差しを受けてきた男だからこそ言える。彼女は本気で死ぬつもりなのだ。ホル・ホースが場所を教えれば、礼の一つでも告げた後、すたすたとハングドマンの元に向かい、自らその薄い胸を差し出すのだろう。ありありとその光景が想像できて、ホル・ホースは思わずポルナレフの方に視線を向けた。お前の仲間だろ何とかしろよ。
「い、いやいや!イケねェだろ!何だ!?人生に悲観でもしてんのか!?そういう目じゃねぇが、何か困ってることがあるなら相談に……」
少女は、ホル・ホースの半分ほどしか生きていないだろうくせに、疲れた目をしていた。死を救いだと信じている目だ。ホル・ホースに求められているのはハングドマンの潜む鏡面の場所だけで、それ以外の答えは無駄口なのだ。
しかし彼のポリシーとして、プライドとして、死にゆく女をみすみす見過ごすわけにはいかなかった。
いかにも耳打ちをするから近寄れというテイで少女を手招き、そっぽを向かせると、ホル・ホースはさっと屈みこんで、少女の身体を担ぎ上げた。
「ンなァ!?て、てんめぇぇえ!!なにやってがやんだ!?」
「おいポルナレフ!お前フレンチだったか?俺ほどじゃあないが女は大事にしてるもんだと思ってたぜ!だが見損なった!」
「はア?!」
じたばたと抵抗して背中を叩いてくる拳には全く力がない。こんなに非力でよくここまで生きていけたと涙が出るくらいだ。
ホル・ホースはポルナレフに向かって叫ぶ。ポルナレフと、アヴドゥルの傍にいる日本人――花京院も、不可解極まりないという顔でホル・ホースを見ていたが、そんなことはどうだってよかった。ここまで言うだけの何かが彼女の中にはあるのだろう。それを、四六時中一緒にいながら欠片も汲もうとしていない野郎どもに腹が立ったのだ。敵である自分に訊ねるほど追いつめられた少女を、こんな非力で小柄な少女を放っておくことなどできようか、いやできない。
「この子は追い詰められている!何にかは知らねぇ!だが、お前らはそれを放っていた!どんな理由があっても、女に!自分から死を求めさせるなんて最低の野郎どもだ!……J・ガイルの旦那よォ!アンタにはわからねぇだろうが、俺はこいつを拾うぜ」
ハジキを構えると、ホル・ホースの言葉に呆然としていた彼らが動き出す。銃弾から守るために味方にスタンドをぶつけた花京院に感嘆の声を漏らす。ハングドマンは車を追ったようだった。すると、ホル・ホースの仕事はしばらくなくなる。
エンペラーを手のひらに消し、車の行き先に向かってゆっくりと歩き出す。
「嬢ちゃん、名前はなんてーんだい?」
「……です」
「ちゃんか。俺はホル・ホースってんだ。女にはとびきりやさしい流浪のガンマンってやつさ」
担がれたまま、は歩みの上下運動にうめきながら頷いた。
「……知ってます」
「ん?情報が漏れたりしてたか?」
「いえ、私は……皆さんのことを知ってます」
「……スタンド使いじゃあねえんだろう?」
「はい。私は、本を読んでいるようなものなんです」
ホル・ホースが首を傾げるのも無理はない。
「本?」
「図鑑というか、漫画というか。そこにはホル・ホースさんやポルナレフさんのことが載っているんです」
「ちゃんはそれを読んでるのか。今も?」
「今は読めません。記憶の限りですべてです」
今はビジョンを消した拳銃を思い浮かべる。
「便利なんだか不便なんだかわかんねぇなァ」
「便利ですよ。誰に頼んだら簡単にし……」
「おっと。俺と一緒にいるうちは、その言葉は言わせねぇぜ」
目元をきつく引き締めると、自然と声が低くなった。ホル・ホースはこのと一時間だって共にしていないが、だからといって物騒な発言を許したりはしない。自分勝手と言われようが、彼はぴしゃりと言葉を封じた。
「……本当にやさしい人なんですね」
「俺はどんな姿をしてようと、どんな宗教を信じてようと、女性を尊敬してるんだ。それが、目の前で死にたいなんて言われちゃアな」
「すみません。あなたを傷つけることを考えていませんでした」
丁寧に文法を組み立てているのだろう。の英語は綺麗な発音だったが、とてもゆっくりだった。自分の意図が間違いなく相手に伝わるよう、心を砕いているのだとわかる。
