命綱のふりをする




ポルナレフ自身、に思うところがあるわけではない。
彼女は突如現れた少女で、DIOの手のもの。彼女自身に力はまったくないが、DIOがそれほどまでに執心する理由を知るため、SPW財団の意図もあってこの旅に同行しているという。ジョセフ自身は「同行ではなく連行のようなものじゃな」、そう言っていた。
少女が限りなく無力であることは、船が爆発するという一大事までの道中ですっかり理解した。本当にスタンド能力を持たない人間なのか疑ったポルナレフは、彼女の眼前すれすれまで、主義には反したがチャリオッツの剣を刺しだして見たのだ。アヴドゥルの叱責を受けたが、その結果、彼女は完全なる非戦闘民であることがわかった。ぱちり。まつ毛の先に、いや、付け根に切っ先が届くような攻撃であったにもかかわらず、はその動きをまったく目で追えていないどころか、切っ先とチャリオッツとポルナレフを順に見つめて、「あー」と無感動に頷いて見せたのだ。驚愕したのはポルナレフのほうだった。いや、もっと肝を冷やしたのはジョセフ以下の面々だが。反撃ないしは悲鳴が待っているものだと身構えていたら、年頃の女の子にしては低い声で「あー」である。
「あー、じゃねぇだろ!もっとなんかあるだろ!」
思わずチャリオッツを引っ込めて少女の肩を揺さぶれば、彼女は至極当然と言った声音で答えた。
「何か言う前に死ぬかなあと思って」
けろりとしたものである。死を待っているのかと、黒い睫の伏せられた顔をまじまじと見てしまった。
その表情の奥には隠しきれない諦念があり、悲しみがあった。敵対する者だと知っても、ポルナレフは彼女の動かない表情を見てから、なんだかが放っておけなくなったのである。

非常用のボートに乗り込む時も、ポルナレフはびしょ濡れのの隣に腰かける。アヴドゥルはどうやら後ろでハラハラしているようだが、そんなの知ったことじゃない。飛び込まれないように背中のリボンを短く握っていると、密航者の少女がずりずりと尻で滑って近寄ってきた。
「ねぇ、姉ちゃんの名前はなんていうの?」
ハンカチをもらって警戒が緩んだのだろうか。少女は無邪気な顔で問いかける。
ポルナレフはの代わりに口を開くつもりだった。しかし、はポルナレフのほうに姿勢をすこし向けると、彼の後ろにいる少女に視線をやった。これには、後ろ、そしてポルナレフと反対側のヘリにいた面々もびっくりだった。
よ。……あなたは名乗らなくていいのよ。女の子は秘密を着飾って綺麗になるって言うものね」
の言葉に、少女はくすぐったそうに笑った。どうやらそのフレーズが気に入ったようで、口の中で呟いて繰り返す。
「ねェ、って呼んでいいでしょ?あんた、このデカブツたちとどういう関係なの?」
デカブツと称された男たちは思わず肩をすくめる。小娘の表現は容赦がなく、からりとしていて憎めない。
助け舟を出そうかと言葉を選んでいたジョセフだったが、は彼の目の前で自然にいらえてみせる。
「どういう関係に見える?」
「ンー……、よくわかんないわ。でも、……そうね、みんなに注目してるみたい。今だって…エーット、ポルナレフさんはの服を掴んでるし、行き過ぎた兄妹かなにかじゃないわよね?」
きょうだい、という言葉に胸を射られたのはポルナレフだけだし、ポルナレフ自身、その痛みを完璧に押し隠したつもりだった。ちらり、との視線が向けられたのは、少女の話の流れに従っただけに違いない。そう思っても、感情を重ね合わされたような驚きと、押し込めていた激情のふたが揺らぐのはおさえきれなかった。
「兄妹じゃないわ。私が?……ちょっと面白かった。ありがとう」
家出娘にしてみれば二度目の、ポルナレフや承太郎にとっては初めてのほほえみだった。
そんな顔もできるのか、とジョセフは目を見開く。硬く閉ざされたの心を、無邪気な少女の笑顔がわずかに開かせたような気がして、胸に希望がともった。
「あっ!あ、あ、あ、!みんな!見て!」
全員がの表情にくぎ付けになっていたどこか穏やかな沈黙を、甲高い少女の声が切り裂いた。指さす方を見ると、今まで気づかなかったことがおかしいほど間近に、タラップの降りた船があった。

密航少女の手を取ってボートから船へと引いてやった承太郎の隣で、ポルナレフはひょいと船に飛び移って、ボートを振り返る。
元来の性格と、微かに感じた共感から、ポルナレフの表情はどこか明るい。
「ホレ、掴まれよ」
「……」
差しのべられた手を取る前に、はボートとタラップの間にある道路の側溝よりも広い海を見下ろした。
一番最後に残っていたアヴドゥルが、気をそらすようにの肩を叩いた。
「さぁ、ポルナレフの手につかまりなさい。落ちないように気をつけて」
飛び込み自殺を図られるかもしれない。そのことに思い至ったポルナレフは少し目に力を入れてを見た。促すようにもっと手を近づけると、は想像よりもあっけなく、柔らかくて小さい白い手をポルナレフの手のひらにのせた。白人であるポルナレフの硬質な白さとは違う、黄色味を帯びていながらも、象牙のようにすべらかな手だった。
のジャンプを補うように手を引っ張ってやると、彼女はたたらを踏んでポルナレフの胸のあたりに顔をぶつけた。
花京院やアヴドゥルなら、から睨むような不機嫌な視線が返ってくると思ったかもしれない。しかしポルナレフはまったく違うことを考えた。そして彼の想像どおり、は打った鼻に手をやりながら、まっすぐにポルナレフの空のような瞳を見た。彼女の声は小さく、ポルナレフ以外の誰にもその声は聞こえなかった。
「メルシーボークー」
昏く、DIOの闇に焦がれていると思われていた瞳は陽に透かされ、どこか言葉の要らない部分で、悪戯っぽい表情をあらわしたように見えた。パッと顔を輝かせたポルナレフは、ばしばしとの背中をたたき、しっかとリボンを握りしめた。後ろで顔を見合わせるアヴドゥルと花京院にはとうとう気づかなかった。

ポルナレフがのリボンを握って離さないので、自然とメンバーは三つに分かれた。船内の様子を探る花京院とその周囲を護るアヴドゥル、船内の散策を行うジョセフと承太郎、そして少女ととポルナレフである。
「戦えないものを二人も抱えるなんて、大変じゃあないですか?」
花京院がハイエロファントを張り巡らせる前にそう訊ねても、ポルナレフはの傍を離れることを良としなかった。密航少女もの傍を離れようとしなかった。仕方なく、何かあったら大声を上げるようにとアヴドゥルが厳命した。
船室にある檻にはオランウータンがいて、中には何か雑誌が散らばっている。
少女はの腰に抱きついて悲鳴を上げた。
「あ、あの猿、ポルノを読んでるわ!ねえ、見たでしょ!?」
「猿がエロ本読むかァー?見間違いじゃねぇの?あそこに落ちてるだけだろ」
「ポルナレフさんには聞いてないわよッ!」
少女の希望で、ポルナレフたちはその船室を後にする。
することもなく、花京院のそばに戻ると、がふいに首をめぐらせた。
釣られてポルナレフも辺りを見回すが、何の変哲もない甲板の様子と、SPW財団のスタッフ、そして花京院たちの姿しかない。あとは眺める限りどこまでも海だ。
はちょっと迷ってから、面倒くさそうな仕草でポルナレフを見上げると訊ねた。
「脚ってどうやってひっかけるの?」
「……ン?足?まあ、がやるんならこうだろ」