こんなに思慮深く穏やかな少女がなぜ死を求めるのか、なぜジョースター一行は気づいてやれなかったのか。
「アンタはなんでそんなに死にたいんだ?相棒の俺が言うのもアレだがな、J・ガイルの旦那は、そのスタンドも、まったくと言っていいほど女に優しくねェぜ。尊敬してるのは勝利へのこだわりと完璧なハングドマンさ。女への態度は、まア……わかるか?」
「ポルナレフの妹さんを……、……殺害したそうですね」
「……あぁ。……相手の趣味嗜好にとやかく言うつもりはねぇが、同じ欲望を持ってるたぁ思われたくねぇところさ」
「あなたと話せば、誰もそうは思わないでしょう」
「オイオイ、俺を慰めてるつもりかい?そういうのはもうちっと成長してから頼むぜ。俺は女が好きだが、幼女趣味はねェんだ」
「私は十五歳だそうですよ」
「は?伝聞?!十五歳にしちゃ、ずいぶん大人びてるな。……そうじゃねえ!なんでアンタがハングドマンを当てにするほど死にたがってるのかってハナシだぜ」
「ええ」
「……ちゃんはよォ、歳にしちゃあ、疲れた目をしてる。それが原因か?まさかあいつらに苛められたのか!?」
「いえいえ、彼らは親切ですよ」
「……奴らのことは深く知らねえが、旦那に仇討ちしようって志から見ると、歪んだ奴らじゃねぇのはわかる。で、なんでだ?」
の沈黙は永遠に続くかと思われた。人形を抱えているような気すらしてくる。ぴくりとも動かない少女の身体を抱えなおして軽く揺すぶってみる。
「言うまで下ろさないってのはどうだ?」
「困ります。じゃあ、……あなただけにすべて話します。最後まで秘密ですよ」
最後がどの地点にあるのか、ホル・ホースにはわからなかった。も、はっきりと考えていたわけではない。
「図鑑のようなものを読んでいた、って言いましたよね」
「あぁ」
「私はこの世界のことが、漫画になった世界から来たんです」
「……ン?」
突風が吹き付け、ガンマンがテンガロンハットを手で押さえた。も、目元をかばう。
「国と国を渡るように、私は世界を渡らされました」
「ン?誰にだ?」
「わかりません。目が覚めると宙に浮いていて、……これよりもう少し高いところでした。それで、落ちたんです」
「地面に?」
「地面に」
「怪我しなかったのか?」
「親切なアヴドゥルさんが受け止めてくださいましたから」
炎の縄で。必要のない補足だったので口にはしなかった。恨む気持ちもないし、当てつけて悪い印象を植えてやろうなんて悪だくみもない。
「そうか、アヴドゥル……あいつは真摯な奴だって聞いたぜ」
「ええ、とても親切な方です」
ホル・ホースはアヴドゥルの死を確信して喋り、は生存を確信して喋ったのだが、彼らはお互いの齟齬に気づかなかった。
「私は何が起きたかまったくわかりませんでした。ただ、不思議なことに、私は知っていたんです」
「……何を、だ?」
「陽が沈めば月がのぼるように、この世界が丸いのだというように、私は知っていました。死ねば帰れるということを」
「……な……」
息をのみ、男は絶句した。
「私はこの物語が苦手でした。苦手を克服するために読みこんだんですけど、やっぱり苦手でした。こういう命を削る話って、勝ちと負けがありますよね。それがつらかったんです。もともとの私は面倒くさがりで、あきらめが早くて、物語の中で輝くジョースターの血筋の考えに馴染めなかっただけかもしれません」
「……苦手な世界に来ちまったから、帰りたいのか?その、苦手なジョースターたちと一緒にいるから?」
「いえ。実をいうと、私はもともとの世界で、人生の絶頂期にありました。矛盾するようですが、血のにじみそうな努力をして立ち位置を手に入れ、自己を高めながらお金を貯めて趣味を堪能して生きていこうと希望に満ち溢れていました」
「……ちょっと待て、ちゃん、いくつだって?」
「正直に申し上げますと、ドン引きされると思うのですが、二十六歳です」
「……呼び捨てにするぜ」
「どうぞ」
あまりにも小柄で細っこい肉体からこぼれるとは思えない野望の数々。裏打ちされた自信に満ち、失われたそれらを本当に惜しむ悲しみが伝わる。これを子ども扱いしろといわれるほうが無理だ。