アヴドゥルが聴けば「警戒心が足りなさすぎる」とそう叱りつけるに値する会話だった。ポルナレフは訊ねられたまま、へ感じていた親しみもあり、少女の足を見えやすいように軽くひっかけて見せる。はじっとそれを見ると、「わかった」と短く呟く。
つかつかと、は花京院を見て呆けていたSPW財団のスタッフに近寄ると、慣れない足さばきで彼の足を後ろからひっかけた。
「うわぁ!」
ちょっと不格好だったが、びっくりした彼はバランスを崩し、甲板に倒れ込む。サッとアヴドゥルの視線がを貫いて、彼女の背後の光景を目にして咄嗟に叫んだ。
「危ない!」
反応が早かったのはポルナレフだった。リボンを掴んでいた手をの腹に回し、状況がわからないなりに少女ごと引き寄せ後ろに下がる。の身体が傾ぎ、ポルナレフの胸元に押し付けられると、つい今までそこにあった影を振り貫くかのように、吊られていたフックがぶうんと風を切った。
ポルナレフは、“倒れなければ頭を打ち砕かれて死んでいたであろう”スタッフと、間一髪守り抜いた腕の中のぬくもりを見て、知らず息を吐きだしていた。緊張の一瞬だった。アヴドゥルの警告が一秒の半分も遅ければ、は死んでいた。そしてがポルナレフに教えを請うのがあと二十秒遅れていれば、若いスタッフは死んでいた。
不良娘は、事情が呑み込めないなりに、親しみ始めた年上の危機を悟ったのか、しょっぱくなった額から冷や汗を流していた。
(今、ポルナレフさんがを引っ張らなかったら、は……!)
ぶるりと想像に身を震わせる。
は彼女の震えを、海水で冷えたのではないかと口にした。今しがた生きるか死ぬかの瀬戸際にいた人間とは思えない、落ち着き払った声だった。ふしぎなことに少女は彼女の低めの声に安心をおぼえ、「そ、そうかもしれない」と誤魔化した。少女はシャワー室があったことを思い出し、あったかもしれない凄惨な出来事を振り切るように、歩みの遅いと警戒を始めたポルナレフを引き連れて階段を降りた。

シャワー室で自殺するのはどう頑張っても無理だろうと、ポルナレフは考えた。素っ裸になる少女への配慮もあって、シャワー室のある部屋の椅子に腰かけて彼は待つ。
シャワーからはお湯が出たのか、少女のはしゃぐ声が聞こえる。
も入れば?さっきの船で海に落ちまくってたじゃない」
は立ち上る湯気を眺めて、ちょっと首をかしげた。軽く下唇をかみながら、誘いをかけるつるぺたな少女を見る。
「そうね」
答えてボタンに手をかけるまでのわずかな間に、はいろいろなことを考えていた。塩水でずぶぬれの服はうっとうしいが、これからすぐこの船から脱出することになるし、その後は救助されるまでカンカン照りの下だ。
けれど髪の毛が塩でかたまり磯の香りを放つのは自分が不愉快だったし、まあ少しなら大丈夫か。
だいたいあのスタッフ助けるのにめっちゃ緊張したしもう勘弁してほしい。
そんな疲れ果てた思考回路のもと、するりと衣服を足元に落とす。
カーテンをひいて少女と譲り合いながら髪をすすぐとずいぶんサッパリした。手早く済ませた少女にバスタオルを渡してやり、自身もフェイスタオルを取ろうとカーテンを開けた。閉じた。
「え??」
がっちり、猿と目があってしまったは湯上りで気を抜いていたため、あまりの驚きに硬直した。かろうじてカーテンは引いたものの、少女が不審に思ってビニールの布に手をかけるのを止められない。
「き……きゃああああああ!!!」
けたたましい悲鳴は、恐らく船中に響いた。
まず、一番近くにいたポルナレフが椅子を蹴飛ばし立ち上がる。シャワー室の前にいる巨大な猿――オランウータンを見止め、あんぐりと口を開ける。隣の船室にいた承太郎とジョセフが襲いくるファンや消火器をなぎ倒しながら現れ、ポルナレフに駆け寄る。にやにやといやらしい笑みをたたえた猿は辞書のあるページを示し、スタンド使いであると告白した。
それよりもポルナレフの目を強くひきつけたのは、猿の巨体の後ろにある華奢な肢体だった。バスタオルを巻いていた小娘とは違い、タオルを取ろうとして驚愕に身を固めたは何も身に着けていない、生まれたままの姿だった。
「おいポルナレフ!」
ジョセフに呼ばれ我に返ると、ポルナレフはスタンド使いの猿に切りかかった。うまく連携を取り、あと一歩というところまで追い詰める。
追い詰められた猿は、獣にあるまじき卑怯な手を取った。すなわち、シャワー室に押し入り、人質を取ったのである。どちらにしようか迷う暇もなく、カーテンの近くでにしがみついていた少女を取った。獣くさい腕の中に震える少女を閉じ込めて口をゆがめるオランウータンは、承太郎の逆鱗に遠慮なく触れた。撫でさするというレベルではなかった。
「このエテ公が……ッ」
ぶわりと全身を逆立てて怒りを見せた承太郎は、スタンドの腕を大きく振り上げ――振り下ろせなかった。
勝利の予感ににやつく猿の背後から振り下ろされるシャンプーボトル。猿のこだわりだったのかなんなのか、は身近にあったものを手に取っただけだったが、幸運にもボトルは硬質なガラスでできていた。ぬるつきもなく、水でいい具合に握りのついたボトルを大きく振り上げ、猿の後頭部に無表情で叩きつけた。何度も叩きつけた。
「ウッ」
思わずジョセフは首をすくめた。痛々しい音がシャワー室に響いた。
老人の上体すら持ち上げられない細腕のどこにエネルギーがあったのか。崩れ落ちた猿から少女を救い出し、床に落ちた辞書を踏みつけ少しだけ高くなった背で思いっきり、倒れている猿の足を踏みつけた。承太郎はどこかで同じ動作を見たなとダークブルームーンを思い出した。偽の船長は靴越しであんなに痛がっていたのだ。
はラックからバスタオルを取ると、ポルナレフたちに背を向けながらそれを体に巻きつける。そして、すっかり腹を見せひんひんと情けなく泣き声を上げるようになった猿を見下ろした。
「死にたくなかったら」
の声は冷たかった。
今まで自分たちに向けられていた声音はもしかして彼女にとって精一杯愛想をふりまいたものだったのではないか?
ジョセフをしてそう錯覚してしまうほど、冷たい声だった。養豚場のブタを見るように見下ろされた油まみれの過去が蘇ってぶるりと身を震わせる。
少女は自分を助けてくれたをすっかり頼りにしているのか、承太郎には目もむけずの腰にすんすんと泣きついていた。
「この人の言うとおりにしなさい」
は猿にもわかるように、ジョセフを指さした。猿は大きく何度もうなずく。
「わ、わし?」
倒す気満々だったジョセフとしてみれば、なぜ指示を仰がれるのかわからない。
「服……、アッ!そうだ、服着ろよ!」
戦いで散らかった脱衣所からカゴに入れられていた衣類を探し出し、ポルナレフは少女たちに突きつけた。カーテンレールは外れかかっているものの、隠せないほどではない。
ジョセフがなんと言ったものか猿を見ていると、承太郎が彼を小突いた。
「この船全体がコイツのスタンドだというなら、倒して足を失うよりも、陸まで利用した方がいいってことだろう」
「あぁ!なるほどのォ。ちゃん、君の言うとおりにさせてもらうよ!」
理解し、ジョセフがカーテンに映る影にウィンクを送った。
意外に紳士なポルナレフががたいの良い二人と猿を追い立てるようにシャワー室から遠ざけた。




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シャンプーの質がよくてくやしい。