「引きはしねェ。ただ、その落ち着きの理由が判ってスッキリしたぜ。……で?」
「なぜか身体が若返って、死ななければ帰れない、知っていても知らない世界で、私は……たぶん一人ぼっちで、怖かったんです。なぜかわからないのですけど、ジョースターさんたちは私をすごく警戒してるみたいでした。DIOがどうとか、よく話していますが、私のいるところでは英語で会話していることが多いので早すぎてききとれません」
「ん?今めちゃくちゃ流暢にしゃべってるのはソレ、なんなんだ?」
「喋るほうが得意なんです」
「あ、わかった、、泣くなよ、な!」
「泣いてません、大丈夫です」
もう抵抗もしなくなったは、誰にも言えなかったうっぷんを晴らすように言葉を紡いだ。
「ホル・ホースさんは居たいと思うでしょうか。右も左もスタンドもよくわからない世界で、ひどく警戒されて、腫れもののように扱われて、身体も小さくて、体力もないし、もとの世界には私が人生をかけて努力して手に入れた成功があるんです。確かに待ってるんです。両親は優しいし、アパートの隣の人は親切にしてくれました。仕事でも、せっかく千載一遇のチャンスをつかんだのに、……う、うぅ……」
「泣いてるじゃあねえか!」
こんなイケてるガンマンがアンタみたいなぺったんこにハンカチをやるんだから覚悟しろよ、と付け加えてポケットをさぐる。
「よくわかんないし変なこと言いたくないし早く帰りたいから黙っていたらめっちゃ気をつかわれて、日本人としてはそんなにされたら応じずにはいられないじゃないですか!頑張って喋ったら承太郎さんの視線がすごく怖いし、うわぁああん」
「だぁああから泣くなって!ホレ、ハンカチ取ったか?ん?そっと拭けよ。拭いてやりたいが、の歩幅じゃあ旦那に追いつくのに陽が暮れっちまわあ」
「すみません……」
ざくざくと砂を蹴り分けて歩き、ホル・ホースは言い聞かせた。
「よォし、泣き止んだな?じゃあよく聞けよ」
真剣な声音だ。はごくりと唾をのみこんで衝撃に備えた。断罪されるのかもしれない。無責任だと言われるのかもしれない。正論でぶちのめされるのかも。その”正論“が何なのかすらわからないのに、彼女は少しだけおびえた。
「、俺はアンタの言うこの世界で生きてる。それは間違いねぇな?」
「はい。誰が否定したって、否定できるものじゃありません。あなたたちは生きていて、……こうして物語から外れた行動も取って、私の話をきいてくれます」
「ああ。いいか。生きてる俺が、このホル・ホースが誓うぜ。の話をすべて信じる。そして誰にも言わないさ。アンタの言う”最後”までな」
「……え」
低く、くせのある声は挑発するような響きを内包していたが、の耳にはとても穏やかに届いた。笑みすら浮かんで見えるような、優しさに満ちた声だった。
「なんだァ?ぽかんとマヌケ面で口開いてんじゃねーだろーな?ヨダレ垂らすなよ、お嬢ちゃんよ」
「し、……信じてくれるんですか……こんな話……」
「そう言っただろ。俺とだけの秘密だぜ。……金積まれても、俺の誇りだ、DIOサマにも話すまいよ」
は日本語も英語も忘れてしまった。
誰にも言わなかった自分が悪い。ジョースター一行にだって打ち明ければ理解を示してくれただろう。彼らはそういう人たちだから。それはわかっている。
けれど。
「おい、また泣くなよ、困っちまうだろ」
「……ありがとうございます……」
「そ。イイ女ってのはな、嬉しいことをされたら笑ってサンキューでいいんだ」
理屈ではなく、ほかの誰でもなく、このガンマンに告白することができて本当に良かったとは深く息を吐き出した。
「だが、最後が来たら好きにさせてもらうぜ。こんな珍しいお嬢ちゃん……おっと、二十六歳だっけか?日記に書くか、穴ぼこ掘って叫ぶくらいは許してくれるだろ?」
ゆっくりと首肯する。この秘密はもはや二人のものだ。
その時はいつやってくるのだろう。叱られたり、糾弾されたり、軽蔑されるにふさわしい行いをしている自覚は大いにある。だからそれは、自分が元の世界に帰ったあとだったらいいなあと、はぼんやり願った。
*
さあ、まだ旅は長い。
次はいつ死ぬ機会がやってくるのだろう。